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2022-04-16 07:42

#167 電車の時刻調べるならネットを見ればいいけど、時刻表は読み物だからな!(3)路線廃止の嵐。

時刻表は読み物だからな!(笑)

第3回です。

北海道のオホーツク海に面した、湧別というところにあった路線の時刻を読む続き。

路線廃止で運用が変わった様子について考察します。

興味がない人にはまったく面白くないと思うので、スキップしちゃってくださいね。

にゃおの考える現代の基礎的なリテラシーは、ITをきちんと使えることが含まれます。そのためにどのような問題があり、どう解決していったらよいか考えてみるPodcastです。

「令和の時代に必要なの?時刻表の世界/有隣堂しか知らない世界」
https://youtu.be/A_gzRkM3YeM

電車の時刻調べるならネットを見ればいいけど、時刻表は読み物だからな!(noteマガジン)
https://note.com/nchiba/m/mac122728f3bd


#156 電車の時刻調べるならネットを見ればいいけど、時刻表は読み物だからな!(1)はじまりは有隣堂。
https://anchor.fm/82661/episodes/ep-e1gdn10


#044 時刻表を語る
https://anchor.fm/82661/episodes/ep-e1bf1t3

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をご覧ください。

00:04
にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代の読み書きソロ版を中心に、様々な話をしています。
今回のタイトルは、電車の時刻を調べるならネットを見ればいいけれど、時刻表は読み物だからな。
3回目、路線廃止の嵐というものです。
時刻表を読むシリーズの第3回目です。
前回は、僕が昔から気になっていた北海道の宝塚街に面したとても短い区間の1968年10月の時刻を読んで、
本来の所属線区と違う路線の方に列車の時刻が載っている理由について考察をしました。
1968年の時刻表と合わせて入手した1988年3月の時刻表を見たら、結構大きな変化があったと予告して今回に続いています。
前回読んだ時刻表から、ほぼ20年経った時刻表を読むわけです。
なぜ1988年3月の時刻表なのかということから話しましょう。
この時のダイヤ改正は日本の鉄道にとってなかなか大きな節目でした。
なぜなら、青函トンネルと瀬戸大橋が開通したことを受けての改正だったからです。
本州・四国・九州・北海道がレールで繋がったからなのですね。
そういう観点で見るのももちろん面白いことがたくさんあるのですが、今回は前回の続きですから、おほうつく会の優別・仲優別感を見直してみます。
1968年版で時刻表のページの位置はなんとなくわかったので、地図作品を引かずにいきなり北海道の最後のページのあたりから遡ってこの区間を探しました。
その時点で、「ああ、そうか。」と残念な気持ちになって、改めて地図作品を見直しました。
前回、優別・仲優別感の列車運用に関わっていた有望線がなくなっているのです。
時刻表の表紙を見直して、すでにJRに移行した後だったことを思い出しました。
有望線はJRへの移行の直前に廃止されたのでした。
おほうつく会とサロモ湖やノトロ湖・アバシリ湖をめぐる美しい路線だったことを考えると、今でも惜しい感じがしますが、
もともと人口が少ない場所でもあり、鉄道を維持していくのは難しかったんですね。
2冊の時刻表の地図作品を見比べると、北海道は長い路線を含めてかなり路線が減ったことがわかります。
国鉄の赤字が問題になり、鉄道の再建議論の中の殺伐とした空気の中で消えていった路線のことを思い出します。
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残念に感じながら次に思ったのは、有望線と一体運用していた優別・仲優別感の列車運用がどうなったのかということでした。
気を取り直して時刻表をめくります。
優別・仲優別感は名寄本線のページにありました。
この区間は本来は名寄本線の支線ですから、本家に戻った感じではあります。
仲優別は4方向に線路がありましたが、有望線がなくなって3方向に向かう形になっています。
相変わらず朝と夕方の2往復ですが、運用はこうなっていました。
朝の列車は、縁がる始発のおこっぺ行きが仲優別まで来たところで分割されて、
多分前側がおこっぺ行きとなり、後ろ側が優別行きになったと思われます。
なぜそんなことがわかるかというと、時刻表上で分割を示す矢印が出て隣の列に優別行きが映っているからです。
さらに仲優別の出発時刻はおこっぺ方面の方が先になっているので、
列車を分割して前の方が先に出発したのだなと想像できるわけですね。
この辺り音声だけではピンとこないかもしれないので、ノートの書き起こしの方にそのページの写真を載せておきたいと思います。
で、分かれて優別まで行った列車はそのまま折り返して仲優別で、今度は門別から来た列車に併合されて縁がるまで行きます。
これも仲優別への到着時刻から見て、門別から来た列車の後ろにくっつけたのだろうと想像できます。
夕方の列車は縁がる始発の門別行きから分かれて、優別に行って折り返してそのまま縁がるまで行くようです。
ただ、この時仲優別で列車番号が変わっています。
時刻表上の隣の列に映るのです。
これはなぜだろうと考えました。
区間の関係で列車番号が変わっているのかもしれませんが、わざわざ列車番号を付け直すということは、仲優別始発の列車の後ろにくっつけるのかもしれません。
というわけで、奈色本線の逆方向の時刻を見ると、朝に縁がるから来て仲優別止まりの列車があることに気づきました。
他の列車は門別方面に直通していますので、この仲優別止まりの戻り日になって縁がるまで行くのではないかと想像しました。
そうすれば翌日また縁がる始発で同じように運用できます。
もちろん他の列車にくっついて往復している可能性もありますが、
朝と夕方に縁がるから仲優別を行き帰りする車両があるということは、そういう乗客の流れがあったのかもしれません。
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この辺りでは縁がるの方が大きな街なのでちょっと不思議な感じではあるのですが、
と、ここで1968年の奈色本線の時刻を見直して、その豪華さを感じました。
というのは、急行列車の設定があるのです。
テントはおこっぺ串路間、おほうつくはおこっぺ旭川間、門別は門別から奈色経由で札幌まで走っていたようです。
まあ豪華といっても、車両は普通列車と一緒で、途中のいろいろな駅で分割と併合を繰り返します。
そういう今では考えられない運用だった、というのを思い出しました。
車両ごとに行き先が違うと乗り間違いが発生するので、今はほとんど見かけなくなりましたね。
分割併合を繰り返す急行といえば、と思い出したことがあります。
札幌発札幌行きという急行がありました。
次回はその時刻を追ってみようと思います。
読書と編集では、ITを特別なものではなく、常識的なリテラシーとして広める活動をしています。
詳しい内容については概要欄のリンクから、または読書と編集と検索して猫がトップページに出てくるホームページをご覧ください。
この配信の書き起こしをノートで連載しています。概要欄にリンクがありますのでフォローいただけると嬉しいです。
今日もワクワクする日でありますように。千葉直樹でした。ではまた。
07:42

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