2024-06-21 49:56

#164 Le mie belle Leggende 冗談じゃないよ!ラモス瑠偉【ソッカモ第26節前半戦】

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日本代表に大和魂を持ち込んだ、地球の裏側から来たサムライのお話。まさお、Jリーグカレーよ。おかわり!

日本人ならお茶漬けやろが!

【ラモス瑠偉 超絶技巧】

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ユベンティーノ「マレブル」とミラニスタ「たいき」がサッカーについて語る!

Soccer So COME ON(そっかーそうかも) #ソッカモ

イタリア代表、セリエAの今昔物語について、伝説の選手、勢いのある選手の紹介など楽しくおかしく熱くるしく語っていきます。



第26節のQ:最近、冗談じゃないよ!と思うことは?

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00:00
さあ、九州を食べよう。 オンライン直売所マレブル
ポッドキャストイエスか農家
ソッカーそうかも第26節、イベンティーのマレブルです。 未来西田大輝です。よろしくお願いします。
あの親会社の Jリーグの発足の
ぶちゃぶりの回聞きましたよ。 ありがとうございます。僕がほとんど断れることができなかった回ですね。
次回お願いしますって言って、あれ10分後とかなんでしょ。 その直後ですからね、収録は。
下調べもないままにね。 本当に素朴な疑問すぎて。
大輝が生まれてすぐって感じかな。 そんな感じでしたね。97年って言ってましたもんね。
97?93年じゃない? Jリーグ発足は93年。
あ、3年か。僕95年生まれなんで。 あ、じゃあ生まれてないんだ。
そうだよね。94年がアメリカワールドカップに行けずに同派の悲劇ですね。
それがそうかどうか。 Jリーグが発足したのはよかったんだけど、なかなか
当時の日本代表の
一人の選手の話を今日はしたいと思ってて。
ミイエペレレジェンデですね。 初の日本人。
本当に日本人なのかな。 名もスルイです。
日本人。 日本人より日本人。
日本人ならお茶漬け野郎かーです。
そのセリフは聞いたことあります? 伝わりました。 聞いたことはないです。
永谷園だったから。 日本人ならお茶漬け野郎かーって言ってました。
そういうCMがあったんですね。 そうですね。口癖が冗談じゃないよ。
そんなイメージはあるかもしれないな。 常に冗談じゃないよっていつも言ってる。
日本語もね、だいぶ上手い。 最近インスタグラム
更新してて。 そこの書いてる日本語、本人が書いてるんだろうけど、あんまり上手じゃないっていうね。
でも日本長いですよね。 長いよ。
20歳から来てるから。 今67歳らしいんで、47年間日本にいますね。
しゃべり言葉は上手いけど、やっぱ文字となると難しいんじゃないかな。
この名もスルイについて今日はちょっと。
03:01
そのJリーグ発足とか、やっぱり同派の悲劇ですよね。
ワールドカップ行けなかったっていうところの話をしたいと思います。
まずはですね、僕も今、ラモス・スルイの《サッカー戦記 天国と地獄》っていう本を読んだんですよ。
ずっとね、相当昔の本。これ同派の悲劇の94年の後ぐらいに出てるんだ。
98年か。フランスワールドカップの年。
日本がワールドカップ初出場した年ですね。中田秀俊とか。
小野真嗣が17歳でデビューしたみたいな。
ワールドカップ行ったみたいな感じで。
そのときに出た本なんですけど、同派の悲劇って何だったの?みたいなところを、
当時ラモスに、ようこんな聞けたなって、切れられなかったんかなっていう。
あのときどう思ってたんですか?みたいな話で。
僕はずっと日系の人と思ってたんですよね。日系ブラジル人と思ってたんですけど。
あれは違うんですか?
そうです。孫ことなき純潔のブラジル人で。
へー。日本国籍を、そうか。
そうですね。日本人の方と結婚して、帰化して日本代表になるという。
へー。
1957年生まれですね。
向こうのブラジル語では、ハモスフィ。
名前?ラモスフィじゃなくて?
