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2021-06-04 28:21

【GMV 391】英語科を出ると英語を生かしたくなる

同じような計画の人はたくさんいる
00:05
おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
テイプ2になっています。
雨がいっぱい降っています。
意味付けってしますよね。
私、天気を見ていると本当にするなって思います。
グッドバイブスは、意外に天気の話題が特にファクトリーとかで出ていて、
意味付けなんだよねっていうことはもうあからさまなんですが、
パッと見上げると、意味付けの俊敏性っていうのかな、即時性っていうのがすごいなと思います。
早いよね、というやつですね。
意味付けでこれ終われば、まだしもいいと思うんですけれども、
イリュージョンがまた早いんですよね。
なぜ気圧で頭痛がとか、なんとかいう話がなされるのか、
本当によくわかる気がします。
そこら辺は、私はさすがに働かなくなったんで、
昨日が頭痛だの、どんよりで頭が重いだの、
サラサラなくなったんですけれども、
ということはつまり、
あった頃はあったってことになるわけですよね。
だから非常に余計な負荷を自分に与えてたってことが、
よくこういう事例はわかるんですよ。
パッと晴れたら治るなんて、大変おかしいじゃないですか。
おかしくないって言われればおかしくないけれど、
そこに意味付けをしていることは間違いないわけです。
もう、これって蛇やクモは邪悪な生物であるってのと変わらないですからね。
一方で猫やリスは愛らしいっていうのと、
意味付けですからね、愛らしいってのは。
で、この意味付けというか、
意味付けなんですよね。
先日、オンラインの庶民人数のセミナーみたいなもので、
久しぶりにダイレクトでですね、専門性を活かしたいっていう話をいただいたんですよ。
で、久々にダイレクトでって言ったのは、
実は私このセリフはダイレクトで頻繁に耳にする機会があったんです。
というのも、私出た大学の学科が英語学科なんで、
ここを出ている方はですね、専門性を活かしたいということを強くおっしゃるんですね。
これは他の学科でも同じのかもしれませんけれども、
僕はここにはいろんな理由があると思っているんです。
一つには、私はそれ目当てで入ったんですが、女子学生が多い。
で、やっぱりですね、専門性と関係ないことばっかりさせられる。
つまり、よく今話題になっているやつですね、
おちゃくみばっかりさせられるっていうことは耐えられないっていう話がここにあるわけですよ。
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でも、ここに大きな意味付けがあると思うんですけどね、
社会問題という文脈とはまた別に。
この意味付けがあるのは、結局、私たちはですね、
専門性を合理化したいという話なんだと思うんです。
これがものすごく邪魔だっていうか、非常に有害な意味付けだなと思うんですよ。
私自身、私は大学に入った理由がそういう非常にアウトローでいい加減な理由だったので、
この意味付け自体は持ってませんでした。
つまり、出てから英語を活かしたいなんてかけらほども思ってませんでしたし、
生きるだろうとも思ってませんでした。ほとんど勉強しなかったんでね。
だけれども、この罠にはしばしば入るんですよね。
6月12日に毎日CMしてて恐縮ですが、
ノープランの話が、実践的にノープランをどうしていくかって話を
クラゾノケイゾさんにいただくわけですが、これプランニングそのものですよね。
私は英語学科に入り、英語を勉強し、英語を活用できる人材として
企業に入って、英語を使ってお給料をもらう。
めちゃくちゃ真っ当に聞こえますよね。真っ当だとは思うんですよ。
真っ当な人が多かったし。ただ、めちゃくちゃ真っ当に聞こえるんですが、
私これは極めて難しい路線だと思うんですね。難しい路線だというと、
基本的にこれは望ましくてできる優秀な人とそうでない人がいるみたいに聞こえるかもしれませんけど、
そうではなく、自分の人生のハードルをむやみやたらと上げてしまうという意味です。
私もこの罠に頻繁にハマりそうになったんですよ。
後から考えると、自分のこれまでの戦ってかなり不思議で、
当時は自分って危ういなってずっと思ってたんですよ。
何しろ視力滅裂でしたから。大学に入った理由が女子学生の比率ですし、
そこを出てやったことといえば、働きたくないから放浪の旅に出たわけですし、
今の自分探しみたいなんですけど、僕はそういうんじゃなくて、とにかくただ働きたくなかったんですよ。
それでもやむを得ず家に帰り、やむを得ず派遣社員として働いたんだけど、
たまたま3年で派遣社員は正社員になれって言われたんだけど、
