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こんにちは、ninjinkunです。
声日記の更新が結構間が空いてしまって、
ちょっと、あの一部の方には心配されたりもしていたようなのですが、まずご心配をおかけしました。
普通に無事にいて、今は日本の自宅に帰ってきて、家から撮っています。
それで、えーと、もともと確かインド日記をですね、3日分まで上げていて止まってたんですけど、
その間に取りためた3日分があったので、それはさっきアップしたんですけど、
6日からまでが上がってて、7日以降、じゃあ何をしてたのかっていうところなんですが、
まずですね、あの、盛大にお腹を壊しておりました。 ついにやってしまったという感じですね。
で、今、あの日本の自宅ですけど、今でもちょっとお腹痛いですね。
昨日、あの、内科に行って、胃腸専門のところで、あの、見てもらって、薬をもらって、
まあ、急性腸炎でしょうと言われて、たぶんね、そんなに珍しいものじゃないと思うんですけど、薬をもらって、
とりあえずそれで、ずっと下痢が出てたんですけど、それはどうも止まったっぽいんですが、
まあ時々ちょっとお腹痛いという感じで、今、まだ俺はインドと戦っているという感じになっております。
で、今日はそこにつながるまでの話、残りの7日から9日、9日にインドだって日本に来てますので、
どんなことがあったかをお話ししようと思います。
で、まず、えっとですね、7日目からなんですけど、この日はバラナシという町まで移動する日でした。
バラナシというのはですね、あの、ヒンドゥ教の聖地でして、ガンジス川のほとりに立っていてある町で、非常に歴史が古いことでも知られる町です。
で、すべてのヒンドゥ教徒は1回は行きたい町という感じなので、昔のオイセさんみたいな感じかなと思います。
で、えっと、まあここに行くのは、あのガンジス川を見たかったからというのと、そこで行われる
ブジャーというですね、あのガートという場所でお祭りが、祭りっていうかイベントというか催しが毎日行われているので、これを1回見てみようということで、
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行くことにしました。同僚のインド人からはですね、なんでそのとこ行くんだっていう感じに言われて、どうも行きたがるのは外国人ばっかりのようです。
あのいろんな情報を集めた結果と、まああとインド人ですよね。なので、えっと普通に、あのなんだろう、インドに詳しい人からすると、
まああの興味があったら行ってもいいけど、あの別にガンジス川だったらもうちょっとニューデイに近い町でも見れるからそっちでもいいんじゃないみたいなことを言われたんですが、
とりあえず行ってみようという感じで行ってきました。ここには飛行機で行ったんですけど、
国内線ですね。行きはエアインディアのエアインディアエクスプレスという多分LCC的な、
LCCラインみたいなのがあって、これで行きました。朝の10時半ぐらいの便で行ったんですけど、もうホテルをチェックアウトして、えっとウーバーで、
あ、ウーバーでは最寄りのメトロの駅まで行って、そこからえっと結局エアポートメトロで行きましたね。
ウーバーで空港まで行ってもそんなに高くなかったんですけど、あの結構デリー近郊が渋滞することが多いのでちょっと怖いねとなって、あのメトロを使えば確実に行けるのでメトロを使いました。
で、行って最初にあの空港でですね、ちょっと余裕があったんでご飯食べたんですけど、ここであのちょっとフードコートみたいなとこあったんですが、
えっとタンドオリモモというですね、モモってあのあれですね、あの何て言うんだ、
中華ですよね。インド中華っていうジャンルがあるんですけど、インドに中華料理が入ってそれが若干カスタマイズされているものですけど、
モモはだからえっと餃子じゃないな、饅頭的な、はい、えっと何て言うんだろうね、
皮で包んだ肉的なものですよね、いろんなとこにありますけど、
えっと、それでえっとそのタンドオリモモってやつを頼んだらこれがすごい美味しくて、その
なんて言うんですかね、餃子とか小籠包的なものかな、でも肉汁がそんなにあるわけじゃないんだけど、えっとそういうえっと肉のあんを皮で包んだものをさらに
あのタンドリガーまで焼いてスパイスを塗ったもので、非常にカリッとしてて、
