1. プロジェクトの秘訣を探る Project Design Room
  2. #04-1 本気の遊びから生まれた..
2023-07-20 35:29

#04-1 本気の遊びから生まれた秋田の共有資源「コモンズ」 | シェアビレッジ 代表 丑田俊輔

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起業家や科学者、クリエイター、新時代を導く先駆者たちと膝を突き合わせながら、プロジェクトを軌道に乗せる秘訣に迫るインタビューシリーズ。番組では「プロジェクトデザイン」の視点から5つの質問を投げかけ、プロフェッショナルの原動力に迫ります。


第4回目のゲストは、株式会社シェアビレッジ 代表の丑田俊輔さんです。


神田に社会資本を積み上げるプラットフォームスクエアを運営する傍ら、姉妹都市である秋田県五城目町に移住し「コモンズ=共有資源」を生み出し続ける丑田さん。「狂気的な遊び人」を自称しながら、遊びの中から力強くプロジェクトを生み出し、持続的に変化させていく秘訣を語ってくれています。


ディープな対話をお楽しみください。


<ハイライト>

#プレイフルドリブンで狂気的な遊び人がプロジェクトを立ち上げる

#周りに依存し主体を空洞化させることで高まる自走力

#非営利型の株式会社

#2500人のデジタル村を解散

#貨幣経済のパラダイムに固執しないから生み出せる自由度


<5つの質問>

#1 VISION : どんな未来のために活動しているか

#2 ORIGIN : 活動の根源にある原体験

#3 KEY : プロジェクトを大きな成功に導く鍵は

#4 CHALLENGE : 超えるべき高い壁は

#5 EFFECT : プロジェクトの成功は社会にどんな影響を与えるのか


■株式会社シェアビレッジ

“みんなで暮らしをつくる”を、人類最高の遊びにする ための協同組合型チーム。2015年に、秋田の茅葺古民家を仮想の村に見立てた新たなコミュニティづくりを開始。2020年より、全国各地の小さなコミュニティ群や、様々な領域との共創を通じて、”暮らしを共有化”(コモニング)するための「道具」と「学び場」づくり、そして「社会実験」を進めています。

