道卓という大きな鐘には脱穀の様子が描かれていました。道卓には他にはどのようなものが描かれていますか。
道卓っていうのは弥生時代の楽器でお祭りに使われる道具ですよね。絵が描かれた道卓のことはですね、よくご存じだなと思って監視したんですけど。
道卓の中に絵が描かれているっていうのは割と少ないんですよ。道卓自体日本全体でこれまでに600個以上見つかってるんですけど、絵が描かれてるのはおそらく50個とかそのくらいにしかならないと思うんですよね。
その中で、絵が描かれた道卓をずっと集めて研究した人がいるんですけど、絵に描かれる題材で一番多いのは鹿らしいですね。
その次はイノシシと犬。これらは狩りのシーンを表しているというふうに言われているんです。一緒に弓を持った人が描かれている場合があるんですから、イノシシ狩りとかシカ狩りのシーンを道卓に描くというのは一つあると思います。
その他の画題で特にこれの量が多いっていうのはあんまりないんですけど、特徴的なのは水辺に住む動物たちがよく描かれるっていうのはあります。カエルとかヘビ、カメ、トンボ、サギ、アメンボ。アメンボが描かれているのが面白いんですけど、そういった水辺に住む動物たち、生き物のグループっていうのがあるんですよ。
弥生時代の水辺っていうとやっぱり弥生時代は稲作が始まった時代でしょ。一番身近にある水辺って水田だと思うんですよね。水田を使った稲作りが日本列島で始められた時代なので、水田の周りの風景を描いているっていうのが一つ有力な説ですよね。
もう一つの画題としては、人っていう画題があります。さっきおっしゃった脱穀をする人ですよね。縦絹、下にウスを置いて棒のような絹でつくんですけど、あれ餅をついてるわけじゃなくて、中にはモミに覆われた稲の粒が入っていて、それを軽くついてやることでモミ同士が擦れて脱穀して中の米が出てくるっていう、そういう作業を表してるんですね。
それから魚を捕る人がいたりとか、喧嘩を仲裁する人っていうのが描かれてたり、頭を押さえてやめろよみたいな。高床敷の建物を描いているっていうのもあって、どうも人々の生活とかその周りのものを描いているっていう風に考えられている。そういう画題もありますね。
はい。それはどのような理由でそのような絵が描かれているのでしょうか。
はい。こうした絵が描かれた理由として、主に考えられているのが豊作とか豊漁といった豊かな暮らしへの強い思い、願いですね。
豊作っていうのはお祭りの時にカランカランと打ち鳴らされた道具で、大きくどんどん鳴ると次第に鳴らされずに飾られる道具になっていくんですけども、そんなお祭り、弥生時代のお祭りの中でも、
画題が示すようにイノシシとか鹿がたくさん獲れるようにだとか、水田で米がたくさん獲れるようにだとか、そういった豊作とか豊漁の願いっていうのがおそらく込められていて、それに即したテーマが描かれているんじゃないかっていうのが有力な説ですね。
現代にも今だったら豊作を願うお祭りとか伝統行事というのが残っていて、それに通じる部分もあるのかなと。
そうですね。おっしゃる通りだと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございます。ではりょうさんから質問お願いします。
銅や鉄でできた文化財がたくさんあったんですけれども、この時代銅や鉄が多く使われていたのはどうしてなんですかね。
2テーマで弥生時代とか古墳時代の展示をしているコーナーのところなんですけれども、青銅器とか鉄器をたくさん展示してますよね。銅卓もそうなんですけど、銅矛とか鉄の刀とか鉄の鎧とかも確か展示したんじゃないかなと思います。
こういった金属のものですね、実は決して多く使われたっていうわけでもないんです。
当時すごく貴重なもの、何でかっていうと鉄とか青銅っていうのは全て材料、中国から朝鮮半島から持ってこなきゃいけなかったんです。
