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寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。 このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、 それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見、ご感想、ご依頼は公式エックスまでどうぞ。 寝落ちの本で検索してください。
さて今日はですね、 豊島与志雄さんという方の
オランウータンというテキストを読もうと思います。 生で見たことあるかなぁ、オランウータン。
昔ね、上ヶ谷にテレビがあったこと、テレビがあった時、 あのスカッパーに入ってたんで、アニマルプラネットでね、よくオランウータンみたいなのやってたけど、
生で見たことはなかなか。 生息する地域も
東南アジアのスマトラ島とボルネオ島のみって書いてありますからね。 そうなんだ。
日本では北海道丸山動物園、朝日山動物園、 同じく串路市動物園、東京では多摩動物公園などにいるということらしいです。
あ、市川市動物園もあるな、千葉県。
あったことないと思うなぁ。
豊島さんの説明をしましょう。 豊島芳代さん、日本の小説家、翻訳家、フランス学者、児童学者、
あ、児童文学者。 おすすめの本ランキングの上位には
ジャン・クリストフ、レ・ミゼラブル、 死刑終、最後の日、などが並ぶということで。
レ・ミゼラブル聞いたことありますね。
まあ、とりあえず読んでいきましょうか。 オラウータンじゃないですよ。オランウータンですよ。
ンが入りますからね。
そんなに長くないと思いますが。 それでは参ります。オランウータン。
今になってまず漠然と思い起こすのは、 金網の中の子猿のことである。
動物園だったか植物園だったか、 それとも公園だったかそれは忘れた。
広い金網の中に親子数匹の猿が入っていた。 暖かい晴れた午後のこと。
私はステッキを打ち振りながら散歩していたが、 ふとそこに足を止めた。
女や子供や背広服の男もいたようだが、 大勢の人が猿を眺めていた。
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一体金網の中の猿を見るのは、 あまり気持ちの良いものではない。
それが人間に似ているせいか、 またなんだか卑猥なせいか、
長く見ていると足の裏をくすぐられるような感じだ。 金網の中では2匹の子猿が布を奪い合ってふざけていた。
よく見ると白い裏のついた紫色の子供の帽子だ。 一匹の子猿がそれを奪って、枯れ木の枝に逃げ延びると、
くしゃくしゃなまま頭に乗っけ、目をパチクリやり、 とんきょうな顔で見物人たちの方を眺める。
するともう一つの子猿が追っかけてきて帽子をひったくり、 金網の中ほどに逃げ延び、ひょいと頭に乗っけ、
目をパチクリやり、 とんきょうな顔で見物人たちの方を眺める。
それから初めの子猿がまた帽子を奪いに来る。 いつまでも霧がない。
白い裏の紫色の帽子がもみくちゃになってあちこちに飛び歩く。 ところで私の家には子供はいないから、
したがって子供の帽子はないが、 あるとき親戚の女が赤ん坊を連れて母の病気見舞いにやってきた。
赤ん坊の真っ白な帽子が茶の間の長火鉢のそばに置いてあった。 私はそれをそっと取って頭に乗っけ、
目をパチクリやり、とんきょうな顔つきをしてみた。 私は猿に似ていたろうか。
鏡を見たわけでないからそれはわからないが、気持ちは確かに猿のようだった。 そんなのはまだよいが、
話は飛ぶけれど、私の家の近くに かなり広い境内を持つ神社があった。
300年近くにもなろうという古い建物で、 銅の瓦で吹いた屋根は一面に白くさび、
空門からぐるりと練り兵を巡らして、 拝殿神殿の神域を囲い、
仁王門にはたくさん鳩が住み、左右に小さな泥池があって、 冷たい水が落葉を浮かべており、
その一方は小雑草や雑草の生い茂った斜面で、 大木がうっすおとそびえている。
その斜面、向こう高いなっている、いわば丘の中腹に 小さな稲荷様があった。
