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2023-02-02 14:46

言語行動目標があれば行動中心アプローチなのか

『みんなの日本語』の各課にある言語行動目標は特定の言語形式を使わないと達成されたと判断されないものなので、行動中心アプローチとはまったく違うと言おうことをお話しました。


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ハートマークありがとうございます。今日の本題で、今日お話ししたいのは、言語行動目標があれば行動中心アプローチなのかということなんですね。
これを話そうと思ったのは、これツイッターの外の話なんですけど、みんなの日本語でも各課に、それぞれのレッスンに言語行動目標っていうのが書いてあって、
書いてありますよね、教科書にね。教科書というか手引きの方にね。それを評価に入れれば行動中心アプローチになるっていうね。
そういうふうに思っている方の意見を見たことがあるんですね。というか、つい最近、昨日です。見たんです。
ちょっとすいません、あんまりその具体的な場所は言いませんけどね。
じゃあちょっとね、みなさんに聞いてみたいんですが、これ手引きが手に入るかどうかで、ちょっとあれが違ったりするので、言語行動目標っていうのを見たことがあるか。
みんなの日本語の言語行動目標を見たことがあるかを聞いてみたいと思います。見たことがある人はじゃあハートマーク。
見たことがない人は涙のマークでリアクションいただけますかね。
そもそも見たこともないという人も実は結構いるんじゃないかと思うんですけど。
涙のマークの方もいらっしゃいますし、ハートのマークの方もいらっしゃいますね。
この言語行動目標っていうのはそれぞれの科にですね、
科によって違うんですけど、1つから3つぐらいの言語行動目標があるんですよね。
ちょっと実際にそれをご紹介してみたいと思います。
例えば26科っていうのは、相手の説明を求めたり、自分の状況や理由を説明できるという風になっています。
2つのうち1つね。
もう1つが、丁寧な依頼ができる、助言、指示を求められるという風になっていますね。
これだけだったらね、特に行動中心アプローチとしてはちょっと足りないですけど、一般的なね。
だけど一応行動とは言えますよね。
例えばね、どうしてこれが行動中心アプローチとしては足りないかというと、
普通はですね、行動中心アプローチのキャンドゥーですよね。
それは4つの要素があるんですよね。
1つは条件というもので、例えば前もって準備すればとかね、
あるいはどんな条件でもみたいな、上の方に行ったらそういうのでもいいと思います。
それから話題とか場面というのがありますね。
公的な場でとか、公的な場という風に決まっていたら、やっぱりデスマス対とかね、そういうのは必要ですよね。
それから3つ目の要素というのは対象というものです。
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対象というのは実際に話す内容とかそういうものですよね。
4番目が行動というもので、それが理解できるとか説明できるとか、そういうところですね。
この4つの要素が普通はその行動中心アプローチのキャンドゥーの作り方としてはあるので、
こういう要素としてはかなり足りないですけど、
でも一応行動っぽくはなってはいます。
でもね、27日ですよ。
ちなみに今、みんなの日本語の2の方ですね、手元にあって見ているんですけど、
もう27日に入るとこの言語行動目標がこんな風になっています。
できること、できないことを可能動詞を使って表現できるという風に書いてあるんですね。
つまり可能動詞なので、行くことができるじゃなくて、行けるという風にしないといけないというわけですね。
こういう風に表現の形式を指定してしまっているところが、これはもう行動中心アプローチではないんですね。
することができるという風に、それで言い換えてもいいというのが行動中心アプローチなんですよ。
なので、こういう言語形式を指定して、それで言語行動目標をしているという意味で、
これは行動中心アプローチという風に言うことができないと思います。
これをずっと見ていると、これはみんなの日本語の下巻の方ですね、26日以降の方を今見ているんですけど、
例えば28日では、ながらというのを使わなければいけないし、なんとかし、なんとかしも使わなければいけない。
29日では、なんとかています、なんとかてしまいますを使わなければいけない。
30日では、てありますを使わなければいけない。
31日では、つもりですを使わなければいけない。
32日では、ほうですを使わなければいけない。
でしょうとかかもしれませんを使って推量の表現ができると書いてある。
つまり、でしょうとかかもしれないを使わなければいけないわけなんですね。
あと、なんとかの通りにとか、なんとかの後でとか、なんとかてなんとかしないでとか、
こういうふうに言語行動目標にそのかで勉強しなければいけない文型が入っちゃってるんですよね。
これを使ってこの行動をすることが言語行動目標として書かれているわけです。
でね、今ちょっとだいたい数えてみると、
このみんなの日本語の月間の方ですよね、2の方の、つまり26日から50日の方のですね、
だいたい7割ですね、言語行動目標の7割がこういう特定の形式、表現形式、特定の言語形式を指定した上で言語行動目標を作っています。
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例えば可能動詞を使ってこれができるとかね、
そういう感じでその特定の言い方、特定の文型ですよね、文型って言った方がわかりやすいかな、
特定の文型を使って行動する、それが言語行動目標になっているんですね。
この言語行動目標というのはこれを見ればわかると思いますけど、
文型シラバスの中でその他でターゲットになっている、そのレッスンでターゲットになっている文型を使ってできる行動の一つを示しているものなんですよね。
これは良いか悪いかは別にして、それが文型シラバスの考え方なんです。
なのでこの教科書は文型シラバスの教科書なんだからそれで当然なんですよね。