https://sharevillage.co/


■ハバタク株式会社

「世界に羽ばたく冒険者を増やす。」をスローガンに、教育機関から企業・個人まで幅広くサービスを提供している教育事業者です。

https://www.habataku.co.jp/


■プラットフォームサービス株式会社

官民連携による、まちづくり拠点施設の企画運営

https://www.yamori.jp/

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プロジェクトのデザインルーム
プロジェクトのデザインルーム
プロジェクトのデザインルーム
プロジェクトのデザインルームへようこそ。この番組は、企業家や科学者、クリエイター、新時代を導く先駆者たちと膝をつき合わせながら未来を対話するインタビューシリーズです。
プロジェクトデザインの視点から5つの質問を投げかけることで、プロフェッショナルの原動力に迫っていきます。
ナビゲーターはKonel 知財図鑑代表で、プロジェクトデザイナーの出村光世です。
それでは本日のゲストをお呼びいたしましょう。シェアビレッジ株式会社代表の丑田俊介さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
すごい楽しみにしてました。
本当ですか。
この曝露町にお呼びするのも、お互いのオフィスが近かったみたいなこともあって、すごくよかったなと思ってます。
でも出会いを振り返ると、ここ数ヶ月ぐらいのことだったりしていて、
今年の春に鹿児島で行われたSATSUMA会議というカンファレンスがあって立ちのみしてたら、たまたま僕の奥さんの旧姓が丑田なんですけど、
同じ丑田さんという人が初めて会ったと。親戚以外で初めて会ったという。
僕も初めて会いました。
すごいそれで飲みながら盛り上がったっていうのがあって。
最初なんかお互い何やってるとか全然話さずに、それだけで盛り上がってましたけど、結構いろんな共通点があったなというところで。
この辺り東京も神田とかにしばらく、今も拠点があられる感じですよね。
ですね。2004年から神田錦町っていうところで拠点を持っていて、20年ぐらい経ちますね。
そうですよね。もうそんなに経つんですね。
ですね。だいぶおっさんになりましたね。
今いくつなんですか?丑田さん。
今38で今年9になるときですね。
ちょうど僕と同じ年齢、僕が38なんでほぼほぼ同世代っていうところで。
そんな共通点もあるし、お互い地方にも拠点がある。
僕は金沢にあるし、秋田の方にも拠点があったり。
いろんな共通点があるなというところが印象的でしたが、非常に楽しみにしてました。
まずですね、リスナーの方に向けて簡単に自己紹介をしていただけたらなと思うんですけど、
おそらくいろんな肩書があって、今シェアビレッジの代表としてご紹介しましたけれども、
羽ばたく株式会社だとか、プラットフォームサービス株式会社といういろんな側面も含めて、
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ちょっと簡単にご自身のことを紹介してください。
肩書、多分同じような悩みを抱えていらっしゃると思うんですけど、
一言で説明しづらいと。
普段は秋田県の五条目町という町に住んでいまして、
神田、東京都2拠点で移動しながら暮らしているんですけれど、
子供がですね、学校のお父さんの職業をヒアリングして展示するみたいなのが数年前あってですね、
いろいろとりあえず丁寧にやってることを説明して、
わかったって言って、つまり遊び人ってことでいいんですか?みたいな。
このまま展示されてしまったという事件があってですね。
秋田の田舎の中だと、何々ちゃんのお父さんなんか遊んでるらしいよみたいになってしまったと。
おもしろい。一番正解してそうですけどね。
ですね。楽しそうに働いてるから、そんな感じでいいでしょうみたいな感じだったらしいんですけど、
もともとはですね、2004年に千代田区の神田認識町というところの公共施設を民間でお借りして、
まちづくり拠点を作るという千代田プラットフォームスクエアという施設を運営する会社を立ち上げるところにですね、
学生時代に巻き込まれて、まちづくりみたいなところに関わり始めて、
