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2020-12-03 29:56

【GMV 266】タスクシュート に帯状の予定はない

スケジューラーとタスクシュート は決定的に違うもの
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えー、これリテイクです。珍しく久しぶりにリテイクしました。
あのーですね、タスクシュートの話しようと思っているんですけれども、難しいですね。
んー、今日はなんか朝からなんかこうスッキリしないんですよ、いろいろと。珍しくなんですよ。
でですね、タスクシュートの話をするんで、話だけはスイスイ出てくるんだけど、
どういう風にこれを話せばいいのか、いつもと全く同じようなことになってしまわないかというイリュージョンがですね、
頭の中を駆け巡ってるんですね。
で、いつもと同じというのはつまり、私が一生懸命なんかこう熱くなって一人で熱くなってるよっていう感じでですね、
えー、なっちゃうんですよね。別にこれのこと自体はいいんだけど、
えーと、これ聞いてる皆さんに何の意味があるんだ、まあこれはやっぱりイリュージョンだな。
えーと、うん、簡単なことなんですよね。これをなぜか多分受け入れがたさがあまりに強くて、
えーと、簡単なことが簡単なことじゃなくなっちゃうんですよ。難しいことにはならないと思うんですよね、簡単なことなんで。
えーと、まずこういう時は結論からだと思うんですけど、これはもう倉園圭道さんのグッドバイブスのまんまで、
時間は帯状ではないということ。もうこれに尽きるんですよ。
で、これが難しいはずはないんですよ。だって皆さんは実態として現実に帯状に見えた時間って一個も見たことがないはずじゃないですか。
それはないんですよ。で、多分、ここで難しくなるのは量子力学とかそういうやつを使うとですね、時間の長さが帯状になってるはずがないんですよね。
なぜなら多分あれは物質によって時間の流れる流れ方と速度は違うから。
あれは所詮仮定のものなんですよね。何時何分何秒っての。仮定のものなんですよ。
で、お金ならまだしも実態があるけど、時間は実態もないし、測ることもできないんですよね。
時間、時計で測れると思ってるかもしれませんが、時計で測れるわけではない。
私たちは時計で測った時間の長さを見たことはない。長さっていうからには見ることができるわけじゃないですか。人間の目で。
で、これを帯状にカレンダーとかに書いたものが時間の帯ですよね。
でもそれは嘘ですよね。そんなものはないわけですよね、どこにも。
で、タスクシュートというもので、一つ多くの方が面白いことをご希望になるんですよ。
あの、記録残りますよね。例えば、グッドモーニングバイブス、今日はリテイクしたから出遅れましたが、8時25分スタートで、8時多分45分ぐらいになるでしょう。
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早くても。50分にはなるかな。で、これをカレンダーに書き込めるんですよ。
今それ、機能としてあるんですよ。なんかこれを聞いてワクワクする方もいらっしゃると思うんですよ。
いつもグッドモーニングバイブス聞かれてる方はワクワクされないかもしれませんが、ワクワクする人いっぱいいらっしゃると思うんですよ。
で、この機能は私から見ると不要な機能だったんだけど、開発者の人も多分必要、活用できるシーンはないだろうと思われたんですが、要望が極めて多かったんで付けてるんですよ。
今でもGoogleカレンダーに何時何分から何時何分まで何したというのを帯状で示されるんですよ。
色もご自由に変えられます。とことんこれはね。
で、これに意味はないということをタスクシュートでは実はご理解いただきたいんですね。
時間を帯状に表示しても何の意味もないんですよ。
なぜ何の意味もないのかって問われるんだと思うんですけど、むしろそういう方に逆に問い返させて欲しい。
何の意味があるのかそれに。
そうすると何かが見えるような気がするんだと思うんですけど、何も見えない。
で、もう一つこういうことがあるんですね。
縮尺の問題がありまして、カレンダーに表示される私たちの行動の長さというのはあまりにも短いんですよ。
