ライフハックと地区の興味
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
半身大合、日本一おめでとうございます。
ちょっと調べてみますけど、あまりにもキョウセラドームと甲子園は近いということが分かりました。
あれだったら、まずキョウセラドームで一通りやって、
すぐ移動して、もう一回甲子園でセレモニーを動画でやったらいいんじゃないかと。
十分それができるじゃない、っていうやったのかもしれないですけどね。
でないんじゃないかな、わかんないですけど、とにかくそう思えるほど近い。
なるほど、こっちから興味を持つのが難しいなっていうぐらいですね。
同じような地区での日本シリーズ。関東圏であれはないな。
あるとするとやっぱり東京ヤクルトVSジャイアンズになっちゃうけど、それはシリーズではありえないから。
あの二つは近いですけどね。
パリームの球団が東京都内にないんですよね。
近くて千葉ロッテと所沢なんだけど、やっぱりちょっと移動する感じがありますから。
神宮から所沢となってくると。だからやっぱりちょっと遠いなって感じがしますね。
あんな風に独特の大阪感みたいな、あれほど強いものはこっちにはない気がしますから。
そういう面白さはあった。
ただね、スタメンと先発投手と主要なリリーバーしか僕も知らないんで、
ウンシンとかオリックスとなってくるとですね、スタメンぐらいはわかりますけれども、
大体そうですね、パリーグしか見てない人間としては、
なかなか十分興味を持って見るのは難しいと。
大体どっち通しても知ってるのはオリックスになるから、
オリックスに堅いでしがちになるんですよ、見ててね。
やや、55%ぐらい。
オリックスには非常に苦い思い出しかないって、僕はロッテファンなんで。
それがまた5%削られてゴブゴブになって、
ゴブゴブで見てると本当に面白い試合だったと思うし、
いい試合だったとばっかり思うんですけど、
ゴブゴブで見てるとどうしても十分な興味は持てないっていう感じがしますね。
そう言っても7戦とも見ましたけどね。
とにかくおめでとうございました。
38年ぶりですもんね。
もう子出戦ですよね。
バース×岡田のあの時の日本一。
吉田監督率いる日本一。
あの時以来ですね。
あの時はライオンズとやったと思うんですけど、
広岡達郎監督の3年目でね。
私はライオンズは全然好きじゃなかったんで、
あの時は思いっきり阪神応援してスカッとしましたね。
バースが2発駆動から打って、
その後大英ソフトバンク監督をやったりしているすごい人なんですけど、
レジェンドなんですけど、
昨日打たれた時の話をしてましたね。
そんなような野球団旗はいいとして、
昨日ですね、
今日はロングなんでいろんな話ができると思うんだけど、
昨日かき揚げ塾第9期第3回をやってきて、
非常にこういうためにやってるわけではないんですが、
私にとっては非常にいい体験がいろいろありまして、
やっぱりかき揚げ塾はいいですよということをここで改めてお伝えしたいんですけど、
それは本を書くことと直結はしてるんですよね。
クラゾノ経造さんがその場での構成というのをみんなにやってみせてくれたわけですね。
これはやっぱり大変素晴らしいなって思ったと同時に、
私の頭は全然違う方向に飛んでっちゃったんだけど、
たまたまなんですけどね、たぶん。
たまたまだと思うんですよ。
まあそうだよな。
タスクシュートなんですよね。
しかもね、タスク管理をテーマとし、タスクシュートというものが出てくる。
ここさんが大きい話の反辞伝的な部分が序章に入ってて、そこの構成だったんですね。
私は2つのお二方の辞伝までは行かないんですけどね、
本当にはじめにのちょっとだけ書かれているはじめにで、
もう自分がどれほどこうでなかったかというのを痛感して、
そもそも自分はなんでライフハックなんだっけって思って、
だんだんわかったのが、自分は別にライフハックというものにさして興味がなかったと。
非常にですね、これだけライフハック系の本を書いてきたというのがあるので、
これは問題があるかもしれませんけれども、でももういいんじゃないかなとも思ってるんですけどね。
爆弾発言なわけではないんですよ、これは。
全く興味がなかったというわけじゃないから。
好きは好きだしね、文房具とか好きだったし。
ただ僕は、なんかですね、
二重に旗振りとして本を書くほどライフハッカーだったとは、
書いてる時から思ってなかったんですよね、あんまり。
ただですね、これいろいろややこしいところもあって、
じゃあライフハックやってる人がみんな本書きたいかっていうと、
実はそうでもなかったりすると思うんですよ。
いや一冊二冊出してみたいっていうのはね、
多くの人が昔は、今はわかりませんが、
2000年ぐらいはあったかもしれないですけど、
私のように職業で物書きになるというのは、
