マーケティングよりも奇跡を信じよう、魔法を信じてみませんか?奇跡を信じてみませんか?運命って思わない?
まるで何か人をだまぐらかす時のセリフのように聞こえますが、結構真剣な内容です。
今回の内容は結構抽象度が高いんですけれども、言うだけでそうだねっていう感じだと思うので、そんなに長くしゃべらずシンプルにいきたいと思います。
真面目な内容です。お仕事に役立つ内容だと思います。では行きます。
マーケティングが効かなくなっているのは、マーケティングという言葉が現代において、今までのやり方だと全然何も成果を上げられないんじゃないかという感じがあります。
マーケティングよりも奇跡を信じようといった奇跡についてなんですけれども、マーケティングの意味はわかるじゃん。
いわゆるこういう人たちがいるよねっていうユーザー層、かっこいい昔の言葉で言うならペルソナですか?そういったものを作って、だからこういう人たちがこれくらいの数います、ここには。
なのでそういう人たちが刺さるようなメッセージや情報を、
ここにぶち込みましょう。そうすることによっていっぱい釣れます、みたいな。釣りですよ、釣り。こういう魚がいるからって仮定して、ここの滝壺にはこんだけいます。だからあいつらにはこういうミミズが来ます。
じゃあミミズをまずばらまいてから、針にぶっ刺したミミズを垂らしましょう。それで一本釣りじゃ、わはは。
これがマーケティングですね。
広告やPRというのはマーケティングの大きな中に内包されるという感じですね。
もちろん入れ子形式といいますか、どっちが鶏卵だったりもするので、そこの是非についてあだこだ言ってるっていうのは、もう本当平成の概念ですよね。
マーケティングの本とか、何でもいいですよ、勉強会とかなんですけど、マーケティングとはみたいな感じで、まずマーケティングの辞書のやつから入って、PRとマーケティングが大きく違うとか言ってみたりとか、PRが先にあって、マーケティング後とか、いろいろうだうだうだうだ言う人がいるんですけど、
あれは自分の話をとりあえず聞けっていうテクニックとしてやってるだけで、本とかもね、冒頭にそういうの書いてあるんですよ。
で、なんかアホな人ほど、なんかマクルーハンみたいなこと言ってみたりするわけですね。
アホの極みですけどね、あんなポエムおじさんをなんでそんな正しいものとして引用するのか全くわからない、勉強してないんだろうな、教養がないんだろうなって普通に思うんですけれども、それを置いといて。
そういう話はどうでもいいわけですよ。
もともとどうでもよかったんだけれども、そもそも今ってマーケティングそんなに効かないよねっていうのは、
まあこれは誰にも、
感覚的にわかると思うんですよ。
だってユーザー層の、なんていうか、性質が多様化しまくってるじゃないですか。
多様化してるし、仮想も見やすくなってるし、仮想っていうのは下の層と書きますね。
結構言葉が強いやつですけど、まあ経済的な考え方と言えますよ。
消費活動が少ない層ですね。
消費仮想です。
っていうのもたくさん見えるようになってきていると。
で、そんなにね、複雑ではないはずと思いきや、複雑じゃないんじゃなくて、わかんないだと思うんですよね。
どういうことかというと、例えば、30代40代だったら、車の男性だったら車欲しくなるみたいな。
今そんなことないじゃん。そんなわけないじゃん。
じゃあ独身男性だったら全員パソコンが好きなのか、ちょっとそうでもないじゃん。
独身男性だったらみんな、なんかキャンプにハマる。
コーヒーにハマる。
なんだ?
