00:16
皆さん、お久しぶりです。みこしばです。みこしばといえば、これからまた案内しますけど、オールド回ですね。
久しぶりにT君からバトンが回ってきまして、今日は久しぶりにやるんですけど、いつも3人なんですけど、今日はこの方、レギュラーのこの方と2人でやっていきたいと思います。お願いします。
はい、ジャルダンです。イベントの時は大暴れしちゃってすいませんでした、皆さま。
それ見たかったですね。ラムちゃんとかですかね。
ラムちゃんもやりましたし、変な掛け声して最終的にはトマトさんにも怒られたっていう。
ちょっとだいぶお酒入ってました、もしかして。
確かに。
ちょっと陽気なジャルダンさんを。
調子に乗ってました。
全部は聞こえてないですけど、配信だけ聞きましたけど、陽気なジャルダンさん。
試合中から、試合開始からはしゃいで、中盤ちょっと寝ちゃってまた怒られました。
一番最後に飲んだパターンですね。
そうですね。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちゃんまつさんが3人でやる予定だったんですけど、ちょっとお子さんが熱出されたということで、急遽2人で。
2人しゃべりですね。
そうですね。
もともとこれでスタートしましたからね。
そうです。
じゃあ、今日2人でやっていきましょうか。
よろしくお願いします。
オールド界といえば、いつも恒例のお便りをいただいてるんですけど。
そうですね。
ちょっと前にいただいてるんですけど、ネオ太郎さんからオールド界宛にいただいたお便りがあるので、ジャルダンさんちょっと呼んでいただいていいですか。
はい、わかりました。
こんばんは、ネオ太郎です。
いつも楽しく拝聴させてもらっています。
さて、早速ですがお願いがあります。
次回オールド界、三島さんのお仕事の関係で未定とは思いますが、ぜひコメントをいただきたいのが、中継投手の西村健選手と渡辺亮選手です。
円の下の力持ち感が半端ない2人でした。
負け試合でも勝ち試合でも、黙々と投げた姿が忘れられません。よろしくお願いします。
ネオ太郎さん、いつもありがとうございます。
ありがとうございます。
中継ですよね。
ありますね。
渡辺亮、今あれかな、二軍のコーチでしたかね。
今、今年から二軍のコーチ。
そうですね、今年から二軍のコーチですよね。
これまでスカウトやってましたよね。
スカウトやってましたね。
西村健投手ね。
03:00
はい。
このピッチャーも懐かしいですよね。
懐かしいですね。
だから、私調べてる中で渡辺、この2人からちょっといきましょうか。
今日は中継の懐かしの人をどんどんしゃべっていこうかなと。
これにちょっと乗っからせていただいて、という回にしようと思ってますので。
そしたら、まずこれ古いのは渡辺亮さんのほうですよね、たぶんね。
現在42歳ですね、この方ね。
徳島出身で、ナルト工業から同志社大学、そこから日本生命。
結構王道行ってるんですよね、この人ね。
王道中の王道ですよね。
同志社から日本生命とかね。
2005年のドラフト4位ですね。
大学社会人。
そうですね、この時は大学社会人順番みたいなのありましたもんね。
ありましたね、はい。
で、僕調べた中やったら、この方、もともと中学の時に野球選手になりたいっていうわけではなくて、
競艇の選手を目指してたんですよね。
競艇って珍しいですよね。
そうなんですよ、競艇の選手を目指してて、
身長が、その学校に入ろうと思ったけど、身長が足りなかったらしいんですよ。
はいはい。
で、体力づくりで野球をするっていうので、そこから野球に目覚めたらしいんですけどね。
2005年入ってから、そんなに体が大きくないんですよね、このピッチャーね。
そうですね、はい。
じゃるやさん、覚えてるのはどんな感じですか、渡辺選手は。
僕はもう黙々と中突きばっかりっていうんですけど、何かあれば渡辺亮っていう感じとですね、はい。
とりあえずタフでしたよね。
タフでした、はい。
今って結構投げすぎで結構ね、わいわい炎上しますけど、今やったら大炎上してるんじゃないですかね。
大炎上ですよ、今はもう3連投。
どんだけ投げんねんっていうね、どんなタイミングでも言ってましたしね。
やってましたね。
この頃2006年からですよね、実質。
そうですね、はい。
で、岡田さんの晩年から真由美和田さんっていう頃だったんですけども。
岡田さん多分投下から押したのが2007年だと思うんですけど、これ先発といわゆるJFK、ジェフ・ウィリアムスと藤川と久保田ですね。
久保田ですね。
今ちょっと順番前後になってますが、JFKになったら順番前後になるんですけど、この前をつなぐ先発とこのJFKの前をつなぐ中突きからスタートしてましたよね、確かね。
06:04
しましたね。
それで結構JFKが出る前に急に出さされたりとか、タイミングもバラバラやったし、勝ち試合でも負け試合でも出てくるから。
負け試合でもね。
そうなんですよ。だから黙々と、今だから桐引くんがずっと出されてるとか、あれは勝ち試合とか、勝ち試合負け試合だと思うんですけど。
そういうタイミングじゃなくても投げさせられてたというか、ほんまに表情が変わらないピッチャーなんで、黙々と投げてたっていうイメージがありますね。
なんか真面目な感じは桐引き時代、僕テレビでしか見れてないですからね、分からないんですけどね。
まあまあ後にいろいろお話を聞くと、かなりモテたらしいですね。
だって割とルックス良かったですもんね。
ルックス良くて。
吸い込んだ顔立ちというかね。
スカウト時代もちょっとチャラいなって感じ受けて。
髪の毛ちょっと伸ばしてましたもんね。
伸ばしてましたね。
襟足伸ばしてたりしててね。
で、ちょっと話を戻ると2007年に投格を表して、2008年にウィリアムスがちょっと怪我をして、なおかつ久保田がちょっと不調、久保田もちょっと投げ過ぎの部分があって、不調になったということで、結構渡辺ウィリアムス球児っていう時代も。
ありましたね。
あった感じなんですよね、2008年とかだったらね。
で、もくもく投げて。
そうですね。
まあでも結構長いこと、息のそこそこ長い選手でしたよね。
あれだけ頻繁に出てて結構ありましたね。
壊れてもおかしくない?
