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2024-11-28 26:05

082谷崎潤一郎「客ぎらい」

082谷崎潤一郎「客ぎらい」

生活がルーティン化してきて、出会う人や接触する人も限定的になるものですが、それじゃダメとも思ってます。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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サマリー

谷崎潤一郎のエッセイ『客ぎらい』では、著者の客嫌いの心理やその背景が描かれています。彼は猫のしっぽを例に挙げ、コミュニケーションの煩わしさについて語り、交際嫌いになった経緯を考察しています。また、彼の交友関係の狭さや、美人に対する難しさについても触れられています。さらに、高齢者としての食事の考え方や他者との交流についての視点が描かれています。

客嫌いの心理
寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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さて、今日は谷崎潤一郎さんの客ぎらいというテキストを読もうと思います。
谷崎潤一郎さんは初めて読みますね。
谷崎潤一郎、代表作に
優しい左翼のための起誘曲、悲願先生、大背姉妹などがあるそうです。
性愛を通じて単美主義を追い求めたことで知られ、
サディズム、マゾヒズム、フェテシズムなどを扱いながら、
本邦で魅惑的な女性像を描いた作品を多く残す。
ということで、
エロオヤジじゃない?ただの。
文章上手なエロオヤジですね、多分ね。
で、今日読むテキストは客ぎらいというタイトルですね。
やっていきましょうか。
それでは参ります。
客ぎらい。
確か寺田寅彦氏の随筆に猫のしっぽのことを書いたものがあって、
猫にああいうしっぽがあるのは何の用をなすのかわからない。
全くあれは無用の長物のように見える。
人間の体にあんな邪魔者がついていないのは幸せだ。
というようなことが書いてあるのを読んだことがあるが、
私はそれと反対で、
自分にもああいう便利なものがあったならば、
と思うことがしばしばである。
猫好きの人は誰でも知っているように、
猫は飼い主から名を呼ばれたとき、
にゃーと鳴いて返事をするのが億劫であると、
黙ってちょっとしっぽの端を振ってみせるのである。
縁側などにうずくまって、
前足をぎょうぎょうく折り曲げ、
眠るが如く、眠らざるが如き表情をして、
うつらうつらとひなたばっこを楽しんでいるときなどに、
試みに名を呼んでみたまえ。
人間ならばええうるさい。
人がせっかくいい気持ちでとろとろしかかったところをと、
さまをたえぎそうな生返事をするか、
でなければ狸寝入りをするのであるが、
猫は必ずその中間の方法をとり、
大思って返事をする。
それが、体のほかの部分はほとんど動かさず、
同時に耳をぴくりとさせて、
鯉の下方へ振り向けるけれども、
耳のことはしばらく置く。
半目に閉じた目をわずかに開けることさえもせず、
若然たる元の姿勢のまま、
依然としてうつらうつらしながら、
尻尾の末端の方だけかすかに
一、二回ブルンと振ってみせるのである。
もう一度呼ぶとまたブルンと振る。
しつこく呼ぶと姉妹には答えなくなるが、
二、三度はこの方法で答えることは確かである。
人はその尾が動くのを見て、
猫がまだ眠っていないことを知るのであるが、
ことによると猫自身はもう半分眠っていて、
尾だけが反射的に動いているのかもしれない。
何にしてもその尾を持ってする返事の仕方には、
一種微妙な表現がこもっていて、
声を出すのは面倒だけれども、
黙っているのもあまりに不愛想であるから、
ちょっとこんな方法で挨拶しておこう、
と言ったような、そしてまた、
呼んでくれるのはありがたいが、
実は己は今眠いんだから勘にしてくれないかな、
と言ったような、
