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にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代の読み書きソロ版を中心に様々な話をしています。
今回のタイトルは、
電車の時刻を調べるならネットを見ればいいけれど、時刻表は読み物だからな。
その2、一日に洋服だけだった。
というものです。
今回は、興味がない人には全く面白くないので、スキップしてくださいね。
話の前段は、配信156回目の始まりは遊輪堂という回です。
YouTubeの遊輪堂しか知らない世界で、時刻表のエピソードを見て、すぐに時刻表復刻版を買ったという話をしました。
さらに、時刻表の中で既に廃止された路線で気になっていたところがあるので、その話をしたいということで今回に続いています。
その気になっていた路線というのは、北海道の奈色本線に付随するごく短い四線区間です。
地名としては雄別というところになります。
奈色本線は国鉄からJRに移行した直後に廃止された路線で、
奈色からおほうつ区間に向かい、門別を通って南下して、中雄別から縁ガルに向かうというものでした。
中雄別では線路が4方向に向かっていて、縁ガルに向かう路線と、
さらもこやのとろこに沿ってあばしりに向かう雄毛線という路線と、今回の中雄別から雄別までの4.9キロの区間がありました。
こういう短い行き止まりの路線を見ると、何のためにあるのかなーとか、役に立っているのかなーとか想像が膨らむのですね。
というわけで、まずはまだ国鉄時代の1968年10月の時刻表を見てみます。
このように特定の路線の時刻表を見るときには、最初の方にある作員地図を見ます。
路線のそばに赤い数字が書いてあって、それが時刻表のページを表しています。
中雄別のそばに308と書いてありました。
で、そのページに行ってみると、奈良本線のページでした。
このページは国鉄線の最果てになります。
日本中の一般的な国鉄線時刻表の最後のページになるんですね。
正確には次のページも国鉄線なのですが、首都圏の山手線とか中央線などの、いわゆる国電のページになります。
首都圏とか関西圏の時刻表を気にしないで乗る区間の時刻表は、1日の始めと終わりの列車時刻が書いてありますが、
日中はこの間3分から6分間隔などと省略して書かれていて、時刻表としてはちょっと特殊なページになります。
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それはそれとして308ページを読んでいくと、あれ?中優別はあるけど優別は書いていないのです。
作品地図を見直しても優別までの短い区間にはページ番号はありません。
むむむ、と思いながらページを前の方に戻っていきます。
303ページに優別の文字を見つけました。
優別駅が乗っているのは雄毛線の方でした。
奈色本線の支線であるはずなのに、雄毛線の方に乗っているのはなぜだろう?と時刻を読んでいくと、
列車の運用が雄毛線と連続しているということがわかりました。
朝は雄毛線のサロマから出発した列車が、中優別を通って優別まで行って、引き返してまた中優別からアバシリまで行きます。
夕方はアバシリから雄毛線で来た列車が中優別から優別まで行って、引き返して中優別が終点、というようなことになっていたようです。
時刻表を丹念に見ていくとこういう運用がわかります。
それにしても国鉄全盛の1968年でも、優別まで行く列車は朝と夕方の2往復だけだったのですね。
学生さんは乗っていったかもしれないなぁとか、まだ誰でも自動車を持つ時代じゃないから案外病院に行く人なんかも利用していたかもなぁとか、
実は貨物列車が走っていたのかなぁとかいろいろ考えます。
今はありがたいことにググれば情報が出てきます。
wikipediaの優別駅のページを見ると、貨物線があったことや近くにマルハニチロの工場があって引き込み線があったことなどがわかりました。
トラック輸送が始まる前にはあらゆるものが鉄道で輸送されていたのですね。
ということで次はせっかくなので青函トンネルが開通した1988年にはどうなっているのかを見てみようと思いますが、列車運用に変化が起きていることがわかりました。
ですが長くなったので続きは次回にしようと思います。
それにしても細かい字を見るのがきつくなりました。
はずきルーペを買おうかな。
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今日もワクワクする日でありますように。千葉直樹でした。ではまた。