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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見、ご感想、ご依頼は公式Xまでどうぞ。
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さて、今日は永井荷風さんのですね、
冬日の窓。 冬日、冬の日の窓、冬日の窓というテキストを読もうと思います。
イントネーションあってる? 冬日、冬日。
えっと、真夏日、夏日、まあ冬日、冬日。 冬日、冬日の窓。
ですね、難しいな。 永井荷風さん、小説家、随筆家。
明治36年から5年間、アメリカやフランスに留学。 アメリカ物語、フランス物語を執筆した。
文壇に浸風を吹き込み、後、慶應義塾大学で主任教授となり、教鞭を取った。 という方ですね。
結構、僕もこの前まで何人か読んだ人たちが、荷風先生、荷風先生というテキストを参見したので、みんな尊敬してやまない人でしょうね、きっと。
またイントネーション忘れた。冬日、冬、まあ冬日、冬日。 冬日ね。はい、それでは参ります。
冬日の風景
冬日の窓。窓の外は隣の家の畑である。 畑の彼方に、その全景が一目に眺められるような適当の距離に山がそびえている。
山の一方が低くなって、樹木の梢と陣下の屋根とにその麓を隠している辺りから、湖のような海が家よりも高く水平線を横たえている。
これが畑の町外れのある家の窓から見る風景である。 9月の初めから私はここに戦後の日を送っている。
秋は去り、年もまた日に日に残り少なくなっていこうとしている。 しかし私の部屋にはまだ火鉢もない。
けれども窓に寄る手先もさらに寒さを感じない。 日は目の届く限り、畑にも山にも空にも海にも、
くまなく公平に輝き渡っている。 思い返すと空の青さは冬になってからさらに濃く、さらに明るくなり、
山は一層その輪郭を鮮やかに、 その重なり合う園芹と樹林の新鮮度を明らかにしたように思われる。
初め、熱海の山は、櫛と松のみに覆われているように見られていたが、 冬になってから暗緑の間にちらほら黄ばみを帯びた紅葉の色が見え始め、
日にもしその範囲が広くなるにつれて、 その色もまた細やかに染められていく。
目近く窓の外の畑に立っている柿の紅葉は、 梅や桜とともにすっかり落ち着くし、
カバ色した榎の梢も大方まばらになるにつれ、 前よりもまた一層広々と、一面の日当たりになった畑の上には、
大根と冬菜とが、いかにも風土の恵みを喜ぶように、 威勢よくその葉を伸ばしている。
時わぎの茂りの並び立つ道の彼方から、鳥の声が聞こえる。 私は長年住みなれた東京の家にいたときにも、毎年小春の日光に山吹きの花の帰り咲きをするのを見れば、
いつも目新しく祖国の風土と気候とに関して、 言い知れぬ懐かしさとそれに伴う感謝の念を覚えてやまなかった。
日本の気候と歴史
日本の冬の明るさと暖かさとは、おそらく多島海の牧心をしてここに来たり、 遊ばしむるもなお、心よき夢を見させる魅力があったであろう。
柿の葉は花より赤く、みかんの熟する畑の日当たりには、どうかとすると絶えがちながら、 未だにコオロギの鳴いていることさえあるではないか。
過去、日本の文学は、先頭の舞台としてしばしば、 伊豆の山と海とを我々に紹介している。
その事実を私は疑わない。しかし今私が親しく窓から見る風景と、 親しく身に感じる気候とは、核のごとき過去の記録をして、
架空な小説のようにしかしすいさせない。 それほどまでに風景は穏やかに、気候は柔らかなのだ。
私は、いかなる神秘な伝説をも、もしあったなら、それを信じるに躊躇しないであろう。 美の女神エヌスの海上出現をギリシャの海から、
伊豆の浜辺に移し、説くものがあっても、あながちそれを高等無形だとは言わぬであろう。 私は昭和現在の時世におもねる心でこれを言うのではない。
日本の自然のあらゆるものは、子供の時からそういう心持ちをさせていたのである。 私はすでに行くたびか、ものに触れ、時に感じるたびたび、
