バーセルでのエンジニアリングについて
麻雀ポッドキャスト、今回も前回に引き続き、ニコラスさんとのインタビューをお届けします。
前半はエンジニアとして聞きたかったバーセルの話、後半は麻雀との出会い、そして日本に来るまでについてお聞きしました。
バーセルさんの説明も一応入れといたほうがいいかなと思いますが、簡単に紹介していただいてもよろしいですか?
バーセルの紹介的なテキストも、最近これよく言葉として、フロントエンドクラウドって分かります?
最近バーセルはフロントエンドクラウドのプラットフォームと言っていることが多くて、それかインフラストラクチャーベース、フレームワークベースのインフラストラクチャープラットフォームって言うんですけど、
それで分からない人がほとんどじゃないですか。簡単に言えばホスティングだけど、もっとコラボレーション機能とかフレームワークに合わせて最適化をする部分もあって、そのインフラストラクチャーをスケールアップできるように設定なし、コンフィグなしで自分のビジネス、自分のホームサイトを拡大できるというプラットフォームになるんですけど、
いろんな伝え方があって、何が一番伝わりやすいんですかね。
難しくないですか。例えば自分だったらどうやって説明します?
僕自身まだまだバーセルさん使いこなせてないなっていう実感はあるんですけど、僕たちのサービスは基本的にリアクトで書いていて、
リアクトをデプロイするっていうところに使ってるので、本当にフロントエンドのホームページとかをデプロイできるというか、公開できるっていう部分でしか使ってないので、
どうなんですかね。多分もっともっといろんな可能性とかあると思ってますけど。
デプロイできるっていうことすら分からない方が逆に多い。僕いろんな説明の仕方を考えたことあるんですけど、全部分からないってなるんで、
最近僕の同僚とかは早いウェブサイトが載せれますっていうような言い方してる。確かにそれが一番分かりやすい。じゃあ分かりやすいんですね。
一番早いウェブサイトが作れば大企業が使う、ワシントンポストとかDNAとか日本で言えばが使うようなプラットフォームでもあって、
ワークフロー、コラボレーション機能もありますって言うんですかね。だいたいホスティングですねって言われて終わっちゃうことが多いんですけど。
すごいですからね、あれは。使ってない人は分からないと思うんですけど、本当にただのホスティングじゃないんですね。
聴いてる方で興味ある方いたら概要欄にリンク貼っておくので、ぜひ使ってみてください。
ありがとうございます。
人によって説明の方法を変えなきゃいけないみたいなところはあったりするんですか。
ありますね。結構聞かれるんですけど、何やってますか。全然説明できてない。
僕自身は何をやってるかというと、アドバイザー的な役名でエンタープライズの企業に専属でついています。
そのために毎日Next.jsバーセルの新しい機能、既に出てる機能じゃなくて今から出る機能も見ておいて、
常になりにでもではなくて、この機能が使えそうな企業に対して紹介したり、プライベートデータに案内したりという役名になりますね。
マージャンとの出会い
マージャーの話に戻っていければなと思ってまして、
もともと2009年あたりにアルゼンチンの方でマージャーに出会われたと思うんですけど、
南米とかそのあたりでマージャーがそもそも流行っていたというか、どういうふうに出会われたのかなってすごい聞きたいなと思ってます。
あの時たまたま中国人の友達が、最近お母さんとマージャーしてますって言ってて、
僕の中でマージャーっていうのがソリテア、同じAのハイを2個押せば消えるみたいなゲームかと思ってたんですけど、
あれもマージャーできるよって言って、それはマージャーじゃないって言われて、じゃあマージャーって何?という話になって、ちょっと調べたんですね。
ああ、こういうゲームなんだ。その時Facebook Gamesが流行ってたんじゃないですか、2009年ぐらいの時代に。
それで中国の会社が出してたオンラインマージャーの中国式のマージャーになるんですけど、適当にかじってて、面白いなと思って、
掲示板、アニメ系かな、日本とかオタク系の掲示板に入ってて、そこでマージャー教えてるグループがあると聞いて、その掲示板に登録して、
どこで教えてますかと聞いてみたら、そのマージャー部のいわゆるキャプテンの家でやってますと。
意外に家から近くて、アルセンチン人の4、5人がいたのかな、が毎週末集まってマージャーやってます。赤着で見て覚えましたみたいな。
それもルールもどこかのホームサイトでルールがぷわっと書いてあって、あとはその赤着を見て自分たちで解釈した感じのマージャーをやってて、
日本式のつもりでしたけど、なんかおかしいところがまだたくさんいました。ドラのめくり方とか、山から逆側に取っていってたのと、面白いローカルみたいなところもありましたね。
大民館はリチゴにもできるという。どこにも書いてなかったんです、そんなんはできないと。
健全のトイトイ3個はロンでもスワンコ預かりとか、特殊な中蓮ポットはナキでもいけるという。
ナキ中蓮ポットは2回ぐらい出ましたね、何年間の間に。染めも多かったんですよね、染め手が。