今でもそこを運営しているという形なんですけど、
その後ですね、羽田区という教育学びをもっともっと面白くしていこうというクリエイティブチームを作って、
2010年から東京、秋田、そしてベトナムとかアメリカ、海外含めて教育のプロジェクトを作っていくようなチームを作ってやってきました。
2014年から秋田に引っ越しまして、現地でシェアビレッジというコミュニティづくりとかですね、
あとちょっと横文字になるんですけど、コモンズ、共有資源とか共有地みたいなことなんですけど、
そういったものをテーマにした新しいチームを作って今に至るというそんな感じの、よくわからない人間でございます。
すごいなと思うのが、全部引き続き、ずっと地続きでやってるんですもんね。
何かしら繋がってるんですけど、現象として、地上に出てくるものとしては全く違ったふうに見えていったりするので、
それはそれで自分も楽しみながら、ちょっとカオスを楽しみながら働くみたいな。
面白いです。本当シェアビレッジ、2014年なんでもう結構10年近く経つんですけど、当時出たときのことをすごいよく覚えていて、
当時、広告業界にいたんですけども、まさに日本広告業協会、通称J3Aって呼ばれる組織が、
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若者による若者のための広告賞みたいな、多選で表彰していくみたいなのがあったんですけど、
そこに第2回かな、シェアビレッジが食い込んで、なんかアワード逆にさせていただいたみたいな、
そんなことも思い出しながら懐かしく思ってましたけど、続いてるってことが何よりすごいなと思って楽しみにしてましたというところですね。
じゃあちょっとアイスブレイクがてらなんですけれども、本題に入る前に、
牛田さん個人についてももうちょっと聞きたいなと思っていて、
どんな少年でしたっていう質問なんですけども、時代はどの辺でも、本当幼き頃でも、
学生時代でもいいんですけども、牛田さんのパッと思い浮かぶエピソードとかちょっとあったら教えていただきたいですね。
少年時代の記憶がだいぶなくなってきてたんですよね。
それ聞かれたら困るなと思いながら投げちゃいました。
昆虫とかは多分好きでしたね。
東京で育ってるんですけど、生まれは福島で、両親が福島なんですけど、
育ちはずっと東京の下町で野で駆け回りながら、野って言っても都会の野で駆け回りながら育ってきていて、
だいぶショートカットして、大学に入る頃からちょっとアルバイトとかして、
お金も持ち始めると自由の身になってですね、旅するようになったんですよね。
青春18キップって今でもあるのかわかんないですけど、乗り放題のローカル線キップで、
47都道府県のいろんな街を見に行こうって旅して、
もしかしたらそれが今そういった地域とかローカルに関わることになった一つのきっかけになってるのかななんてのも結果的に思ったりするんですけど、
そんな感じで旅をしたり、今ではね、海外ブラブラしたりとか放浪するのが結構好きで、
放浪の中からご縁が生まれたりとか、遊び心が湧き上がってきて、興味を持つ領域が出てきたりとか、
それが結果としてプロジェクトになったり、仕事になったりという、なんかそんな感じの、
たぶんタイプかもしれないですね。
そうですよね。ちょっと共感するところもあるんで、よくわかるんですけど、
なんか仕事作りに行くぞって出張してるっていうよりも、
なんか遊びの中で出会う人たちとプロジェクトが生まれるときが、
一番しなやかにことが進んでいくなみたいなのもきっとあるんだろうなと思って想像してました。
一方で今の生活なんですけど、今少なくとも3社の肩書きを最初に説明いただきましたけれども、
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むちゃくちゃ働いてんのかなって想像してるリスナーの方もいるかと思うんですけど、
実際どうですか。結構激務な中動いてるんですか。
そうですね。朝5時とかに起きて、天気が良ければ原料駅に軽量釣りに行ったりはしますか。
まず遊びに行くと。
魚釣って帰ってきて、
汗だくだったら、温泉を地域の仲間たちと再生して、
湯残温泉で温泉を運営している会社もやってるんですけど、
それも地域のコロナ禍で閉じてしまった温泉を、