そうなんかあんまりこの皮のもちもち感はですね、あの抑え目というか焼かれているので表面はそんなにカリカリなんですけど、中はちょっともちっとして肉汁とえっとあんが入ってて、
でさらにスパイスの味もちょっとするという感じでひと手も美味しくて、タンドオリモモは感動しました。
でえっとインド中華美味しいなとなって、それから飛行機に乗り込んで、えっとそのままあれですね、1時間半ぐらいかな、
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のフライトでバラナシ空港に到着しました。これがですね飛行機だと1時間半なんで、まあ東京大阪ぐらいなものなんですけど、
電車だとえっとですね一番早い電車で89時間か、でえっとちょっと遅い電車だと11時間ということで、
多分鉄道網が古いものをそのまま使っているのでスピードが出ない路線なんだと思います。あの貧乏旅行を演出するバックパッカーの方は鉄道にこだわるようですが、
最近は航空機もそんなに高くないので、えっと1人片道7000か8000ぐらいだったので、まあ我々としては電車よりは飛行機かなというところで飛行機で行きました。
でえっと着いて、そこからウーバーでホテルまで行って、でホテルでチェックインし、このホテルがですね、
まあ中級クラスのねホテルだったんですね。値段は1人、
1泊で2人、まあ2人で1部屋でえっと15000円ぐらいだったんですけど、どうも結構変動してるっぽくて、
直前だったらもうちょっとあの1万円切るぐらいでもどうも取れたっぽいので、なんとなくそれでホテルのグレードがわかる感じなんですけど、
その前まではですね、5星のホテルに泊まってたので、まあグレードはあの結構落ちたんですけど、まあその分
あのなんですかね、あんまり構われないで快適というか、まあそれなりに心地がいいホテルだったんで、まあいいんじゃないかなという感じですね。
えっとそう前のホテルは水のボトルの水とかいっぱいあったり、えっと
そういう感じだったんですけど、ここは水は1本だけあって、あとは有料みたいな感じだったかな。
それでここで着いて、ちょっとぐったりしてですね、この日は夜にその
ルージャーの見学のツアーを予約したので、夜までちょっとだらっとしようということで、自分はあのちょっと街を見に出てみて、
ついでにビールでも買ってこようと思って出かけました。 でここはですね、前のニューデリーと比べると、
まあ汚いと言えば汚いかな、あの舗装されてない部分も結構あったり、 まあ舗装されている部分が多いんですけど、あの道も
まあそもそもですね、路肩みたいなものが少なくて、で ニューデリーは一応路肩があって、もっと道路は広いんですけど、ここは道路はすごい狭い。
多分古い街だからですね。ニューデリーはバッチリ都市計画して作っている感じですけど、ここは割と自然発生的に生まれている感じの道が多いです。
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で、印象的だったのは周りがやたら建材屋さんが多くて、
とか建材とかパイプとか、あとはなんか便器を扱っている店とか、何か家とか建物を建てるのに使うものを売ってる店が多かったですね。
で、まあそんな感じでうろうろして、ただあんまりですね、声をかけられることがなくて、あのニューデリーだとですね、
フラフラしているとすぐに、あのツクツク乗らないかみたいな感じで声をかけられるんですけど、ここでは自分がフラッとした感じではそんなに話しかけられず、
ジロジロ見られはするんですけど、そのままフラフラできるという感じで、歩きやすい街だなと思いました。
ただまあ時々すごい生ゴミの匂いがしたりとか、そういう感じで、ニューデリーよりは綺麗ではないっていう感じですね。
はい、ここでお酒を探しに行ってリカーストアで検索して行ったんですけど、あのどうもワインショップっていう概念があるんですけど、ワインショップっていうところに行くと、
あれですね、ウィスキーとワインはあるんだけどビールがないっていうことが分かって、そこへ聞いてみたら向こうの方なら売ってるよって言われて、
行ってみて、ここかなっていう感じで行ったんですけど、よくわかんなくて、その横にまたワインショップがあったんで聞いたら、そこだそこだって言われて、
なんかあの鉄格子というか、なんかそのガード用の柵がはまっているところの奥になんかでかい冷蔵庫があって、
で、あの柵からお金が入れられる、ちょっと窓が開いてお金が入れられるようになってて、すごい怪しい場所があるんですけど、どうも多分これがビールスポットだなと思って、