今って壊れてもおかしくないぐらいの。
2、3年で壊れてもおかしくないぐらいの。
普通はそんな感じやったけど。
入団2年目で66試合当番ってありますからね。
今66って大概ですよね。
もうXの方はみんな何書くかわかんないじゃないですかね。
そうですよね、旧ツイッターね。
で、結局2016年から先ほど言ったスカウトやって、で主に発掘したというか担当したのが井上幸太選手とか。
そうです。関西の方担当してたんですよね。
小野寺ダン君とか、それこそ今の里寺君とかですね。
そうですね。
割とスカウトでもB1っていうか。
そうです。スカウトで優秀だったな。
だったみたいですね。髪型はちょっとあれでしたけど。
09:01
そうそうそうそう。
どうしたんやみたいなね。元気を知ってるだけに。
関係者からは女性で失敗しなければいいと心配されていたみたいですけどね。
ああそうですか。
ここだけの話。
でもその辺はちょっとうまくやってたと。
そうですね。
今年から二軍の投資コーチということでね。
そういうスカウトの経験とか、もともと自分がそういう現役も長く続けてきた経験とか。
そうですね。
投げ過ぎも経験してる中やから。
頼りになる。まだ42歳なんでね。
若いコーチですよね。どっちでしらかというとね。
ということで渡辺さんはなんせ黙々と投げるっていう。
そういう感じでしたね。
真面目そうに見えて実はちょっとそういうね。
女性にも表になった。裏もあると。
まあそりゃしょうがないですよ。
という感じですかね。渡辺さん。
で、せっかくやから西村さんも行っておきましょうか。
西村さんは現在37歳。
意外とまだ若いですよね。
若いですよね。
結構前にも引退したイメージがあるんですけど。
そうですね。
いろいろこの人は引退して、
NPBを全力買いになってから、
独立リーグなんかで頑張りながら
トライアウトを受けてるっていうイメージが。
そうですね。何回も受けてましたからね。
何回もやってましたね。
で、この人をちょっと振り返ると2008年。
2008年に入社して。
これも社会人とかのドラフトですよね。
そうですね。
で、このピッチャーは1年目から一分やってるんですよ。
1年目期待しました。
で、また渡辺さんと一緒で、
西村健さんも男前なんですよね。
そうですね。
当時女性の不安めっちゃ多かったですよ、確か。
もうこの時代から女性の不安が大きくなってきて、
もうこの時代からイケメンの選手多くなってきましたね。
そんな感じでしたよね。
昔の半信がおっていうのが。
昔の半信がおっていうのがあったんですけど、
今はどっちか言ったらスマートな選手が多くなってきて。
かっこいい選手多いですよね。
僕ね、西村さんで一番覚えてるのはピッチャーと、
ピッチャーもあるんですけど、
やっぱりそこですよね。
僕一個言うと2010年の9月の9日のドライブ一戦で、
ブラゼルが退場になって、
守備全部使い切ってしまったんですよね。
12:01
退場になって。
で、どうすんねんって外野誰もおらへんぞって話になって、
西村さんが一応一番まだマシで守れるんちゃうかということで、
外野の守備につくと。
外野ついたわけですよね。
一応右バッターの時はレフトで、
左バッターの時はライトっていう形で変わっていって、
今の平野圭一さんってどこでしたっけ?
オリックスにいましたっけ?
今、そうですね。
平野圭一さんとそのレフトとライトを交代しながら。
結局守備機会なかったんやったかな?
なかったです。
藤川球児が投げてたんで最後の。
そうですよね。
これも今岡田さんが使い切ったらどうすんねんとか、
この前そんな話もありましたけど。
そうなんですよね。
これを使い切ってしまったっていう例でしたよね。
今これ使い切ったらもう大変なまた炎上。
もうやめて炎上でしたね。
炎上ですよこれ。
この時でもそこそこ炎上してましたからね。
してましたね。
まだSNSなかった時代でしたけど。
なんで西村守ってんねんみたいな。
しかもこの西村県、それまでにダイソーとかも出てたんですよ。
そうなんですよ。
その後みたいですね。
2011年、その次の年に檜山さんに代わってダイソー。
出てんですよね。
一番残ってる中で足が速かったみたいですけどね。
もうどんだけ使うんだって話。
そうなんですよ。守備もそうやし。
だいたいピッチャーがダイソーってなかなかないじゃないですか。
まあないですね。
だからお互い印象一緒で。
西村さんも黙々と投げるってイメージもありましたけど。
その2つのイメージがめっちゃありますね。
僕もそのイメージしかなくて。
当時真由美さんですよね、監督。
そうですそうです。
もう何ちゅうことやってくれんだって感じで。
真由美さんはその辺があんまり戦略的じゃなかったからね。
そうですよね。がっくりきた思い出があるんですね。
まあまあブラジルがぶち切ったっていうのも悪いんですけどね。
そうですね。
大将になって。
あれはもう想定外でしたからね。
そうですね。
でも結局西村さんは2008年に入ってから1年目からそこそこ活躍して。
そうなんですよね。
西村さんちょっと不運やったのは2012年に。
結局これもちょっと投げ過ぎやったんかもしれないですね。
投げ過ぎです、これも。
右肘をちょっと痛めて手術をするということで、
そこからやっぱり、これ止め以上にじゃない手術だと思うんですけど、
右肘手術、関節形成手術っていうのがあったんですね。
そこから結局復活というか、たまに休息が急に遅くなってしまって、
15:06
割とストレートが早い選手だったんですけど。
そうですよね。
そこからやっぱり。
結局そんなにプロの在籍は4、5年ぐらい。
結局そうなんですよね。
でも割と覚えてるよね。
2014年に戦力外になると。
そこでトライアウトを受けたけどダメやって、
そこから独立リーグとか行ったって感じですよね。
そうですよね。
石川とかやったかな。
最初に富山、サンダーバーズのピッチングコーチって書いてますね。
指導者としては富山ですけど。
富山ですね。
ごめんなさい、石川ミリオンスターズ2015年。
そうですよね。石川のイメージがあって。
僕なんでその辺なんとなく覚えてるかって言ったら、
2016年に独立リーグに行きながら、
もう一回トライアウト受けてるんですよ。
やってますね。
この2016年がちょうど僕は広島にちょっと住んでた時代、
仕事のところで住んでた時代で、
そのトライアウトが松田スタジアムでやったんですね。
その時に元阪神の田信っていうピッチャーと、
あと岩本っていうピッチャー。
山口県の。
南陽工業ですね。
そのピッチャーは結局オリックス受かったんですよ、そのトライアウトで。
で、あと西村県合衆が出てて。
岩本くんもそうやし、西村さんもそうやけど、
独立リーグのユニフォームのままで来たんですよ。
ジャルナーさんの石狩フェニックスでしたっけ。
今はああいうユニフォームになりましたけど、
スポンサーがめっちゃいっぱい張ってあるユニフォーム。
ユニフォームにスポンサー。
帽子から何から全部。
広告だらけですよね。
広告だらけのやつを初めて見て、
すごいなと思った記憶があって。
僕結構前の方の席、朝から並んで前の方の席座ってて。
今でも松田スタジアム2016年のYouTubeに僕の声入ってるんですよ。
西村に結構大声で呼びかけてるのが入ってます。
頑張れみたいな感じでやったんですけどね。
ちなみにその時はどんな格好で見てたんですか。
その時は普通。
普通なのかな。
18:00
普通でしたね。
いつも我々が見慣れてる。
イベントでも流れたとお聞きしてました。
流れました。
どんな感じですか。空気が変わりましたか。
最初誰って感じだったんですかね。
面影も何もないですから。
顔隠してましたから。
顔隠してますからね。髪の毛も全部隠してるから。
普通の格好してました。
残念ながらそれはダメで、そこから指導者になったりとかして。
今現在は今年から和歌山WAVEさんの監督をやってて。
監督ですよね。
このチームのGMが濱中治さんなんですよ。
はい。
そういうチームの監督を今年からやってると。
この選手は期待したんですけどね、最初。
そうですね。やっぱり怪我ですね。
怪我ですね。
でも結局そこで急速落ちたんやけど、
石川とかで頑張って。
松田のトラウトとかを切れるとき、結構早い球投げてましたよ。
ああ、はい。
年齢がそこそこいってたんで。
はい。
なかなか取ってもらう球団はなかったですけどね。
いやー、でもこれ見てるとですね、2010年プロ入り2年目で65試合当番だからかなり無茶したなっていう。
だから西村って言ったらめっちゃ投げてたイメージありますね。
はい。まゆみさんも無茶したなっていう。
でもあの頃なんでしょう。そんなに投げさせすぎやみたいな感じ。Xみたいなのがなかったからかな。
なかったからですね。
いや、めっちゃ投げてるなっていう印象は今でもあるんやけど、そんな感じにはならんかったですよね。
結局久保田がもっと投げてましたからね。
あれも久保田さんも壊れたけど。
壊れちゃいましたからね。
壊れたけど、もっと早く壊れてもおかしくないのに。
そうですね。
めちゃくちゃ頑丈でしたよね。
まあまあまあ、それか他に間違いが悪いか。
まあね。西村さんとか男前ですね。
多少そんなのあるかもしれないですね。
そうですね。
というところで、ねおたさん、いつもありがとうございます。
渡辺亮さんと西村健さんが、まずちょっとねおたらさんが喋ってほしいっていう。
ねおたらさんの期待に応えれたかどうかちょっと分からないですけど。
そうですね。
まあ僕らが思うところはそんな感じでしたね。
あとはもう中継ぎをちょっと言っていこうかなと思うんですけど。
どうしましょうかね、一人ずつ。
僕、ジャルダンさんみたいな感じで言っていきます。
21:00
そうですね。どれぐらい遡ります?
