1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 083坂口安吾「白痴」
2024-12-03 1:21:59

083坂口安吾「白痴」

083坂口安吾「白痴」

代表的な短編小説。差別的表現を多分に含みますが、時代背景含め原文ママ読んでおります。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見、ご感想、ご依頼は公式エックスまでどうぞ。
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さて、今日は坂口安吾さんの白痴を読んでいこうと思います。
エッセイばっかり読んでるんですけど、これは短編小説になるんですかね。 坂口安吾さんの代表作、
随筆では堕落論、かつて読みました。 そしてこの白痴もかなり有名ということになっています。
白痴という言葉自体がそもそもそんな馴染みがないんですけど、
痴漢の痴。
痴女の痴が入ってて白だから白痴。 なんか頭が空っぽみたいな意味だったようなと思ってたところを今調べてますが、
偶事書によると精神、地体の重度のもの。
Google先生によると知能の程度が極めて低いことと書いてありますね。
やっぱりいい言葉じゃないですね。 この今から読む白痴ですが、坂口安吾の短編小説、昭和21年、1946年発表。
映画演出家の男がある日突然飛び込んできて住み着いてしまった林家の女王と空襲の中を生き延びるというお話だそうです。
40分ぐらいになるかなと思いますね。ここの長さ。 19ページでしょう。
まあちょっと暗い話になると思いますが、戦時中なのでね。
ゆるゆると。坂口安吾さんの暗いテキストは僕の声と合っていると勝手に思っているので、
寝落ちに向いてたらいいなと思いますが、難しい漢字が多いなぁ。
まあ淡々と読んでいきたいと思います。 それでは参ります。
白痴。 その家には人間と豚と犬と鳥とアヒルが住んでいたが、
全く住む建物も各々の食物もほとんど変わっていやしない。 物置のようなひん曲がった建物があって、
階下には主人夫婦、天井裏には母と娘が曲がりしていて、 この娘は相手のわからぬ子供をはらんでいる。
03:10
居沢の借りている一室は主屋から分離した小屋で、 ここは昔、この家の胚病の息子が寝ていたそうだが、
胚病の豚にも贅沢すぎる小屋ではない。 それでも押入れと便所と戸棚がついていた。
主人夫婦は仕立て屋で、町内のお張りの先生などもやり、 それゆえ胚病の息子を別の小屋へ入れたのだ。
町会の役員などもやっている。 曲がりの娘は元来町会の事務員だったが、
町会事務所に寝泊りしていて町会長と、 仕立て屋を覗いた他の役員の全部のもの十数人と、
公平に関係を結んだそうで、そのうちの誰かの種を宿したわけだ。 そこで町会の役員どもが拒禁して、この屋根裏で子供の始末を突き刺すようというのだが、
世間は無駄がないもので。 役員の一人に豆腐屋がいて、
この男だけ娘が妊娠してこの屋根裏に潜んだ後も通ってきて、 結局娘はこの男の目掛けのように決まってしまった。
他の役員どもはこれがわかると早速拒禁をやめてしまい、 この別れ目の1ヶ月分の生活費は豆腐屋が負担すべきだと主張して、
支払いに応じない八百屋と時計屋と地主と何屋だか七八人あり、 一人当たり金5円。
娘は今に至るまで自弾打踏んでいる。 この娘は大きな口と大きな二つの目の玉をつけていて、
そのくせひどく痩せこけていた。 アヒルを嫌って鳥にだけ食べ物の残りをやろうとするのだが、
アヒルが横から巻き上げるので、毎日腹を立ててアヒルを追っかけている。 大きな腹と尻を前後に突き出して、奇妙な直立の姿勢で走る格好がアヒルに似ているのであった。
この路地の出口にタバコ屋があって、55という婆さんがお城居をつけて住んでおり、 7人目とか8人目とかの丈夫を追い出して、
その代わりを中年の坊主にしようか、やはり中年の何屋だかにしようかと反問中のよしであり、 若い男が裏口からタバコを買いに行くといくつか売ってくれるよしで、
ただし闇寝。 伊沢のことを指す先生も裏口から行ってごらんなさいと仕立屋が言うのだが、
あやにく伊沢は勤め先で特配があるので婆さんの世話にならずに住んでいた。
06:01
ところがその筋向かいの米の配給所の裏手に小金を握った未亡人が住んでいて、 職工の兄と妹と2人の子供があるのだが、この真実の兄弟が夫婦の関係を結んでいる。
けれども未亡人は結局その方が安上がりだと黙認しているうちに兄の方に女ができた。 そこで妹の方を片付ける必要があって、親戚にあたる
50とか60とかの老人のところへ嫁入りということになり、妹が寝こいらずを飲んだ。 飲んでおいて伊沢の下宿の仕立屋へお稽古に来て苦しみ始め、
結局死んでしまったが。 その時町内の医者が心臓麻痺の診断書をくれて、話はそのまま消えてしまった。
え?どの医者がそんな便利な診断書をくれるんですか? と、
伊沢が仰天して尋ねると、 仕立屋の方が悪権に取られた趣で、
何ですか?よそじゃそうじゃないんですか? と聞いた。
この辺は安アパートが隣立し、それらの部屋の何分の一かは女化けと陰梅が棲んでいる。
それらの女たちには子供がなく、また各々の部屋をきれいにするという共通の性質を持っているので、
そのために管理人に喜ばれて、その私生活の乱脈差、排毒性などは問題になったことが一度もない。
アパートの半数以上は軍需工場の寮となり、 そこにも女子定身隊の集団が住んでいて、何かの誰さんの愛人だの。
課長殿の戦時夫人。 というのはつまり本物の夫人は疎開中ということだ。
だの。条約の2号だの。 会社を休んで月給だけもらっている妊娠中の定身隊だのがいるのである。
中に一人500円の女化けというのが一個を構えていて、戦亡の的であった。 人殺しが商売だったという満州浪人。
この妹は舌手屋の弟子。 の隣は私圧の先生で、その隣は舌手屋銀時の流れを組むその道の達人だということであり、
その裏に海軍将尉がいるのだが、毎日魚を食い、コーヒーを飲み、缶詰を開け酒を飲み、 このあたりは一尺掘ると水が出るので防空壕の作り用もないというのに、
将尉だけはセメントを用いて自宅よりも立派な防空壕を持っていた。 また伊沢が通勤に通る道筋の百貨店。
木造二階建ては戦争で商品がなく休業中だが、 二階では連日土場が開張されており、その顔役はいくつかの国民酒場を占領して行列の人民どもを睨みつけて連日停水していた。
09:10
伊沢は大学を卒業すると新聞記者になり、続いて文化映画の演出家、 まだ見習いで単独演出したことはない
になった男で。 27の年齢に比べれば裏側の人生にいくらか知識はあるはずで。
政治家、軍人、実業家、芸人などの内幕に多少の消息は心得ていたが、 バスへの商工場とアパートに取り囲まれた商店街の生態がこんなものだとは想像もしていなかった。
戦争以来人心が荒んだせいだろうと聞いてみると、 え、なんですよこの辺じゃあ、先からこんなもんでしたねー、と仕立屋は哲学者のような面持ちで静かに答えるのであった。
けれども最大の人物は伊沢の隣人であった。 この隣人は吉貝だった。
相当の資産があり、わざわざ路地のどん底を選んで家を建てたのも吉貝の心遣いで、 泥棒ないし無用のものの侵入を極度に嫌った結果だろうと思われる。
なぜなら路地のどん底にたどり着き、この家の門をくぐって見回すけれども小口というものがないからで、 見渡す限り格子のはまった窓ばかり。
