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おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、【1135】をお送りします。
2月12日水曜日、8時34分です。時間的にはちょっと遅くなりました。
なんかもうこういう時にはですね、カウンセリングだったら1時間遅らせたいってやつなんだけど、
学派によって様々だとは思うんですけれども、そういうのを許す流派もあるんじゃないかなと最近少し思い始めました。
今、学派って言ったのは何の影響を受けたかというと、
昨日ですね、山崎孝明さんと、諸富さんって呼べばいいのかな。
有名な先生なんですね。ロジャース派の有名な先生で、こちらの先生と、
生田さんっていうですね、またこれも違う、ブリーフセラピー、短いんですよね。
ブリーフセラピーにロングはダメなのかみたいなのを書いていらっしゃった、面白い理事の人だと思ったんですけどね。
ブリーフセラピーって本当に短いらしいんですよ。
今日はちょっとこういう話をしようと思ってるんですけど、またなんでそんな話をするんだっていうのは後ほどとしてですね。
そういう話の課題談を結構聞いていて、大変、私だからなのかわかんないですけど、大変面白かったんで、
ブリーフセラピーでしょ。ブリーフセラピーって精神分析とは真逆ですからね。
1時間とかワンセッションとかで結果出すみたいな、そういうやつみたいなんで、これは長さに対するアンチテージだと思うんですけどね。
でも長くなっちゃうことがあってはいけないのか的な、いけないんだと思うんですけど、いけないんだっておっしゃってましたから、いけないんでしょうね。
その辺のことについてちょっと考えたいなと思っているわけですよ。
私は長くなければどうしようもないと思うようにもなったんで、逆にだからちょっとね、やっぱりそういう本題に入る前にまずはお知らせにしておこう。
つまり山崎孝明さんの、また最近読み直してみたり、動画を大体僕見てないので聞いてるだけなんですけど、
動画を聞いてみたりしているうちにですね、つまり3月15日にそれをやるから、その話をしているわけですね。
3月15日はおかげさまでじわじわとですけれども、お持ち込みいただいておりまして、これ会場はですね、そんなにたくさん席があるわけじゃないので、
もし会場狙っている方がいらっしゃったら、あまりギリギリではないタイミングでお願いしたいんですけど、
オンラインならもうね、オンラインはもう本当に上限とかほぼ関係ないし、動画視聴ということであればですね、
3月15日までに、14日までにできればお持ち込んでいただいておけばですね、動画配信はさせていただくんでですね、
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ぜひお願いしたいんですけれども、その山崎孝明さんとの金枝をすると。
山崎孝明さんと私と新井さんという方との金枝になるんですけれども、それは当日をお楽しみにと言いたいんですが、
要するにですね、セルフケアすら間もならないという人向けの3時間、心の専門家に聞くよっていう話なんですね。
私は今ある非常に様々な、今3ヶ月チャレンジとかで伺っている様々な、実に様々な課題というのは、
あまりにも様々で、実はですね、どれ一つ取っても同じような話はないんですよ。
もちろん無理やり分類すればできますよ。
そして我々はなぜかこういう時に、とにかく最初にやるのは分類だということになりやすいんだけど、
私は分類っていうのが一番最近やりたくないことなんですよね。
というか全くやらなくなったんですよ、どこか。
いつしかですね。
意味ないなと思うようになったっていうのが大きいんですけども、
そこでね、さっき聞いていた、まずロジャーズってやつなんですよね。
諸富さんはロジャーズの会長なのかな。
わかんないですけど、すごい偉い人なんですよ、ロジャーズではね。
そのロジャーズの偉い人が言っていたのが結局慶長なんだけど、
慶長ともう一つがですね、教官というやつなんですよね。
で私その、やっぱりそうなんだろうなというか、もうそこには意外性は全くなかったんですけど、
昨日の動画を見ていてですね、山崎さんと諸富さんのやり取りを聞きながら、
いやー、つまりなんて言えばいいんですかね。
その、学派って面白いものですよね。
なんか面白いって言っては変なんですけれども、
なんて言えばいいのかな。
カール・ロジャーズといえば、慶長教官事故一致じゃないですか。
ないですかって言っても、ご存じない方はご存じないと思うんですけど、
慶長教官事故一致で、日本ではですね、
遠畑海人さんが、あれ覚えられないんだけど、要するになんか精神分析っぽい、
ユンギアンぽくやるロジェリアン風のなんかセラピストみたいな、
そういう要するに、和を折中、混ぜこぜに、和はないけど、
そういうものにしているのが日本の臨床の特徴であり、平成のありふれたハップですね。
サイコセラピーであり、まあろくなもんじゃないよね、みたいに言われているケースもあれば、
私はそれがどうしていけないんだろうって思うわけですけれども、
だって、慶長なんて当たり前じゃんっていう人もいらっしゃるんだけど、
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慶長って簡単ではないんですよね、やっぱりね。
これは違う方でしたけど、今回急にオレンジにしたですね、
臨床心理学という雑誌があるわけなんですけど、
これが、そこに諸富さんが書いていたわけですよ。
書かれていたわけですね。
この臨床心理学という雑誌を、
遠畑さんと、遠畑海人さんと山崎孝明さんが共同編集されていると。
私は早速あっさり予約して買って、一気に読んで非常に面白かったんですけど、
こんなに面白くできるんだと。
で、昨日その対談聞いててですね、山崎孝明さんが、
繰り返しこう、自分のやりたいことをまず面白くすることなんだ、みたいなことを
だからプロレスなんだっていう、ようやく彼が言っているプロレスの意味がわかったんですよ。
僕はプロレス見る方じゃないんで。
いや、全く見たことないってわけじゃないですよ。
一時、結構ですね、女子プロ見てましたよね。
極悪同盟ってやつ、ダンプ・マスモトさんですよね。
あれは見てました。
でもなんかね、僕あれの面白さが結局よくわからなかったんですよ。
で、山崎孝明さんは何かとプロレスプロレス言うし、
東畑海人さんもプロレス言うんで、
プロレスってよっぽどなんか一部引き付けるものが、
そういえばグッドワイブスの倉園慶都さんがプロレスよく言ってたなと思い出したんですけど、