日本の風景、草木、鳥獣から感受する哀愁について、 古来の詩歌、文学を例章として、あくことなくこれを筆にしていた。
詩経の源泉をいつもここから汲み取ろうとしていた。 萩や貴経の花の色と、ホトトギスやシカの鳴く声。
風土固有の動植物までが、いかなる感情を誘い出したかということである。 私は今さら自分の旧著について云々することは欲しないが、
その中に礼章、また父の恩のごとき切削のあったことを記憶している読者は、 容易に私の心境を推察してくれるであろう。
私がここに繰り返して言おうとするのは、 その国の気候風土の架空まで恩和なるに反して、
何故にその歴史が戦乱の断俗によって綴りなされているかということである。 風土の恩和は、何故にその感化を民族の心情に及ぼすことが少なかったのであろう。
私は他の民族との間に起こった戦争については、 事態の複雑多面なるが故にしばらく言うことを避けよう。
我が過去の物語は、寺院の僧都にさえ兵器を携えさせた時代のあったことを教えている。 彼らは鐘を打ち、木魚を叩くよりも薙刀を持つことを名誉となした。
平和は、史上の生まれる以前よりひとたびも受立したことがなかったのであろう。 闘争は人間生活の常時で、
平和はわずかにこれをなさんがための準備期、もしくは休憩期間たるの間なきを得ない。 勝利という言葉は、そもそもいずれの時、初めて人の口から発せられて文字となることを得たのであろう。
詩的な表現
この言語が廃滅して、その意を失う時、初めて真の平和が見られるものと思わねばなるまい。 昨日まで我々は、平和を口にすることを固く禁じられていた。
戦って勝とうがためには、平和は呪詛と見られていた。 戦いに敗れて、人は再び平和を知るに至った。
ある人は敗塾の賜物としてこれを迎えた。 敗塾なければ平和はついに来なかったように思われていたからであろう。
平和は民族の種の絶えはつる時、 冷たい月の光のように、枯れ木と屍等を照らすものと思われていた。
敗塾は我々を救った。 敗塾のために救われた我々の善とはどうなるだろう。
我々は日々、あまりに多くの言論に耳を漏線としている。 言論の声は爆弾の響きに変わったのだ。
そして、生命の不安は依然として変わるところがない。 しかるに誰一人、立って我々の善とを指差し示すものはない。
その人らしく見える者は、昨日まで、かたざる勝利のために我々を欺き、 我々を死地に陥らしめた悪魔の衣装だけを着替えてきたものらしく思われる。
我々の耳にする人の声は、果たして我々を救う目標となすに足りるであろうか。 昨日は戦いのために、今日はひるがえって平和のために。
本地する人の呼ぶ声は、己を取り巻く仲間だけの者を呼び集めて、 平和の賜物を漏断しようとするためかもしれない。
武器の優劣は、何人の目にも見える勝敗の原因である。 隠れた者は尋ねにくい。
日ごとにその言論と行動等を取り替える人たちの情操のごときも、 隠れたる勝敗の原因とまた全く関係がないとも言われまい、
正義観念の確立は、民族の光栄を守る強力の武器である。 これなきところに平和の基礎は起き得ぬであろう。
正義の観念は何によって養われるか。 一度養い得るも。
時あればまたこれを失うことがあるだろう。 100年の昔、
アメリカの船は相模の浜辺に来て江戸の都を脅した。 当時の政治家は国民の一人をさえ傷つけず、
しかもまた明日ともに、 敗軸、暴国の汚名から国を救った。
今日の事態は全くそれと相反している。 原因は何か。
その探求は現在のみならず、将来を戒め、 将来を安全ならしめる道を示す手段になるであろう。
現在の急忙を救おうがために、生態の変革を叫ぶ者もある。 叱らざる者もある。
各見るところ、信ずるところによるのであろう。 これに対して私はただ、ぜひ判別の指揮権にと混ざることを悲しまなければならない。
しかしただ一言。 私は言うべきことを知っている。
ことの勝敗は、そのことに当たる人物の遺憾による、 ただこの一語である。
人物の遺憾とはすなわち、誠実の有無、 正義感の強弱を指すのである。
信念の遺憾を言うのである。 畑に沿う道の彼方に、車の止まる音と村の子供の声が聞こえる。
葉の落ちた梅林を通して、米兵に連れられた日本娘の着物のひらめくのが見える。