この家の玄関は門と正反対の裏側にあって、 要するに一辺ぐるりと建物を回った上でないとたどり着くことができない。
無用の侵入者はサジを投げて引き下がる仕組みであり、 内地は玄関を探ろうとしてうろつくうちに何者かの侵入を見破って警戒感性に入るという仕組みでもあって、
隣人は浮世の俗物どもを好んでいないのだ。 この家は相当数のある二階建てであったが、
内部の仕掛けについては物知りの仕立屋も多く知らなかった。 基地外は三十前後で母親があり、二十五六の女房があった。
母親だけは正規の人間の部類に属しているはずだという話であったが、 郷土のヒステリーで、
俳句に不服があると裸足で町会へ乗り込んでくる町内唯一の除血であり、 基地外の女房は白痴であった。
ある幸大き年のこと。 基地外は発信して城小族に身を固め、四国遍路に旅立ったが、その時四国のどこかしらで白痴の女と息統合し、
遍路土産に女房を連れて戻ってきた。 基地外は風彩堂々たる高男子であり、
白痴の女房はこれも叱るべき家柄の叱るべき娘のような貧の良さで、 目の細々と鬱陶しいウリザネ顔の古風の人形か能面のような美しい顔立ちで、
12:11
二人並べて眺めただけでは美男美女、 それも相当驚揚深遠な甲一尾としか見受けられない。
基地外はどの強い金眼鏡をかけ、常に板冠の読書に疲れたような 憂わしげな顔をしていた。
ある日この路地で防空演習があって、おかみさんたちが活躍していると、 着流し姿でゲタゲタ笑いながら見物していたのがこの男で。
そのうちにわかに防空服装に着替えて現れて、 一人のバケツをひったくったかと思うと、
えいとかやーとか、ほーほーという数種類の奇妙な声をかけて水を汲み、水を投げ、 梯子をかけて塀に登り、屋根の上から号令をかけ、やがて一場の演説訓示を始めた。
伊沢はこの時に至って初めて基地外であることに気づいたので、 この隣人は時々垣根から侵入してきて、
仕立て屋の豚小屋で残版のバケツをぶちまけついでにアヒルに石をぶつけ、 全然何食わぬ顔をして鳥に餌をやりながら突然蹴飛ばしたりするのであったが、
相当の人物と考えていたので静かに木礼などを取り交わしていたのであった。 だが基地外と常人とどこが違っているというのだ。
違っているといえば基地外の方が常人よりも本質的に涼しみ深いぐらいのもので、 基地外は笑えたい時にゲタゲタ笑い、演説したい時に演説をやり、アヒルに石をぶつけたり、
2時間ぐらい豚の顔や尻をつついていたりする。 けれども彼らは本質的に遥かに人目を恐れており、
私生活の主要な部分は特別最新の注意を払って他人から絶縁しようと不審している。 門からぐるりと一回りして玄関をつけたのもそのためであり、
彼らの私生活は害して物音が少なく、他に対して無用なる饒舌に乏しく、私作的なものであった。 路地の片側はアパートで、
居座場の小屋にのしかかるように年中水の流れる音と、 女房どもの下品な声があふれており、
姉妹の陰梅がすんでいて、姉に客のある夜は妹が廊下に歩き続けており、 妹に客がある時は姉が深夜の廊下を歩いている。
きちがいがゲタゲタ笑うというだけで、人々は別の人種だと思っていた。 白痴の女房は特別静かでおとなしかった。
何かをおどおどと口の中で言うだけで、その言葉はよく聞き取れず、 言葉の聞き取れる時でも意味がはっきりしなかった。
15:03
料理も米を炊くことも知らず、やらせればできるかもしれないが、ヘマをやって怒られると、 おどおどしてますますヘマをやるばかり。
廃棄物を取りに行っても自身では何もできず、ただ立っているというだけで、 みんな近所の者がしてくれるのだ。
きちがいの女房ですもの。白痴でも当然、その上の欲を言ってはいけますまいと人々が言うが、 母親は大の不服で、
女がご飯ぐらい炊けなくって、と怒っている。 それでも常はたしなみのある品のいい婆さんなのだが、何がさて一方ならぬヒステリーで、
狂いだすときちがい以上に童貌で、三人のきちがいのうち、婆さんの共感がずぬけて騒がしく病的だった。
白痴の女は怯えてしまって、何事もない平和な日々ですら常におどおどし、 人の足音にもぎくりとして、いざわがやーと挨拶すると、
かえってぼんやりして立ちすくむのであった。 白痴の女も時々豚小屋へやってきた。
きちがいの方は我が家のごとくに堂々と侵入してきて、アヒルに石をぶつけたり、 豚のほっぺたを突き回したりしているのだが、
白痴の女は音もなく影のごとくに逃げ込んできて、豚小屋の陰に息を潜めているのであった。
いわばここは彼女の退避所で、そういうときには大概林家でおさよさんおさよさんと呼ぶ婆さんの
潮類的な叫びが起こり、 そのたびに白痴の体はすくんだり傾いたり反響を起こし、
仕方なく動き出すには虫の抵抗の動きのような長い反復があるのであった。 新聞記者など文化映画の演出家などは専業中の専業であった。
彼らの心得ているのは時代の流行というだけで、 動く時間に乗り遅れまいとすることだけが生活であり、自我の追求、個性や独創というものはこの世界には存在しない。
彼らの日常の会話の中には会社員だの、管理だの、学校の教師に比べて自我だの、人間だの、個性だの、独創だのという言葉が氾濫しすぎているのであったが、
それは言葉の上だけの存在であり、 針金を叩いて女をくどいて、二日酔いの苦痛が人間の悩みだというような馬鹿馬鹿しいものなのだった。
ああ、日の丸の感激だの。兵隊さんよありがとう。 思わず目頭が熱くなったり、ズドズドズドは爆撃の音。
無我夢中で地上に伏し、パンパンパンは機銃の音。 およそ精神の高さもなければ一向の実感すらもない架空の文章に雄心を宿し、映画を作り。
18:03
戦争の表現とはそういうものだと思い込んでいる。
またあるものは軍部の検閲で書きようがないというけれども、 他に真実の文章の心当たりがあるわけでなく、
文章自体の真実や実感は検閲などには関係のない存在だ。 要するに、いかなる時代にもこの連中には内容がなく空虚な自我があるだけだ。
流行次第で右から左へどうにでもなり、 通俗小説の表現などからお手本を学んで時代の表現だと思い込んでいる。
事実、時代というものはただそれだけの千百愚劣なものであり、 日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が、果たして人間の真実に何の関係があったであろうか。
最も内政の気迫な意志と衆愚の盲導だけによって、一国の運命が動いている。 部長だの社長の前で個性だの独創だのと言い出すと、顔を背けてバカな奴だという
厳害な表情を見せて、兵隊さんよありがとう、 ああ日の丸の感激、思わず目頭が熱くなり、
OK、新聞記者とはそれだけで、 事実、時代そのものがそれだけだ。
首団長閣下の訓示を3分間もかかって長々と移す必要がありますか。
職工たちの毎朝のノリとのようなヘンテコな歌を1から10まで移す必要があるのですか、 と聞いてみると、
部長はぷいと顔を背けて舌打ちして、屋庭に振り向くと貴重品の煙草をぐしゃり、 灰皿へ押しつぶしていらみつけて、おい、
都統の時代に美が何者だい、芸術は無力だ。 ニュースだけが真実なんだ、と怒鳴るのであった。
演出家どもは演出家どもで、企画部員は企画部員で都統を組み、 徳川時代の長脇雑誌と同じような定義の世界を作り出し、
義理人情で才能を処理して、会社員よりも会社員的な順番制度を作っている。 それによって各自の凡庸さを擁護し、
芸術の個性と天才による走波を罪悪視し、組合違反と心得て、 相互扶助の精神による才能の貧困の救済組織を完備していた。
