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2024-12-26 28:59

090永井荷風「雪の日」

090永井荷風「雪の日」

大きな雪玉を独りで作った翌日は、背中から裏モモまで筋肉痛がすごかったです。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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サマリー

永井荷風のエッセイ「雪の日」では、雪が降る東京の街の情景や過去の思い出が描かれています。彼は雪の日の特有の情緒や人々の生活を巧みに表現し、特に思い出の中の人情や風俗を振り返ります。このエピソードでは、雪の日の思い出や過去の淡い恋の情景が描かれ、懐かしい気持ちを呼び覚まします。永井荷風の作品を通じて、冬の寒さや人の寂しさに対する感受性が表現されていることが伝わります。「雪の日」では、雪の情景を背景にした淡い男女の思い出が描かれ、エピソードでは、雪の日にまつわるエピソードと記憶と感情が織り交ぜられたストーリーが展開されています。

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寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
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雪の日の情景
さて、今日は永井荷風さんの雪の日というテキストを読もうかと思います。
何度か読んでますね。
永井荷風さん、日本の小説家・随筆家。
明治36年から5年間、アメリカやフランスに留学し、
アメリカ物語、フランス物語を執筆。
文壇に新風を吹き込んだ。
後、慶應義塾大学で主任教授となり、教鞭を取ったということです。
他の作家さんたちもね、
この永井荷風さんは生涯独身を貫いた方らしいんですが、
他の作家さんたちが自身にお嫁さんとかお子さんとかがいるのに反して、
永井荷風氏は独身でみたいな、独身の代名詞みたいによく名前が出てくる作家先生ですね。
その人の雪の日というテキストを読もうかと思います。
ちょっとだけ脱線しますが、
僕、新潟の生まれの人が飲み友達に何人かいるんですけど、
夏秋にカメムシが多く発生した年、
それからカマキリの卵がやたら上の方についてた年は雪が多くなるっていうのが、
その新潟県人たちの間ではなんか分かる分かるってなってて、
その関東に住み暮らしてると全然分からない話だなって、
ホエーってなって聞いてました。そうなの?つって。
カメムシは分かんないですけど、カマキリは分かる気がしないですか?
卵つける場所って生存戦略にすげー関わってる気がするから。
無理してでも高いところにつけないと。
なにせ今年は雪が多いからを肌で感じてってことでしょ?
虫たちは知っている的な。
へーと思いましたけどね。
ちょっと関係ない話しちゃいましたが。
脱線しちゃったな。
それでは参ります。
雪の日。
思い出の東京
曇って風もないのに、
寒さはフジおろしの激しく吹き荒れる日よりも、
なお、さらに身に染み。
こたつに当たっていながらも、
下腹がしくしく痛むというような日が、
一日も二日も続くと、
決まってその日の夕方近くから、
待ち儲けていた小雪が、
目にもつかず音もせずに降ってくる。
すると路地のドブ板を踏む下駄の音が小走りになって、
降ってきたよーと叫ぶ女の声が聞こえ、
表通りを呼び歩く豆腐屋の太い声が、
気のせいかにわかに遠くかすかになる。
私は雪が降り始めると、
いまだに明治時代、電車も自動車もなかった頃の
東京の街を思い起こすのである。
東京の街に降る雪には、
日本の中でもよそに見られぬ固有のものがあった。
さらば言うまでもなく、
パリやロンドンの街に降る雪とは、
まったく違った趣があった。
パリの街に降る雪は、
プッチニーがボエームの曲を思い出させる。
歌座節に誰もが知っている
羽織隠してという曲がある。
羽織隠して袖引き止めて、