だってこれ例えば25分とかグーグルカレンダーに週間で多分出しますよね。ほんのちょっとですよ。ほんのちょっと。
長方形というよりは千分と言ったほうがいいような長さでしかないです。
普通の階層では。
で、大概のものはこのグッドモーニングバイオスよりはずっと短いです。
例えば歯磨きとか千ですよね。
で、この千がいっぱいになっちゃうんですよ。
で、見えやしないんですよね。
でもそれが事実なんですよ。
えー何て言うのかな。
グーッと高度何千メートルみたいな。
上空から見るとビルとかも点じゃないですか。
あれなんですよね。私たちの行動というのを週間単位とか時間単位で見ると点なんですよ。
ただそういうことを見て確認できるというメリットはあるかもしれない。
だから私たちはミクロに動いているということが感じられる。
カレンダーの世界はそれから見るとマクロなんで。
だからカレンダーで時間管理ってできないんですよ。
これが分かるというメリットはあるかもしれない。
これを分かるためにやるためには1日つければいいだけです。
コチャコチャコチャコチャってなってしまって何も見えやしません。
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それが実態なんですね。
で、あれを見たところで時間をこう使おうとかああ使おうって絶対思わないので
思えるようにはなる日はやってこないはずなので
あれに意味はないんですけど、それよりも何よりもまずですね
帯状の時間というものはないんですよ。
で、タスクシュートって早々期から、つまりもう最初期の頃から
東橋哲夫さんだけがタスクシュートというものを知っていた
名前もなかった時代から、エクセルじゃないですか。
数字じゃないですか。量ですよね。帯じゃないってことですよね。
帯じゃないっていうのは大事なんですよ。
帯でいいんだったら、なんでタスクシュートを
Googleカレンダーに置き換えなきゃいけないのかと。
帯でいいんだったら最初からGoogleカレンダーでいいじゃないですか。
帯でいいんだったら、紙の手帳にあるんですけどね、
付箋に貼っておけばいいじゃないですか。
それでこと足りますよね。帯じゃないんですよ。
これが何よりも大事なポイントだと思うんです。
だから私、Good Vibesで倉園さんがセミナーの中で
帯状の時間を測らないというのを見た時に結構驚いたんですよ。
全然違う方面から同じ言葉が出てくるっていうのはちょっと驚きじゃないですか。
私はその帯状の時間ではないってことを
タスクカフェとかでいっぱい言ってたんですよ、実は。
いっぱい言ってたんです。あんまり響かないんですよね。
あんまり響くようには言いにくいんですよ、さすがに。
帯状の時間でしょうっていう空間の中で。
でもタスクカフェの方は私が何言い出すのかよくご存知だったんで
あんまりショックとか受けないんで良かったんですけど
帯状ではないということをずっと言ってきたんですね。
こういうことなんですよ。
時間は帯状というぐらいならば液状に近いんですよ。
量として瓶の中に入れると形は見えますけれども
こぼすとワーッと流れちゃう。あんな感じなんですよ。
帯状みたいには全然なってるイメージがないくて
液状になってるものを使っていくぐらいならまだしも近いんですよ。
使ってはいかないんですけどね。
僕が今一番イメージとして近いのは
あえて時間にイメージをつけるならばですけど
海が近い。
海ってなんかうわーってあるじゃないですか。
あんな風に全てのものが時間を持っているみたいな
そんなイメージがあって
タスクシューとなり時間を量的に測るときっていうのは
1日という瓶を持っていって
海から水を汲み取ると
それが僕の1日の時間を量的に直した感じのイメージなんですね。
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だからなくならない感じがするんですよ。
海の水は無限じゃないですよね。有限ではある。
でもこのやり方で汲み取っていってなくなるはずはないですよね。
汚れるとかそういう話は全然無視してください。
水っていう意味でね。
だからなくならないし
永遠に供給され続ける。
ただ1回に汲み取れる量は限りがあって
