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こんにちは、禅師校でまえむきラジオのまえまきです。
はい、スタイフの収録、再開しました。
よし、今日再開しようっていう風にね、決めたのは、話したい、これを伝えたいなー、みたいなものがあったからです。
とはいえ、全然伝えられる自信がないくらい、なんで久しぶりの配信にこの重めのね、難しい内容を持ってきた?って正直自分でも思ってるし。
なんなら、これ前向きに終われるかな?みたいな着地も見えない中、実は喋り始めています。
それでもね、今日なんか話したいなーって思ったのは、映画を観てきたんです。
久しぶりじゃないな、最近よく映画観に行ってるんですけど。
今日観に行ったのが、福田村事件という関東大震災から100年、関東大震災が起きた100年前の史実とフィクション、両方合わさったような森達也監督の映画になります。
ご覧になった方っていますかね?
その100年というタイミングに合わせて9月1日からスタートしているんですけれども、京都でもミニシアターでいくつかやってるぐらいなので、あんまり大々的にやってる映画ではないです。
なんで知ったんだろうな、なんかでもね、目に入ってきて、これはなんか見に行きたいなーって思ったんですよね。
今日はフライヤーもらって、イントロダクションにもかなり内容が書かれているので、ちょっと内容だけ読みます。
関東大震災の発生からわずか5日後の9月6日のこと、千葉県福田村に住む自警官を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が殺された。
行商団はサヌキ弁で話していたことで、朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。
逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関する御社ですぐに釈放された。
これが100年の間、歴史の闇に葬られていた福田村事件だ。
生き返る情報に惑わされ、生存への不安や恐怖に煽られた時。
集団心理は加速し、群衆は暴走する。
これは単なる過去の事件では終われない。今を生きる私たちの物語。
というね、イントロダクション。
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で、キャスティングはね、これまたなんか深い感じなんですよ。
井浦新さん、田中れなさん、長山栄太さん、東天雅宏さん、ピエール武さん、水道橋博士、江本昭さん、などなどね。
このなんか、出演者を見て、内容ね、全然わかんなかったけれども、
いやーなんかすごい映画になるんだろうなーみたいな、と思って見に行って。
なんだろう、脳と胃と、なんか体首とかも痛いし、なんかこう全身が揺さぶられるようなね、気持ちで見終えた映画でした。
なんか簡単には語れないというか。
で、もしね、ご近所で福田村事件やってるっていう方がいらっしゃったらね、なんか是非見に行ってほしいなーと思ったんです。
結構本当に本当に本当に重いので、ちょっと苦手な方はね、虐殺とか苦手な方はちょっと厳しいかもしれないんですけれども、
その後半のね、クライマックスに差し掛かってきてからの、いろんないろんなパターンの虐殺があるんですよ。
でもね、そこに行き着くまでにかなり胸がグッてなるような、前半もね。
うーん、もう前半でお腹いっぱいですぐらいな内容で、これテーマ何?みたいな。
デマ、マスコミ、この閉鎖的空間、村とか家族とかね、愛国心とは、守るとは、その差別とは、思い込みとは、みたいな。
人間って多分ね、行き着くところ、人間とは、みたいな。
そこに行くんですけれども、いやー、私のね、ちょっと拙い言葉では、何かこうまとめることはできないんですが、
それでもこう、話したいなーって思うような内容でした。
見終えた後ね、ふと思い返したことがあって、映画って皆さん結構見に行きますか?
