2020-12-02 32:17

【GMV 265】心の奥が、表現できるとずいぶん生きやすくなる

自分の心的現実を受け入れてもらわないと、気力が失われていく。一つ意識を示唆するような話
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
連日似たようなことを言ってますが、書き上げ塾というのがあります。
倉園圭三さんと私でやっている、本を作り上げるための、オンラインでも受けられる講座なんですけれども、リアルでも受けられますが、
本を作るというか、電子書籍としてひとまとまりの作品を作り上げるまでの一部始終をレクチャーすると、
その中で実際に書いていくという流れになっているんですね。
第3期の募集が今やっているので、よろしかったらということなんですが、
芸術療法というのがあるんですよ、心理学には、昔から。
日本では、なんといっても有名な河合駿先生が、箱庭療法というのを子供向けにやっていたんですね。
本もあります。今手に入るかわからないですけど、結構古い本で、箱庭療法、たぶんそのまんまのタイトルなんですよ。
実際に子供が作った箱庭の写真を収録してもらって、
これを見たある人がですね、すごい気持ちの悪い本が混ざってたよって、私の本を見て言ってくれた人がいて、びっくりしたんですよ。
あっ、子供の作っている箱庭って人によっては気持ち悪いんだと。
大変これはですね、僕の中で忘れられないお話で、
なんて言えばいいんだろう、ただそれだけのことなんだけど、すっごく記憶に残ったんですよ。
これって気持ち悪いという視点もあり得るんだと。
私、箱庭療法という本には非常に感銘を受けて、
何というのかよく当時は読んでいても、今思えば意味がわからず読んでいたんだけど、
当時は意味がわかっている感じを持っていましたから、
ユングは本当に淡い早尾さんの本で知ったようなものですし、
それでもよくわからん話だったわけですよ。
今でもヘロイトに比べるとはるかにわかりにくいとは思うんだけど、
でも箱庭療法でやっていることの意味はなんとなくはわかります。
僕自身は箱庭療法というものを詰めてやったことはないんですけど、
本当に授業でちょっと触れたみたいな話でしかないんですけど、
コラージュみたいなのもあるんですよ、もっと簡易にしたというのかな、
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ちょっと違う形にして雑誌とかをいっぱい使って切り張りをして、
自分の潜在意識で望んでいることを明らかにしていくみたいな、そういうのもあるんですよ。
それはかなり表面的な話にもとどまり得るんだけど、
もっともっと突き詰めていくと、なるほど不気味なものが出てきうるとは思うんだけど、
それでも本を読むことも全くなく、いきなり写真見て気持ちが悪いというのは面白いなと思ったんですよね。
気持ちが悪い。
私は得意じゃないですが、得意じゃないなりに大昔小説とか書いていた時代もあったんですよ。
世の中で言うところの黒歴史的ですよ。
で、なんというのかな。
僕は性格なんですけど、本当にホラーにしたいんですよ。
ホラーを書きたいんですね。
だけど一歩間違うと逆になっちゃうホラー嫌なんですよ。
ポンテッドマンションも最後のシーンとかそうじゃないですか、僕は笑い出しそうになるんだけど、
怖くない時にホラーを見たら絶対あれはお笑いになっちゃうと思うんですよね。
美人の足を掴むとか、なんかおかしいじゃないですか、ゾンビがね。
何が言いたいかというと滑稽にならないホラーを書きたいんですよ。
私、最近で言うと日暮らしの泣くコロニーを書いた龍騎士さんか。
あの人相当滑稽にならないホラー、相当表現されるなと思うんですけれども。
ああいう感じでもないんですけども、とにかく心の底から怖いって思わせたいみたいなのがあって。
サダコ、やっぱりなあ、怖くないで見るとほんと冗談になっちゃうんですよね。
で、それを避けたいというのがあって、これはもちろんできないですけど私の力量では。
どうしてこれを表現したいんだろうっていうことを箱庭両方の本を読んだ時に考えたんですよね。
どうして自分は心の底から人が怯えるようなものを書きたいんだろうと思ったんですよね。
自分の中ではそういうものが最も表現するに値すると思っているところがあるわけですよね。
ほら有名な、超有名な、今時あまり知られていませんけど、ハワード・フィリップ・ラブ・クラフトっていう人がいるじゃないですか。
