1. まなびのはなし
  2. #035 - 【まなびのなかま】Yui..

大人のまなびに向き合っている「まなびのなかま」と対話するエピソードシリーズの第1回目。今回はアメリカ東海岸に住んでいるYui Kakiuchiさんと失敗というテーマについて話してみました。

  • 民間企業・NPOで人材開発、組織開発、リーダーシップ育成、と言ったキーワードに向き合っていたyuiさん。越境体験をしていくプログラムの設計と参加者伴走という体験。
  • 失敗というテーマを提案してくれたyuiさんの想い
  • 鉄板ネタ失敗エピソードってありますか?
  • 失敗が大きいか、どうか、は、自分が決めるものじゃないかな?
  • 自分が期待していたアウトカムと現実のギャップ が失敗?
  • 類義語:挫折 間違い エラー
  • 学ぶためにする失敗、experimentation、fail forward、データポイント集めるための失敗
  • 実験において成功も失敗も価値は同じ
  • 類義語 試行錯誤、臨機応変に変えていく(失敗しないと合わせる必要ない)
  • 失敗しないまま全能感で行けるほうがむしろ不幸?レジリエンスにマイナス?
  • 周囲にいる大人の失敗に対する価値観は子供に影響がありそう
  • 学びのオタクのtomokoが考えるボルダリングの素晴らしさかと「失敗」に関する視点
  • 失敗への向き合いかたを支援する側に必要なこと
  • 失敗に対する恐れを抱く時にある、深いレベルである願いや大切にしてること
  • 抱いている人を支援する側に必要なこと
  • 自己効力感があることと、自分がやったことの結果への執着を持ちすぎないこと
  • 色即是空(しきそくぜくう)

エピソードで触れたもの、関連情報

関連エピソード

「#まなびのはなし」について

大人の学びをサポートしている二人が、それぞれ見つけた・考えた、ことを、話したいから話しています。話している二人は「英語教育」「コミュニケーション学」「言語コーチング」に専門性をもつemi (⁠⁠ウェブサイト⁠⁠)と「インストラクショナルデザイン」「リーダーシップ」「キャリア・ライフコーチング」に専門性をもつtomoko (⁠⁠ウェブサイト⁠⁠)。毎週1回配信しています。自己紹介エピソードはこちら:⁠⁠#001 - 自己紹介⁠。文字起こしは⁠LISTENサイト上⁠で見ることができます。

サマリー

今回のまなびのなかまのゲストは、Yui Kakiuchiさんです。彼/彼女と一緒に失敗について話し合います。私たちは失敗とは何かについて話し合い、失敗から学ぶことや失敗の意義について考えています。私たちは失敗はパーソナルなものであり、人によって意味付けが異なることを共有しています。また、試行錯誤や挑戦を通じて失敗から学び、成長することの重要性も認識しています。私たちは失敗について話しています。捉え方によって失敗の意味は変わると考えています。私たちは失敗を恐れずに行動することも必要だと思っていますが、行き過ぎることもあると認識しています。失敗に対応するサポーターはさじ加減が求められると考えています。私たちは山登り型と川に流れる型の2つのアプローチによってゴールにたどり着く方法や、予期せぬ出来事を楽しむ心構えなど、失敗について話して得たものに感謝する姿勢について話し合っています。

ゆいさんとの共通点
このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人のまなびをサポートしている2人が、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日はよろしくお願いします。
お願いします。
いつもは2人だけなんですけれど、これから時々、まなびの仲間シリーズと題して、私たちが一緒に話したい方をお招きしてきます。
今日の仲間は、Kakiuchi Yuiさんです。
よろしくお願いします。
お邪魔します。
今回、お声掛けをさせていただいたのは、私から、なぜYuiさんと一緒に話したいと思ったかを共有したいなと思っているんですけど、
一番の理由は、Yuiさんが好きなんですけど、
ありがとうございます。
今、私はニューヨークに住んでいて、Yuiさんもすごく近くのニュージャージに住んでいて、
一つの知り合いから、友達として紹介されて、
2020年のコロナ真っ最中の時に出会ったっていう関係性の方なんですけれども、
意外と話をしていたりする中で、共通点がいっぱいあってですね、
大人の学びっていう単語であまり話してないですけれども、
失敗と学び
