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2025-03-04 15:30

09|大きくて痛そうな耳飾り、なぜ?【中】/こども記者質問箱 教えて!九博の学芸員さん②

西日本新聞のこども記者やその卒業生が身近な話題から専門家へのインタビューまでさまざまなトピックで番組をお届けします。こども記者とは、毎年8月から1年間の任期で取材・執筆活動をする公募の小学4年生から中学3年生です。

2025年で20周年を迎える九州国立博物館を見学したこども記者卒業生が、学芸員のみなさんに質問をするシリーズ「こども記者質問箱 教えて!九博の学芸員さん」。九博の「文化交流展示室」は旧石器時代から江戸時代までの五つのテーマに分かれており、今回はテーマ1「縄文人、海へ」とテーマ2「稲づくりから国づくり」にフォーカス。地球に四季が生まれたことは縄文文化の成立にどんな影響を与えたの? なんであんなに痛そうな大きな耳飾りをしていたの? お墓を作ってもらえたのはえらい人だけ? など展示品から着想を得た質問に学芸員さんが「へー!」「なるほど!」という答えを返してくれます。きっとあなたも九博に実物を見に行きたくなるはず・・・!

◆出演:小澤佳憲(九州国立博物館展示課主任研究員)/江頭慶(第12期こども記者)/梁莉琉(第14期こども記者)/中野慧(MC/こどもタイムズ編集部)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年2月2日

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サマリー

このエピソードでは、縄文時代の耳飾りの文化に関する質問が扱われています。耳に穴をあけて大きな耳飾りを用いることは、痛みを耐えることで成人として認められる証とされています。弥生時代に鉄や青銅が導入されることで、刃物や祭りの道具を通じて日本人の生活に大きな影響を与えています。金属の光り輝く特性や音の特徴は、文化的な重要性を高め、博物館での展示でもその価値が示されています。