Rをね、ハヒフヘホで発音するらしくて。
そうなんだ。
向こうのポルトガル語では、ハモスフィという言い方のほうが近いそうですけど。
ハモスフィ、ラモスフィ、ハモスフィ。
本名がフィ・ゴンザウベス・ハモス・ソブリーノという名前ですね。
あ、そうなんだ。
ソブリーノっていうのが、おいっこっていう意味で、
おじさんと同じ名前をつけられたという。
ブラジル人よくあるんですけど。
お父さんとかじいちゃんの名前とかがついて、どんどんどんどん長くなっていく。
そうだね。ブラジル人は長くなるイメージだから、ちょっと短いなと思いました。
だからロナウドとかロナウジーネとかになっちゃうんだよね。ロビーネとかね。
ほぼアダナみたいな感じですね。
お父さんがブラジル人なんで、リオ・デ・ジャニーロかな。リオに生まれます。
06:00
お父さんがやっぱりサッカー好きで、子供の頃から。
誕生日に男の子にはサッカーボールを送るというのがブラジル流らしいですね。
そうなんだ。
お父さんが若くして亡くなってですね、サンパウロに引っ越すと。
まだ子供のときに亡くなったんですね。
そうですね。57年生まれて、69年に亡くなってるから12歳くらいかな。
それで引っ越すんですよ。
彼がサンパウロに引っ越したら、リオ出身なんで、タリオカというアダナですね。
タリオカ。
今もね、ヨミユリ・ベルディの仲間たちにはカリオカって呼ばれてるんですけど、
都会子とかリオ子って言うんだ。
あー、江戸っ子的な、江戸っ子って言うんだ。
そうそうそう、そんな感じ。
向こうでのタリオカっていうのは江戸っ子。
まあやっぱり引っ越してきたんで。
あっちから来た人みたいな感じなんだ。
都会から来た男みたいな。
一つアダナと、もう一つはめちゃくちゃガリガリに痩せてたので、マグロンというですね。
そういう意味があるんですね。
ガリガリ。ガリガリの最上級らしいですね。
マグロが痩せっぽっちって言うんで、マグロンが最高に痩せてるやつ。
あーそうなんだ。
ガリガリ野郎。
日本だとマグロはもういい魚ですよね。油身にのったいい魚。
マグロの最上級、マグロ。大トロとかじゃないんだ。
赤間の大マグロじゃないんだ。
うんのついたマグロなんですね。
マグロ。
マグロンって呼ばれてたんですね。
なんかね、リオデジャネイロ州の人のことをフルミネーセ。
なんか聞いたことありますよね。
フルミネーセってチームにあるんかな。
ああ、あるね。
リオのことはカリオカで、サンパウロの人はパウリスタ。
へー。
ここらへんがバチバチらしいんですね。対抗意識が。
あ、そうなんですね。
ラボス類は、やっぱりリオっ子だからカリオカだったんですね。
だからブラジル代表の監督が、パウリスタに変わったらパウリスタで固めてくるし、
フルミネーセに変わったらフルミネーセに変わって、みたいな感じらしいです。
出身州でだいぶ変わるみたいな。
だから12歳でお父さん亡くなって、お母さんの仕事で引っ越したということで、
ちょっと都会から来た、金持ちにならないやろうみたいな感じに思われてたと。
09:01
めちゃくちゃサッカーが上手かったらしくて。
もう12歳のときからやってたんですね。
そうですね。
いやもう本当に3歳、4歳ぐらいの頃からやってるんですけど、
17、18歳になる頃には高校選手権みたいなのがあって、ブラジルにも。
ラモスのチーム負けるんですよ。
そしたら次の試合、うちのチームで出てくるって言って。
スカウト的な?