12時間もかけてやってたんですね。最初からみんな100万点から始めて、今から8半ちゃんぐらい12時間かけてやりますと。
で、最終的には数えてどれぐらい、アイスクリームの木の棒、なんかガリガリ君みたいなやつがいっぱいあって、それに柄を書いて、それを点棒と呼んで使ってましたね。
100万点からのですね。
100万点からしかも。
確かにその12時間やってると誰かが必ずなくなってしまいますんで、100万点からもいっす。
あれもアニメ佐紀の大会の編から来たんじゃないかな、その100万点っていうアイデア。
なんかみんな100万点持って何半ちゃんもやってっていうのがずっと毎週末、連続12時間もやってましたね。
今も無理。今100人そんな体力もないんで、ようできてたんですね、あの時。
で、そこからマージャンにハマられたと思うんですけど。
やめられなかったんですね、もうどうしても。で、もっと強くなりたかったんですね、もうどうしても。
日本に来るまでの流れ
そこから日本に来るまでの流れみたいなってどういう感じなんですか。
しばらくアルゼンチンでマージャンをして何年かも行ったんですけど、プロ歴が7年ぐらいになってて、でもマージャン歴自体もう15年ぐらいがあるので、その半分ぐらいずっとアルゼンチンにいてたんで。
いつかプロになれればいいなと思いながら店舗やってたり、ホータクまで行って、で、他のプロの方とオンライン、Twitterとかで絡んだりして。
あの時、今で言えばMリーガンになった方とか店舗員になった方とかもTwitterで声かけてフォローし合って話ができたのはとても嬉しくて。
で、ずっとその時から例えば15年前と思えないんですけど、15年前からずっと滝沢プロとか佐々木悟プロの大ファンでした。
最初の頃一番好きでしたね、そのイケメンの2人の対局とかも見て、最近初めて会うことができて実際に。
初めて見て15年前、15年前初めて見てからちゃんと数えてるのかなと思って。
もうずっとこの時を待ってたというか、やっと日本に来てプロになったっていう実感が湧いたのは、
昔、僕がYouTubeとかニコニコ生、ニコニコ動画とかで見てたプロに会う時に、本当に日本に来てプロになれたなっていう感覚が湧くんですね。
15年越しに憧れの人と会えるってめちゃくちゃ感動しますよ。
いやですよね、本当にすごい。今も憧れの人が増えるばっかりで、本当にいつかみんなと麻雀できれば幸せと思いますね。
僕も実はMリーグ大好きで麻雀ファイトクラブが推しなんですけど、
京都行った時に麻雀のイベントがありまして、高宮さんと初めてお会いできて、写真撮ってもらってめちゃくちゃ感動しました。
感動しますよね、本当に良かった。高宮さんめっちゃいい人ですね。ファイトクラブいいチームですね。
僕はまあ教会のプロなんで、その教会員が入っているサクラナイツと安倍麻雀を、僕はどっちかというとサクラナイツなんですけど、奥さんは安倍麻雀なんで、大分原プロが大好きだと。
僕も大分原プロが大好きだけど、一応塩川プロと堀プロが入っているサクラナイツの半分ぐらい教会の人が入っているので、
教会員としてそこに心を置いてますね。どっちが勝っても全然面白いんで、言ってるだけでも。
日本に来るのって結構勇気がある、勇気が必要かなと思うんですけど、きっかけとかあったんですか。
僕が一応その日本のゲームとか日本の音楽とか日本の麻雀とか全部好きで、日本に住めたらいいなと思って住みたいなと思ってました。
なんで住めるとは思わなかったんですけど、実際に日本に来た時に手元に30万ぐらいしかなくて、仕事もない状態で何もわからない状態で、銀行口座もないし電話番号もないし、
じゃあここから何、どこから何をやっていこう、何をどうやってやっていこうっていう感じで、もういろいろ調べて、インターネットがあるのが本当にありがたいことなんで、
まずLINEアルバイトでアルバイト探して、割とすぐについた、次の日ぐらいにもアルバイトの面接行ってたぐらいで、最初はマクドナルドとかアルバイトしながら就職活動を始めて、
麻雀の仕事も入れて、そのプロ試験のテストの勉強もやってましたね。
なので1年目は割と仕事しながらいろいろ勉強する時期でしたね。2年目からプロ試験受けて、じゃあプロ活動しますって思ったところが、仕事しながらってなるとやっぱりきついので、
どんどんどんどんキャリアアップしていって、余裕を作っていって、今はやっと自分がゲストしたいからゲストができる状態に、ゲストしないと給料が足りないとかっていう状況に追い込まれずに、
ゲストをしたい時にしたい店でできるようになって、東京行きたい時も東京も行けるし、麻雀の仕事だけじゃないかもしれないんですけども、大好きな麻雀をするために他のことをして、自分がしたい麻雀ができるっていうような状態が一番いいかな、自分的には。
そこまで来られたのはご自身の努力とか、めちゃくちゃ多分苦労されたんだろうなっていうの?
おかげさまで本当に周りに日本人の優しい人がたくさんいてくれたんで、本当にいろんな方に助けてもらいました。麻雀で頑張ってるというのを認めてもらって、いろんなチャンス、いろんな手を貸してくれた方がたくさんいたので、今がありますね。