家にあっては才能の貧困の救済組織であるけれども、外に出てはアルコールの獲得組織で、 この都統は国民酒場を占領し、3、4本ずつビールを飲み、酔っ払って芸術を論じている。
彼らの帽子や長髪やネクタイやブルースは芸術家であったが、 彼らの魂や根性は会社員よりも会社員的であった。
21:05
伊沢は芸術の独創を信じ、個性の独自性を諦めることができないので、 義理人情の制度の中で安息することができないばかりか、
その凡庸さと低俗卑劣な魂を憎まずにいられなかった。 彼は都統ののけ者となり、
挨拶したも返事もされず、中には睨む者もある。 思い切って社長室へ乗り込んで、戦争と芸術性の貧困とに理論上の必然性がありますか、
それとも軍部の意思ですか。 ただ現実を映すだけならカメラと指が2、3本あるだけでたくさんですよ。
いかなるアングルによってこれを裁断し、 芸術に構成するかという特別な使命のために、我々芸術家の存在が、
社長は途中に顔を背けて、にがり切って煙草を吹かし、 お前はなぜ会社を辞めないのか、徴用が怖いからか、という顔つきで苦笑をはじめ、
会社の規格通り世間並みの仕事に精を出すだけで、それで月給がもらえるなら余計なことを考えるな。
生意気すぎるという顔つきになり、一言も返事せずに帰れという身振りを示すのであった。 専業中の専業でなくて何者であろうか。
一思いに兵隊に取られ、考える苦しさから救われるなら、弾丸も木刃も、むしろ太平洛のようにすら思われる時があるほどだった。
伊沢の会社では、「ラバウルを脅すな!」とか、「飛行機をラバウルへ!」とか企画を立て、 コンテを作っているうちに、米軍はもうラバウルを通り越してサイパンに上陸していた。
サイパン決戦、企画会議も終わらぬうちにサイパン玉砕。 そのサイパンから米機が頭上に飛び始めている。
焼夷弾の消し方。 空のタイあたり。
ジャガイモの作り方。 一機も生きて帰す町。
節電と飛行機。 不思議な情熱であった。
そこしれぬ退屈を植え付ける奇妙な映画が次々と作られ、 生フィルムは欠乏し、動くカメラは少なくなり、芸術家たちの情熱は白熱的に競争し、
神風特攻隊。 本土決戦。
ああ桜は散りぬ。 何者かに疲れたごとく彼らの史上は興奮している。
そして青ざめた髪のごとく退屈無限の映画が作られ、 明日の東京は廃墟になろうとしていた。
伊沢の情熱は死んでいた。 朝、目が覚める。
今日も会社へ行くのかと思うと眠くなり、 うとうとすると警戒警報が鳴り響き、
24:03
起き上がりゲートルを巻き、煙草を一本抜き出して火をつける。 ああ会社を休むとこの煙草がなくなるのだなと考えるのであった。
ある晩遅くなり、ようやく終電に取り付くことのできた伊沢はすでに視線がなかったので、 相当の夜道を歩いて我が家へ戻ってきた。
明かりをつけると奇妙に万年床の姿が見えず、 留守中誰かが操縦をしたということも誰かが入ったことすらも例がないので、
いぶかりながら押し入れを開けると積み重ねた布団の横に白痴の女が隠れていた。
不安の目で伊沢の顔色を伺い布団の間へ顔をもぐらしてしまったが、 伊沢の怒らぬことを知ると安堂のために親しさがあふれ、
呆れるぐらい落ち着いてしまった。 口の中でブツブツとつぶやくようにしか物を言わず、そのつぶやきもこっちの尋ねることと何の関係もないことを
ああ言い、またこう言い、自分自身の思い詰めたことだけをそれも至極漠然と要約して断片的に言い綴っている。
伊沢は問わずに事情を悟り、 たぶん叱られて思い余って逃げ込んできたのだろうと思ったから、
無益な怯えをなるべく与えぬ配慮によって質問を省略し、 いつ頃どこから入ってきたかということだけを尋ねると、
女は訳のわからぬことをあれこれブツブツ言ってあげく。 片腕をまくり上げてその一箇所を撫でて、
そこにはかすり傷がついていた。 私痛いのとか、
今も痛むのとか、さっきも痛かったのとか、いろいろ時間を細かく区切っているので、 ともかく夜になってから窓から入ったことがわかった。
裸足で外を歩き回って入ってきたから部屋を泥で汚した、 ごめんなさいねという意味も言ったけれども、
あれこれ無数の袋工事をうろつき回るつぶやきの中から意味をまとめて判断するので、
ごめんなさいねがどの道に連絡しているのだか決定的な判断はできないのだった。 深夜に隣人を叩き起こして怯えきった女を返すのもやりにくいことであり、
去りとて夜が明けて女を返して、一夜止めたということがいかなる誤解を生み出すか。 相手がキチガエのことだから想像すらもつかなかった。
ママよ、伊沢の心には奇妙な勇気が湧いてきた。 その実態は生活上の感情喪失に対する好奇心と刺激との魅力に惹かれただけのものであったが、
どうにでもなるがいい。 ともかくこの現実を一つの試練と見ることが俺の生き方に必要なだけだ。
27:02
白痴の夜の一夜を保護するという眼前の義務以外に何を考え、何を恐れる必要もないのだと自分自身に言い聞かせた。
彼はこの唐突千万な出来事に変に感動していることをはずべきことではないのだと自分自身に言い聞かせていた。
二つの寝床を敷き、女を寝せて電灯を消して1、2分もしたかと思うと、女は急に起き上がり寝床を抜け出て部屋のどこか片隅にうずくまっているらしい。
それがもし真冬でなければ伊沢は敷いてこだわらず眠ったかもしれなかったが、特別寒い夜更けで一人分の寝床を二人に分割しただけでも
外気が直に肌に迫り、体の震えが止まらぬぐらい冷たかった。
起き上がって電灯をつけると女は小口のところに襟をかき合わせてうずくまっており、まるで逃げ場を失って追い詰められた目の色をしている。
どうしたの?眠りなさい。と言えば明けないほどすぐうなずいて再び寝床に潜り込んだが、電気を消して1、2分もするとまた同じように起きてしまう。
それを寝床へ連れ戻して心配することはない。 私はあなたの体に手を触れるようなことはしないからと言い聞かせると、
女は怯えた目つきをして何か言い訳じみたことを口の中でぶつぶつ言っているのであった。
そのまま三度目の電気を消すと、今度は女はすぐ起き上がり、押入れの扉を開けて中へ入って内側から扉を閉めた。
この必要なやり方に伊沢は腹を立てた。 手柔らく押入れを開け放してあなたは何を勘違いをしているのですか。
あれほど説明もしているのに、押入れ入って扉を閉めるなどとは、人を侮辱するにも華々しい。
それほど信用できない家へ、なぜ逃げ込んできたのですか。 それは人を愚弄し、私の人格に不当な恥を与え、まるであなたが何か被害者のようではありませんか。
茶番もいい加減にしたまえ。 けれどもその言葉の意味も、この女には理解する能力すらもないのだと思うと、
これくらい張り合いのないバカバカしさもないもので、女の横っ面を殴りつけてさっさと眠る方が、何より気が利いていると思うのだった。
すると女は妙に割り切れぬ顔づきをして、何か口の中でブツブツ言っている。 私は帰りたい、私は来なければよかった、という意味の言葉であるらしい。
でも私はもう帰るところがなくなったから、というので。 その言葉には茨王もさすがに胸を疲れて、だから安心してここで一夜を明かしたらいいでしょう。
30:01
私が悪意を持たないのに、まるで被害者のように思い上がったことをするから腹を立てただけのことです。 押入れの中などにはいらず、布団の中でおやすみなさい。
すると女は茨王を見つめて何か早口にブツブツ言う。 えっ、何ですか。
