感情面でもそうだし、話した内容とか行動力とか見ても、いろんなことがこの1週間に詰め込まれていたなぁと思っていて、
前回言っていた11月のこの文化の日のあたりの予定を埋めて、
なんとかやり過ごさないとなぁっていうことは、まあうまくいったんじゃないかなと思っていました。
にわのようけい上、このコーナーでは私にわの最近あった出来事をお話しするコーナーです。
先ほどオープニングでもちらっと言った、にわさんとして外に出るということを初めてしたっていう話なんですけど、
リッスンっていう自動で文字起こしして、その文字起こしのデータ見ながらすごく見やすく再生できるっていうポッドキャストのプラットフォームがありまして、
このリッスンを作っている近藤さんという方が運営しているこのポッドキャスターさん用のスタジオが京都にあるので、
ちょっと私がまだ大学生であるうちに、まあそしてにわにわにわかににわが広いをちゃんとやっているうちに一回行ってみたいなと思っていて、
近藤さんにご連絡して、このポッドキャスターウィークエンドが文化の日あたりにやっておられてすごい忙しい中、
11月の6日の日ですね、そのリッスンスタジオを訪れて、スタジオ見学、建物一帯見るとかした後で、
せっかくなのでということで、リッスンニュースというポッドキャスト番組がありまして、近藤さんと杉上さんというまたリッスンチームのポッドキャスターさんがいて、
その方々でやられているこのリッスンニュースで、ポッドキャスターインタビューっていうのを受けてきました。
まず、あの、にわさんという人格で他人とリアルで喋ることっていうのが初めてだし、
その前に、にわさんを自分のお家の外から出したことがないので、すごいどうしようかなというか、どういう顔でいこうかなみたいなのがすごい心配だったんですけど、
まあ、なんとかにわさんをね、お外に出して、近藤さん、杉上さんに無事お会いすることができまして、
そこからインタビュー時間とそれ以外の時間含めて、大体2時間はお話ししてましたね。
このリッスンニュースのポッドキャスターインタビューのにわ回がもう11月10日に公開されていまして、
1時間36分というちょうど大学の1講義分ぐらいの時間、3人でお話ししてました。
インタビュー形式だから、まあお二人に質問されて私答えるっていうターンでやってはいたんですけども、
後半どんどんこうなんかこうインタビューというよりかはこう純粋に会話を楽しんでいたというか、
お二人のお話も私から聞きたくなって、こうお二人の方に質問したりなんかもして、
私としてはなんかこういう話を他者としたかったんだよなーっていうことを終始ずっと思ってた日でしたね、あの日は。
まあその具体的に話した内容っていうのは、リッスンニュースのこの回をぜひ聞いたり文字起こしをしたりっていうことをしていただけたらなと思うんですけれども、
ざっと言うと、まあ私のにわさんを始めたきっかけみたいなところから、
あ、そうこの時にあの始めて、そろそろ3周年だっていうことに気がつきました。
にわさんを始めたきっかけとか、まあそのちょうど3年前のこの時期はコロナ禍だったなーっていう話とか、
私がずっと中学生高校生の頃から進路への悩みは尽きないんだなーっていう話から、
現状の私の就職活動の話というか悩みなんかもしていました。
そこで私は、まこんどうさんと杉部さんに、この20代前半というか、この人生の選択に迷う時期はどう過ごしてたのか、
まあ就職活動をどうしてた?みたいな話を尋ねたんですよ。
まあそしたら、全然参考にならないようなんて言いながらもお話していただいて、
まず大前提私が他者とその人生観、もうちょっとあれかな、どういう選択をしてきた?みたいな話を他者としたいっていう
タイプの人間ではあるんですけども、まああんまりそういう話ってやっぱりなかなかできてこないかったから、
なんかこういう場でお話できたのがすごく嬉しかったし、全然参考にならないんですけどなんて言いながら、
こう話していただいた、まあその内容ももちろんだし、その話している姿というか、なんかこうその一つ一つの言葉が、
私が今まで実際に出会ってきた大人の方、まああえてこの大人っていう言い方をしますけども、
自分ももう成人になってね、22歳になって大人っていうのはどうなんかなーなんて思いながらいるけど、