そうそうそう。
お前上手えなって言って、そのくらい上手かったらしいです。
ブラジルはすごくて、サッカーしてたらおじさんが審判してくれるらしいんですよ、急に。
子供が草サッカーしてたら、おじさんがやってきて、まとめて俺が審判してやるみたいな。
入りたいんだね、おじさん。
そのジャッジに納得いかなかったら審判をボッコボコに殴ってたらしいんですよ。
いただけないなあ。
ほんと一日中サッカーしてたらしいんですけど、
結構いろんな地区の大きな大会で優勝したりとか。
自分のチームが負けて、サンパウロ州の優勝チームにスカウトされて、
さらにブラジルNo.1になるみたいな。
あ、そういうこと?スカウトされてちゃんと行くんだ。
そう。
かなり有名になったんですけど、やっぱりプロにはね、
痩せてるということで、さっきのマグロンですね。
体格がか。
本人はね、俺が一番上手かったと。
あいつ受かったのは冗談じゃないよって、いつもキレてたと。
でもやっぱり同級生は受かるけど、
自分はやっぱりもうちょっと体でかくしてきな、みたいな感じで落とされてたらしいんですね。
悔しかったんですかね、やっぱりね。
そうですね。
難しいプレーを簡単にやってたみたいな。
野球選手の心情みたいなね。
難しいボールをただのフライみたいに取るのがプロですみたいなことを言ってたんだけど。
それもちょっとムチながら全然知らなかったんだけど。
そういう感じで、難しいプレーを簡単にプレーしてて、評価されなかったと。
簡単にやるからとね。
シンプルプレーが評価されなかったと本人は言ってまして。
天気が訪れたのが、1977年。
ラモスが20歳の頃ですね。
ジョージ・ヨナシロという方がブラジルにスカウトに来ます。
日本人のスカウトの人ですね。
12:01
いや、ジョージ・ヨナシロなんで、この人は日系の人なんですけど、
読売サッカークラブでプレーをしていた人ですね。
初めての外国人選手かな。
日本サッカーリーグ2部。
当時創設されたときから、2部リーグで初めての外国人選手としてヨメウリでプレーしてて。
当時のヨメウリクラブが3年連続で一部の昇格を逃してたんですけど、
ジョージ・ヨナシロさんが日系ブラジル人なんで、
お前ブラジルになんかいいのおらんのかってことで帰省してブラジルに。
誰かスカウトしてこいと。
契約書も持って行ってて、ブラジルに。
2年契約で手取りが月額学名18万の、手取り16万2千円でどうだ。
これで何人か有能なやつを引っ張ってこいと。
帰省したジョージ・ヨナシロさんがラモスの兄さんに、
なんかいいやつおらんって相談したところ、
ラモスが弟よどうだということで行きたいと。
お兄さんのサッカー、今というか。
お兄さんも当時やってて。
ジョージ・ヨナシロが日本に行く前に一緒にクラブでプレーしてたと。
アマチュアクラブかな。
アマチュアクラブで仲良かったので、
そこで相談したら、うちの弟どうかと。
行きたいってなったけど、
日本はね、ブラジルからしたら世界で一番サッカーのレベルが低い国だよと。
あんなとこに行ったらもうブラジルでプロになることはできんよと。
そんな感じ。
まあ確かに1968年にメキシコオリンピックで銅メダルを獲得してますけど、日本がですね。
まあでもブラジルからしたら、いやいやオリンピックでしょ?みたいな。
ワールドカップにも出たことない国が、
行くなんてなんもできんよ、サッカーとか。
みたいな感じで。
お母さんもめちゃくちゃ泣いて反対したらしいですね。
日本じゃない、地球の裏側ですよね。
でもまあここでがっつり説得して、
日本に旅立ちます。
俺の人生だから。
安心ですね、一人でってことですね。
これが1977年。
だからまた二十歳のときに。
15:02
まあ一ヶ月ぐらい説得かかったらしい。
でも本人は2年契約なんで、2年したら帰ってくるぜみたいな。
帰りの切符もクラブが買ってくれるから大丈夫だよ、みたいな感じで言ってたらしいですね。
日本に着いて、初日の夜に号泣して、
もう帰ろう、ブラジルに帰ろうって泣いたんです。
かわいいやつやね。何があったんですかね。寂しくなっちゃったのかな。
寝て起きたら、日本だったからめっちゃ寂しくなったそうです。
すぐ読売のサッカークラブに合流しまして、
そこでもやっぱり痩せてるなーみたいな感じで。
ひょろっとした口ひげ生やしたやつが来た、みたいな感じだったらしいですね。
読売クラブは、ジョージ・ヨナシロがいたんで、
あんまり外国人というかブラジルの選手っていう感じではなく、
なんか来たな、新しいのかみたいな。
当時他のクラブでもちらほらいたんですかね、外国人とかは。
そう、あれですよ。ネブソン・ヨシムラって人が最初に来たらしいですね。
知らないけど。
知らない。1967年。
で、セルジオ・エチゴ。