神社に稲荷様はつきものだが、不思議なのは、 境内が平地の場合は別として、
多少とも勾配をなしているときには、 稲荷様は主体の神社より一段と高いところにある。
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そしてこの稲荷様には、大抵石の鳥居を建てた本殿と、 それから少し離れて小さな木の鳥居がいくつも並んでいる祈祷所がある。
私の家の近くの神社でもやはりそうだった。 私は夜分遅く、その神社を通り抜けることがたびたびあった。
私も人並みに胸に幽悶を持っていた。 すなわち、悲痛な恋愛とロマンチックな退廃と無力な反抗とだ。
そのために、焼酒も飲んだし、無意味な咆哮もした。 母が病気で寝込んではいるが、
深夜の水曜の咆哮の帰りには、神社の境内を通り抜けることが多く、 そのようなとき足は自然に香料たる山野を忍ばせる崖地の方、稲荷堂の方に向くのだった。
池の横手から爪先上がりになる。 両側は一面に低い小雑草と雑草。
大木の幹がすっくと伸び上がり、ほのじらい肌目を見せている枯れ木も混ざり、 空を覆った枯葉の下はしーんとした静けさだ。
伝統の照明がはなはだしくまばらで、 ようやく小道がたどられるに過ぎない。
彼方の桃花に目をつけ、足下に木を配り、 ステッキを引きずり、その時々の気持ちに応じて、
悲しいロマンスの一節か、壮烈な漢詩の一句か、 天っぽい俗用の断片歌を口ずさみながら行くのだ。
あるいは深く胸の底に思いを沈めて、 首垂れながら行くのだ。
物陰が、木立ちの陰が、 不意の驚きをぞっと身にしませる。
人影ひとつなく、犬の声さえもない。 静まり返った夜更けである。
苔むした石の碑がある。 五尺ばかりの台席の上に、猿の象がしゃがんでいる。
片方の耳が欠け、尖った口の先が欠けている。 またも狐の象が今にも飛び出そうとしている。
その先に来た王女だ。 半ば崖の中に、ほら穴みたいに石を畳み込んで、
朽ち木の日差しが差し出ている。 鈴のついた黄白の布の太い苗綱。
手やかに黒ずんだ幾筋物の苗綱。 竹竿で立てたたくさんの赤や白の旗。
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多くの小さな絵馬。 身をかがめて中を覗き込むと、
ろうそくの炎に黒くすすけた石壁の中に、 狐格子がはめ込んであり、
長い髪の毛の束が所々に結びつけられている。 格子の中は真っ暗で、ほんのりと光っているのは鏡ででもあろうか。
そこを通り過ぎると、私は裏道から来たのだ。 小さな鳥居の列。
赤ぬりの鳥居。白木の鳥居。 隙間なく立ち並んで、しかも頭に使えるくらい低い。
その長い随道を過ぎると、ぱっと明るい照明で、 その先に大きな石の鳥居。立派な童遇。稲荷様の本社だ。
ある夜遅く、もう二時。 丑光に近い頃、ふらりと水砲を運んでくると、 木刀所の中から何やら呟く声が聞こえる。
立ち止まって耳を澄ませば、確かに記念を凝らしている声だ。 吐く息につれて高まり、吐く息につれて低まり。
文句はさらにわからないが、調子をとって断続する声の響きだ。 私はそこに佇んで耳を、いや心を傾けて聞いていた。
訴えるでもない。恨むでもない。 怪しい斧の気が私の体に伝わってくる。
人の記念はたとえ白昼でも、ことさらに深夜では、 脇からうかがうものではない。
ある忌まわしい惑わしを受ける。 私もその惑わしを受けたのであろうか。
ポンポンと軽い拍手の音がして、黒い人影が立ち現れ、 体格は頑丈で壮年らしいが、少し腰を曲げた男が、
造り化けでスタスタと鳥居の列の中を見返りもしないで立ち去っていった後、 私はその後に入り込んで狐合子の前にうずくまったのである。
土とも蝋とも光ともつかない、極かすかな匂いが鼻をついてき、体を包む。 狐合子の中の暗がりには、鏡の面にかすかな光が妖しく漂っている。
そして私は戦国の男と、ちょうど同じ場所に同じ姿勢でかかんでいるのだ。 ただ私には祈りの文句がない。
母の病気併裕も、私の恋愛の安泰も、見学の進歩も、そのほかすべて、 その時の私の心に沿わない。
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強いて求めれば、 林平当社戒沈列在前、
