DODとは
こんにちは、ネーミングFM名前をつけるラジオです。
この番組は、Z世代とゆとり世代の狭間にいる、
社会人5年目と6年目の2人、
ケンショーとツネキチューが名前をつけることについて、
時には雑談を挟みながら緩く会話するラジオです。
はい、名前をつけるとは、1、定義し、2、表現することです。
1、定義するというところは、何かの概念を再定義する、
試みについての雑談を僕らでしたり、
2、表現するというところは、何かよくある事象に対して、
名前をつけたり、もしくは既に名前がつけられているものに関して、
僕らで説明した上で、それらに関する大切りだったり、
あるあるだったりをしながら、緩く雑談をしていきます。
では、やっていきましょう。
よろしくお願いします。
今日のテーマは、DODということに関して話していきたいなと思います。
DOD、はい。
よく知ってますか?
ま、なんか英語だなぁというぐらいですかね。
何かの役性なのかなというところぐらいかな。
ありがとうございます。
DODはDown of Definitionという言葉の頭文字を取った言葉なんですけど、
僕が最近会社で研修を受けまして、
プロジェクト管理とか、そういったものに関する研修だったんですけど、
正確な定義は一旦置いておくとして、
プロジェクト管理っていうのは、ざっくり言うと、
複数にいって、あるゴールに向かってタスクを分割していって、
プロジェクトの定めているゴールっていうところに向かって、
みんなで頑張って期日通りにそれを完成させるっていう取り組みなんですけど、
そのプロジェクト管理っていうのをするにあたって、
DODという概念がすごい大事になるんですね、みたいなことをちょっと研修で受けまして、
DOWN OF DEFINITIONなんで完成の定義ですね、
完了というか完成の定義っていう意味になるんですけど、
要はタスクを分割して複数人で共同でやっていくっていうことになるので、
タスクの完了基準を定めないままタスクを渡してしまうと、
渡した側と渡された側で完了の基準が揃ってないので、
故にお互いやった側としては完了してるつもりになってるけど、
渡した側としては完了されてないみたいなことが起きたりとか、
完了の基準っていうのは曖昧にしたまま進めちゃうことによって、
やっていく中でこれも実は考えなきゃいけなかったみたいなことが発生して、
手戻りが起きるみたいな感じで、
後におかゆくんにもタスクを渡すみたいなとか、
何かお願いするってなったときにはDODをちゃんと明確にしましょうね、
みたいな研修の内容でした。
DODの応用例
なるほど。
で、なんか研修の講師が言ってて結構面白いなと思ったのは、
ダウンオブディフィニッション、DODが揃ってないことって結構プライベートでもありますよねっていう話をされてまして、
例えばなんか夫婦間のやり取りとかで、
片付けやっといてねって言ったじゃんみたいな。
あー、よく聞くセリフ。
そう。
いや、なんかやったんだけどみたいな。いや、やってないじゃんみたいな。
これはなんか結構片付けに関するDODっていうのが揃ってないっていうことから気にすることなんで、
意外とこのDODっていう視点で、
いろいろ物事を振り返ると面白いんじゃないかなっていうところ。
なるほど。
ポッドキャストを新しく始めるっていうところがあるので、
なんかお互いのこう、なんて言うんですかね、この取り組みに関するDOD的なものが揃ってると、
なんか上手くいくんじゃないかなみたいなことを思って、最初のテーマとして選びました。
まさに第一回のテーマとして。
そうですね。
出しそうだなと。
確かに聞いてると研修っていうところから始まったけど、
応用聞かせるじゃないけど、日常生活の中でも確かに具体例出してみたら、
結構このDODっていうのは溢れてるのかなとは今聞いてて思ったかな、まさに。
そうっすね、DOD。
じゃあみんな直近でDOD揃ってないとかありますか?