冬の日は少し斜めになっただけ、かえって近く照りつけてきたように思われる。 彼らは娘と愛たずさえて、向うに見える山腹のみかん園に登っていくのであろう。
手にする甲冑は娘を喜ばす甘いものに満たされているのだろう。 冬の日は短くとも、彼らが勘を尽くすにはまだ十分の時間があろう。
火の光はもとより公平である。 私もまた窓の明るさ温かさに心急がずこの分を奏し終わるであろう。
爆弾は私の家と蔵書等を焼いた。 私の家には父母のみならず祖父の手にした書館と私が西洋からたずさへ帰ったものがあった。
私は今、辞書の一冊だも持たない身となった。 今よりして後、死の来たるまで。
それはさほど遠いことではなかろうが、 それまでの間、継続されそうな文筆生活の前頭を冒険するとき、
つこぶる途方に暮れながら、 私は西洋と馬上のことを思い浮かべる。
家人となろうがためでもなければ、 また廃家死となろうがためでもない。
私はただ、この二人の詩人が、いずれも家を捨て、 放浪の生涯に身を割ったことに心づいたからである。
寂しさと哀愁
家がなければ、平然、詩作の参考に供すべき書館を持っていようはずがない。
寂しき二人の作品は、座右の書物から境界を得たものではなく、 直接道端の観察と、
寄料の哀愁から得たものである。 一人は宮中護衛の職務と妻子とを捨て、
他の一人もまた同じように、祖先伝来の家楽をかえりみず、 共に放浪の身の自由に憧れ、別離の哀愁に人の運命を悲しんだ。
いずれにしても、希望の声を世に伝えたものではない。 しかるに一時栄えた昭和の軍人政府は、
日蓮宗の教文のある辞句をさえ抹消させながら、 世に三家宗と七部宗の存することを忘れて問わなかった。
徳川幕府の有事は経伝を罰し、種彦春水の罪を休断したが、 西行と馬将の書のあまねく世に行われていることには、さらに注意するところがなかった。
国理の頑固はサーチライトのごとく鋭くなかったのだ。 西行は鎌倉幕府の将軍に越見を許され、銀聖の猫を多摩あるの光栄に抑したが、
ような希望として、これを道に遊ぶ児童に与えて去った。 今の世の学者詩人にして、政府の与えるものを無用となして道に捨てたなら、
おそらく身の安全を保つことはできまい。 鎌倉時代は武団の世であっても、今にひすればなお余裕があった。
馬将の声を聞いて、その門に集った者の中には武士も少なくなかった。 彼らはしばしば世を徹して、無用なる文字の遊戯にふけったが、
人の子を損なう者として、その会合は禁止せられず、 その門とは解散せられず、時政とともにますます盛んになった。
中央討論者や改造者の運命よりも遥かに安全であった。 今日の我々よりして馬将の生涯を見ると、
馬将はその文徳を慕って集り来たる門邸に別れを惜しみながらも、 ひとところに安住することができず、
終生・寄与の若幕を追求してやまなかった。 馬将が旅の目的は若幕であって、これなくしては自然の美も、
至強を呼ぶに足りなかったように思われる。 若幕と至強とは一致して話すべからざるものであったらしい。
フランスの人モーパスさんにも若幕を追求してやむあたわざる病的の性癖があった。 ある時は北アフリカの砂漠にさまよい、
ある時は地中海の庵野に古臭を漂わせたのも、 その目的とするところは無人の境に石梁の秘臭を探求したにほかならない。
パリの繁華もモーパスさんの目には人生若幕の影を宿すところに過ぎなかった。 馬将とモーパスさんとは時代と民族とを異にしていながら、
文化の衰退
何がゆえにその求むるところに変わりはなかったのであろう。 私は二人とも人生の付与・明成に休んじえなかったがためだと思う。
付与・明成は人間相互の関係から人の行動と心情等を拘束する嫌いを生じる。 ここにおいて心の自由と境地の若幕とはまた一致して分かちがたいものとなる。
人生の真相は若幕の底に沈んで初めてこれを見るのであろう。 アフリカの砂漠に天幕の生活を営んでいる遊牧の民には一定の家がない。
家のない民族には歴史も芸術も存在しない。損する必要がない。 これはモーパスさんの気候に見るところである。
歴史なく芸術なき民族の世は虚無である。 史上なければ過去はあんやに等しく。