あのインドだとやっぱお酒はちょっと隠される傾向にある気がしますね。で、アイスは満載なんですけど、
ここはその前にいたおっちゃんに話しかけたら、ビール買えるよと言われたんで、
よくインドで飲んでいるキングフィッシャー500ml缶を3本、1本、これはね130ルピーぐらいでしたかね、はい、これを3本買ってきて、
5億で帰ってきました。はい、それで、えーと、それから確かあれですね、そのツアーに出かけたんですね、夕方から。
で、この時も日本語が喋れるガイドさんをつけてもらって、結構そのバラナシをいろいろ解説してもらったんですけど、
あの、車の運転もついていて、ここでガードを見に行って、ガードっていうのはですね、川の横に
いろんな段ですね、あの川の中まで続いている段差の階段があって、その階段でみんな目浴をするんですけど、
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そういう場所がいっぱい、あの、ガンジス川のほとりにあるんですね。で、それぞれをガートって呼んで、そのガートごとにプジャのお祭りの内容も変わってたり、
ある場所は達成が禁止だったりという感じで、あとはですね、お金を取る場所とか、僕らが入った場所もどうも展望台というか見学できる台だったんですけど、
ここも多分、有料の場所だと思いますね。上からプジャが見学できるいい席だったんですけど、有料だと思います。
ここに入って、バラナシ、その名物のプジャというのを見てですね、これはですね、なんというか、ずっとそのお坊さんたちがお祈りをしてるんですけど、
ちょっとある種ライブというか、太鼓とか楽器がどんどん鳴らされて、お坊さんたちの歌が歌というか、お経が歌みたいにですね聞こえて、非常になんていうんですかね、
あの、上がると言いますか、乗れるようなライブ的な感じで、途中で手拍子をしたりする感じで、
みんなで手を挙げるプジャ変座的なことをやったりとかですね、非常にライブ的なパフォーマンスでした。
お坊さんたちも、5,6人ぐらいのお坊さんが火を持ってこのステップを踏んで、ダンス的なものを披露していたり、
あの、なんですかね、そういうこう派手なパフォーマンスでしたね。
なのでここは非常に外国人にも人気があるということで、かなり外国人の人もいましたし、インド人の人もいっぱいいまして、とてもすごい人が詰めかけていて盛り上がるイベントになってました。
これが日没から始まって1時間ぐらい続いたのかな、はい、その間ずっとそのどんどんピヒャラ音が鳴って、あのライブが行われてですね。
で、歌詞の内容をそのガイドの人に色々聞いてみたんですけど、このまずはガンジス川を叩いてますということで、やっぱりガンジス川ってそのインドで一番格が高い川とされてて、
他にもあの川は信仰の対象なんですけど、あのガンジス川がトップであると。なんでまずはガンジス川、彼らはあのガンガーって言いますけど、ガンガーを称えるのがまずメインできて、その後であの様々なヒンドゥの神様を称えることが盛り込まれてますと。
例えばその人気があるシーバーとか、えーとなんだっけ、神様のね、すぐ忘れちゃいますけど、はい、まあそういう神様たちをみんな称えていって、あとは世界平和についてのために祈ったりとか、そういうこともされているみたいで、あのお坊さんたちもですね、川の方を見ながらあのお祈りをさされていて、
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なのでやはりその川のための崇拝であるというのがあの非常に顕著に表現されてましたね。はい、これはあのずっとあの見てたんですけど、あのとても面白い体験でした。
はい、結構動画とかも撮っちゃったりして、あのまあまあ楽しみましたね。で、えーと、その後で、えーと、なんだっけな、あとそのワラナシの街歩き的なことをちょっとしたんですけど、我々が行ったそのガンジス川の仏っていうのは旧市街にあたるとこなんですけど、あのここはですね、あの一部というか川沿いのとこはもう車が入れなくて、歩くしかなくて、
えーと、まあちょっと川までですね、15分くらいかな、歩くんですけど、なので結構入りづらいとこなんですけど、もうそこに人が占めてて、で、もう本当に毎日お祭りみたいな感じですよね。祇園祭みたいな感じです。あの屋台やら、屋台というか、その露店やら、えー、そのお土産物やら、えー、がその道の両脇にあって、そこを人が練り歩いてて、