やっぱり暮らしの中で毎日温泉に行くってすごく大事なことだったので、
みんなでちょっとずつお金と体を持ち寄って再生させていこうみたいなことをやっているんですけど、
やっぱ温泉に毎日行きますね。
いや、最高っすね。
はい。
とりあえず釣って、一回体洗って。
体洗って、で真面目に仕事するかって、
そこのどこからどこが仕事かっていうのもあれなんですけど、
もちろん仕事も結構好きだったりするし、
でもそれが、例えば天気いい日に釣りに行くとか、
温泉でゆっくりとじっちゃんばっちゃんたちと、
ばっちゃんと返したらよくないか。
温泉でばっちゃんは結構あるかもしれない。
本欲が多いんで。
そういう時間はすごく大切にしていたりとか、
また子どもたちと遊んで一緒に飯作るとかね、
そういう時間も含めて結構自分の生き方とか暮らし方とか、
働き方がときあっているような、
そんな感じの日々を送っているかな。
めちゃめちゃいいですね。
すごいそういう生活に憧れている、
都会で働く人ってたくさんいると思うので、
今日ちょっと少しヒントが見つかるといいなというふうに思っています。
ちょっとそうですね、5畳目秋田県のところを少し今日は
アボリーしていきたいなというふうに思っているので、
かなりいろいろ広がっているとは思うんですけれども、
5畳目のプロジェクトというか、今どんな感じで始まって、
どう面白くなっているよみたいなことをちょっと簡単に教えてください。
もともとは神田にある町づくり拠点があるのが東京都の千代田区なんですね。
千代田区と秋田県の5畳目町という本当にちっちゃな町が
30年来の姉妹都市だったというご縁で仲良くなって、
2013年かなに遊び行ってみたら、日本酒も美味しいし、
12:00
朝市とか酒蔵とか300年500年続いているような場所もあって、
なんかいいなと思う。里山のこの何の派手さもない地味さのある日常がいいなって
気に入ってしまって引っ越したっていうのが2014年だったんですね。
本当に遅延があったわけじゃなくて、
仕事先の姉妹都市に家族で移住されたってことですか。
そうですね。仕事先でもなかったです。
当時2013年、2014年ってまだいわゆる地方創生みたいな言葉もちょっと手前というか、
ぐらいの時期だったので、
創生してやろうとか町づくりをしようという感じで引っ越したというよりは、
暮らしのベースとしてまず住んでみて、
その中で自分の中で生まれてくる興味とかつながりの中で、
プロジェクトが生まれていったらいいなっていうので、
あえてその東京で感じてる仮設思考みたいなのをちょっとどっか脇に置いておいて、
暮らしながら何が立ち現れてくるかを考えようって言って、
2014年から住み始めたっていうのが最初だったんです。
旅っぽいというか。
でもそれは東京の仕事を辞めずに移住したってことなんですよね。
そうですね。東京のプロジェクトも持ちながら、
短期的にはいきなりクロスしないかもしれないんだけれども、
当時羽ばたくという会社は世界に羽ばたいていこうというので、
結構海外を見ているようなプロジェクトを多く手掛けていったこともあって、
トナムに出たりとか、アメリカに中高生たちが羽ばたいていく環境を作っていったりっていうので、
じゃあ次はどこの国に行くかみたいな中で、
車内でちょっと秋田に行くみたいな話で、
お前は一体どうしたんだ、みたいな感じになったんですけど、
なんとなく直感というか予感として、
日本のローカルの、しかも東日本大震災ってすごく大きな出来事があったような東北の地から、
足元を掘っていくと、5年10年とかもしかしたらもっとだけかもしれないけど、
それが世界に溢れ出ていくような魅力を放っていくような、なんとなく予感がして、
その時に自分たちが神田であったりとか、もしくは教育山並みっていう切り口で、
手掛けてきたプロジェクトとか繋がりがどっかで交差していくんじゃないかなっていう、
なんかそんな予感は超楽観的にあったっていう感じです。
いや面白いです。そっからまずは移住して何が起こるかっていうところですけど、
今どんなことが起こっているんですか。
先ほどシェアービレッジっていう広告の当時のお話をしていただいたと思うんですけど、
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引っ越してちょっと田植えなんかもしながら暮らしていくと、