まあそのいろいろとあるんですよ。
野球と本の関係
そんなに見た目ほど、
つまりですね、何者かになりたい人が物書き進められるかというと、
僕は全然進められないし、
ましてお金持ちになりたいって人は絶対違うことやった方がいいと思うんですね。
もちろん物添い当たるというケースもありますから、
でもそれを言ってしまうとどの業界にもあるわけで、
金を稼ぎたかったら本はですね、
あまり向かないんじゃないかなって思うんですよね。
理由は明瞭に二つありまして、
先日少しお話ししましたけどね、
まず本は再販制度がありますね。
商売するものとしてですね、
どの店でもいつになっても同額で売ってる商品というものが、
あまりビジネスに向いてるとは思えないわけですよね。
これはどっちかというとやっぱりちょっと社会主義よりなものに
適用される現象なので、
やっぱり公共性が高いと昔は特にみなされてたと思います。
だから値引きができない商品というものはですね、
非常に商売者として扱いにくい。
もう今は境外化してしまってるから、
これはやっぱりどこかで誰かが永断を振るしかないと思うんですけどね。
ここは僕が全く何の力も持ってない分野だし、
絶対そうした方がいいとかまでは思わないので、
これぐらいにしちゃいますけどね。
もう一つが雑誌なんかとは違って、
いわゆるスポンサーが全く絡まないわけですね。
本のど真ん中にいきなりCMしないじゃないですか。
余白もいっぱいあるけど、
余白が広告で埋められるなんてことは断じでないわけですね。
そうなってないから今言ったような話は
すごい変に聞こえるかもしれませんけれども、
雑誌なんてページとページの間に広告いっぱい入ってたりしますよね。
だから本だってやろうと思えば
同じようなことはいくらでもできるはずですがやらない。
これには当然わけがないですね。
でもこれはつまり非常にそこにですね、
金銭が関与していないという現実を表しているので、
ジャンル全体としては起こりにくいジャンルだろうなとは思います。
でも雑誌も本なんですけどね。
雑誌も今非常にインターネットがありますから非常に厳しい状況なので、
雑誌に関わるということと本の著者になるというのは全然違うことなので、
私は雑誌には全く関わったことが、
雑誌に寄稿したことがあるということはありますけど、
雑誌には事実上関わったとは言い難い人間なので、
雑誌と本ってやっぱりちょっと違いますよね。
まして、著者になるというのは違うことなので。
だから何者かになったり、
お金持ちになるという意味では、
これは勧め難い職業ではあると思うんですよ。
ってなった時にライブハックが好きだという理由だけで
本を書くようにならないんですよね必ずしも。
だから私はライブハックが好きな人の中では、
本を書くのが好きだったということが好きだったというか、
得意だったということから多分こうなっているんだろうと思うので。
ライブハックは誰よりも、
ライブハックの先人に来て、
日本中にライブハックを広めようみたいなの。
と、合致してなかったとしても、
それは必ずしもおかしなことじゃないんじゃないかなと、
ライフハックと知的生産
今は思うんですね。今は。
それで、絵はどうだったのかというと、
別に好きだったわけですが、
例えばメモ術って言葉が昨日出てきて、
あーメモ術かって思ったんですね。
で、これと関連してですね、
私はよく知的生産って言葉が、
私の紹介の時、時々、あんまりないんだけど、
時々やっぱり知的生産術者の佐々木さんがみたいな話が出てきて、
私は知的生産ができん。
いや、思う。
これは、やろうという気がなかったし、
やってるという自覚もなかったんですよね。
言葉がかっこよさそうなんで、
一時ちょっと使ってみたんだけど、
あまりにも自分とマッチしてないので、
即やめてしまったというようなことがかつてあったような気がします。
即といっても僕はしばらく放置しちゃうんで、
外交的には即はやめてないかもしれませんが、
僕の中ではもう即やめたんですね。
いや、知的生産は無理だわ。
っていうのは、僕知的生産の技術って実は長らく読んでなかったんですよ。
これもう爆打発揮になるのかな?そんなことはないと思うんですよね。
僕、野口幸男さんの超整理法は割と愛読していて、
野口さんの本はそうして愛読してた方なんですけど、
KJ法とか一回全部6巻読したかな?ぐらいな感じ、本当に。
千葉のたけしさんの知的生産云々のも、
一回は読んだ気がする。
上沢さんのは2、3度読んでますけど、
ライブアート、7つの週間に至っては読んでません。
30本くらいしかね。
これは僕は全然カミングアウトだと思わないんだけど、
そうなってしまうかもしれませんね。
一言で言うと、そこまでの興味はないわけですね。
理由はいろいろありますが、
まず、GTDの本でも、
実は英語で一度読んでます。