まあまあまあ今まで出会ってきた学校の先生とか親とかそういう色濃い関わりだった大人たちとは全く別のものであって、
ずっと私は高校生の頃までこういう大人にはなりたくないとか、なんだこの大人とか、そういうこと思ってきていたから、
今回近藤さんと杉浦さんにお話していただいた、22歳頃どうしてたっていう人生の選択、人生の迷いみたいな話を聞いてた時に、
すごく悩んだという過程をお話していただいたから、なんかまずそんな悩んだっていうことを話してくれる大人に実際出会ったのが初めてだったし、
なんやかんやなんとかなるみたいなことばっかりしか、まあまあまあ今まで自分が出会った中の人はそういうタイプばっかりだったし、
なんかなんやかんやなんとかなるタイプか、あとは真っ当な大人になれみたいなタイプかの2分だったから、
なんかこう、だからこそその迷いの過程を話していただいたお二人の姿を見て、この人生の捉え方っていうものを一つ学んだなと思って、実りのある1日でしたね。
そしてその近藤さんと杉部さんと話した最後の方で、近藤さんがこう、二羽さんがすごく人を信じている、信じようとしているって言ってくださって、
私はそれにハッとしたというか、なんか自分は本当に全く人と喋んない時期もあったし、前回前々回と喋っていた疎外観っていうものが、
なんかもう、どうせ人とは分かり合えないんだ、みたいなところから来ていたし、本当にどうせっていう気持ちだから、まあ人に対しては絶望感ばっかり持っていると思っていたけど、
でも、まあ信じているというか、信じようとしているって言い換えておっしゃってくださったのに、本当にしっくり、しっくりっていうか、ああそうかもしれないって思いましたね。
なんかそうじゃなかったら、多分言葉でこんな声に息残してないし、配信もしてないのかなと思うので、ああ信じようとしているかーってなってました。
お二人と喋った後で、まあ親から電話がかかってきて、感情的になったりして、
まあその後でゼミの先生と結構長い時間面談して、
なんか、まあ親と話して、別にその、なんか親のすべてが悪いわけじゃないし、全然楽しい話もするんだけど、本当に
進路の話になると毎度、毎度、ずっと前からうまくいかなくて、そういうことになります。そういう状態になって、その親と喋って泣いて、喋り終えても泣き続けた後は、
私はいつも心閉ざすっていうか、またどうせわかってもらえないんだというか、なんていうかな、そのなんかもう一回落ちるんですよね。もう一段階深いところに行ってしまって、
また人と全く関わりたくないみたいなことになってしまっていたから、高校2年とか、3年とか、大学1年とかの頃は、親以外の他者に対してもすべてを閉ざしていたんですけど、
今回もそうやって親と喋ってたくさん泣いた後で、また喋れなくなるかもって思って、私はそっちの方が今回は怖かった。
いつもそうやって親と喋って泣いた後に、誰とも喋らなくなる自分がいたから、そっちの自分になっちゃうんじゃないかってなる方が怖くて。
でもそのなんていうかな、またかってなる自分もいて、なんかどっちの振動さもあったから、今回結構長くワンワン泣いてたんですけど。
でもその次の日にゼミに行って、そうやって面談した時に、まだ喋れて、まだ私喋れて人と。
ゼミって私の大学はまあ2年の終わりぐらいに決まって、3年からスタートするんですけど、
3年の1年間全く喋んなかったんですよ。ゼミの先生ともそうだし、同じゼミの子たちもそうだし、本当に喋れなかった。
他の子たちは研究室、その先生の部屋に入れるのに、私は入れなかった。
そういうことやってた人間が、その研究室で先生と面談するまでできるようになって、
そのスリーマンであるっていうのも、くるりとあじかんを呼んでるっていうのも、なんていうかこう、明るい意味で呼んでないんじゃないかなっていうような感じはしてて、
だからこれはどういうライブになるんだろうって本当に始まるまで不安だったんですよ。
なんかスリーマンとはいえ、あじかんとくるりは一体何を、何の曲をやるんだろうとか思ってたから。
そしたらその一番最初、アジアン・カンフー・ジェネレーションが入ってきて、一曲目にフジファブリックの赤音色の夕日っていう、本当にファーストにも入ってるし、メジャーデビュー前のものにも入ってるすごい長くやってる名曲があるんですけど、