しかもそれは全体的に見るとすごくちょこっとな感じがする。
だけどそれでちゃんと1日は回るようになっているという感じを
私は全体的に抱いている。
帯状では全然ない。
未来とか過去とか
帯状ってどうしてもそれが含まれてしまうんですよ。
帯状にすると例えば朝食、娘を送る、散歩する
グッドバイブスみたいなのを帯状に置くわけじゃないですか。
なんでこれがおかしいのかというと
そもそもそれをするどういう意味があるのかというのが
まず大きな大きな疑問なんですけれども
どういう意味もないんですね。
これは表現になってますという程度でしかなくて。
もう1つすごく私が大事だと思っているのは
これは帯状、帯状じゃないに関わらずでもあるけれど
帯状にしてしまうとですね
まるでそれがその道を1人の人間が歩いているみたいに見えますよね。
そういう風に見えるようにするのがいいのかもわからないんですけど
そういう風に見えちゃうんですよ。
だから私はタスクシュートのセミナーとかですら
イブの3つの顔の話とかをしたくなるわけですね。
私たちは1つの人格だという風に思っている方がいいんですけれども
あんまりそれがひどくなって
1つ以外の何者でもなくなると機械みたいになっちゃうんですよね。
これがいいっていう話が出てくるのが僕にはとても信じがたいんですが
タスクシュートに書いてあることがまるでプログラムのようにね
何時何分に何を実行するっていうのを命令通りに
その通りに動けるようになりたいっていう話が出てくるんですけど
そうなりたいっていうのがわからないんですよね。
それだと自分、機械になっちゃうじゃないですか。
なんかそれが楽しいとか幸せだっていうのが私には共感できないんですよ。
そうじゃないと思うんですよね。
オビジョンじゃないもう1つのポイントとして
タスクシュートって開始時刻は書かないんですよ。
もしあれ7時食事、8時見送り、9時グッドモーニングバイブスみたいになってしまったら
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タスクシュートってもうスケジューラーですよね。
スケジューラーじゃなくてタスクシュート使ってる意味をよくよく考えてほしいんですね。
スケジューラーでいいじゃないですか。
その開始時刻に書いてその通りにただ実行すればいいっていうんだったら
細かい手帳を買ってきてそれにそうやって表記していってらいいじゃないですか。
タスクシュートは全然考え方が違うと思うので
やっぱり液状になってると思うんですよ。
どう積み重ねるかは自由だし
開始時刻というのはそれはどこかに発生するでしょうけどね実行すれば。
でも実行するまではわかんない。
そういう含みを持たせているっていうのかな。
それが大事なんで
学校の時間割みたいに10時10分国語みたいに
そういうんだったら学校の時間割と同じでいいわけですよ。
それとは全然違うと自分は思うんですね。
でも似たように見える部分もあるので
そういうところが誤解されると。
ただ私はそれだけタスクシュートがある
ああいうものであるが故に誤解されてるんじゃなくて
世の中にはあの時間割でガチッとですね
帯状になった時間というものがあり
そのパズルみたいなデータベースみたいなものの中で
有効活用を時間の帯を有効活用することができる
ブロックを有効活用できるんだっていう根強い発想があり
かつそうするものがこの社会で勝者になっていくんだという考え方があって
しかもそのさっきの機械みたいにですね
9時30分執筆開始みたいな
ガチッとスタートできる人間が優秀でかつ幸せっていう
そういう前提があって
だからそういう人たちがタスクシュートを見れば
もちろんそう見えるよっていう話なんだと思うんですよね
逆じゃなくて
タスクシュートを見て初めてそういうものに全部目覚めて
誤解するっていう風には僕には全然思えないわけです
だから私が一生懸命喋ってても
意味のわからんことを悟りを開いた人間みたいな話になっちゃうんだろうな
っていう気がするんです
そういうことではないと思うんですよ
もともとだって学校に行く前から
ああいう時間割にカチッと剃った人が正しいってされてたわけではないじゃないですか
うちの幼稚園とかはもっとダラーっとしてずさんでしたもん