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という名前だったと思う。ラブ・クラフトは間違いないと思うんですけどね。
クトゥルとかいう発音しにくい怪物を考え出すあたりが彼らしいんですけど、
あれを読んだ時に思ったんですね。この人はきっと違うことを書きたいんだろうなと。
なんか全然怖くないんですよ。昔々の怪奇談みたいな感じで。
でもすごく古典的なホラー作家としては超有名な人で、日本で梅塚蔵さんという漫画家いますよね。
彼が書きたいことときっと似てると思うんですよ。
彼の漫画ってギャグじゃないですか。読めばわかるんですけれども、大概はギャグ漫画になっちゃってるんですよ。
ギャグ漫画であるところのまことちゃんだっけ?はあんまり笑えないという。
でもすごいなと思うんですよね。すごい話もいっぱいあるし、
何しろ飽きもせず懲りもせずこれを書き続けるというのがすごいなって思うんで。
やっぱり書こうと思ってすぐ書けるってわけにはいかないんですよね。
とにかく彼らの心情はわかる気がするんですよね。
僕、彼らと似てると思ったんですよね。
こういうのを書いてギャグになっちゃうのは嫌なんだけど、
要は彼らが心の底から人に見せたいと思っているものと、私が心の底から人に見せたいと思っているものは似てる。
書き上げ塾1期の中に政治の話を書きたい人がいたんですね。
私はその方とたまたま住んでいる方が近いんで、
もしセミナーとかでご一緒するとその機会がとても多かったんですけど、
帰りずっと喋っているんですよ。
この人が書きたいと思っていることは世の中に書かれていない。
結構ストレスのかかるものでフラストレーションがたまるんですよね。
なんかですね、面白いことに私たちってこの辺はすごく一つ意識に迫る部分だと思うんですが、
自分が言いたいことはこの世に言われてなければいけないって思っているところがあるんです。
あるんですよ。
これは私物書いているんですごくよく感じるんですよ。
もうラスクシュートとかエヴァノートとかですらそうなんですよ。あるんですよ。
たぶんエヴァノートを作った人の動機の中にこれがあると思いますね。
このようなものがあるべきだと思ったものを世の中に出さないと落ち着かないみたいな欲求不満が募るんですね。
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いつもこれを何と言ったらいいのかわからないんだけど、変な表現になっちゃうんですけど、
現実実現みたいになるんですよね。意欲としては。
でも現実というのは実現されているものだから、これは変なトートロジーみたいな言葉なんだけど、
このようなものが世の中にはなぜかないので、自分がそれを作るのはかなり手間だということはわかっているんですよ。
エヴァノートとか今でもそうですけど完成してないですよね。
エヴァノートってたぶん一番最初にフィルリービンのような人が無双した何かなんですよね。
それが現実のものになってほしいと思ったんだと思うんですけど、
それを実現することはたぶん彼はまだできてないと思うんですよ。
すっごいあれいうのを実際に作り出すのが大変で、よくわからない全然違う問題がいろいろ横から入ってきて、
それに対応しているうちに実現されないまま違うものになっていったりして、
世の中に現実って大変面白いなとも思うんですけれども、
なんかそういうのがあるわけで、私もあるんですよ。
こういうものを作り出したいと。
それに近いことをやっている人がラブクラフトであって、
梅津和夫さんだったわけなんですね、私の中に。
だから彼らの本は大半は一時期は入手していたし、読み漁ってましたね。
いっぱいあるんですよ、図書館とかに行けば。
大半は読んだ気がします。
特に梅津和夫さんの作品はほぼ前作に相当量あるんですけど、
かなり初期のから最後のまで、たぶんくまなく読んでいます。
でもですね、フィル・リーヴィン、エヴァノートと同じで、
表現しきれてなかったと思うんですよね。
一番僕が以前言ったなと思うのは、むしろ戦霊という、
全然彼の超代表作という話じゃない話なんですよね。
あの辺が僕は一番彼の表現したかった恐怖感に近いものなんじゃないかと。
ほとんど恐怖はなくなっちゃうんですけどね。
これもまた面白いですよね。
これは恐怖だと思って、あの先生恐怖っていう本すら書いてますから、
恐怖だと思って表現してるんだけど、
表現しようとしてるものは実は恐怖とあんまり関係なかったりするわけです。
私のもきっとそうなんだと思うんですよね。
本当にこれは怖いんだと思ったものが出てきたら、