嫌味っぽいから、こういう話はしたくなかったんですけど、
つまり一度しか読む気がしてないってことなんですよ、これは。
たまたまその時アメリカにいたから、
和書を手に入れるのは非常に難しいし高くつくんですよね。
アメリカは本は再販制度取ってませんしね。
日本の本は定価で売らなきゃいけないんだけど、
ドル立てになりますので、全く同じ金額ではないし、
輸送料、輸入料が入って、
ベラボに高くなるケースがあるんですよね。
だから、わざわざ取り寄せて読もうっていう気はなかったんで、
日本の本はちゃんとは読んでないんですよ、これがね。
要は、知的生産という言葉が合わないように。
僕はライフハックというものをしてなかったわけでは決してないんですが、
してたんですが、
例えば私の仕事のパートナーで大橋一夫さんという方がいて、
この人はライフハッカーで、
僕が認定している数少ない一人なんですね。
何をして、どう違うかというと、
例えばGTDと言っても、彼はGTDをしないですけど、
普通なく使うんですよね、面白いくらい。
それが良いとか悪いではないんですよ。
普通の人ってGTDをやろうってカチッと考えるんですよ。
でも大橋さんの手にかかると、
それが大きく変形されて使われるんですね。
Evernoteとかでもそうなんですよ。
実に使い方が独自だなって感じがする使い方を、
彼は普通にやっていくんですね。
なんつうんですかね。
あれは、僕が思うにですよ。
彼はそう思ってるか分かりませんが、
彼は生まれながらのライフハッカーだなって思うんですよ。
生まれながらかは知りませんけどね。
僕はそうではないんですよ。
僕はですね、言われた通りにやるんです、ライフハックに関して。
ここで工夫の余地を凝らそうとかいう気があんまり起きないんですね。
この違いは大きいんですよ。
だから、よしよしの問題というよりは、
そういうことをする気になるかならないかの問題で、
GTDしますとかiPhone買いましたっていうのは、
ライフハックでもなんでもないと思うんですよね。
バナナの皮を使って窓磨きますがライフハックだってですよ。
やる気のなさと違和感
バナナの皮で普通窓は磨かない。
だからそこに、なんつうんですかね。
わざわざそこに持ち込むものを持ち込むっていう発想をまず持てないと、
ライフハックではないんです。
昔、自動車の改造ってやっちゃいけないんだけど、
従う人っているんですよね。
これがライフハック的真理ってやつだと、
精神ってやつだと、ライフハッカーの精神。
車に乗ってますってのはライフハッカーの精神ではないんですよね。
僕は車は絶対乗ってますの方が正解だと思いますけどね。
でもそういうことなんですよ。
だからノートを穴開けてくっつけて工夫して使うとかね。
ただノート買ってきて使う。
漏れスキン買ってきて使ってますってのは、
それはお金持ちのやることだって、
ライフハッカーの発想とは僕は思わないんですよね。
こういう話になってきた場合には、
私は全然ライフハック寄りではない。
非常にそういう意味では、
単なる文具好きの域を脱してないって思うんですよ。
ただきっとですね、
ダスクシュートを使うように、
なぜなったか、
before afterでどう違うかみたいな本を書くと。
これは書き上げ塾で書くと。
一応そういう企画で書き始められた方の、
まだ全然ダスクシュート出てくる、
手前のところの序章の話を読んでいて、
この私には全然違う問題があった。
そういうふうに気づいたんですね。
整理しようとかできないとか、
そういう話にそもそも興味をほとんど持ってなかった。
もっとも超整理法を読んだぐらいだから、
全然なかったわけじゃないんだけど、
そのライフハック的なものに興味があったのは、
知的生産のように見えるものに、
僕がなぜ傾倒していたかというと、
やる気がなかったからですね。
これが絶望的なレベルでなかったんですよ。
全くやる気がなかった。
もう何もやる気がなかった。
やる気というものが僕の中ではテーマで、
ちゃんとそれは僕のもの書きライフに反映されてきてますよね。
やる気ハックスとか、
一瞬でやる気が出る脳の作り方とか、
これは僕がつけたタイトルとは言い難いですけど、
そして私のその一瞬での本からインスパイアされたという、
やる気クエスト。
僕はあれはそういうたてつけというよりは、
全く独自の作品だと思いますが、
でもやる気クエストですから。
やる気を探しに行く旅ですからね。
やる気がない人間の発想ですよ、これは。
私はここがライフハックにたなびいた、
大きな理由になってるんですよ。
やる気がない。
やる気を出すというテーマですらない。
やる気がないというのが僕の中心課題にあったわけです。
確かに、
昨日のタスクシュートの話、
知的生産的な話でもあったと思う。
メモ術みたいな話。
ここには、