変な奴引っ越してきたぞっていろんな人たちが見に来てくれたりとか、
地元の人たちにお世話になりながら暮らし始めたんですけど、
その引っ越した翌月かな、本当にたまたま発見したこっついかやぶきの小民家があって、
築当時134年ぐらいか。
すごい。
で、持ち主のおじいちゃんに中を案内してもらったんですよね。
すごく丁寧に管理されていて、すごく綺麗にされてるし、
屋根も国語の先生をやってらっしゃったんですけど、
代宿金を全部はたいて屋根もメンテナンスし続けて、
わが子のように家を大事にしてきたんだけれども、
やはりご年齢も非常に高くなってきて、
お金も無限にあるわけではなくてもうだいぶ尽きてきたっていうのもあって、
放置してしまうと家ってすぐダメになってしまうので、
かわいそうだけど解体した方が家のためになるんじゃないかっていうので、
案内していただいたときに、
家の解体の見積もりもちょうど届いてたような時期だったんですよね。
それをさらに思いを聞いてみると、
昔の家の作り方って、
今だと個人で住宅ローンを組んで、
個人の所有物として住宅を建てていくじゃないですか。
昔は生き延びるためにああいう形に結果的になっていったっていうのがあって、
集落の、先ほどコモンズっていう言葉を出したんですけど、
みんなで管理していく里山の山から木材を切り出して家を建てていくとか、
茅吹きの屋根もススキっていう植物ですよね。
またそれもコモンズとして、
集落の外れにススキ畑をみんなで共同所有して、
それをみんなでじゃあ今年はススキさん家の北面やるかって言って、
差し替えて屋根を作ったりって言って、
教助とかコミュニティみたいなところが暮らしと直結していたりとか、
自然の資源も引き出す技術もかなりやっぱり高かったんですよね。
それを結晶としての茅吹きコミュニティって結構かっこいいなと思い始めて、
そういったものが象徴的に残っていくようなプロジェクト作れないかなっていうので、
仲間たちと作ったのがシェアヴィレッジという取り組みで、
なので個人で、牛だけとして所有して個人で住むっていうのだけだと、
やっぱりそれで終わってしまうところがあるので、
もうみんなでこの家をメンテナンスしたりとか手入れしながら楽しんでいこうよっていうことで、
村に見立てていこうと、この小民家を。
この仮想の村に年古を払ってくれた人は村民になれて、
18:04
その集落に物理的に住んで住民票を置いていなくても村の一員になれると。
そういったコミュニティを昔だったら物理的に近くにいる人で成り立たせていたとか、
人口減少とか高齢化の中で少しそれが難しくなってきたところを、
もちろんその共同体をアップデートして、
そのアップデートされた共同体で、
かやぶきの小民家っていうコモンズを育んでいくとか楽しんでいくっていう、
そういったプロジェクトを作ったのが一番対象だったね。
やっぱり出会って、あれこれは解体されるのは良くないなっていうところからの、
当時のインターネットコミュニティみたいなのが初めてのところにうまく当てていったっていうところですよね。
でも本当、このデジタル村民っていう言葉が大好きでとかうまいなというか、
ちゃんと新しい言葉なんだけど、みんなが直感で理解しやすくて、
実際の村民の方も取っつきやすいのかなと思いながら、すごく印象に残ってます。
そうですね、もうちょっとその先も聞いていこうかなと思うんですけれども、
そのコモンズ、共有資産みたいな意味で使われてますね。
できたシェアビリッジ、今はどれくらいの規模になってきてるんですか?
今、その小民家の村民制度っていうのはコロナ禍で一旦解散というかですね、解体して、
解散も減ってるんですね。
そうなんです。いろいろ生き物のようにコミュニティって変わっていくので、
常に拡大して大きくなっていこうっていうパラダイムじゃなくてもいいんじゃないかというので、
実は一番多い時2500人ぐらいの村になってたんですけど、
すごい。
またそれはそれでまた顔が見えなくなってきたりするところもあったりとか、
あとコロナで都市と地方の移動が一旦ストップしたところもあって、
解体してまた次のパラダイムにいこうできるんじゃないかみたいな話も村の中で話し合って、
その既存の制度っていうのは今、次のペースにいってるんですけれども、
コミュニティをアップデートしていくとか、