休辞を切るくらいのものだ。 だがその気持ちは誤信のためではなく、積極的な呪詛の秘宝だ。
私はその形を得て、その心をも得たように思う。 この祈り様のことについて、私はふと変な話を聞いたのである。
母が気分が良くて、床の上に座っていたある日。 見前に来た近くの奥さんの取り留めのない世間話の中の一つ。
それを私は隣室に寝転んで雑誌のページをめくりながら、聞くともなしに耳に入れた。 ある店屋のおかみさんがその祈り様を大変信仰していたらしい。
二つになる子供が病気した時には、琴沢にたびたびお参りするようになった。 結婚後五六年経ってできた一人娘で、それが消化不良になったのである。
娘は半年ばかりの後に亡くなった。 おかみさんはまるでほうけたようにぼんやり日を過ごした。
その娘の四十九日の木が明けた頃から、時々家を抜け出すようになった。 家を抜け出して祈り様のあの祈祷所のところにじっとうずくまっているのである。
一晩中、そして夜が明けてからもなお、そこにうずくまっている。 家人が来て連れ戻そうとすると素直に言うことを聞く。
けれどもまたいつの間にか家を抜け出してそこに行く。 昼も夜も目が離せない。
夜中の冷気に触ってか、おかみさんは寒冒にかかり、 機関車から配線を痛め、高熱が続いた。
それでもやはり家人の好きを狙っては家を抜け出すことをやめない。 仕方なしに座敷牢みたいなものをこしらえ、出入口に丈夫な格子戸をはめた。
その中でおかみさんは一ヶ月ばかり病気を養っていたが、 ある夜姿を消してしまった。
格子戸には外から錠がかかっており他に逃げ出せる隙間はない。 しかしおかみさんはいないのだ。
まったく奇怪なことだった。 そしておかみさんの体は祈り様のあの祈祷所の前にうずくまったまま冷たくなっていたのである。
その話は子に対する母の愛という色に塗られて伝えられていた。
だが違う。 私に言わせれば違う。
たとえ坊主に対する猛失から起こったものにせよ、 坊主の厳厳に引かされたものにせよ、母の温かい愛というものは違うのだ。
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祈り様の祈祷所の前にうずくまった気持ちは、 誘因は何であろうと、そんなものではない。
ことさらに座敷牢の格子の中に座っている気持ちは、そんなものではあるまい。 私は奇怪な経験を持っている。
ともすると今でもそれが私を誘惑する。 動物園で一匹のオランウータンを私は1時間ばかりじっと眺めていたことがある。
類人猿という言葉は変な響きを持っている。 さらにオランウータンという名前は異様な響きを持っている。
そしてその実態。 艶のないくすんだ薄い毛並み、
乱々たる眼光、突き出た口、長い手足、 その全体が人間に似ているばかりでなく、人間の最も下等な何者かを象徴しているのだ。
彼らは高い台座の上に敷物を敷いて座っていた。 時々敷物を裏返ししては、
飲みか知らみかを探しているようだった。 それからのっそりと這い出してきて、鉄格子にししで捕まり、
見物人たちの方を没表情な顔つきで人当たり見回して、 またのっそりと座席に戻っていった。
ただそれだけのことである。 それがどうして私を1時間も引き止めたのか。
私は知りたかったのだ。 夜遅く家人の寝静まった頃、
私は机から向き返って部屋の中を見渡した。 そして両手を軽く握り、その指の甲の方を畳につき、
尻を持ち上げて足を立てて、のっそりと這い出した。 指の甲が痛い。
だがもしそこに鉄格子があったならば、私はそれに捕まり、 尻を後ろに引いて両足をもかけ、
私は足指がよく利くのだ。足指で鉄棒を握り、 そして体の重みをししに託して鉄格子を力の限り揺さぶってやったであろう。
そしてなお、額に皺を寄せ目を丸くし歯を剥き出し、 頭をぶるぶると震わせたであろう。
オランウータンの気持ちが私にはよくわかるのだ。 すべて鉄格子の中に閉じ込められている者の気持ちもわかるように思える。
これがでたらめな言い下さあと思うならば試しにやってみるもよかろう。 うた種の目を覚ました時、そのままむっくり死死で起き上がり、
