1. まなびのはなし
  2. #036 - 完璧主義
2023-11-18 32:08

#036 - 完璧主義

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大人になっていく過程で意識するようになった、自分達の中にある「完璧主義」な部分。どんな学びを得てきたか、今はどう向き合っているか、などを、tomo/emi過去の体験談を絡めながら話しています。また、学びを届ける・コーチングを実施する、という文脈における話にも触れました。

  • 3種の完璧主義
  • Brene Brownの「healthy thriving」という概念
  • 自分たちと完璧主義
  • 過去の思い出、反省話
  • 他者をみて気付くこと、他者に指摘されて気付くこと
  • 盲信的に100点にいけばよい、と思いながら走っていた時
  • 永遠に改善・ブラッシュアップしながら走っていた時
  • 神は細部に宿る、という呪いの言葉
  • anxiety, depression, 自己肯定感の低下との関係性

エピソードで触れたもの、関連情報

関連エピソード

「#まなびのはなし」について

大人の学びをサポートしている二人が、それぞれ見つけた・考えた、ことを、話したいから話しています。話している二人は「英語教育」「コミュニケーション学」「言語コーチング」に専門性をもつemi (⁠⁠ウェブサイト⁠⁠)と「インストラクショナルデザイン」「リーダーシップ」「キャリア・ライフコーチング」に専門性をもつtomoko (⁠⁠ウェブサイト⁠⁠)。毎週1回配信しています。自己紹介エピソードはこちら:⁠⁠#001 - 自己紹介⁠。文字起こしは⁠LISTENサイト上⁠で見ることができます。

サマリー

完璧主義について話し合って、それぞれの完璧主義の定義について考えています。完璧主義に関する考察や影響について話し合われています。完璧主義に関するエピソードで、完璧を求めることは非常に難しいということが話されています。他の人からのフィードバックや興味を通じて学ぶことが助けになるとも言われています。また、完璧主義を追求する一方で、自分らしくデコボコな面も大切であることや、自分自身をいたわることも忘れないようにとも言われています。

00:10
このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人のまなびをサポートしている2人が、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日もよろしくお願いします。
お願いします。
今日はですね、完璧主義について話したいかなと思っています。
そもそもですね、いつも私、えみさんにいろいろ質問すると、
あ、えみさんそうなんですねって思うことが結構あるので、今回もその前提をちょっと確認してみたいなと思うんですけど、
えみさんはご自身って完璧主義者だと思いますか?
私はリカバリングだと思います。英語でいうところの。
リカバリング。
リカバリングパーフェクショニスト。
なるほど。
モンドって言うほど足を洗えてなくて、でも脱しつつある途中かなっていう風に自分では思っています。
なるほど、なるほど。
どこさんはどうですか?
私はですね、同じように昔を振り返ると完璧主義だったモードがもっと高い時とかあったなと思うんですけど、
脱に向かってるというよりは受容済みみたいな感じですかね。受け入れている。
あ、もう私完璧主義ですっていうことですか?