新しい体験をすることで、人が成長したり変わっていくということをサポートされていたりするっていう点が一つ共通点であるのと、
もう一つは、コーチングをほぼ同時期に学んでいたっていう、
自分たちの学びの仲間みたいな関係性と、
三つ目は、子さんがうちと同じぐらいの年ということで、母としても仲間ということで、
異国の街に生活する中で、同志のようにやっている方なので、
今回の大人の学びについて話し合う仲間として、ぜひお呼びしたいなと思ったというのが背景になります。
ありがとうございます。
改めまして、じゃあ自己紹介させていただきます。
柿内由井と申します。
簡単にプロフィールをお話しすると、これまで携わってきたお仕事の中でいくと、
キーワードは人材開発、組織開発とか、リーダーシップ育成だったりとか、
そういうようなキーワードに触れてくることが多かったです。
そして、経験は日本での民間企業での仕事と、NPOの中でのお仕事、
二つの領域に関わったことがあります。
さっき友子さんにも言っていただいたんですけど、
越境体験なんかをしていくプログラムに関わっていたことがありまして、
それは企業に勤めながら、お仕事を持ちながら、また自分の所属しているところではない場所、
国も変えるし、会社も変えるし、そして役割も変えるし、
民間ではなくNPOだったり、社会的企業と言われるところだったりっていう、
いろんなピボットをした状態で学びをしていく。
その体験をしながら、自分について知るとか、社会について考えるとか、
そういうようなプロセスをご一緒するようなプログラムに立ち去ったことがありまして、
その中では大人の人がスキルを得ていくこともするし、
マインドセットをしていくっていう、そういう過程も設計もするんですけど、
それと同時に伴奏する役割という形で関わったりをしていました。
で、コーチングの時刻はそのお仕事をしながら、ちょっと勉強をして取得をしていたという形で、
今ではプライベートのコーチングを中心に活動させてもらっていて、
いろんなそれにまつわるとこから派生したビジネスを作ったりということをやっています。
で、いつもお二人のお話を聞いて、うんうんうんうんって思いながら、
こんな話あるなーとか、私もこういうエピソードあるなーとかって思いながら、
自分の中で噛み締めつつ、子供のお送り迎えを来るまでスライディングで聞かせてもらっているっていう、
私は一ファンです。
ありがとうございます。
あと、りゅうさんもポッドキャストやってるんですよね。
そうなんです。
面白NPOライフっていう名前でやっています。
NPOで働くコーチが語る面白ライフというような形で、
現場で働いている時のこんなことあるよねーっていう苦悩だったり、楽しいんだよねーでもさ、
みたいな話なんかを仲間2人と3人でワイワイ話しています。
ありがとうございます。
では、そんなゆいさんを今日はお迎えして、話したいから話すことは失敗についてです。
今回2人で何を話そうか、ゆいさんをお迎えして何がいいかなって思った時に、
ゆいさんにもちょっと相談してみようと思って、むしろ提案したいですかって私がゆいさんにお伺いしたんですよね。
そしたら失敗ってどうですかって素敵な提案があって、
えみさんと協力しましょうみたいな感じで今回テーマを決めさせていただいたっていう背景があります。
ゆいさんの持ち込みに私たちが乗っかってるっていう形なんですけど。
そうですね。
じゃあちょっと失敗が出てきたところを少し話してみましょうか私。
ぜひぜひ。
ともこさんにメッセージいただいて、ちょっと関連しそうな前のお2人のエピソードをいくつか聞いてたんです。
で、そこからなんか本当にさっき言ったように、こういうエピソードあったよなーみたいなのをメモしてたんですね。
これはこれって話せるなーみたいな。
なんかですね、フラトだったりとか自己効力感とかね、そんなのがあったと思うんですけど、
なんかふと、お2人って失敗って思ったりするのかなって思ったんです。
すごくやっぱり学びについて考えている時って、いろいろ思い返すんですけど、
全部やっぱり自分にとって消化したものになっていて、
そこからはこういうグッドなポイントあったなーとか、
これはやっぱりうまくいかなかったけど、次はこうしたなーみたいなプロセスを思い出すんですよね。
それを思い返している間には、失敗とは全然出てこなかったんだけど、
でもやっぱり苦い思い出もあるんですよね。
で、考えてみると、ちょっと大人になってからの体験の方が苦いと思ったものが多かったような気がしたんです。
振り返ってみる中で。
なんかうまくできてない感覚とか、そんなのをより20代後半30代というか、