なんだかよくわかんないんですよね。
アントニオヒノキとか知ってますけどね、ジャイアントババとかね、名前は。
で、名前知ってるだけだなっていう、
ハルク・ホーカンとかいたような気がする。
まあ、いずれも新しくはないと思うんですけど。
あの、要は面白くするということを対談でやるという場合、
あの、ガチでやりすぎちゃダメだよねみたいなノリがちょっとどっかにあるんですよね。
やらせちゃダメだけど、ガチでやりすぎるのもダメだよねっていう、
そういうニュアンスを感じました。
つまり相手をボコボコにして叩きのめせばいいってもんね。
そういうこう、本当にやってる戦いではないんですよっていう。
プロレスというのは、どっかこうショーなんですよみたいな、
そういう話に聞こえたんですよね。
対談ってそういうもんじゃんっていうことなんですよ。
どっちかが圧勝するのはダメですよね、対談では。
っていう、そういうようなお話だったかなと思うんですよね。
そういう意味では、今度やる私たちの3月15日も、
プロレスっていうことになればいいんだろうなっていうふうに思ったんですよ。
僕、それまでにプロレス見ておこうと思うことではないんですけど、
何を言わんとしているのかがようやくちょっとわかったということですね。
で、面白いんですよ。
そのオレンジ色の最新号の臨床心理学、臨床心理学っていう、
臨床心理学っていうタイトルだったかな。
あれ、要するに、いわゆるこう、なんて言うんだろう。
学術系の雑誌なんですよね。専門誌ってやつですよね。
だいたいあの種のものは私は読んで面白いんで、
本号が特別面白かったとは思うけれども、
前号までがつまんなかったということでもない気がするんですよ。
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ただ前号まではいかにも専門誌で、
今後はすごく商業誌としても成立するような、
だからその辺がやっぱり遠畑海斗さんと山崎孝明さんだったなっていう。
特に遠畑海斗さんっていう人はね、今すごいじゃないですか。
ビジネス書にもなっちゃうぐらいな。
ビジネス書にビヨンが出てくる。
ウィニコットも出てくるみたいな。
昔でちょっと考えられなかったわけですよね。
しかもすごい面白いなと思うのが、
ウィニコットとかビヨンとか出してくるんだけど、
ウィニコット心理学みたいにして出さないんですよね。
その辺が遠畑さんのすごいところで、
何がすごいって別に何がすごいってわけじゃないんですけど、
例えば嫌われる遊戯、アドラー心理学ですっていうやり方で、
日本に急に新しい、それまであまり話題にもなっていなかったような人の
心理学の理論を紹介するっていうような立ち付けで、
ブワッと売れるっていうのは日本ではちょいちょい起こる現象ですよね。
昔和田秀樹さんが古風党をやって、
それこそ河合俳夫さんがユンゴをやる、
あの辺はもう超有名だったわけですよ。
フロイトも絶対その流れで日本で有名になったと思うんですけども、
絶対じゃないか。そういう時代のことは知らないですけども、
そういうことはあるんですけど、
ウィニコットです、ビヨンですみたいじゃないんですよね、遠畑さんはね。
自分の話をしてるんだけど、その中にこれらを入れてきて、
しかもその本が飛ぶように売れるっていう、
ちょっと今までに僕の知るビジネス界の現象とは
少し違う現象だなこれっていうのが、
興味深いわけですが、
まあそれで片っ端から買って読んでるわけですけれども、
でも私はそのどっちかというと、
私が一番書いてほしかった系の本を書いてくださったのは
山崎孝明さんなんで、山崎孝明さん推しに
僕はなっちゃってるっていうか、うなってるわけですよ。
その現に対談とかを聞いていても、
山崎さんの対談の方が僕はどうしても
聞かれるというか、見ていて非常に面白いという感じがありまして、
その時に諸富さんという方がですね、
言っていたロジャーズの評価というのは、
どういうことなんだろう、
まあ傾聴でもいいんですけども、傾聴ってのはどういうことなんだろう
という話をされていたわけですね。
私その傾聴当たり前じゃんっていうのは傾聴当たり前なんですけれども、
僕は傾聴というよりは、
そこは倉津の傾聴さんのGood Vibes、
強くインスパイアされてますから、あれですけどね、
行使傾聴って言いたくなるんですけどね、
見るっていうことがすごく僕の中では重要で、
見られないとどうにもならないなっていう、
特に僕の場合はオンラインでやってますから画面越しなんで、
見ないととにかく困るんだよなっていう、
もちろん全く見ないでやるっていうことも、
ひたすら聞くってこともあるんですけど、
前はね、もっと傾聴寄りだったんですよ、私は。
でも最近私は視覚優位の人間ではないんですけど、
全然全く少しも聴覚優位の人間なんですけど、
でも全然行使っていうことだなっていうのが、
最近私の中では結構あるんですね。
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今日はいろんな話があるから、
必ずグダグダになると思っているわけですけれども、
あの、なんていうのかな、
まずその山崎さんとやりたい話、
やりたいというか、
このやろうとしている中で聞いていて、
このものとみさんという方がですね、
傾聴の技術というものの中で、
相手の話をもう聞くとか、
オウム返しに応答とかはもう全然あれだ、
みたいな感じでおっしゃっていて、
僕もオウム返しで応答されても、
自分の話を要約されても、
何かをされている気にはならないなっていう感じが、
どうしてもわかんないんですけどね、
専門家が長い年月かけてやってるわけですから、
オウム返しにされようと、要約されようと、
そこに何か意味を認めるべきなのかもしれないんだけど、
ここでやっぱりこの学派同士の意見の戦いっていうのが、
戦いっていうか意見交換というのか、
少なくとも一致はしてないわけじゃないですか、
一致してるなら同じ学派にいるはずだから、
一致してないっていうことは、
つまりそれの何が効くのっていう問いに必ずなるっていうところを、
ああいう形で詰めていこうと、
突き詰めていこうと、
これやっぱり何で突き詰めなきゃならないかというと、
究極的には何で効くのかがわからないからだろうと思うんですよ、
私は。
歯医者に学派ってあるのかもしれないけど、
あんまりやってほしくないじゃないですか、
歯の治療は北海道学派のより効果があるって、
だったら絶対岩手学派に行きたいじゃないですか、
ここが決着がついてないところが、
心の臨床だと思うんですよ、
体の臨床は実はあるのかもしれないけど、
アメリカ流とかね、あるのかもしれないんだけど、