どうでも今日はいかんすかと、
言いつつ立つてレンジ窓。
障子細めに引き開けて、
あれみやしゃんせこの雪に。
私はこの忘れられた前の世の小歌を、
雪の降る日には必ず思い出して
提唱したいような心持ちになるのである。
この歌詞には一語の無駄もない。
その場の切迫した光景と、
その時の綿綿とした情緒とが、
洗練された言語の巧妙なる用法によって、
絵よりも鮮明に描写されている。
どうでも今日はいかんすかの一句と、
歌まろが成老年寿行時の
一画面等を対象するものは、
容易に私の解説に沙汰するであろう。
私もまたさらに、
田目永春水の小説「辰美の園」に、
男次郎が久しく別れていたその丈夫、
足立を深川の隠れ家に訪ね、
旧館を語り合う中、
日は暮れて雪が降り出し、
帰ろうにも帰られなくなるという、
情緒天面としたその一章を思い出す。
同じ作者の「港の花」には、
思う人に捨てられた女が、
堀割に沿った貧寡の一間に世を忍び、
雪の降る日にも墨がなく、
ただ涙に暮れている時、
見知り川の船頭が、
貯金船を漕いで通るのを、
丸野の少女の破れ目から見て、
それを呼び止め、
墨をもらうというようなところがあった。
杉潮の街に降る雪には、
必ず三味線の音色が伝えるような、
人情と記憶
哀愁と哀憐とが感じられた。
小説、隅田川を書いていた自分だから、
明治四十一二年の頃であったろう。
井上阿阿さんという筑波の友と二人、
梅にはまだ少し早いが、
と言いながら向島を歩み、
百貨園に一休みした後、
一昨日まで戻ってくると、
川面一帯早くも立ち迷う夕靄の中から、
対岸の陽がちらつき、
まだくれきらぬ空から音もせずに雪が降ってきた。
今日もとうとう雪になったかと思うと、
わけもなく二番目狂言に出てくる人物になったような心持ちになる。
じょうるりを聞くような、
やわい情味が胸いっぱいに湧いてきて、
二人とも言い合わせたようにそのまま立ち止まって、
みるみる暗くなっていく川の流れを眺めた。
突然耳元近く女の声がしたので、
その方を見ると、
町名寺の門前にある掛邪屋のおかみさんが、
野木下の障儀に置いた煙草盆などを片付けているのである。
どまがあって、
家のうちの座敷にはもうランプがついている。
友達がおかみさんを呼んで、
一杯いただきたいが細くて迷惑なら瓶詰めをください、
と言うと、
おかみさんは姉さまかぶりにした手ぬぐいを取りながら、
おあがんなさいまし。何もございませんが、
と言って座敷へ座布団を出して敷いてくれた。
三十地下へ小作りの垢抜けのした女であった。
焼き海苔に帳紙を運んだ後、
おかみさんは、
おさむいじゃございませんか?と親しげな調子で、
置きこたつを持ち出してくれた。
親切で嫌味がなく、
鬼天の聞いているこういう接待ぶりも、
その頃にはさして珍しいというほどのことでもなかったのであるが、
今日これを改装してみると、
市街の光景とともに、
かかる人情、かかる風俗も、
再び味がたく、再び愛がたきものである。
物ひと旅さればついに帰っては来ない。
身近世の夢ばかりではない。
友達が手尺の一杯を口の旗に持って行きながら、
雪の日や飲まぬお方の懐で、
と言って私の顔を見たので、
私も、
酒飲まぬ人はかかしの雪見かな。
と返して、その時調子の変わりを持ってきたお上さんに、
船のことを聞くと、
私はもうありませんが、
上機は七時までございます。
というようにやや腰を据え、
船泣くば、
雪見返りの転ぶまで、
船足を借りて落ち着く雪見かな。
知恵あまりじゃね。
その頃、何やかや書きつけておいた手帳は、
その後、いろいろな保護とともに、
一束根にして大川へ流してしまったので、
今になっては雪が降っても、
その夜のことはただ、
人情のゆるやかであった時代とともに、
早く夜を去った友達の面影が、
ぼんやり記憶に浮かんでくるばかりである。
雪も宵の寒い日になると、
今でも大久保の家の庭に、
一は黒い山鳩の来た日を思い出すのである。
父はすでに夜を去って、
母と私と二人きり広い家にいた頃である。
母は下柱のひるすぎまでも溶けない
寂しい冬の庭に、
おりおり山鳩がたった一羽、
どこからともなく飛んでくるのを見ると、