横着のような、除細ないような複雑な気持ちが、
その簡単な動作によって、
いとも巧みに示されるのであるが、
尾を持たない人間にはこんな具合に、
とてもこんな器用な真似はできない。
猫にそういう繊細な心理作用があるものかどうか、
あの尻尾の運動を見ると、
どうしてもそういう表現をしているように思えるのである。
私が何でこんなことを言い出したかというと、
他人は知らず、私は実にしばしば、
自分にも尻尾があったらなあと思い、
猫を羨ましく感じる場合に、
ぶつかるからである。
例えば机に向かって筆を取っている最中、
または試作している時などに、
突然下陣が入ってきて、
こまごました用事を訴えると、
私は尻尾がありさえしたら、
ちょっと2,3回端の方を振っておいて、
猫の尻尾の例
構わず執筆を続けるなり、
試作に吹けるなりするであろう。
それより、一層痛切に尾の必要を感じるのは、
放客の相手を誘われる時である。
客嫌いの私は、よほど気のあった同士とか、
いろんな場合を除いて、
滅多に自分の方から喜んで人に面接することはなく、
大概いつも嫌々会うのであるから、
要談の時は別として、
万全たる雑談の相手をしていると、
10分か15分もすれば、たまらなく飽きてくる。
自然、こちらは危機役になって、
客が一人で喋ることになり、
私の心は、ともすると遠く、
談話の主題から離れて、
荒らぬ方へ憧れていき、
客を全く置き去りにして、
勝手気ままな空想を追いかけたり、
ついさっきまで書いていた創作の世界へ飛んでいったりする。
したがって、時々、
はい、とか、ふん、とか、
受け答えはしているものの、
それがだんだん上の空になり、
時には、はっとして、
例を失していたことに心づき、
気を引き締めてみるのであるが、
その努力も長続きがせず、
ややもそればすぐまた有利しようとする。
そういう時に私は、
あたかも自分が尻尾を生やしているかのごとく想像し、
尻がむずかゆくなるのである。
そして、はい、とか、ふん、とか、
それだけで済ましておくこともある。
猫の尻尾と違って、
想像の尻尾は相手の人に見てもらえないのが残念であるが、
それでも自分の心持ちでは、
これを振ると振らないとではいくらか違う。
相手の人にはわからないでも、
自分ではこれを振ることによって、
受け答えだけはしているつもりなのである。
さて、全体私はいつからかように、
猫の尻尾を羨んだりすることほどさように、
人と物を言うのが億劫になり、
客嫌いになったのであるか、
そしてそれには何か原因があったのであるか、
と考えてみるのに、
どうも自分でもはっきりわからないのである。
辰野隆のような古い友達はみんな知っていることであるが、
中学から一校、
大学時代頃までの私は、
決して今のような黙り屋ではなかった。
辰野は人も知る座談の優であるが、
私も彼に劣らないくらい話上手で、
東京人特有の軽快なる弁説を持って人を酔わせたり、
煙巻いたりすることが得意であったし、
稽古を発し、
階級を老することもあえて人後に落ちはしなかった。
それがだんだん無口になったのは、
物を書き始めてからであるが、
無口になったために客嫌いになったのか、
客嫌いになったために無口になったのかというと、
多分客嫌い、
言い換えれば交際嫌いの方が先であったのと思う。
交際嫌いの理由
創作家になったためになぜ交際嫌いになったのかというと、
これには色々理由があるのだが、
日本橋の下町に総橋のせがれとして育った私は、
妙な気取りを持っていて、
当時の文史芸術家と言われる人々の
醸し出す田舎者臭い空気が嫌いであった。
彼らの中にも稀に生え抜きの東京人がいなくはなかったが、
早稲田派の自然主義の人々をはじめとして、
外して田舎者が多かったから、
その醸し出す空気はどうしても田舎臭かった。
私もちょっとはその感化を受けて、
髪をぼうぼうと伸ばしてみたり、
むさ苦しい服装をしてみたりしたが、
間もなくそれが愛おしくなって、
以後は勤めて文史臭く見えないような見なりをした。
洋服の時はきちんとした背広か、
黒の上着にシマズボンか、でなければモーニング。