あってほしくないですよね、あんまりね、
我々そんなこと全く意識せずにやってますよね、
心理臨床も全く意識せずにやるべきだっていう意見も、
でもそれってだめだと思うんですよ、ずるいと思うんですよね、
だけどあなた自分のやり方に結局、
自分のやり方で天下統一しようとしてるでしょってことに、
他の人から見るとなるんですよ、
ブリーフと精神分析ではやっぱり全然違うわけじゃないですか、
この生田さんって方がおっしゃってたっていうか、
生田さんは非常に面白いことをおっしゃってたんですけれども、
1ヶ月3ヶ月長すぎるでしょって言って、
起きながら、
ここでそういうのをバラすのはいけないんだと思うんですけどね、
起きながら、でも臨床心理医学っていう雑誌には、
長くやっちゃだめなんでしょうかみたいなことを、
結構偉い方のブリーフセラピーでも、
偉い方の人がそれを書くってことは、
私はですね、それがそういうのに対してですね、
ツッコミ入れちゃだめだっていうのをいつも実は思ってるんですよ、
ツッコミ入れるのは簡単なんですよ、本当に、
GTDを洗い出すけど洗い出さなきゃだめなのって、
言っておきながら世の中には洗い出す人がいるって僕は思ってるんですよ、
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一方で例えば私絶対GTDです、
毎章毎章洗い出しますとか言っておきながら、
でもここ1ヶ月洗い出してないんですよって、
絶対あるんですよそんなことは、
学派ってのは、なんて言えばいいんですかね、
じゃあ学派なしでいけるのかというと、
例えばタスクシュートもGTDも、
マニアナの法則もポモドローテクニックも、
そういうものは一切いらないんだと、
そういうことじゃなくてお互いのいいところ取りをすればいいじゃないかって、
でもね、なんて言えばいいのかな、
ここをどううまく言えばいいのかわからないんですけれども、
それじゃだめなんですよ、なぜか。
なぜかよくわからないんだけど、
シュハリって言うじゃないですか、僕シュハリって意味がよくわからないし、
脳っていうものを見ていて面白いと思ったことはまだないので、
あまりシュハリって言葉を使いたくはないんですが、
肩っていうのはなんなのかな、
どうせ破ることにはなりますが、
全くなしで進めるというのは、
人には非常に難しいことなんですよね。
タスクシュートで僕はだいたいそのことは、
体感的にはわかるんですよ。
ただ、なくてもいいじゃんと言われると、
結果としてはなくても別にいい気がするんですが、
適当にやっていても肩ってできてしまうって言いますかね、
そういうところがあって、
特に心理臨床ってなんというのかな、
もらえどころがなさすぎて、
何にも指針がないと困っちゃうと思うんですよね。
私は心理臨床をやってるわけじゃないって、
こういう時に必ずエクスキューズ的に入れるんですけど、
でも最近は本当にそうなんですよ。
心理臨床をやってるわけでは私はないんです。
でも肩は欲しい、欲しいって言うのかな、
本当は欲しくはないんですよ。
肩破りって言うじゃないですか。肩破りってすごく大事なんだけど、
肩が全く意識されてない場合は、
肩を破ることはできないから、
それがいいことなのかどうなのかは、
僕はよくわからないんですよね。
僕は手張りっていうのに従えないタイプの人間なんですよ。
でも従えないタイプの人間がいるというのは、
肩があるということをある程度前提にしてもいるじゃないですか。
その辺すごいややこしいんだけど、
スキーとかそうなんですよね。
スキーって別に肩とか論外なんですよ、はっきり言って。
私もライセンス取れるくらいになってそのことがよくわかったんですよ。
別にスキーで足を揃えようが、
刃の字にしようが、そんなことはどうでもいいんですよ、はっきり言って。
本当に全くどうでもいいんですが、
そういうことを理解するためには、
最初はある程度滑れるようにならなきゃ仕方ないわけですよね。
ある程度滑れるようになるためには、
肩があるほうが楽なんですよ、全然。
とにかく滑って、転んでも何でもいいから滑って、
滑れるようになるからそのうちっていうのは、
結構大変なんですよ、やらせられるほうにしてみると。
だからはい、足を刃の字にしましょうとか言って、
外側に力を入れましょうとかで、
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本当は外側に力を入れるべきではないんだが、
最初怖いんでね。
滑ってるような仕方がない時期ってあるわけですよ。
もうそれをやっといたほうが早いという時期が絶対あるんですよ。
水泳も僕はもうなんか
アホみたいにしごかれて、
狂ったように泳ごされたから、
本当に狂うんじゃないかと思ったくらい泳いだから、
分かったんですよ。肩って無意味なんだなっていうか、
肩っていらないんですよ別に、どうでもいいんですよ。
泳げりゃいいんですよ、あんなものはね。
泳ぎやってると、
やってると分かることってやっぱあってですね、
別にどうでもいいんだそんなものはっていうのが分かった頃には、
肩は身についちゃってるっていうような感じなんですよ。
まあそうは言ってもバタフライとか背泳ぎって極端に特殊な肩なんで、
肩としてはね、
普通に泳いだら泳がない。
だって足2回につき腕両足1回なんて、
明らかに余計じゃないですか。別に3回でもいいじゃないですか。
3回でもいいんですよ。毎回でもいいんですよ。
そういう泳ぎ方もありますからね。
でも2回ってのは訳があるんですけれども、
まあどうでもいいんですよ、はっきり言って。
ということが分かるようになるには、
最初肩があった方が楽なんだなってことなんだなと思ったんですね。
私心理臨床そこまでは到底いけてないんで、
この辺のことはただ、
他の比を使って思ってるだけで、
シュハリなんて本当に何もシュハリについて知りもしないのに、
シュハリ言いたくはないんですよ。
だって自分脳が分かんないんでね。
脳にせよ他の何にせよですね。
シュハリは分かってないんですよ。
だから私はタスクシュートかスキーか泳ぎで言いたいんですよね。
本当にスキーなんてのは足先が開いてたって別に構わない。
開いてると股が裂けて転ぶんだけど、
でも開いたから股が裂けて転わないっていう滑り方は可能なんでね。
だから別にいいんですよ。
ジャンピングターンしようと絶対飛ばないようにターンする、
どっちもできるようになる必要はありますけれども、
別にジャンピングターンしなきゃいけないとかそんなことは何もないわけで、
ジャンピングターンしちゃいけないとかそんなことも別にないわけで、
説明は毎回毎回違うわけですからね。