完璧主義の部分が私の中にありますっていう共生ですかね。
共に生きる、そういう部分の自分とという状態になっている感じです。
自分の完璧主義的ところを抱きしめながら生きていく。
そうそう、たまに暴れるんですけどこの子みたいな。
なので、受け入れ済み完璧主義者。
じゃあ手放す予定はない感じですかね。
ない。
まあ、ないというか、それができることがあまりイメージがつかないから調整しているって感じです。
だとすると、ちょっと完璧主義の定義みたいなものが私とトモコさんで違う可能性がありそうかなって気がしますね。
定義なんて考えない。
いや、わかんないけど、私もだから手放そうとしているのだろうし、なるべく私は手放したいんですよ。
なるほどね。
うちの子では言いさせられない。
言葉を持ってないな。
なるほど、それは面白いですね。
なんか認めざるを得ないっていうところは似たような感覚なのかなとは思うんですけど、積極的に手放そうと私はしてますね。
ただそれに至ってないっていう。
うんうん。
だけど、至りたいってことですよね。
至りたいですね。
なるほど、面白いですね。
完璧主義の定義とタイプ
完璧主義の定義みたいな話で一つだけ自分が知っているインプットとしては、3つのタイプの完璧主義があるんですよっていうのを知ったんですね、今回。
要は何に対して完璧主義を持っているのかで、これは分類されている見方なんですけど、一つは自分に対して厳しい。
自分が完璧でなければっていうセルフオリエンテッドっていう風にカテゴリーされているものが一つと、もう一つは他者に完璧を求める、アザーオリエンテッドっていうのと、
あとは、その2つと別のカテゴリーであるんだってちょっと思ったのが、このソーシャリープリスクライブドって社会的に課せられた。
要は、社会にこうやって求めているから、自分がその社会の基準に対して完璧でなければいけない。
自分が高い水準を求めているわけでもなく、相手に対して求めているわけでもなく、誰かが求めている高い水準に自分が満たさなければっていうのがあるんです、みたいなことを知ったんですね。
いや、でもこれを見せていただいて面白いなと思うのは、最初のセルフオリエンテッドが完璧主義の一つのタイプに含まれているっていうのは面白いなと思いました。
え、それがどういう意味ですか?それが面白いって思ったことが面白いんですけど。
そうなの?完璧主義ってもうなんか一般的に良くないことって思われていますよね。
それがですね、言い方にもよるのかもしれないですけど。
私の大好きなポドキャストの一つで、アダム・グラントかな、が心理学者との対話の中で言っていたのは、
いや、自分完璧主義者だからさ、みたいな感じで、ちょっとやゆしつつもそれが自分の誇りみたいな感じで、
自己表現をする人も結構ハイアチーバーにいるよね、みたいなトーンで言ってたんですよ。
なので、私も最初、完璧主義ってすごくネガティブなものも多いイメージを持ったんですけど、
人によっては、あなたの弱点は何ですか?いやいや、完璧主義なとこなんですよ、みたいな感じで。
弱点言ってるのかい、本当に、みたいな感じで、完璧主義を使う人も一部社会には全然いるんじゃないかなというのは今回思ったんですよね。
だから、ポジティブな面があるとすると、この3つの中の自分への厳しさみたいな部分がポジティブなところなのかな、
っていう風に感じたんですよね。で、私が思う完璧主義っていうのは、
もとはといえば、ブレネ・ブラウンが言っていたことなんですけど、
彼女は完璧主義っていうのは、20トンのシールドって呼んでいて、ものすごく大きな身を守るためのシールド。
つまりそれは何をやってるかっていうと、自分の不完全なところを見せないようにしようとか、
恥をかかないようにしようとか、そういう防御でしかないんだよっていう言い方をしていたので、
これは手放すほうが良いな、早く出てって欲しいっていうところにつながっていて。
で、そのブレネ・ブラウンの言い方で言うと、自分の厳しさっていうのは完璧主義とは別のもので、
ヘルシーストライビング、健全な頑張り、自分がやりたいからやるんだとか、ここまでやると決めた以上はやるんだみたいな、
そういうことは完璧主義とは別のもの。
完璧主義はもっと他の人の目を気にしているとか、見栄えが大事とか、なんかそういうふうに分けていたので、
そこに私の完璧主義のイメージ、定義があるんだと思いますね。
完璧主義のポジティブな面
私は多分、今の話を聞いたから言ってるわけではないんですけど、一番目のセルフオリエンテッドの方が高くて、