あー、聞いたことある。
聞いたことあるっていうか、絶対知ってるでしょ。1972年。
コリンチャンスでプロ契約してて、ブラジルのコリンチャンス。今は名門ですよね。
リベリーノっていうペルト同年代のブラジル代表の選手とポジション争いをしていたという噂です。
へー。辞書ですかね。
辞書。
そしてセルジオ・エチゴは、エラシコを開発した男と言われてます。
あー、そうなんでしたっけ。
世界で初めて公式戦でエラシコをしたのは俺って言ってます。
へー。
これも辞書なんですけど。
聞いたことあるような気がするな、それも。
ブラジル代表の選手が本当だよって言ったらしくて、まあ本当っぽいです。
今はね、ただのうるさいおっさんになってしまいましたけど。
ね。
ラモス・ルイはすごい練習熱心で、
逆にレベルの低い練習だとコーチとかに文句言ってたらしいです。
へー。
なんだよこの練習、意味あんのかよって言って、めっちゃ真面目にやってたらしいですね。
すごい。
言われたことは、手を抜くことはないというので、
そこはクラブの主任の人が印象に残ってるのと、
あとスイーパーとセンター・フォワードができますって言ったのが最初に出たのがよくわかんない。
18:03
ポジションってどこだったんですか。
フォワード、まあ最後は、晩年は10番かな。
もうほんと10番のトップしたって感じだけど、
最初はフォワードかな。
フォワードでテントリアっていうか、背も高いし。
スイーパーもできるよみたいな。
ディフェンダーもやってたんだ。
うん。危機察知能力というか、危険な場所を察知する能力がすごい高かった。
それまでは、ブラジルのほうではどことこやってたんだね。
スイーパーとかやってた。
あんまりポジションにこだわらないサッカー、当時はね。
スイーパーもあれですよね、リベロみたいなイメージ。
当時はリベロ、攻撃もするよみたいな。
どこでもできるよみたいな感じだったんですね。
ホテル暮らしが終わって、めそめそ泣いてたんですけど、
当時、日本リーグ一部に在籍してた藤田っていうチーム。
今のベルマーレ・平塚か。
今はベルマーレ・平塚とも言わないかもしれないけど。
湘南ベルマーレ?
あ、湘南ベルマーレ。
在籍していた先輩ブラジル人に、東京の赤坂に連れて行かれます。
はあはあはあ。
ディスコかな、当時ディスコに連れて行かれて。
こんなええとこあるかって思った。
冗談じゃないよ、ブラジル帰るわけないよって言って、
毎日遊びに行くようになりました。
急にもう日本に馴染みました。
当時は日本リーグの2部なんですね、まだ読売は。
まだ一部に昇格できてなくて、バスケット的な感じで呼ばれて。
翌年かな、78年の1月の天皇杯。
大事件が起こります。
プレーも見事なもんだし、しっかりチームにも馴染んでたらしいんですけど、
天皇杯が終了して、1月の第12節の2部リーグで、
ひじ討ちを食らわせたんですよね、相手選手。
反則を取られたら、相手が痛い痛いとか言いながらニヤって笑ったんで、
なんだバカ野郎って言って、演技かーって言って詰め寄って、追いかけたらしいんですよ。
本当に痛かったのかって問い詰めた感じですかね。
その人は逃げて、坂木さんっていう坂木選手がね、逃げたらしいんですよ。
21:07
痛い痛いって言って、それを追いかけたら、ベッドカード食らいます。
ラモスさんが。
本人は殴ってやろうと思ったらしいんです。
演技だってわかったから、この野郎と思って殴ってやると思った方がいいんだけど。
それは良くないよね。
でも日本サッカーの2部リーグの試合じゃないですか、観客もほぼまばら。
一部でも数百人みたいな感じだったらしいんですよね。
ベッドカード食らったらしいんですけど、2試合ぐらいの出場停止かなーって思ってたら、
なんと1年目の出場停止。
それはきついですね。1年ってなかなかないんじゃないですか。
しかも日本に来て、4月に来て、翌年の1月に、日本サッカー界初の1年間。
1年間はないね。もうシーズンは完全にアウトですしね。
日韓スポーツにサッカーリーグ最大の不祥事って書かれて。
追いかけたことがある。
ブラジル大使館の人から、お前何やったんだって電話がかかってきたらしくて。
あとはすごいのがですね、当時、巨人も読売グループなんですけど、
野球の。すごい反感があったらしくて。
読売クラブへの見せしめみたいな感じじゃないかと言われてるのと、
やっぱり外国人だったんで。
後にですね、この日韓スポーツの記事を書いた人が、その試合見てないって告白してます。
これは新たな問題ですね。
見てもないのに記事を書いて、こんな不祥事があっていいのかと。
あんなサッカー選手を野放しにしていいのかというふうに書いてると。
他の人が書いた記事を読んで把握した気になってるんですかね。
そうですね。
