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みなさんこんにちは、ニュートンのゆりかごです。
ニュートンのゆりかごは、毎回パーソナリティが今話してみたいゲストと会談を行い、そのゲストに次回のパーソナリティを託すリレー形式の番組です。
今回は私、たまが、Michiさんをお迎えしております。どうぞよろしくお願いします。
こんにちは、よろしくお願いします。
Michiさんとコテンラジオのコミュニティでお会いして、
今回お話ししてみたいなって思ったのが、私がすごい印象的だったのが、最初コミュニティで右も左もわからないみたいな時に、
哲学の部屋かな?何かのところで、私がたぶんいろいろ日本文化のことを書き込んだりしていたときに、
その後にあったオフ会かなんかで、たまたまお会いして、覚えててくださって、
私はそのとき誰が誰かも全然わからなくて、必死な状態でいた。
印象的でした。
そこで、たまたまさんって言ってくださったのが、すごい嬉しかったのが。
ありがとうございます。他の人そっちの毛で、はなちゃんのグループで語録員になったときに。
そうでしたね。
他の人そっちの毛で話しちゃって、私も。
ちょっと周りが置いてかれたって、それはそれで失礼だったなって思ったんですけれど、
たまたまさんのことはすごい印象に残ってましたね。
もともとたぶんお茶の話とか日本文化部屋とかの、書き込みをされてて、私もちょうどお茶をやっていたので、
やっていたというか、今ちょっと中断しているんですけど、
やっているので、すごい伝統文化みたいな、日本の文化に興味があって、
そんな中、たぶんご自身の自己紹介かな、そのところに習い事がバババって書かれてて、
わ、すごいたくさんやってる、しかも全部和のやつだって書いてある。
それでインスタを見に行ったら、すごい和装の写真がいっぱいあったのと、お着物ね、たまたまさんいつもお着物。
今365日ですか?
そうですね。仕事を辞めてから毎日着るようになって、ちょうど1年ぐらいになりますかね。
すごい。なかなか出来ないですよね。でももう実行されてるから。
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私にとってはそれが楽やったんですけど、
私はこの間、スナック編合でもご一緒させてもらって、
アート文化誌でルネサンスの話をしてくださったじゃないですか、
そういう西洋美術だったりとか、現代アートっていう方にすごく詳しいのかなと思っていて、
なんとなくそういうイメージがあったので、
日本文化とか、私が書いてることってすごくファイナーな感じがしていて、
そこにすごく食いついてくださったのが、なんでなんだろうとか思ったりして。
確かにそうですよね。でもそうなんですよ。両方の側面ですね。
なんか、もともと確かに私は絵を小さい頃から書いていて、
それが油絵だったりしたので、中学生ぐらい。
小学校高学年ぐらいから絵画教室では油絵を習わせてくれるっていう、
そういう絵画教室で油絵を書いてたんですけれど、
そうすると自然に西洋絵画の方に詳しくなっていく。
そうかそうか。
そうなんですよ。そんな中でずっと一しきりというんですかね、
20代ぐらいまでは、両方着物とかも興味はありつつも、
メインは美術だと西洋美術史みたいな感じになって、
そこに興味を持っていったんだけど、それをやると反対といったら変ですけどね。
逆に今度自分の国の文化とかってどうなのかなみたいな、
そういうところから興味というか、
未知の未着手のエリアがあるっていうのは認識してて、
知らないけど魅力的な感じはするなみたいな。
でもそんな中で、実はうちの母親がもともと、
お茶とニチーブとお花をやってる人だったんですね。
だから家にそういうものがあったはずなのに、あんまり興味を、
あえて首を突っ込まなかったりして、
でも大人になるにつれて、東洋というか日本の美とか、
あるいはその伝統文化とか、あるいは習い事という意味での学習体系みたいなものに、
がどうやら西洋のそれとはやっぱり違うなって。
で、なんかこう習い事っていうだけあって、
割と見て目で盗むというか、先生を習う感じですよね。
日本の物事の学習体系っていうのは、お手本とか指示する先生がいて、
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その先生から文章ではない形でその技術を引き継いでいくみたいな。
そういう学習体系が西洋のそれと全く違うっていうことに、
そういう部分がすごく面白いなって思ったんですね。
でもとはいえ、日常生活でそれをなかなかやる余裕っていうのはなくて、