幼稚園時代はそうですよね
金はなっていきなり人が一斉に動き出すのがベストだっていう
軍隊みたいなのがいいんだっていうのは学校で習うことじゃないですか
その後プログラムっていうのが出てきたのももうちょっと後の時代だけど
そのプログラム通りに正確に受ける方がいいっていうのは
オートメーションの工場で
それこそ蟹交戦じゃないですけど
なんかそういう集約労働みたいな話を感じさせるじゃないですか
僕はだから正直嫌なんですよねその発想
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なんでそういう風に自分をしたいっていう風になり得るのかみたいな
あれに抵抗運動してきた歴史っていうのがあるわけじゃないですか
しかも僕の感じでは社会的勝者みたいな人たち
いろいろいらっしゃいますけど
新自由主義みたいな人たちが
そんな機械みたいなことを自分がしている人って
ほとんどいないと思ってるんですよ
ああいう人たちはかなり
それが僕がいいと思ってるわけじゃないですけど
ものすごく絶対自分の自由を少しでも犯すやつは
ひねりつぶすぐらいの勢い感じるんで
そんな何時何分何がスタートみたいなのに
自分をピチッと合わせているっていう人は
ああいう人たちの中では稀だとむしろ思うんですよね
なのでどっちにしてもですね
何時何分何をするっていうのがいいと思えないし
さっきも言ったけどそれをやるんなら
手帳だけでもいいし
グーグルカレンダーだけでいいんですよ
よくおっしゃるじゃないですか
オビド細かくなってしまうのがいけないと
タスク習得がよく言われることの一つですよね
例えば3分歯磨きとか6分何とかの準備とか
本格的ですらそうですからね私の場合
ドキドキ9分原稿みたいなありますからね
そういう細かいのがいけないと
タスク習得が難しいのは
その細かい部分でこれはもう
甚大なる誤解なんですけど
もっと大きく大まかに捉えて
大事なことだけを記録しましょう
っていう話あるんですよ
そうすればオビも綺麗に見えますし
時間ももっと緩やかに管理して
しかもいいところが取れるんじゃないかと
これやるんだったら本当にタスク習得じゃなくて
手帳と付箋の方がいいと思うんですよね
ただ私の経験では
そうすることによって大事なことだけが
ピックアップされるんではなくて
大きく時間を使ったと認識されたことだけが
ピックアップされるんで
どういうものが記録として残るかというと
多分睡眠、睡眠長いオビですからね
睡眠が8分とかで終わるはずないんで
睡眠、朝食、移動、昼食、休み、お風呂、夕食、睡眠
っていう風になると思うんですよね
せいぜいその間に仕事とかが挟まる
私はこれをやるのは全然タスク習得だとは思わないんですよ
これはオビ上は綺麗になりますよね
何なら5色ぐらいに分けられますけれども
それは全然タスク習得でも何でもないとは思うんですよ
それは何だろう、絵日記って感じがしますね
別に絵日記だっていいじゃないですか
ただタスク習得というものとは全然違うので
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大事なものだけをピックアップして
タスク習得のいいところだけを取り出した
っていうニュアンスにはならない気がするんですよ
それは全然違うものになっている感じがします
逆なんですよね
つまりオビ上にならない尺度で見るためのものであって
オビ上の尺度にあくまでも固執するというのであればですね
それはもうタスク習得ではないんですよ
衛星写真を見ながら街歩くのって
不適切じゃないですか
商店街を歩くためには商店街マップのほうがいいわけですよ
でもそれは衛星写真レベルまで高度を上げてしまうと
見えなくなっちゃうわけですよね
これがタスク習得の大きなポイントで
タスク習得というのは商店街マップを作りましょう
という話だと思うんですね
だから高高度に上げてしまって
カレンダーレベルとかバーティカルの手帳レベルに上げてしまうと
そこでは何にも表現されなくなる
その細かさがいけないという話は
その高度がいけないんですよ
高度がやたら上がったから細かくなっちゃったんですよ
商店街マップが細かいわけじゃないんですよ
縮尺が最初から違うって話なんですね
オビ上が意味をなすのは商店街マップではなくて