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西日本新聞Podcast
西日本新聞こども記者Podcast
この番組は、西日本新聞の子ども記者やその卒業生が中心になって、おしゃべりをするPodcastです。
子ども記者とは、毎年8月から1年間の任期で活動する、高校の小学4年生から中学3年生の子どもたち、現在は15期74人が元気に活動中です。
子ども記者は年間を通して各市に取材に出向き、記事を書いて長官の子どもタイムズ名にその成果を掲載しています。活動は今年で15年になり、卒業生は計837人になります。
こんにちは、西日本新聞こどもタイムズ編集部の中野恵です。
さて、今回も子ども記者質問箱 教えて九博の学芸員さんと題したシリーズをお届けします。
スタジオには九州国立博物館学芸員の小澤義則さん、子ども記者卒業生の2人に来ていただいています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ、江頭さん質問どうぞ。
耳飾りの意味
展示の中にはたくさん耳飾りなどの装飾品がありましたが、なぜこの時代の人たちは装飾品をつけていたんですか?
また、今で言うピアスのような耳飾りですが、人々はどうやって耳に穴をあけていたんですか?また、それによる健康面での悪影響はなかったんですか?
はい。縄文時代の耳飾りを九博の文化交流展ではよく展示をするんですよね。
細いものだと指の太さくらいのものから、大きいものだと直径5センチくらいのものまであるんですけど、
耳飾りって言うと耳につけるわけですけど、どうやってつけるかっていうと耳にぐさっと穴をあいて、そこにはめるんですよね。
最初は小さい穴をあけて小さいのをはめるんでしょうけど、がんばって広げていくとだんだん大きなのをはめられるようになるんですね。
最終的には直径5センチくらいの耳飾りを耳タブにぐりっとねじ込むような、そんなオシャレをしていたと言われてるんですよね。
耳タブに穴をあける専用の道具、今はありますよね。
女性は耳タブにピアスをしますから、今されていらっしゃいますけど、ガチャンって。痛いんですよね。
一瞬痛いですけどね。
しばらくしてはめてないとだんだん塞がっちゃうんでしょ。
塞がったらプチって。
もう一回やるんですよね。
たぶん縄文時代の人は一回開けたらずっと開けとかなきゃいけないから、少しずつ大きなものに取り替えながら外さずにずっと耳につけていたんだと思うんですけどね。
残念ながら縄文時代には専用の道具っていうのはないので、たぶん木を尖らせたりとかしてグサッとやって、そのあとお酒なんかで消毒したりとか。
この辺は実際に出土するわけじゃないので想像に過ぎませんけど、そんなことをしているんじゃないかなと思います。
耳飾りを何でつけるのかっていうことなんですけど、今と同じオシャレっていう気持ちも当然あるんだと思います。
耳飾りってとてもデザインが美しいものがあるんですよ。
確かにオシャレっていうのはあるんだと思うんですけれども、もう一つ考えられているのは耳飾りをするために痛い思いをしなきゃいけないでしょ。
痛い思いを我慢した証として耳飾りをつけ続けるという文化があった可能性が高いというふうに僕は思っているんですよ。
痛みと成人儀礼
痛い思いや怖い思いを我慢することで子どもから大人になったと認められるという風習って実は世界の各地で知られているんですよね。
今、橋からあるいは崖からゴムをつけて飛び降りるバンジージャンプっていうのは世界各地でレジャーとしてやられてますけど、あれ体験したことあります?
ないです。
あれね、実は南太平洋の島国で大人になる儀礼として高い木を組んだ塔とか木の上から鶴を足に結びつけて飛び降りるっていう。
それをしないと大人として認めてくれないっていうそういう文化がこういうの成人儀礼って言うんですけど、こういうのが元になってるんです。
だから痛い思いとか怖い思いをしなくちゃ大人として認めてくれない。
この文脈で耳飾りを考えると耳たぶに穴を開けるという痛い思い、これをすることで初めて大人にとして認められるという可能性があるわけです。
ということになると大きい耳飾りをつけるほど痛い思いに何度も耐えたっていうことになりません?
だから大きな美しい耳飾りをつけてる人ってすごい頑張った偉い人なんだっていう評価になる。そんな可能性があるんですよね。
おしゃれの裏にはそういう秘められた周りの人から尊敬される。そのために頑張って大きな耳飾りをつけるんだっていう。そんな縄文人の頑張りがちょっと見えてくるような私は気がしてるんです。
大人になるために立派な大人になるために自分で痛い思いをしてまで耳飾りをつけるっていうところが少し自分は怖いなと思って、そういう風習が昔にあったのはすごい勉強になりました。