本当はその日本の芸術っていうのは日本のフードとか生活習慣から養われたものであるのに、
それが習い事として非日常としてしか体験できないっていうところが、
なんかそこにギャップがあるなって思ったんだけど、
たまさんの自己紹介とインスタを見たら、それを日常でやってるので、
体感としてどんな感じなんだろうっていうのがすごく興味をそそられたんですね。
なるほど、日常として。
私はお稽古の時間っていうのはある意味日常にリズムを作る存在みたいなものかなと思っていて、
それがあることで生活にメリハリを作っているみたいなところもあったり、
あとは先生の生き方に触れる時間っていうので、
普段の生活で接する人とはまた違う感じの尊敬のあり方がある人と過ごせる時間っていうのがすごく貴重だなと思って、
なるべく私が大事にしたいと思っている人と過ごす時間を増やしていきたいなっていうところも多分あるし、
いかにしてそういう人に近づいていけるかっていうのを、
私自身がたぶん自分でルーティンを作っていくっていうことがあんまり得意ではないので、
お稽古っていう形だとその稽古日がやっぱり決まるので、
そういう意味で嫌悪なしに自分の体に蓄積されていったときに、
私がどうなっていくんだろうかっていう興味のところで続けているのはすごくありますね。
なるほど。
でもなんかその尊敬する先生との付き合いをっていうところはすごいよくわかるなって思ったのが、
私も40になって、私今44なんですけど、40になってからお茶を習い始めたんですよ。
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で、それはやっぱりなんか支持が欲しい。支持する人。
支持が欲しいなって思ったんですよね。
誰かその、どちらかというと会社での仕事っていうのは、
名前の人がいるけど議論の中では対等というか、お互いに意見を出し合うことを求められる。
意見を言うことを求められるんですけれど、
それよりそういうこととは別に、問答無用でその人から習うっていうことをしてみたいなと思ったんですよね。
なんでしょうね。
だからやっぱり尊敬する人っていうか、
師と仰ぐ人の存在が欲しいって思ってお茶を習い始めたっていうのはちょっとありますね。
すごいですね。
さっき言っておられた、日本文化の学び方と西洋の学び方っていうのの、
みちさんが思われる違いっていうのはどういうところにありますか?
そうですね。
暗黙地と形式地ではないんですけれど、
西洋文化ってやっぱり記録とか言語っていうものが書くというか、すごい重きを置いていて、
仕事の中でも記録が残っていないと、それは起こったことを見なされない時とかがあるんですよ。
記録に残っていないと、議事録のようなものが残っていないと、正式な発言として認められない時とかがあって、
それって西洋文化の言語を重視する、あるいは記録とかを重視するものの最たるものだなって思う。
し、当然のことながら今の大学だってテキストがあるわけですよね。
で、お茶にせよ、お花にせよ、探せばテキストっていうのはあるけれど、
そのお稽古の場ではテキストの比重ってものすごく小さいですよね。
学校教育の現場でテキストを見るのと比べると、むしろ先生が注意してくれたりとか、
もっと言うと先生がやってることを目で盗むみたいな、
そういう意味での、そういう形で教えて、教わっていくっていう感じですよね。
確かにね、それはすごい大きいですよね。
だからその形式化されている地っていうものが、西洋の学習体験においてはものすごく大事で、
文章に書き起こされたものをそれぞれが文章として学んでいって、実践していく。
東洋というか日本の特に習い事なんかは、
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そこに入ってとか理由とか説明なしにまずやってみせられて、
それを自分の体で体得していくっていう、そういう比重がすごく大きいから、
さっきのちょっと前の話に戻ると、意見を求められるっていうことがあんまりないのかなと。
そうでもないのかな。
ないかもしれない。
とりあえずやってみる中で、自分でこうかなって思うことがあったとしても、
確かにこれをどう思うって聞かれることはないですね。
そうですよね。
それの良し悪しが両方あると思うんですけど、
そういう西洋のコンテクストというか見識値を中心にした学習っていうのも面白いと思っている一方で、
ちょっと違うそういう技術の身につけ方っていうものを体験しないとさらに言うとわからないじゃないですか。
テキスト化されてないから。
やらないとわからないわけですね。