えっとね、まず僕は、僕が物心ついて一番最初に中継ぎっていうのが印象あるのが、
僕は生内豊さんなんですよ。
はいはいはいはい。私も実は考えてました。
生内豊さん。考えてました。
じゃあ生内豊さんちょっといきますね。
この方今72歳なんですよ。
で、調べてたら1970年ですね。もう今から50年以上前ですね。
のドラフト4位。
で、香川県出身なんですよ。香川県の首都商業出身で。
元々南海なんですよね。
はい。
南海、なんか補足あったら言ってくださいね。
南海で、で阪神の在籍は1976年。これトレードや。
トレードです。
えなつさんとトレードや。
印象深いトレードです。
えなつさんと3人。阪神。
で、南海は池内さんを含めて一番ヒットのあとは江本さん。
江本ですね。はい。
こっちが3対4ですね。だからね。
はい。
のトレード。で、池内さん自体は1976年のこのトレードから在籍は1984年。
はい。
で、そのあとも言うとそっから横浜に。徳島もまだ太陽やったかな。
太陽ですね。
太陽ホエールズ行ってから今もない阪急ブレイブス。
はい。
で、現役選手を終えるっていう形で。
ええ。
だったんですけど、この選手も1976年にいきなりトレードになってから
はい。
吉田よしおさん。
はい。
吉田さんが多分76年監督なんですけど。
はい、第一期の時。
ですよね。
はい。
吉田さんに見染められて。
ええ。
結構徴用されたっていう感じで。
南海時代はほぼほぼあまり一軍という実績は少なかったんですね。
みたいですね。
ええ。
投げ方がめっちゃ特徴あるんですよね。
ありましたね。
かくかくかくみたいな感じで。
ええ。
スリークォーターなんですよね。
子供の頃真似したりとかしてました。
ああ、そうそうそう。
この投げ方。
池内って真似してましたよね、だいたいね、子供がね。
はい。
やっと印象残ってんのが、ジャランさんこれはちょっと覚えてはるか分かんないんですけど、
僕はあの月刊タイガースとか選手名刊とか買ってた時に、
池内さん、あの運動用品メーカーだ、ミズノとかあるじゃないですか。
はい。
これで印象残ってるのはスポルディングっていうメーカーがあったんですけど、
そのスポルディングを使ってたのが池内さんなんですよ。
ああ。
24:00
で、スポルディングってアメリカのメーカーでバスケで有名なメーカーだったんですけど、
それが野球を売り始めて池内さんが使ってて、
当時はやっぱりミズノとかSSKとかZとか、今でもそうかもしれないけど、
そういうのが主流の中やったんで。
あと加計夫さんが使ってたミツワタイガーとか。
ええ。
あの辺、あとベンですね、前店が使ってた。
スポルディングっていうのはちょっと新しい印象がありましたね。
当時そうですよね。
1980年から2年連続でチームの最多セーブ。
はい。
1982年は73試合突破してますね。
もう先ほど西村県で60段試合って言ってましたけども。
平成73とかでしたからね。
当時また130試合の時代ですね。
130ですよね、たぶんね。
チーズ130試合で73試合。
73出てるってほとんど出てるやんみたいな。
いや、だから結局在籍人数少ないんですけど、
そんだけ当番してるから、それこそ毎日見る選手でしたよね。
そうですね。
これも結局勝ち試合とかじゃなくて、とりあえず出てくるみたいな感じですよね。
もう何でも出てくるっていう、谷間には先発までやってましたからね。
そんな感じでしたもんね。
それは潰れるはやけど潰れてなかったですね、この人ね。
潰れなかったですね。
強かったんでしょうね。
結局このことをね、1984年にトレードで横浜に行くんですけど、
それが長崎圭司さんですね、とトレードで。
長崎圭司さんってオールドガイドで喋ったかどうかわかんないですけど、
阪神が日本一になった時の日本シリーズでマンルー・ホームランやったっけ?
マンルー・ホームランを打ちましたよね。
打った選手ですよね。
あれで一躍フィーバーした選手でしたけど、
トレードされたと。
これだけ84年まで頑張ってきて、
85年の優勝の時には。
そうなんですよ。
出されたっていう感じですね。
出されてるっていう感じで、
入ってきた長崎選手が、
ラッキーですね。
日本シリーズでも活躍っていうので。
そういう過去を引っさげて今でも結構、
その肩書きでいろんなことをやられてますもんね。
長崎さんね、議員さんとかもやってたんですよね。
なんかやってましたね。
今はもう結構なおじいちゃんなんで、
今は野球塾とかやってますけどね。
その後も活躍されてましたね。
長崎選手も太陽時代は首位出しゃ取りましたもんね。
27:06
もっと最終試合まで競って競って。
なんでトレード出されたんでしょうね。
なんかあったんですかね。
なんででしょうね。
首位出しだったわ、そういや。
最後太陽、中西と太陽が試合かな。
太陽をもう全部敬遠するんですよね。
長崎に首位出しゃ取りたいって言って。
タオが最終出席で2回空振りする、敬遠の球を。
怒ってましたもんね。
怒ってましたね。
でも結局タオも結局阪神に最後。
阪神に来ましたね。
阪神に来ましたね。
最後阪神に来るシリーズのうちの一人ですから。
そうですね。
昔の有名選手が最後阪神で終えるみたいな。
そうですよね。
でしたね。
イケウスさんがちょっと僕一番最初怒られてるんですよね。
ジャルダさんなんかあります?次。
僕ね、最初に物心ついた時に印象が残ってるっていうのが
その池内さんの前なんですけども。
はい。
上田拓三さんっていう。
確かに。
覚えてます?