年を重ねていくうちに、それを経験していることが多いなーって思ったんですね。
失敗の捉え方
で、お2人にとっては失敗という言葉がすごく遠い存在のように聞こえてきたから、
いやー、どうなんだろうって思って持ち込みました。
なるほどー。
そういう雰囲気がたまるエピソードになっちゃっているのだろうね。
私失敗しないのでっていうね。
そういうことありますね。
お2人もご存知のように、私今、転職活動とかしていて、
大学院の入試の時とかもそうだったんですけど、
エッセイであなたのビゲストフェイリア、一番大きな失敗は何ですかっていう問いとかってたまにあって、
確かに相対的に苦手なんですよ、私その質問が。
失敗ってなんだろうみたいな、どの失敗をどう言おうかなみたいなことを考えて、
で、彼らはそこから何を学びましたかみたいなところにどうせつながるんだろうなと思いつつ、
どのエピソードが自分にとっては失敗だったんだろうっていうところで一瞬やっぱ立ち止まるんですよね。
いっぱいエピソードって鉄板ネタみたいの持ってると強いですよね。
鉄板ネタ。
私もそういうのがなくて、これですっていうのがないので、
もし私もエッセイのテーマでもらったら、
あれかな、でもあれは間違いだよなとか、あれかな、でもあれは挫折かなとか、
失敗に類似する違うことは割と思いつくんですけど、
ゆいさんに言われて、確かに失敗っていうラベルをあんまり張らないのかなっていう気はちょっとしてきましたね。
今のえみさんの聞いていて思ったのが、
失敗っていう言葉の中に、すごいいろいろ全部まとめて失敗っていうふうに思ってる節もあるかもしれない。
今言ってくださった挫折も失敗って置いてるかもしれないし、
間違ったも失敗って置いてることもあるかもしれないなっていうのはなんか、
ふと思いました。あんまりそこの網の目を細かく見てなかった気もしました。
たとえば日常で私は運転してて、よくウインカーを出そうと思ってワイパーを動かしちゃうみたいなことあるんですけど、
これは失敗だろうか、ただの間違い。
間違いと日本語で言う中にもミステイクとエラーっていう区別があったりしますけど、
そんなぐらいの軽いものから、
たとえば今トンコさん転職っていう話やりましたけど、
私も就職活動とかの中で面接に落ちたとか、
なんかやろうと思ってたことができなかったとか、
これは失敗なのだろうか、ユイさんの言葉を借りれば、
苦い経験としてプラスなんだろうかとか、
なんかそういうのがあんまりうまく私区別ができてないんだろうなっていうふうに今回テーマをいただいてから考えたことですね。
ユイさんすごいですよ、私そんな語彙力なくて、そんなにたくさんコラボの類人談語が出てこなかった。
語彙力なのこれ、語彙力。
すごいなと思って、私も最近うっかりはしたことがあるんだけど、
うっかりって今エミさんが言った、エラーか、みたいなのが頭の中でくるくる考えていて、
けど失敗だったのかもとか、難しいですね。
難しい、確かに。
私、ずっと誤食の人って言われていて、スモールエラー、すごいいろいろ間違えるんです。
タイポ。
タイポとか、言葉とかも、それ合ってる?みたいなやつとか結構あって、
学生の時から細かいものを管理するのが苦手だったんです、すごい。
それで仕事を始めてから、新入社員としてはとてもクリティカルなので、
とてもよく怒られていて、もうダメダメだったんです。
それは、当時の私にとっては失敗というよりかは、私の苦手なやつっていう感じで、
苦手分野で怒っちゃってるやつ、みたいな感じに捉えてたんですよね。
で、またちょっと違う観点なんですけど、
でもその当時に先輩から言われた言葉が、
柿内は大きな失敗をしたことがないでしょ、人生の中でって言われた言葉だったんですね。
で、大きな失敗を人生の中でしていった方が、豊かになるだったかな、
もっと深く考えられるようになるとか、
もっと挑戦できるようになるとか、っていう風に言われたんです、当時。
だから、もっと大きな失敗しろって言われたんですけど、
当時の私としては、いろいろ失敗したような気もするけどな。
これって人に決められることなのかなとか、
失敗の意義とパーソナル性
でも確かに自分の中では、あれもこれもやってよかったっていうレベルにはなってるな、
そういう風に捉え直してるところはあったりしたんで、
さてはて失敗とは何でしょう、みたいな感じになったのを、今ちょっと思い出したんです。
そういうスモールエラーがいっぱい積み重なっても、それは失敗とは呼んでくれなかったので、
じゃあどんなことをしたらいいでしょうか、みたいな感じではなったんです。
なるほど、なるほど。