こだわりが強いんですよね、こういうふうにやりたい。
誰かに言われたからというよりは、自分がこうやるほうが満足度が高いからやるんですけど、
ただそのセルフオリエンテッドを気をつけないと他者への期待値ににじみ出るのと、
気をつけないとそれが心地いいから、このソーシャリープレスクライム、他者からのフィードバックに酔いしれてしまって、
それに対して意識が向くように気づいたらなってしまう。
そうなんですよ。
その場合はその中心にセルフがあるんだけど、あざとソーシャリーににじみ出るっていう時が、
ちょっと悪いことしちゃってて、みたいな。
いいところもあるんだけどね。
そう、いいところもあるんだけど、たまに暴れたみたいなことがあるんだけど、
それが全くいなくなるとまた自分でもないかな、みたいな気がしているんですよね。
そうなんですよね。
同じ戦場にあるというか、あるところまでは自分がやりたいからやっているはずなんだけれど、
いつの間にかやっぱり他者とか社会とかが入ってきているっていうのはありますよね。
そうあります、あります。
完璧主義のコスパについて
気づいたらそこに陥っていた、みたいなね。
だけど気づかなかった時も結構私は10代の時とか10代の前半とか、
なのでその時のことを振り返ると、なんか長女若気のいたりみたいな。
でも私はそんなに昔のお話ではなくて、
例えば論文書いたりする時とかにもね、文献を調べるじゃないですか。
それってスタートした時点では純粋に知りたくて、読めば面白くて読み進めているんですけど、
いざこれを引用して文献のリストを作っていこうっていう段階になると、
これ入れとかないと、あれ知らないと思われるといけないなとか、
これを引用しないと、あの人が何か言ってくるかもしれないなとか、
なんかどこからかそうなっていて、まだ足りない、まだ調べ尽くしていないみたいな。
で、気がつくともうすっかり完璧主義に出来上がっているみたいな、
そういうことがあるなぁと思うんですよね。
それは確かに言われると、私もインストラクションデザインっていう仕事をする時に、
成功があるっていうのはもう10年前ぐらい認識していて、
その10年前ぐらいの時の上司に結構やっぱりフィードバックをもらったんですよね。
やっぱり初動が遅いわけですよ、アウトプット出すまでの。
いろいろあだこだ考えて、これもあれもやらなきゃとか。
検索のね、エピソードでも言いましたけど、海に潜って、潜る時、風よく潜るんですけど、
なんか情報に溺れていて、早く上がってきてくださいみたいに言われている時に、
6割でいいから出しなさい、みたいなこと結構。
当時の自分からすると、その全職が120%のクオリティで、
パフォーマンス出しましょう、みたいな感じのカルチャー。
会社からちょっとスタートアップっぽいところに来て、スタートアップっぽいボスに、
6割で出しなさいって言われて、結構それが慣れるのに時間がかかって、
自分では6割に出したいつもりが、もう彼女からしたら85%ぐらい出来上がってるものしか出してないみたいな。
遅いんですよね。
遅いんですよ。
だからそれを体験して、どれだけ自分の完璧主義者が強く育っていたのか、
みたいなことを考えさせられるようになりましたね。
今でも全然その傾向はフッとするとなってるので、
あえて自分で6割、6割、6割って囁いてるんですけど。
そういう他の人からのフィードバックとか、
なぜあの人は早いんだろうみたいな観察から得られる気づきっていうのはありますよね。
私は何かのタイミングで、予備校で英語を教えている先生に、
合格ラインが例えば75点だったら、76点以上は100点取っても同じでしょって言われて、
もう本当に考えたこともない考え方だったので、
確かに。
そんな考え方があるんだなって思ったんですけど、
だからといって、そっかじゃあ76点でいいやってやっぱり慣れなかったので、
そこは何か好みみたいなものもあるのかなと思いますけど、
他の人に言われてフッとするっていうことはありますね。
確かに。今それを言われて、私ももう一つフッとするインサイトをもらったのは、
もう今から15年以上前の時ですけど、
先輩が私が頑張って100点を目指す感じで仕事をしているのを見て、
4時間で8割いって、あと2時間やったら9割って考えた時に、
その2時間の使い方は無駄だよねみたいな感じのことを言われたの。
残り10割しかいかないのに、次のやつやらないで同じやつの9割にするっていうのは、
無駄っていう単語は言わなかったかもしれないけど、