そういう話がただできるようになるには、
最初は葉の字で滑るのが一番早いだろうなっていう、
カービングってスキーあるんですけども、
そのスキーの製品としてね。
カービングではもう棒原って全く向かないんで、
葉の字にしようとしても多分葉の字にはならないんで、
勝手に足が揃っていくっていう非常に面白いスキーなんですけど、
めちゃくちゃ怖いですけどね。
僕あれ最初にやった時、これで滑るにはむしろ技術いる気がしますけどって感じがしたんですけどね。
僕あれ最初にやった時、これで滑るにはむしろ技術いる気がしますけどって感じがしたんですけどね。
で、何の話をしてるのかというと、
そのブリーフセラピーなわけですよ。
つまり、短く、切り上げるっていう縛りを自分に与えておくとですね、
短くしなきゃ短くしなきゃってなるわけじゃないですか。
長いのダメですって。
長いと怒られるとかいう話になってるわけですから。
21:00
そうすると、何とか短くしようとしているうちに、
ある種のスキルが結集されていくんだと思うんですよね。
ある種のスキルが結集されていくんだと思うんですよね。
そういうことなんだと思うんですよ。
そうすると、長くこれはしなきゃなっていう話が、
そこでも出てきて、で、何で長く必要なのかというのが、
まあ、漠然とやるよりはというのか、
何の型も持たずにやるよりは分かるようになるじゃないですか。
でも私は、心理臨床は、
私はですね、長くかかるに決まってると思うので、
私はですね、長くかかるに決まってると思うので、
ブリーフっていうのは最初からよく理解できないんですけれども、
ブリーフっていうのは最初からよく理解できないんですけども、
こういう違いって人にやって、やっぱり生まれるんだと思うんですよね。
だから俺のやり方で天下統一ってわけに なかなかいかないと思うんですよだって
世の中には3ヶ月は長すぎるでしょっていう 人はガンとしていらっしゃるわけじゃない
ですかそこにいきなりあの何の進展もない まま2年が経過したとか平気で言ってくる
各派もあるわけですよ 統一するとなるとめちゃくちゃ権力的に
なっちゃうと思うんですよねどっちかが 正しいってことにどう考えても接中は
無理じゃないですかいいとこどりとか言っ たってじゃあ2年と1日の間をとって1年
とか長いって言われるじゃないですか ブリーフ側からすればでそもそもあの
精神分析は長くやるということに意味を 認めているわけではないわけだから結果
としてそうなるって言ってるわけですから あの
なんて言うんですかね それは長すぎるとかって言ってもダメな
それが短すぎるとか長すぎるとかそういう 話では本当はないと思うんですよ
こうして困ったことになっていくわけですよ すごい困るんですよねこうしてだから
学派は存在するわけですよ結局ねこれは つまり何が効いているのかっていうのが
最終的にっていうか最初から問われていると いいですよねそもそも精神分析って
やってて意味あるの 1日で済むんだったら8意味ないじゃない
ですかまあ1ヶ月とかね私は3ヶ月チャレンジ の経験からしても1日だとか1週間で済む
っていうのは8よほどアクロバティックな 技を使っても私には無理だって思いますね
それがもし心理臨床とはブリーフセラピーが 天下を取るってことになったら私はもう
絶対手をつけない世界になるだろうなっていう 感じはするんですよ
何があって言われるとですねえっと先日 たまたまちょっと面白いのは面白いノート
を読んだんですねこれあのタスク集と 境界関係なんですけどえっと認定トレーダー
さんでだから全然に心理臨床の話とは 関係ないんですけどあのある認定トレーナー
さんのノート記事でこれは面白かったん ですよ
8人はそもそも必要とされていないんだ 必要とされる存在ではないんだだから
必要とされるように8人のために生きて いる時が幸せなんだっていう
なんかね途中経過は違うんだけど結論が グッドバイブスと似てくるという手がほぼ
一致するって非常にああなるほどなそういう ナラティブもありあるあるよねと思った
24:04
んですよで僕はただそうじゃない感じが してるんですよねなんでなんだろうと思った
んですよ人はそもそも必要とされていない 存在なんだっていう話を読んだ時にこの
前提が私には自然と逆に感じられるんですね でこの自然と逆に感じられるということ
なんか自分の中では何かに似ているって思う 思ったんですよその時に言葉としては
まずウィニコットだって思ったんですね 人は自然と必要とされてるんですよ
ミニコットの世界でだって8一人でいる 赤ん坊などいないっていう話をしてる
わけですから一人でいる赤ん坊などいない っていうのはどういうことかというと母親が
いなければ死んでいるっていう意味ですよ つまり母親というのは絶対に最初から
必要とされているでも考えてみれば 生まれた時から赤ん坊って必要とされた
から生まれてきたわけじゃないですか 生まれた時からここに主体性は全くない
わけですよね私はこの主体という言葉が 非常にやっぱり現代は話を一気に
ややこしくしたんだって思うんですよね 皆さんっていうのかなこれを聞いている
方はともかく世の中では主体とは個人の ものであるって考えられてるじゃないですか
ちょっと夏目漱石みたいなんですけどね 8現代日本の開花みたいな話なんですよ
これはでその 個人の中に主体があるって考えるとでも人は必要とされてないん
じゃないかってまぁこれは一般的には今の 世の中では私のような人間は完全に
マイノリティで時代の数性は完全に一人一人 は必ずしも必要とされてないっていう
方法に傾き傾いているというかほとんど 主体主流だと思うんですよね
でこの例えば会社これはだからつまり えっとこのにてトレーナーさんが書かれて
いるのは犠牲的世話役ってやつですよね 精神分析いうところ
それを今占めているわけですよ犠牲的世話 役っていうのはよくカウンセリングに
いらっしゃるぐらい苦しむんでその苦しみ からの解放を言ってるわけですよね
俺がいなければこの会社は回らないとか 思ってるとあの
めちゃくちゃしんどくなりますよっていう これをただあの犠牲的世話役では家で
やるんですよなんでかっていうとそれを やんないと自分の居場所がなくなっちゃう
からなんですよ会社だったら辞めるって ことができるんだけど家族ってやめられない
から犠牲的世話役ってのは昔のある種の お母さん昭和のお母さんの特にその中でも
ちょっとあの家が勝手な場合ですね私が いなきゃ回らないって思ってなければとて
もやってられないんですよはっきり言って あのもう家のこと全部やらされているのに
全然こうねぎらってもらえないみたいなね そういう話が起こる実にひどい話だぜあれ