例えば知的な感じがあり、
書店に入り浸る小学生みたいな。
そこのところは私も確かに書店によく行ってた。
なぜかというと、
僕はやる気がなかったから。
これがもう全然全く違うんです。
だから私は読書家だと言われるとピンとこないんですよね。
私は本なんか読みたいとあんまり思わないんですよ。
だから書斎作りたいって人がいるじゃないですか。
私は全く理解できないんです。
書斎とかめんどくさーって思うんですよ。
本が増えてしまうから、
しょうがなく書棚は増やすんだけれども、
ここを整理したいとか、
身近なところに置きたいとかって全く思わない。
僕は本って別に熱くて読む気しないなーっていうタイプなんですよ。
やる気がないんですね。
だから私は書店に行って何をしていたかというと、
やる気がない自分が受け入れられている気がしていたんですよ。
本読んでたわけじゃない。
本も読んでたんだけど。
大筋漫画家雑誌なんですよ、私が読んでたの。
あるいは、やる気に関する本なんですよ。
どんだけやる気ないんだって感じなんだけど、
やる気が出ないんで。
そういう本ってあるじゃないですか。
やる気を出してくれるそうな本。
でも大体こういったようなのなんですけど、
筋金入りのやる気のない私としては、
インチキでそういう本は、
全然全くその本を読むというやる気がなかったんですね。
こうしてどこに行くかというと、
精神分析に行くんですね。
なぜここまでやる気がないのかと。
だんだん中学高校になって考えてくるわけですよ。
病気なんじゃないの、精神的にね。
精神的に病気となってくると、
当時やっぱりかわいはやおとか、
加藤大蔵とかいたんですけど、
やる気のないあなたへみたいな本を書いてくれる人が。
でもこのやる気のないあなたへっていうタイトルはですね、
やる気がないように見えるんですよね。
やる気のない人間からすると、
ちょっとわけわかんない感じになってきましたが、
やる気のないあなたへで、
やる気のない私に本を読ませよって甘くないって感じがするわけですよね。
だからフロイトを読み出すんですよ。
もっとこう、
比較的にやってくんないと。
そういう優しい言葉でごまかそうとしてもダメだからって思うわけよ。
でね、やる気がないあなたへって、
それで優しい言葉を投げかけてやる気出させようってわけでしょっていう、
やる気のない人間は非常にやる気がないので、
深感に満ちておりますんで、
そんなに簡単にごまかされるわけにはいかないわけですよ。
そんな本ならもうすでに500冊ぐらいは読んできてるわけですから、
やる気がないあなたへ的な本はね。
ここを読書家だって言われると、
しっくりこないわけですよね、全然。
私は別に読書家だから本読んでるわけじゃないんですよ。
好きで本読んでるわけでもないんですよ。
なんとかこの病的にやる気がない人間は、
社会的に非常に問題があるので、
生きていくのがこれは俺大丈夫かという恐怖から、
恐怖なんですよ、不安とかはとっくに通り越していて、
やる気がなさすぎる自分に恐怖しているから、
やっぱりこれはやる気をなんとかしなければ出さなければ。
でもやる気が出ないっていうのが基本にあるので、
やる気を出さなければという発想に至らないわけですね。
やる気を出させてもらわなければなんですよ、これは。
ここに僕のライフハックの棚びく理由を持ってるわけですね。
ライフハックが私のやる気のなさを補ってくれなければだめだ。
だからやる気がある人がライフハックやってるのを見ると、
僕には違和感があったわけですね。
やる気があるならライフハックいらないでしょってことになる。
やる気でやれよっていうね。
やらないからライフハックがいるわけですよ。
僕はこう思ってたってことですね。
ライフハックとマイナスゼロ
すいません、今、当時ですからね。
17、6、7、8の、
倉園さんの言葉をお借りすればですね、
愛が全く発揮しないレベルに至る強い生きどりを覚えていた時代なんで。
もう何に怒ってたのかよくわかんないんだけど、
めちゃくちゃ怒ってたわけですよ。
だから、やる気あるくせにライフハックするのって、
欲深くないっていう怒りがあったわけですね。
僕は、当時ライフハックって言葉はなかったから、
工夫とかやめろよって思ってたわけです。
やる気あるくせに。
やる気がないから工夫するのであって、
やる気があるくせにですね、工夫するとかとんでもないと。
そういう怒りがあったわけですよ。
めちゃくちゃ理不尽なんだけど、
怒りって理不尽なものなんでね。
今は思ってないですから。
当時の私が、かなりまだ30年ぐらい昔の私が、
怒り狂ってた時代の私がですね、
愛を発揮するとかとんでもないことだったわけですよ。
これがやる気がない理由なんですけどね。
やる気のベースに愛が必要になって。
やる気がないというのはつまり、
愛が封印されてるっていうか、