なんでそうやるの?みたいな問いだったんですよね。
なんで?考えたこともない。
なんでもないですよね。
80割90がいいじゃんみたいな、
なんかやっぱり教育の影響もあるのかなと思った。
もう申しん的に100点を目指すみたいなところはやっぱり一部あって、
彼女が言ってくれたのは要は費用対効果。
コスパですよね。
そうそう、コスパ。有限の時間をどう使うかって、
彼女も考えたら確かにそうだなと思ったんですけど、
その概念を全く教育で私は得てなくて、
投資するリソースは有限であるみたいなことをあんまり考えないまま、
100点を目指し続けていた自分からすると、
80から90に行くって必ずしもいい話じゃないのかっていうのは結構大きなショックというか、
考えのきっかけになったのを覚えてますね。
なるほどな。
なんかそのコスパが悪い、要領が悪いみたいなところは私もあるなって思うんですけど、
今の話で果たして私80パーから90パーに上げようとしてるのかなって思った時に、
なんかそもそも私100パーっていうのが分かっていないなって思うんですよね。
なんかどこまでやったら終わりっていうのがないままに、
ただただクオリティを上げようとしているみたいなところがあって、
だから終わりがないんですよね。
今が80パーの地点にいるとか、ここまでやると90パーだっていうふうに見えていなくて、
だからちっとも終わらないっていうことが起きていたなって思いますね。
仕事のタイプにもよりますよね、多分ね。
クライアントの満足度みたいなところがゴールな場合って、
ここまでいったらクライアントはハッピーになるの、LINEとかさっきの75点もそうですけど、
タイプの作業もありますけど、大学でデザインのクラスを取ってたんですけど、
大体デザインのプロジェクトってみんなその前徹夜みたいにするんですよ、なぜかっていうと終わりがない。
あれはやっぱり1割、9割とか考えられず、
自分のずっと見てば見るほどやりたいものとかが見えてきたりとか、
これもこれちょっと変えてみようとか、
徐々に修正、締め切りの時間まで追求し続けるっていう感じの働き方をしていて、
論文を書くとかもちょっと似てるかもしれないですけど、
会社でとかテストっていうゴールが明確なものに対してコスパを意識して、
完璧主義と心の病
完璧な修行とかで止めるっていうのとまたちょっと違う、別の戦いがありそうだなと思いますね。
そうですよね。なんかその100%が見えないものの方が、ある種タチが悪いというか、
本当に終わりがないので、例えば授業を一つ作るとかもそうだと思いますし、
生徒一人一人のケアとかもそうだと思いますし、
ありもしない完璧を目指してしまって、その上なんか神は細部に宿るとか言っちゃって、
呪いの言葉。
どんどん細かいところを自分で突いて追い詰めていくみたいなことをやっている可能性が、
まだあるなあっていうふうに思いますね。
キリがないっていう話だと、例えば美を追求するみたいなのが、
なぜそれを言ったかって言うと、今回の完璧主義を調べてた時に、
確かの目線からの完璧主義のカテゴリーが増えていて、
2009年から2017年どのぐらいそれに関わる心の病を抱えている人が増えたかみたいな論文があって、
そこで症状として挙げられてたのが、アンザイティ、不安であったりとか、
ディプレッションといううつ病であったりとか、自己肯定感の下がりとか、
それをちょうど似たようなところで見たなあって思ったのが、
若者のソーシャルメディアによるメンタルヘルスの影響の論文が、
ソーシャルメディアと完璧主義
今年アメリカで結構話題になっていて、
さっき美って言いましたけど、美に限らずああいう人生は素敵そうとか、
そういうソーシャルメディアによって見せられたパーフェクトの幻想というか、
それに対してずっと追求してもそこにたどり着かない世界に入るじゃないですか、ソーシャルメディアの世界。
研究とかデザインのプロジェクトで永遠に沼に入っていくのとちょっと似てる感じが、
ソーシャルメディアを通して見せられる完璧という幻想による沼とちょっと重なる部分があるなあとは思いました。
たぶんね、ソーシャルメディアの場合はスタートの時点でもう他者ですからね。
そうですよね。好きでやってる人もいるかもしれないけど、
途中からフィードバックループがすごく回る。
そうですよね。他人の目が入ってきた時点でもう健全じゃなくなっていくんですよね。
そうですね。自分の影響ね、結構我々今のところ話してますけど、
完璧主義であることが周囲に与える影響とかって考えたことあります?