はねだから私は思うんですよフェミニズム 心理学って当然ありだろうと思う当然出て
くるでしょそれはっていう感じがするん ですねあんなことを8家中でをこう家庭の
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用事あのいじく育児からね家事から全部 やらせておいてえっとお前にはそれしか
できないんだからやっとけみたいなことを 言われるのってナンセンスじゃないですか
だけどそれが普通だった時代があるわけです よひどいことにだからこれをやらされて
いるとその人の精神状態では逆になって いくんですよねすごく自己愛を強くしてい
って乗り切るって人は当然出てきますよ みんながみんなじゃないですよそんなこと
言ってるけど私がいなければこの家持たない んだからってそう思わないとやってられ
ないじゃないですかとてもじゃないけど でこう思うこれが犠牲的世話役の自己愛
なんですよね だけどそれ自己愛だって言われると
ますます腹が立つからだからそこはえっと 精神分析とフェミニズム心理学ってこの
辺でも愛入れなかったところがあるんです よね僕はこの辺が一番愛入れなかった
ところの一つだと思うんです だからのミニコットが言うところの
一時的母性的没頭ってのあれは必ずしも その話をしてないんだけどそういうふうな
ものとして赤ちゃんに没頭お母さん赤ちゃん に没頭しろというのかみたいなまして
それが生物学的に起こるんだみたいに言う ってことが許されないっていう風に
考えたんですがそれは僕からする僕から しなくても多分すげー誤解だと思うんです
いや一時的母性的没頭って言うでしょって 感じがするんですよねそれは精神分析
科のことを言ってるんじゃないんでしょうか とその母親というのはミニコットは
絶対に僕はあの母子というのを臨床の 例え話として使わない瞬間はなかった
はずあの人はものすごく頭のいい人だし あの
母親と言ってる時には必ず精神分析化 っていうのを同時に意味しているはず
なんですよことあの赤ちゃんって言った 時には必ずクライアントって言ってる
はずなんですよねどっかでねそれをまんま 母子以外の何者でもないですってことに
して社会問題を持ち出すためにその話を あのパージするってのはさすがにどう
なんだろうなって分かってて攻撃してる 人も絶対いたはずだってそうじゃないの
かなぁでもそんなはずないと思うんですよ ねあの
別にそんなはずはないと思うんですよ 絶対ではわかってて攻撃したんじゃない
かなぁそこはちょっとそれはあれなん じゃないかなぁと思うんですよね
母子ってメタファーじゃないですかっていう もちろん母子を母子そのものを意味も
してるんだけどそこが非常に高精神分析の 私はいいところだと思うし重要なところ
だから虚勢不安って言った時にチンチン 切られるのは怖いよねっていうのとお
お父さんすごい応募だよねっていうのと 組織ってすげー応募だよねって言うとと
つまり組織っていうのはあのまるで何か を切り捨てるようにあなたのことを切り
捨てるじゃないですかっていうこのメタファー を何ですかね生々しく伝えてくる
ところに大事なポイントがあるのであって いやそんなあの男の子は誰もチンチン
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切られることを恐れてないんだからあなたの 理論は全部ダメですっていうのってそれは
ちょっとダメじゃんっていうかメタって ものはメタファーなわけですからあのその
まんま取り上げてそこをそのまま批判する のはどうなんだろうっていう感じがちょっと
するんですよででですね 今のこのメタファーを何で私がこのあんまり
好かれてないと思うよこのメタファーは 出したかというとつまり私がその認定さん
のあの それは犠牲的製薬を見ましめるという
意味でそういう論考を出すっていうのは すごくそうだなと思うんですよ必要とさ
れてなんていないんですよだからそんなに 自分であのなんか山のような何かを
背負わなくていいんですともっと楽になり ましょうってあれは意味なんですよね
結局ね必要とされてないあなたが会社から 出ても8会社回るんだから
ただ私はここで巨星っての演奏するんですよ 切り捨てられることに対する恐怖っての
が人にはあって 入った組織ってのは結局のところそこで家族定義が起きるんです
よね この会社は家族特に日本の会社ってほらなんか国鉄一家みたいなことを言い
出したり家族経営とか言ったりするの好き じゃないですかだからそうするとこの家族
私なくても回るんだって思ったらでもやって けなくなるっていうタイプの人とかとても
やってけなくなるっていう会社とかつまり あの
ブラック企業と呼ばれているものはですね私は ヤングケアラーって言い換えた方がまあ
いいんじゃないかって思う時が結構ある わけですねえっと僕がいなきゃこの家
回らないんだとか私がいなきゃお父さんと お母さん喧嘩ばっかりして離婚しちゃうん
だから私頑張ろうみたいによくないんですよ それは良くないんだけどそう思ってないと
やってけないっていう時は世の中あって そう思うのをただやめるってことはでき
ないんですよ家族はやめられないから多く の場合
だからだからそういう人がカウンセリングに 来た時っていうのはそう簡単にいや
あなたヤングキャラやめなさいってそういう セラピーもあると思うんですよそういう
セラピーがないわけじゃないからあなた そんなにあなたがいなきゃ回らないわけ
じゃないから家族はっていう言ってあげる っていうのも一つのアプローチだと思うし
そういうのありだと思うんですけれども ただ私はそう言われるともう何か傷ついて
立ち直れなくなるみたいなケースはきっと あるからそういう時にやっぱり
形状ってことになるしかないよなと言い分 聞かないとねって話になると思うこういう
時にも学派っていうものは意見が合わないん ですよね学科そのものの意見は
形状で行くべきなのか介入で行くべきなのか えっとそれともまた何なんか違うこと
どうなのかいろいろあると思うんですよ だからその方はどうせ破られるんだけど
肩破りなんだけどでも方がない人方は 破れないから方がないと方破りできないよね
っていう難しさがあるんですよねで私は 方がないわけだって私は学科に属してない
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ですからねこれ大事なんですよ私はもう ずっとそういうふうに今後はできれば
いきたいと今まではその方に頼ってないと やっぱり怖かったってところは多分にある
んですけどこれが純金コンプレックスって ことなんだけど語ってものはその破るため
