2021-11-10 13:48

108日間世界1周の船旅🚢🌎✈【カンボジア🇰🇭➡️シンガポール🇸🇬】

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前回は少しショッキングな配信となりましたが
今回からはまた、お気楽な旅路へと戻ります❗️


アンコールワット、アンコール・トム、タプロム……
全てが生命力に満ちていたカンボジアカンボジア🇰🇭
に別れを告げ

シンガポール🇸🇬

短い滞在時間を終えて、
船はモルディブ🇲🇻へ

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00:02
こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生です。
さて、お待たせいたしました。108日間世界1周の船旅🚢🌎✈【カンボジア🇰🇭➡️シンガポール🇯🇵】をお送りいたします。
前回のアンコールトムでの衝撃的な出会いの配信は、お聞きいただいた皆様にも衝撃を与えたこともあったと思いますが、
20年の時を経て、あの話ができたこと、そして皆様にお聞きいただいたこと、心より深く感謝しております。
こうして、20年もの前の旅の記録を、時に楽しく、時に悲しく、時に感動的に、時にときめいて、皆様と追体験できることが、なんだかとっても不思議です。
ああ、私はこの時のために、この日記を毎日書いていたんだなぁ、とさえ思います。
さて、衝撃的な出会いのショックから少しだけ立ち直った私は、プリヤパリライという夕日の美しい丘へ、夕暮れの観光に出かけました。
人間の瞳並みなど、ついほど関係なく、その日もまた、太陽は西の空に沈んでいきました。
ここから、当時の日記を抜粋しますね。
大勢の人たちが、雄大な自然の大パノラマに息をのみ、簡単のため息を漏らす中、私はふと、自分への視線を感じて、その光景から目をそらした。
視線の先には、なんと先ほど出会ったアジア系ハンサムボーイが、こちらを見ていた。
目があってそらすのも難なので、「はい。」と、軽く笑顔を見せると、彼が近づいてきた。
昼間、僕を日本人と間違えたでしょ。ベトナムの帽子をかぶってたよね。似合っていたからよく覚えてるよ。
と、きれいな英語で言われた。
アジア人だと思ったら、シンガポール生まれのチャイニーズ・クォーターの彼は、名をジョイと言った。
あれ、また出会ったな。これはもしや何かの運命?
彼はお友達と二人、またこの夕日のスポットに来ていたようだけれど、お友達の姿は見えず、
私と彼は18時のバスの集合時間ギリギリまで、ずっと二人で、夕日そっちのけで体育座りしながら話をすることになった。
もちろんカタコトの英語で。
周りの人々が暮れていく夕日を眺めているというのに、なぜかお互いの顔を見ながら横並びで座っている我々は浮いていたに違いない。
03:02
肌から見たらかなりいいムードだろうな。周りは観光客でごった返してたけど。
しかも私の後ろでひそひそ話をしているのは、おしゃべりが講じて、自分の四人部屋から追い出された悪名高きSさんと仕方なく彼女に付き合っているOさんと日記にありました。
今となってはこのお坊様方の方に断然年が近い私でも、きっとひそひそと若い子はいいわね、などチラ見してただろうな。
私より二つ年下のイケメン君に一緒に夕飯を食べようと誘われたものの、いやいや私団体旅行だし、バスの集合時間だからもう行かなくちゃというと、
彼は名残惜しそうに最後に一緒に写真を撮ってほしいと言われたので、一緒に写真を撮ってお別れしました。
これはこれで良い旅の記録になりました。
ちなみに彼のカメラで撮っただけなので、私の方の写真の記録はありません。
そして二十年前の私の記憶の中には、この日記を読み返すまで一切彼のことを忘れていたくらいなので、もちろん顔の記憶はありません。
泡酸っぱい出会いに少し気持ちが上向きになって、集合時間通りに何とか間に合い、ホテルに戻り、昼ご飯を取り戻すように夕飯をたくさん食べて眠りにつきました。若いって素晴らしいですね。
翌朝はとうとうカンボジアとお別れの日。
カンボジア最大の湖、トンレサップ湖へ、ここで水上生活者の集落を見学しました。
浮きの前の湖は水が少なく、一面の蓮の花が美しかった。
湖に到着し小舟に乗り換えて水上の街のある湖の中心へ。
浮きで最大の広さに湖が広がると、なんと岩子の十倍というから果てしない。
蓮畑はもちろん沿道の家々もすべて湖の底、だから家は組み立て式の簡素な作りのものが多かった。
水上の街も同じように簡単な作りの家が船の上に作られていて、学校や警察病院もあるとのことだった。
家畜も飼われていて、豚やペリカンが囲いの中にいるのが見えた。
他には日物を作っていたり釣りをしている人々の姿も。
昨日見たバイオンの遺跡のレリーフでも水上船の様子やその生活のレリーフがたくさんあった。
その頃からここでの生活はさほど大きく変わらないんだからすごいものだ。
トンレサップ湖の後、ランチを済ませシェムリアップ最大の市場へ。
06:02
ダナンで行った藩市場よりはかなり小さいが、私はアンコールワットの描かれたTシャツを4枚、グラデーションの入ったスカーフを4枚、象の絵柄の小さな肩かげカバンを4つ買った。
その土地の人に作られたものをその土地の人から買うこと、それがその土地を応援することになるんだと思って私はねぎらずにいいねで買うことにした。