それもなんか自分が完璧主義かどうかも分かっていない段階では分からなかったと思うんですけど、
少し出してから完璧主義ってすごい人に厳しいんだなっていう風に感じるようになりましたね。
自分スタートで楽しくやっている間って他の人のことも気にならないんですけど、
自分が他者を気にして頑張るみたいな傾向が強くなっていくと、
他の人にも同じぐらいの、例えば努力、時間、労力、そういうものを求めていたり、
そこまで達していないと許せないみたいな、そこは感情ですよね。
なんかあなたも自分に厳しくなりなさいよみたいなことを要求し始めたりということはしてたなって思いますね。
そうですね。全職で他国の国にまたがるチームと一緒に仕事をすることがあって、
ケニアにいる人、コロンビアにいる人、インドにいる人、スペインにいる人みたいな感じで、
みんなそれぞれの国柄でちょっとやっぱ性格とかも違って、
けど同じプロジェクトのそれぞれの国ごとでデータを管理してもらうみたいなのをやってたんですけど、
コロンビアにいた人がものすごい細かくて、彼女が使いやすいようにエクセルとかでバシッと、
全てのデータがそこに一箇所にまとまるみたいなものを工夫して作ってたんですよね。
彼女は自分で使いやすいから作って、他の人にもナレッジとしてそれを共有してたんですけど、
多分最初は全員で共有してたんですよね。こういうテープで使っていいよ、使いたかったら。
他の4カ国の人は使わなかったわけですよ。すごいねってもちろん言うんですけど、
自分が使いやすいようなものはやっぱり自分たちそれぞれあって、
結構ゆるゆるな情報の集め方とか整理の仕方とかが存在していて、
途中からだんだんコロンビアの子がデータを比べたくなるわけですよね、他の国と。
そうすると自分のピシッとしたデータと横並べで比べられないわけですよ。
それに関して結構フラストレーションが高まっているのが他の人に伝わってきて、
最初は別に他者に完璧なことを全然彼女は求めてなかったんですけど、
これがマイウェイ、オンリーベストウェイみたいな感じにやっぱりにじみついたことが結構外に伝播して、
周りは周りでちょっと彼女に会わせるのも大変だなみたいになってきたっていうのはあって、
それを他の人にちょっとストレッチしてもらって、彼女には少しプレゼントもらってってやらないと
グローバルのみんなが使えるシステムが作れないみたいなところをマネージしたときのことをちょっと思い出していて、
完璧主義と他者への影響
他人のことはそうやって冷静に分析できるんですけど、我が家の中でも私は多分基本完璧主義者というか、
これもやってあれもやってこれもやって全部できたみたいな感じの高いレベルを自分の中で多分あって、
それを一緒に彼と住み始めたときに、別に彼に私は期待してないわけですよ、全然性格も違うし、
期待してないんだけども多分性格的に罪悪感を覚えるタイプの人だっていうのも最初の頃分からなかったので、
自分に任されたことをやってみると横でその5倍ぐらい何か作業をしている友子がいるみたいな感じとかですね、
そうすると、あ、じゃあこれもやるよ、あれもやるよって手を挙げてくれるんですけど、
あ、ありがとうって私がまた追加の5個ぐらいを思いついてもらい始めるんです。
そうするとやっぱりなんかすごくそれストレスになってるみたいで、上限が無限に高まっていくっていうので、
それが辛いって言われたことがあって、本当に自分がやりたいからやってるだけなんですけど、
多分それを横で見て苦しくなる人がいるっていうのはその時にハッとさせられたんですよね。
自分の意図がどうであれ、基本的主義で行動している人が横にいるだけで、
そういう影響を受け取ってしまう感度の高い人もやっぱりいるなっていうのを反省で。
わかります。なんかもう痛いほどわかります。
私はもう本当になんかピリついたムードを出していたんだなって思ったのは、
最初にアメリカの大学院で仕事をもらったのが英語の先生を養成するコースだったので、