その方は、えみさんが先ほど言ったような定番のエピソードがある人、
みたいなことをイメージされて言っているのかもな、っていうのを聞いてて思いましたけど、
やっぱり失敗ってすごくパーソナルなことだなと思っていて、
その人がその人にとって失敗かどうかを意味付けをするというか、
外からはやっぱり分かりやすいやつはスタートアップをやったら大失敗で、
1年後に閉鎖したんです、投資家のみんなに頭を下げてみたいな、
そういうのとかいわゆる分かりやすい失敗談かなとは思うんですけど、
私の中ではうっかりはいっぱいあるんですね、
あちゃーみたいな、ごめんごめんみたいなのはあって、
それも失敗と言えば失敗ですけど、自分はやっぱり失敗って自分がカテゴリーするのは、
前提とか意図とか自分の中である程度一貫していたけれども、
その前提が大きく違った結果になったときに、
ああ失敗したなみたいな、
そういう自分の中での自信の度合いが裏切られたときみたいなのは、
失敗から学ぶ試行錯誤と成長
自分の中で結構相対的に大きな心配、外からは見えないんですね、
多分その自分の前提としていた結果アウトカムと、
起きたことのギャップがこんなに大きかったかみたいな、
外からは分からないものの方が自分の中では失敗が多いかな、
そこから見て分かりやすい、スタートアップの失敗みたいなところのエピソードは、
私は個人ではあまり持っていなくて、
あの転職は失敗だったとか、あのイベントは失敗だったとか、
指させるものは実はあんまりないんですけど、
設計した検証、例えば、現地に行ってやってみたら、
ニューヨークのデスクの前で設計していたものと、
インドでデリバリーしていたときのリアルの違いみたいな、
そういうのは明らかに痛い苦い失敗で、
そこから学ぶものがいっぱいあったっていう感じですね、
学ぶものがどこにでもあるんですけど、
やっぱり失敗から学んだみたいなのは、
そういう自分の想定とのギャップの大きさみたいなのは、
自分では失敗のカテゴリーにしているかなという気もします。
そうですね、失敗から学ぶっていうところで、
学びの方にフォーカスが移ってしまうので、
失敗そのものよりも、
それであんまり失敗のエピソードを強く記憶していなかったり、
失敗の話を面白く作り上げたりするっていうことに、
あんまり注力していなかったりっていうことになってるのかもしれないですよね。
実際、失敗学っていう、特に工学とかそういった分野では、
作ってみてどう失敗するかっていうデータを集めて、
原因を探したり解決したりっていうね、
まさに学ぶために失敗を置いているっていう考え方もあるかなと思いますね。
そうですよね。今、ゆみさんがおっしゃったこと、
すごく社会企業化を支援するプログラムをデザインしてた時にも、
エクスペリメンテーション、実験するみたいなのをすごくやっぱり重視していて、
やってみて、そこから学ぶみたいなのじゃないと、
仮説が正しいかどうかわからない。
結構その工学的なメンタリティで、
エクスペリメンテーションだとフェイルフォワード、
前のめりに失敗せろみたいなフレーズがすごく言われていたのと、
ちょっと近いかなと思いますね。
本当工学ですよね。
データポイント集めるために前に転べみたいな感じの
哲学だったかなと思い出しましたね。
実験って成功と失敗の価値そんなに変わらないっていう風に考えてると思うんですよね。
私、小中学生の学習支援をしてるんですけど、
実験好きの男の子が1人いて、5年生の。
毎週違う実験を考えてやってるんですね。勝手に。
で、この間はチーズを作るって言って、
牛乳使って何かやってたんですけど、
失敗したんです。焦げちゃったか何かなんですけど、
じゃあどうして焦げちゃったのかなって言った時に火が強すぎたとか、
これをしたらチーズができるっていう仮説も一つだし、
ここを変えれば次は成功するんじゃないかっていうのも仮説だし、
仮説を立て続ける、そしてその中で失敗と成功に枝分かれしていく、
そのプロセスを彼は踏んでいるだけなので、
失敗と成功の価値は割と同等に捉えているなっていう、
まさに科学者の考え方だなって思いながら話を聞いてたっていうのをね、
今思い出しましたね。
やってみたら違ったっていう場面を、
失敗と成功を繰り返すっていう風なのを聞いてから思い出してみると、
結構あったわって思いました、今。
自分の中では結局、繰り返した先に見たい結果があったから、
そこに持ってくために、じゃあこうしていこう、こうしていこうっていう風に、
道を変えながら進めていったから、
結果的にはそのプロセスであっただけで、
きっと最終的なところに満足なので、
OKってなってたんだと思うんですけど。