試合を見ていない記者が事実確認をしないまま取り上げたと。
それをサッカー協会が信じて問題にして、
1年間ブラジルから来て出場停止処分ですね。
現代では問題になってますよね。
このときに松木さんがすごく助けてくれたらしくて、
24:03
1年間の間松木さんの助手席に乗って、
練習場に行ったりとか、いろいろ遊びに連れて行ってもらったりしたって言ってましたね。
松木さんのほうが年上ですかね、ってことは。
そうね。ほぼ同い年ぐらいじゃないのかな。松木さんがちょっと先輩かな。
Jリーグ補足したとき松木さん監督してましたからね。
えー、そうなんだ。
ベルリーの監督を知ってた。
選手はもっと前だったんですね。
そうね。
このときに、練習終わってから、
全体の練習終わってから、
ユース、珍しくね。
読売クラブにはちゃんと団塊があって、ユースの選手がいたらしいんですよ。
読売クラブで参加権になってて。
そこで北沢とか、
ユースに来てた選手と遊び程度のサッカーをしてた。
お前ちょっと上手いやん、来いよ、読売来いよ、みたいな感じで、
スカウトじゃないけど、生き抜きみたいな感じで。
すごいなあ、そんな感じに。
やってあげてた。
なんかエグかったらしいですよ。
やっぱり負けず嫌いなんで、高校生相手にも全然手を抜かないみたいな。
津波さんもいたのかな。津波里氏もいたって言ってましたね。
津波里氏とか北沢がいて、
全然ロンド、鳥籠。
泣いて帰る子もいたとか言ってましたね。
かわいそうに。
で、金指に開けたら大活躍ですね。
ハットトリックとか、15試合で14得点を回す。
わあすごいなあ。
アシストの記録。
得点王とアシスト王の同時受賞。
熊本国資源依頼の解除とかね。
どんどんどんどん、当時カリオカ、カリオカ。
津波里氏が高校を卒業して読売クラブに入るんですけど、
一部リーダーが上がってきたんですけど、
めっちゃ優しかったらしいんですよ、練習してたときは。
高校のときはね、「お前入れよ、絶対!」みたいな。
入った瞬間に試合で、「お前のせいで負けたんだよー!」ってめっちゃキレられる。
27:01
とか、「お前が試合に出るなら俺は出ない!」とか。
へえへえへえ。
下手くそバカ野郎。毎日これでしたと。
そんなこと言って何が意味があるんだと思うけども。
本当に足がすくむと、カリオカが近づいてくると怖いみたいな。
でも向こうはグラウンドでは厳しいけど、
試合が終わったら、じゃあな、お疲れお疲れみたいな。
フランクな感じ。
振り返るぐらいのヤバい。
後ろにパス出されたって言ってた。走るやん、こう。
オーバーラップする。津波さんがサイドバックやって。
オーバーラップして前にスルーパス出すはずなのに、
ちょっと走るタイミングが早いって言って、後ろにパスを出すっていう。
俺あんなことされたの初めてだよって。
それが伝わるもんなんですかね。
次からもうちょっとタイミングで走り出せるって言う。
恐ろしいですよね。
サッカーに関してはすごく厳しい。非常に厳しいという男だったんですね。
この頃、20、80年なんで、21歳?22歳?
あ、違う。23歳の一緒に、当時21歳の奥さんと出会います。
友達の男性に連れられてサッカーを観に行ったところ、
その男性がラモスを紹介してくれて、
その奥さんですね、それが。
すごいですね。
男の人とサッカーを観に行って、その男の人にラモスを紹介される。
知ってたんですかね。ある程度サッカー好きな人だったらラモス。あのラモス。
大学のときにサッカーを教えてくれたラモスと知り合いだった人。
家に帰った奥さんが、久しぶりに男性に会ったって言って嬉しそうにしてたということで、
奥さんのお母さんが覚えてると。
でもまさかブラジル人とは思わなかったと。
あーそうなんだ。
もう結構日本語喋れてたんですね、その段階では。
いやいや、だからデートして帰ってきたらよ。
あーそっかそっか。
そうそう、デートして帰ってきたら、久しぶりに男性に会ったって娘が言うもんだから嬉しそうだなって思ってたら、
なんと1年謹慎勝負のブラジル人ですよ。
お母さんびっくり。
30:01
まあもうこの頃には日本語はうまかったのかな。
で、結婚して、そこからもだいぶどんどんどんどん活躍をしますが、
やっぱりブラジル代表にはもちろん選ばれませんよね。
日本でサッカーしてるんだから。
あまり有名にもならないし。
ここで27歳、8歳ぐらいのところで結婚して、
で、聞かせたら日本代表になれるよという話。
なんかね、すごいよ。Jリーグ発足前なんで、
キーパーがバックパスを取れる時代。
あー、手でね、はいはいはい。
こないだマラトーナの紙の手ゴールの試合がBSであってて、
そのときもやってた。ボーンって後ろに返してさ、キーパーが取ってバーンって投げるみたいな。
時間稼ぎ。
あれいつからダメになったの?