そうね、確かに仕事とかでも上司が言うここまでっていうところをやっぱりちゃんと部下に伝えてないと、
特に部下の、特に新入社員とか、
社会人としてのキャリアもそうやし、
上司との信頼関係ってところが、なかなか未熟の場合このDODっていうところの役目は大きくなるなとは。
ちょっと自分の社会人、若かった頃というか数年前を思い返すと、
今やと同じ指示でもこっちから提供するのは変わってくるけど、
当時はやっぱりこの人は何を言ってるんだろうみたいなところがまだ深くわかってないっていうのは自分でもあったかな。
ちょっとプライベートでもあるかもしれないけど、それは話しながら思い出したらおいおい差し込んでいきます。
ありがとうございます。
なんか、それで僕が結構気になったのが、
実家帰った時に結構姉夫婦が割と上手くやってるんですよね。
結婚生活を。
で、いきなりチャブダイひっくり返す感じになるんですけど、
お互いのその結婚に関してのDODって何だったんだろうなっていうのは結構気になるんですよね。
お姉さん夫婦の。
そうそうそう、結婚生活を通して何を得たいかみたいなのとか、何をもって結婚生活するのかみたいなところ。
で、例えばその、何だろうな、奥さん側が例えば子供を産んでちゃんと育てきるみたいな。
家族として過ごすみたいなのがDOD。
で、夫側が結構とにかく楽しく過ごせればよくてみたいな。
DODの重要性
だから面倒くさいこととかは全部やってほしいみたいな感じだったりとか。
あとは、よくあるのは、片方側はとにかく俺はお金を働いてくるみたいなタスクをやってますみたいな。
で、もう片方側は家事も含めて一緒にプロジェクトを進めましょうみたいな、家族生活っていうプロジェクトを進めましょうみたいな感じで、
自分の役割というか責任の範囲っていうのを決めてると、DODが揃ってないと結構なんかトラブルになる印象があるんですよね。
なるほど、確かに。そうね。いわゆるすれ違いとかっていうところが、そのスタート時点の認識の違いっていうのがだんだん顕在化してっていうのはありそう。
そうそうそう。で、なんか2人は、姉夫婦の話に戻すと結構2人は割と上手くやってる感じだったから、
なんかそれがなんでなんだろうなっていうのが気になって聞いたんですけど、逆になんかDODなんてものはないみたいなことを言われて。
まあ、なかなか普段意識してる人はいないかな、ここまで。
何か明確なリターンとか成果を欲しくて結婚生活をやってるわけじゃないんだよね、みたいなことを言われたんです。
ある意味で一緒にいるみたいな、一緒に生活するみたいなのが結構DODになってて、
それはそれで結構器の違いというか大きさの違いを見せつけられたって感じがあった出来事っすね。
まあ確かにじゃあ結婚生活一番最初にDOD全カップル決めましょうっていうのがなかなか難しいし、
どこまでやるかっていうところ、結果的にDODが合ってるパターンもあれば、
DOD決めたつもりでも、みたいなね。
なんかいろんな結局はやっぱスタートしてみてみたいなところもあるか。
うん、そうですね。
なんで、いろいろちょっと考えさせられた感じですね。
なるほど。
じゃあさっき出してくれた一番最初のさ、じゃあ家事これやっといて片付けといてみたいなところで、
例えば夫婦間ですれ違いがあったとして、
それはDODを事細かに伝えてない方が悪い、いわゆる依頼元が悪いっていうことになっちゃうのかな。
例えばその研修でそういうところ触れられたりした。
編集ベースだと、結構これもなんか続きがあって面白かったのは、
仕事ベースでいくと、渡す方を渡される方もDODを曖昧にして、
どっちが悪いとかはなくて、結局渡した方は分かってると思って渡してて、
渡された方はこういうことだろうなって勝手に解釈してやってるわけだから、
どっちも悪いところはないんだよね。
なるほど。
どっちも悪くないというか、感じはあるんですよね。
ただ、ことをプライベートに関して言うと、
どっちが悪いとかいうよりかは、
どっちが悪かったとしても、結局うまくいかなかったらお互いに不礼儀があるわけだから、
一緒に、ともにというか、
DODが揃ってないっていうことによって何か起きてるとしたら、