そういう意味では別の類義語としては、
試行錯誤っていうのも失敗の一種なのかもしれないですよね。
そうですね。
試行錯誤、あと出てくるのは臨機応変とか、
その時々ね、合わせて変えていくみたいなのもありますよね。
失敗しないと合わせる必要ないですもんね。
そうですね、確かに。
あるいは、スーッと全部成功することが一番大きな失敗かもしれないな。
ストレートAで何の障害もなく、
俺は何でもできるみたいな、
全能感みたいなのを持っちゃうっていうのは、すごく失敗な気がしますね。
分かりますね。
人生、そんな全能感でいける確率なんてすごくないのでね、
それができちゃったらむしろアンラッキーというか、
何かが起きた時のレジリエンスに影響するんだろうなとか、
あとは教育とか、周りにどういう大人がいたかとかで、
その失敗という名前がついたものに対する心の持ちようって
結構人によって違うのかなとちょっと思っていて、
試行錯誤っていうのがプラスの意味があるよねって思っている環境の中で育った人が、
今試行錯誤中だからって結構前向きに行くのと、
まだ進んでないの?前に、みたいな感じの空気感にある中で
感じるのとは違うんだろうなという気もしています。
周りにどういう人が承認してくれるかによって結構違うだろうなとちょっと思ったんですよね。
すごく今自分の中で思い浮かんでいるのはボルダリングなんですけど、
お二人ボルダリングしたことありますかね?
何回か体験したことはあります。
マナビのオタクの自分としては、子供のボルダリングをぜひやってもらいたいと、
子供が出て生まれる前から思っていて、なぜかっていうとあれって本当にすごいなと思ってるんですけど、
登り方って一パターンじゃないんですよね。
人間の体の大きさとか柔軟性とかも違うので、
人によってベストな登り方って同じゴールがあったとしても、
違うのが全然当たり前っていう空気感でみんなは出発をしていて、
かつ一回でいきなりトップに行けるっていうのは、
敵いる時もあるんですけど、やっぱりレベルを高くしていくと絶対一回ではゴールに行けないんですよね。
なので途中で手が滑って落ちたりとか、みんな落ちまくってるわけですよ。
落ちまくってるのが当たり前で。
落ちたらあの時の右足の角度が間違ってたっていうデータポイントになるので、
次のチャレンジに向かったり、
落ちたら明らかにあそこは無理だったなということでルートを変えるっていう戦略的な決断に繋がるみたいなのを、
頭の中でいろんな無意識の判断が起きていて、
まずあれのすごい良いところは、自分一人じゃないので、
他の人も他の人なりに頑張って試行錯誤してるのを応援し合う部員になっていて、
他の人が落ちたら同じように次も頑張れっていう応援したい気持ちにもなるし、応援されるし。
っていう試行錯誤の結果上に行ったら、
イエーイってなるんだけれども、
じゃあ次のゴールっていうのがまっすぐ横にまたあったりとかするっていう、
永遠に試行錯誤と達成感と失敗からの学びを高速で何歳でもやれる、
すごく素敵な環境だなと思っていて、
なので落ちるのだけをフォーカスしたら失敗してるというポイントは一瞬、
失敗と成果、視点の切り替え
その瞬間では切り取ると。
その滞在時間の10分で切り取ったらもうすでに失敗じゃないと思いますし、
1時間って見たときに成し遂げたことを考えたときに、
何度落ちたのかなんて数えてないと思うんですよね。
そういうのと今話してることが自分の中ではシンクロした。
失敗から学んだっていう綺麗なストーリーの話にはあんまりないんですよね、多分。
私の中で失敗、もっとマイクロで起きることで、
ここだけズームインしたら確かに失敗落ちてるっていう、
好きだと思えばあるんですけど、
ズームアウトすると失敗って本当にごく一つの粒というか、
もっとそれ以上に重要な体験を説明するフレーズがあるんだろうなっていう気がしてますね。
まさにそうですね。
コーチングでもよく経験とか対話から何を今日は学びますかとか、
自分について何が分かりますかみたいな問いをしますけど、
やっぱりその時って今おっしゃったような視点の切り替え、
ズームイン、ズームアウトとかスイッチ、
自分がいるところをちょっと変えてみるとか、
視点を切り替えてみるとか、そんなことをしながらやってみると、
見えてた形が違うものに見えてきたりする。
失敗の捉え方
そういうふうに切り替わって、また違う捉え直しをしていくみたいなこともたくさん行っていくんですけど、
それ自体が学びなので、本当におっしゃるように捉え方によって変わってくるし、
あとそれってすごいやっぱり改めて主観的なものなんだなっていうのをすごい思いました。