で、さらに、あの、そこから路地に入っていくと、そこにもさらにお店がいっぱいあって、で、まあガイドの人が、まあ、あの、だいたいこう予想はついたんですけど、もう知り合いの店に連れて行って、この、こういう的なもの、あの香りがついた油ですね、を買わないか的なのがあったんですけど、我々はもうそういうのはちょっと疲れてたんで、まあ、あの、いいです、買いませんって言って出てきて、えー、まあ買わないってなると、みんな結構朝に引き下がるんで、えー、まあその、で、
えーとですね、なんて言ってたかな、そうそうそう、あの、面白かったのが、あの、わらなしは、あの、昔はその、王族とか非常に裕福な人たちが、あの、あの、余生を過ごすために住んでて、なぜなら、その、ガンジス川で、えー、ガンガンの近くで死んで、ガンジス川にその灰を撒かれるというのが、まあ、ヒンドゥ教の、あの、最大の名誉というか、はい、
あの、美徳だとされているので、えー、ここで余生をみんな過ごしたかったと、で、今は、えーと、それが老人ホームに変わっていて、えー、老人ホームがここにはいっぱいあり、えー、そこで、えー、なので、まあ、最後の、あの、終焉を迎える場所として、ここで老人ホームに入る人がすごく多いんですと、
で、えーと、今、この、売ってる土産物とかは、あの、手作りのものは、そう、老人ホームの人で、例えば、あの、夫に先立たれた人とかが、あの、少しお金を稼ぐために作ってるものとかが結構あるんですよって言われて、なるほどなぁと思って、あの、老人ホームかという、えー、なんですかね、あの、興味深いなと思いました。
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はい、まあ、こんな感じかな、もうその後は、あの、そうですね、あの、我々は何も、あの、何も買わなかったので、そのままシュッと、えー、ホテルまで、えー、帰ってきて、送ってもらい、あ、そう、でも、帰りが、あの、やたら、あの、渋滞してて、その、途中で、あの、僕らが向かう先の道で、おそらく何か、事故かなんかあったんですかね、あの、どうも、道が封鎖された場所だったので、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの
あの、あの、あの、あの、あの、あの
に入ってですね
いるところかですね
あ、あの、あの、調べた
2 meng
あの道路に出たんですけど
そこで
えっと我々が
えっと
出て
右折しようとした
ですね
日本と同じ左責任なので
えっと
2
でたあとしたんですけど
そこでたまたその来てたそのオート歴史車とかと完全にちょっとロック状態になってしまって でえっと我々がそのまあ右折したいんですたくて道の真ん中もぐらいまで出たんですけど
えっと ちょっといろんなあの歴史車が間に挟まって動いてなくなってしまって
そしたらですねあの結構あの車のあの 後ろのえっと部分をバンバン叩かれたりしてお前ら早けって感じでこれは結構怖かったですね
はいなんでそういう目にもありました でそういうふうにあのスタックしてる間にいきなり牛が横から塗って現れてそのまま歴史車の間を塗って消えて
いくみたいな非常にシュールな感じもあり あのインドではね牛がたくさんその辺をうろついているんですけどこの人たちはあの
どうも話によると野良の牛で a 女牛はそのミルクを取るために重宝されるんですけど
牛はあのあんまり用途がないインドでは牛食べられないので用途がないのでどうもあの 勝手に放り出されてしまい野良化するという現象がらしく牛は至るところにいます
はい牛がぬっと出ていって a でまぁいろいろ何分か経って我々もそこを抜けられて
ホテルに帰って一安心できました
あとあのこれまでの経験からどうも我々が払っている あのチップの額が渋いのではないかという結論をですね妻と話して出して
この時はガイドの人と運転手さんにチップはそれなりに弾みました 多分が30分3時間のガイドとしたちょっと多めぐらいかなっていう感じなんですけど
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あのニコッとしたんで正解だったっぽいですね まああの何も買わなかった分悪いなというのもあってはいそういう感じでした
はいもうね7日目についてもう全部一気に喋ろうと思ったんですけど7日目に ついて話してるだけで20分経っちゃったんで
今日はとりあえずこのあたりにしておこうと思います ありがとうございました