00:10
シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は文字通り、シュウとショウの日が向いた時に
適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことわり
つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、下手をしたら、二人の文字通りを探すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
ということで、いつものように始めていきますけども
今日が、たぶん第6回か7回くらいになるというところで
この前の収録から、シュウさんが編集してくださっているんですけど
話したい思いの方が先走ってしまって、そこが何回になるかわからないという状況なので
こんな感じになっています。
今回は僕の方から、もともとシュウさんが話すラジオの方で話されていた
トピックに、僕が思ったことがあって、以前父の戯言の方でも
ちょっと話したことがあった内容なんですが、ご記憶ないですか?
今、「え、そうだっけ?」と思いながら聞いてたんですけど
実はそうで、そのテーマというのが美味しいについて
かなりざっくりしてますけども
ちょっと待ってね
いいですね
息子が後ろに来てまして
ちょっと待ってくださいね
お母さんに持って行ってもらおう
バイクに乗って行って
ごめんなさい
かわいいですね
ありがとうございます
なんでなんで
なんでなんで
03:00
みっちゃん
こーちゃんか
こーちゃん
こっちにいます
これこれ
ちょっと待ってね
ちょっと待っててください
しゅーさん
しゅーでーす
バイバイ
バイバイ
ごめんなさい
いえいえ
えっと、ごめんなさい
いえいえ、とんでもないです
一応カットする想定ではいますけど
面白そうな部分、使えそうだったら使うかもしれない
そこはお任せします
切り張りは自由なんで、そんなに全然本当に
来た時は来たなりで流れで
ありがとうございます
話をしきり直すとですね
美味しいについてっていうことをお話しされてて
ちょっとそれが気になったので
今日美味しいというテーマで話させていただけたらなと思っております
で、ちょうどどういう文脈からそれが出たかっていうと
ちょうどこの
ちょっと待ってください
大丈夫です大丈夫です
ちょっと待ってください、本当に失礼します
はい、再開しました
美味しいっていうテーマでやりたいんですが
もともとしゅうの話すラジオの方で
しゅうさんが美味しいに関してちょっと触れられてた回がありまして
それがこの道のりでも話題になった擬態の話ですね
擬態の話しましたよね、第一回の時に確か
ちょっと触れてますね、この道のりでも
ちょっと触れてますよね
しゅうまさんがゲストで来られた時ほどちゃんとは触れてはいないですけど
擬態の話を深掘りしたのはしゅうまさんがゲストに来てくださった2回目の時ですね
その擬態の話がそもそも人間というか周りにバレないように擬態してるから生き残ったんじゃなくて
06:05
生き残った、たまたま生き残った奴らがそういう擬態に見えるような状態になったんだという話が根本だったと思うんですけど
それに大枠で言うと似たようなことじゃないかということで
美味しいものが体に良いんだというのもそうじゃなくて
体に良いものを食べて生き残ってきた長く生きてきてる人間がたまたま美味しいと感じる
みたいなニュアンスで話されてたんですよね
なるほどっていう風に思いつつもすぐすぐピンと理解というか来なくて
なんでやろうなそれがなんでやろうなという風にちょっと考えてた時に
ちょっと少し違う風な考え方もできるのかなっていう風に僕の中で思ったというところが発端でした
そういう意味から言った時に何から話せばいいのかな
まず美味しいっていうのはどういうことかというところからかなと思うんですけど
まず一つに思ったのが味覚じゃないんですよね美味しいっていうのは
なるほど
味覚のような感じのニュアンスで話されてたかなっていう風に当時は感じて
味覚ではないかなと美味しいっていうのが
ちょうど擬態になぞらえられてたので体の形質に現れるんじゃなくて
体の形質に現れるっていうところと対比してみた時に
その美味しい話で言ったら体にいいものが美味しいっていう味を感じるようにできてるみたいな
ニュアンスにちょっと聞こえたのでそこら辺で多分ピンと来なかったんですけど
具体的に味覚は甘み苦み酸味渋み旨味の多分この5つだと思うんですよ
そうなんですね
要素としてはですね
しょっぱいみたいなのも入れましたっけ今
酸味ですねあと酸味で6つかな
甘み苦み酸味渋み旨味あれ?