自分にとってそれが失敗だと思ったら、その失敗という頭へのインプットになるけれども、
全然違うところから違う人の視点とか客観に立ってみたりとか、
真実はどうなんだろうみたいなのを思ってみると、
それはそうではないみたいなふうになっていく。
ちょっと哲学的な、ちょっと現象学に近いような、
なんかそんなふうなものになってくるんだな。
結局失敗ってっていうふうに思いました。
行動する側の本人としての失敗に対する失敗感みたいなものもあるし、
今お二人がおっしゃったように、コーチとか親とか何かサポートする側からの視点っていうのもあると思うので、
本人が何を失敗と捉えているかとか、その失敗に対して、
ここからどうするっていうことを考えやすいタイプなのか、
あるいはもう失敗したくないからもう何もしないっていうふうに後ろ向きに慎重に捉えるタイプなのか、
あるいは失敗を恐れないっていうことだけを考えると、
当てずっぽうに行き過ぎて効率が悪くなってたり、
本当に大きなリスクがあるっていうことが予測できてなかったりすることもあると思うので、
さすがにそれはダメだよっていうね、
ある時は失敗を予測させてストップをかけるっていうこともサポートする側には必要なところだと思うので、
恐れすぎて動けない人には失敗は気にせず動いてほしいし、
あんまり行き過ぎる人にはある程度抑えなきゃいけないし、
そのさじ加減みたいなのが失敗に対応するサポーターには求められるのかなって気がしますね。
そうですよね、元気な3歳児を公園で追いかけてると常に攻め気合ですね。
転んで学んだほうがいいんじゃないかなっていうと、
シャドウはちょっと危ないかもなみたいなところのバランスですが、
支援する側としてはそうかもしれないです。
ただ失敗をズームアウトできる立場でこういうふうに話すのは、
普段に起きたことに対して関わるっていうのはできると思うんですけど、
現実的にあるのは失敗が怖いというか、
なんか恐れがあって、恐れと手の願いが表裏一体で目の前にあって、
あれが欲しいんだけどもこれは怖いっていう、
多分その両方の攻め気合で足を前に踏み出せないっていう状態の人と関わることもあるじゃないですか、
そっちのこれから頭の中で描かれている、これから起きるかもしれないところに失敗が粒として含まれているときって、
また少し違う関わり方になるのかなという気はしますね。
やっぱりでもそれ私にもあって、ちょっと新しいプロジェクトをやっていきたいなって思ったりして、
で、それはすごく自分にとってはモチベイティブ、すごい楽しい嬉しいものなんだけども、
失敗への対応
なんかいけない、ニーズとしては私は学びを重ねていくこと好きだし、
やりたかったことが達成されていくことって喜びなんですけど、でも動けないんです。
みたいなときの真相心理ちょっとこうなんでだろうと思ってみると、やっぱり失望したくないとかね、
うまくいかない姿を見たくない、がっかりしたくない、させたくない、
木下を掲げるほどにできなくなる未来は嫌だなみたいなのとか、
勝手にこうできないシナリオを見ちゃうんですよ。
そうすると、なんかちょっと怖い、恐れ、嫌だなっていう漠然とした思いなんかも出てきたりとかしますよね。
で、避けたくなっちゃう。
それをね、公開というか、共有してくださってありがとうございます。
聞きながらね、自分はそういうのはどういう時に感じるかなって、ちょっと今思考が動いているところ。
いや、すごくこう、真っ当な大人としての思考の深さだと思いますね。
先の見通しを詳しくできているっていうこととか、他の人を巻き込んでやることに対する責任感だったりね、
大人としての正当な考えが聞こえてきたような気がしますね。
ありがとうございますって言いたくなりましたけど。
ひるがえると結局、私ってそういうところすごく多分無責任で、
言うと思った。
事務中なんで、あんまり考えてないんだと思うんですよね。
なんで、トライオーによっては、例えば私が留学をしたこととか、アメリカに住んでいたこととかも、失敗っちゃ失敗でしょうし、
今、個人授業でやってますけど、それだってトライオーによっては失敗でね、
後々、あれはやめとけばよかったって思うのかもしれないですけど、
今のところ私が自分でオッケーと思っている以上はしょうがないですよね。
オッケーなことはオッケーだってことですね。
ゆうさんご存知のように、いつもこうやってね、
エミさんそこから投げてくるかっていうのがたまに飛んでくるんですけど、
エミさんが言ってたいくつか大事なことをおっしゃったと思うんですけど、
正当っていうキーワードをエミさんがキャッチしたのと同時に、私はゆうさんの話を聞いて、