そして茨王は飛び上がるほど驚いた。 なぜなら女のブツブツの中から、私はあなたに嫌われていますもの、という一言がはっきり聞き取れたからである。
えっ、な、何ですって。 茨王が思わず目を見開いて聞き返すと、女の顔は肖然として、私は来なければよかった。
私は嫌われている。私はそうは思っていなかった、という意味のことをくどくどと言い、 そして荒の一箇所を見つめて放心してしまった。
茨王は初めて了解した。 女は彼を恐れているのではなかったのだ。まるで自体は安倍コベだ。
女は叱られて逃げ場に急してそれだけの理由によって来たのではない。 伊沢の愛情を木算に入れていたのであった。
だが一体女が伊沢の愛情を信じることが起こり得るような何事かあったであろうか。 豚小屋の辺りや路地や路上で、やーと言って四五返挨拶したぐらい。
思えばすべてが唐突で全く茶番にほかならず、 伊沢の前に博智の意思や感受性や、ともかく人間以外のものが強要されているだけだった。
電燈を消して一、二分経ち、 男の手が女の体に触れないために嫌われた自覚を抱いて、
その恥ずかしさに布団を抜け出すということが、博智の場合はそれが真実悲痛なことであるのか。 伊沢がそれを信じていいのか、これもはっきりはわからない。
ついには押入れへ閉じこもる。 それが博智の恥辱と慈悲の表現と解していいのか。
それを判断するための言葉すらもないのだから、事態はともかく、 彼が博智と同格になり下がる以外に法がない。
なまじいに人間らしい分別がなぜ必要であろうか。 博智の心の素直さを彼自身もまた持つことが人間の知辱であろうか。
俺にもこの博智のような心、幼いそして素直な心が何より必要だったのだ。 俺はそれをどこかへ忘れ、ただ悪セクした人間どもの思考の中で薄汚く汚れ、
虚妄の影を追い酷く疲れていただけだ。 彼は女を寝床へ寝せてその枕元に座り、自分の子供、三つか四つの小さな娘を眠らせるように
33:00
額の髪の毛を撫でてやると、女はぼんやり目を開けて、 それが全く幼い子供の無心さと変わるところがないのであった。
私はあなたを嫌っているのではない。 人間の愛情の表現は決して肉体だけのものではなく、
人間の最後の住処はふるさとで、あなたはいわば常にそのふるさとの住人のようなものなのだから、などと、いざはもはじめは妙にしかめつらしくそんなことも言いかけてみたが、
もとよりそれが通じるわけではないのだし。 一体言葉が何者であろうか、何ほどの値打ちがあるのだろうか。
人間の愛情すらもそれだけが真実のものだという何の証もあり得ない。 生の情熱を託するに足る真実なものが果たしてどこにあり得るのか。
すべては虚妄の影だけだ。 女の髪の毛を撫でていると同国主体思いが込み上げ、定まる影すらもないこの捉え難い小さな愛情が、自分の一生の宿命であるような、
その宿命の髪の毛を無心に撫でているような切ない思いになるのであった。 この戦争は一体どうなるのであろう。
日本は負け、米軍は本土に上陸して日本人の大半は死滅してしまうのかもしれない。 それはもう一つの超自然の運命、いわば天命のようにしか思われなかった。
彼にはしかしもっと悲傷な問題があった。 それは驚くほど悲傷な問題で、しかも目の先に差し迫り、常に知らついて離れなかった。
それは彼が会社からもらう200円ほどの給料で、その給料をいつまでもらうことができるか。 明日にも首になり、路頭に迷いはしないかという不安であった。
彼は月給をもらうとき、同時に首の戦国を受けはしないかとビクビクし、月給袋を受け取ると、一月延びた命のために呆れるぐらいの幸福感を味わうのだが、その悲傷さを顧みていつも泣きたくなるのであった。
彼は芸術を夢見ていた。 その芸術の前ではただ一粒の人愛でしかないような200円の給料が、どうして骨身に絡みつき、生存の根底を揺さぶるような大きな苦悶になるのであろうか。
生活の外形のことのみではなく、その精神も魂も200円に限定され、その悲傷さを凝視して気もたがわずに平然としていることが、なおさら情けなくなるばかりであった。
怒涛の時代に美が何者だい、芸術は無力だ、という部長のバカバカしい大声が、伊沢の胸にまるで違った真実を込め、鋭い、そして巨大な力で食い込んでくる。ああ、日本は負ける。
36:12
その人形の崩れるように同胞たちがバタバタ倒れ、吹き上げるコンクリートやレンガのくずと一色他に、無数の足だの首だの腕だのが舞い上がり、木も建物も何もない平らな墓地になってしまう。
どこへ逃げ、どの穴へ追い詰められ、どこで穴もろとも吹き飛ばされてしまうのだか、夢のような、けれどもそれはもし生き残ることができたなら、その新鮮な再生のために、そして全然予測のつかない新世界、石くずだらけの野原の上の生活のために、伊沢はむしろ好奇心がうずくのだった。
それは半年か一年先の当然訪れる運命だったが、その訪れの当然さにもかかわらず、夢の中の世界のような遥かな戯れにしか意識されていなかった。
目の先のすべてを塞ぎ、生きる希望を根こそぎさらい去るたった二百円の決定的な力。夢の中にまで二百円に首を絞められ、うなされ、まだ二十七の青春のあらゆる情熱が漂白されて、現実にすでに暗黒の荒野の上をぼうぼうと歩くだけではないか。伊沢は女が欲しかった。
女が欲しいという声は伊沢の最大の希望ですらあったのに、その女との生活が。二百円に限定され、鍋だの、釜だの、味噌だの、米だの、みんな二百円の呪文を負い、二百円の呪文に疲れた子供が生まれ、女がまるで手先のように呪文に疲れた鬼とかして日々ぶつぶつ呟いている。
胸の火も芸術も、希望の光もみんな消えて、生活自体が道端の馬糞のようにぐちゃぐちゃに踏みしらかれて、乾き上がって風に吹かれて飛び散り、跡形もなくなってゆく。爪の跡すらなくなってゆく。女の背にはそういう呪文が絡みついているのであった。やりきれない、悲傷な生活だった。
彼自身には、この現実の悲傷さを裁く力すらもない。ああ、戦争、この偉大なる破壊。奇妙、卑劣な公平さでみんな裁かれ、日本中が石屑だらけの野原になり、泥人形がバタバタ倒れ、それは虚無の何という切ない、巨大な愛情だろうか。
破壊の神の腕の中で彼は眠りこけたくなり、そして彼は警報が鳴るとむしろ生き生きしてゲートルを巻くのであった。生命の不安と遊ぶことだけが毎日の生き甲斐だった。警報が解除になるとがっかりして、絶望的な感情の喪失がまた始まるのであった。
39:10
この白蛆の女は、米を炊くことも味噌汁を作ることも知らない。階級の行列に立っているのが精一杯で、喋ることすらも自由ではないのだ。まるで最も薄い一枚のガラスのように、喜怒哀楽の微風にすら反響し、方針と帯絵の皺の間へ人の意思を受け入れ通過させているだけだ。
二百円の悪霊すらも、この魂には宿ることができないのだ。
この女はまるで、俺のために作られた悲しい人形のようではないか。
伊沢はこの女と抱き合い、暗い荒野をひょうひょうと風に吹かれて歩いている、無限の旅路を目に描いた。
それにもかかわらず、その壮年が何か突飛に感じられ、途方もない馬鹿げたことのように思われるのは、そこにもまた、秘匠を極まる人間の殻が、心の真意を蝕んでいるせいなのだろう。
そしてそれを知りながら、しかもなお、湧き出るようなこの壮年と愛情の素直さが、全然虚妄のものにしか感じられないのは、なぜだろう。
白痴の女よりも、あのアパートのインバイフが、そしてどこかの貴婦人が、より人間的だという何か本質的な掟があるのだろうか。
けれどもまるで、その掟が、源として存在している、馬鹿馬鹿しい有様なのであった。