たぶんそれは怖くないんですよ。
帰り道の電車でずっと政治の話をしていた。
で、ある人にですね、あの人がこういう感想を漏らしたんですよね。
これもまた僕にとって箱庭の話と同じく忘れられないですけど、
あの人が言ってる政治っていうのは政治じゃないからねっていう話があって、
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そういうことになるんだって思ったんですよね。
いや、あれは政治じゃん。
あれこそ政治じゃんって思ったんだけど、
世の中で政治だと思われてるものとは違うんですよね。
このギャップを何とかしたいという気持ちがたぶん、
彼に政治を書かせようという気持ちになったんだろうなっていうふうに思ったんですね。
で、ここで書き上げ塾の宣伝みたいなんですけど、
僕は彼は書けたと思うんですよ。
すごく納得感があったと思ってるんですね。
もっと違うものも書きたいと思うんですけど、
とにかく書けたと思ったんですよ。
読んだ時にその作品をですね。
今でも出てます。
国会のルールっていうので、たぶん伝書籍で
Good Vibes e-booksというところから探していただくと、
本が数点しか出てないのですぐ見つかります。
国会議事堂が表紙になっている本ですね。
野球談義を楽しむように国会の話ができるといいみたいな話を何度も伺ったんですけど、
それではわからなかったんですよね、私には結局。
言ってる意味が正確には。
やっぱり心の底から出したいものが出せるとか出すって難しいことで、
というかほとんど私はそれは実は諦めてたんですよ。
そんなことは無理だろうなと。
人であれ自分であれですね。
余さず言うってのは無理だなと。
諸事情はありまして、
そんなことをやってる暇はないと思っていたってこともありますが、
そんなことは誰も求めていない気がするというようなこともあってですね。
とにかくそういうことはどこかで諦めてたんだけど、
あれを読んでできるんだこれと思ったんですね。
書き上げ塾にいれば。
それは相当変な話に聞こえると思うんですけど、
僕は今書き上げ塾で倉田さんの話をずっと聞いていて、
出来つつあるんですよ。
これがまた面白いことに、
自分が出したかったことをそっくり出すっていうこととはまた別に、
どんな表現であっても、
自分が言おうとしていることを、
より、より何て言うんだっけな。
より焦点を正しく合わせるような表現を使って表現するとですね、
どんな内容で、どんなテーマであっても、
言い尽くした感で出せるんですよね。
そして自分の言いたかったことはぴったりだ。
ぴったりこういうことだったっていう。
これも磨き続けられると思うんですけど、
かなりでも、
普段自分がここまでだと思っていたところより、
一、二段…
えーと…
なんていうのかな。
レンドっていうのも変ですけれども、
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一、二段…
先まで行き着くことができたらですね、
その実現感って相当なものがあります。
で、これが箱庭療法で目指してたことなんですよ。
目指してたことなんですね。
ちっちゃな子供は、
言葉をそんなに巧みに操れませんので、
自分が言いたいこととか、
自分が世の中ってこういうものだと思ってますということとか、
自分の心の中の世界ってこうなんですって言えないんですね。
で、自分で何やってるかは分かっているわけじゃないんだけど、
箱庭っていうのは要するに、
箱なんですよ。
で、下は一応水になってるのかな。
水っていうか青いのが塗ってあるんですね。
水を表現してるんだけど、
そこに砂とかを入れるんですね。
で、水と大地を表現する。
その上に何でもいいんで、
お人形を中心としたおもちゃを置いていくわけです。
そして自分の作りたい世界をそこで表現する。
今時で言うとあれですかね、
マインクラフトとかでやってるのと似てるんですかね。
うちの子も飽きもせずやるんですよね、マインクラフトと。
レゴのブロックでやたら遊ぶんですよ。
ずーっと遊んでましたね。
今でも暇があるとそれをやるんですよね。
で、バラしては作り、作ってはバラすんだけど、
何なんですかね。
でもあるんですよ。
現実というものが自分の心の中に、
心的現実とかってフロイター言うんだけど、
メンタルリアリティみたいな。
これを現実の自分の目に見える形にしてみないと、
人は落ち着かないようなところがあって。
極端に言うとですね、
本を書くってまさにそういうことですよね。