それをもう完璧なカバーですよね。悲しいライブかもしれないなって思っていた身柄しては、一曲目に赤音色の夕日っていうのはすごい、あ、これは大泣きするライブだって思ってたんですよ。
そう、こんな感じでフジファブリックの曲をあじかんくるりがカバーし合いながらやっていくのかなぁ、スリーマンとはいえとかって思ってたんです。そうじゃなかったです。
あの、あじかんも2曲目からは、自分たちの持ち曲というか、君という花、リライト、空に居んとか荒野を歩けとか、もうね、みんなが知ってる曲をね、ガンガンやってくれて。
あじかんは本当に盛り上がるリライトとか、やってくれたんで、その時にあじかんのごっち、ごとうさんがみんなで消してリライトして盛り上げましょうって言ってくれて、
盛り上がっていいんかって思って、もうその時のリライトめっちゃ良かったですよ。楽しかったです。どうなるかと思ってたから、本当に。
でまぁ、あじかんやってる時に、富士ファブリックが活休していた時に、キーボードの金澤さんがあじかんのサポートで入ってくれていた時期があって、その時期に一緒にやってた曲も披露してっていうことで。
でそれも別にその、しんみりはしなくて、楽しくやってくれたし、金澤さん出てきた時も、僕があじかんのヒアルロンさんですってボケてて、あじかんも結構そのね、船かせつみたいなのがね、結構あった、あんまり詳しくないからわかんないけど、あったって聞くバンドだから。
なんかその時に金澤大輔という富士ファブリックのキーボードがいて、なんかそこで間を取り持つヒアルロンさんになったってこっちが話していたので、そこでね、ひとボケできて、すごい楽しい曲やってくれて。
でもうその後の、あじかんの最後は今を生きてって曲で終わってって、それでくるりにバトンタッチですよ。
くるりはもう、自分たちではくるり、あのイントネーション、関西イントネーションゴリゴリで喋ってたんですけど、くるりって言ってて。
くるりは富士の曲カバーするかなぁと思ってたら、しなかったです。
なんかそこがまた面白いというか、くるりがカバーするとしたらなんだろうなぁとか予想してたのに、予想裏切られて、そこも面白かったけど。
でまぁくるりはあれですね、ロックンロールで富士ファブリックのギターボーカラー、フロントマンの山内聡一郎を呼んで、
一緒に歌うし、いや歌う、もうメインはマジでギターでした。二人で。
岸田さんと山内さんのあのギター見せられたら、私のギターヒーローはあの二人になっちゃうよって思う。
ギタープレイでめっちゃ良かった。かっこよかったですね。
なんかそんなに私くるりのファンじゃなかったけど、今年3回ほどくるり見てる。一番見てます。
まぁこうやってくるり時間終わって、富士ファブリックに行くんですけど、やっぱその2バンドを見た上で、やっぱり一番富士ファブリックが何の曲をこの20周年大阪城ホールでやるんだろうかって思ってて、そうなんですよね。
なんかこう、富士ファブリックって難しいよなぁって取り組むのって思うんです。
その今を表す曲をやるのか、過去を表す曲をやるのかで、全く雰囲気が別なものになるよなぁと思ってて。
私、富士ファブリックは高校生の頃、だからちょうど15周年イヤー、5年前かな?にガッツリ使っていたっていうので、でもライブに来たのは今回が初めてだったんですよ。
だからこの富士ファブリックそのものの、なんかライブの雰囲気はあんまり知らなくて、流れてくるこれまでのライブ情報をセトリーとか見て、こんな感じなのかーって思ったりはしてたけど、実際に見るっていうのはやっぱ違うからどうなるんかなぁ。
で、しかも20周年だしなぁと思ってて、で、1曲目からポートレイトっていう一番最新アルバムの真表題曲が来て、
私なんかこのポートレイトっていう曲は、なんかすごい良いなーって、言葉にならない良さがある曲で、なんか好きで、このアルバムの中でもすごい好きな曲だったので、もう1曲目これかーって思いながら聴いてて。
で、次は、その15周年の頃に出ていたアルバムのハガンっていう曲やってくれて、うわーってなって、やっぱその頃どっぷり使ってたんで、Fっていうアルバムの方に私は思い入れがあって、
私はあの頃に初めて音楽と人っていう雑誌買って、今でも買ってる雑誌になってるから、めっちゃ思い入れ深いんですよFは。