僕ね、たぶんギリそこ世代じゃないかも。
分かる人ほとんどいないからどうしようかなと思ったんですけど。
分かりますけど、ちょっと印象薄いですね、上田さん。
上田拓三さんってもともと南海からこの人も金銭トレードで
75年入ってきたんで。
これも吉田さん、吉さんの時に使われてるんですけども。
2シーズンしかいないんです。
だから覚えてないか。
75年、76年ってことですか?
76、77っていう感じですね。
小さすぎるな、自分自身が。
すぐまた南海に戻ったんですけど。
戻った。
昔そのシリーズもありましたよね。
また戻るみたいな。
戻るっていうのが。
半球出てまた半球戻るとかね。
そういうのありますね。
しかもそのあまり活躍したかっていうとあまり活躍したわけじゃないんですけど。
たまに出てくるんですよ、左ピッチャーで中継ぎで。
たまに抑えるんですよ。
でもテレビで見ててボールも力のないストレートを投げてくるんで。
よく打たれてる記憶。
でもこの選手はもともと高校時代、福岡の三池工業で甲子園で優勝してるんですよね。
優勝ピッチャーですか?
優勝ピッチャーでその時の監督が原光さんっていう。
原さんのお父さん。
30:01
原さんのお父さんが初めて優勝した時のエースで南海に入って。
唯一この選手も輝いたのが阪神に注目を浴びるんで。
この選手がたまに出てくるんですけど力のない球を投げるんで。
みんな心配になって見てるっていう。
なおかつ珍しいのがこの選手背番号3です。
ピッチャーですけど。
そしてこの選手が阪神を去った後の次の背番号3。
えなつゆたかです。えがわすぐる。
幻のね。
実際はつけてないですけど。
なるほどな。
なぜか印象に残ってる。
名村恵倉しか覚えてないな。
僕ね、これもちょっと前後するかもしれへんけど、覚えてるのが野村治さん。
あ、いました。
現在77歳。
野村さんは1968年のドライチ大王なんですよ。
駒沢大学から大王行って。
この人すごいんですけど、MPB史上初の12球団から勝利あげてるんですよ。
それが印象的ですよね。
顔が阪神顔を超えた顔でしたね。
なかなかのルックスの方でしたよね、この方ね。
一回見たら忘れへんみたいな。
おくみちさんのもまだ小さかったから、なんかおじさんって感じ。
僕ちょっとびっくりした。ちょっとゴリラみたいな感じの顔でしたもんね。
駒沢大学から大王行って。
大王からロッテ、日ハム、横浜、阪神って感じなんですよ。
阪神の在籍が1983年から86年という感じで。
パリーグ、セリーグを行ったり来たりしてるから、12球団から。
でも12球団から勝利投手をあげれるってなかなかないですよね。
なかなかないですよね。
当時交流戦なかったんで、4球団以上在籍しないとできないってことですからね。
多分これ、この人しかやってないんちゃうかな、この記録。
当時そうですよね。今は交流戦があるんで。
確かにね。
当時でやったらめっちゃ珍しいですよね。
珍しいですよね。
33:00
このピッチャー、開幕投手もやってましたね。
やってましたね。
阪神のコーチも2回やってるんですよ。
やってます。
コーチの時代だったっけ、甲子園の近くにアパート借りて、
阪神に来た時に、もう15年目のベテランやったんですけど、
甲子園の近くにアパート借りて、15年目のベテランやけど、
当時鳴浦大浜じゃなくて、古風荘、甲子園の真ん前にあったんで、
そこの古風荘で食事をされてたみたいですね。
若手に混じって夕食と朝飯とか食うとったみたいですけどね。
そんなのが出てきましたね、情報として。
あとね、僕はその後にめっちゃ印象残ってるのが、
横浜に戻ってるんですよ、この人。
そこからもベースサーズやったと思うんですけど、
内川選手をスカウトしてるんですよ、この人。
スカウトをやってるんですか?
スカウトなのか、僕めっちゃ覚えてるのが、
内川選手ってその頃、地元では有名だったと思うんですけど、
まだ中央球界で後にあんなに大勢する選手じゃなかった、高卒やったんで。
なんですけど、内川選手も顎が長くてちょっと特徴あるじゃないですか。
覚えてて、野村さん自体もすっごい特徴ある顔じゃないですか。
内川さんの高卒の1位で取って、その後挨拶に行ってるっていう。
家に挨拶行ってるのがテレビで映ってて、
その時に野村さんが家に行ってたんですよね。
だからフロントやったんかスカウトやったんかやと思うんですけど、
こんなこと今やってるんやって子供心に思った記憶ありますね。
あとコーチもいっぱいやってますよね。
やってるんですよ、この人。
まあでも結構こういう人はいいかもしれないですね。
12球団でいろんな球団を渡り歩いて。
ベテランになっても腐らずにアパート住んで若手と一緒に食事するなんて言ったら、
なかなか雑草魂もすごいし。
そうですね。いや、思い出しました。
12球団からすべて勝ち星あげたっていった試合のウィーニングボールをスタンドに投げちゃいそうになったっていう。
よく覚えてますね。
それなんかチームプレイみたいなんでやってましたよね。
やってましたね。
そうでしたそうでした。
野村さんはちょっと僕は覚えてますね。
36:01
あとジャルダーさんありますか。
僕はこれもうちょっと今度80年代超えちゃって90年代まで来ちゃうんですけども、
僕は今度、もうのぶさんの時代にちょっと近くなりますけども、伊藤篤。
ハンキューかな。
ハンキューかな。
アンダースローの。
アンダーというか、あ、そうですね。サイドアンダーみたいな。
青襟みたいな感じちゃうかな。
この選手もともと1984年のロサンゼルスオリンピックの野球の優勝メンバー、金メダルメンバーでかなり期待されて。
期待されて。
あまりさほど活躍できなくて、タイガース来たら中杉で。
そうですね。もともとはもう選抜バリバリでやってもらうっていうのでハンキュー入ってたけどダメにあって、中杉っていうポジションで割と輝いたっていう。
結構重宝されてたんちゃうかな。
そうですよね。
当時そんなに強くないから勝ち試合とかで投げてるってわけじゃないんやけど。
まあ勝ち試合あんまりなかったですからね。
いやだから本当に負け試合でも何でも投げてたっていうイメージがありますね、伊藤さんもね。
このアンダースロー、この当時だったら加西ミドルのサイドっぽい下からですよね。
ドラフト1位ですね。
そことなんか被るような感じもしますけど、中杉で。
懐かしいですね、伊藤さんね。今のは知ってるんですかね。
何してんの。
もう結構年ですよね、でもね。
そう、もう60越えてますからね。
なんか一時昔、おはよう朝日ですにも出てたよ。
出てた。
出てませんでした。
昔出てた。
出てた。
たまたま大阪に出張して、朝テレビ見てたら出てきて。
割と軽快に喋るんですよ。
オリンピックの時の金メダル見せてましたね。
ああそうそうそうそうそうそうそう。
その記憶ですね、僕。おはよう朝日ですの記憶がさらに載せられました。
そうですね。あとね、僕は、これまたちょっと戻るんですけどね。
池内さんの次ぐらいにちょっと印象深かったのが福間治虫さんなんですよ。
ああ、はいはい。これは、でもこの方は活躍しましたよね。
そうなんですよ。