俺は何を恐れているのだろうか。まるであの二百円の悪霊が。
俺は今、この女によって、その悪霊と絶縁しようとしているのに、そのくせやはり、悪霊の呪文によって縛り付けられているではないか。
恐れているのは、ただ世間の見栄だけだ。
その世間とは、アパートのインバイフだの、女化けだの、妊娠した定身体だの、アヒルのような鼻にかかった声を出して、喚いている、おかみさんたちの行列会議だけのことだ。
その他に世間などは、どこにもありはしないのに、そのくせ、このわかりきった事実を、俺は全然信じていない。
不思議な起き手に、怯えているのだ。
それは驚くほど短い、同時にそれは、無限に長い一夜であった。
長い世の、まるで無限の続きだと思っていたのに、いつかしら世が白み、夜明けの寒気が彼の全身を、感覚のない石のように固まらせていた。
彼は女の枕元で、ただ髪の毛を撫で続けていたのであった。
その日から、別な生活が始まった。
42:00
けれどもそれは、一つの家に女の肉体が増えたという事の他には、別でもなければ、変わってすらもいなかった。
それはまるで嘘のような空々しさで、確かに彼の身辺に、彼の精神に、新たな芽生えの、ただ一本の穂先すら見出すことができないのだ。
その出来事の異常さを、ともかく理性的に納得しているというだけで、生活自体に、机の置き場所が変わったほどの変化も起きてはいなかった。
彼は毎朝出勤し、その留守宅の押入れの中に、一人の白痴が残されて、彼の帰りを待っている。
しかも彼は一足出ると、もう白痴の女のことなどは忘れており、何かそういう出来事が、もう記憶にも定かではない、10年20年前に行われていたかのような遠い気持ちがするだけだった。
戦争という奴が、不思議に健全な健忘性なのであった。
全く戦争の驚くべき破壊力や、空間の変天性という奴は、たった一日が、何百年の変化を起こし、一週間前の出来事が数年前の出来事に思われ、一年前の出来事などは、記憶の最もどん底の下積みの底へ隔てられていた。
伊沢の近くの道路など、工場の市井の建物などが取り壊された町全体が、ただ舞い上がる埃のような疎開騒ぎをやらかしたのも、つい先頃のことであり、
その後すらも片付いていないのに、それはもう、一年前の騒ぎのように遠ざかり、町の様子を一変する大きな変化が、二度目にそれを眺める時には、ただ当然な風景でしかなくなっていた。
その健康な健忘性の雑多な欠片の一つの中に、白痴の女が、やっぱり霞んでいる。
昨日まで行列していた駅前の居酒屋の疎開跡の、棒切れだの、爆弾に破壊されたビルの穴だの、町の夜景跡だの、
それらの雑多の間に挟まれて、白痴の顔が転がっているだけだった。けれども毎日警戒警報が鳴る。時には、空襲警報も鳴る。
すると彼は非常に不愉快な精神状態になるのであった。
それは、彼の留宿の近いところに空襲があり、知らない変化が現に起こっていないかという懸念であったが、
その懸念の唯一の理由は、ただ女が取り乱して、飛び出して、すべてが近隣へ知れ渡っていないかという不安なのだった。
知らない変化の不安のために、彼は毎日明るいうちに家へ帰ることができなかった。
この低俗な不安を、克服しえぬ惨めさに、いくたび虚しく反抗したか。
45:04
彼はせめて、仕立て合いにすべてを打ち明けてしまいたいと思うのだったが、その卑劣さに絶望して、
なぜならそれは、被害の最も軽症な告白を行うことによって不安を紛らす、惨めな手段に過ぎないので、
彼は自分の本質が、低俗な世間並みに過ぎないことを呪い、生き通るのみだった。
彼には忘れ得ぬ二つの白痴の顔があった。
街角を曲がるときだの、会社の階段を上るときだの、電車の人混みを抜け出るときだの、
計らざる随所に、二つの顔をふと思い出し、そのたびに彼の一切の思念が凍り、
そして一瞬の虐状が、絶望的に凍りついているのであった。
その顔の一つは、彼が初めて白痴の肉体に触れたときの白痴の顔だ。
そしてその出来事自体は、その翌日には、一年昔の記憶の彼方へ遠ざけられているのであったが、
ただ顔だけが、切り離されて思い出されてくるのである。
その日から白痴の女は、ただ待ち儲けている肉体であるに過ぎず、
その他の何の生活も、ただ一切れの考えすらもないのであった。
常にただ待ち儲けていた。
胃沢の手が女の肉体の一部に触れるというだけで、
女の意識する全部のことは肉体の行為であり、
そして体も、そして顔も、ただ待ち儲けているのみであった。
驚くべきことに深夜、胃沢の手が女に触れるというだけで、
眠りしれた肉体が同一の反応を起こし、
肉体の身は常に生き、ただ待ち儲けているのである。
眠りながらも。
けれども、目覚めている女の頭に、何事が考えられているかといえば、
もともとただの空虚であり、
あるものはただ魂の渾水と、そして生きている肉体のみではないか。
目覚めた時も魂は眠り、眠った時もその肉体は目覚めている。
あるものはただ無自覚な肉欲のみ。
それはあらゆる時間に目覚め、虫のごとき産まざる反応の瞬動を起こす肉体であるに過ぎない。
もう一つの顔、それは檻から胃沢の休みの日であったが、
白昼十からの地区に二時間にわたる爆撃があり、
防空壕を持たない胃沢は、女と共に押入れに潜り、布団を盾に隠れていた。
爆撃は胃沢の家から四五百メートルを離れた地区へ集中したが、
知識もろとも家は揺れ、爆撃の音と同時に呼吸も思念も中絶する。
48:03
同じように落ちてくる爆弾でも、焼夷弾と爆弾では凄みにおいて、青大将とマムシぐらいの相違があり、
焼夷弾にはガラガラという特別不気味な音響が仕掛けてあっても、
地上の爆発音が無いのだから、頭は頭上でスーと消え失せ、
龍頭ダビトはこの事でダビト頃が全然尻尾が無くなるのだから、決定的な恐怖感に欠けている。
けれども爆弾という奴は、落下音こそ小さく低いが、ザーッという雨降りの音のようなただ一本の棒を引き、
こいつが最後に地軸もろとも引き裂くような爆発音を起こすのだから、
ただ一本の棒にこもった充実した凄みと言ったら論外で、
ズドズドズドと爆発の足が近づく時の絶望的な恐怖ときては、
学面通りに生きた心持ちが無いのである。
おまけに飛行機の高度が高いので、ブンブンという頭上通過のベーキの音も至極かすかに、
何くわぬ風に響いていて、それはまるでよそ見をしている怪物に大きな斧で殴りつけられるようなものだ。
攻撃する相手の様子が不確かだから、
爆音のうねりの変な遠さが、
はなはな不安であるところへ、そこからザーッと雨降りの棒一本の落下音が伸びてくる。
爆発を待つ間の恐怖。
全くこれらは言葉も呼吸も思念も止まる。
いよいよ今度はおだぶつだという絶望が、
発狂寸前の冷たさで生きて光っているだけだ。
伊沢の小屋は幸い四方がアパートだの、基地街だの、
仕立て屋などの二階屋で取り囲まれていたので、
近隣の家は窓ガラスが割れ、屋根の傷んだ家もあったが、
彼の小屋のみガラスにヒビすらも入らなかった。
ただ豚小屋の前の畑に血だらけの暴空頭巾が落ちてきたばかりであった。
押入れの中で伊沢の目だけが光っていた。
彼は見た白痴の顔を、
虚空をつかむその絶望の苦悶を。
ああ人間には力がある。
いかなる時にもなおいくらかの抑制や抵抗は影をとどめているものだ。
その影ほどの力も抑制も抵抗もないということが、これほど浅ましいものだとは。
女の顔と全身に、ただ死の前に開かれた恐怖と苦悶が凝りついていた。
苦悶は動き、苦悶はもがき、そして苦悶が一滴の涙を落としている。
もし犬の目が涙を流すなら、
犬が笑うと同様に周回極まるものであろう。