もうちょっとお知らせしてあげると、無理やり歯を抜くっていう風習もあるんですよね。よく知ってますね。
この集団に属している人はこの歯とこの歯を抜くんだと。違う集団に属している人は違う歯を抜くんだっていう違いがあったみたいで、にっこり笑うと私はこの集団に属している大人なんだよっていうのがわかるっていう。
弥生時代になると顔に入れ墨入れるんですよね。それも痛いんですけど、やっぱり文化、集団によってパターンがあるらしいっていうのは知られてます。
なのでその成人儀礼の一つとしてにさらに付け加えて山笠の発泡みたいな。要は何流れだよって自慢してるみたいな。そんな役割もあったのかもしれないなと思ってます。
ありがとうございます。次も江頭さんどうぞ質問。
弥生時代の道卓
道卓という大きな鐘には脱穀の様子が描かれていました。道卓には他にはどのようなものが描かれていますか。
道卓っていうのは弥生時代の楽器でお祭りに使われる道具ですよね。絵が描かれた道卓のことはですね、よくご存じだなと思って監視したんですけど。
道卓の中に絵が描かれているっていうのは割と少ないんですよ。道卓自体日本全体でこれまでに600個以上見つかってるんですけど、絵が描かれてるのはおそらく50個とかそのくらいにしかならないと思うんですよね。
その中で、絵が描かれた道卓をずっと集めて研究した人がいるんですけど、絵に描かれる題材で一番多いのは鹿らしいですね。
その次はイノシシと犬。これらは狩りのシーンを表しているというふうに言われているんです。一緒に弓を持った人が描かれている場合があるんですから、イノシシ狩りとかシカ狩りのシーンを道卓に描くというのは一つあると思います。
その他の画題で特にこれの量が多いっていうのはあんまりないんですけど、特徴的なのは水辺に住む動物たちがよく描かれるっていうのはあります。カエルとかヘビ、カメ、トンボ、サギ、アメンボ。アメンボが描かれているのが面白いんですけど、そういった水辺に住む動物たち、生き物のグループっていうのがあるんですよ。
弥生時代の水辺っていうとやっぱり弥生時代は稲作が始まった時代でしょ。一番身近にある水辺って水田だと思うんですよね。水田を使った稲作りが日本列島で始められた時代なので、水田の周りの風景を描いているっていうのが一つ有力な説ですよね。
もう一つの画題としては、人っていう画題があります。さっきおっしゃった脱穀をする人ですよね。縦絹、下にウスを置いて棒のような絹でつくんですけど、あれ餅をついてるわけじゃなくて、中にはモミに覆われた稲の粒が入っていて、それを軽くついてやることでモミ同士が擦れて脱穀して中の米が出てくるっていう、そういう作業を表してるんですね。
それから魚を捕る人がいたりとか、喧嘩を仲裁する人っていうのが描かれてたり、頭を押さえてやめろよみたいな。高床敷の建物を描いているっていうのもあって、どうも人々の生活とかその周りのものを描いているっていう風に考えられている。そういう画題もありますね。
はい。それはどのような理由でそのような絵が描かれているのでしょうか。
はい。こうした絵が描かれた理由として、主に考えられているのが豊作とか豊漁といった豊かな暮らしへの強い思い、願いですね。
豊作っていうのはお祭りの時にカランカランと打ち鳴らされた道具で、大きくどんどん鳴ると次第に鳴らされずに飾られる道具になっていくんですけども、そんなお祭り、弥生時代のお祭りの中でも、
画題が示すようにイノシシとか鹿がたくさん獲れるようにだとか、水田で米がたくさん獲れるようにだとか、そういった豊作とか豊漁の願いっていうのがおそらく込められていて、それに即したテーマが描かれているんじゃないかっていうのが有力な説ですね。
現代にも今だったら豊作を願うお祭りとか伝統行事というのが残っていて、それに通じる部分もあるのかなと。
そうですね。おっしゃる通りだと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございます。ではりょうさんから質問お願いします。
銅や鉄でできた文化財がたくさんあったんですけれども、この時代銅や鉄が多く使われていたのはどうしてなんですかね。
2テーマで弥生時代とか古墳時代の展示をしているコーナーのところなんですけれども、青銅器とか鉄器をたくさん展示してますよね。銅卓もそうなんですけど、銅矛とか鉄の刀とか鉄の鎧とかも確か展示したんじゃないかなと思います。
こういった金属のものですね、実は決して多く使われたっていうわけでもないんです。
金属の導入と刃物
当時すごく貴重なもの、何でかっていうと鉄とか青銅っていうのは全て材料、中国から朝鮮半島から持ってこなきゃいけなかったんです。
