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おはようございます、なっちゃのです。昨日ですね、電車でお出かけをしていて、ベビーカーを私は引いてるんですけど、満員電車は基本的に避けるようにしてるんですけど、夕方の学生たちの帰りにぶつかって、満員電車に乗っちゃったんですね。
その時の子連れのお出かけって、肩見狭いよなって思ったという話をちょっとしたいと思います。
満員電車にベビーカー連れて乗ってしまって、近くに同じくベビーカーの人がいたんですね。その人はベビーカーを折りたたんで、その上に赤ちゃんを乗せてるというか、赤ちゃんを座らせるヒップシートを使うでもなく、ベビーカーを折りたたんだ上に子どもを座らせてるわけなんですよね。
赤ちゃんというより1歳半とか2歳ぐらいの子どもなんですけど、なんかすごい危なっかしいなと思って、ドアにもたれかかってるとはいえ、片手に荷物で片手で子どもを支えてるんですよ。大きく揺れたら普通に落ちますよねっていう状況で、落ちても大したことないのかもしれないですけど、それでもそれでもじゃないですか。
その人は電車の扉の両脇、狛犬ポジションを確保できていたので、普通に座席が近いわけですね。大変そうだなみたいにちらちら見てる人も座ってる人の中でいるんですよ。でも誰も譲ったりとかはしないわけですね。
その雰囲気を見ててなんだかなと思っていて、電車を降りてその足でセブンイレブンに寄ったらですね、レジのところに見たことのないシールみたいなのが貼ってあって、それがどういうシールかって、耳が聞こえない人のための指差しができるみたいなシールになってて、
例えば温めするしないとか、袋いるいらない箸がどうだとか、ちゃんと覚えてないんですけど、普通にレジで行われる確認作業、お客さんと店員さんの確認作業が耳の聞こえない人でもスムーズにできるみたいなものがあったんですね。
これすごいなと思って、これは今までずっと伝えられないっていうことを諦めていた人たちからするとすごく優しいサービスじゃないですか。いいなと思ったんですね。そんな風に今って一見すると優しい街みたいなのが出来上がっているように見えるじゃないですか。
子育てに関して言えば、大抵どこに行っても駅付近にはおむつ替え台と授乳室とかがあって、それがマップに落とし込まれているようなアプリもあって、駅にはほぼ100%エレベーターがあってみたいな、ハード面というか見えやすい部分はすごく整ってますよね。
わざわざおむつとか授乳とかの心配をして出かける場所を選ぶなんてことは、今までしたことがなくて、そういうこと自体はすごいありがたいなっていうか、当たり前なのかもしれないですけどもありがたいなって思うわけなんですよね。
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ちょっと前に、段ボールの授乳室を道の駅に設置するっていうニュースに対して、授乳舐めとんのかみたいに炎上してたことがあったんですよね。
あの設備自体がどういうものか詳しくわからないから、よくわからないんですけど、鍵とかがなければ確かに不安かもしれないんですけど、素材が段ボールだけだったら私はそんなに気にしないというか、むしろ設置してくれる分だけありがたいなって思ってしまうんですね。
そんなふうに整ってきてはいるんだけど、つまり表面上優しいように見えるし、その表面上優しいっていうこと自体はとても大切なんですけど、どんどん人に頼らなくて済むように発展していってる分、個人個人のレベル感で言うと変化がないか、むしろ退化してるんじゃないかなみたいなふうに思ってしまうわけなんですよね。
席を誰も譲らないみたいなように。頼られれば当事者じゃなくてもそうだよね、そういう困難あるよねみたいなふうに理解が芽生えてくるみたいなこともあるじゃないですか。
共感とか想像とかそういうものを必要としないように設備や仕組みが整えられると、もっとそうして想像力とかが働いていかなくなっちゃうものなのかなって、なんかうまくいかないようにできてるなとかって思っちゃうんですけど。
ちょっと思い出した話があって、鈴木すずみさんと上野千鶴子さんの往復書館限界から始まるっていう本があって、鈴木すずみは女っていう女性っていう性を盛大に売ってきた人で、上野千鶴子はフェミニストじゃないですか。
その対局にいる二人を語らせるっていうすごい企画と内容で、図書館で借りたんですけど、購入したいなって思うくらい良くてですね。そこで言ってるのは性のことなので男女のことなんですけど、今セクハラとかがだいぶ取り締まられるようになってはいるんですけど、表面では取り締まられるようになって、表面上はだいぶ優しい社会にはなってきたんだけど、
中身は変わらないよねっていう話をされてて、本音と建前とかっていう言葉でそういう説明がなされるわけなんですね。
中身が変わってないエピソードとしては、広告ですごく胸が強調された幼女みたいなやつがめちゃくちゃ使われて、それがバッシングに合うとかそういうことってよくあるじゃないですか。
そういうことを引き合いに出しながら説明がされてるんですけど、セクハラとかは笑って流すのも女性の処生術の一つであることは間違いなくて、一生懸命積み上げた仕事とか実績とかがセクハラに噛みつくことでおじゃになることもあるくらい。
なのでそれは処生術ではあるんだけど、その一方でTwitterでMeTooっていう性被害を訴えるみたいなムーブメントが起こったように、声を上げるっていうことも同時にしていかなくちゃいけないみたいな話をしててですね、その両方をきちんとやらなくちゃいけないよねっていう話があって、すごく納得したことがあったんですよね。
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そうだよなというふうに思ってました。話がそれたんですけど、子育てに関しても本音と建前みたいなところはすごく似てるなと思って、建前だけが成長してる感じがあるなっていうふうに思ったんですよね。
けどこの建前の成長自体は喜ばしいんですけど、それそのものの個人ベースのいわゆる思いやりみたいなものを退化させているならこれはどうしたもんかなっていうふうにも思ってしまうわけであります。
ベビーカーを畳んでしまうくらい電車内の居心地が悪いっていうのはすごく共感するわけなんですよね。赤ちゃんがもし泣いたらなんかこう睨まれるんじゃないかとか舌打ちされるんじゃないかとか、ひどい場合ベビーカーを蹴られたり罵声を浴びさせられたりするんじゃないかとかって思ってしまうんですけど、
実際はそういう目にはあったことないんですけど、思ってしまうような風潮ではあることは間違いないわけなんですよね。だからハードの整備と居心地って全く関係ないものなんだなっていうふうに思ったことがあったので、ちょっとこういう話をしてみました。どうしたらいいんでしょうねということで、それではまた。