にあるみたいなところあるんでもういいかな と思うんですよね昔だから僕は信長
別に好きじゃないんだけどあの人生50年 じゃないですかもう50年過ぎたからもう
いいよなーって思うようになったんですよ 本当に純金コンプレックスはまあ斬死
みたいなものは当然ありますけど残骸 みたいなものはですねまあもういいかなで
さっきの話に戻るんですよね人間は 必要とされて生まれてくるし一生その
状態は変わらないと あの近代日本の開花なんですよ
個性と夏目漱石でさえ言うわけですよ 個性というものに突き当たらなければ
いけないいや本当はそうなのかもしれ ませんなんかねなんかこう隙をどんどん
どんどん掘り当てて言ってついに自分の 個性にぶつかるんだ
僕はそれをカルトのように聞こえるし スピリッチあるみたいだなって思うんです
けどだってそれがあるっていう前提になっ ちゃってるもんでも彼はそうやって
ぼっちゃんとか我が肺は猫であるとか書き 出したわけじゃないですか個性という
ものに突き当たってですねでも私はあんまり そういうふうには感じないですよね
自分を掘って掘って掘ってっても自分の 個性に突き当たるもうこの辺はだから
イデオロギーだなって感じがするんですよ 本当は人は自分の心の中に何かがあって
必要とされてないっていうことなのかも しれないんだけど私には世の中そうは見え
ないんですよまず どんな子供でも母親というものを
必要としているこれはメタファーですから ね母親というものを必要としているその
母親というものは子供を勝手に生み出した だって子供の同意とかを得る前にミニ
コットはここは一番奥深くあの追求してる 気がするんですけどまぁそうじゃないの
かもしれないけどでも僕の中ではミニ コットは僕はず僕より遥か先を行ってて
あの生まれる前の無意識があるんだっていう ですよねこれ言われてみるとそうだなって
思うんですよ 全員がとは言いませんけど
まあセックスするってことはこういう子を 作りたいよなっていう意識がどっかにあった
ってことになりますちなみにその時子供の 子供はいないから子供の無意識もないです
よ親の無意識が無意識ですよ セックスする時はただ気持ちよくなり
たいだけかもしれないしその人とセックス したいだけかもしれないけどでも無意識には
やっぱりこれが子供のことを全く考えずに 作ってるって人がいたら少々おろかしい
じゃないですか絶対どっかで少しは考える からするわけでしょ否認とか
つまり子供のことを考えている子供を 生み出そうとしている部分がどっかにある
無意識の中にこの無意識的な空想はまさに 無意識的な空想ですよね子供が生まれて
くる前からあった子供が持つことになる 無意識的な空想に強い影響を与えてますよ
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間違いないですよそれはね多分 だから私は私の結局父母が私にこうで
あってほしいというかこういうものがこの ようにいてほしいとどっかで思ったものに
強烈な影響を受けた上でこういう佐々木 祥吾がいるわけですよここだから私の
無意識的な空想の向こう側にというのかな 無意識的な空想をかたどったものの中には
必ず私の両親それぞれのというか両親の 無意識的空想があるわけですよ
これが必要とされていると言わずして何なのか とこれほど必要とされているものはない
じゃないですかそれはもう無意識ですけど ね必要とされて出てきたんですよ逆に言う
と僕の主体性とか僕の都合とか一切そこ にはないわけですよねだいたい名前がそう
です私の名前にいや私の意思があれば 消防は避けて欲しかったなって言いたく
なりますよねなんか大虫に今日でも消防士 とか言ってるしねいやーなんかせめてその
悟るから立心弁取ろうぜみたいなノリが あるじゃないですかで今だったらちょっと
かけるぐらい正しいに悟るってその宗教 マッシグラじゃんっていう感じでやっぱり
ちょっとねー 確保書の章とか大谷翔平の章であってほしいとか
それ後から考えつくことだけどねなんか そういう方だとかっこいいよねとか思う
じゃないですか後からだとね後からですよ これを思うことができる最初は思うことも
できない だからこれは受動的なんですよ極めて
私の存在という最初ことの始まりからして 受動的そして親はしかし子供に必要とさ
れてますよねこの必要性は常に相互に 強烈ですよ
確かにいなくなっても会社しばらくかも あるのかもしれないけど私はそう思わない
んですよね正直な話をするといやイン いいんですよどっちが正しいってことは
これはもうないあくまでも感じ方と イデオロギーだと思うんです完全にだって
すべ装飾と僕逆のこと言ってるし彼に 勝てると思ってるわけじゃないですよ僕だっ
そんなにおめでたくはないですそんなに 内部でもないただ明治時代の近代日本の
開花っていう考え方と霊話になってから 考える考え方とはやっぱり結構違うだろう
なーって思うんですよねまして私は 精神分析オリエンテーション非常に弱い
人間ですから2社いなければ成り立たない 世界に一社の主体性とかそんなに強く言っ
たってしょうがないじゃんっていう感じを 思ってますつまり僕は一社私私の夢
っていう世界は悪夢にしかなり得ないと思う んですよそういうところで結論は認定
さんが書かれたノートと結論を一致して いくんですよ面白いことにやっぱり人に
頼られないと始まらないよねっていう ただ私は人には常に頼られている最初から
頼られたし死ぬまで頼られ続けているんだ からえっとそのことを意識しなく
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ならなければいいんだそのことを見失わ なければ大丈夫だって感じがするんです
よ私はいつだって必要とされているし 必要としているこの関係性がなくなる
っていうことは多分私が完全なナルシシズム に陥ってですねこのナルシシズムは
精神分析用語でいうところのナルシシズム のつもりです私の中で俺俺ず万歳とか
そういう話ではないですそういうことに なっていくこともあるけどそういう話では
ないです私の世界ってものに完全に埋没 しきってしまって私が誰に必要何に必要と
されているまあ母に必要とされているんです がで私が何を必要としている母を必要と
してるんですがこれを完全に見失うような ことがなければこれを完全に見失う方向
に悪夢があると思うんですよ一人きりに なるというのはそういうことだと思うんです
よね一人でいる赤ん坊はいないはずなのに 一人でいる赤ん坊になっちゃうんですよ
ねこれが一番8私たちが救い出されなければ ならない状況でここを救い出すために精神