あの鳩が来たからまた雪が降るでしょう、
と言われた。
果たして雪が降ったかどうであったか、
もうよくは覚えていないが、
その後も冬になると、
おりおり山鳩の庭に来たことだけは、
どういうわけか長く、
私の記憶に刻みつけられている。
雪も宵の冬の日、
暮れ方近くなる時の、
疲れて沈みきった寂しい心持ち。
その日その日に忘れられていくわけもない、
物思わしい心持ちが、
年を経て、
またわけもなく、
追憶の悲しさを呼ぶがためかもしれない。
その後、三、四年にして私は、
牛ごめの家を売り、
そこここと四重の刈屋に移り住んだ後、
あざぶに来て三十年近い月日を過ごした。
むろん、母をはじめとして、
私には親しかった人たちの、
今は一人として、
雪の日の思い出
この世に生き残っていようはずはない。
世の中は知らない人たちの下死がたい議論、
聞きなれない言葉、
聞きなれない物音ばかりになった。
しかしその昔、
牛ごめの庭に山ぼたのさまよってきた時のような、
寒い雪の宵の空は、
今になっても、
毎年冬になれば折々、
私が寝ている部屋のガラス窓を灰色に曇らせることがある。
すると、たちまちあの鳩はどうしたろう。
あの鳩は昔と同じように、
今頃はあの古庭の苔の上を歩いているかもしれない。
と、月日の隔てを忘れて、
その日のことがありありと思い返されてくる。
鳩が来たから雪が降りましょう、
と言われた母の声までが、
どこからともなくかすかに聞こえてくるような気がしてくる。
海藻は現実の実を夢の世界に連れて行き、
渡ることのできない彼岸を望む時の、
絶望と開墾との縁に人の実を投げ込む。
海藻は寒気と臭菌との両面を持っている謎の女神であろう。
七十になる日もだんだん近くなってきた。
七十という醜い老人になるまで、
私は生きていなければならないのかしら。
そんな年まで生きていたくない。
と言って、今夜目をつぶって眠れば、
それがこの世の終わりだとなったなら、
定めし私は驚くだろう、悲しむだろう。
生きていたくもなければ死にたくもない。
この思いが毎日毎夜、
私の心の中に出没している雲の影である。
私の心は暗くもならず明るくもならず、
ただしんみりと黄昏れてゆく雪の日の空に似ている。
日は必ず沈み、日は必ず尽きる。
死はやがて遅かれ早かれ、来ねばならぬ。
生きているうち、私の身に懐かしかったものは寂しさであった。
寂しさのあったばかりに、
私の生涯には薄いながらにも色彩があった。
楽屋入りと芸人の日常
死んだなら、死んでからのちにも薄いながらに、
私は色彩が欲しい。
そう思うと、生きていた時、その時、その場の恋をした女たち、
別れた後忘れてしまった女たちにまた会うことのできるのは、
暗いあの世の寂しい川のほとりであるような気がしてくる。
ああ、私は死んでからのちまでも生きていた時のように、
会えばわかる別れの寂しさに、
泣かねばならぬ人なのであろう。
ラゲンボリがまだ、そのまま昔の江戸絵図に書いてあるように。
両国橋の川下、
元米沢町の橋まで通じていた自分である。
東京名物の一線定規の桟橋に連なって、
浦安がよいの大きな外輪の寄線が、
時には二層も三層も別の桟橋につながれていた自分のことである。
私は朝寝坊村区という話科の弟子になって一年余り。
毎夜四十、書書の寄せに通っていたことがあった。
その年正月の下半月、
師匠の取り席になったのは、
深川高橋の近くにあった時和町の時和亭であった。
毎日午後に、下谷尾勝町にいた師匠村区の家に行き、
なんやかやとその家の用事を手伝い、
遅くも四時過ぎには寄せの楽屋に行っていなければならない。
その告言になると前座の坊主が楽屋に来るが否や、
どこどんどんと楽屋の太鼓を叩き始める。
表口では下足盤の男がその前から通りがかりの人を見て、
「いらっしゃい、いらっしゃい。」と腹の中から押し出すような太い声を出して呼びかけている。
私は町場から火種をもらってきて楽屋と講座の火鉢に炭火を起こして、
出勤する芸人の一人一人楽屋入りするのを待つのであった。
下谷から深川までの間に、その頃乗るものといっては、
柳原を通う赤馬車と大河筋の一線蒸気があったばかり。