09:03
なかなかしてるな
なかなかしてる
甘み酸味
なんか塩味か塩味ですかね
塩味
これはちょっと正しいかわかんないんですけど
味覚の要素としてはそういった5、6個かなというところがあって
なんでそう思ったかというとそもそも美味しいっていうのがすごく複雑な概念かなと思ってですね
味が美しいとも書くじゃないですか
ですね
例えばコーヒーとかっていうのは美味しいと感じるんですけど
あれは苦いわけで
あとはその珍味とかなんかよくわかんないけども
そういう珍味とかも美味しいっていう風に感じたり
そういうこともあるから人間に備わっている感じ方
感じ取り方っていう意味合いからすると
その美味しさっていうのはまず味覚ではないよなという風にちょっと感じたり
味覚から来てその味覚のバランスによって生まれるどっちかというと感情だと思ったんですよね
感情あるいはその情動というか
そういう風に思ったんで
その擬態の方とのこの例えのところですぐすぐピンと来なかったのがあったのかなという風にちょっと自分で思って
だからそういうところの意味合いからすると
例えばできる限り生存できるように人間が作られているとそういう風になったとするならば
これは逆ですよ
しゅうさんが考えられているのと逆ですけど
長く生きるようにそもそも美味しく感じる
美味しく感じるものが体に良いっていうのは
長く生きられるように人間がそういう風になっているっていうスタンスじゃないですか
だから長く生きれるように美味しく感じるじゃなくて
長く生きられるように甘く感じるとか
甘みっていうのはそういう風に
それを食べることを促進するような魔力があると思うんですよ
だからそれ自身はなんでそういったところのニュアンスの方が擬態の話としては合うのかなと若干思ったんですね
12:06
違うな
結局擬態の話になると逆なので
擬態の話に言い直すと
人間が長く生きれるようにそれが甘く感じるようになっているのではなくて
人間が長い年月代々と生き残ってきた中で長く生き延びてきた
その中でより多く摂取してきたもの
それが一応フィードバックされて体の中がそういう風に甘く感じるように調整されていったと
調整されていった
違うな
なんか違うな
なんか違いますね
どっちが正しいかは元々わからないんですけど
ちょっとしゃべっておければ
そもそも擬態の話に
擬態の話もう一回若干整理しつつ話しておくと
僕は本来擬態みたいなものがダーウィン進化論みたいなもので本当にあり得るみたいな感覚の持ち主だったんですけど
改めてそうだという風に思ってみたときに
長い年月かけて偶然その個体が生き残っているだけっていう見方もできるんじゃないかなっていう風に
今試しに思ってみてるみたいな感じで
それもその流れでいくと美味しさみたいなものも
美味しいものを食べていたらそれが体にいいはずだっていう考えを元々は僕は持っていたんですけど
実はそれもただの偶然美味しいと思うものを食べた人間とか生物が生き残っているだけかもしれないっていうのがそもそもあった話だったわけですよね
そこに対して本当にそうかなっていうのが今回のしょうもさんが感じられていることなわけですよね
僕はあの時はそんな甘みとか塩味とかそういう風に分けてなくて
ふわーっとした感覚で喋ってたんで
そういう味覚ではなくて感情なんじゃないかっていうところが今回のちょっと一つポイント
一つのポイントとしてはそういうところで
しゅうさんが今説明してくださったように
そこの文脈でしゅうさんが言いたかったところとしては
味覚に関連するところかなってちょっと思ったんですけど
15:05
今よくよく考えると味覚自身も
甘いっていうのはそれをより食べたいっていう情動を引き起こすとは思うんですが
それも人によるなと思ってですね話してると
そうですね
広く一般的には甘みっていうのが多分魔力があるけども
そうではないじゃないですか
全てが全て
だからちょっとさっきパニックっちゃったんですけど話してて
なるほど
今ちょっと整理すると結局
もともと大元にあるのが人間が長く生きてきた過程で
たまたま甘く感じるものをより摂取してたとかっていう
よりも長く人間が生きてきた過程で
それ自身がこの生態活動を維持するのに効率的だったから
そういうふうに身体自身がフィードバックをして
その行動を誘発するように味覚として心地よく感じるような味覚に感じるように調整をしていた