どっちかが揃えなかったから悪かったとかじゃなくて、
どっちかが悪かったとかじゃなくて、
悪くしたくない、不礼儀をこむりたくないんだったら、
どちらでもいいから明確にしに行くのが大事ですよねみたいな話があって、
それも結構人生を感じる内容だった。
DODの応用範囲
まあ、確かに言い方が合ってるかわからんけど、
チキンレースでもないか、歩み寄ったら結局相手が得するプラス、
自分も結局回り回ってそんなことがなくなるって意味で、
どちらからともなく歩み寄れるのが確かに理想かな。
いいっすよね。
だから家事DODとか結婚DODとか、
何よりDODみたいな感じで名前をつけると結構いろいろ広がるなと思うんですよね。
僕は大学が数学科だったんですけど、数学書って結構分厚いんですよ。
イメージある。
数学の本を読むって一冊通すでちゃんと読むって結構難しい。
難しいっていうか結構大変なんですよね。
そうなんだね。
僕がもともと数学の教師になろうとしてたっていうこともあって、
ある有名な予備校の数学の先生、安田先生って安田徹先生っていう方なんですけど、
その人の下でちょっと一時期働いてたことがあって、
その人は受験数学はもちろん詳しいんだけど、大学の数学とか高等数学にもかなり、
結構詳しい方なんですけど、
その人が言ってて結構びっくりしたのが、
数学書を読むっていうことは、
200ページある本だとして、
1ページから200ページまで事細かに読むっていうよりかは、
一旦その分野に触れるっていうことが大事だったりとか、
その本で果たしたい目的を一旦果たせばいいんだから、
数学書を読むっていうのは大体全体の10分の1くらい読んだら、
もうそれでその数学書を読んだってことにしていいみたいなことを言ってて。
その代わりに興味のある分野だったりとか、
やりたい分野みたいなことに関しては結構何でもかんでも読んじゃいましょうみたいな。
近接どんどん学習を進めていきましょうみたいなことを言ってまして、
これは結構数学書読み終わりDODみたいなところが、
結構崇拝された瞬間でしたね、割と。
DODの定義の変遷
だから当時の自分の中の認識としては、
きっちり全部読み上げることこそが完了の定義だったけど、
ちょっともしかしたら人によって定義が違うかもしれないけど、
少なくとも先生は少しでもまず触れるっていうところが、
もうそこに定義を置きたいな。
その数学書読み終わりDODっていうのが結構僕の中で変わったので、
割となんか気概なく映えるようになったというか。
うん、確かになんかハードルが下がった感じがいい意味で。
だからそういうDOD変わると行動も変わるからめちゃくちゃいいなって思いますね。
そのDODっていう視点で振り返ると。
確かに結果的に数学書一冊完全にしようとして途中で挫折するよりは、
興味のある範囲だけでも読んで、いろいろ何冊も読んだほうが、
長期的に見たらかなり定義を変えるだけでね。
そうだよね。
なんかそれを思うんですよね。
DODの定義と曖昧さ
DODって確かに細かく定義をしていくと、
お互いいいよねみたいなのは今までの話であったと思う。
そこがなくなるって言いつつも、ある程度信頼によって成り立っているところもあるのかなと思ってて。
それこそまた元に戻ってあれだけど、
夫婦間のやりとり。
毎日このゴミをこの袋に入れて何時何分にこの場所に、
とまでは多分言わないっていう、
いい感じのところっていうのは、
時間的なところが進んでいくと、
そのDODの定義は曖昧でもいいのかな。
結果的に曖昧になるのかなっていう。
例えばそれこそあれとってっていうのが、
熟年夫婦だと分かるみたいな。
それもちょっとあるのかなと思った。
時間の進みによってDODがある種抽象化されるという。
DODって言えば変わらないのか。
明確なDODによる誠実なコミュニケーション
そうだね。
DODがお互い通じ合ってるから、
お互いの中では明確になってるってことなんでしょうね。
あれとってで思い出したんだけど、
すげえ直さなきゃなって思ってる。
直してほしいというか、
実家が割と結構、お父さんが割と軽視感覚っぽい感じなんですよね。
これなんかあるあるかもしれないですけど、
お魚が出ましたと。