それをやると派遣切りが始まって切られたわけですね。
また別の会社に行くということには耐えられなかったんで、
理由をカコつけてアメリカに逃亡したというのが私の実情なわけですよ。
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しかもアメリカに逃亡した理由というのは、
現世から逃亡するために明石部を見る方法を学びに行ったり、
そしてしくじったという展開ですから、
めちゃくちゃ危ういとずっと思ってたんですよ。
だから非常に大橋裕夫さんの仕事の頭が上がらない感じがあって、
いやー、彼真っ当な人生だなと、これも誤解なんですけども思ってて、
やっぱこういう人に巡り会えたっていうのはラッキーだよなっていう風に
つくづく思ってたわけですよ。
以降自分の人生はまとも路線に修復されたと勝手に思ってたんですけど、
今思うとアウトロー路線であることに何ら変わらないんですよね。
当時流動的でITバブルっぽさがあったから何となく格好がついて、
何となく自分は真っ当路線に戻れたと勝手に思えたんですけれども、
それは大いなる幻想で、やってることの危うさと脆さは何らそれまでと
ほとんど変わってない気がするんですよね、後から思うと。
そして実はそれのほうが良かったんですよ。
私は当時最大の誤解は、
大橋さんは私より真っ当だっていうのは誤解じゃないんですけど、
すごく真っ当だっていうのは誤解だったと思うんですけどね。
誤解があったのは、この自分のめちゃくちゃアウトロー路線は
全然アウトローじゃないんだなっていうことに気づいてなかったんですね。
これがノープランなんですけど、私の人生ノープランなんですよ。
ただそれは自暴自棄に半分になってたからノープランだったんですよ、たまたま。
このノープランが実は一番安全で、
もし私が、別に私同級生みんな好きだったんで、
特に女子は好きだったから悪口は言いたいわけじゃないんですけど、
もしあれと同じように英語を活かすっていう考え方、
そして私留学する時に高校行ったんですよね、書類取りに。
高校卒業しましたよっていう書類取りに。
その時に担任の先生にすげー褒められて、すげー違和感があったんですよ。
佐々木は偉いもんだと。
ちゃんと英語の学校入って、英語を勉強して、そしてそれを使って留学する。
つまり英語を活かすってやつなんですよね。
そしてそういう気も、そういう意識も、そういう現実も何もなかったんで、
実は怒られるんじゃないかと思って、内心ヒヤヒヤしながらその先生のところに行ったんで、
褒められてすごい違和感を抱いた記憶があるんですけど、
つまりそういうことなんだなと。
私のはただのジグザグがたまたまそう見えるようになってるだけなんですけど、
人々はやっぱりプランニングをしてその上を歩いていくという生き方が正しいし安心なのであって、
そうじゃないっていうのは、これは非常にやばい生き方になっちゃうと思われていたんですよね。
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で、私はそういう誤解の上にアメリカに行って戻ってきたんですけれども、
そうではないんですよ、実態はね。
で、あれをその先生がおっしゃってたようなやり方でやってたら、
多分私死には信じてないと思いたいんですけど、死んでてもおかしくはないかなと思うんです。
だって英語を活かすってことはできた試しがないし、それが職業になったことはないんですよ。
だから英語を4年もやってたんで全く何にもできない、でもほとんど全く何にもできないレベルでしたね。
で、留学行ったからといってそれが生きてたかというと大いに疑問なわけですよね。
で、仮にそれが生きてたにしてもそれで食えるようになってるわけじゃないじゃないですか。
結局その留学行って私がやったことといえば、学士を取っただけですよ。
学士、大学を出ただけです。
で、結局それ大学を出ただけですからね。
でもその大学卒業の少々は日本じゃ役に立たないんですよ。
で、私日本に戻ってきてたんで、つまり何にもなってないんですよ、ビジネス上は。
心理学っていうのもこれも活かそうとは当時まるっきり思ってなかったから良かったんですよね。
もし心理学を活かそうなどとしていたら、私じゃ到底無理です。
Twitterとかで今心理学トレンドって出てきて心理学見ると、全く勉強したような心理学ではないんですよ。
例えば赤色を見て赤い服を着ている女の子がいます。
この人と何をしたいですかによってあなたの心理的傾向がわかるとかいうやつでしょ。
あれはもう占いですよね。
全く違う能力が求められている。
何て言うんだろう。
流行かける何かなんですけれども、
私この能力はですね、作家の村上隆さんが抜群だなと思う能力です。
私には全然ないんですよ。
こういうコインロッカーベイビーズとか、インザミソスープとかいうのが流行ったんですけど、