愛は封印どころではないわけですよ。
冷凍されてコンクリート詰めぐらいの勢いなんです。
それぐらい絶対出さない。
そしてなんとかそこでライフハックで乗り切らねばならない。
そうも思ってないですよね。
ライフハックで乗り切らねばならないっていうのは、
ずいぶん前向きじゃないですか。
当時僕が思ってたのは、
ライフハックが俺の仕事を勝手に片付けろよっていう勢いなわけですね。
仕事する気なかったんですけどね。
これが私が一的精算とかライフハックというものに
僕が当てはめられた時に感じる違和感なわけですね。
だから私はそういう本はなるべくあんまり書かずに
素通りして、ライフハッカーのような顔してるんだけど、
やる気を出す方法っていう話。
僕の本よく読んでいただくとわかると思うんですけど、
全部そっちに向かってるんですね。
これは私の本音だったわけです。
ところが面白いことに世の中というのは、
これを誤解してくださるんですよ。
佐紀さんはライフハックをやってくれる上に、
心理的、メンタルな方もすごくやってくれるんだみたいな、
そういうえらいやる気がある人になっていくんですよね。
人から見るとらしいんですよ。
だからライフハックだけではなく、メンタル面もっていく。
僕はライフハックはもともと全然なくて、
メンタル面しかないわけです。
しかもそれは後ろ向きなものしかないわけですよ。
だから私はあの言葉が非常に引っかかっていて、
昔はね、今は全然引っかからないですよ。
昔は非常に引っかかってたのがコーチングってやつで、
いやコーチングやめろよって感じなわけですよ。
なぜかというと困っていて、
病的に困っていてマイナスをゼロにするとかって
コーチングの方がおっしゃるじゃないですか。
マイナスをゼロにするのはいい。
ゼロをプラスにするなよっていうね。
なぜならプラスはないから。
ゼロしかないんだからっていうのが僕の当時の観念だったんですね。
だからマイナスをゼロにするのはこれはもともなんですよ。
でもゼロをプラスにするのは異常なわけですよ、僕から見ると。
ゼロをプラスにしちゃダメでしょっていうのが
私の当時の感覚だったんで、
コーチングも私にはほど遠いなというか、
多分一番遠いなって思いました。
だから僕からすると臨床心理とコーチングが
このまるで延長線の中にあるような説明っていうのは
非常に不思議な感じがして、
一直線になるじゃないですか。
マイナスゼロにするのもゼロをプラスにするのも同じでしょ。
つまり足していくって考えじゃないですか。
ここに僕はないわけですよ。
足されるはずがない。
プラスってものはないから。
ただなぜか病気ってものはあるから、
それは社会が僕の中では作り出すってことになって
精神分析とライフハック
また怒りの対象になっちゃうんですけど、
社会がプラスはこっちだよって勝手に言い上がるから、
やむを得ずプラス方向に向かっている、
不利をするために役立つのが臨床心理なわけですよ。
私にとってその臨床心理とライフハック、
そして精神分析は同じ方向を向いていたわけですね。
これは社会に対していい顔をするための、
つまりマイナスでしかないんだけど自分らは、
これをゼロに見せるための何かすごい工夫、
それを精神にまっすぐ手を当てるのか、
それとも仕事ができる不利をするためのライフハックなのか
という違いはありますが、
原則を同じものを指していたわけですね。
当時私は自然の流れとして、
だってそれしか書いてないんでね、
ニーチェとかに走るわけです。
ニヒリズムがあるから。サルトルでもいいんだけど。
これを読書家って言われて、
知的生産っていう話になってくると、
何にも生産する気はないから、
虚無だっていうことを証明するために、
書いてる人たちの本を読んでるわけだから、
虚無な心理状態
それは虚無ですと、小編半話とかね。
読んでるのに、何でこれを私が情報を発信するとかせねばならない、
情報を発信させてどうするつもりなんだろう、
特に小編半話とかね。
小編半話なんかまだよくて、
僕は議局、サミエル・ベケットって人がいるんですけど、
イギリスに。
彼が書いてることときたら、議局なんですけど、
ぼんやりしてる登場人物が出てくるんですね。
ぼんやりしてる。
ぼんやりしてるだけなんですよ、彼ら。
本当に舞台の上でぼんやりしてて、
ゴドウを待ちながらっていう有名な議局があるんですけど、
ゴドウはゴッドをもじってるんです。
もじったゴッドしか出てこないんですよ、この世の中には。
しかもそいつは出てきやしないんですよね。
で、どっかなんかわけがわからないこと、
全部哲学的な話なんだけど、
わけわかんないことをぐつぐつつぶやいている。
これ非常にね、自閉っぽさを表してるのかなって感じなんですけど、
で、何も考えられない犬みたいな登場人物が考えろって言われると。
考えてるふりをしたようなことをベラベラベラと喋るという、