こういうものがあるべきだと思うから書くわけですよね。
作り出すと。
私たちのような商業の物書きはある意味大変恵まれております。
それを本屋に置けるわけですからね。
ただ恵まれてるようなのと、
昔出せなかった頃は思ってたんだけど、
出すようになってみると、
それだけでは済まされないんですよ。
なぜなら私が思った通りのものを、
私がだけで作ってるわけじゃないんで、
当然それは要求されている部分があるわけですよね。
一つには。
そういうことが出てくる。
もう一つは、
売らなきゃいけませんよね。
あるっていうことで満足してはいけないわけですよね。
そこにもそういうこともあります。
だからレゴとかの世界と似ていて、
荒らしめるって感じなのかな。
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人はある意味そういうことで争ってるよなと、
昔よく私は思ったんですね。
こういう世界であるべきだとか、
意見が別れるじゃないですか。
自分のごくごくちょっとしたことでも意見が別れますよね。
お隣の国とうまくやっていくべきなのか、
ほどほどやっていくべきなのか、
もっと厳しくやるべきなのかとかって、
世界をどう荒らしめるかみたいなのって、
すごく人によってイメージしているものが違って、
それが実現されないと、
ひどくフラストレーションをためるじゃないですか、私たち。
これ正しさなんだと思うんですけれども、
箱庭の中の世界みたいなところがあって、
こういうふうであるものであるみたいな世界とは、
あるいはこういうふうであるべきだみたいな、
あるいはこれはこういうふうに解釈するべきだみたいな、
そういうのってあるじゃないですか。
すっごく子供らしいところで言えばですね、
私の野球の親みたいなもんですよね。
こっちが勝つべきだったり言ってるわけですよね。
それは要するに私の勝手な願望なんだけど、
そのために一生懸命頑張ってくれる人たちがいるわけですよね。
そういう遊びですよね、あれ。
だから、なんていうのかな、
それをやるっていうのが多分、
芸術良好という、アートセラピーって言うんですけどね、
ものなんだなって感じがするんですよ。
なぜそれがセラピーになるのかというと、
あまりにも現実が私の思わないものであり続けて圧倒してくると、
病むんだと思うんですよね、人は。
だってあれじゃないですか、
簡単に考えてみても、
僕なんかよく思うんですよ、
ずっとソフトバンクファンやってる人は、
ずっとロッテファンやってる人より精神的に健康なんじゃないかなと思うことは多くありますよ。
こっちは勝率7割ぐらいじゃないですか。
こっちは1本差になると勝率3割ぐらいなわけですよ。
そうすると、こうあるべきだと思ったうち、
10回のうち3回しかその気持ちは満たされないということになります。
向こうは10回のうち7回は満たされるわけですよ。
だったら勝つチームの肩入れを失礼すればいいって思われるかもしれないんですけど、
それなんて簡単にできないから、
芸術良好は世の中にあるんだと思うんですよね。
それは簡単にできないんですよ、たとえ幼児であっても。
幼児だとむしろ簡単にできないですよね。
世界は大人のものだから。
だからああいうものが良好として役に立つと。
しかしそれはある種の視点から見ると気持ちの悪いものなんですよね。
これですよね。
それってつまり他人の世界観というものは受け入れがたいものですよね。
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要はそういう話に近づいてくるじゃないですか。
人の心の中などというものは薄気味悪いものであると。
あり得ますよね、そういうことはね。
ラフクラフトさんの世界とか薄気味悪いじゃないですか。
なぜ彼の気持ちがわかる気がすると私が言ったのはですね、
私もやっぱり世界に対するそういう恐れと不安ですよね。
世界に対するですよ。
世界とは恐ろしくて不安にさせられるものだと。
これは恐れと不安はある程度でもこっちにエネルギーがあるとすぐに怒りに転じますから。
だって相手が自分を不安にしてるんですから腹が立つわけじゃないですか。
つまりこれは世界に対する憤りを表していても不思議はないわけですよ。
なぜこんな目に合わせてくれるんだというわけですよね。
そういうのって梅塚蔵さんの作品でもラフクラフトの作品でも頻繁に出てきますよね。
彼らの怒りのようなものってすごく感じられます。
彼らが本当に怒ってるのかどうかは知らないですよ。
これは世界観なんで、世界がこういうものである以上、