俺が小学生か中学生ぐらいのころダメになった気がするよ。
中学生ぐらいのころかな。
今思うともう完全にダメだけどね。
完全にダメだよね。
だから当時は足元なんてうまくなくていいわけよ。
キーパーがね、はいはいはい。
それで、ダモスが試合勝ってるときはディフェンスラインまでボールをキープして、
フレフレ取りこいよって挑発して、取りに来たら後ろに下げてキーパーに取らせるっていう。
すっごい時間稼ぎですね。
ワールドカップの試合も見たけど、バックパスキーパー取ったらめちゃくちゃ面白くないよ。
へー。
そんなのずるいよ。
ずるいよっていうかさ、フォアドバー追いかけて、
チョーンって後ろに下げて取るみたいな。
それはちょっとね、やっぱ面白くないよね。
サッカーファン増えないよ、これっていう感じの。
当時は、実況は今の人がやってて、
当時は大丈夫なんです。
当時はとっても大丈夫なんですって言ってた。
それでどこまで行ったかな。
読売の選手の人に手引きされて、
日本代表に、日本代表にというか、日本に利かししないかっていうので誘われたと。
迷ったけど、奥さんは日本人なんで、
ブラジルに連れて帰るというよりは、
33:01
ちょっとじゃあ日本でこれからもプレーするだろうなということで、
日本に利かしますと。
利かして、うん。
ということで、ラモス・ルイですね。
我々がよく知っている。
はいはいはい。
あー、ハモス・フイから?
そうですね、ハモス・フイから。
ラモス・ルイに。
ルーと。えらい、えらいで、ルイね。
かっこいいよね。
あの漢字かっこいいわと思う。
かっこいいですね、漢字は確かに。
Jリーグにいたんですけど、
Jリーグっていうか日本リーグにいたんですけど、
当時はヨーロッパのチームとか、
ブラジルのクラブチームと日本代表を試合してたらしいですね。
ウェストハムじゃなくて、トッテナムとか来てたらしいですよ。
クラブが来て、日本代表と試合するって。
今それ見たいな、そういうの。
あ、そうね。あんまりないよね、確かに。
結構ね、当時ビッグクラブというかアジアなんとかって言いますよね。
今もレアルマドリルが来たりするじゃないですか、アジアツアー。
あんなイメージだと思うんですけど、対戦相手が日本代表だったっていう。
他どこだったんですかね。
結構相手のチームからの選手から褒められることが多かったらしくて、
ラムスがね、試合した後に。
ペレとかリベリーノとかソクラテスとか、
そういう人たちに尊敬するよって言われたとか。
バイエル・ミュンヘンとやったときに、
ペッケンバーガーが名指しで俺のことを褒めてくれたって。
へー。
すごくない?伝説の。
まあそんだけ上手かったんですけど。
日本人としてというよりも世界的に見ても上手かったんですかね。
上手かったらしいんですけど、
やっぱり日本代表が、
94年でしょ、93年にチェーリーグが発足するんで、
もう36歳とか。
そうなんだ、そっか。
94年が37歳とかだよね。
代表にはずっと選ばれてたらしいんですよ、その後ね。
しかしてからはずっと、オールスターにももちろん選ばれるし。
36:00
カズとかがいて、竹田、今よくテレビに出てますけど。
三原雅美とか。
ここら辺で言って、確かね、アジアカップで初優勝するんですよ。
日本が?
そうそう。広島でね、アジアカップが行われて、
日本主催。
日本初優勝するんですね。
90年ぐらいだったと思うんですけど。
90年か91年ぐらい。
それで、これちょっとワールドカップ行けるんじゃないの?みたいな感じになるんですね。
当時は2チームしかダメ、アジアでから。
へー。
2までしか行けない。
どこが多かったんですか、韓国と日本?