コモンズをみんなで共同で管理していくっていうことに対する知見は結構たまってきていて、
これを一つの秋田っていう場所だけで誰か一人がやっていくっていうよりは、
世界中もしくは日本中いろんなところにかやぶきのコミュニカルのようなものが例えばあるかもしれないし、
それ以外にも例えば山とか工作法基地とか商店街の秋ビル、秋物件、秋屋とか、
そういう先人たちが使ってきたストックがどんどん今市場形態とか資本主義の中からあぶれちゃってるっていうか、
もう値段がつかなくなってきて流通もしなくなって、
21:05
場合によってはもうタダでいいから買ってくれみたいなものが、
日本のローカルとか特に田舎に行けば行くほど増えてきていて、
そういったものを新しいコミュニティの形を想像していくとか、
もしくはコモニングって呼んでるんですけど、
みんなでコモンズ化して共有していくことで、
なんか次の地平が開けていくんじゃないかっていうことを、
コロナ禍で結構焚き火しながらみんなで話し合ってるんですね。
そのための道具として、
例えば決済をするツールであったりとか、
コミュニティ独自の通貨を、
おもちゃのような通貨を発行できるようなアプリケーションとか、
もしくはですね、
かやぶきの小民家が昔やっていたような地域の森林から住宅を蘇生するっていうような営みを、
デジタルファブリケーションっていう新しいテクノロジーで、
現代の形に再解釈できるんじゃないかっていうので、
今、ネオ集落って新しい集落づくりを地域の森林とテクノロジーで建設していたりとか、
そんな感じのプロジェクトにシェアビレッジは育ってきていますね。
なるほど。
もともとが秋田から発祥して、
いろんな拡大と縮小とか解散みたいなことの知見が一回ぐるっとなったよっていうところに対して、
ある意味それを知材化したというか、
自己展開できるような形に、
今、アプリケーション的な感じになってるってことですよね。
そうですね。
そういったアプリケーションも、
使える場合はどんどん使っていったらいいし、
逆に地域のじっちゃんばっちゃんたちってアナログのほうが面白かったりする場合もあって、
道具は道具に過ぎなかったりするので、
使える場合はどんどん使って、
その道具をまたみんなで持ち寄って共有化していくと、
プラットフォームがよりオープンになる。
例えば昔、インターネットの基盤になったLinuxというOSもフィンランドから始まって、
オープンソース化されていったんですけど、
みんな、俺こんな機能作ったよって言って、
それを世界にシェアしていくと、
その上にまた誰かが買っていくというのが、
今のスマホとかコンピューターの基盤になっていったりするという、
そういう楽しみながら共有していくとか、
贈与していく、シェアしていく、
コモンズ化していくっていうことは結構大事な概念なんじゃないかなと思って、
そんなことが田舎でももっともっと多分再発明できるんじゃないかというのが興味を持っている。
いいですね、いいですね。
シェアビリッジ、よくわかってきました。
何かその中からある意味コモニングツールみたいなものを皆さんが作られているんだと思うんですけど、
もうちょっとだけ5条目の話を掘りたくて、
串田さんが来た後にできたコモンズというか、
24:03
共有実践って他に何か5条目のところに何かあったりしますか。
結構カオスにいろいろ生まれててですね。
例えば520年続く朝市が町の中心市街地にあって、
月に十何回かおばあちゃんたちが道端で山菜とか野菜を売っているような市場がある。
そんな好頻度で。
そうなんです、生活の基盤なんですよね。
それもこれからの波の中でおばあちゃんたちも80、90になるとね、
ちょっと体もしんどくてお店が減っていったりとか、
若い世代も共働きで平日の朝買い物に行けるかって言ったらなかなか行けなくて、
もっと大きなショッピングモールの方が便利で。
そういう時代の変化もあって、朝市消滅するかもっていう感じだったんだ。
朝市っていうのはまさにストリート、道路をコモニングしてきた事例なんですよね。
おばあちゃんたちが組合を作って、自分たちでこの通りを自治して、
商売のルールなんかも決めて、
時に保健所的にはグレーな自治ルールみたいなのがあったりするっていうのが結構面白くて、
それをおばあちゃんたち組合だけじゃなくて、