そういう能力ってある人はあるんですよね。
学校で習えるようなものじゃないんじゃないかなと思うんですけどね。
私にはそういう能力はないんで、
もしそれで行こうと思っていたら大変なことになっていたと思うんだけど、
幸いに私はそういう風に考えることがそもそもあんまり得意じゃないんですね。
計画を立ててそれを活かして将来に設計をするってダメなんですよ。できないんですね。
できないことが大変危険だと思っていたんですけど、できないからやってこれたんですね。
そのことを多分12日に違う形で村上さんがお話してくれると思うんですけれども、
とにかくこのプランを立てて、現に私大学の同級生何人か知ってるんですけど、
ここにこだわる人ほど苦労する。
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英語とか、英語は多すぎるっていうそもそものハンディがあるとは思うんです。
いましたよ。やっぱりちゃんとできた人が。
有出入関係の会社に行って英語の書類を作成したり読んだりしてそれを業務に活用する。
めっちゃ合理的な感じがするんですよね。かっこいいと思うんですよ。
確かにある種の視点を取ればかっこいいしスマートだし。
ただですね、そういうポストはあるでしょうけれども少ないじゃないですか。
一方で英語学科の学生っていうのは数百人しかも毎年毎年排出されていっちゃうわけですよね。
その上、うちの大学にだけある学部じゃないんですよ。
私だってその学部を含めて9校ぐらい受けてますからね。
全国で言えば当然もっとずっとあってそこから毎年毎年100人単位で英語学科卒業者が生産されていくわけじゃないですか。
ある意味では言い方をすれば。
どう考えてもその輸出輸入のポストってそんなにあるはずないじゃないですか。
だからこれにこだわると当然別にグッドバイブスとかそういうものを一切考えなくても厳しいことは間違いないと思うんですよね。
つまり簡単に言うと空いているポストとハイロードしている人の数の比率が全然バランスが狂っちゃってるわけですよ。
これがたぶん僕はプランで生きようとするとこの構造にはまっちゃうと思うんですね。
なぜならば多くの人がある時代に考えつくプランはよく似たものになりがちなので自分が得意なものを生かそうと。
例えば英語学科を出ようとしている人がめちゃくちゃラグビーができてとかってことはないわけですよ。
うちのラグビーも確かに弱かったですしその弱いラグビーの中でも英語学科の学生ってほぼいなかったわけですよ。
つまりこれはわかりやすいじゃないですか。自分がどういう特性を持っていてどういうことができる。
そしてそのために国が用意してくれる組織にはどういうものがありどういう資格があるかを考えて計画立てたらみんな同じようになっていきますよね。
みんな同じようなプランを立てるわけだからそのプランに乗っかれる人の数はどうしたってその数より減るわけですよね。
しかし自分はその特性を生かしたいということにこだわるならばここは大変ややこしいことが起きちゃうと思うんです。
それよりだったらその時なぜかたまたまこれが非常にわかりにくいんだと思うんですよね。
私も最初にグッドバイオフィスをクラゾンさんから伺った時にここのところでつまずいた記憶があります。
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つまりその時自分がたまたま活用されたその依頼ですね。活用されたんですよ自分が。
に入っていってその中で何かすると。
そうしたら別に大学が何学科卒業したとか関係なくなっちゃうんですよね。
これに釈然としないんだと思うんです。
これもですねもう随分前に実は随分前に言われて当然なんですけれども言われていたことで
しばしばこの番組でも喋る精神科医のお好み慶吾さんという方がですね
これからの時代は女性も高等教育を受けると。
そうするとその高等教育を生かしたいというニーズが必ず高まるだろうと1964年に書かれた話ですよ。
で場合によっては大学では収まらず大学院を出て博士になっていると。
でその博士がやることが他の当時の時代ですからお母さんがやっているように
子供を養してミルクを飲ませておしめを取り替えるということでは多分収まらなくなっていくと。
けれどもだからといって博士がどんどん出ていけば社会でそれをどんどん必要として採用するようになるかというと
多分急にそうはならないだろうと。
結果として非常に高学歴で自分の能力にも頼むところがあって
意欲的な人が家の中に留め置かれて昔のやることといえば
もしかすると高校も出ていないような人でもできるようなことをやることになって
不満をため込むことになるという話を書いていたんですね。
どうするかというと子供を教育するようになるに違いないと。