人は復讐を夢見るっていうような何か詩文があったような気がするんですけど、
まさにそういう感じなんですよね。
ただそれを表現しようとすると、ちょっと子供っぽいものになってしまいがちなんですよ。
本当はそういうことが言いたいわけじゃないんだろうなっていうのはそういうことなんですね。
例えば暗黒の怪物みたいになっちゃうわけですよ。
本当は世界が私を不安にさせるってのはそういう意味じゃないですよね。
目が100個ぐらいあって口が10個ぐらいあるお化けみたいなのが世界の象徴として
こっちを睨んでるから不安にさせられるとか言われてはないんだけれども、
それは一つの表現なんですよね。比喩だということなんだと思うんですよ。
ただ世界のこの、よく言うんですけど、真の奥みたいなところにそういうとんでもないのが潜んでいて、
こっちをとんでもない目に合わせようとしているから自分は不安になっていて、
それと頑張って戦わなきゃいけないような気がするわけですね。
向こう水で正義感強いみたいなキャラクターが意外に梅津さんの作品とか
ラブクラフトの世界でも活躍しちゃうんですよね。
多分自分の中の心の中にですね、そういうものともっと一緒になって
こういうとんでもない連中と戦っていければいいのにっていう気持ちがあるんですよ。
だからラブクラフトのなんか不気味な化け物みたいな、犬とかにやられちゃうんですけど
犬に負けるはずないでしょっていう感じがするわけですよ。
そんな口から口が出てくるようなエイリアンみたいな存在が犬に何でに負けることがあり得ないじゃないですか。
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そういう犬みたいなのが自分の中の勇気みたいなものなんだと思うんですけども、
そこら辺がやっぱりどうしても表現されている世界観と
何かうまくマッチさせられるキャラクターを用意するって容易なことじゃないわけですよね。
そういうものもああいうのを読んでいるとつくづく僕は感じたんですよ。
だから何が偉大かというと、自分の中にあるこの世の中にはなぜかないもの。
国会のルールをきちんと説明している本がない。
世の中の本当の恐ろしさを表現できているのがないって思った人たちが
それをみんなに伝えなきゃと、なぜか思う。
それって非常に一つ意識的でもありますよね。
デジタル上のウェブクリップをしてみたり、自分の書いたものを書いておいたり、
自分の用事を書き留めておいたり、それを一元化してすぐに検索をかけて
モバイルでもスマホでもどこでも探せるようになっているものがあるはずなのに
あるべきなのになぜかないって思ったからエヴァノートを作るわけですよね。
作ってみるとなかなかそういうふうにはならないということなんだと思うんですけど、
でも作ってみるわけですよね。
そういうことをすると、一つの自分の世界観が動的に変わるじゃないですか。
ダイナミックに変わるじゃないですか。ある程度自分で変えることになるわけだから。
しかもそれをみんなが受け入れるとなると、大きく変わる予感を持てるじゃないですか。
多分それがセラピーになるんだと思うんですね。
箱庭というものは出だしですけど、その一本目みたいなものですけど、
その設計図のさらに原型みたいな感じ。
そういうものを作ると人は癒されるというのがとても興味深いことだし、
そのためにはどうしても大事なのは、逆に設計図を作ったらいかんわけですよね。
これが設計図の原点だし、なかなかそれはさっきも言った通り形にしてみるとうまくいかないんですよね。
だからバラしては作り、作ってはバラすということになるわけですよ。
その中で変化していくはずですよね、心理状態は。
それが少しでもこの世の中に反映される。少しというのは本当に目の前の箱庭ですよ。
それに反映されるという程度であっても反映はされるわけだから。
世の中は自分の全く思い通りにならなくて、全く自分を圧倒するというだけじゃないということに
少し心がそれを感じ取ると、また少し表現することが変わったりするわけですよね。
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漫画家さんでよく言いますよ、最初はとてもとても驚しくて、
世の中のおぞましい部分を徹底的に描いていたんですけど、
その先生がすごくそれがヒットして売れたりするじゃないですか。
そうするとすごくタッチが急に柔らかくなって、世界が平和になるんですよね。
そうしてあんまり面白くなくなるという、難しいなと思うんですけどね。