誠意と熱意っていうのがすごく伝わってきてて、やっぱり誠意がないとそんなに真剣に思えないんですよ。
っていうのと、熱意がないとそこまでアウトカムにコミットできないですよっていうのを聞いててやっぱり思って、
それがあるがゆえのすごく大切に思っているプロジェクトなんだろうなっていうのが伝わってきて、
けどエミさんがそれがないっていうのは私は意義を申し上げるみたいな感じがします。
いい申し立てですね。そうじゃないんだろうなと私も感じてますよ。
例えば担当されている中高生に対する誠意も熱意もエミさんものすごいありなので、
多分何に対してそれを費やすかの選択が、ゆうさんの場合は見たことも作ったこともないものに対して、
今感じているけれども、エミさんはどういう形で自己申請に接すると、
できる限り誠意いっぱい手伝えられるかってなんとなく経験って持ってらっしゃるので、
2人とも誠意もあるし熱意もあるなと私は思ってるんですけど、
ゆうさんの向き合っているものの不確実性の高さみたいのはちょっと違うのかもなとは思いますけどね。
なんかね、私今日このテーマになって最初に言った通りあんまりこれっていう失敗談が出せないので、
自分が過去に書いたブログとかで失敗って検索してみたんですよ。
さすが。
何を失敗と思って語ってるかななんて思ってすっかり忘れてたんですけど、
私が失敗しても絶対誰かが片付けてくれるっていうことを書いていて、
確かにそんなことを考えてたし今もそう思ってるとこあるなって思うんですけど、
イメージとしてはあの東京駅に新幹線が着いた時の清掃の方たちのイメージなんですね。
だから私はガチャガチャに失敗して東京駅に着くんだけど、
私が失敗したやめとけばよかった恥ずかしいとか思ってる間に何人もの人がババババって車内に入ってきて、
パパパパパって綺麗にしてパパンって方向を変えてもう博多駅になってるんですよ。
で、私はそうなの?もう出発なのねっていう感じで振り返ってる暇もなく次へ行くっていうのに、
私すごくお世話になっているなっていう感じがしているので。
その場合は宇宙なんですかね?宇宙の働きかけ?
具体的にはその清掃の方たちは家族だったり友達だったり本当に通りすがりの人だったりするんですけど、
失敗の意味
いろんな声かけや働きかけによってあれは失敗じゃなかったのかなって思っているうちにも、
なんか時代が先へ行っているっていうそういう感覚はあるなっていうふうに思いましたね。
いやー面白い。
私は今愛情と惹きつけっていう言葉が出てきましたけど、
すごいこうえみさんには周りの人々が巻き込まれていく力があるんですね。
見てられないんだと思いますよ。
すごい状態で東京駅に入ってくるから。
もうあなたみたいな感じでちょんちょんちょんって。
本人は打ちひしがれてるから、降りなさいとりあえず。
はい、もうやっといたから行きなさいって。
愛されてますよねそれは。
確かに愛されている。
甘やかされてるんですよ。
見てくださってるし、どうでもいい人だったら見ないですからね。
そんなの声もかけないですね。
えみさんの話を聞いてて一つ思ったのは、
私もちょっと自分の人生観に繋がることだと思うんですけど、
私自己考慮感のエピソードで結構自己考慮感高い方だっていう話はしましたけど、
そうですけど最終的には私一人でできることって本当にちっぽけなことだと思ってるんです同時に。
なので自分がこれやってできるといいなって思って確かに頑張るんですけど、
できなくてもあんまりへこたれないっていうか、
やっぱりもっと大きな力が働いてうまくいかないときはいかないんだみたいな諦めも結構あるんですよね。
一人の人間ができようと思っていることも実は一部おこがましいみたいなことを思っているので、
おこがましいって思うと何も努力しないっていうギリギリのところがあるので、
もちろん何か私が働くことで誰かに作用を起こせるのではないだろうかって希望を持って行動はするんですけど、
それができなくても人間一人の力ってそんなもんだよねみたいなことを結構受け入れるように多分年を重ねるようになった気がするので、
その電車到着したときに、私の場合はその身近な人が会場を持って片付けてくれてるかわかんないんですけど、
海の波が押し寄せるときは押し寄せるよねみたいな感じで、
あの隣場でせっかくお城とか作ってても海が来たらお城は流れるみたいな、
なんかそこらへんのパトリーがあって、あんまりフィリアに設計して建てたお城がなくなっちゃうわーみたいな感じでそこまで執着してないっていうのもあるかもしれない。
次の地のどこかでやろうかなーみたいな。
四季即是空ですね。
え、まだ難しい。
日本語ですか?