一見これは良いことなんだけど子供にとってはかなりの負担になるから注意しましょうねというような話だったんですね。
教育ママという話は私の時代にもすでにあったんですよ。
とはいえ私の母なんかそうだったんですけど全然高学歴じゃないから
まだだいぶ楽なんですよ子供にしてみれば。
これが本当に高学歴でちゃんとわかった人に教育されていたら
これは私の場合だったらストレスだったろうなとは思うんですよね。
逃げばなくなっちゃいますからね。
そもそもみんなのみんな勉強したわけじゃないですか。
僕はできると言われてましたけど、もちろん全然したくはなかった口なんですよ。
みんなだったら昆虫とか捕りに行ってるほうがよかったわけですよ。
これしかしながら母までがすごい有名な大学院の博士を出ていますということになっちゃったら
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なんか立ち打ちできない感が出ますよね。
これは本当に厳しさがあるところではあるんだろうなと思いました。
なるほどなとは読んでいて思ったんですけど。
つまりこういうことが起こると思うんですね。
何が何でも自分の特性なり学んできたものなり
つまりある意味参加コストなんですけどこれ。
参加コストって言うじゃないですか。
何かに投資してそれをもったいないから何とか生かそうと思ってはいけませんよという経済学の一つの教えなんですけどね。
やっちゃいますよね私たちは。
ただやります。
この株にはこれまで100万円投資してきたからすごい下がってるけど上がるのを待とうみたいな。
有名なんですね参加コストを無視するというのは。
だけれども人は自分の学んできたことを参加コストだなんて思いたくないから
何が何でも生かそうとするとさっきみたいな話になっていくわけです。
吉谷氏はちょっと別だと思うんですよ。
親が子を教育して悪いってわけにはならないと思うんで。
ただ教育したいということと自分の特性を生かしたいということはずいぶん違うじゃないですか。
会社に行っても基本は同じだと思うんですよね。
仕事をしたいということと自分の特性を生かしたいということは実はずいぶん違うと思うんです。
私が当時は危ういと思っていた生き方は非常に安心材料が結局結果としては大きなものだったなとたまたまなんですよ。
本当にたまたまだし私も意識の上では似たようなところがあったんですよ。
依頼くそ暗い感があったわけですよ。
依頼なんて作種だっていうのはあったわけですよ。
ただ私はそもそも依頼がない人間だったからそういう生き方をしちゃいましたからね。
例えば仕事の参加の、怪しいじゃないですか。
後から考えてみればプロ側からの依頼みたいなのだろうとなんだろうと
そこに向かって総力投入みたいに自然となったわけですよね。
結果として。
それしかないから。
大橋さん私は英語学科出てるんで英語を活かしたいんですとか言ってる場合じゃないというか
勇気にもならないって済んだわけです。
心理学は当時のマーケット的なノリと配慮もあって多分
心理学は何か使っちゃってる感が出てたんですけど
今思えば別になくてもよかったような気配もあったわけです。
何よりも大事なのは依頼というのはそんなに明瞭な形とってこないってことだと思うんですよね。
だから分かりにくいし、フリーライドだとか作手だという話にやりがい作手だという話になりやすいんですけれども
つまりモニャモニャっとした形でやってくるからしょうがないんですよこれは。
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だってこれは依頼です。ザ依頼みたいにして起用がないじゃないですか。
そこが私はある意味会社という組織の恵まれているところだと思うんですけども
逆に嫌われちゃうんですよね。ザ依頼って形で来ますよね。ほぼ命令という形で。
これ一番ある意味良いんですけれどもやっぱりこれだけ明示されてみると
いやそれは私のやりたいことではないかなって話が出やすいんだと思うんです。
フリーランスやっていると依頼がそういう形でどんどん来てくれたら
本当にやりやすいなって思ったこと少なからずあります。
実際私の知っているフリーランスの方でこの形に直させるという方はいらっしゃいますね。
見ていて。でも私結局それは今思うとやっぱりそこはグッドバイブス的というべきなのかもしれないんですけど
それはちょっと撮りたくない。なぜなのかは分からなかったんですよね当時。
今なら説明できますが撮りたくないなとは思ったんです。
こういうことです。Googleフォームなりを作って私に何々を依頼していただける方は
1.期日はこれまで。依頼内容をここに記してください。
3.対価としてのいただける報酬をここに記入してくださいってやつですよ。
これはお気持ちはよくわかります。フリーランスってそうです。