だからなおさら体験とか体感っていうものが重要になってくる日本の学習体験っていうものがすごい入らないとわからないんだなみたいな。
その中に入ってみないとそれが理解できないものなんだろうなと思って、すごい興味がありました。
とはいえやっぱりその時間が必要になっちゃうから、
勉強、即読じゃないですけど、効率的に何かをするっていうことにはならないので、
それはやっぱり実践しないといけなくて、それが一つの難しさになってくるのかなと思います。
そんな中で毎日毎日着物を着てとか、結構舞踊とかもすごく長くされてますよね、この前。
20年がもうちょっとに多分、流派が途中で変わってるんですけど、その前から考えると、
たぶん小学校の4年生とかからやってるので、20年ぐらいになると思いますね。
だからそうすると、なんて言ったらいいんでしょう、私の想像を超えてますね。
たまたまさんの学習経験の長さっていうか、そういう。
だからどんな、想像するしかないんだけど、本当どんな感覚なのかなとか、すごく興味があるんですよ。
いいんでしょうね。
特に脳が私好きだっていう話を以前させてもらったと思うんですけど、
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お脳が好きなので、何より多摩さんのインスタの中で、
お脳の中の一つの区切り、有名な節を踊っているお稽古の動画がものすごく鮮烈な印象に残ってて。
見ることないですよね。あんまり見ることがないですよね。
お稽古動画とかの様を見ることってないですね。
舞台を見ることがあっても、お脳の稽古の様を見ることはないし、
その映像って前の方に先生、男性の先生がいて、後ろに多摩さんがいて、
先生と一緒に踊るんだけど、すごい印象的だったのが、
くるって回るんですよね、二人で。
ある節があって踊っている最中に、先生も多摩さんも同じタイミングでくるって回るんだけど、
多摩さんは先生の様を見て、自分のくるって回った最後の角度がわずかに自分の方がずれてたんですよ。
それを見て、パッと座る角度を直したんですね。
そこに、やっぱり見て、今の自分の角度は先生のよりちょっと違うって認識して、
一応挑戦したりとかしてたから、まさに習うというものを、
その動画を見て、これがまさに習うってことなんだろうな、みたいな、
そういう印象を持ったんですよね。
それが、素振りがものすごくかっこいいっていうのもあったんだけど、
その仕草、一連の動作にすごい、おーって思った。
東洋の学習形態だ、みたいな。
そう。
それって相手のことが見えてて、自分のことが見えてないとできないから、
なおさら、修練の賜物なんだな、みたいな。
そう。
そんな風に思いました。
結構知っていて、やっぱり全神経を集中して、いかに先生と同じようにするかっていうことは、
本当に、おのおに関して言えば、1対1で稽古をつけていただくっていう、
その貴重な時間をいかに自分のものにして吸収するかっていうのが、
先生の積み上げてこられた時間だったり、その技術がその一瞬の動きに入っているっていう、
いかに盗めるかみたいなのは、ものすごく見ているし、意識をするようにはしていて、
以前なんかちらっと先生に伺ったら、やっぱりそれができる人もできない人もいるし、
その人それぞれなんだけど、やっぱりそこがどれくらい意識できているかで、
上達度がものすごく変わるんだっていうふうにはおっしゃっていて、
さっきのところに戻ると、子供の稽古とか見てると、でも子供って多分最初はみんな真似をしますよね。
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そういうのを思うと、もともと見て考えて真似してっていうのは、
なんか持ってるもんなんかなっていうのも思って、
それをどうやって伸ばしていくか、集中してそこに特化するかみたいなところの稽古をしているような気もしますね。
それはわかります。お茶を見てても、お茶の稽古を見てても、
人によってやっぱり先生の真似をできる人と、
要はだから自分の身体イメージをどこまで客観的に見れているかっていうのが、
人によって全然違うっていう、それがやっぱりその人の仕草に現れるんですよね。
だから、そういう経験というか、そういうもんなんだなって思って、
あの動画を見たときに、すごいお稽古慣れしてるって言ったんですけど、
すごい長い期間お稽古をしてきた人なんだろうなって思ったんですよね。
どう見るかっていうと、またそれに加えてどう再現するかみたいなところで、
もう一段階必要になってきて。
あの動画の手前に鏡があるわけじゃないんですよね。
鏡はあるの?