正月は一年中で日の最も短い間のうちのことで、
両国から船に乗り新大橋で上り、六軒堀の横丁へかかる頃には、
立ち迷う夕靄に水目の町は湧けても日の暮れやすく、
道端の正下には火がつき、路地の中からは火物の匂いが湧き出、
木橋を渡る人の下駄の音が罵声の町の寂しさを伝えている。
忘れもしないその夜の大雪は、
すでにその日の夕方、両国の桟橋で一線蒸気を待っていたとき、
ぷいと横づらを吹く川風に、
ハエのような細かいあらるが混じっていたくらいで、
順番に楽屋入りをする芸人たちの帽子や外套には、
酔いの口から白いものがついていた。
9時半に打ち出し、車で帰る師匠を見送り、
表通りへ出たときには辺りはもう真っ白で、
一人一人通りはしない。
太鼓を叩く前座の坊主とは帰り道が違うので、
私は毎夜下駄の三味線を弾く十六七の娘、
名は忘れてしまったが、
橘や吉之助の弟子で、家は佐竹原だという。
いつもこの子と連れ立って、
畑蔵の通りを一つ目に出て両国橋を渡り、
泉橋際で別れ、私はそれから一人とぼとぼ、
柳原から神田を通り過ぎて番長の親の家へ、
音のしないように裏門から忍び込むのであった。
前を連れ立って老け染める本庄の町。
寺と倉庫の多い寂しい道を行くとき、
案外暖かく月のいい晩もあった。
溝川の小橋を渡りながら、
泣き通る狩りの影を見送ることもあった。
犬に吠えられたり、怪しげな男に後をつけられて、
二人共々息を切って走ったこともあった。
道端に荷を下ろしている食べ物売りの明かりを見つけ、
汁粉、鍋焼きうどんに空腹を癒し、
財布持ちや焼き芋に懐でお温めながら、
両国橋を渡るのはほとんど毎夜のことであった。
雪道の出来事
しかし私たち二人、二十一時の男に、
十六時の娘が、
ふけ渡る夜の寒さと寂しさとに、
自ら身を擦り寄せながら行くにもかかわらず、
ただの一度も巡査に見とかめられたことがなかった。
今日そのことを思い返すだけでも、
明治時代と大正以後の世の中との相違があった。
その頃の世の中には、
正義と宣言の目が、
今日ほど鋭く光り輝いていなかったのである。
その夜、私と娘とはいつものように、
いつもの道を行こうとしたが、
二足三足踏み出すが早いか、
雪はたちまち下駄の葉に挟まる。
風は傘を奪おうとし、
吹雪は顔と着物を濡らす。
しかし、若い男や女が
二重回しやコートや手袋襟巻きに身を装うことは、
まだ許されていない時代である。
貧下に育てられたらしい娘は、
私よりも悪い天気や時光には慣れていて、
手早く裾をまくり上げ、
足駄を片手に度肌紙になった。
傘は一本刺すのも二本刺すのも、
濡れることは同じだからといって、
あいあい傘の竹の栄もとを二人で握りながら、
陣下の軒下を伝わり伝わって、
やがて彼方に伊予橋、
小形に大橋を見渡すあたりまで来た時である。
娘は突然つまずいて、膝をついたなり、
私が助け起こそうとしても容易には立ち上がれなくなった。
やっとのこと立ち上がったかと思うと、
またよろよろと転びそうになる。
度肌紙の両足とも凍り切って痺れてしまったらしい。
途方に暮れてあたりを見る時、
吹雪の中にぼんやり蕎麦屋の明かりが見えた嬉しさ。
湯気の立つうどんの一杯に娘はすぐさま元気づき、
再び雪の中を歩き続けたが、
私はその時、普段飲まない缶酒を寒さしのぎに、
一人で一合余り飲んでしまったので、
歩くと共に恐ろしく酔いが回ってくる。
さらでも歩きにくい雪の夜道の足下が、
酔いを危うくなり、
娘の手を握る手先がいつかその肩に回される。
覗き込む顔が接近して、
互いの頬がすれ合うようになる。
あたりは講座で話しかがしゃべる通り、
ぐるぐるぐるぐる回っていて、
本序だか深川だかところはさらにわからぬが、
私は咎するうち何かにつまずき、
どしんと横倒れに転び、
やっとのこと娘に抱き起こされた。
見ればおあつらい通りに下駄の花尾が切れている。
道端に竹と材木が林のごとく立っているのに心づき、
その陰に立ち寄ると、
ここは雪も吹き込まず風も来ず、
雪あたりに照らされた道路も遮られて見えない別天地である。
いつもママ母に叱られるといって帰りを急ぐ娘もほっと息をついて、