市場で買い物の後、最後の遺跡タプロムへ。
半分以上崩れ去ってしまったこの遺跡の見どころは何といっても溶ける木と書いてヨウジュと読む独特な木。
ガジマルの大木が遺跡の建物の間に根を張り崩れかけの遺跡に寄生しているように見える。
自然の力の強大さを、その生命力をただただ思い知らされる。
さながらラピュタの空中都市を思い出す光景。
人の科学力の推移を凝らして作られたたくさんの最強兵器ロボトたちが活躍することなく静かに苔に覆われ大木の根に埋もれていたあの有名すぎるアニメのワンシーン。
それと重なったこの光景。
遺跡は緑の苔が無し崩れかかってこの先ますます荒廃していくだけ。
近い将来あとかたくもなく崩れ落ちるのだろう。
その反面この大木は枯れたとしてもまた新しい生命が息吹きやがてはこのタプロム全体をすっかり密林の中へ覆い隠してしまうのだろう。
こうやって悠久の時間と容赦ない自然の営みに消えていった人類の奇跡が一体いくつこの地上にあるのだろう。
タプロム遺跡でしばし地球と人類の歴史に思いを馳せその情熱冷めやらぬまま一路空港へ。
最後にバスの窓からアンコールトムの遺跡や門そして堀の向こうに佇むアンコールワットの姿を目に焼き付ける。
さよなら憧れの地アンコールやっぱり素晴らしかった。
飛行機がホーチミンに着きホテルにチェックインしたのはもう日付が変わる頃でした。
久しぶりに一度も起きることなくぐっすりと眠り古い格式高そうなホテルの中庭で熱々の肉まんナタデココとヨーグルトの朝食をとって
ホーチミンのホテルをチェックアウトしたのは朝8時そのまま再び空港へ向かいました。
09:06
ベトナムホーチミンの街はただ通り過ぎていっただけでもカンボジア一の観光地シェムリアップよりもはるかに栄えにぎわいくっきがありました。
最初に立ち寄ったダナンが我が都市横浜だとしたらホーチミンはさながら新宿のような大都市。
ホーチミンから船が停泊しているシンガポールまでは飛行機で2時間ほどシンガポールに到着して1時間の時差を調整し4日ぶりに船に戻りました。
短い期間にたくさんの経験体験をして4日間がとても長く感じた私でした。
校庭的にも若いとはいえなかなかハードな離脱ツアーだったにもかかわらず私は荷物を置くとすぐにシンガポールの街へ繰り出しました。
20歳の私にとっては休むというよりもとにかく新しい場所へ新しい刺激をそしてこの目で世界を確かめなくてはという気持ちが強かったんですね。
シンガポールの街はドラえもんの未来都市のようだというのが第一印象でした。
あまりに全てが整然としていて美しく整えられていて街全体が公園のようでした。
同じアジアなのにシャンハンやダナンに漂うちょっと怪しげな雰囲気や陰と陽、明と暗、汚いものと美しいものを織り混ぜたような混沌がありませんでした。
錆びれていて寒酸としていたそれでいてむせかえるような命の息吹を感じたカンボジアのような情熱も感じられませんでした。
人工的に冷たく緑や自然でさえお行儀よく空に向かって整列しているようなそんな街の印象がありました。
アンコールワットの帰りだからこそ余計にそう感じたのかもしれませんね。
大きな道路を挟んで片側は伊勢丹や高島屋など日本の高級デパートが並び、反対側は地元っ子の訪れる様々なマーケットが入った雑居ビル。
私はもちろん雑居ビルに入ってウロウロキョロキョロ。一番の目的はカメラの電池をゲットすること。
今のようにスマホがなかった時代、私はデジカメとチェキとビデオカメラを持って乗船していたのですが、ビデオのリチウム電池が壊れて早々に動画が撮れないという時代に陥っていたのでした。
シンガポールで手に入らなければきっとこの先も手に入らないだろうと覚悟は決めていたのですが、とにかく高い。
3軒くらい電化製品屋さんを回ったものの純製品はとにかく高い。当時世界のソニーは電化製品の第一線、日本の電化製品は世界のブランドでした。
12:12
そんな時代がありましたね。
最後の電気屋さんに入ると、そこの店員さんがえらく私を気に入ったらしく、商品セールスそっちのけで、「ねえねえ、今夜食事に行かない?」としつこく誘ってきました。
悪いけど全然好みじゃない。でもこれは使える。と、こちらも下心丸出しで。
うーん、明日ならいいよと言って彼の電話番号を受け取り、7時に電話するねと約束をして、18シンガポールドルのものを12シンガポールドルまで負けさせたと当時の日記にありました。
ちなみにこの日の夜にシンガポールを出港するので、彼との約束は守られっこないんですけどね。
まあ、男女の駆け引きは惚れた方が負けですね。もう時効なので許してください。
シンガポール名物のホーカーズ、屋台村で船のお友達と夕飯を食べ、当時からシンガポールで流行っていたタピオカミルクティーを初めて飲んで感動した私でした。
5月15日から16日に日付が変わる24時ちょうど、船はシンガポールの港を出港したのでした。
ここからは次の寄港地、モルディブのマーレまでは6日間の長い長い公開となります。
次回は地上の楽園、モルディブの首都マーレをお送りいたします。
長尺配信をお聞きいただきありがとうございました。次回もまたよろしくお願いいたします。
13:48

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