当時日本列島の中で鉄鉱石を溶かして鉄にする技術、銅の鉱石を溶かして銅にする技術ってなかったので、銅や鉄のインゴットだとか、あるいは折れた鉄とかね、折れた青銅器の剣とかを朝鮮半島からもらってきて、日本列島でもう1回それを溶かして素材として使う。
大変ですよね。とても貴重なものなんですよ。で、その分とても大事にされたので出土する時にもですね、いい形で出てくることが多いんです。で、数が少ないですから博物館で大事に展示されるっていうのはとても多いんです。
実は出土しているもので一番多いのはやっぱり土器が一番多いですけど、ほとんどは割れて壊れて捨てられた状態で出てきますよね。だからだいたい次貼り次貼りにするんですよね、展示品はですね。
で、すみません話それましたけど、なんで大事にされてたのかっていうことが実は結構面白い理由があると思ってるんですね。その理由っていうのは鉄や青銅によって作られた品物のリスト、これを眺めてみるとなんとなく見えてくるような気がします。
まずですね、金属器の中で一番品物が数が多いのはおそらく多分刃物類だと思います。
刀とかですね、斧だとか、のみだとか、鉋だとかそういったものが多いんですけど、鉄器や青銅器っていうのは鋭い刃を研ぎ出すことができて、使っているうちにだんだん生クラになってくるんだけど、もう一回投資を当てると刃が生き返るんですよね。
で、繰り返し切れ味を戻すことができる特徴があります。それに対して鉄器や青銅器がない頃刃物っていうのは石で作られたんですけど、石はですね、うまく研ぐのは結構難しいんです。鋭く研ごうとするとすぐに割れちゃうんですね。
で、ガラス質の石もあります。黒曜石っていうのがよく知られると思うんだけど、ああいうのは研げない代わりに小さく割ることで鋭い刃を作り出すんですけど、鈍くなったら割るでしょ。どんどんどんどん近くなっていくんですよ。
研ぎべりするよりもすごい速さで近くなっていくので、どんどんどんどん作り変えなきゃいけなくて大変だったんです。それに対して鉄器や青銅器っていうのはちょっと投資を当てれば鋭さが戻るので、とっても便利だったんです。
それから弥生時代に日本列島に最初に金属が持ち込まれたときに、一番最初に作られたのは刃物。それも武器を最初に作られたんですけど、だんだんね、戦いに金属を使うより、道具を鋭い刃のものを使ったほうが生活に都合がいいということに気づいたので、斧とか鎌とか小刀みたいなものを鉄で作るようになります。
他にはどんなものがあったんですか。
次に多いのがお祭りに使う道具ですね。
例えば銅卓とか銅矛なんかはお祭りで打ち鳴らすために、あるいは飾るために盛んに作られたんですよね。
銅矛なんかは元々武器として持ち込まれたんですけど、武器として使われなくなって、どんどんどんどん大きくなるんですよ。
なので最初は20センチくらいの長さの斧って言ったら、槍先みたいなものなんですけど、それが最終的には90センチくらいの長さになって、幅が15センチくらいの幅になって、もう板ですよ、板。
武器じゃないんですよ。
なんで大きくなったかというと、おそらく飾るときにすごいキラキラ目立つじゃないですか。
大きければ大きいほど。
金属って光るっていうのがとても大事な属性だと思うんですよね。
派手でしょ。
それまでの土器とか遺跡とかに比べてキラキラしてるんで、なんかすごいありがたみがあるじゃないですか。
祭りのときにそういうものを飾っとくと、こんな素敵なものをキラキラしたものを飾られる人たちってすごい人なんだろうなっていうことになるんですよ。
あとは音ですね。
叩くとカーンカーンって音がするでしょ。
あの音は今までなかったことなんです。
石叩いてもあんな音しないですからね。
なので飾る、あるいは祭りのところで打ち鳴らしたりするっていうために使われる道具が次に金属器、鉄とか製銅器で作られるようになりました。
なので鉄とか製銅といった金属で作られた道具っていうのは弥生時代の人たちにとっても大事に扱われるようになるんですよね。