85年の時に。
はい。78年に、この人はロッテのドライチなんですね。
はい。
松下電機から入ってきて、その81年に深澤選手、ロッテの深澤選手とトレード。
39:07
はい。
深澤さんは、それこそアンダースローやったかな。
アンダースローですね。
はい。で、後にこのトレード両方とも成功したって言われてて。
はい。
で、両方ともそのお互いのチームではちょっと低迷してたんですよね。
ええ。
はい。で、福間さんめっちゃ活躍したんですよね。
そうですね。
で、当時1984年が、この人もめっちゃ投げてて。
はい。
84年がシーズン77試合で、シリーグ記録やったんですね、この時のね。
はいはいはい。
うん。で、僕ちょっとそれは知らんかったんですけど、調べてたら78試合っていうの、79試合やったかな。
78試合か79試合がプロ野球新記録かなんかで。
はい。
それ稲穂さんかなんかが、稲穂和夫さんかなんかが新記録やったみたいなんですね。
はい。
で、今やったら逆にそんな発想はないんけど、そのプロ野球記録を狙えみたいな感じになったんですけど、
なんかそれが短眼書かなんかで、それはやめろみたいな感じが入って、
で、77で止まったっていうふうになんか調べたらなってましたね。
まあ中突きであんまり試合数稼ぐのはどんなもんかっていう。
そうそうそうそう。どんなもんかっていうので、ちょっと物言いかもしたみたいで。
はい。
はい。で、それこそ1985年に優勝にも貢献したチャーナーなんで。
そうですよね。
めっちゃ活躍したと思います。
だからイキウチさんもそうやけど、半身の中突きって呼んでパッと出てくるのは、
イキウチさんは特徴あったし、福間さんもずっと投げてるってイメージがあったんで。
はい。
この方はまた肩がすぐできるんですよ確か。
はいはいはい。
なんかもう数球投げたら肩出来上がるとかで、すごいまた重宝されてたみたいで。
で、福間さんはね、多分大阪州庁とか行った時に覚えてはるか分かんないですけど、
その現役に対してからこの人、話めっちゃ上手いんですよ。
すごい軽快に喋るおっちゃんで。
現役時代からもう芸達者で結構。
そうなんですよ。で、ダジャレとか含みながら喋るタイプで。
結構面白いんですよね。
よく喋るおっちゃんなんですよ。
で、そのキャラでもすぐに毎日放送のMBSのラジオの集計の解説とか、
ラジオ結構出てましたね。ラジオの番組とかも出て。
結構それで活躍されてたんですけど、結局その後阪神のコーチにもなってて、
42:03
で、この人、その現役の後にも貢献してくれてるのが、
1998年に伊河選手、伊河圭さんにチェンジアップを教えてるんですよ。
で、そこから伊河くんが放送していたっていうのがあって、
それを教えたのが福間さんと言われてるんですよね。
で、2001年には二軍の投資コーチにもう一回戻ってきて、
それこそ岡田昭信さんのもとで監督を支えたって言われてますね。
岡田さんが二軍の監督やったのかな。
二軍の監督やってましたね。
岡田さんを支えたって言われてますね。
福間さんも結構覚えてますね。
いや、こうやって当番数が多いと見る機会が多いからやっぱり印象に残ってるんですよ。
中杉って多いです。印象残りますよね、意外と。
逆に何かあまり出ないんだけども、ほぼほぼ活躍しない中杉っていうのもいるんですよ。
僕もまた時代が遡っちゃって申し訳ないんですけども、
もう70年代になっちゃうんですけども、
これ、宮田則一党首っていう。
分かりますよ。
分かります?
名前しか分からないですよ、それもう。
もう多分、今の若い人たちはそれすら分からないと思います。
宮田さんって阪神だけでしたっけ?
その後阪急に移って。
そうですよね。
当時ドラフト3位高で社会人から入って、
名前が時点の点に計算の計って書いて、
乗数って読むらしいんですけど、全然読めずにっていう思いがあって、
思い出があって、ドラフト3位で結構期待されてたんですけど、
なかなか当番機会がなくて、一軍に上がってくる機会もなくて、
ある時印象に残っているのは一度ジャイアツ戦で、
もうワンポイントなんですけども、
マンルイダカーのピンチで相手が中畑、絶体絶命のところで、
全部カーブを投げて、三振で切って取ったっていうのはね、
もうその一試合だけです。
裏書いたのかな。
でもあれですよね、阪神の選手であったら、
やっぱりジャイアツ戦で活躍とかすると、やっぱ覚えてますよね。
覚えてますね。記憶に残りやすいですよね。
中継からちょっと外れますけど、このね、ジャルダンさんと一緒にいて、
45:03
焼き鳥屋のマスヤマ製曲さんと、そんなに活躍はされてないですけど、
ジャイアツ戦で何回か勝ってるとかいうのがあって、覚えてますよね。
特に我々地方にいる人間にとっては、ジャイアツ戦しかテレビに見れない。
まず映らないからね。
映らないですからね。
そうですよね。今やったらね、いろんなんで見れますけどね。
ここにあとね、進めていくと、もう当番すごいからよく覚えてるというのでいくと、
これもちょっと古くなるんですけど、久保康雄さん。
はい、ピッチングコーチもやってました。
ピッチングコーチもやった。この方が今66歳で、
この方は1976年のドライツの金鉄なんですよ。
もともと金鉄で結構活躍したんですよ。
76年からもう入ってて、金鉄で速球派のピッチャーやったんですけど、
86年にこの人も右肘の手術をして、急速がちょっと落ちて、
ちょっと当番数が減ってきたっていう感じの中で、
1988年に覚えてますか、中谷忠美さん。
ガイア州。
覚えてます。
今大阪の本町で、僕もたまに行ってたもつ鍋屋さんやってるんですけど、
トレードで阪神に来たっていう感じなんですけど。
阪神でもそうですね、中継ぎのイメージですよね。
出てましたよね。
出てましたね。
90年にもうこの人もいきなり50試合とか投げてましたから。
やってましたね。
久保さんはもう本当に、僕当時高校生ぐらいかな、
安心不安の先生がめっちゃ怒ってたのを覚えてて、
久保投げすぎやねみたいなのを授業中、授業中やなって言ってたっていうのを覚えてますね。
また久保か昨日みたいな感じの。
勝ち試合でも負け試合でも投げるからっていう感じで。
でも逆に言ったらどんなとこでも投げてくれるから、
重宝されてる選手でしたね。
この久保さんはコーチ、キッチンコーチも出て。
ここで一番才能を発揮してるんですよね。
結構いいコーチだとは思う。
巨人にも行きましたよね。
行きましたよ。
巨人のコーチもやってましたね。
それをちょっと紐解いていくと、
2007年と2009年にチーフ投資コーチやってるんですよ。
まず一番最初の仕事が農民さんをエースで覚醒させたんですよ。
48:01
その後メッセンジャー。
メッセンジャーって日本に来た時って中継とかやってたじゃないですか。
中継でしたね最初。
結果が出てなかったんですけど、
これを先発に変えたんですよ。
久保さんの提案で。
そこからメッセンジャーが良くなっていくっていう感じの、
まず一番最初目に見える仕事をやって、
次2013年にまた戻ってきて、
この時は今コーチやってる福原忍さんとか、