分析というのはあるんですよあなた悪夢 見てますよってことなんですよこれ言われる
と対外の人怒り出すんでかにこれを伝える かしかも山
精神分析の理屈の中では悪夢の中の登場 人物してこれ悪夢ですから夢ですからって
言って回って頑張るみたいにそういうノリ あるんですよでも僕は諸富さんの生きて
いてロジャーズ学科もそうなんだって 思ったんですよだって諸富さんは相手に
なりきるって言うんですよ相手になりきる ちたて外見上の話じゃないでないじゃない
ですかカウンセリングだから相手の真理 になりきる相手の内心になりきるって
ことですよねそれが傾聴と共感のある意味 狙うところなんだっていう風に言って
いらっしゃるように聞こえたんですよ それってある意味やっぱり僕は東映で
追いつかと転移って話だと思うしだから それを学科って言うんですけどもそれは
何を目指すかっていうと結局のところに 2社で一つの夢を見るといういつもの
話に戻る気がするんですよねだって完全に 相手になりきっても相手の人は打つかも
しれないけど諸富さんは打つじゃないわけ じゃないですか
打つの人に完全になりきったああそうか こういうことだからこういう風になっちゃう
んだこれはしょうがないよなと思っても 働きかけはするわけでしょ
何かしら2人いるんだからそこ 一人じゃないんだからつまり一人じゃない
というのはそういうことだと思うんですよね 一人になってしまうというのは一人で
夢を見始めるから本当に一人になっちゃう わけですよ本当に誰からも必要とされて
いないという夢を見始めるんだと僕は 思うんですよ必要とされてはいるんですよ
僕らは生きている限りに だってですねあのそんなことを言ったって
ごく実務的なことを言ってもですよこれは スピだって思われるならごく実務的な
ことを言う言うとするとこうなるんですよ うちの娘は世界に必要とされてない
なぜならうちの娘がいなくても世界は回る でしょうっていうことなのかもしれない
けど僕はそれ悪夢のようなことナラティブ だなって感じですようちの娘がいなく
42:03
なった私と妻はもう全仕事停止しますよ 多分全活動が止まる
うちの娘を探し出すことにだけ全力を尽くす ようになってしまうそうすると例えば今
やっている3ヶ月チャレンジが全面停止する んですよで3ヶ月チャレンジが全面停止する
というのはいやそれは悪夢だわって言って くださる方もちょっと前まで少なくとも
いらっしゃったんですよ一人か二人っていう 意味ならばですよ
でその一人か二人の方の活動が全面停止 すればもしそんなことになったんですよ
全面停止すれば周りの人で必ず影響を 強く受ける人って絶対いるんですよ
例えばその人が8 犠牲的世話役みたいだった場合は
ですね意識しているにせよ無意識であるにせ よですね
8私の3ヶ月チャレンジの参加者さんの誰かが 犠牲的世話役だったとしましょう私が
いなければこの家は回らないんだと思って いるような家の方は絶対ある程度以上そう
なんですよ 表面的にはそう見えなくったって例えば
夫婦の中はようやくその人によって取り 持たれていると
その人自身はお前みたいな子供がいるから 私たちは何とか感度かとか言われてる
かもしれないけどそういうことを言ってる 親御さんっていうのはその子がいないと
持たないんですよ到底 その子がいることによってようやく
持ってるその子が全面停止してしまうと 最初は罵りまくるだけかもしれないけど
必ずその家庭は半分ぐらいは崩壊しかけて いくと思うんですよね
そうすると 結局のところ私の娘がいなくなったって
ただそれだけの事態から次から次へと 波及的にいろんなところが破綻していく
わけじゃないですか 私これで一人いなくなったから社会が
回ってるとか世の中回ってるっていうのは 真実味がないって感じがするんですよ
突然いなくなってしまったら回らなくなる ところがいっぱい出てくるんですよ
目に見える形だと思いますただそれは マクロに見るから意識せずに済むっていう
だけで相変わらずプーチンさんは ウクライナと戦ってられるとかそういう
話をしているだけの話であって世の中 繋がってるんでね
必ずこの種の影響というものが大量に 波及せずにはいられないんですよ
でもじゃあうちの娘は社会に大いに貢献 してるんですかって言ったらただ中学生
やってるだけですから ただ中学生やってるだけですか
別に必要社会において例えばチャット gpd が回るためにうちの娘が1ミリでもいる
かって言ったら1ミリもいらないんですよ でそういうことではないんですよこれは
だから最初から必要と僕らはみんなですよ ねこれは多分僕は例外1人もいないと思う
んですよ ならず必要とされているし死ぬまでその状態は変わらないだろう
なって思う で問題なのはそのずっと必要とされているのにどうしてそれなのに
8私は一人っきりで誰にも必要とされてないと思うかってとそれはナルシシズムの 悪夢を乱すから
45:02
でも恐ろしい夢だと僕は思うんですよね誰も自分のことを必要とはしていないという 夢を見始めるということは
で私の考えではですねだからここにアイデオロギーがあるんだな 実際は必要とされてないのかもしれないんでね私なんてね別に
だからここはイデオロギーがあるんですよ私は必要とされているというふうに 8
確信してるしほぼそれは近くを見ているようなもんでいわしの缶詰ぐらいに当然のことなんだ けど私が必要とされてるっていうのは私の感覚ではね
これなんかねそれだけの存在だとかそういうことでは全然ないんですよ 例えば私の母は私がいなくなったらもう本当にダメだろうなって感じがするんですよ
冗長的にですよ 生活的には別になんてことはないですよ
冗長的にあの80ぐらいのおばあちゃんになっても私がいなくなるというのは到底耐えられないな って感じがするんですよ
だから私はやっぱ彼女がなくなるまでは自分は生きてなきゃダメだろうなっていうこれ そうできるっていう保証はどこにもないんですけども
でもまあそうしないわけにいかないよねっていう でもそれは彼女の生活を私が支えているとかそういう話とはまるで関係ないんですよ
そういうケースももちろんあると思いますけどね でこの私がそういう悪夢を見始めつまりそれを母のことを忘れるってことですよね
娘が私を必要としているのも自明なんでそれこそ カニの缶詰ぐらい自明なんでこれもそれを忘れる
考えにくいことですがそれも忘れ妻も明らかに私を必要としているがこのことも完全に 忘れる
で私は3ヶ月チャレンジも全員とはいいませんか 何名かの方は必要とされていると思うんですねこのことも忘れ
これが悪夢ですよ 双方にとって悪夢ですが特に私にとっては悪夢です悪夢を見なければそんなことはありえない