そういうのってよくあります。
つまり世界が少しでも世界に何かが通じ始めるということが、気持ちが変わりますよね。
世界に対する反応が。
世界というのは、松本政調さんがよくやってましたよね。
東京のお金のあるところにひっそりと住んで、
総理大臣とかを自分が好きに買える、椎茸がおいしくないとか言っている、
腹黒い老人が一国を支配しているんだけど、
そういう悪ですよ。
悪みたいなものを描く。
でも松本政調さん最後までそういう作品が結構描かれていましたけど、
だいたいそういうのが大ヒットすると、
世界は善人が治めていたりするようになるわけですよ。
癒されてしまうんですね。
そうするとそういう、椎茸嫌いな悪人を何度も読みたい人が、
面白くないと思うわけですけれども、
本人にとってはしょうがないですよね。
それがある意味セラピーになっちゃうんで。
そういうことって多々あることで、
自分はなるほど描いていくというのは、
一文一文で達成するしかないなと。
そうするとやっぱり箱庭療法になっていくんだなという感じなんですよね。
あれ一つ一つのどう置くかがすごく物を言ってくるはずなので、
それ一個一個によって癒されていくわけじゃないですか。
だからそういう話なんですよ、これは。
私はきっと国会のルールもそうだったと思うし、
言わんとすることを言い尽くせればですね、
それが出るのが何より大事なことなんですよ、きっと。
それがあらゆる人に受け入れられて、
すごくセラーになるとかいうことよりもですね、
なるに越したことはないんですけどね、
特にそれで仕事にしている人としては私のような。
ないんですけれども、
でもやっぱり何か書きたくなったりするわけじゃないですか。
Evernoteというのはこういうツールであり、こう使おうみたいな。
ここのところにもあるわけですよ。
だからやや独自的で偏見というか偏ってきたとしても、
タスクシュートなんかで私がよく言うことだと思うんですけど、
あんまりこれでもいいしあれでもいいって言いたくないんですよ。
そんなことを言うぐらい何も言わない方がマシだと思っちゃうんで。
偏見じゃないですか、当然。
一国を椎茸が嫌いな老人が一人で裏から支配してるはずないですよね。
あれはメンタルリアリティですよね。
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そんな世界の宇宙の奥にですね、
口が7つの化け物とかがいないですよね。
それはメンタルリアリティなんですよ。
世界に対するその人の恐怖感を表現しているに過ぎなくて、
でもそれをとことん、そんなのは実はいるかもしれませんし、
いないかもしれませんとかいうことを書くぐらいだったら、
書かないと思うんですよ。
そういうふうに私は思うので、
タスクシュートとか書くときもよく思うんですけども、
これじゃなきゃ絶対ダメだみたいなことを書きたいわけですよね。
それは偏見なんですよ。
GTDにもいいところはあるしみたいなふうに書きゃいいという面もあるでしょうけれども、
そんなこと書くぐらいなら書かないほうがマシだと思うんですよね。
これは僕のメンタルリアリティなんですよ。
やっぱりたとえそれが実用書であり技術書に近いものであっても、
メンタルリアリティを書きたいんですよね。
この自分の中の現実というものを表現しないと。
そういうものは他にはないわけですから。
私以外の人もタスクシュートしかありえない、
時間管理はこれじゃなきゃダメだよみたいなことを書いてる人、
他に誰もいないんですから。
時間管理の本を私がいくら読んでも、
そこに書かれていることを読んでも、
私の心の中にくすぶっているリアリティは少しも満たされないわけですよ。
スキマ時間をうまく活用しましょうとか書いてあっても、
着前としないというかフラストレーションがむしろ募っちゃうんですよね。
それは多分ラブクラフトのような人が昔、
多分ポーとかの影響を受けたと思うんですけど、
ポーとか以外にそういうのを書いている人がそもそも誰もいなかった。
多分彼はそこにフラストレーションを感じて、
ああいう人喰いの作品とかを最初手掛けてみたんだと思うんですね。
僕のやっていることはつまりはそういうことであって、
他の人がやっていることもつまりはやっぱりそういうことだと思うんですね。
何が言いたいかというと、書き上げ塾に入るとそういう思いを満たされる可能性が、
文章ですけどありますと、そういうことでもあるわけです。
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