もうちょっと若い世代とかママさんがちょっと出店してみたいとか、
シェアビレッジの村民で毎月来る人がちょっと出店してみたいとか、
そういったコミュニティの幕を少し開放していくことで、
市場の機能がまた、
元来市場ってそういうカオスな商売が混在していたりとか、
商売以外の、例えば結婚相手を探しに息子と母親が徘徊していたみたいな、
そういう歴史資料の中で出てたりとか、
大道芸人がいたりとか占い師がいたりとか、
カオスな元々あった市場っていう機能を
コミュニティの幕を少し広げていくことで、
もう一度現代に再解釈できるんじゃないかっていうので、
町の女性たちが中心になって立ち上げていった朝市プラスっていうその日曜市が、
結構な面白さになってきていて、
そこでお味噌出してみた人が、
通りの空き物件でカフェを始めてみたりとか、
パン屋さんを始めてみたりとか、
そういったちっちゃな空き内が、
ストリートをコモニングした上に経済が乗っかってくるとか、
多様な空き内が乗っかってきたりとかするっていうのが、
町中で今、例えば起きてる一つの例だったりとか。
面白いですね。
もともとある仕組みに対して、
現代にそぐうように少しだけチャンネルを入れ替えて、
できるだけシンプルなルールで開放すると、
あとはみんなが乗っかってくるみたいな。
まさにまさに。
そんな感じなんですね。
中心性がなくなっていくというか、
27:00
誰か一人のカリスマリーダーとか、
カリスマばあちゃんが統治してるっていうわけでもなく、
誰が真ん中に、最初はもちろん言い出しっぺとか熱量ある、
僕は狂った遊び人って呼んでるんですけど、
そこに思いっきり旗を立てて、
遊び仲間を見つけていくような人が、
最初はいたりするんだけど、徐々に溶けていって、
中心が空洞になっていく。
その上でそれぞれが振る舞っていくことで、
予想しないようなものが生まれていくのが結構面白いことで。
その朝市の通りの真ん中にまた、
20年以上悪鬼物件だった古いビルがあって、
いろんな御苑の中でかなりタダに近い形で貸していただけることになって、
今度はこういった月1,2回ぐらいしか、
朝1プラスっていう日曜日はないんですけど、
こういった非日常のものが日常にあるような場所ができたらいいなと。
遊びを日常化するというか、
っていう場所を作りたいなっていうので、
また町の親子50,60人ぐらいで集まって、
タダで誰でも来れる、タダの場所っていうので、
タダの遊び場っていうのをトンカントンカン作って。
またいいですね、タダの遊び場。
いろいろダブルミーニングしてる感じもありますよね。
無料だし、ジャスト、遊び話みたいな。
そうですそうです。
そんな場を作ってみると、また空間も無計画なんですけど、
例えば地元の鉄工所の兄ちゃんが、
うちの子供、小学生でよく遊び来ると思うから、
ちょっと運転つけときますとかですね。
運転が突然ついたりとか、
本とか漫画とか時計とかいろんなものが増揚されてきて、
空間がどんどん変容していくんですよね。
子供たちも放課後バーッと走り込んできて、
バーッとまた町に出ていくと、
やっぱり車社会化で田舎の商店街も、
子供とか人がほとんど歩いてなかったりする商店街が多くて、
序面も実際その傾向はあったんですけど、
そういった場ができることで、
子供たちが商店街で走り回ってるなとか、
もちろん危ないなという声も出るし、
嬉しいなという声も出たりするんですけど、
そういうふうに人の流れが変わると、
またママさんとかパパさんも通りを歩くようになって、
そこに経済が生まれていったりするというような、
そんなプロジェクトもこの通りでは生まれてきましたね。
いや、すごい面白いし、またしてもいいネーミングだなとも思ったんですけども、
それってつまり、牛田さんにとっては仕事ですか?
何ですか?そういう活動は。
たまに仕事になったりもするし、
無理にその貨幣経済のパラダイムの中で
完結させなくてもいいかなって思っているものも混ざってたりするんですよね。
30:02
ただの遊び場なんかで言うともう完全に、
よくマネタイズどうしてるんですかって聞かれるんですけど、
固定費もほとんどかかってないし、
その共助で運営してたりすると、
無理にマネタイズに飲みそうと時間を割かなくても、
続いたりする場合ってあるんですよね。