食卓に行って、醤油をつけて食べたいってなった時に、
父は醤油とってほしいって言わずに、
醤油がないなーって言うんですよね。
で、
醤油がないなーっていうことを聞いて、
すべてを察した母親が醤油を渡すんですよね。
だから、醤油がないなーっていうこのつぶやきは、
醤油を取って持ってくることってDODになってるんですよね。
なるほど。
そう。
で、それってなんかすごい良くない態度だなーと思っていて、
たまに俺も結構やっちゃうんですよね。
なんかその、なんだろうな。
なんか、
だからそのDODを明確にして伝えるっていうか、
割となんか結構誠実な態度だなって感じがしてて。
あー、相手に対して。
例えば、部屋入って暑い時に、
いやちょっと暑いなって言うんじゃなくて、
なんかちょっとなんか、
空気悪いしとか、
なんかちょっと換気扇とか、
クーラーつけてほしいかもしれんみたいな。
ってちゃんと言う。
それ、深いというか、
めっちゃプライベートでなんかあるよね。
仕事というよりはそれはプライベートであるかも。
今の暑いなーとか。
例えば、難しいな。
友達との会話だとネタで、
例えばなんか、
友達が食べてるものを、
一緒になんかご飯食べて、
違うメニューを頼んでたときで、
なんか、自分は魚やとして、
相手が肉やったら、
なんか魚もいいし、
まあでも肉の気分にもなってきたなとかね。
ちょっとネタでな、
いうときは。
それちょっとおいしそうな、
おいしそうなやつやね。
そうそうそうそう。
まあもはや、
え、何、いんの?みたいな、
まあもはや、
という、
ある種なDODがちょっとネタっぽく、
そんなん当時はね、
意識してなかったけど、
DODなんて。
確かに、
それを一口ちょうだいっていうのが、
やっぱり誠実というか、
あの、
まあ二人の信頼関係にもよるけど、
確かにその節はあるね。
日本特有のDODと文化
なんか似たようなとこで言うとさ、
京都人のDODとかめっちゃ面白いよね、
なんか。
あー。
はいはいはい。
いや、ピアノが大変うまいですね、
みたいな。
いつも、
いつもきれいな音聞かせてもらってますわ、
みたいな、
あるじゃないですか。
あ、まあちょっと遠回しな。
そうそうそう。
で、これDODとしては、
なんかもう、
お前マジでうるせえからやめろ、
みたいな。
まあ、
いい時計してますよね、
とかもね。
そう。
もういいお時間ですよね、
とかってよく言ったりするけど、
確かに、
本当にいい時計、
いい時計してますね、
いい時計してますねって、
似合ってないねって意味じゃないのか。
あ、
ど、
いや、
確か時間の方やった気が。
時間の方なのか。
もしくは二刀流か。
めっちゃ面白いね。
へー。
なるほどね。
まあ、
時計見させて、
みたいな。
だから、
ほしんの目的は、
そろそろ帰ったら、
みたいな。
なるほどね。
一番、
なんか、
文化になってんのかな、
もしかしたら、
そういう。
確かにね。
まあでも、
そういう文化だって言われたら、
ちょっと何とも言えないな。
不明確DODにする、
みたいな感じで。
何だその名前。
完全にそうでしょ。
不明確DOD&察する、
みたいな。
確かに。
日本、
日本なのかな、
なんか察して、
文化というか。
DODを、
なんか、
察させるというか、
面白いよね。
不明確DODにして、
察させるっていう、
あの一連の流れというか、
プロセスというか。
だから、
多分、
多分、
多分、
多分、
多分、
多分、
多分、
だから、
さっき、
ちゃんとDODを明確にして伝えるっていうのは、
不明確DODの良し悪し
ある種誠実って言ったけど、
遠回しに不明確DODをすることによって、
そろそろ帰ったなっていうのを、
あえて、
こっちはこっちで、
なんか、
ある種誠実なんかなと。
なんか、
DOD、
DOD、
定義するのも、
曖昧にするのも、
なんか、
どっちのパターンもあるなって、
今話してまじで思ったね。
まあ、
文化によるんでしょうね。
不明確DOD。
あ、
でも、
ちょっと、
あの、
実家の醤油がないなみたいなやつは、
なんか、
なくしたいなといったら思います。
それは、
うん。
直接言ったりはしないの?