大体はバーティカルなんですよ
そこで見える長さは睡眠と食事ぐらいだと思うんですね
睡眠と食事と移動時間
だから睡眠と食事と移動時間だけになっちゃうと思います
それをやればですね
私の感じではなかなか
4時間も5時間も同じことを続けているのは困難で
しかも4時間も5時間も同じことを続けていたらですね
食事を全部1時間ずつにしても
入浴とかを入れるから
1足す1足す1足す1足す4みたいになるじゃないですか
そこに睡眠時間7とかを足せば終わるわけですよね
24みたいな
だからその縮尺で考えられるものはそういうものだけであって
大事なものだけをピックアップしたという結果には
ならないんだと思うんですよね
このことがですね
今日はようやく
相馬灯のように駆け巡っていた
タスクシュートを喋ろうとすると出てくるイリュージョンみたいなもの
邪魔はされたけど
やっと吹き切った感じなんですけど
一番でも言いたいことはですね
こういうことでは実はなくて
散々喋ってきましたけど
お美女の趣向度を上げること
一番良くないのは
自分がいなくなっちゃうことだと思うんです
バーティカルの手帳とかカレンダーの
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僕は大きな大きな問題だと
時間管理しようとしていたら問題だと思ったのが
自分がどこにもいないということなんですよ
現在地がどこだかよくわからん
二宮のどこかの商店街のパン屋さんにいますっていうのを
日本全域が見える地図の中で見ると
意味をなさなくなるじゃないですか
そう思うんですよ
私はタスク集とやってて
やっぱり一番大事なことはですね
何時何分何をしましたではなくて
お美女の時間でもなくて
このままでいくと間に合うかどうかも
大事で便利な機能だけどそれでもなくて
今何してるかということに
正直になるということだと思っておりまして
だから優の三つの顔みたいな話を
したくなるんですね
今何をしているのかについて
人は嘘をつくと思っております
人にも他人にも自分にも嘘をつこうといつもしてる
しかも嘘をつくことが必要でいいことなんだって
思ってるんですよ
今ゲームをしてたんだけど宿題をしていることに
したいんですと
そういう瞬間がタスク集と使っていると
毎日毎日やってくるはずなんですよ
そこで疑問に思うべきだと思うんですよね
なぜ宿題をするほうがいいのか
あるいはなぜゲームをしちゃっているのに
ゲームって書くのが嫌なのか
そこで押し切ってしまうんですよね
だから私は子供にタスク集とタスクマですけど
使わせないんですよ
子供がああいうものを使うのは
やっぱりあんまりいいことだとは思わないんですよね
使いたいといえば
反対はしませんが
うちの子は幼稚園時代に実は使ってたんですよ
反対はしたくないんでね
反対するほどの理由はないんで
いつの間にか使わなくなって良かったなと思って
おるんですけれども
使えるということは難しいというものではないんですよ
難しい難しいと言われていますけれども
別段天才児とか
そういうわけではないんで
普通にスマホがいじれれば使えるんですよ
結局大人が使うべきものだと
僕は今は特に思うんですけれども
何が言いたいかというと
何かをするべきだと思うのも
そんなことはしてられないと思うのも
大人は自分で決められるじゃないですか最終的にはですね
いくら社会の圧力があろうと
誰かがきついことを言ってこようと
でもなんだかんだ自分で決められるじゃないですか
子供はこれが許されてないと思うんですね
24:01
今日も学校行きましたが
学校行かなきゃならないわけじゃないですか
行けと言われるから
本人はその中でいろいろと
いろいろと折り合いをつけているわけですよ
それに強い抵抗を示したことなんかないですからね
うちの子の場合は
ただそうは言ってもこれが
強制されないならいかないですよ
つまり強制はされてるんですよね
自主性に任せるとか自発性を大事にするとか言うけれど
やはり行かせてるわけじゃないですか
大体投稿班でみんなが待ってるのに
私は眠いから行かないと言える子は相当なもんだと思うんですよね
私はほとんど見たことがないです
これは一種の全体主義ですよね
子供を強制させて全員行かせてるわけですよね