当時日本列島の中で鉄鉱石を溶かして鉄にする技術、銅の鉱石を溶かして銅にする技術ってなかったので、銅や鉄のインゴットだとか、あるいは折れた鉄とかね、折れた青銅器の剣とかを朝鮮半島からもらってきて、日本列島でもう1回それを溶かして素材として使う。
大変ですよね。とても貴重なものなんですよ。で、その分とても大事にされたので出土する時にもですね、いい形で出てくることが多いんです。で、数が少ないですから博物館で大事に展示されるっていうのはとても多いんです。
実は出土しているもので一番多いのはやっぱり土器が一番多いですけど、ほとんどは割れて壊れて捨てられた状態で出てきますよね。だからだいたい次貼り次貼りにするんですよね、展示品はですね。
で、すみません話それましたけど、なんで大事にされてたのかっていうことが実は結構面白い理由があると思ってるんですね。その理由っていうのは鉄や青銅によって作られた品物のリスト、これを眺めてみるとなんとなく見えてくるような気がします。
まずですね、金属器の中で一番品物が数が多いのはおそらく多分刃物類だと思います。
刀とかですね、斧だとか、のみだとか、鉋だとかそういったものが多いんですけど、鉄器や青銅器っていうのは鋭い刃を研ぎ出すことができて、使っているうちにだんだん生クラになってくるんだけど、もう一回投資を当てると刃が生き返るんですよね。
で、繰り返し切れ味を戻すことができる特徴があります。それに対して鉄器や青銅器がない頃刃物っていうのは石で作られたんですけど、石はですね、うまく研ぐのは結構難しいんです。鋭く研ごうとするとすぐに割れちゃうんですね。
で、ガラス質の石もあります。黒曜石っていうのがよく知られると思うんだけど、ああいうのは研げない代わりに小さく割ることで鋭い刃を作り出すんですけど、鈍くなったら割るでしょ。どんどんどんどん近くなっていくんですよ。
研ぎべりするよりもすごい速さで近くなっていくので、どんどんどんどん作り変えなきゃいけなくて大変だったんです。それに対して鉄器や青銅器っていうのはちょっと投資を当てれば鋭さが戻るので、とっても便利だったんです。
それから弥生時代に日本列島に最初に金属が持ち込まれたときに、一番最初に作られたのは刃物。それも武器を最初に作られたんですけど、だんだんね、戦いに金属を使うより、道具を鋭い刃のものを使ったほうが生活に都合がいいということに気づいたので、斧とか鎌とか小刀みたいなものを鉄で作るようになります。
他にはどんなものがあったんですか。
次に多いのがお祭りに使う道具ですね。
例えば銅卓とか銅矛なんかはお祭りで打ち鳴らすために、あるいは飾るために盛んに作られたんですよね。
銅矛なんかは元々武器として持ち込まれたんですけど、武器として使われなくなって、どんどんどんどん大きくなるんですよ。
なので最初は20センチくらいの長さの斧って言ったら、槍先みたいなものなんですけど、それが最終的には90センチくらいの長さになって、幅が15センチくらいの幅になって、もう板ですよ、板。
武器じゃないんですよ。
なんで大きくなったかというと、おそらく飾るときにすごいキラキラ目立つじゃないですか。
大きければ大きいほど。
金属って光るっていうのがとても大事な属性だと思うんですよね。
派手でしょ。
それまでの土器とか遺跡とかに比べてキラキラしてるんで、なんかすごいありがたみがあるじゃないですか。
祭りのときにそういうものを飾っとくと、こんな素敵なものをキラキラしたものを飾られる人たちってすごい人なんだろうなっていうことになるんですよ。
あとは音ですね。
叩くとカーンカーンって音がするでしょ。
あの音は今までなかったことなんです。
石叩いてもあんな音しないですからね。
なので飾る、あるいは祭りのところで打ち鳴らしたりするっていうために使われる道具が次に金属器、鉄とか製銅器で作られるようになりました。
なので鉄とか製銅といった金属で作られた道具っていうのは弥生時代の人たちにとっても大事に扱われるようになるんですよね。
祭りの道具と音の重要性
貴重だから。それで綺麗な形で残ってるのが多くて、博物館にもたくさん展示されているっていうことになりますね。
やっぱ金属とかって当時の人たちにはとても珍しいもので、音を鳴らしたりとかキラキラしたりで見栄を張ったりとか、そういう重要性の高いものだったんじゃないかなと思いました。
ありがとうございます。
ここまで九州国立博物館学芸員の小澤さん、子供記者卒業生の梁さん、江頭さんにご出演いただきました。
次回も小澤さんと江頭さん、梁さんに質問やり取りしていただきます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
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