お父さんに。
ちょっと言えんかったね。
なんか、
それもちょっと不明確DODだったかもしれん。
俺なりの。
なんかその、
まあ、
理想的には、
ちゃんとDODを明確にして、
いや、
欲しいときは、
欲しいって言いなよとか、
言わないといけないんですよね、
多分。
なんか、
そうね。
だけど、
俺何て言ったんだっけな。
なんかちゃんと、
何かは言ったんや、
その場で。
うん。
いや、
結局何も言えなかったかもしれないけど、
その、
なんか表情をムッとするっていう、
不明確DODをしてた俺。
いや、
もうそれ、
何やってるか、
つかまった。
表情をムッとするっていう内容を通じて、
その、
ちゃんと言えよっていうことを、
まあ、
表した。
態度で示す。
うん。
なんか、
態度で示すのもよくないよね、
なんか。
それも、
だから、
もしかしたら、
お父さんと同じことをしてることになってるよね。
そうそう。
旗から見ると、
第三者視点から見ると。
そうだよね。
なんか、
そういうの良くないよって、
DOD明確にして言えばいいのに、
こう、
曖昧にして、
こう、
態度をして、
そういうなんか良くない態度みたいなの取って、
なんでそういう経緯になってるのって、
なんか相手に問わせようとするみたいな。
うん。
まあ、
それも結構なんか不明確DODですね。
直接答えを言わずに、
うん。
ちょっとは自分で考えな、
みたいなのもまあそういう感じか。
うーん、
そうですね。
だから、
まあでも基本的にはやっぱり不明確DODはなんかやるべきではない気がしますね。
なんか、
あんまり生産性が良くない感じがする。
うん、
確かにもう京都のさっきの例もあるし、
今、
日本には皮肉、
なんか遠回しの文化、
なんか、
そういう文化として、
言葉遣いとして多分残ってるだけで、
そうすべきとしては別に残ってないもんね、
多分。
逆になんかあれ、
不明確DODの実例
なんなんすかね、
不明確DODを通じて得られるものも多分あると思うんですよね、
おそらく。
うーん、
まあ、
そうね、
今パッと一つ浮かんだらさっき自分で言ったけど、
ちょっといわゆる友達とのネタ、
あえて不明確DODとお互い分かった上で、
うんうん。
あえて言うっていうところの面白さはあるけど、
他、
もうちょっと、
なんやろな、
必要的というか、
何か明確に伝える目的でもあるかも。
うーん、
なんか、
1個思うのは、
あの、
なんだっけな、
えっと、
新卒1年目くらいの時に、
なんかそのファイルを提出するみたいなタスクが渡されて、
なんかExcelをいろいろいじって、
まあ、
提出しましたみたいな。
で、
えっと、
その時に、
えっと、
上司が何も言わずに、
いや、直してみたいな、
もう1回見直して、
直してみたいなって言ってきて、
具体的にどこが修正ポイントなのかっていうのは言わなかったんですよね。
で、
えっと、
どこが悪いのかが全くわからなくて、
何回もこれかな、
これかな、
これかな、