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背中を丸く高めてそれから伸びをしてみるのだ。 または四足で立って尻を振りながらワンワンと言ってみるのだ。
人は猫にも犬にもなれるものだ。 オランウータンなどは造さなくなれる。
形態が、いや、死体が、真理を決定するのだ。 母が亡くなった時、
そしてその被体を棺に収めた時、その夜、 仮の微睡の布団の中で私は自分の体を硬直させた。
呼吸の意識がなくなるくらいに息を静かに柔らかく保つのである。 目はじっとつぶって髪の毛一筋動かさない。
両手は胸の上に組み合わされている。 両足はつま先を揃えてまっすぐに伸ばされている。
仰向きの不動の姿だ。 やがて呼吸がほとんどなくなる。
体がしんしんと冷えてくる。 目が落ちくぼみ、頬の肉が落ち、
唇が干からびて歯にくっつく。 無限の静寂。
その中で母の一生が私の心に移る。 大変な老苦と悩みとささやかな慰安とそれだけの生涯だ。
母が死んだ後、あらゆる生産の結果、 私には半年分の生活費きり残っていなかった。
女中任せの独身生活だ。 恋人とも疎遠になった。
愛に気欠が結婚であるということを信じられなかった私は、 彼女に起こってきてある縁談に逆説的に賛成して、
彼女の起源を害したのである。 学校を出てもう3年にもなるのに、まだどこにも就職口がなかった。
もしくは就職しないでいた。 無法心に文芸や哲学の書物を乱読していた。
頭は冴えてくるし、体は痩せてくるし、 生活はだらしなくなっていった。
もう稲荷様のところは通らなくなった。 そして2、3度オランウータンを眺めに行った。
銀座裏西中出かけた。 動物園をひとめぐりして、夕方最後にまたオランウータンを眺めていると、
私の肩を叩いたものがある。 学校で親しくしていた斧だった。
卒業後、初めての開校だ。 出会った場所が場所だけに、落語者めいた罰の悪さで気持ちに穴が空いた。
それをごまかすつもりでもなく、とにかく一杯飲もうということになった。 銀座の女級のいない静かな家を私は選んだ。
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彼の話でもゆっくり聞くつもりだった。 彼が卒業後、神戸のある会社に勤めていることは人づてに聞いていた。
彼はそこを1年ばかりで辞めて南洋に渡り、 ゴム栽培だの産後採集団に手を出したとか、
それもはなはだ怪しい話で、 結局つまらなくなって戻ってき、
今度は満州に行くはずとのことだ。 しかし東京で相当の就職口があれば、満州の方は断っても良いというのだ。
一度放浪した者には東京での就職は無理だろう、 というようなことから、
主幹の上段に、私が某会社の重役となり、 彼が学校出立ての青年となって高等諮問をやってのけた。
どういうわけで君は本社に入りたいのかね。 そして私は和服なのを洋服のつもりで肩をイカラし、
応業に左の耳を彼の方に差し出した。 本社が気に入ったからです。
ただ気に入っただけではわからないが、 どういうところが気に入ったかね。
私はまた左の耳を彼の方に差し出した。 営業方針が堅実だからです。
なるほど、そう見えるかね。 私はぐっと反眠になった。
ところで君は何か趣味、興味というものを持っているだろう。 どういうものだね。
私は目を細くして微笑んで見せた。 あらゆることに趣味と興味とを持っています。
私は大げさに眉をしかめた。 そりゃ若いうちは何でも興味があるだろうが、
それが特にそのスポーツとか、 将棋とか釣りとかゴルフとか。
私は天井を仰いだ。 登山が好きです。
何?登山? うーん、するとスキーもやるわけだね。
それは元気があって大いによろしい。 私は何度もうなずいて見せた。
そこで本社に入る以上は献身の覚悟でもってやってくれなければならんが、 その辺はどうがね。
私は大きく首をかしげて見せた。 剣場の牢を取るつもりです。
それもよろしいが、剣場の牢といってもやはりその礼儀を守らなければいかんし、 そう、そこに帽子があるからちょっと取ってみてくれたまえ。
私は立ち上がって天井を仰ぎながら、 指先で卓上をトントン叩き始めた。