私が本の中に完全に没入してしまって初めて悪夢というのはあのホラーみたいだ というわけではないです
もしかするとそれはすっげー可愛い2次元の女の子とイチャイチャしてるっていう悪夢かもしれない それは悪夢なんですよ
やっぱり そういうことをやれるように私はなったらいいなって昔はそういう悪夢を見てた
これがとも厳しいんですよ本当にこれは厳しいんです ここのところでそのあのノートの記事と一致するんです
死んでいくようなもんだっていうのは本当です 去っていくとかダメになっていくっていう表現もあったんですけども
あのなんてもまあいいです心が僕は死んでいくっていうことだとまぁ心が死ぬって そういうことだなと思うんですけど
触れ合わなくなってしまう あるいはこう生き生きとしなくなってしまう何に対しても反応しないようなものになってしまう
いう子です的確定感じが時々僕はするんですね メデューサってのはそういう話なんじゃないかなという感じがやっぱするんですよ
だから起こすしかないです悪夢を見ている人を起こすしかないこれは僕の考え だから長い時間がかかる残念な叩き起こすってのはまずいんですよ
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短時間でやるとなると何かの学科を批判しているつもりはないんですよ ただ短時間でこれをやるとなると起きろってことになっちゃうんですよ
この起こし方やるとトラウマになる気がするんですよね私の考えではそれもイデオロギー かもしれないけど
だから結局時間をかけて揺さぶり続けるとか なんかこう耳元でアラームっぽいものしかもそれは夢の中で夢のアラームを鳴らすんですよ
それしかできないんでね相手寝てるんでであの ここに外部ってものは存在しないんで私の考えではだから転移空間というのはそういう
言い方になるんだけどそうして何かにああしたりこうしたりそうしたり だから夢の報告てすごい大事なんですよ
夢の共有が大事である以上夢の報告は大事なんですよ まあその分かりやすい話だったとは思わないんですけどそれでもそれなりに話すことが
できたなぁと思うんですね なんてんだろう我々はずっとダンスを踊っているようなものなんです人生って僕の考え
一人でダンスを踊ることもできますがダンスを踊っているということは他者が誰もいない ってことはありえないって思うんですよ
僕はどっちかっていうと劇というよりはオペラっていうのが好きだったのでソロで歌う っていうのがあるんですよ
ソロで歌う オペラって合唱とかあの
なんていうのかな二重症とか三重症とかすごいんですけどどっちかちょっとやっぱりね あのソロっていうのがいいんですよねでもソロってのは悪夢なんですよ
あれはいつも思うんですけど日柄の結婚とかでもソロが非常にいいしいっぱいあるんです けど
そろっての本当にその人が夢を見ている雰囲気っていうのか 2社以上でやり取りしているって時には夢の感じっていうのがオペラなんて夢見てるような
もんじゃないですか 舞台だったしそこで歌ばっかり歌ってんで夢みたいな夢空間みたいなもんだけど
ソロで歌ってるっていうのは本当に一人の夢の中に閉じ込められるって感じだな であのソロで歌ってる人を見て8あれはいなくてもこの劇成り立つよねっていうと
成り立つんですよ 時ソロパートっていうのは時間がないオペラではカットされるんだけどあれがない時ほど
残念なものはないですよね あんまりオペラなんて興味ないって方が多いと思うんですけど
あのモーツァルトの間的ね一番有名なのがソロじゃないですか 夜の女王のアリアじゃないですか
あれは悪夢そのものだけどやっぱあれが一番の見せ所である意味あれ聞きに行くわけですよ みんなねだから人間でのやっぱりすごいんだなって思うことも多いし
やっぱりこう 必要とされてない人っていうのは一番必要とされてないっていうのが一見したところ
ソロなんでやって結局のところ 劇ですから人と一緒にやっているところがポイントになってくるんで
ソロっていうのはある意味モノローグですからね 解説みたいなものなんでなくてもいいわけですよ
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でもなきゃ絶対成り立たないんですよ だからあの
僕ら多分ずっと必要とされ続けている 誰にも必要とされていないという確信を持った瞬間もかなり多くの人に必要とされている
という状態は維持されているんだと思うんですよ それに傷どうやったら気づけるかってことなんじゃないかなという感じが
8まあ昨日のだから昨日の記事をとても素晴らしかったんです これだけのことが触発されたんでまあこの記事だけに触発されたわけじゃなくて
もろとみさんのその傾聴して相手になりきる 僕この話は同じだなって思うんですよね同じだと思うんです
誰にも必要とされてないって言ってもとみさんは特にこうロジャース派ではうつって いうのをよく見るんだロジャーズの人
カールロジャーその人もねうつの人を傾聴してたというセッションがあるミスマンって 言ったかな
女の人ですよねみんな見るべきだとでもこの動画なかなか手に入らないってまたそういう ことを言うしって思ったんだけれども
でもそのうつの人になった時のロジャーズのやってるのはすごい素晴らしかったんだ けど最初見た時は何か下手な形状やってるなぁと思ったと
ものとみさんがね下手な形状も共感もこの人あんまり上手くないとあるロジャーズ ですからね
と思ったんだけどこの人が本当に何回も何百回もしてたら見たんだそうなんですよ 何やってんだろうと思ったらその人になるってことをやってる
と思ったらものすごい接種いいセッションなんだと思えたと これってだからうつの人ってそうなんです私誰からも必要とされてませんと私なんか別に
死んでも誰も悲しみませんとかそういう話をされるけれどもてかそういう 心理状態に落ち込むんだけどその人になると
いうことをしてまで実は必要としている人がいるんですよってことを伝えるってこと には価値があるんですよ
その人完全に引きこもってうつうつとしているだけなんで一見 必要的だか実務的な意味では誰からも必要されてないというのは本当っぽく聞こえちゃう
じゃないですか 明らかにそうじゃないんですよね明らかにそうじゃないと思わなければ
ロジャーズみたいな人がうつになった人になりきるなんてことしないじゃないですか 何のためである治療のためである
絶対僕らは犯人に対してそうじゃないと思っているところ どんな人に対してであったとしても必要としている人が誰もいない人っていう
のは一人もいないって感じがあるんですよ これがつまりウィニコットが言ったところの一人きりでいる赤ん坊はいないっていうことの
意味なんだと思うんですよね