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2025-02-26 11:31

#27 みんなが迷いなく捨てるモノ、それはニセモノ

近い人には誤魔化しは効かないね♪

サマリー

このエピソードでは、子どもからの手紙の扱い方や本物の言葉の重要性について話されています。特に、完璧さや外見にとらわれず、本当の気持ちを表現することの大切さが強調されています。

子どもからの手紙
はい、皆様おはようございます。このラジオでは、片付けコンサルタントのまっちゃんが、自分の日常を好きになるための片付け、シンプルライフ、日々の学びについて、ほぼ毎朝10分お話をしていきます。
掃除や片付け、朝活のお泊り、ぜひ聞いてみてください。
今、寒いので生姜油、生姜茶を飲んでたんですけど、やっぱり生姜って温まりますよね。私、めちゃくちゃ好きなんですよ、生姜。
寒い時は、何でもかんでも、うどんでも味噌汁でも、生姜をシャシャシャシャって入れるんですけど、生姜が好きすぎて、前世生姜だったかな、みたいな。
それぐらいね、生姜とニンニクだけはね、こだわってチューブじゃないものを買ってます。
別に全然他のものこだわってないのに、生姜とニンニクだけはいつも本物が冷蔵庫に入ってます。
生姜とニンニクはやっぱチューブめっちゃ楽ですけど、チューブと本物の差がとてもあるので、生姜とニンニクは常にストックしております。
生語話から始まりましたけど、今日はですね、言葉の話をしようと思うんですけどね。
お手紙関係の片付けのレッスンをしてた時に、一人だけじゃなくて何人かの方がそうだったから、やっぱ本当にそうなんだって思うことがあって、
子ども、お子さんがいらっしゃる方なんですけど、子どもから手紙をね、親っていただくと思うんですけど、
私も子どもの時、親に手紙書いてた記憶がないんですが、多分保育園とか幼稚園とか小学校低学年の時に、
母の人か父の人かに手紙を書くタイミングが何度かあるらしいんですね。
そういった子どもから受け取ったお手紙とか文章が書いてある作品とかね、親御さんで取ってる方、たくさんいらっしゃると思うんですよ。
そういったものも一緒に片付けの時に向き合って、大切に取っておくか、さよならをするかを決める場面があるんですけど、
その時にですね、すごい文章ばーって書いてあるのに潔く捨てていくお手紙が決まってあってですね、
それが私にはわからないんだけど、母親から親から見たら、これは子どもが自分の気持ち、自分の言葉で書いた言葉じゃない手紙。
例えば先生が言ってるのか見本があるのかわからないんだけど、
例えばですよ、お母さんいつも私のためにご飯を作ってくれてありがとう、大変なのに忙しい中時間を作ってご飯を作ってくれてありがとう、みたいなそういう綺麗な言葉ですよね。
そういった言葉で書かれてた手紙を皆さん潔くペペペペね、さよならするんですよ。
一方で、そんな上手に書けてない上手下手っていう概念も難しいですけど、一般的に見て主語同士とかね、そういうのが揃ってなかったりとか、たくさんの文章書かれてない、
本当の表現の重要性
これはその子が本気で書いたんだろうなっていう、手紙とか絵とか作品とかは結構皆さん大切に残してるんですよね。
そういうのを見てて、私もね、子供と関わるお仕事をした時に子供と一緒にそういう手紙を書いたりとか、子供じゃなくてご高齢の方のリハビリの一環でそういう文章を書いたりとか、
濡れやったりとかすることあるんですけど、そういう時に上手に書かせようとする思想になるんですけど、
書く人もね、書いてる子供も書いてるおばあちゃんとかおじいちゃんとかも上手に書くことを求めてくるから、上手に書きたいという気持ちがあるから、
先生が書いた言葉をそのまま書いたりとか、先生書いてって言ってきたりとか、先生やってとか、何て書けばいいって聞かれたりすること結構あるんですけど、
良かると思って、完璧を求めて書いてた言葉とか絵とかって、親にバレてたんだな、家族にバレてたんだなと思って、
本当の言葉って、本当のその人が書いてる絵とか言葉とか紡いでるものって、知ってる人からしたら分かるもんなんだなって思ったんですよ、改めて。
だってお母さんたちね、ためらいもなく手紙捨ててましたから、確信があるってことですよね。
神様ありがとうとか、そういう言葉、手紙見てこんなこと子供書きませんとかね、これ心から思ってないですよとか言ってて、そういうもんなんだってやっぱ思ったんですけど。
だから、例えば古典に出したりとか作品展に出したりとか、目的にもよると思うんですけど、常に完璧をね、より良いものを求めがちなときに、作品作るにも文章書くにもそうですけど、
でも人に届けたいときって、完璧とか綺麗に見えるとか、量が多いとか、すごそうに見えるとかより、いかに本当の言葉とか自分の本当の表現を紡いでいくことがどれだけ大切なのか。
そっちの方が自分が本当に届けたい思いとか、伝えたいことが届けることができるんだっていうことをね、すごい垣間見たんですよね。
もちろんね、その作品展みたいな、よりこう、わかんないけど、綺麗にとか、より技術的に高くっていうのを求める場所もありますけど、人に届けたいときって別にそうじゃないじゃないですか。
でも、なんでそう思うのか、学校教育だからそう思ってきてるのかわかんないけど、どんな場面においても、完璧とかより綺麗にとか、よりいい感じに見せるように取り繕う場面って大人になってもたくさんあるし、
それこそ私もね、自分のお仕事で、SNSとか、資料作ったりとか、クライアントさんと一対一で話すときとか、そうですけど、少しでもこう、自分を完璧に見せたいなと思って、なんかちょっと根っこ抜くに回したりとか、
本当の自分と違う言葉とか、行動とか、写真とかね、見せ方とかね、しちゃうときって往々にしてあるなと思って、取り繕えないんだな、やっぱ取り繕ったときってバレるし、
取り繕って一番つろいのは自分だし、取り繕っても本当に届けたい人には届かないんだなっていうことをね、垣間見たので、今日はちょっとその話をしようかなと思いました。結構びっくりしたんですよね。
わかるんだと思って、だから完璧よりも下手でも、本当の自分から出る言葉とか表現の方が、人の心を打ったりとか伝わるんだなって思ったので、今日はその話をしました。
というわけで今日はこれぐらいで終わりますね。ではここまで聞いてくださってありがとうございました。また次回のポッドキャストでお会いしましょう。今日も皆様一日味わい尽くしてください。
ではまた次回のポッドキャストでお会いしましょう。ではではー。
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