51:05
影すらも、理智のない涙とはこれほども醜悪なものだとは。
爆撃の最中において、四五歳、ないし六七歳の幼児たちは奇妙に泣かないものである。
彼らの心臓は波のような動機を打ち、彼らの言葉は失われ、異様な目を大きく見開いているだけだ。
全身に生きているのは目だけであるが、それは一見したところただ大きく見開かれているだけで、
必ずしも不安や恐怖というものの直接劇的な表情を刻んでいるというほどではない。
むしろ本来の子供よりも、かえって理智的に思われる冗談を静かに殺している。
その瞬間にはあらゆる大人もそれだけで、あるいはむしろそれ以下で、
なぜならむしろ露骨な不安や死への苦悶を表すからで、
いわば子供が大人よりも理智的にすら見えるのだった。
白痴の苦悶は子供たちの大きな目とは似ても似つかぬものであった。
それはただ本能的な死への恐怖と死への苦悶があるだけで、
それは人間のものではなく、虫のものですらもなく、
醜悪な一つの動きがあるのみだった。
やや似たものがあるとすれば、一寸五分ほどの芋虫が、
五尺の長さに膨れ上がってもがいている動きぐらいのものだろう。
そして目に一滴の涙をこぼしているのである。
言葉も叫びもうめきもなく表情もなかった。
いざわの存在すらも意識してはいなかった。
人間ならばかほどの孤独があり得るはずはない。
男と女とただ二人押し入れにいて、
その一方の存在を忘れ果てるということが、
人の場合にあり得るはずはない。
人は絶対の孤独というが、
他の存在を自覚してのみ絶対の孤独もあり得るので、
かほどまで盲目的な、無自覚な絶対の孤独があり得ようか。
それは芋虫の孤独であり、
その絶対の孤独の愛の浅ましさ。
心の影の返りもない苦悶の層の見るに絶えぬ醜悪さ。
爆撃が終わった。
いざわは女を抱き起こしたが、
いざわの指の一本が胸に触れても反応を起こす女が、
その肉欲すら失っていた。
この袋を抱いて無限に落下し続けている。
暗い、暗い、無限の落下があるだけだった。
彼はその日、爆撃直後に散歩に出て、
投げ倒された民家の間で吹き飛ばされた女の足も、
54:02
蝶の飛び出した女の腹も、
ねじ切れた女の首も見たのであった。
3月10日の大空襲の夜景やとも、まだ吹き上げる煙をくぐって、いざわは当てもなく歩いていた。
人間が焼き鳥と同じようにあっちこっちに死んでいる。
一塊に死んでいる。
まったく焼き鳥と同じことだ。
怖くもなければ汚くもない。
犬と並んで同じように焼かれている死体もあるが、それはまったく犬死にで、
しかしそこにはその犬死にの悲痛さも、考えすらもありはしない。
人間が犬のごとくに死んでいるのではなく、
犬と、そしてそれと同じような何者かが、
ちょうど一皿の焼き鳥のように盛られ、並べられているだけだった。
犬でもなく、もとより人間ですらもない。
白痴の女が焼け死んだら、
土から作られた人形が土に還るだけではないか。
もしこの町に焼夷弾の降り注ぐ夜が来たら、
いざわはそれを考えると、変に落ち着いて沈み、考えている自分の姿と自分の顔、
自分の目を意識せずにいられなかった。
俺は落ち着いている、そして空襲を待っている。
よかろう。
彼はせせら笑うのだった。
俺はただ、主役なものが嫌いなだけだ。
そして、もともと魂のない肉体が焼けて死ぬだけのことではないか。
俺は女を殺しはしない。俺は卑劣で低俗な男だ。
俺にはそれだけの度胸はない。
だが戦争が多分女を殺すだろう。
その戦争の冷酷な手を女の頭上へ向けるためのちょっとした手がかりだけを掴めばいいのだ。
俺は知らない。
多分何かある瞬間がそれを自然に解決しているに過ぎないだろう。
そしていざわは空襲を極めて冷静に待ち構えていた。
それは4月15日であった。
その2日前、13日に東京では2度目の夜間大空襲があり、
池袋田の菅本田の山手方面に被害があったが、たまたまその理財証明が手に入ったので、
いざわは埼玉へ買い出しに行かけ、いくらかな米をリュックに背負って帰ってきた。
彼が家へ着くと同時に警戒警報が鳴り出した。
次の東京の空襲がこの町の辺りだろうということは、
やけ残りの地域を考えれば誰にも想像のつくことで、
早ければ明日、遅くとも1ヶ月とはかからないこの町の運命の日が近づいている。
早ければ明日と考えたのはこれまでの空襲の速度、
57:03
編隊夜間爆撃の準備期間の間隔が早くて明日ぐらいであったからで、
この日がその日になろうとは、いざわは予想していなかった。
それゆえ買い出しにも出かけたので、
買い出しといっても目的は他にもあり、
この農家はいざわの学生時代に縁起のあった家であり、
彼は2つのトランクとリュックに詰めた物品を預けることがむしろ主要な目的であった。
いざわは疲れ切っていた。
服装は防空服装でもあったから、
リュックを枕にそのまま部屋の真ん中にひっくり返って、
彼は実際この差し迫った時間にうとうと眠ってしまった。
ふと目が覚めると処方のラジオはガンガンが鳴り立てており、
編隊の戦闘はもう伊豆南端に迫り、伊豆南端を通過した。
同時に空襲警報が鳴り出した。
いよいよこの町の最後の日だ。
いざわは直感した。
白紙を押し入れの中に入れ、いざわはタオルをぶら下げ歯ブラシを加えて伊豆南端へ出かけたが、
いざわはその数日前にライオンネリ歯磨きを手に入れ、
長い間忘れていたネリ歯磨きの工場中に染みあたる爽快さを懐かしんでいたので、
運命の日を直感するとどういうわけだか歯を磨き、
顔を洗う気になったが、
第一にそのネリ歯磨きが当然あるべき場所からほんのちょっと動いていただけで、
長い時間、それは実に長い時間におもれたが見当たらず、
ようやくそれを見つけると今度は石鹸、この石鹸も方向のある昔の化粧石鹸が、
これもちょっと場所が動いていただけで長い時間見当たらず、
ああ俺は慌てているな、落ち着け落ち着け、
頭を戸棚にぶつけたり、机につまずいたり、
そのために彼は残事の間、一切動きと思念を中絶させて、
精神統一を図ろうとするが、
体自体が本能的に慌て出して滑り動いていくのである。
ようやく石鹸を見つけ出して井戸場とへ出ると、
仕立て屋夫婦が畑の隅の防空壕へ荷物を投げ込んでおり、
アヒルによく似た屋根裏の娘が荷物をぶら下げてうろうろしていた。
井沢はともかく練り歯磨きと石鹸を断念せずに、
突き止めた必要さを祝福し、
果たしてこの世の運命はどうなるのだろうと思った。
まだ顔を拭き終わらぬうちに高射砲が鳴り始め、
頭を上げるともう頭上に十何本の小空筒が襟乱れて真上を刺して騒いでおり、
工房の真ん中に兵器がぽっかり浮いている。
続いて一騎、また一騎、
1:00:00
太めを下方へ下ろしたらもう駅前の方角が火の海になっていた。
いよいよ来た。
事態がはっきりすると井沢はようやく落ち着いた。
防空頭巾をかぶり、布団をかぶって軒先に立ち、24機まで井沢は数えた。
ぽっかり工房の真ん中に浮いてみんな頭上を通過している。
高射砲の音だけが気が違ったようになり続け、爆撃の音は一向に起こらない。
25機を数えるときから例のガラガラと、
ガードの上を貨物列車が駆け去るときのような焼夷弾の落下音が鳴り始めたが、
井沢の頭上を通り越して工房の工場地帯へ集中されているらしい。
軒先からは見えないので、豚小屋の前まで行って後ろを見ると工場地帯は火の海で、
明らかことには、今まで頭上を通過してきた飛行機と正反対の方向からも次々と米機が来て、後方一帯に爆撃を加えているのだ。