帽子は山高帽を最も多くかぶったが、
和服の時は雄起紡ぎか大島に無地の羽織を着、
いつも門帯をきりりと締めた町人いでたちで、
一見商店の若旦那という格好をしていた。
そんなことが、お供くんあたりの反感を買い、
耐えかぶって嫌がるなどと言われて憎まれたものだが、
そうなるとこちらもいよいよ昔の仲間から遠ざかってしまった。
田舎臭いことが嫌いな私は、
自然書生臭いことも嫌いだったので、
よほど語るに足ると思う相手でない限り、
滅多に文学論や芸術論などを戦わすこともしなかった。
それと私には、文学者は宝塔を作る必要はない、
なるべく孤立している方が良いという信念があったので、
この信念は今も少しも変わっていない。
私が長い過去に、
私が長い過去に私を敬語するのは、
私がこの孤立主義の一貫した実行者であって、
私ほど徹底的にこの主義を押し通している文人はないからである。
そんな次第で、最初、私は交際嫌いになったけれども、
無口になったとは思っていなかった。
人に接する機会が少ないから、
従って口を聞くことも少ないのであるが、
喋らせればいくらでも喋れるのであり、
生来の巧妙なる和術、流暢軽快なる江戸弁は、
自分がその気になりさえすれば、
時に応じて発揮し得ると考えていた。
事実、最初のうちはそうだったのであるが、
何事も用いる度数が少なくなれば、
だんだん機能が衰えるもので、
昔のように喋ってやろうと思っても、
喋れなくなってしまい、
そうするとまた、喋ることに興味も持たなくなってしまった。
かくて63歳の今日では、
交際嫌いと無口の癖がいよいよひどくなってきて、
自分でも折々持て余すくらいになったのである。
無口という点では、
父はそう言っても交際嫌いではなく、
口数は少なくても絶えずニコニコしていて愛嬌があるが、
私は気に入らないとすぐにそれを顔に出し、
退屈すれば人前であくびでも何でもする。
ただ、酒に酔うといくらかおしゃべりがしたくなるが、
でも喋り出してみると到底昔のように
コンコンとは言葉が湧いてこないので、
少々饒舌になり、
声の調子が高くなるという程度にしかなれない。
さらば現在の私にとって、
日常生活の中で何が一番辛いことかといえば、
包却の相手をすることなのである。
辛くても意義のあることなら、
耐え忍ばなくてはならないが、
その他の人にこちらが満足する時間だけ会えたら良い。
その他の人にはできるだけ会わない方が良い
という考えなのであるから、
かような男を訪問する人は気の毒であると言わなければならない。
しかしそれにも関わらず、包却はかなりたくさんある。
戦争中、田舎に疎開していた頃は
しばらくその難を逃れていたが、
相当に家を構えてからは、
一日一日と客が増えるばかりなのである。
それに私は近頃老齢に達するにつれて、
一層年来の孤立主義を強化しても良い理由を持つようになった。
なぜかというと、いくら私が交際嫌いであるからといって、
60何年の間には相当日人が増えており、
若い時代に比べれば、
その交際の範囲が非常に広くなっているのである。
若い時代には一人でも多くの人を知り、
少しでも多くの世間を除く必要があるかもしれないが、
私の場合は、この先何年生きられるものかもわからないし、
だいたい生きている間にこうしておこうと思う仕事は、
ほぼ予定ができているのである。
その仕事の量を考えると、
その時間の間には片付きそうもないくらいあるので、
私としては自分の余生を傾けて、
それをポツポツ予定表に従って片っ端から成し遂げていくことが精一杯で、
もうこれ以上人を知ったり、
世間を除いたりする必要はほとんどない。
他人に対して願うところは、
ただ少しでも予定の実行を狂わせたり、
自分の仕事を成し遂げることに尽きる。
もっとも、こう言うとさも勉強家のように聞こえ、
寸陰応進で始終仕事に熱中しているように聞こえるかもしれないが、
実際はそれの反対で、
若い人から人並み外れた知識家であった私は、
老来種々なる生理的障害、
例えば肩が凝るとか、目が疲れるとか、
そういったようなが加わるに及んで、