みたいな感じで、
修正してたんですよ。
あれで、
最後の最後に、
なんかその、
結構くだらないミスだったんですけど、
例えばなんか合計値がなんか違うとか、
なんかそういうような内容だったんですけど、
なんかその、
それを、
なんかその、
自分で直させ、
自分、
僕が気づくまでやり直させたんですよね。
うん。
これは、
なんかまあ、
時間効率とかで考えると、
普通に明確DODにして、
言えば、
すぐ終わったんですけど、
不明確DODのスタンスと効果
なんか上司がその時言ってたのは、
これはなんか自分で気づかないと意味がないみたいな、
ことを言ってて、
なんかそれな、
それとかですかね、
なんかスタンスとか、
それによって得られるものがあるみたいな、
なんか部活の指導とかでそういうの多分あったと思うんですけど、
なんかめっちゃ非効率なことをあえてさせるみたいな、
不明確なDOD、
不明確なDODを、
自分でなんか、
DODとは何か
自分なりにこうDODこれなんじゃないかって、
こうもがき中で、
なんか得られるもの、
まあ確かにあるなみたいなことは、
なんかちょっと思ったりする。
あー。
そのプロセスに意味がある。
そうそうそうそう。
なんか、
彼女がめっちゃ不機嫌で、
なんか、
いやなんで、
なんで、
なんかこう、
不機嫌なのかを、
わかるまでちょっと私何も言わないみたいな。
実は記念日だったみたいな。
で、なんかそれ以来、
記念日はもう絶対忘れないようになったみたいな。
あー。
まあ一回、
そうね、答えをパッて言われるよりは、
うん。
そうかね。
考えた、
考えること自体に意味がある。
まあ明確DODも不明確DODも、
それなりにお互い意味があるってことな気がする。
そういうような気がしないような。
まあ確かに、
冒頭で聞いたDODのイメージとちょっとまた話が変わってきたね。
その不明確でも、
場合によっては、
いい場合があるというか。
なんか、
意図的になんか、
DODを明確にしに行くのか、
不明確にしに行くのかっていうのは、
なんか意識的でやりたいなと思うけどね。
感情に流されるままやるというよりかは。
効率性と非効率性の関係
それこそさっき例に出たカップルが、
うん。
彼女さん側が意味深な意図を持って、
彼氏をこうね、
訴えあげるような、
持ってたらいいけど、
もうただただ感情的に話したくない、
みたいなだけだと、
もしかしたら失敗に終わるかもしれんもんね。
なんか彼氏がそのまま、
何が起こってるかわからない、
っていうのでちょっと関係が悪くなったりすることも、
起きるな、確かに。
起きるだろうし、
逆になんかその、
なんだろうね、
まああえて不明確にし続けて、
その俺の新卒1年目の時の調子みたいな感じで、
自分が気づくまでやり直させるみたいなことをして、
結果的になんか、
その後の記念日に対する、
こうDODが彼氏の中で完璧に備わるみたいな、
関係が長期的に見ると良くなるみたいなことも、
なんか確かにあるような気はする?