するともうラジオは止まり、空一面は赤赤と厚い煙の膜に隠れて、米機の姿も昇空塔の工房も全く視界から失われてしまった。
北方の一角を残して四周は火の海となり、その火の海が次第に近づいてきた。
舌手屋夫婦は用心深い人たちで、常から防空壕を荷物用に作ってあり、
メハリの泥も用意しておき、晩時手順通りに防空壕に荷物を詰め込みメハリを塗り、
そのまた上畑の土も掛け終わっていた。
この火じゃとてもダメですね。
舌手屋は昔の火消しの所属で腕組みをして火の手を眺めていた。
消せったってこれじゃ無理だ。あたしはもう逃げますよ。
煙に巻かれて死んでみても始まらねえや。
舌手屋は利やかに一山の荷物を積み込んでおり、
先生、一緒に引き上げましょう。
伊沢はその時、想像しぃほど複雑な恐怖感に襲われた。
彼の身体は舌手屋と一緒に滑りかけているのであったが、
身体の動きを振り切るような一つの心の抵抗で滑りを止めると、
心の中の一角から張り裂けるような悲鳴の声が同時に起こったような気がした。
この一瞬の遅延のために焼けて死ぬ。
彼はほとんど恐怖のために放心したが、
再びともかく自然によろめき出すような身体の滑りをこらえていた。
僕はね、ともかく、もうちょっと残りますよ。
僕はね、仕事があるんだ。
僕はね、ともかく芸人だから、
命のとことんのところで自分の姿を見つめるような機械には、
そのとことんのところで最後の取引をしてみることを要求されているんだ。
1:03:00
僕は逃げたいが逃げられないんだ。
この機械を逃すわけにいかないんだ。
もう、あなた方は逃げてください。
早く、早く。
もう、あなた方は逃げてください。
早く、早く。
一瞬間がすべてを手遅れにしてしまう。
早く、早く。
一瞬間がすべてを手遅れに。
すべてとは、それは伊沢自身の命のことだ。
早く、早く。
それは下手をせき立てる声ではなくて、
彼自身が一瞬も早く逃げたいための声だった。
彼がこの場所を逃げ出すためには、
辺りの人々がみんな先立った後でなければならないのだ。
さもなければ、白痴の姿を見られてしまう。
じゃあ先生、お大事に。
リアカーを引っ張り出すと、下手屋も慌てていた。
リアカーは路地の隅々にぶつかりながら、立ち去った。
それがこの路地の住人たちの最後に逃げ去る姿であった。
岩を洗う怒涛の無限の音のような、
屋根を打つ校舎砲の無数の破片の無限の落下の音のような、
旧首と校庭の何もないザーザーという不気味な音が無限に連続しているのだが、
それが不動を流れている避難民たちの一塊の足音なのだ。
校舎砲の音などはもう間が抜けて、
足音の流れの中に奇妙な命がこもっていた。
校庭と旧首のない奇怪な音の無限の流れを世の何人が足音と判断し得よ。
天地はただ無数の音響でいっぱいだった。
兵器の爆音、校舎砲、落下音、爆発の音響、足音、屋根を打つ断片。
けれども伊沢の周辺の何十メートルかの周囲だけは、
赤い天地の真ん中でともかく小さな闇を作り、
全然ひっそりしているのだった。
ヘンテコな静寂の厚みと気の違いそうな孤独の厚みが、
とっぷり始終を包んでいる。
もう三十秒、もう十秒だけ待とう。
なぜ、そして誰が命令しているのだか、
どうしてそれに従わねばならないのだか、
伊沢はきちがいになりそうだった。
突然もだえ、泣き喚いて盲目的に走り出しそうだった。
その時鼓膜の中をかき回すような落下音が、
頭の真上へ落ちてきた。
夢中に伏せると頭上で音響は突然消え失せ、
嘘のような静寂が再び始終に戻っている。
やれやれ、脅かしやがる。
伊沢はゆっくり起き上がって、胸や膝の土を払った。
顔を上げると、きちがいの家が火を吹いている。
1:06:01
何だい、とうとう落ちたのか。
彼は奇妙に落ち着いていた。
気がつくとその左右の家も、すぐ目の前のアパートも火を吹き出しているのだ。
伊沢は家の中へ飛び込んだ。押入れの塔を跳ね飛ばして、
実際それは外れて飛んでバタバタと倒れた。
白地の女を抱くように布団をかぶって走り出た。
それから1分間ぐらいのことが全然夢中でわからなかった。
路地の出口に近づいたとき、また音響が頭上をめがけて落ちてきた。
伏せから起き上がると、路地の出口の煙草屋も火を吹き、
向かいの家では仏壇の中から火が吹き出しているのが見えた。
路地を出て振り返ると、下手屋も火を吹き始め、
どうやら伊沢の小屋も燃え始めているようだった。
市中は全くの火の海で、不動の上には避難民の姿も少なく、
火の子が飛び交い舞い狂っているばかり。
もうダメだと伊沢は思った。
十字路へ来るとここから大変な混雑で、
あらゆる人々がただ一方を目指している。
その方向が一番火の手が遠いのだ。
そこはもう道ではなくて、人間と荷物の悲鳴の重なり合った流れに過ぎず、
押し合いへし合い、突き進み踏み越え押し流され、
落下音が頭上に迫ると流れは一時に地上に伏して不思議にぴったり止まってしまい。
何人かの男だけが流れの上を踏みつけて駆け去るのだが、
流れの大半の人々は荷物と子供と女と老人の連れがあり、
呼び交わし、立ち止まり、戻り、突き当たり跳ね飛ばされ、
そして火の手はすぐ道の左右に迫っていた。
小さな十字路へ来た。
流れの全部がここでも一方を目指しているのは、やはりそっちが火の手が最も遠いからだが、
その方向には空き地も畑もないことを伊沢は知っており、
次の米機の焼夷弾が行く手を塞ぐと、この道には死の運命があるのみだった。
一方の道はすでに両側の家々が燃え狂っているのだが、
そこを越すと小川が流れ。
小川の流れを数丁登ると麦畑へ出られることを伊沢は知っていた。
その道を駆け抜けていく一人の影すらもないのだから、伊沢の決意も鈍ったが、
ふと見ると150メートルぐらい先の方で茂川に水をかけている、
たった一人の男の姿が見えるのであった。
茂川に水をかけると言っても決して勇ましい姿ではなく、
ただバケツをぶら下げているだけで、たまに水をかけてみたり、
ぼんやり立ったり歩いてみたり、変に血どんな動きで、
1:09:02
その男の心理の解釈に苦しむような間の抜けた姿なのだった。
ともかく一人の人間が生け死にもせず立っていられるのだからと伊沢は思った。
俺の運を試すのだ。
運。
まさにもう残されたのは一つの運。
それを選ぶ決断があるだけだった。
十字路に溝があった。
伊沢は溝に布団を浸した。
伊沢は女と肩を組み、布団をかぶり、群衆の流れに決別した。
茂川のマイクルー道に向かって一足歩きかけると、
女は本能的に立ち止まり、群衆の流れる方へ引き戻されるようにフラフラとよろめいていく。
バカ。
女の手を力いっぱい握って引っ張り、道の上へよろめいて出る女の肩を抱きすくめて、
そっちへ行けば死ぬだけなのだ。
女の体を自分の胸に抱きしめて囁いた。
死ぬ時はこうして二人一緒だよ。
恐れるな。そして俺から離れるな。
火も爆弾も忘れて。
おい、俺たち二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ。
この道をただまっすぐ見つめて、俺の肩にすがりついてくるがいい。
わかったね。
女はごくんとうなずいた。
そのうなずきは稚拙であったが、伊沢は感動のために狂いそうになるのであった。
ああ、長い長い幾度かの恐怖の時間。
夜中の爆撃の下において女が現した初めての意思であり、ただ一度の答えであった。
その意地らしさに伊沢は逆上しそうであった。
今こそ人間を抱きしめており、その抱きしめている人間に無限の誇りを持つのであった。
二人はもうかをくぐって走った。
熱風の塊の下を抜け出ると道の両側はまだ燃えている火の海だったが、