そしてそれが正常だということにしてあるから
休むとなったら異常ですよね
だから連絡帳とかで
この状況下にあって
自主性に任せて自分でタスクシュートつけなさいというのは
すごく欺瞞が多くなるんですよね
私はそれをしないのがタスクシュートだと思っているので
社会にいい顔をするために
記録つけるというのはおかしいと思うんですよ
だから
何をしてもいいというのはすごく大事なことで
宿題でなければいけないんだと
宿題でなければいけないんだと言うのであったら
別にタスクシュートに書いてあるかないかは関係ないし
それを何分やったかも全然関係ないし
宿題をやりなさいと言って
無理やりやらせればいいわけじゃないですか
現にそうなっているじゃないですか
自主性の方が大人としては安心できるし
自分がいい大人だと思えるんだけど
現実に大人がいい大人だと思うために
例えば私がいい親だと思うために
子どもは宿題をするわけじゃないわけだから
ここには絶対に嘘くさいものが入ってくるわけですよね
2つの嘘を同時につけますよね
自分はいい大人だから
子どもは自発的に勉強するのに任せて
子どもは勉強している
3つ嘘がありますね
3つ嘘があると思うんですよ
そういうことになっているんだから
多分私が何も言わなくて
自主性に完全に任せていたら漢字の練習なんかしないですよね
小学校4年だ3年だの子どもが
面白くないですもん
他のことをやっているのに比べれば
それをタスクマでやるみたいなことを
させるわけですよね
どんな形をとろうとも
どうせそこは矯正してやっていることに違いはないから
あれですよ
私はしなさいと言ったことはないです
27:02
なくてもしますけれども
でもそれは一種の矯正だと思うんですよ
私は漢字を書けなくても困りませんからね
でもうちの子だと困るんで
テストの点が悪いと困るということを知っているんで
しますよね
それはつまり何らかの圧の下でやっているということですよね
その圧は
つまりタスクシュートに反映されちゃいますよね
しかもそれは自分で決めていることでは絶対ないと思うんですね
そういうことを
タスクシュートというのは含まないものだと
僕は思うんですよね
結局あれは自分で決めているからいいんですよ
自分でこれをやると決めて
自分で決めていることを知るということが大切なんですよ
そこを無理やりやらされてしまったら
もうそれは時間割とスケジュールの世界に戻ってくるわけですよね
10時10分国語
嫌でもなんでも国語
眠くてもなんでも国語ということですよ
大人はそれを跳ねつけられるじゃないですか
よっぽど自主性というものが全くないという人でない限り
そんな決まりは無視できます
他のことがあっても本気になれば無視できます
調子が悪いとかね
子どもはそれすらも滅多に許されないんですよね
調子が悪くったってやらされるわけですよね
聞く気が全くなく理解が追いついてなくてもやらされるわけですよ
全然違う世界に生きていると思うんですね
こういうことであるならば
スケジュールでいいと思うんですよ
強制力が常に外から働いてきちゃうんで
スケジュールで十分だと思うんですね
強制力が常に外から働くというのは
実験問題なんで本当は
子どもだから許されていることであって
常に強制力が働くというのは
私たちだったら刑務所ぐらいなものだと思うんですよね
強制施設とか公正施設だったらそういうことになる
そこでは私はタスクシュートいらないと思うんですよ
どうせその通りにさせられてしまうから
タスクシュートはその通りにはさせられないという人が
使うべきものだと思っておるわけです
ここでべきが出てきちゃいましたけどね
これは人がどう思うかまたちょっと違うんですよ
私が勝手にこう思っているだけで
私にこれを言う権利は多分ないと思うんですけれども
子どもに使わせるかどうかという話になってくると
自分の子には使わせないと
これも昔自分の子に使わせられないようなものを
人に勧めるべきではないとセミナーで言われてみたことがあったので
そういう質問を受けたことがあったので
その時もこういうようなことを答えたなということを
先日思い出したわけです
29:56

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