時に例えばそういった街中の有給不動産を活かして、
新しい遊び場を作るとかコモンズを作るっていったことの知見が、
活かせるプロジェクトが貨幣経済の枠の中で起動するっていう場合も
結果的にあったりして、それはもしかしたら仕事とか稼ぎみたいな
風に呼ばれたりもする場合もあるし、
無理にそこに全部が全部集約されなくてもいいかな
なんてことも思っていますね。
そうですよね。
今日もうそこの話だけでいいんじゃないかって実は思うぐらい
深いトピックなんですけど、
やっぱり出版が関わられているプロジェクトとかできたコモンズって
むちゃくちゃ自由度が高いなっていうふうに思っていて、
結構僕ら普段クリエイティブの仕事をする中でも
いかにこのルールを飼いくぐるかとかハックするかとか
自由にすることに対してものすごい労力とかコストがかかるんですけど、
今の話はすごくヒントが深いなと思っていて、
仕事じゃない、貨幣経済じゃないから
自由でやれていることって結構ありそうな印象なんですけど、
そんな感じやっぱあります?
めちゃめちゃありますね。
遊び場もそうだし、朝市なんかもそうだし、
あとは50名で起きていることとしてはですね、
小学校を党配合されたんですよね、街が。
子どもがやっぱりものすごい距離減ってるっていうのもあって、
5、6個あった小学校が一つに最終的には統合されるっていうので、
街の学校建設の担当者の方が、
この街で学校を作るのってもしかしたら最後かもしれない、
党配合で建て替えのプロジェクトだったんですけど、
それを公共のパブリックのものとして完結させるんじゃなくて、
やっぱりもともと学校っていうのも地域のコミュニティで自治してきたような
存在でもきっとあったんじゃないかっていうので、
参加年で住民参加のワークショップを繰り返していって、
こんな学校だったら通いたいとか、こんな学校が街にあったらいいなっていうのをやっていったんですよね。
で、超える学校っていうコンセプトで、
子どもが学校に通ってなくても通える小学校にしようとかっていうので、
街の図書室を小学校の中に格納して、
もう誰でもぶらっと学校に遊びに行けるとか、本読みに行けたりとか、
Wi-Fiも通して仕事しに行けたりするような、
学校っていいよねみたいなのを実装していったりとか、
33:02
あとは教育留学っていう制度も作って、
移住とか転校しなくても、
例えば東京に住んでる小学生が年に1ヶ月とか、
例えば2週間とか、
5条目の小学校に柔軟に通いに来れたりすると、
また2拠点居住する人が教育も2拠点できるようになっていって、
コミュニティに変化が、お互いに学び合いが生まれたり、
刺激が与えられるんじゃないかっていうので、
そういった小学校作りなんかも、
もちろん仕事としてそこにプロデュースしたりプロジェクトを作る場合もあれば、
1、子育てしている人間としてそこにコミットしていくことで、
面白い学校ができて、愛育を育てる環境ができたなとか、
将来的には例えばいろんな学校にそういった留学の仕組みができたら、
自分たちも飽きた東京だけじゃなくて、
いろんな学校にふらっと留学しに行くみたいなことをやっていける環境ができると、
それはそれで人生楽しくなりそうだなみたいな、
そんなプロジェクトなんかも結果的に生まれていったりはしましたね。
いや、最高ですね。
僕その話以前聞いて、
結構本格的に今うちの小5と小2の子供を連れてしばらく行ってみたいって、
ちょっと奥さんと話したりするんですけど、
すごいことが起こってるなと。
自分たちの反省も含めてなんですけど、
いろんな面白い話がやっぱりそこら中で起こるんですよね。
どこに自分の身を置こうかって思ったときに、
やっぱり会社として仕事として受注産業っていうのもあるんですけども、
なんかそういうふうに捉えてしまうことで、
ロスしてしまっているようなチャンスってすごくあるんだろうなっていうのを
ちょっと今しみじみ伺っておりましたというところで、
この辺でまず前半を締めくくっていきたいなと思うんですけれども、
後半は5つの質問に沿って、
牛田さんが持ってらっしゃるプロジェクトのコツみたいなところを
伺っていければと思います。
それではこの続きは後半で。
35:29

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