その教育実習を見るっていうので、
面識はあったけれど、それまでほとんど話したことがないっていう人とペアになって、
だからお互いにどういうタイプか知らないまま一緒に仕事に入ったので、
もう本当に今トムコさんがおっしゃった通り、私はもうどんどんどんどん仕事を増やして、
それを片付けていくことに快感を覚えて、
実際にその実習生たちにも具体的に感謝されたり、
それでもまだどんどんクオリティを上げていって、すごい時間をかけてやっているっていうことが、
そのペアを組んだ彼にとっては多分すごく負担だったんだと思うんですけれど、
私はトムコさんみたいに彼は彼だからともその時は思っていなくて、
同じじゃなくても半分でもいいからやってよっていう気持ちがやっぱりあって、
それを伝えてもいたし、その上その雰囲気も醸し出していたし、
それからその実習生の評価みたいなのもあからさまに違ってくるわけですよね。
例えばオフィスアワーを設けても、私のところにはすごく質問が来たり、
ヘルプを要請されたりして、私はそれでまた張り切っている。
に対して彼の時にはアドバイスを求めに行かないということで、
彼の多分自己肯定感みたいなものも下がっていく。
それに全然私は目を向けていなくて、
それはだって仕事してないからでしょみたいな思ってしまっていて、
でも何年もその後付き合うことになって、
ある時に私自身もすごく別のことでダメージを得て仕事ができなくなった時に、
急に彼のことを思い出して、きっとこういう状態だったんだなって思って、
すごく謝りたくて、
彼が卒業するタイミングで時間をとってもらって、
本当にあの時は申し訳なかったというふうに謝ったことがありました。
彼は覚えてたんですか?
覚えていたでしょうけれど、でも気にしてない、
あの時は自分が悪かったからっていうふうに言ってくれましたね。
おじさんがね、そうやってすごく自分に矢を向けて内省されて思って、
言葉にしてくれたのはもちろん彼はすごく嬉しかったと思いますけど、
意外と彼はそこまで自己効力感下がってなかったかもね。
彼の方が先にPhD終わりましたからね。
だけど、それを行動、数年後にするっていうのは結構な勇気がいることだなと思って、
私が踏み倒してきたかもしれないと、思いをそもそも馳せて、
言葉にできるかって言われると、やあ、エミさんすごいなって。
いやいやいや、本当に今思い出してもひどかったです。
分かりますよ、そういう。
それがすごく自分の自己肯定感をフェイクではないんですけど、
ウーストするじゃないですか、その間だけ。
そう、タッチが悪いですよね。
中毒性があるっていうか、良くないですよね。
全然あります。10代、20代とか振り返っても。
そのリカバリングとしては、手放すことを割とポジティブに捉えているので、
少しずつ離れていってくれて良かったなって思うことの一つには、
レジリエンスがありますね。
完璧主義どっぷりの時って、立ち直りがめちゃくちゃ遅いなと思うんですよ。
切り替えられない、ダメだった時。
竹みたいな感じですよね、ポキって。
そうそう、折れるとね。
折れると結構。
本当前回失敗のエピソードでしたけど、
失敗、間違い、挫折、そういう種類のことが起きた時に、
ずっとそれで凹んでられるんですよね。
それを許せるようになったり、受け入れられるようになると、
同時に完璧主義が一つ離れていったっていうのを感じていますね。
私は何の企画だったかな。
サバターの診断っていう、結構私の好きな診断のツールがあるんですけど、
スティックラーっていう完璧主義の似たようなものが比較的高いみたいな診断があって、
あれのサービスの私が結構好きなところが、
艶みと弱みは表裏一体みたいな、完璧主義にも悪い部分。
暴れる時はこういう悪いことがあって、
けどこれがあったからあなたはこういうことができましたよねっていう、
そういう視点を得る機会が大人になって出てきたことが、
受け入れるというか、表製できるようになるきっかけになったかなと思うし、