安藤裕也、安藤コーチですよね今の。
あとこれ懐かしくないですか、高宮和也さん。
後に太陽から来て活躍する桑原健太郎君とか。
この辺のベテナンのリリーフを改造したって言われてるんですよね。
みんな復活してますね。
そう復活したんですよ。
これちょっと調べてて、そうなんやと思ったのが、
その後ソフトバンクのコーチングをやってるんですよ、2018年。
ちょっと今だけになりましたけど、
伸び悩んでた高橋潤平を復活させたっていうのと、
あとこれ今に至ってるんですけど、
当時育成で入団した大竹孝太郎党首。
この人も育成で入団して、
体が開くんかな。
開いて投げるっていうのを、
それを閉じて投げろみたいな感じの方が普通指導やけど、
逆の発想で久保さんは、
体を思いっきり開いて投げると。
体を突っ込んで投げろっていう感じで投げさせたらしいんですよ。
逆の発想をやると、逆に開かなくなるらしくて。
それで逆に自分の欠点を大竹君が気づいて、
今の投げ方になってて、
大竹君は今でも久保さんにめっちゃ感謝してるっていうエピソードがあるみたいですね。
これ今に至ってるみたいですよ。
めちゃくちゃ良いコーチじゃないですかね。
実はホマモド的同心ですけど、その後まだあって、
2022年はジャイアンツ入って、
これ菅野の復活、アシストしてるんですよ。
今もそれ続いてるじゃないですか。
横川君、今ちょっと低迷してますけど、
一回覚醒させてるんですよね。
いやいや、今またタイガースに戻ってきたら、
秋山あたり復活するんじゃないですかね。
岡田さんとかやったらちょうど良かったんちゃうかなと思ってて。
51:04
岡田さんの時にもやってますもんね。
そうなんですよ。仲悪かったかもしれないですけど。
そうかもしれないですけど。
66歳やから1分くらいかな。
そうですね。このコーチ時代の久保さんは、
確かにこうやっていっぱい実績あるんですけども、
ピンチの時にベンチからマウントにまで来てたじゃないですか。
その時もちょっとピンチなんで暗い顔になってて。
周りがだんだん久保さんの批判する声も確かにあったかなっていう印象がましたね。
でもこんだけやってるのにっていう。
タイガースだからしょうがないですかね。
あと僕はもうこれ完全に裏話になるんですけど、
僕は働き始めてすぐに、営業というか販売仕事をやったんですけど、
その時に久保さんの奥さんが上空顧客でお客さんやって、
すごい美人な奥さんで、すごい気立てがいいというか、
すごいいい人でしたね。
お客さんもいろいろ紹介してくれて、明るい人で。
結局久保さんとは一回も会ったことなんですけど、奥さんとはしょっちゅう会ってて、
仕事で付き合いがあった方で。
そういうのもあって、ちょっと親近感もあるっていうのはありますね。
久保さんは、僕はもともと高校の時、甲子園にこの人、柳川将軍が出てて、
すごい注目の選手だった印象がありますね、この人は。
やっぱ柳川さんすごいな。
これさすがに、久保さんも原因だけどしか知らんわ。
そうですか。この年って、その後薬力に行った坂井啓一ってサッシーって呼ばれて。
それわかりますよ。
大注目だったんですよね。それに次ぐぐらいの注目度だったって感じですね。
そうなんですね。金鉄ドライチですもんね。
ドライチでしたね。
実際活躍してましたしね、金鉄。
久保さんは僕ちょっと印象残ってますね、また次で。
やっぱ投げてましたね、この人。
そうなんですよ。この辺投げてたんでめっちゃ覚えてます。
久保さんが阪神にいたのが、だいたい年代的にも80年、90年。
まああれですよね、暗黒ですよね。
まさに暗黒時代です、これは。
だから余計覚えてたりしますね、暗黒の時にずっと投げてるピッチャーという感じで。
54:03
まあ現時代はそういう目ではあんまり引きの目にはなかったような気もするんですけど。
あ、そうですね。
投げてはいるけどね。
でもそういう経験がコーチでまた開花したのかもしれないですね。
あ、意外とそういう選手がコーチで活躍したりしますね。
そうですね。
中杉の選手、投手ってコーチで行く選手も多かったりしますからね、残る選手も。
ですね。
あとこれ、ちゃんまつさんが喋ったほうがいいですかね。
僕もね、同じですよね。
まあ簡単に話しておきます。
はい。
古水勝幸さん。
勝幸さん。
ニックネームはトラさんですね。
トラさん、はい。
ちょっと顔、ほっぺがふっくらされてるんですかね。
そうですね。福島の出身じゃなかったかな。
そうですそうです。
60歳で、今。
1984年のドラフト2位で、懐かしいですね、先輩校舎東北ですよ。
今のJTです。
JTですね。
タバコ産業。
はい。
そこから阪急ブレイブスですね。
で、阪急はね、この時ね、ドラ1が小川博史さんなんですよ。
小川博史さんを外して、その後に取ったのが古水さんですね。
この小川博史さんっていうのが、昔活躍してドラフトで注目されたんですけど、
今ちょっと人を殺してしまって、殺人でちょっと捕まって、今は刑務所入ってるんちゃうかな。
まだ入ってると思いますよ。
そういうちょっと黒歴史があるピッチャーになっちゃったんですけどね。
ロッテでしたかね。
ロッテですね。
それは古水さんに関係ないんですけど。
関係ないですね。
この人は1993年に、これも懐かしいですね、渡辺信彦さんとトレードなんですよね。
この渡辺信彦も渡辺亮じゃないですけど、よく投げてますからね。
そうなんですよ。よく似てるんですよね。
似てますね。タイプは似てますね。
えーと、阪急が武器のピッチャーで。
でも、この人って、1994年に、あ、そっか、タムジーのタムラツトムの代理やったんですよね。
そこでちょっと活躍したんですよね。
タムラツトムがだんだんちょっと故障なんかで出れなくなってきて。
で、なんか次。タム結構早いんですよね。
57:01
早いです。もともと高校時代から即急派でならしてましたね。
95年の中、オールスター出てますからね。
出てますね。
これなんで出たのかな。結構活躍したからですかね。
もしかしたらこの当時、暗黒時代のどん底だったと思うんですけども、他に選手いなかったかもしれないですね。
ですね。
でもその後結局インターしてから見てたら、函館大学とか。
はい。北海道に来てるんですよ。
みたいですね。函館ユート高校とか。
監督やったりとか。
監督とかやってたみたいですね。
今はカンメディって言って関西メディカルベースボールか。
うちの実家の近所にあるんですけど。
結構ここはプレ野球、プレ野球選手なかなか出てないんですけど野球の学校みたいな感じなんですけど。
一応佐藤嘉紀さんとか高城浩二とか。登録してる浩二が結構豪華なんですよ。
で意外なところでは奥波京さんとかもいるんですよね。
いいんですかね。
そうそうそうそう。
いろいろ、さっきの小川博史さんもありましたけども、結構プロ野球の黒歴史記っていうのもありますよね。
そうですね。これも喋り出したらまた止まらなくなっちゃうパターンですけどね。
過去の大歩歴っていう。
そうそうそうそう。いっぱいいますねそれも。
フルミゾさんはちょっとまた機会があったらこれぐらいにしといて。
あと何か印象あります?