そしてアジカンとクルリのカバーもして、アジカンはループループとクルリは魔法の絨毯カバーしてて、うわーって、会場全体盛り上がって、その熱そのままに、最新アルバムのショータイムって曲と、
あとミラクルレボリューションナンバーナインやって、でまたFのフィーバーマンやって、全部フロアぶち上げみたいな曲をわーっと連発してて、すごい楽しかったです。
そうだから、しんみりとか悲しいライブだと思ってたから、そのアジカンの1曲目赤ね色の夕日聴いて、2曲目までは悲しいライブだと思ってたから、こんなにあの、ぶち上がる曲ばっかりだと思ってなくて、楽しいと思ってたんですけど。
アンコール前最後の曲が手紙って曲で、これもFの中に収録されてて、いいんですよね。この曲は。もう何も言うことはないっていう、しんみりですよ。急にですよ。そのフィーバーマンっていう、もうタイトルからしてフィーバーな曲をやった後、急にさ、最後になって、
フィーバーマンじゃないわ。フィーバーマンからの手紙でしんみり終わってって、アンコール来て、その時に、まーくるりの2人と、まーじかんからこっちが出てきて、3バンドで若者のすべてやって、一番最後の締めの曲はスーパーっていう曲だったんですよ。
このスーパーって曲で終わるのが、すごい、希望でした。
いいですね、富士ファブリック。
私正直アジカンはあんまり知らなくて行ったんですけど、
アジカンの背取りがその有名どころをやってくれたから助かりました。
本当に高校時代は思い出したくもないぐらい暗いし、良いことなかったんですけど、
唯一明るい話題として思い出に残っているのが、
富士ファブリックのティーンエイジャーっていう若者のすべてが入ってる3枚目のアルバムですね。
いろんな人に、3人、4人に貸しまくっていたっていう思い出があります。
私全然それ以外もCD持ってたんですけど、その唯一人に貸していたアルバムが富士ファブリックのティーンエイジャーで、
なんかそのなんて言うんだろうな、なんかね、ある意味そんな人に貸すってゴリ押しなんですけど、
このアルバムは人に貸して、もうふとした時に思い出す感じになるんじゃないかなっていう、
変な、変な押し方で貸してって。
まあ、若者のすべてがそういう曲でもあるし、私はそれ以外の、
ほんと、星降る夜になったらとか、ペダルがすごい好きで、
なんかこういう曲がどっかで残ってたらいいなぁみたいな、
なんかそういう気持ちで人に貸してて。
そういう思い出がね、高校時代の唯一明るい思い出としては富士ファブリックの思い出があるので。
そしてまあ、そんなちょっと暗かった高校時代の話もちょっとしているリスニュースの方、
ぜひ11月10日の回聴いていただけたらなと思います。
本当に近藤さんと杉部さんと話したのは、いい日で、
こう、自分の心に残しておきたい言葉をたくさんいただいたような日でした。
その後で、また色々考え込むこともあったり、感情的になることもあったりしたけど、
なんかこう、またもう一度っていうか、
人生の捉え方を深められたからこそ過ごすことができたりしてた日々です。
なんかそう、そのゼミの先生と話した時に、
まあある意味愚痴みたいにもなっちゃったんですけど、
そのゼミの先生にも、なんか私が思ってないようなことを言われて、
その体力あると思ってたって言われて、
私本当にそんなことないんですよ。運動部でもなければ、なんでもなかったし、
体育なんか万年三か四、あの、お慈悲で三か四だったから、
体力なんかないんだけど、なんか倒れそうで倒れないねーなんて言われたりとかして。
あとそのゼミの先生に、辛そうな話をしながら、してる時に笑いながら話すん、
っていうのがすごい気になってるって言われて。
それは、そっちもしんどいだろうなーって言われて。
その自虐癖みたいなところを指摘されて、ああそうかもなーって思って。
だから、なんか本当に新しい視点、なんて言うんですかね、新しい言葉をもらってて、
なんか自分としても、そういう言葉をこうすっと受け止めて、
それでまた自分のこと考えてみたいな、なんか新しい10日間だったなーって思います。
だから、なんか今、本当にフジファブリックのスーパーみたいな曲が気持ちよく聞こえるし、
なんかフジファブリックの曲で、今、染みるのは、ライフっていう曲ですね。
これもライブでやってたんですけど、いい曲ですね。
また、荷のつく日には、庭が庭かに広い庭を開きますので、お楽しみに。
では。