実に救いのない議局で、僕はすっごい好きだったんですけどね。
僕のまさに心理状態そのまんまがここに表現されている。
見に行ったこともあるんですよね。
まあちょっと、いわゆるそんなにフロートのそれは見に行けないんで、
そうではないものを見たんですけれどもね。
で、あれなんですよ。
どっか行っちゃいそうになると、
ダメだよ、どっか行っちゃって。
どうして? 五道を待つからさ。
ああそうかっていうこのセリフが何回か出てくるんですけど。
要するに五道を待つわけですね。
でもそこに少年がやってきて、
五道さんは今日来られませんって言うんですよ。
明日は必ず来るんでしょうね。
明日は必ず来ます。
というのが永遠に続いて終わるという。
つまり五道は来ないんですけどね。
僕の心理状態はまさにあれで。
本当にそういう感じで。
何にもこれといった何かはないんだけど、
いいことが起こるよっていう、
何かこう嘘くさい言葉に、
なんとなくはぐらかされて日々を何とかやり過ごすっていう状態。
これが私の10代、ほぼ全域を通じて、
20代の後半までこの状態が続いていたので、
約20年間ですね。
もっと長い感じがするけど、
大体20年としておこうぐらいが、
これにびっちり覆われていたわけですね。
だから私は、
こもってアダルトっぽいもの以外ここに、
もう一つ出てくるのがこれ。
性的なものですね。
だから精神分析に僕がまっすぐ行ったのは、
十分な訳があるんですね。
なぜか、
立つ。
変な言い方ですけどね。
これがまた別の問題を引き起こすんだけど、
犯罪じゃないから安心してくださいね。
なぜか立つ。
こんなにやる気がないのに。
どうすんだこれって感じなわけですよ。
やる気が全くないから。
ファッションとかも全くないから。
お金も全然ないし。
喋る気ももう一つなわけですよ。
急にベラベラ喋りだすんですけどね、
こういう人間は。
欲打つ状態がずっと続いているぐらいに
思っていただくといいんですけど。
だから、
仕事もオートマティックってものが
一番僕は好きだったわけですね。
ライフハックってのは、
やっぱりライフハックしなきゃならないじゃないですか。
それがもう嫌だったわけですね。
音声入力って言ったって、
みんなカッタルイなみたいになるわけですよ。
自分の考えと言われているものを
勝手に打ち出す文章、
だからチャットGPTみたいなものの方が
ベターだったわけですね。
ライフハックにならないんですよね。
ましてそれが知的生産な感じは
全くしないわけですよ。
僕は何も生産していないという状態が
市場の状態だったわけだから、
生産する気はなかったわけですからね。
これが、
クラゾノケゾさんが
グッドバイブスというところの
怒りなんですね。
つまりこれ逆に定義しちゃったほうが
いいと思うんですよね。
怒りが愛を
出させないようにする。
っていうのが正しいと思うんだけど、
私の当時の実感に
照らしてしまうと、
愛を妨げる全ての力を
怒りと呼ぶ。
だから怒ってるから愛を妨げてる
って言うんではないんです。
愛は妨げられているという風に、
言うことで決まってるから。
そこの封印をしている負担が、
怒りと呼ばれるものなんですが、
それは感情としては
実感されないんですね。
あまりにもそれを感情として実感すると、
やばい人間になっちゃう。
突っ込もう、固めてしまう。
何もなくなっちゃうんですよね。
自分の中には。
だから虚無な感じがするわけですよ。
何を見ても別に嬉しくはないし、
何をしても
これといって楽しいわけではないんだけど、
何かしないわけにはいかない感じがするから、
せき立てられてるから。
社会とか、親とかに。
だから無理やり何かすると。
感情労働っぽさが出るんですよね。
いわゆる最近の言葉で。
あれ最近の言葉じゃなくて、
もう少し前の言葉だと思うんですけどね。
全部、何やってても
感情労働になってしまうわけですね。
あれです。
なんていうんですかね。
まあいいや。
そういうことです。
で、そう。
でもセクシャルなものの
エネルギーだけはある。
だから私はこれを
変換するということに
すごい興味を持つわけです。
まあ10代ですからね。
もう一つ考えが浅いんですよね。
それをやって大丈夫なのか
っていう考えを当然持つべきなんだけど、
割と真っ直ぐそこに向かってしまうという。
つまり
性欲を、
労働意欲に変換するという
装置を失うわけです。
えっと、
だって性欲がこれだけあるんだから、
やる気は全くないのに。
これは絶対に
うまく使えばですね、
強烈な一石二鳥になるじゃないですか。
僕はその、
だから当時、
彼女が欲しいって話になってるんだけど、
本音のところで言うと、
彼女が欲しいっていうことが
ナンセンスなわけですよ。
あまりにも女性に相手にされないから、
これが邪魔なんですよね、当然。
したがって、