芸術がなかったら現実も刻々に消えていく影に過ぎまい。 これらのものなき人の世の寂しさは一度文化に良くした我々のよく堪えうべきところであろうか。
我々の生活はにわかにアメリカ人のそれと密接な関係を生ずるようになった。
それは今後二十幾年続くべきはずだという。 戦争前銀座丸の内あたりの光景は
ある人の目にはすでに著しく米国風に課せられていた。 今後世帯人情の転化し、行くところの何であるかは日を見るよりも明らかであろう。
しかし、戦運は成就するものではない。 仏極まれば必ず変転するのは自然の法則である。
我々の子孫が再び古き日本を追想すべき時も小鶴にはいまい。 開古の資料は書籍に勝るものはない。
我々は現在においてすでに民族文化の宝物たるべき書物の大半を失った。 将来これを得ることは至難であるかもしれない。
けれども汝は汝であるがゆえに。 心あるものにはかえって一層の勢力を奮起させるもといになるであろう。
気を借り気を求めんとする欲望は生命の力のある限り人の心より消え尽くすものではない。 我々が江戸の文物を追慕したように。
我々の子孫もまた彼らには最も近かった現代を開古せずにいないであろう。 半世紀の昔となった明治の世を語るのも、また敗戦の今日を記録にとどめるのも、我々現代人のなすべき任務の一つでないことはあるまい。
先輩は優を待たず。 民族にとって不幸の最大なるものだ。
しかし戦争のみが民族の光栄であるとも限られまい。 文化の影響を広く他の民族に及ぼし、
その民族をして幸福と知識の開発に入りするところを大からしめるのが、 勝者たる光栄の最大にして普及なるものであろう。
シナもインドもギリシャも。 一度は普及なるこの光栄を担った民族であった。
京都の西欧侵略は何らの痕跡をも他の民族の文化にはとどめなかった。 これに反してサラセン人が侵略の後はスペインの文化に固有の跡を残す力があった。
インド北方の仏像にはギリシャ芸術の痕跡が見られる。 フランス印象派の絵には江戸浮世絵の影響がある。
北米人の勝利はいかなる感化を形において、精神において、 日本文化の上に残すであろう。
私は希望する。 食善の寄託と、街頭における夫婦の接吻と、
ジャズが持っている世界風味の魔力ばかりに限られないことを。 日の暮れは寂しい。
どんな人にも日の暮れは寂しいだろう。なぜだ? そしてどういう寂しさだと、我ながら問うても答えられぬ
かすかな寂しさである。 日の暮れは子供の心にも寂しいらしい。
思い出は私の心にも絶えずそれを語ってくれる。 窓から見える畑は日陰になった。
あぜの枯れ木に干された洗濯物を人が取り下ろしている。 雑木林の向こうから
もういいかい。 もういいよ。と
呼んだり答えたりする子供の声が聞こえてくる。 かくれんぼをする声だ。
その声も夕風の音にまじって私の耳には寂しく聞こえる。 子供はもっと外で遊んでいたいのだ。
暗くならないうち少しでも余計に、もうしばらく遊んでいたいのだ。 遊び友達と別れて家へ帰るのが名残惜しくてならないのだ。
この心持ちが日の陰りに従い、呼び合う声の中に込められて、聞く人の耳に寂しさと悲しさ等を送ってくるのだろう。
この心持ちは小鳥の声にも含まれている。 ヒネモス、日の暖かさに恵まれていた
冬草の葉末にも見られるような気がする。 日の暮れの寂しさを思い知るのは、日の最も短い冬の半ばにしくはない。
まだかと思っている中、いきなり暗くなるからだ。 断罪の宣告のように急激に来るからであろう。
日の暮れを悲しむ心は、後悔と絶望の思いに似通っている。 すっかり暮れ果ててしまった後、月の光、もしくは灯火の下に、
どうやら落ち着く心持ちは、諦めの静けさに似通っている。 今年もやがて当時の節になろうとしている。
私には、現在の私にはこの頃の暮れ方が悲しく思われて耐えられない。 この矢の窓に刺す冬の日の暖かなうちに、
手先の凍える寒さの来ない中に、紙一枚でも多く胸にあることを書いておきたいと思うからだ。 海辺の宿りを去って町の家に帰れば、寒さはたちまち
筆持つことを許すまいと危ぶむからだ。 お祈りには、若き人のように来たる年の春を待つ余裕がない。