雪にぬらされたイチョウ返しの瓶をなでたり、
たもとを絞ったりしている。
私はよいよ前後の知慮なく、
ただよいの回ってくるのを知るばかりである。
二人の間にたちまち人情本の場面がそのまま演じ出されるに至ったのも怪しむには当たらない。
あくる日、町の隅々に雪だるまができ、
吐き寄せられた雪が山をなしたが、
まもなくその雪だるまもその山も、
次第に溶けて次第に小さく、
ついに跡形もなく道はすっかり乾いて、
雪の日の思い出
もとのように砂ぼこりが乾かずに立ち迷うようになった。
正月は早くも去って初雨の2月になり、
師匠村区の持ち席は
時和亭から小石川さすがや町の寄せに変わった。
そして彼の娘はその月から下座をやめて校座へ出るようになって、
小石川の席へは来なくなった。
帰りの夜道を連れ立って歩くような機会は、
再び二人の身にはめぐっては来なかった。
娘の本名はもとより知らず、
家もさだけとばかりで番地もわからない。
雪の夜の名残は消えやすい雪の消えるとともに、
後もなく消え去ってしまったのである。
巷に雨の降るように、我が心にも雨の降る、
という名高いベルレールの詩にならって、
もしも私がその国の言葉の操り方を知っていたなら、
巷に雪の積もるよう、憂いは積もる我が胸に。
あるいはまた、巷に雪の消ゆるよう、
思い出は消ゆ後もなく、
とでも禁じたことであろう。
思い出のエピソード
1986年発行 岩波書店 岩波文庫
歌譜随筆集 下 全2冊
より独りを読み終わりです。
なんの気なく、12月の配信だからと思って、
雪の日というテキストを選びましたが、
ちょっと淡い男女の話でしたね。
あれ、男女の話だったね、最後ね。
あれ、それより前なんだっけ?
それより前は、
鳩が来ると雪が降るみたいな話してた?
そうしてましたね。
うーん、なんか、
最後のエピソードが情緒的すぎて、
なんかそれに全部持ってかれたの。
うーん、何年前でしょうか。
今年2024ですが、
うーんと、あれは、
6年ぐらい前ですかね。
えっと、2018、
すごい大雪の年が、
2月に、1月、いや2月に降った年があって、
よく通っていた、6年じゃ聞かないな。
7年、8年ぐらい前かな。
8年前にしましょうか。
2016?
大雪が降って、
で、通いつめていた、
常連ずらさせてもらってたお店も、
全然お客さんが来ないって言って、
で、そこでお酒を飲んで、
お店の前で雪だるまを作って、
で、スマホがね、
ダウンのポケットから落ちちゃって、
あの、雪だるま作るのに夢中すぎて。
で、落ちたはいいけど、
その後、雪に埋もれてしまい、
どこにあるかわからず、
あの、アップルのiPhoneを探すって機能で、
鳴らすことができるんですよね。
当時でもその機能はあったんですけど。
iPhoneを鳴らしてもらって、
ポーン、ポーンってのが雪の中から出てきて、
当時そのお店にたまたま居合わせた、
飲み友の娘ちゃん、
当時高一だったかなと見つけだし、
その喜びにハイタッチをし、
それをたまたま帰りの道すがら、
通りすがった外国人ともハイタッチをし、
みたいなことをやってましたね。
なんか雪降るとね、
ちょっとテンション上がっちゃうんだよな。
家の目の前でも大きな雪玉をこしらえてたら、
お茶駅の近くで、
動画撮られてましたね。
写真撮られてたのかな。
帰り自宅のサラリーマンに。
僕酔っ払ってるんで、
何それ撮ってんの?みたいな。
すごい大きいっすねとか言って。
ヤバいやつ認定されてましたね、たぶんね。
今年は雪が降るのでしょうか。
来年だろうな。2月ぐらいでしょうね。
年の瀬も押し迫ってまいりました。
この配信は27日にする予定だと思いますが、
31日も何かしら上げると思います。
みなさんは年の瀬まで頑張ってください。
走り抜いてください。
違う間違えた。
一緒に何とか走り抜きましょう。
はい、といったところで、
今日のところはこの辺で、
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
28:59

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