いよいよその習性がひどくなり、
原稿用の紙一枚書くのにも、
間で庭を散歩するとか座敷を歩き回るとかいう
愛の手を入れなければ根気が続かない有様なので、
仕事中といっても賞味・執筆している時間は割合に少なく、
ぼんやり休養している時間の方が遥かに多い。
つまり一日のうちで所条件の備わった
交友関係の狭さ
順調にスラスラ筆が動いている時間は、
ほんのわずかしかないのであるから、
それだけになお邪魔が入ると被害が大きいことになる。
ほんの5分か3分でよいからお目にかかりたい、
などと言ってくる人があるが、
その3分か5分のために、せっかくの環境が中断されると、
体に戻っていってもすぐには油が乗ってこないので、
30分や40分はたちまち空に消えてしまい、
どうかすればそれきりかけないでしまうことがあるから、
邪魔される分には時間の長い短いは
大して関係がないのである。
そこで昨今の私はできるだけ交際の範囲を縮め、
せめてその範囲を現在以上に広げないようにし、
新しい自身をなるべく作らないようにしている。
昔は交際嫌いと言っても美人だけは例外で、
美しい人に紹介されたり訪ねて来られたりすることは
この限りではなかったのであるが、
今はそれさえもあまりありがたいとは思わない。
というのは、
今日でも美人が好きであることに変わりはないのだけれども、
年を取ってからは美人に対する注文が
大変面倒になってきているので、
普通の美人というものは、
ことさらに今日の先端的タイプに属する美人というものは、
私には少しも美人とは移らず、
かえって俯瞰を催すに過ぎない。
私は私で密かに過人の標準を極めているのであるが、
それに当てはまる人というものは
まことに行天の星のごとくであるから、
そんなものがむやむに出現しようとは思ってもいない。
むしろ私は、
今日までに知ることを得た何人かの過人との間に、
今後も交際を続けていかれれば満足であり、
老後の私の人生はそれで十分華やかであって、
それ以上の刺激は欲しくないのである。
包却を断るにはいろいろの手があるが、
最も普通に用いられるのはイルスを使うことであろう。
取材に出る女子供にとっては面倒な言い訳をするより、
ただいま主人は留守ですと言ってしまうのが
一番簡単だからであろうが、
私はこの手を用いるのが嫌いなので、家のものを集めて、
主人は在宅しておりますけれども、
紹介状を持たない方にはお目にかからないことにしております。
という意味を、せいぜい因儀な言葉を持って客に徹底させるようにしている。
それは何よりも客のために嘘をつくことが尺だからであるが、
狭い家だと嘘をついたために便所へも行けず、
しゃっくりやくしゃみもできないのである。
居ても会わないのだということをはっきりさせておかないと、
二度も三度も訪ねてくるようなことになって、
交通難の折柄、客にもいよいよ迷惑をかけるからである。
しかし処世だとよいが、女が出ると、
食事に関する難しさ
つい言わないでもよいお合い相を言い、
それにただいまは、あいにく忙しいございまして、とか何とか、
余計な文句を付け加えて意味をぼかすようなことがありがちである。
何、怒ってもかまわないから、もっとはっきり言いなさいというのだけれども、
客によっては腹を立てて訪問したり、
必要に食い下がったりする人があるので、
女ではとかくそこのところがきっぱり行かない。
それでも私はガンとして応じないので、
取り継ぎの者が板挟みになって困ることは始終である。
東京その他遠隔の地から来た人の場合、
言葉なのは忍びないけれども、
やはり紹介状のない人には合わないという鉄則を厳重に押し通しているというのは、
それが評判になってくれた方が、
結局後のためによいからである。
中には私の知人の名をあげ、
ないない先生とはご好意に願っておりまして、とか、
ないない先生が紹介状を書いてあげようとおっしゃったんですが、
とかいう人があるが、
それなら面倒でももう一度出直して、
何々君に紹介状をもらってきてください、というと、
そういう人はそれっきり来ないのが普通である。