一方で行動中心アプローチというのはまず行動を考えるわけですよね。
どういう行動をするのか、それを達成するために教える、文法とか表現を教える、それがその行動中心アプローチなわけで、
その行動中心アプローチで出てくるcan doというものと、この文型シラバスで書いてある言語行動目標というのは根本的に全く違うものというふうに理解した方がいいと思います。
特にここからは僕の個人的な意見というふうに考えてもらっていいと思うんですけど、これはみんなの日本語の作者に対する批判では全くないです。
これのベースができたのはオーディオリンガルの時代のわけですから、その時代的な制約ですよね。
その中でこれだけ精密な構築物を作ったのはものすごい努力と能力が必要だったと思います。
だからこそ、僕も自分の教科書を出版したりしたことがありますからわかるんですけど、これだけの教科書を作れる人というのは間違いなくこの教科書について深く理解しています。
何を理解しているかというと、この教科書は当たり前ですけど、行動中心アプローチの教科書ではないということ、
それからこの教科書を行動中心アプローチのコースで使うのは間違っているということです。
それは本当にこの教科書の著者の方、あるいは編集者の方も含めて、編集者にはいろんな人がいるのでちょっとわからないですけど、
少なくともこの教科書の著者の皆さんは、これが行動中心アプローチのコースで、この言語、行動目標をキャンドゥーとして使うというのは間違っているということは本当にこの著者の皆さんはよくご存知だと思います。
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多分ですね、僕の想像ですけど、そういうふうに使ってもらうというのは本望ではないんじゃないかなというふうに僕は思っていますね。
やっぱりその教科書のことを一番よく知っているのはその教科書の著者なんですよ。
僕も例えばITエンジニアのための日本語の教科書とか出版していますけど、それを例えばJLPTの受験用に切り刻んで使うというのだったらそれは明らかに間違っているし、そんな使い方はしてほしくないです、正直な話ね。
なので繰り返して言いますけど、間違っているのは教科書ではなくてその使い方ですね。
行動中心アプローチのコースでこの教科書を使おうというのは本当に間違った使い方だと思います。
この文系シラバス、みんなの日本語を使うということはシラバスとして、行動シラバスとかつまりキャンドルシラバスとかタスクシラバスではなくて文系シラバスをシラバスとして採用するという意味です。
そういう文系シラバスの教科書の授業の評価に言語行動目標を入れてもそれは行動中心アプローチにはならないんですよね。
つまり文系シラバスの教科書を使っているということはそのコースのシラバスが文系シラバスなんですから、それはキャンドルシラバスではないんです。
文系シラバスの教科書の授業の評価で言語行動目標というのを入れてもそれはシラバス自体が文系シラバスなんですから評価にそれを入れてもキャンドルシラバスとかタスクシラバスにはなりません。
ここでみんなの日本語を行動中心アプローチとして使いたい人に聞いてみたいんですけど、
例えば27課で可能動詞というのが言語行動目標に出てますよね。
それがこの27課で可能動詞を使わなくても、
もう一回27課を読みますけど、
27課はできることをできないことを可能動詞を使って表現できると書いてありますよね。
これができることをできないことを可能動詞を使ってという制限をなくしてできることをできないことを表現できる。
こういう風になっていたら、それでもOKとできますかということなんですよ。
私は食べられますじゃなくて食べることができますという風に言う。
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それだけでできること、できないことを表現できることに、
それで27課の試験に合格したという風に言えるのかどうかということです。
もしそれでもいいんですよと言うんだったら、それはもしかしたら行動中心アプローチと言えるかもしれませんけど、
でもね、27課で可能動詞を使わなくてもいいんだったら、
そういう目標にするんだったら、もうこの教科書を使う意味がないですよね。
この教科書のいいところというのは、そういう文型を本当に精密に構築しているということですよ。
本当に巨大な建築物を構築しているみたいに、
こういう文献を少しずつ簡単なところから徐々に難しい複雑なところに構築している、
精密に構成しているという、それがその教科書のいいところなわけですから、
そんな可能動詞を使わなくてもいいですなんていう、
そういう評価をするんだったら本当にこの教科書を使う意味はないし、
みんなの日本語という教科書に対するリスペクトが全然ないですよ。
正直な話、そんな切り刻んで使うんだったら、
もう本当にその教科書の作者というのは悲しいんじゃないかなというふうに僕は思います。
それでは本日の僕が言いたいのはここまでになりますので、
リスナーの皆さんも今日僕の話を聞いて、
この文型シラバスとキャンドゥシラバスの違いですよね。
その違いが少しはクリアになったかと思うといいんですけどね。
じゃあちょっと聞いてみましょうか。
少しみんなの日本語とかの文型シラバスと行動中心アプローチのキャンドゥシラバスの違いが、
ちょっとでもいいのでクリアになったという方がいらっしゃいましたら、
ハートマークでリアクションいただければと思います。
なんかよくわからない、今日の話よくわからなかったという人がいたら、
涙のマークでリアクションいただければと思いますがいかがでしょうか。
ハートマークいただいております。ありがとうございます。
それでは本日もムラスペにご参加くださいまして、ありがとうございました。
今日の言語行動目標があれば行動中心アプローチなのか、
この音声配信につきましてご感想とかコメントとかあるいは質問がありましたら、
ぜひこのムラスペのハッシュタグ付きでご共有いただければと思います。
それでは本日も良い一日をお過ごしください。そして冒険は続きます。
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