私はね、あんまりね、見にも行かないし、後々ね、テレビとかでやってるので、ほぼ見ないんですよね。
さらに、心に残ってる映画っていうのもあんまりない。数がめちゃくちゃ少ないんです。
で、残ってて、わー、これ残ってるなーっていうのは、かなり偏りがある映画。
で、思い返すと、シンドラのリスト、スピルバーグ監督のね、ユダヤ人虐殺をシンドラっていう人がね、作っていたかなり長編大作の映画。
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小学校の時に見たのかな?それとか、ドイツ映画のSっていうね、映画。
これもね、群衆心理とあとは人の人間のね、極限に人間を追い込まれた時にどうなるかっていう、
スタンフォード大学の監獄で、実験ですね。監視役と囚人役に分かれて、実験をした時に人間はどういう風になっていくかみたいな。
これは多分、史実とフィクションが両方入っているものになります。
あと、オウム心理教のドキュメンタリー映画みたいなね。
A2っていう、大学生の時に見たの?違う違う違う、社会人になってから見たのかな?っていう映画も数少ない心に残っている映画の中にあって。
全然私気づかなかったんですけど、今回ね、この監督、福田村事件の監督の森達也監督がまさにAA2。
オウム心理教のね、ドキュメンタリー映画を撮られていた、AA2っていうね、映画を撮られていた監督だったんですね。
私はこういう映画が好きなんだなって思いました。
まあ、わかっちゃいたけど。
人間心理とか群衆心理、日常じゃない状況に人が置かれた時に、人はどう行動するのか。
暴走してしまって、加害者、虐殺側になるのか。
いや、静観して何もできないのか。
9割くらいなら今度こっちに行くんかな、みたいな。
私もね、そういう一人だと認識していますけれども。
人間の真理とは、人間とは、みたいなものに気に迫るような表現だったり、映像としてね、映されているものっていうのに、なんか無性に惹かれる自分をね、
今日この福田村事件を見た時に改めて思いました。
それで何ができるとかじゃないんだけど、なんか人間って、じゃあ善なのか悪なのか。
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私は人間は善であるっていう風に信じているものの、本当にそうかっていうようなね、ことの方が日常は多いかなと思っていて。
善でありたいというね、気持ちからいいこと、善に目を向けているような気もするなぁ、みたいな。
なんかね、そんなことを考えました。
岸くんもね、今私のスタイフのタイトルは善思考っていう、まさにね、善、良いっていうね、善も含まれてます。
なんか考えるきっかけなんですよね、本当に。
あんまりね、映画をいつも見ているわけじゃないからこそ、なんかその映画に対する評論とかね、何かしようっていうのはないんだけれども、
もしね、同じものを見てどう感じたとかいうものを共有できる人がいたら嬉しいな、みたいに思ったり。
100年前のこの出来事、フィクションももちろん含まれていると思いますが、100年前と何ら人間は変わってないんじゃないかっていう。
手段、情報の取り方とかは変わってるけれども、人間の持つ心理的なものは全く変わってない。
これは100年と言わず、何千年もね、人間が世界で至るところで虐殺を行ってきた、みたいな背景だったりとか。
弥生一代って3000年くらい前なんですかね、確か。
村集団を持って狩りに出かけてっていう、この仲間とか守るもの、この村仲間を守るっていうことができた、その社会性ができたからこそ、他を攻撃してしまう。
要は誰も悪じゃないのに、全人が全人を攻撃してしまうようなことっていうのは、もちろん今に限らず、100年前に限らず、数千年ね、人間が行ってきていることなんだろうなーっていうのを。
森達也さんもすごいなー、というのと、やっぱりこの出演者の方の演技の上手さに見せられるっていうのがあって。
絶対何もうまく伝えられそうにないって分かっていながらも、なんか喋りたくて仕方ないっていう気持ちに駆られるぐらいのね、映画でした。
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今年ね、私ね、この水曜日という機会を存分に活用して映画を観に行っているんですけども、いいですね。
今までなんで観てなかったんだろうと思うぐらい、だから観たいときは観ようと思って、またお気になる作品観て、これはっていうのがあったらシェアしたいなと思います。
はい、じゃあ今日はですね、福田村事件を観に行ってきましたっていうところから、自分のね、考えやすいこととか価値観みたいなものもお気掘りになってきたので、再会のタイミングここだと思って、今日は発信してみました。
はい、じゃあまたね、明日からも、明日からはね、こんな重苦しいものはね、喋る気全然ないんで、またなんかいろいろお話してきたらなと思います。
聞いてくださった方、いらっしゃいましたらありがとうございました。また明日も楽しみにしてねー。じゃねー。