この100あるいは
性欲というエネルギーを
ゼロにして、
性的なエネルギーの活用
仕事をする意欲に全部
切り替えることができれば、
非常に助かる。
僕の人生はそれで全て解決する。
19歳くらいの時に
強烈に思って、
で、フロイドですね。
僕はこの
フロイドが性的な話を扱って
ダメだっていう理屈が
全く理解できなくて、
まさにそれが理由で
私はフロイドに行き、
意味がわかんないってことになるわけです。
少なくともこれをいくら読んでいても、
労働意欲が
高まるはずはないな。
というか性欲すら
なえるな、こんな話読んでても。
っていう風に思って、何度も何度も挫折するわけです。
でも、この問題に戻ってきちゃうんで、
何度も何度も
わけわかんないのに読むわけですよ。
そして今思えばなんですけど、
大学時代、
DHロレンス、チャダレ夫人の恋人で有名だね。
DHロレンスのゼミに入ったときも、
まさにこれが理由なんですね。
何かを
僕は誤解してたんですよ。
性の文学者とか言うんですけど、
性の文学者かな、あれ。
その通りに違いはないですけどね。
私が考えていることとは全く関係ないことが
書かれてたんですけれども、
それをまたわけもわからず
一生懸命読むという。
これを知的と言われるんですよね。
面白いことに。
学生時代に、
アロージで僕に付き合ってくれた女性は、
この知的なところに
惹かれたとか言い出すわけですよ。
僕はそうでもないわけですね、
完全に。
僕は虚無なわけですよ、当時は。
他に
こういうことを扱ってくれる人も
取り上げてくれる。
全くいなかったんで。
当時は本当にいなかったんですよね。
今思うとちょっと不思議ですけど、
だって僕と同じようなことで悩んでた人は
結構いたはずなんですよ。
あの時代の、
時代背景からして。
僕は大学に全く行かなかったし、
よく言うじゃないですか、
合コンとかばっかりしてって。
でも僕は合コンができないから、
一人コンになっちゃうわけですよ。
で、
一人で朝から酒飲んでるわけですね。
そしてぐったりして。
で、手近なところに行って、
エッチなビデオ屋に行って、
なぜこれが俺にいるんだって思いながら
酒飲んでるわけですよ。
本当にこういう生活を
丸2年ぐらいはしていた気がします。
だからその間単位全然取ってませんから。
よく4年で大学卒業できたな
と思うんですけどね。
4年目超頑張ったんだけど。
この時にすごいライフハック的だった
っていうのを今でも覚えています。
たぶん人生で一番
大学4年の時がライフハック的だった。
何しろ単位取んないと。
84単位を埋めた
88単位だったか。
限界ギリギリで
少しだけ
ギミックみたいなのを使ってね。
ある先生に
DHロネースの指導教科なんですけど
とても好かれてたんで。
その先生学部長ですごい偉かったんで。
当時は学部長も
引退してたのかな。
非常に偉い先生だったんで。
ギミックが使えたんで。
88単位ですからね、1年間って。
でも一つでも落とせば
留年だったんで。
必死でしたね。
留年だけはしたくなかったんですよ。
ここにいろんなものが隠れてるんだけど
まだ当時は分かってなかったんですよね。
甘えというものが
はっきりあるし
エリプスコンプレックスもここに猛烈にありますよね。
こんな状態なのに
親の目を気にしているというね。
こういうところが
僕の機能を
全部繋がって
過去の影響と解決のための思考
理解できた気がする。
後からこれを振り返ってみれば
これを理解するのに
50歳になる必要あるって
思うじゃないですか。
多分僕バカなんだと思うんですよ。
知的じゃないなって感じは
知的だと言われているけど
全然知的だということには
ならないなとは思ってたけど
多分ですね、
これほど明瞭に
なぜ
彼女が欲しかったのか。
なぜ性欲がこれほど問題になったのか。
なぜやる気がしなかったのか。
なんで親の目を気にしていたのか。
全部繋がってるじゃないですか。
一言で説明で言いますよね。
母親に好かれたかったんだなと。
だけど私は
母親に
少なくとも必要な分だけ
母親は私を愛してくれないと
そうだなぁ。
3か4の時に
もしかすると
2歳ぐらいの時に
思ったんでしょうね。
母親にフラれたんでしょう。
その怒りが
私をやる気の全くない人に
したんですね。
それは小学校の低学年から始まっている。
それははっきり記憶しているんで。
低学年から始まっているんで。
それ以前になると
母親しか考えられないんですよね。
父親もちょっと愛在はしているんだけど
両親すごい
あれですよ。
ごく普通の人間ですよ。
その中で起きたことなんですよ。
当時に家亡き子っていう
この番組でも
恋大きい少年
何回かご紹介しましたけど
マロかな
の童話を何度も読んだ
形跡がボロボロになってたんですね。
家を追い出される
って恐怖がものすごい強かったんですよ。