ニョーンとしたところからフワッと依頼が来てお金の話は最後の最後の最後に
申し訳なさそうに来てみたりそれが意外に大きかったり
すごく堂々と来てるんだけどありえないぐらいっていうことはないんですけれども
決して高くはなかったり。そして自分の中で整合性を取りたいってどこかで思うじゃないですか。
これも一つの計画であり身づけなんですけど取りたいって思っちゃうんですよ。
前にこういう公衆で12万だったのに今回はほぼ同じ労力がかかるのに1万円なのか
向こうにも申し訳ないような気がするとか考えちゃうんですよ。
でも考えなきゃいいんですけどねこういうことは。
ということはもう10年やってれば絶対的に品質なんで一歩間違うと
100万円と無料みたいなこともあり得る世界というかあり得る世界に
やっぱりだからお金というのは一種一個のイリュージョンなんだと思うんですが
だからきちんとしたいと思えば思うほどそういうフォームを作りたくなるわけですよね。
依頼をザ依頼みたいにしたいということになると思うんです。
でも私はどうしてもやっぱり何かこうそういう形にするほど
ある種の依頼は来なくなるような気がすると思ったので
やっぱりこの山に入っていって木の実らしきものを取っていくというやり方の方が
フリーランスなんだろうなとは思っているんですけれども
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つまり明瞭じゃないということなんです。
すごくこうはっきりしないし果たしてこの依頼と考えていいものがあるのか
どうなのかということをずっとある意味考え続けて
いなきゃならないところがあるわけですよね。
でもそれでもですね、計画を先に立ててそれをやるというよりは
というかそのやり方はやっぱり危ういと思うんですよ。
だってそのニーズがあったらどうするんだってことに
次に果たしてその計画通りに生きるのが自分の幸せなのかというのがやっぱりあるんですよね。
私なんかは英語をずっとあの後やってたらさぞ不幸だったと思うんです。
好きでもなんでもなかったし、そもそも英語がやりたくてやってたわけでもないわけですし
だからこう整合性などというものをやりたくて
だからそんなに依頼中心、私その先日の週刊課講座で依頼って話が出た途端
非常にこうチャットコメントで厳しく非難されたわけですけれども
ご批判いただいたような質問をいただいて
出た途端非常にこうチャットコメントで厳しく非難されたわけですけれども
ご批判いただいたわけですけれども
わかりますよね。それはすごく依頼イコールやりがい搾取であるから
ダメであるとか依頼喜んでやってちゃダメですっていう話はわからないではないです。
言わんとしていることは。
ただ、だったら事前に立てた自分の計画に乗っていくのならば
絶対搾取にされずに済むものなんだろうかと思います。
だって毎年数百人単位で全国に大量に輸出される英語をやりたいっていう風にみんなが言ったら
どう考えても賃金的には叩かれちゃうと思うんですよね。
これだったら搾取じゃなくて、つまり自分の計画が先にあるから搾取じゃなくて
お茶を入れてって頼まれてもやるのは搾取なのは
実ははっきりした理由はないんじゃないかなって思うんですよね。
それは他の人でもできるからだっていう話もよく聞くんですけど
私が行った限りにおいて、大学に行った限りにおいて
英語だって他の人かなりできるじゃないですか。
僕できなかったけど、かなりできるじゃないですか。
もしかしたら今のようにAIでどんどんやってくれる時代になっちゃったら
これ代わりに誰がやっても同じっていう意味だけだったら
お茶を入れるのと大して変わらないんじゃないのかと言いたくなるレベルだったんですよ。
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みんなすごくレベルが高いし、すごくたくさんいる。
これは何なんだろうってやっぱり思うんですよね。
その計画であれば自分としては納得がいくっていうのは
イリュージョンなんだと思うんですよね。
そういうことをしていれば究極的には安全だという考え方なんじゃないのかなと。
それが私の高校の担任の先生が結局褒めてくれたゆえんだったんじゃないかと思うんです。
そしてそれ自体が私もそう思ってたけど、大きなイリュージョンワールドの中にいたっていうことなんじゃないかと。
本当にあの考え方は今となってはいろんなものを書いたり本を出してみたりした結果として見えるのは
計画というものに乗っていたら安全だと思っていたその感じって非常に危険極まりないものだなと。
私のアウトローが安全だとは言いませんけど、
尻滅裂ライフが安全だったとは言いませんけど、まだしもだったとは思いますね。
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