うん。
ですね。
一見だから非効率に思えるって、
まさに俺昨日か一昨日ぐらいにネットで見たんやけど、
最近はそのお寿司職人の、
なんかその養成学校みたいなのがあって、
もうなんかちょっと具体的な期間は忘れたけど、
まあ数週間なのか、
数日、数週間、数ヶ月でも、
なんか店頭に立てるレベルの、
お寿司職人を鍛えますみたいな、
セミナーというかスクールがある。
かたや、いわゆる日本の高級料理店とかだと、
見て学ぶっていう感じで、
握るまでに何年みたいな、
っていうのがあって、
これってなんでなんやろみたいな、
なんでその校舎のほう、
いわゆる伝統的なほうによくある、
すごい長い時間をかけての仕事があるかみたいなやつで、
見たツイッターの方向やったかな、
なんかではやっぱりその、
いきなりやっぱりそれこそ、
もう手取り足取り、
ある種お寿司の握り方という答えをパッと渡されるより、
見て学ぶことで、
なんか新しいカルチャーを生むみたいな、
っていう側面が、
まあこれはなんやろ、
ほんまにそうかは置いといて、
そういう意見もあって、
確かにこういきなり答え渡されたら、
不明確DODの価値
なんかそれ以上、
例えば数学とかで、
三平方の定理の、
これですっていう公式パッと渡されるのと、
証明から取り組んでみるのっていうのやと、
こうしたやと、
もしかしたら、
じゃあこの場合どうなんやろ、
みたいな感じで、
広がっていくっていうところ、
なんか側面もあるかなって思ったから、
お寿司職人とかのやつも、
もしかしたらそういう裏の意図というか、
があって、
一見確かに数年経たないと、
そもそも握れませんなんて、
非効率の、
個人的には極みかなと思うけど、
スクールがある一方ね、
けどそういうところはあるなと今、
なんかいろんなところにあるね、
そういう、
うーん、
数学でUDの価値はなんかやっぱり、
そのパスクを実行する側の、
学習するプロセスみたいなところとかに、
結構価値がある気がしますね、
うーん、
聞いてるとまさに大体、
もうてか全部そうだな、
今出た例は、
魚、
例えばその魚の買い方として、
なんかそのどれ、
どれを選べばいいとかは、
言われたらまあ確かにすぐわかるけど、
なんかいろんな魚を買っていく中で、
もしかしてこっちの方がおいしいんじゃないか、
とか、
あとはその、
まあ魚市、
魚市場的なところに、
こう毎日毎日顔を出していくことで、
なんかその、
お魚屋さんの人とすごい仲良くなったりするとか、
そういうなんかその、
学習するとか、
何かを長期間かけて手に入れるみたいな、
ところに、
なんかこう不明確DODの価値がある気がしますね、
まあ知ると。
確かに、
なんかいろんな、
確かにそうね、
自分で見る目も養えるし、
まあ今言ったけど、
人間関係ってのは確かにあるなと思った。
明確DODと不明確DOD
そっからまた新しい情報を聞けたりとか、
うんうんうん。
意外とね、
仕事の研修っていうところで、
学んだところにも関わらずというか、
かなりプライベートにあふれてるというか、
DODだらけと言っても過言ではないぐらいかな。
こんな感じがしますね。
まあなんか、
なんでまとめると、
まあ明確DODと不明確DODは、
まあ意図して使い分けたいねっていうと、
あとこのポッドキャストに関して言うと、
あえて不明確DODにするのがいいのかなと思いました。
なるほど。
どういう、
その心は?
なんかやってみないと分かんないみたいなのはやっぱりあるし、
やっていく中で得られるものもあったりするかなと思って、
一旦のゴールはちょっとなんか若干曖昧にして、
やっていく中でいろいろ考えて、
こういう風にしていきたいなみたいなことは、
思いたいなと、
考えたいなと思います。
そんな感じで、
ハマりすぎると。
そうですね。
そんな感じで今日のテーマは、
明確DODと不明確DODでした。
はい。
リスナーからの質問や感想について
Naming.fm、名前をつけるラジオでは、
皆さんの感想、質問、疑問のお便りも来募集しております。
概要欄のURLからフォームを入力してもらえると大変嬉しいです。
Twitterで感想をつぶやく場合は、
ハッシュタグ、ネーミングラジオ、
すべてカタカナで、
ねとみの間は伸ばし棒でお願いします。
感想をつぶやいてくれたら、
僕ら大変励みになりますので、
よろしくお願いします。
じゃあ、バイバイ。
バイバイ。