レコードが好き。
そんなわけないじゃん。
全然バラバラですよね。
まあスマホ全員持ってるんじゃないの?みたいな。
でもスマホの中で見るものもみんなバラバラなわけじゃん。
バラバラだし、そのバラバラな方向性も実はYouTubeのおすすめのアルゴリズムに支配されたりするわけですよ。
マーケティングも草もないわけですよね。
もうそもそも難しいんですよ。
これはまた本質的にわかると思います。
まずこれが一つですね。
なのでこの話はもうしません。
あまりにもわかりやすいから。
奇跡の話がしたくて。
で、アルゴリズムの話をしましたけれども、あれって勝手に与えられるものなんですよ。
で、なんかたまたまプログラムと自分の選択の結果として一つのコンテンツが目の前に来たりするわけじゃないですか。
で、そういうのをどんどんどんどん摂取していって、で、なんとなく自分の趣味みたいなもの。
まあ考え方によってはそういうアルゴリズムに微妙な傾き、重みをつける。
重みをつけることによって人間の趣味みたいなものを長い時間をかけて操作、支配するっていうことは十分に可能だと思います。
陰謀論の話ではなくて、ていうかまあ普通に再生回数が多い方をタップするように我々は教育されているというのは、
まあアーキテクチャーの議論が盛んにされていた0年代、10年代初期にも散々パラ言われていて、
まあ実際我々は布団の中で寒い寒いって言いながら、
ショーツをよだれ垂れしながら見るだけっていう、なんかゾンビみたいな生き物になっていますからね。
インプゾンビ以下の存在ですからね、我々はね。
それはある意味では事実だと思うんですけれども、
なんとなく、それはそうとして、
君と出会えたことのこの奇跡という、まるで昔のJポップみたいなことを言うんですけれども、
でもそれって本当だと思うんだよ。
あの、なんて言えばいいかな。
別にスピってるわけではないんだけれども、
めちゃくちゃ選択肢があるし、
なんだら選ぶっていうことすら我々はサボってしなくなるような、
そういった生活環境にいるわけですよ。
自分でこれが好きだからこれを選ぶっていうことを、
もうだんだんしにくくなってる。
よほどの好きとかよほどの気持ちがない限りとか、
よほど誰かに背中を押されたりしない、
これが好きって自分で選ぶ。
自分の気持ちで選ぶっていうのって結構難しいことだと思うんですね。
それプラス、例えばそんな環境下で出会ってちょっと好きになって、
なんか2個目3個目見てみようかなみたいな気持ちになるような、
そういう出会いって、
もうなんか奇跡としか言いようがないんじゃないかなと。
で、マーケティングの話は先に言ったのは、
ここで聞いてくるんだけど、
結局マーケティングで狙われて、
いわゆるマーケティングというのはある種介護に近いんですよね。
君はきっとこういうものが好きだから、
君が感動するようなものを君の場所に置いておくねっていうのを、
すごく手間暇とクリエイティブと、
表現とお金等をかけてやってもらったわけですよ。
それぐらい我々というのは情報にアクセスすることができなかったから、
介護してもらってやってたんですね。
ただ介護もしやすかったと思うんですよ、
駿河からしても。
だってね、
何も考えてないし、
ピーチクパーチクだからあんまり動けないし、
移動できないからね、昔の時代は。
情報にアクセスするという行為、
情報を試すがするっていうのを移動っていうふうに今例えました。
今移動はめちゃくちゃできる時代なので、
介護はもうやってらんないんだよね。
落ち着きがないわけですよ。
座ってらんない子たちって感じなので、
もうそんな子たちに、
すごい時間と金をかけた映画みたいなものを椅子に座らせて見れるわけないじゃないですか。
だから、5歳とか4歳とかのちびっ子たち、
ケッツですよ、ケッツ。
めっちゃ元気なケッツたちに、
なんか、なんだろう、テネットとか見せます?
見せないでしょ。
もう意味わかんないよね。
もうブチ切り始めるよ、たぶんね。
むずむず、むずむずむずむず、
ってマジ、ほんと泣き出しますよ。
それ、手足縛って見せます?
まあ確かに手足縛って見せるっていうのはいいアイデアだよね。
それは、ゲトーくん、それはありだ。
うん。
手足縛って見せるっていうのは、
うん、ゲトーくんありだね。
今ちょっと、あれ?って思った。
今ちょっと自分で喋ってて、
あれ?ゲトーくん、それありな気がしてきたみたいな。
あ、人間の手足を縛れば、
奇跡を人工的に生むことは可能なのでは?
ああ、
イトポリューちゃんひらめいちゃったね。
まずいね。
ひらめいちゃった。
しかも、イトポリューちゃんが、
一番好きそうな手段だね。
ものすごく好きそう。
ものすごく好きそうだし、
バレないようにそういった環境を作って、
それを再現するみたいなことを、
そういう、
そういう魔術はイトポリューちゃんの大の得意だよね。
もうなんかできるなっていう確信だけがある。
でも多分やっちゃダメだな。
やらないようにしよう。
絶対にできるけど。
はい。
できない理由がないなっていうところまで来てるけど、
やめとこう。
話を戻します。
ゲト君、君はもう一回ゼンラでシャワーを浴びてきてください。
寒いから温まってきてください。
ゲト君バイバイ。
出会えた奇跡というのを、
尊いと思ってもいいんじゃないかっていうのを思うんですよね。