のかなというところがそもそもあるんですね考え方として
なるほど
ですけど今の話からするとみんながみんなそう思うわけじゃないし
でそう考えた時にそう考えた時にというか別の視点から考えたら
それこそ同じものばっかりいっぱい食べてたら飽きちゃって
それこそ納豆めっちゃ小さい頃大好きだったけど
食べ過ぎてて大人になってもう嫌いになりましたとか
っていうのも聞くし
そういう意味では色々その自分が何を食べるかっていうのはやっぱり
美味しいと感じるかっていうところに左右はされると思うんですよね
ただそれは代わり得ると代わり得るものだと
そういう意味でちょっと擬態とはちょっと違うのかなと
大枠に似たような話だとは思うんですけど
なんかその美味しさっていうのは色々人間が生きてる一生の中で
変わり得るなっていう風な感覚もあって
それこそ子供たちほど甘いのに取り憑かれるじゃないですか
ですよね
18:00
そんなイメージがあって
甘いの苦手とかっていうのが子供たちの範疇ではあんまり聞いたことはなくて
やっぱり大人になってからとかある程度年月経ってからって感じだから
やっぱりそこに甘いのが食べたい食べたいみたいな
基本的な甘いものを食べるように助長するような感じ方をするのは
やっぱり体的にそういうものがあるとすると
やっぱり甘いものって糖質とかだからエネルギーに変えやすいじゃないですか
だから子供の頃とかっていうのは本当に
今生まれてきたばっかりでエネルギーもいっぱい使うし
すぐにでもエネルギーを使う効率が高いものっていうのをどんどん摂取した方が
多分最初の生命が始まった初期段階で有利だという風なのが
長い年月かけて人間が遺伝子的にフィードバックして
組み込まれてきたんじゃないかなと甘みに関しては
ちょっとそんな風に思ったんですよね
なるほど
擬態の話の時にも可能性としてっていう形で
松本さんがおっしゃってくださった
資格から入ってきた情報が外敵の外敵から見た時に
どうもその外敵に対しての外敵が追い払ってくれてるぞみたいなのを
本当に人間みたいに考えているかどうかは別として情報として入ってきて
それがフィードバックとしてあった可能性っていうのをおっしゃられていたので
やっぱりフィードバックっていう可能性の話なのかなと思って
おっしゃるように僕はちょっとそういう風な捉え方で
だからしゅうさんが捉えられている擬態の話とはちょっとずれちゃったんだと思うんですけど
いやいやもちろんどっちが正しいとかじゃないと思うんで
そうですねそれは僕もそう思うんですけど
僕としてはそんな感じがあって何かしら情報がフィードバックされる
自然と生命活動している中で情報が自然とフィードバックされて
体に変化があったり体の感じ方に変化があったりとかっていうのは
まああり得るのかなというところですね
なんかちょっと最近読んだ本の中ではそれこそこう
やっぱ人間も分子原子でできているじゃないですか原子とか分子で
それっていうのは量子論とかなのかな
で言ったらできている原子が例えば壁を貫通する確率とかがあったりしますよね
21:03
あったりしますよねって言いながら話してますけど
ごめんなさいあまり詳しくないもんで
いやその例えば原子自分人間の多分僕の体を構成している原子が
何かしらそこにある壁も原子とかでできているじゃないですか細かいところで見たら
それは言ってしまえばもうその世界では細かいわけですよねもうすごく
だからその一粒が壁をすり抜けて奥に行く可能性としては確率的にはあるわけですよ
その原子一粒が
原子一粒が抜けていくっていうのはあり得るみたいな話を聞いたことがあるんですけど
ただそれが集積して手になっててこの手を構成している原子が全部壁を貫通するなんていう確率は相当低い
からそれは実際物理的に抜けれないよねっていうのはあるけども
そういう意味からしたら壁を投下する人間みたいな超能力みたいな話もありますけど
それはそういう可能性が限りなく高くなるような特殊な状態にあるみたいな考え方だったり
そういうふうなちょっとかなり予談になりましたけど
そういうところから言うとそういう本当に細かいような原子とか分子とかそういうレベルでは
多分離脱してたり入ってきたりしてて環境周りと何かしらじゅうじゅうをしてて
ある種の芋虫は周りの分子を取り込んでいる体にみたいな話があって