本当に紹介状を持ってきた人にはもちろん合うが、
私の友人たちはそこは心得ていてくれて、
煩わしい客を差し向けてよこすようなことは滅多にない。
東京はどうか知らないが、
京都にいると飲み食いの会に招かれることも非常に多い。
座談会ならわかっているが、
そうでなくただ飲み食いだけに招かれることもしばしばである。
だが他人数の集合する席へ出れば、
自然名刺の交換などから知人が増えていくことになるので、
それだけでも大概迷惑である上に、
老人は食物についても美人と同様、
いろいろ難しい注文があるので、
ご馳走になるということは決してそんなにありがたいことではないのである。
もっとも戦争からこちら、
昔のような料理を食べるには、
その方面に特別顔の利く人に連れて行ってもらい、
しかも大金を投じなければならず、
なかなか我々普通人には食わたて及ばない事情があるので、
招く方では大いに恩恵を施してくれるつもりなので、
また我々を出しに使って、
自分たちが持養分を摂取しようという考えもあるのであろう。
そういえば近頃は、
もっぱらこの持養分を取らせるということを目的にした、
不思議な取り合わせの料理が流行るようである。
去年、東京へ行った時、
あるバスへの料理屋へ招かれたら、
マグロの刺身が出て、
びっくりした。
夜にバスへ招かれたら、
マグロの刺身が出て、
ビフテキが出て、
天ぷらが出て、
カツレツが出たことがあった。
また、ある田舎の旅館では、
晩にハモのチリ鍋が驚くほど多量に出て、
翌日は朝から肉のすき焼きが出た。
バスへや田舎だけかと思ったら、
京都の街の真ん中の旅館でも、
そういう料理を食べさせられたことがあったが、
日本料理とも中華料理とも洋食とも何ともわからない取り合わせで、
つまり我々を平素、排泄物ばかり食べている人種とみ、
こんな機会に運と栄養を取らせてやりさえすればよいのだ、
というような並べ方で、
料理の作法も何も無視した、
およそ人をバカにした寂しい料理なのである。
私は年齢の割に健坦な方であるから、
出されればよほどまずいものでない限り、
片っ端から平らげてしまうのであるが、
いつも腹がいっぱいになってから、
なんだかくだらなく色々なものを胃の腑へ詰め込んだような気がして浅ましくなる。
そして何より腹が立つのは、
その日の牛飲馬食がたたって、
それから2、3日食欲が減退し、
せっかく家事の手料理で自分の好きなものを作ってもらい、
自宅でゆっくり遊芸を楽しもうと思っていたことが不意にさせられるのである。
老人の身には栄養型の脂っこい料理は有害で、
そんなものよりはよく吟味した味噌、醤油等を使って、
自分の好みにかなうように作られた家庭料理の方が嬉しいのであり、
また実際に昨今では、
普通の街の料理屋よりは自宅の材料の方が安心なので、
揚げ物などは自分の家で混じり気のない食用油を使ったものでないと、
うっかり食べられもしないのである。
これを要するに私は飲み食いの会の方も、
自分の好きな人たちだけの集まりで好きな料理が出て、
高齢者の思考
自分の仕事の邪魔にならない時にだけ出席することにしたいと思うのではあるが、
実はそれさえも決してそんなに気が済んではいないのである。
昭和23年7月記
2011年発行
中古文庫
中央討論審査
陰影来参
改訂版
より読み終わりです。
エロ親父とか言ったけど、もう60過ぎてるんで、
だいぶあれですね、落ち着いたおじさんになってましたね。
陰影来参ね、ものすごいボリュームのテキストが実は
印刷済みで、いずれ読むリストに入ってるんですけど、
すごいボリュームでね、どうしたものかなと思ってるんですけど、
読むものがなくなってきたら手をかけるかなという感じですが、
いつになることやら、なるべく逃げ回りたいと思っています。
それでは今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
ご視聴ありがとうございました。
26:05

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