すでに胸は焼け落ちた後で火性は衰え、熱気は少なくなっていた。
そこにも溝があふれていた。
女の足から肩の上まで水を浴びせ、もう一度布団を水に浸してかぶり直した。
道の上に焼けた荷物や布団が飛び散り、人間が二人死んでいた。
四十ぐらいの女と男のようだった。
二人は再び肩を組み火の海を走った。
二人はようやく小川の淵へ出た。
ところがここは小川の両側の工場が猛火を吹き上げて燃え狂っており、
進むことも引くことも立ち止まることもできなくなったが、
ふと見ると小川に梯子が架けられているので布団をかぶせて女を下ろし、
伊沢は一気に飛び降りた。
1:12:00
決別した人間たちが三三五五川の中を歩いている。
女は時々自発的に体を水に浸している。
犬ですらそうせざるをえぬ状況だったが、一人の新たな可愛い女が生まれ出た新鮮さに、
伊沢は目を見開いて水を浴びる女の死体をむさぼり見た。
小川は炎の下を出外れて暗闇の下を流れ始めた。
空一面の火の色で真の暗闇はありえなかったが、再び生きてみることを得た暗闇に、
伊沢はむしろ得体の知れない大きな疲れと、果て知れぬ虚無とのためにただ方針が広がる様を見るのみだった。
その底に小さな安堵があるのだが、それは変にケチ臭い馬鹿げたものに思われた。
何もかも馬鹿馬鹿しくなっていた。
川を上がると麦畑があった。
麦畑は三方丘に囲まれて三丁四方ぐらいの広さがあり、その真ん中を黒洞が丘を切り開いて通っている。
丘の上の住宅は燃えており、麦畑の淵の銭湯と工場と寺院と何かが燃えており、
その各々の火の色が白、赤、橙、青、濃淡とりどりみんな違っているのである。
にわかに風が吹き出して、ごうごうと空気が鳴り、霧のような細かい水滴が一面に降りかかってきた。
群衆はなお延々と黒洞を流れていた。
麦畑に休んでいるのは数百人で、延々たる黒洞の群衆に比べれば物の数ではないのであった。
麦畑の続きに雑木林の丘があった。 その丘の林の中にはほとんど人がいなかった。
二人は木立の下へ布団を敷いて寝転んだ。 丘の下の畑の淵に一軒の農家が燃えており、水をかけている数人の人の姿が見える。
その裏手に井戸があって、一人の男がポンプをガチャガチャやり、水を飲んでいるのである。
それをめがけて畑の四方からたちまち二十人ぐらいの老幼男女が駆けつどってきた。
彼らはポンプをガチャガチャやり、河原がある水を飲んでいるのである。 それから燃え落ちようとする家の火に手をかざして、ぐるりと並んで団を取り、
崩れ落ちる火の塊に飛び乗りたり、煙に顔を背けたり話をしたりしている。
誰も消火に手伝う者はいなかった。 眠くなったと女が言い、私疲れたのとか足が痛いのとか目も痛いのとかのつぶやきのうちの三つに一つぐらいは
1:15:08
私眠りたいのと言った。 眠るがいいさ。
戸井沢は女を布団にくるんでやり、煙草に火をつけた。 何本目かの煙草を吸っているうちに遠く彼方に解除の警報が鳴り、
数人の巡査が麦畑の中を歩いて解除を知らせていた。 彼らの声は一様につぶれ、人間の声のようではなかった。
蒲田所管内の者は、矢口国民学校が焼け残ったから集れと触れている。 人々が畑のうねから起き上がり、国道へ降りた。
国道は再び人の波だった。しかし、井沢は動かなかった。 彼の前にも巡査が来た。
その人は何かね。怪我をしたのかね。 いいえ、疲れて寝てるんです。
矢口国民学校知っているかね。 ええ、一休みして後から行きます。
勇気を出したまえ、これしきのことに。 巡査の声はもう続かなかった。
巡査の姿は消え去り、雑木林の中にはとうとう二人の人間だけが残された。 二人の人間だけが。けれども女はやはりただの一つの肉塊に過ぎないではないか。
女はぐっすり眠っていた。 全ての人々が今、焼け跡の煙の中を歩いている。
全ての人々が家を失い、そして皆歩いている。 眠りのことを考えてすらいないのであろう。
今、眠ることができるのは死んだ人間とこの女だけだ。 死んだ人間は再び目覚めることがないが、
この女はやがて目覚め、そして目覚めることによって眠りこけた肉塊に何者を付け加えることもあり得ないのだ。
女はかすかであるが、今まで聞き覚えのないいびき声を立てていた。 それは豚の鳴き声に似ていた。
まったくこの女自体が豚そのものだと伊沢は思った。 そして彼は子供の頃の小さな記憶の断片をふと思い出していた。
一人のガキ大将の命令で十何人かの子供たちが小豚を追い回していた。 追い詰めてガキ大将はジャックナイフでいくらか豚の尻肉を切り取った。
豚は痛そうな顔もせず特別の鳴き声も立てなかった。 尻の肉を切り取られたことも知らないようにただ逃げ回っているだけだった。
伊沢は米軍が上陸して銃砲弾が八方にうねりコンクリートのビルが吹き飛び、 頭上に米機が急降下して機銃総統を加える下で土煙と崩れたビルと穴の間を転げ回って
1:18:14
逃げ歩いている自分と女のことを考えていた。 崩れたコンクリートの陰で女が一人の男に抑えつけられ、男は女をねじ倒して肉体の行為にふけりながら、
男は女の尻の肉をむしり取って食べている。 女の尻の肉はだんだん少なくなるが女は肉欲のことを考えているだけだった。
明け方に近づくと冷え始めて、 伊沢は外の外套も着ていたし厚いジャケットも着ているのだが寒気が絶えがたかった。
下の麦畑の淵の処方にはなお燃え続けている一面の火の原があった。 そこまで行って弾を取りたいと思ったが女が目を覚ますと困るので伊沢は身動きができなかった。
女の目を覚ますのがなぜかこらえられぬ思いがしていた。 女の眠りこけているうちに女を置いて立ち去りたいとも思ったがそれすらも面倒臭くなっていた。
人が物を捨てるには、例えば紙くずを捨てるにも捨てるだけの張り合いと潔癖ぐらいはあるだろう。
この女を捨てる張り合いも潔癖も失われているだけだ。 未人の愛情もなかったし、未練もなかったが捨てるだけの張り合いもなかった。
生きるための明日の希望がないからだった。 明日の日に例えば女の姿を捨ててみても
どこかの場所に何か希望があるのだろうか。 何を頼りに生きるのだろう。
どこに住む家があるのだか。 眠る穴ぼこがあるのだか。
それすらも分かりはしなかった。 米軍が上陸し、天地にあらゆる破壊が起こり、
その戦争の破壊の巨大な愛情がすべてをさばいてくれるだろう。 考えることもなくなっていた。
夜がしらんできたら女を起こして焼き跡の方には見向きもせず、 ともかく寝蔵を探してなるべく遠い停車場を目指して歩き出すことにしようと
伊沢は考えていた。 電車や汽車は動くだろうか。
停車場の周囲の枕木の垣根にもたれて休んでいる時、 今朝は果たして空が晴れて、
俺と俺のお隣に並んだ豚の背中に 太陽の光が注ぐだろうかと伊沢は考えていた。
1:21:01
あまり今朝が寒すぎるからであった。 1990年発行
ちくま文庫 ちくま書房 坂口安吾全集4
より読み終わりです。
大作 長かった
何が40分だよなぁ 1時間20分と80分じゃないか
全然見積もりが甘かったですね
いかがでしたでしょうか。 まあ長かったんで寝れたかもしれません。
ちょっと紙砕けてないな。読みながらだから。 これが絶賛された理由があるわけでしょ。
代表作になるくらいの。 ちょっとまた振り返りつつ噛み締めたいと思います。
それでは今日のところはこの辺で。 また次回お会いしましょう。おやすみなさい。
01:21:59

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