カンニャ神経ですか?
知らない。
すごい。
でも今の聞いて思い出したのは、川のように流れていくみたいな話ですかね。
前半の話題
山登り型でゴールを目指していくっていうと、
1点はあそこだと決めて、じゃあそこにたどり着くまでの最短ルートはとか、ちょうどいいルートはどこっていうふうに戦略を作って登っていってゴールにたどり着いていくっていうやり方と、
川に流れるようにふーっと行って、そこに予測してなかった石があれば石に当たってちょっと曲がってみる。
その流れる中で出会っていくものに影響されていって、たどり着く先は川下で、どっかの海にその先に出られるかもしれないみたいな流れ方をしていると、
より広い心で起こったこととかを受け入れながら、あるよね、こんな風に流れていくよねっていうのの一つ一つのオポチュニティに感謝するってほどかもいかないかもしれないですけど、
あったあった、じゃあ次はこう行くのかなーなんてのを楽しみにしながら、そういう流れ方というか心持ちでいると出会うものにありがたく思えると言いますか、
なんか特にダメだったなって思う機会はなく、得たなって思えるっていう、なんかそんなリーングというかあり方もあるのかなっていうのをちょっと思い出しました。
素晴らしい。素晴らしい。なんか綺麗な説明をしてくださったけど、だからえみさんも私も絶望的に記憶力が悪いのかもしれないですよ。
流れて覚えてない。本当に水に流してしまってるんだろうな。いいように解釈して。私も大体のこと覚えてない。
あとまあね、停車が変わったり流れが変わったりどうせしますからね。そうですよね。
予期せぬ事態は沢山起こり得ますしね。
なんか新しいの来たなぐらいの感じで、川かと思ったら突然サーフィンが始まるみたいなね。
気づいたら山にも登ってるみたいな、そういう感じなのでね。
絵にしてみたら面白そうですね。
確かに。
いやーなんかいろんなことを話しましたけども、結構ね時間もあっという間に経ってしまって。
そうですね。
エピソード全体の感想
今回ね、失敗についてというテーマではあったんですけれども、ゆいさんにこのホットキャストに参加してみて、どんな気持ちだったかの感想をすべきにお伺いしたいです。
この3人の会話の時間が、ゆいさんにとってはどういう時間だったのかなというのをお伺いしたいと思います。
失敗ですか?
そんなことないですよ。失敗ではありません。もう得たもの大きい。
そもそも光栄です。ありがとうございます。本当にこの場に、この2人の会話の場に入っていけるだろうか?大丈夫だろうか?ちょっとドキドキしてました。
いやいや。
でもなんかこうやっぱり2人の何かを乗っけてみたら、ポンってまた重ねてくださるところとかが、このテンポ感素敵だなと思いながら。
1つ1つが重なっていくって感じですね。
そういうのを体感しながら、そっかーってこれを閉じた後に改めて私、そうだな失敗って失敗じゃないなって言いそうだなと思いました。
いやー本当に素敵な時間をありがとうございました。ありがとうございました。
今回は失敗について話しました。紹介した情報や関連する他のエピソードのリンクはエピソードの情報欄にまとめています。
マナビの話は毎週1回配信予定です。番組をフォローしていただけると嬉しいです。それではまた次回。
34:41

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