ないです。
そうですよね。だからね、それもびっくりしたんですよ。
だから、どう考えても能舞台の手前から撮ってたと思うので、
そうでもないのか、お稽古の現場、たぶん鏡はないのに、
先生の角度を見て自分の角度が違うって、しかもちょっとだったんだよね。
わかるんだと思って、そこもすごい驚きましたね。
そういうのの一連の動作がとにかくかっこよかった。
なので、すっごい印象に残ってますね。
なんかそういう、そうですね、あとはそうだな、ちょっと聞いてみたかったことがあるんですけれど、
もちろん、踊りながら美しさというものをどう感じているのかなっていうのは、
たぶん舞台としては美しく舞いたいっていう気持ちはあるんじゃないのかなと。
それは、もちろん先生の舞を美しいと思っていれば、もちろんそれはそうなんですけど、
たまさんの中でその自分自身をより美しく舞いたいとかっていう気持ちがあって、
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なんて舞ってるっていうんですか、先生のを勘コピしようと思っているのか、
それとも先生のをコピーしようと思いつつ、自分の仕草が美しくなるように舞ってるのか、
どっちなのかなみたいな。
えっと、ものの中で言えば、
たぶん圧倒的にやっぱり男性と女性の体が違うっていうところもあって、
特に若いので結構動く曲をさせてもらうことが多いんですけど、
その場合はもう極力自分のできる範囲で先生に近づくっていうことがやっぱり目標ではありますね。
それ以上の工夫をできる段階にもならないっていう感じですね。
でもそうなんだ、ありがとうございます。
で、日本舞踊とかに関しては、今やっているイナウエルはもともと女性の舞で、
女性だけがやってきたものではあって、
私自身が発表の場っていうのを作らないと覚えないこともあるので、
時々自分主体で小人数で子どもに見てもらうとか、
知り合いに見てもらうみたいな会議をしたりすることがあるんですけど、
その舞っている最中っていうのはあまり考えていないですね。
なるほど。
いかにその稽古をして、その動きを自分の体の中に落とし込めるか。
先生がおっしゃったことっていうのをいかに自分の中に落とし込んで、
それが思わなくても出てくるぐらいにできるかみたいなところは、
やっぱりものすごく大事なところであるのかなと思っていて、
多分私がそうやって一生懸命真似ようと思ってやっている中で、
どうやっても私の体っていうものがあって、きっと私の癖っていうものがあって、
でもそれだから私にしかできない曲っていうものになっているんだろうなっていうのは思います。
面白い。ありがとうございます。
何でそんな質問したかっていうと、
私からするとものすごい魅力的なんですよね。
ダンスというか、脳にせよ、不要にせよ。
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それってどこからその魅力というか、美しさが出てくるんだろうなっていうのが、
どこから出てくるかっていうと、
脳にせよ、不要にせよ。
それってどこからその魅力というか、美しさが出てくるんだろうと思ったときに、
見せてっていうんですか、踊り手が、
これはこう舞った方が美しいって思って舞っているのか、
振り付けと言ったらええんですけど、
規定された動きっていうものがあって、そのものが美しいのか、
なんかよくわかんないなと思ったんですよ。
でも、そうすると肩がまず美しくて、
でもそれ以外に何か味を乗せようとしているわけではなく、
それを一生懸命修練することによって、
まずその肩の美しさに行き着く。
それに個性と言ったら変ですけど、
さっきタマさんが言ったみたいに、
いや往々なく出てしまう自分の体の好きだったりとか、
癖とか、そういったものがスパイスみたいな形で出てくるっていう感じの構造になってるんですね。
そんな風に私は感じていますね。
とても羨ましいし、やればいいんですけどね。
もうちょっと気軽にできるような形になればいいのになぁと思っていて、
それこそ子供のうちに触れてみるぐらいのことだったら、
きっとまだ難しいとか、お金がかかるとか、
そういうことを思わないうちに、
先人たちの残してきた、言うたら身体値みたいなものだったりっていうのを、
ちょっと感じることができたら、
なんか日常の動きと違うことをしてたんだなっていうのを、
なんかその中から気づけるものがあったりするのかなぁとか思って、
なんか、はい。
それは、
なんかいろいろ話を聞くはずが、いろいろ聞いてもらうような感じになってしまいましたが、
では、本日はたくさんお話しできて楽しかったです。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。本当に楽しかったです。
はい。
それでは、また次の動画でお会いしましょう。
はい。
ありがとうございました。
本当に楽しかったです。
はい。そして、次回ですね、またゲストを今度はみちさんに呼んでいただいて、
収録という形になるんですが、お次は。
はい。
私ですね、やはりコテンラジオのコミュニティの、
最近というか結構前からポッドキャストを始められている紫さんに、
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お声掛けをさせていただきました。
なので、紫さんとお話しします。
はい。どんなお話になるのか、とっても分かってますね。
そうなんですよ。
ちょっと、まずは紫さんのポップキャストを聞き始めるというところから。
紫の波ですね。
そうですね。
はい。私、紫さん。
こんな感じで。
はい。
あの、ちょっと変身動画、変身するちょっときっかけみたいなことがすごい好きですね。
なんか美容のやつですか?
はい。
そういう回がある?
はい。
本当に?じゃあ聞いてみます。
また次回も楽しみにしています。
はい。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
さようなら。