自分に対してそう思うっていうのはもちろんそうなんですが、
私結構他者に対してそう思うようになったのが、
他者と付き合う、またそのコーチとして関わるとか、
メンターとして関わるとかいろいろありますけど、
それがすごくやりやすくなったなっていうのがあるんですよね。
自分が昔こうが完璧みたいに思って、
他者に似たような期待をした時って、
そのルールに基づいてない人たちの行動を多分あまり理解しようともしてなかったですし、
さっき言ってたようなこのやり方がいいでしょ、
それに対してあなたは未達成か達成してるかぐらいの白黒だった考え方から、
もっと白黒というよりは五角形みたいな感じで、
私は1個の角に対して追求してるけれども、
全然別の角に向かってめっちゃ動いてる人がいるみたいなような考え方をするようになったんですよね。
そうするともう自分はこの角に対しては専門でいけてるって思ってるけど、
残りの4個の角には全然やり方わかってないっていうようなことを自分に対して思うようになったし、
他の人に対して思うようになったっていうのがきっかけになったような気がしますね、
完璧主義との付き合い方として。
1個の軸には完璧なんだけど、他は結構ダメだよね、自分っていうのと、
みんなもそうかなっていう。
ちょっとレネ・ブラウンの世界にも近いかもしれないんですけど、
自分の脆さっていうふうに自分は考えたことなかったんですけど、
自分のデコボコを受け入れるみたいな、
デコの部分は確かに完璧に近いことができてるかもしれないけど、
ボコがあるみたいな、そんなイメージですかね。
そうですね。
コーチングとか、他の方のサポートをするっていう面で言うと、
例えば私の場合は英語学習者ですけど、
完璧主義のお話しすることって結構あるなと思うんですよね、
その学習者の方と。
で、自分で完璧主義と思ってる方は割と少なくて、
ただ自分に厳しく頑張っているだけですっていうふうに
捉えてらっしゃる方が多いんですけど、
でも例えば英語のスキルで言うと、
完璧主義の難しさと他人からの助け
発音、スペル、文法、コミュニケーション力みたいな項目を並べたときに、
語格形どころかまんまるの深淵に近づけようとして、
それってすごく大変なことをやろうとしてますけど、
分かってます?っていうのをね、
ちょっと確認しなきゃいけないところがあったりするんですよね。
それって必要かな?とかね。
あ、私そんな不可能なことを自分に課していたんだっていうふうに
途中で気づかれるっていうのもありますし、
あるいは同じような要求を、
例えば自分のお子さんとかね、大事な人に
同じように要求しますかねって聞いたりすると、
それはいくらなんでも厳しすぎました。
みたいなふうにね、言われたりすることがあるので、
頑張っているの延長戦でつい完璧主義とかね、
つい自分に厳しくなりすぎるっていうのは本当によくあることなので、
まぁコーチに限らないですけど、
周りの人からのフィードバックをもらうとか、
周りの人がどうしてるんだろうっていう、
他人が自分を見る目ではなくて、
他の人がどんなふうにサバイブしてるかなっていう興味、
みたいなことが助けになることがあるかなと思いますね。
自分らしくデコボコな面と自己いたわり
完璧主義ね、コーチングの世界ではいろんな形で出てきますよね。
単語を使うか使わないかは別として、
人によってはね、何かから恐れるために
完璧主義である自分を、さっきの鎧と似てるかもしれないですけど、
何か恐れているのかっていう何かの話をした方がいい場合もあるし、
私もみんながそうではなくて、
またはそのエゴみたいな、
満たそうとしていることってそもそも何のためのところが、
チームのためとか相手のためとか言いつつも、
実は自分のためみたいになっていることに気づくっていうのが、
きっかけになる場合もありますし、
あとはね、単純に優先順位の問題的に、
これどこまで完璧が必要なんでしたっけ?