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よせや、わがまかし。 原稿で卓上を叩いて彼は叫んだ。
私はいい気持ちでまた重役のつもりなんだ。 ハッハッハッと笑って見せた。
いい加減にしろよ。 そんな重役窓から放り出してもらうぞ。
ハッハッハッ、私はなお笑いながら、 横手の小窓を開くとなんとそこに鉄棒が並んでいるのだ。
私はそれに飛びついて、さらに足でもつかまって、 四肢でぶら下がりながら、うううと揺り始めた。
息切れがして顔が熱くなった。 飛び降りると斧はあっけに取られて突っ立っていた。
オランウタンだ。 じっと見つめた時、斧は不意に顔色を変えた。
一瞬それが長い時間のようで、私たちは目を見合っていた。 斧は一歩避けて私の肩を捉えた。
しっかりしろよ。 そして私に手を添えて責任つかしてくれた時、私は感じた。
私が内心にある自暴自棄な壮年をなついていて、 自殺とか犯罪とかの目を育んでるんだと斧が思ったこと。
その感じは私を斧から引き離し、 そして私は斧のことを愚劣な低俗な奴だと思ったのである。
オランウタンだ。 今度は皮肉な落ち着いた調子で私は繰り返した。
斧は目を縛たたいた。 日焼けの下、そしておそらく潮風にもさらされたらしいその顔は、
皮膚が厚く強いが、あるやつれと衰えとをそこに見せていた。 学生時代の敏感な血液と筋肉とはもうなかった。
その代わりに感覚の鈍い、どん乱な食欲を私は強嘆させられることになった。 なお二、三箇所私たちは食いかつ飲んで歩いた。
すっかり酔った。 再会を約して斧を自動車に送り込んだ後、私は一人でしばらく歩いた。
何かしら胸の中にいっぱい鬱積したものがあった。 だがそれを吐き出すべき言葉が見つからなかった。
見つからないのは持ち合わせがないからだ。 稲荷様の前に疼くまっても、私は九時の悲言切り、
言うべき言葉も祈るべき言葉も呪うべき言葉さえも持たなかった。 鉄格子に捕まってそれらを悪戯に揺さぶるだけで何になろう。
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私の前に濁り淀んだ堀割りの水が、 外裸の日を点々と映していた。
それを眺めながら私の頭にはある映像がよみがえっていた。 子供の頃、カッパの見せ物を見たことがあった。
赤い毛をしょんぼり生やした頭が、大きな樽の水中にぽっかりと浮かんではまた沈んでいた。
それは氷炭に毛を植え、芽花をつけたもので、水中から糸で引っ張っているのだと後で知ったけれど、
そうわかってみればさらに嫌だった。 氷炭ならば水に浮いきたいだろう。それを浮いたかと思うと、糸で水底から引っ張り込むのだ。
水に溺れる者の頭を浮かぶ氷石に水中に突っ込むのと同じだ。 その映像が私自身に戻ってくる。
言葉を持つことだ。 ほらうーたん、自分自身の言葉を持つことだ。
そう私は繰り返したのである。 1967年発行。未来社。
豊島よしお著作集第6巻 随筆評論他
より読み終わりです。
少し読みづらい文章だったなぁ。 漢字がちょっと難しくて
なんか適当に読んでる感じがありそうな気がします。 意味は繋がっているから
大丈夫だと思うけど 難しかったねー
ここで言うオーラうーたんは何ですか。何を表してるんですか。 何のメタファーなんですか。
自分自身ですか。 同型、同型っぽい自分のことを指して言ってるのか。
何だろう。 読む時、僕テキストなんか体に入れてはいないんで
読み上げてるだけでね 意味の奥深さみたいなところを全然こう捉え切らないまま
アウトプットしてるんでちょっとわかんないですけどね 最初なんかお稲荷様の話ししてるとき
全然オーラうーたん関係ねえじゃねえかと思ったけど 最終的には戻ってきましたね。オーラうーたん
自分のこと言ってるのかな。何でしょうね。 考え
させられるテキストでしたね。寝る前にね。 寝る前なのにね。
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何だこれは。 これはあの
研究者たちの 研究者の皆さんに任せましょう。
専門家に任せることにしましょう。はい、といったところで今日のところはこの辺でまた次回お会いしましょう。
おやすみなさい。