イランとか?
そう、イラクかな。イラク、韓国。
韓国はね、ギリリーグより先にプロリーグができてて。
なんかそうらしいですよね。
やっぱなんか違うっていう感じだったらしいですよ。
当時はやっぱり韓国めちゃくちゃ強かったらしいです。
へー。
で、あの人が来ます。オフト監督が。
いや、知らないな。
知らないか。
その当時の、同派の悲劇のときの感覚ですね。
へー。
この頃だったら読売クラブがめちゃくちゃ強くて、
代表のほうがレベルが低い。
ああ、そう。
読売選手はみんな言ってて、だから呼ばれても行かないみたいな感じだったらしいんですね。
行かないことはないけど、日本代表の練習よりも読売のレベルのほうが高いみたいなことを言ってたりする人もいたらしいんですけど。
まあやっぱりラモスはキカーまでしてますから。
選ばれたら行くよっていう感じだったんですけど。
オフトがね、日本代表に持ち込んだことが、
アイコンタクト、トライアングル、バルサとかでよくやるね、三角形を作りましょうと。
プレイヤー同士がしっかり距離を保って三角形を形成しましょう。
スモールフィールド、コンパクトに、前線から最終ラインまでをコンパクトに保て、
っていうのを初めて日本代表に持ち込みました。
すごいな。
39:02
これでプロのレベル、本当のプロを経験してきた人。
オフトはオランダ人なんですよ。
プロチームを指導してた監督なんで、
それが日本代表の監督としては初めてプロ経験者というか。
ああ、今まではアマチュア的なとか日本人。
日本代表で有名だった人とかがそのまま。
寄せ集めですよね、今までは。
ただただ上手いやつ集めて、気合で勝て、みたいな感じだったのが、
アイコンタクトとトライアングルとスモールフィールド。
今となってはね、面白い話ですけど、
それをチームとしてのまとまりを作れとか、チームとしてプレイしようとか。
キャプテンがちゃんと指名されて、キャプテンを通して監督の話を伝えるとかいうのを。
規律を持ってやり始めたらラモスが切れます。
俺には合わないと。
もっと自由にやらせると。
ブラジル人らしいですね。
もっと自由にやらせろと。
オフトもオフトで切れてですね。
日本代表は俺が決めると。誰を呼ぶかは。
したがわないやつは出て行ってもらっていい。
ということで。
北沢がね、一番最初の初日に遅刻したらしくて。
うん。
帰れって言われたら憎しいですね。
帰れって言われるでしょうね、初日に遅刻は。
本当に帰ろうかと思った。
当時はやっぱり代表の優先順位ってそんなに高くないから、
自分でヨメミクラブでやってたほうがいいかなって思って。
本当に帰れって言われたら本当に帰ろうかと思ったもんね。
本当に帰らなくてよかったとか言って。
でも相当不満をぶちまけてたらしいですね、ラモスとオフトは。
ラモスとオフトはお互いにってことですね。
ラモスはこんな感じなら俺は代表はもう遠慮したいって。
とかやってられないあんなサッカーみたいな。
やっぱり規律。
さっきの三角形もそうなんですけど、規律を重視する。
ホランダ人っぽいサッカー。
ボールをつなぐとかね。
ラモスはもう中央突破大好きなんですよ。
パンパンパンと叩いて、ヨメミベディとかもそうなんですけど、
パンパンパンとして真ん中をうまく崩して、ワンツーとかで崩して、
フィニッシュに絡んでいくっていうプレーが大好きなんで。
42:00
クロスボールをちゃんと上げろとか。
そうじゃない、選手のひらめきで試合させてくれみたいな。
フィーリングが欲しかったですね。
そうそう、フィーリングね。
なかなかここが合わなかったけど、しっかり話し合って。
イベントスを招いたって言ってますね。
ああ、そうなんだ。
8月イタリアセリアのイベントスを招いて2試合を行い、いずれも引き分けた。
へー。
すごいよ。
でもね、当時はサッカー協会もあんまりわかってなくて、
ワールドカップにどうやって行くのかっていう道筋もなくて、
無理な遠征を入れてたらしいんですよ。
スペイン遠征を入れて、スペインに行って数試合ヨーロッパのチームと、さっきのヨーロッパのチームとやって。
で、帰ってきてすぐ予選やってみたいな感じで。
イベントスと引き分けたことによって、ちょっとイケるイケるみたいな。
これまでヨーロッパで武者修行じゃん、みたいな感じで行ったんだけど。
はいはい。どことして行ったんですか。
そういうのも後々響いてくるんですよね。
選手たちのコンディションに。
今となってはあんな無理矢理な合宿組まんければよかった。
2月にイタリア遠征、3月にキリンカップと沖縄合宿。
4月から5月にかけてワールドカップに実予選があり。
すごいハード。
すごいハードなんですね、ここらへん。
スペインじゃなかったかな、ヨーロッパ的な。
そんな感じで。
津波里氏がですね、代表不動の左パックだったんですよね。
不動のというか、もう替えがいないんですよね。
スタメンとベンチの実力差がめちゃくちゃすごいかったらしくて、当時は。
あーまあしょうがないね、そうなりますよね。
やっぱ11人で戦うしかないとな。
津波さん骨折してたんですよ。
そのワールドカップ最終予選のときに。
骨折してて、もう無理だよって言ったのに、絶対来いと。
絶対来いって言われて。
それは誰に?