欲張りの婆が、明日の命を知らず、爪に火を灯して銭を数えるように、わけもなく筆が取りたいのだ。 読み残した書物が読みたくてならないのだ。
何のためだ。 何のためにもならないことを知っていながら、追われるように焦っているのだ。
おいて後、寸陰を惜しむ心ほど思えば、われながら浅ましく悲惨なものはない。 若かりし日をいかにしておくったか。
死と親とは教えたり、戒めたりしなかったか。 後悔と懺悔とは白身のごとく身を苛む。
かくれんぼする子供の声は、小鳥の声とともにもう聞えない。 小鳥も子供も休んじて、明日の日を待つのだろう。
雨の降る日のあることも今からは予想せずに。 日は暮れてしまった。何も見えなくなった。
窓の外には闇がだんだん濃く深くなっていく。 その彼方から遠くからかすかに鐘叩く音が聞こえてくる。
道を隔て谷川を渡り、山道を登る林の奥に寺がある。 その寺から聞こえてくるのだろう。
その寺は昔々西の方の都からさまよってきた尊い人が、 初めていおりを結んだ跡だという。
その人は私が日本の史上に最も総数する人物の一人なのだ。 その人は戦勝の後、栄えるべきはずの世の中が。
世からの政治のために再び敗れることを予想し、 世と人とを見限って姿を隠したのだ。
日本と他国の関係
敗れるを知って戦うのも、世を逃れて姿を隠すのも、 結果は同じ絶望のさせたことだろう。
一人は華やかに、一人は静かに。 各その身の植分に応じて最後の処置をとったのだ。
罪は世の中にある。 時代にあって人にはない。
大化の覆る時、一目はそれを支える力がない。 時の運はその力、その値なき一歩にも光栄に担わせ、
その才あり、その心ある偉人にも失墜の秩序を与える。 いつの世にも歴史は涙の詩編ではなかったか。
江戸三百年の事業は崩壊した。 そして不老の使徒、変数の諸生に名と富と権力とを与えた。
彼らを作った国家と社会とは百年をもたずして滅びた。 徳川氏の知性より短きこと三分の一に過ぎない。
徳川氏の世を覆した者はメリケンの黒船であった。 老死をして家族とならしめた新日本の軍国は、
北米合衆国の飛行機に粉砕されてしまった。 儒教を基礎となした江戸時代の文化は滅びた後まで国民の墨宅となった。
殺鳥老死の構成した新国家は我々に何を残していったろう。 まさか闇相場と氷片主義のみでもないだろう。
下るアメリカに肌を濡らさじといって自害した列布の出ないことを、 今のように到底概談するのは無理であろう。
江戸時代にも長崎や下田に残った鬼譚がいくらでもあるではないか。 私は好んで皇帝家の曲を聞こうとするものではない。
けれども用心を見れば、ぞろぞろその後について、 チョコレートをもらおうとする子供を憎むまい。
道に落ちた死川の水柄を拾う紳士をあざけるまい。 彼らをして核なさしめたのは誰ぞ。誰の罪ぞ。
私はホテルの食堂でふと心安くなった用心から その国の雑誌と新刊書をもらった。
喜んで貪るようにこれを読んだ。 口に飢えを覚えるように。
心にもまた常に飢えを覚えているゆえである。 コーヒーの香りも嗅ぎたい。
荒んぽうの詩も読みたい。 町の娘を憎しみ、あざけるに先立って、己の身をかえり見ねばならない。
腫瘍山のわらびは大昔の話である。 地獄の古事記は哀れである。
戦後の著作と分析
2019年発行 岩波文庫 岩波書店
とわずがたり 東橋 ほか16編 より読み終わりです。
一番最後昭和20年12月12日草と書いてあるのを読みそびれたな。
昭和20年って何年ですか? 25を足すから
1945年か。 じゃあ
終戦直後ですね。8月に終戦してその時の12月に書いたということで。 なるほど。
通りで、なんかこう
いろいろ思うところある文章でしたね。 著作権が切れて誰でも使っていいよってテキストになるのが70年だったと思うんですけど
そうなるとちょうどね 戦争直後それからそれより前なんで戦時中
第一次大戦と第二次大戦の間 みたいになってきますもんね。
それか明治とかね100年ぐらい前とか。 たまには明るいテキストを探してみようかと思いました。
はい それでは今日のところはこの辺でまた次回お会いしましょう。
おやすみなさい。