ちゃんまつさんが喋りたがそうやったんですね。
ここの方が噂ではオリックスの土井翔三監督と学習があるっていう。
土井さんね。
この人はいろんな選手とあんまりうまくいってなかったみたいなんで。
フルミゾさんだけじゃないとは思うんですけど。
土井翔三さんって巨人にいた?
巨人にいた。
オリックスの監督やってた?
監督やって。
神戸の時代の?
そうですね。育英高校出身。
僕はフルミゾさんは高校時代の印象もまた。
高校どこでしたっけこの人。
福島商業で、当時東北で高校で注目されてたのが秋田系で。
注目されてたのが秋田経済付属の松本豊っていうピッチャーいて。
この松本とフルミゾさんがよく当たって対決して投資戦繰り広げて負けるっていうパターンが多かったんですよ。
1:00:06
さすがに覚えてないな。
その入る前から覚えてたってことね。
結構注目されてたんで。
福島か。そこから先輩校舎東北に入ったんですね。
そうですね。
高校の時から結構球が速い感じの。
速球派ですね。
これまたちゃんまつさんにもしゃべってもらおうかなと。
そうですね。ちゃんまつさんに。
ジャルの方あります?誰か。
あとこうなると今度2000年代にちょっとかかっちゃうかなっていうのもあるんですけどね。
2000年代。でも僕も次言おうと思ってたら2000年代ですね。
僕思ってたのが谷中慎二。
谷中さんって西部やったっけな。
西部から阪神に行ったんですよ。
そうですよね。
手番号1で。
1番でしたね。
そこが印象残ってるっていう。
すぐに出ませんでしたっけ。
トレードですよね。
トレードです。
懐かしいな。
だいたいその手番号1とかって今珍しいですもんね。
珍しいですね。今スコアラーやってますよね。
そうですね。
あとね僕がちょっと、さっきもちょっと出てきたんですけど、僕桑原健太郎さんなんですよね。
今38歳で。
この人は2007年にドラフト参院でベイスターズ行ってそこからオリックス。
2015年から阪神。
この阪神も元阪神のドライバーでしらにたさんとトレードという感じで。
スライダーがすごいんですよねこの人ね。
そうですね。
この先週の時って金本監督出てきたのはそれぐらいの時でしたっけ。
そうですね。
なぜかというと2017年ドリスに繋ぐセットアッパーやったんですよ。
マテオと一緒に。
ベイスターズとオリックスの時はあまり試合出てなかったんですけど、阪神に行ってからもう覚醒して。
当時一番最初給料が800万から3700万円上がったんですよ。
今だったらそんなのあるかもしれないんですけど、昇給率が463%ということで。
球団の中では新記録。日本人の中では新記録。昇給率が歴代新記録とかってなってたみたいですけどね。
1:03:05
引退してから野球の仕事やるのかなと思ったらスポーツ用品店で働いてたんですけど、
今年からタイガースアカデミーのコーチになってて、タイガースの一応フロントに入ってきたという感じですね。
これだったらまた上本さんのところと同じで阪神のコーチになったりとかっていう道もあるんで、
また後輩の面倒を見てもらえるタイプになるかもしれないですね。
あと一人ちょっと言うとすると、印象残っているのは1年しか印象ないと思うんですけど、
小林博之、小場博。
土木も抜かれましたよね。小場博はロッテですよね。
ロッテ。
ロッテですごかったじゃないですか。
すごかったです。
ほんまに活躍しませんでしたよね。
全然ストライカーも入らないし。
これほんまに去年までやってたのかっていうぐらいのあれでしたよね。
もう投げてはファーボール出すか、冒頭するか、打たれるかで。
懐かしいなぁ。
先週の時ってFAで来て、高浜のお兄ちゃん取られてたんですよね。
そうそう。高浜のお兄ちゃんがちょうどオープン戦で打ちまくって。
めちゃくちゃ打ってそこで。
あれ多分、あのまま取られんかったらレギュラー取ってたんちゃうかなっていう。
その勢いですよね。
でしたよね。
あそこでちょっと多球団に行ってしまったんで。
高浜のお兄ちゃんは横浜高校でドライチで来てますからね。
そうですよね。
よかったんですけどね。
あの時めっちゃ悔しかったですよね。
はいはいはい。
あの時プロテクトとかあったかちょっとあんま覚えてないんやけど。
そうでしたね。
高浜がオープン戦であんなに活躍するとは思わなかったのかもしれないですね。
ですよね。
あとは駒広が活躍してたらもうちょっと勝ってましたね。
勝ってましたね。
っていう感じでしたよね。
まだ藤川球児もいたし。
そうそうそうそう。
あそこはちょっと計算外やったなと思って。
でしたね。
いやまあ安心らしいと言えば安心。
安心らしかったですね。
安心です。まさにこれが安心です。
もう計算狂いまくりみたいなね。
はい。
そしたら僕最後思い出しましたわ。
美子柴すずむさんです。
はい。
現在60歳でこの人長野県の松本工業高校の人の現役時代は知ってますか。
1:06:01
僕は知ってます。
現役時代の高校。知ってるんですかね。やっぱすごい。
小林茂二世と言われて。
そうなんですね。小林茂さんに憧れてたみたいですね。
それでサイドスローになったって聞いてますね。
当時もう晩年の小林さんがもう自分個人的に引退を決めてたっていう時代に
美子柴すずむさんに月一切りで指導してたっていう。
あそうですか。
でも美子柴さんはねちょっとあの元気性あんまりちょっと運もなくて
1984年にフリーバッティングの打球が頭に直撃したんですね。
入院してこの年ちょっとほとんど出れなかったりとかいうと
翌年から血行障害。
ありましたね。
こういうなんか不足の怪我とそういうもともとのちょっと持病というか
体の不具合でちょっとなかなかあまり活躍できずに終わってしまったっていうのがあって
美子柴さんも結構男前でしたもんね。
男前でしたね。
今は2021年から広島担当のスコアラー。
多分今日なんかでもベンチにいたらいいと思うんですけど。
たまにベンチでいますよね。
いますよね。だいぶ真っ白になってしまって。
おじさんになっちゃった。
でもそれでもまだ男前ですよね。
元がね。
60歳とかにしても。
まあ今もそういう形でちょっと裏で支えてくれてるっていう感じですね。
もう最後はちょっと詳しくは調べてないんですけど
あとバーッと思い出すとしたら
弓長投手とか。
あ、そうですそうです。これは大事です。
弓長達弘さんでしたかね。
はい。
あんまり長いことは活躍してないんですよね。弓長さんもね。
左手でよく調歩されてましたよね。
そうなんですよ。
熊谷組でしたっけ。
はい。