オフト監督に。
まさか出さないだろうと。
やっぱスペインって書いてるな、スペインにも行ったんだろうね。
あ、スペイン合宿に行ってますね。
最終地区予選に向けての最後の海外遠征ということで、スペイン合宿に行ってます。
何してんだって書いてるんですね。
45:01
だって9月10日に行って、スペイン。
10月15日に最終予選始まるんですよ。
あーすごいね。
それで柱谷は、観演かな?観演。観光編かな?
キャプテンなんですよ、当時のキャプテンのディフェンダーで。
観光編か何かになって、絶対サッカーしたらダメって言われてたのに。
入院?
入院してたらしいです、当時。
でも最終予選に呼ばれる。
呼ばれるぐらいならね。
呼ばれるっていうか、試合全部出てます。
ダメじゃん。
津波里市は骨折してて、試合には出さないけど、
やっぱり相手チームにさ、津波が出るって思わせておきたいと。
あーそういう作戦ですね。
あいつは大丈夫だと。骨折したとかいう噂はあるけどと。
そういうことにしたいって言ってたんだけど、
結局練習に顔見せなかったら怪しまれるじゃないですか。
だから練習には出ろって言って、200mダッシュを20本ぐらい、骨折してるんですよ足。
200mダッシュは、はやはやきついですね。
200mダッシュを20本させられたって言ってましたね。
だから麻酔を打って、3本麻酔を打ってやってて、
チームメイトには全然説明してなかったんで、
合宿の部屋に戻ったら麻酔が切れて、
ずっとベッドで布団を噛みながら我慢する。
津波さんおかしいですよ、これ絶対おかしいですよって言われてたけど、
今は何も言わないでくれみたいな感じでやってたと。
これでスペイン合宿とかでもガタガタになって、
体力がもう、その中で唯一ラモスだけが元気。
すごいね。
気楽が違う。やっぱりワールドカップに出たいっていうのがあったみたいですね。
ああ、それはやっぱり母国ブラジルを倒したいみたいな思いがあったんで。
ただ本人はね、本当か嘘かわからないですけど、
恩返しとしてワールドカップに日本を連れて行くのが僕の役目で、
当時、だから94年ワールドカップはもう38歳の年なんで、
本戦には俺は行くつもりはなかったっていうことは言ってましたね。
本心かどうか、当時はね、でももうしんどかったみたいです。
37歳でトップしたぜって。
今Jリーグを発足してますからね、93年にJリーグを発足してるんで、
そこの疲れもあるし、ガタガタでみんな体力もボロボロのまま、
48:01
さっき入院してた津波さんも、ウッサメンとして出場することになりました。
ここのメンツ言っても、たぶん全くピンとこないよね。キーパー松永。
わかんないねー。
津波、里市、柱谷、伊原、正美、堀池、匠、ナモス類、北沢、津吉、三浦、安人氏は三浦和義の兄ちゃんですね。
佐野堀、森康、はじめ。
おー、知ってる知ってる。
ここで来ます。福田雅博。
知らないなー。
三浦和義、武田さんと長谷川健太と中山雅氏がいますね。
中山雅氏が26歳。
あ、ゴンですか?
ゴン中山。
へー。
ゴンもその後かな、98年ワールドカップのときに活躍するんですけど、
もうここで入ってますね、26歳。
んー、若いですね。
若くない。今から見たらそんな若くないか。
それで、最後の試合に入っていくんですね。
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