そういうのからもだから分子を取り込むっていうのは周りの環境の情報を取り込むっていうことじゃないですか
だからそういうこととかも含めやっぱり周りにその状態その環境にいるだけで
情報を取り込むっていうことはやっぱりありえそうだなっていう話が最近読んだ本で思ったなってところで
ちょっと変な予談になっちゃいましたけど
いや全然全然
そういうふうにフィードバックをするような働きっていうのが味覚にもあるかなと
それが甘味っていうところに関して言うと
子供の頃に甘味が優先的に取ろうとするような感情を
だから多分その感情っていうのはおいしいだと思うんですけどその時に
その感情がおいしいっていうふうになるのは人間の一つの長年の歴史の賜物のメカニズムなのかなっていうふうには
思うかなーっていうところで
ところですね
僕もこの間ちょうどあの喋り場で
24:03
僕が入った時には入れ替わりでいなくなってたんですけど前寮さんがいらっしゃったみたいで
で今何の話してたんですかっていうふうに僕が聞いたら
まあ前寮さんが直前までいらっしゃって
もう今抜けちゃったんだけれども蚊のプーンっていう音
わかります?蚊が飛んでくる時のプーンっていう音って不快感があるじゃないですか
うわーっていう
それを感じるっていうのは
ずっと昔に蚊によっていろいろ病原菌というか運ばれてきて
それによって死んだ人がたくさんいたので
その死んだことによって遺伝子にそれが不快に感じるように組み込まれたっていうような話をしていたっていうのを聞いたんですよ
でちょっとまたぎきだから今の表現どうなんだかわかってないんですけど
でその話聞いて僕がその諸に擬態の話と反逆
どっちかというとその松本さんのおっしゃるフィードバックの話になるわけじゃないですか
だからまあ本当のことはわからないにしろやっぱりそう考える方が自然な部分も残るのかなっていう
感じは受けてますね
それがあるとしたら
それ
しゅうさんのそのダーウィンの進化論的な感じでいくと
その場合はどう言えるんですかね
そこがなかなか言いづらいっていうか
まあまあ全部無理やりそういう風に感じるのはただの偶然であって
そのことによって
ただの偶然に全部集結するんですね
そうですよねそういう風に発想してみようかなっていうのを今そのスタンスにあえて立っていたんですけど
やっぱりどっちが自然かなって考えると
そういうフィードバックが何かしらあるって考えた方が自然な感じは今してきているところでもありますよね
そのフィードバックの話からすると
感情?
ちょっと承認欲求とかそういう話にもちょっと拡張しそうなんですけど
いいですね
まずその蚊の話で言うと
そのおいしいの話にちょっと絡めて話そうですね
蚊が病原菌を放して
病原菌を持っててそれで死ぬ人がいっぱいいたっていう事実を人間が経験したことで
それで不快に思うようになったっていうのを思うんですよ
27:04
それは人間がフィードバックできるっていうのが
身体的に何かしらちゃんと評価できて
例えばエネルギー効率が実際良かったみたいな
例えばさっきの甘みの話だと甘いものを食べて
短期的にエネルギーの変換効率がどうも良さそうだぞっていうのが
体内のシステム的に効率が良いっていう判断が物理的にできて
だからこれはもっと取り込んだ方がいいみたいな形で感覚器官をいじっていくというような風にも考えられるかなと思う一方で
味の話から言うと
例えばこれすごい健康に良いみたいな知識が前提にあると
それって多分美味しく感じたりとかすると思うんですよ
まずそういう経験知識とかっていうのもあるし
だからそういう人間の知覚がベースで
美味しさっていう感じ方に影響を与えるっていうのも十分あるなと思って
そういう意味では蚊も蚊のせいでいろいろ死んでしまって危険だっていう風に思って
その恐怖があってそういう風に知覚するから
そういう風なのはできるだけ避けようっていう風に
脳がフィードバックして感じ方としてそのインプットになるような可能度を不快にさせるみたいな
なんかちょっとそういう風に捉えたりもできるのかなと思ったりが今ちょっとふと思ったんですね
一方で蚊の音っていうのは大人になったら聞こえなくなるらしいじゃないですか
そうなんですか?
モスキート音って知ってます?
いや、さっきも一瞬チラッとおっしゃったけど
次回へ続く