当時。一回も追い出されたことないですよ。
あったんですよね。
これが母親にフラれたことと
深く関係。フラれたって言っても
多分あれですよ。
トランプやってる暇ないのよとか言われたとか
そういう話ですからね。
そういうことが多分
僕はなぜか2歳の頃に
すっごいグサッときたでしょうね。
覚えてはいないんだけど正確に。
そんなことがあったかどうかすら
疑問なんですよ。
夢で見た可能性すら否定は全然できないんですよ。
2歳児なんで。
で、この怒りが
もう、母親の代わりを
見つけなければ。
だから僕は2歳の頃
2歳じゃない。小学校2年の頃から
恋大きい少年だったわけですね。
すぐ女の子好きになっちゃうと。
で、相手にされないと。
そしてますます絶望して
怒りを貯めるっていうのが
自分の人生の
パターンとして形成されていっちゃうんですね。
これで
中学、高校と
ロツボにはまっていって
だんだんショーペンハーファーとかベゲットとかしか
読まなくなっていくわけですよ。
世の中に対して深い恨みを
なぜ恨んでいるのかが
本人は全く分かりません。
だいたいこの話として
母親だということをさっさと理解しておけば
ドラムの対象は
母親であって世の中じゃないことが
すぐ分かりそうなものに
僕はそこを蓋してるんで
怒りが全部世の中に向かっちゃうわけですよ。
相手にしてくれない
女の子とかに向かっちゃうんだけど。
そうじゃないんですよね。
また当時
ライフハッカーからやる気ハッカーへ
母親と決して似てない人を
出すっていう癖がついてたんですね。
非常に分かりやすいですよね。
で、あの
そこでやる気を
もらおうというわけなんだけど
付き合えないからくれない。
だからやる気が全く出ない
っていうパターンを
持ってるわけですね。
パターン化されていくわけです。
大変だったですね。
今思い返してみても。
非常に大変でした。
とにかく大変だった記憶しかないんで
よく言うじゃないですか。
学生時代に戻りたいとか。
全くないですよね。
かけらほども残念ながらないです。
あの時代にだけは戻りたくないですね。
今のはこれからあれから見ると
お花畑ですよね、完全に。
こんなんでいいのかなって
あの時代の自分に
少々申し訳ないと思うほど
今とあの当時は
云々の差があります。
別に何があるわけじゃないですよ。
今の方がはるかに恵まれていると
恵まれてはいますけど
当時だって恵まれてなかったわけじゃないんで
要するに世の中を恨んでいるかどうかの
差が大きいということなんですよ。
そんな感じで
私はライフハッカーというものに
一応なることになったわけですね。
これは
つまり
ライフハッカーが
私のやる気を補ってくれるだろう
って意味で
私はやる気ハッカーだったわけですよ。
やる気というものを
最低限でも用意できないと
大変なことになる。
だから私が一瞬で
やる気が出るのの作り方も
そうだったんだけど
基本はやる気を節約しましょうって話書いてるじゃないですか。
しかもあれは
体力に相当する部分だと思うんですけど
多分体力と
ドーパミンが
交錯する部分ってあって
そこをですね
使うと
私のように
使うと消耗するんですよ。
どっちにしても消耗はするんだけど
変換されるから
そこだけをすごくクローズアップして書いてるんですね。
愛の部分ないから。
当時はもう
愛がないってことはなかったんだけど
理屈の上ではないから
やっぱり
節約ってことになるんですよね。
補充は睡眠によるものであるって
ここが僕は
非常に当時としての書き方に
甘さがあるんですけれども
睡眠によるってのは正しいんですよ。
私のような
当時の特に大学だった頃の私のような
心理状態では
睡眠によるのが一番正解なんですね。
一番いいのは世の中を恨まないことなんだけど
それはできなかったから当時は。
寝ることなんですよ。
寝る間世の中を恨んでないでしょ。
もうちょっと深く言うと
睡眠時はイチシナルシシズムが回復するんですね。
だから睡眠時は
親に振られたことを忘れかけている
わけですね。
これによって
体力の補充というのも
当然あるんだけれども
両方相まってすべて
ドーパミン等も元の状態に
リセットうまくされれば
朝は寝起きはやる気が
戻る。
これを消耗しないことだっていうのが
一瞬でやる気が出るのの
作り方の背景にある
考え方。これを漫画化してくれたのが
岡野純さんという流れで
そうやって僕は生きてきているわけですけど
でも私はやっぱり
これを考えるぐらいであれば
脳の話を
ここに
沿用するのはいいんだけど
やっぱ精神分析に
本当は真っ直ぐ
行っておかなきゃいけなかったわけですね。ただ
当時精神分析を
あれに投入することは
多分出してくださった
想定者さんは認めてくれなかったかも
しれないなとは思いますね。
だからそういう意味で
世の中よくできているのかもしれませんね。