みたいな話をする人もありますし、
結構ね、深くなりますよね、完璧主義の話ですよね。
もう本当にその理想を達成しようと思ったら、
人生がいくつあっても足りないみたいなね、ことがありますしね。
さっきのトムコさんがソーシャルメディアのところでおっしゃった、
完璧に見えているものは幻想でしかなくて、
実際はもっとデコボコした、不完全なものなんだっていうところに、
目を向けられると、ちょっと幻想がハラハラって、
現実に変わってくるかなって思いますね。
そうですね。今回、情報欄にも入れますけど、
レッドメントっていうところでのスピーチで、
Perfect Imperfect Selfっていうスピーチだったんですよね。
そのPerfectっていう動詞で最初使われているわけですけれども、
Imperfect Self、完璧ではない自分というものを磨くというか、
追求しろっていうメッセージで、
それをやることも実はそんなに簡単なことではなくて、
それをちゃんと追求していくことに、自分の幸せはあるよみたいな話だったんですけど、
デコボコある方が自分らしくて、
それを見つめるっていうのも結構エネルギーがいることだし、
それができる方がメンタルヘルスとかいろいろ健康面で、
マイナスのインパクトが多い道よりは、
おすすめするよっていうような心理学者のメッセージだったんですよね。
英語で言うと、やっぱり学習者が聞く英語って、
完璧なんですよね。
ネイティブのアナウンサーみたいな人が、
おそらくその人ですら何度も取り直したうちの一番いいものを出しているんですけれど、
学習者が聞くときっていうのは、
それをさも自然に言ったかのように聞こえるので、
そういう弊害もあるのかなって思ったりするんですよね。
英語、そうですね。
なんかリーダーとか企業家とかの文脈だと、
実はこんなデコココしてて、
ね、ありますよね。
人間とかには綺麗になってるけど、
ノートとかブログとかYouTubeとかで、
みんな実はこんなに大変だったとか、
ここではもう会社倒産するかと思ったみたいなリアルな、
発信しやすい世界になりつつあると思うんですね。
あとは親としての完璧な親なんてなくてみたいな感じで働くまま、
こんなにカオスみたいな話とかも出てきやすいけれども、
確かに英語がすごくコミュニケーション大変でみたいなリアルなところは、
そんなに出てこなかったりしますよね。
特に学習、入り口のところで聞くものって、
やっぱり綺麗なものには良さはあったりするので、
綺麗なお手本で入るっていうのは、
ある種仕方がないのかなとは思うんですけど、
いつまでもその完璧なモデルだけに晒されていて、
そこを目指させるように仕組んでしまうっていうのは、
やっぱり弊害はあって、だから私自身もノンネイティブで、
とってもインパーフェクトですけれど、
それを学習者に見せたりするのも役目かなと思ったりすることもあるんですよね。
こんなにデコボコだし、全然上手くもないけど、
でもなんとかなるよっていうのが伝わったらいいなっていうので、
渋滞を晒したり。
名誉尽きるっていう面では、完全にパーフェクト・インパーフェクト・セルフができてってことですよね。
そうしていかないとしょうがないですよね。
そこじゃないんで、私の目的。
目的・目標のエピソードともつながる話だから。
何を目指してるんだっけっていうところはありますよね。
学びに関わる人間としては、セルフ・コンパッションとか言ったりしますけど、
そういうのをもう少し取り入れられるようなサポートをしてあげるとか、
大切なのかなとか。
自分をいたわることを忘れないでほしいですよね。
今回は完璧主義について話しました。
紹介した情報や関連するエピソードへのリンクは、
エピソードの情報欄にまとめています。
まなびの話は毎週1回配信予定です。
番組をフォローしていただけたら嬉しいです。
それではまた次回。
32:08

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