弓長さんとあとこの人もあんまり活躍できんかったんですけど
性能多いの中野瀬さんとかね。
あ、中野瀬いましたね。
一文ではあんまり活躍できてなかったと思うんですけど。
できてないですね。
多分この辺りとキャッチャーの梓畑君とか一緒ちゃいましたっけ。
どうですかね。
同じぐらいでやってるのかもしれないですね。
同じぐらいですよね。
この前ちょっと話するんですけど
坂枝保守っているじゃないですか。
はい。
なかなか出てこれないじゃないですか。
出てこないですね。
梓畑選手も結構生きながかったけどほとんど一文いなかったでしょ。
1:09:02
いなかったですね。
坂枝君がそれにちょっとリンクしちゃうんですよね今。
梓畑は肩がいいっていうだけです。
肩めっちゃいいんですよ。
でも全然打てないっていうので。
そうそうそう。
どっちかというと坂枝君も肩良くなかったでしょ。
はい。
肩良くて、今ちょっと打てるのかどうか分からないけど
もともとバッティングあんまり良くないっていう上書きですよね。
なんか似てるなと思いながら。
一文あんまり出てこないっていうのがちょっとありますね。
ほとんど出てこない選手といえば
中継かどうかも分からないぐらいあんまり一文で投げてるんですけど
ピッチャーで井上隆夫っていうピッチャーがいる。
桜高校。
桜高校の。
彼は弟さんが僕同じ職場でいたことがあって。
そうですか。
一時東京で。
僕それこそあれですよ。
井上隆夫さんの本人の方が繋がりありますよ。
今普通にサラリーマンやってますよ、大阪で。
大阪にいるんですね、じゃあ。
そうなんですよ。
飲みに行ったこといっぱい言うほうがいいか。
まず付き合いありますよ、井上さんと。
昔の意識さえってアイドルの意識さえに似てたんで意識さえって言われてましたね。
言われてましたね。
桜高校で長島監督と同じ高校出身で。
同じ高校で彼もすごい期待されてたんですけど。
そうなんですよ、巨人戦で投げてましたよね。
井上くんは今でいうそこまで活躍できんかったけど再起投手みたいな感じでしたね。
体制はできなかったけど。
あとは佐々木原投手とか。
そうですね。
あら、これ結構キリがないですね。
キリないと思います。
結構喋りましたね、これ。
喋りましたね。
というところで阪神もなかなかこれからまたどんどんそういう20年20年経ったらまたこれ、
FRくんとかが昔の中杉とか喋ってるかもしれないですけどね。
言ってますね。島本がとかって言ってるかもしれないですね。
そんな古い人って。
知らないって若い人に言われたんですよ。
それこそ僕らぐらいの年になったらトモローくんとかはプチキレてるかもしれないですね。
そうですね。
キリ式がとか言って。
覚えてるかキリ式とか言ってるかもしれないですね。
面倒くせえなって言われるかもしれないですよ、若い人たちに。
ですね。
僕ね、でもね、今度はまた話し出したらキリがないですけど、
オールド界ってキリがないなと思ってるのが、
僕ちょっと思ってたのが、これもやったら面白いんちゃうかなと思ったのが、
1:12:03
オールド界ってキリがないなと思ってるのが、
こういう感じで思い出したパターンで、
この選手によく打たれたよなとか、
このピッチャーによく抑えられたよなとかって、
別に名選手じゃなくても阪神にやたら強いとかあったじゃないですか。
ありますね、ありますあります。もう言いたいぐらい。
あれも面白そうじゃないですよね。
はいはいはい。
あれも面白そうじゃないですよね。
はいはいはい。
あれもめっちゃいいたいんですけど、また後で撮ってみますわ。
それで言うとですね、僕もテーマとして、
何かあります?
思い出の乱闘シーンとかっていうのが、
あーありますね。
いっぱいあるかなっていうのを、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
なんか、
なんかはこと?
イメージ以上だね、
なんかはこた cellular逃走かなっていうのは。
干なこと?
今はないです。
今はないです。
今は無くなりましたけどね。
まあむしろ、
もしろ、
本当は乱闘を話しちゃうとパリいうのの方が面白かった人が
そうですね。
そうですね。
怠い手がたりしますからね。
怠い手がたりしますからね。
いやいや。
アレも強いですね。
ヤバいです。
はい。
κιホワラとヒラ沼とかね。
黒マティさんとかあれですね、車椅子乗ってましたね。
この前大きい線で車椅子でしたね。
なんかちょっと体もあれなのかなと思って。
まだ若いですよね、でも。
まだ若いはずですよ。60代じゃないですか、まだ。
えなつさんもちょっとと老けちゃいましたね。
えなつさんはもうだいぶちょっと弱っちゃってますね。
この前もなんかYouTubeが誰かので、
高橋よしこさん、誰かの出てた時に酸素つけてましたから、
あれば良くないんかなと思いましたね。
そうそう、こうやってテーマが結構あるので。
またこれちょくちょく定期的にやるので、
ねおたるさんもいつもありがとうございます。
他の方も何かこんなん言って欲しいとかね。
こんな選手についてちょっと語って欲しいとかあったら。
ぜひどしどしお便りいただければ。
もう全然簡単な一文でもいいんでね。
どしどしお便りいただければ。
今日の思い出の中継ぎまた送ってくれてもいいですしね。
あ、そうですね。
思うところがあればね。
はい、そうですね。
はい。
私はこれちょっと言わなかったけどこれですとか。
これとか、こういう選手の。
そうそう、この話にちょっと私もちょっとそうでしたわとかね、なんでも。
はい。
というところですかね。
そうですね、はい。
じゃ、るなさんありがとうございます。
これまた、また結構なんか大体的にこれでいきましょうか言うたらめっちゃなんか話止まりませんでしたね。
結局そう、何話そうかぐらいの最初。
そんな感じでしたもんね。
感じた感じですけど。
全然普通に1時間以上喋ってないのでみたいな感じでしたね。
1:15:01
もう軽く終わろうかぐらいの話、感じで言ったんですけどね。
そうでしたね。
じゃあ、ちゃんまさんもちょっとね、急遽欠席。
そうですね、はい。
次回はぜひ、ちゃんまさんと3人でやりますんで。
そうですね、また3人でやりたいと思いますので。
じゃ、るなさんありがとうございました。
ありがとうございました。
じゃ、またよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
また、みなさんお便りもお待ちしてます。
お待ちしてます。
ありがとうございました。