若者による若者のための広告賞みたいな、多選で表彰していくみたいなのがあったんですけど、
そこに第2回かな、シェアビレッジが食い込んで、なんかアワード逆にさせていただいたみたいな、
そんなことも思い出しながら懐かしく思ってましたけど、続いてるってことが何よりすごいなと思って楽しみにしてましたというところですね。
じゃあちょっとアイスブレイクがてらなんですけれども、本題に入る前に、
牛田さん個人についてももうちょっと聞きたいなと思っていて、
どんな少年でしたっていう質問なんですけども、時代はどの辺でも、本当幼き頃でも、
学生時代でもいいんですけども、牛田さんのパッと思い浮かぶエピソードとかちょっとあったら教えていただきたいですね。
少年時代の記憶がだいぶなくなってきてたんですよね。
それ聞かれたら困るなと思いながら投げちゃいました。
昆虫とかは多分好きでしたね。
東京で育ってるんですけど、生まれは福島で、両親が福島なんですけど、
育ちはずっと東京の下町で野で駆け回りながら、野って言っても都会の野で駆け回りながら育ってきていて、
だいぶショートカットして、大学に入る頃からちょっとアルバイトとかして、
お金も持ち始めると自由の身になってですね、旅するようになったんですよね。
青春18キップって今でもあるのかわかんないですけど、乗り放題のローカル線キップで、
47都道府県のいろんな街を見に行こうって旅して、
もしかしたらそれが今そういった地域とかローカルに関わることになった一つのきっかけになってるのかななんてのも結果的に思ったりするんですけど、
そんな感じで旅をしたり、今ではね、海外ブラブラしたりとか放浪するのが結構好きで、
放浪の中からご縁が生まれたりとか、遊び心が湧き上がってきて、興味を持つ領域が出てきたりとか、
それが結果としてプロジェクトになったり、仕事になったりという、なんかそんな感じの、
たぶんタイプかもしれないですね。
そうですよね。ちょっと共感するところもあるんで、よくわかるんですけど、
なんか仕事作りに行くぞって出張してるっていうよりも、
なんか遊びの中で出会う人たちとプロジェクトが生まれるときが、
一番しなやかにことが進んでいくなみたいなのもきっとあるんだろうなと思って想像してました。
一方で今の生活なんですけど、今少なくとも3社の肩書きを最初に説明いただきましたけれども、
朝市とか酒蔵とか300年500年続いているような場所もあって、
なんかいいなと思う。里山のこの何の派手さもない地味さのある日常がいいなって
気に入ってしまって引っ越したっていうのが2014年だったんですね。
本当に遅延があったわけじゃなくて、
仕事先の姉妹都市に家族で移住されたってことですか。
そうですね。仕事先でもなかったです。
当時2013年、2014年ってまだいわゆる地方創生みたいな言葉もちょっと手前というか、
ぐらいの時期だったので、
創生してやろうとか町づくりをしようという感じで引っ越したというよりは、
暮らしのベースとしてまず住んでみて、
その中で自分の中で生まれてくる興味とかつながりの中で、
プロジェクトが生まれていったらいいなっていうので、
あえてその東京で感じてる仮設思考みたいなのをちょっとどっか脇に置いておいて、
暮らしながら何が立ち現れてくるかを考えようって言って、
2014年から住み始めたっていうのが最初だったんです。
旅っぽいというか。
でもそれは東京の仕事を辞めずに移住したってことなんですよね。
そうですね。東京のプロジェクトも持ちながら、
短期的にはいきなりクロスしないかもしれないんだけれども、
当時羽ばたくという会社は世界に羽ばたいていこうというので、
結構海外を見ているようなプロジェクトを多く手掛けていったこともあって、
トナムに出たりとか、アメリカに中高生たちが羽ばたいていく環境を作っていったりっていうので、
じゃあ次はどこの国に行くかみたいな中で、
車内でちょっと秋田に行くみたいな話で、
お前は一体どうしたんだ、みたいな感じになったんですけど、
なんとなく直感というか予感として、
日本のローカルの、しかも東日本大震災ってすごく大きな出来事があったような東北の地から、
足元を掘っていくと、5年10年とかもしかしたらもっとだけかもしれないけど、
それが世界に溢れ出ていくような魅力を放っていくような、なんとなく予感がして、
その時に自分たちが神田であったりとか、もしくは教育山並みっていう切り口で、
手掛けてきたプロジェクトとか繋がりがどっかで交差していくんじゃないかなっていう、
なんかそんな予感は超楽観的にあったっていう感じです。
いや面白いです。そっからまずは移住して何が起こるかっていうところですけど、
今どんなことが起こっているんですか。
先ほどシェアービレッジっていう広告の当時のお話をしていただいたと思うんですけど、
引っ越してちょっと田植えなんかもしながら暮らしていくと、
変な奴引っ越してきたぞっていろんな人たちが見に来てくれたりとか、
地元の人たちにお世話になりながら暮らし始めたんですけど、
その引っ越した翌月かな、本当にたまたま発見したこっついかやぶきの小民家があって、
築当時134年ぐらいか。
すごい。
で、持ち主のおじいちゃんに中を案内してもらったんですよね。
すごく丁寧に管理されていて、すごく綺麗にされてるし、
屋根も国語の先生をやってらっしゃったんですけど、
代宿金を全部はたいて屋根もメンテナンスし続けて、
わが子のように家を大事にしてきたんだけれども、
やはりご年齢も非常に高くなってきて、
お金も無限にあるわけではなくてもうだいぶ尽きてきたっていうのもあって、
放置してしまうと家ってすぐダメになってしまうので、
かわいそうだけど解体した方が家のためになるんじゃないかっていうので、
案内していただいたときに、
家の解体の見積もりもちょうど届いてたような時期だったんですよね。
それをさらに思いを聞いてみると、
昔の家の作り方って、
今だと個人で住宅ローンを組んで、
個人の所有物として住宅を建てていくじゃないですか。
昔は生き延びるためにああいう形に結果的になっていったっていうのがあって、
集落の、先ほどコモンズっていう言葉を出したんですけど、
みんなで管理していく里山の山から木材を切り出して家を建てていくとか、
茅吹きの屋根もススキっていう植物ですよね。
またそれもコモンズとして、
集落の外れにススキ畑をみんなで共同所有して、
それをみんなでじゃあ今年はススキさん家の北面やるかって言って、
差し替えて屋根を作ったりって言って、
教助とかコミュニティみたいなところが暮らしと直結していたりとか、
自然の資源も引き出す技術もかなりやっぱり高かったんですよね。
それを結晶としての茅吹きコミュニティって結構かっこいいなと思い始めて、
そういったものが象徴的に残っていくようなプロジェクト作れないかなっていうので、
仲間たちと作ったのがシェアヴィレッジという取り組みで、
なので個人で、牛だけとして所有して個人で住むっていうのだけだと、
やっぱりそれで終わってしまうところがあるので、
もうみんなでこの家をメンテナンスしたりとか手入れしながら楽しんでいこうよっていうことで、
村に見立てていこうと、この小民家を。
この仮想の村に年古を払ってくれた人は村民になれて、
その集落に物理的に住んで住民票を置いていなくても村の一員になれると。
そういったコミュニティを昔だったら物理的に近くにいる人で成り立たせていたとか、
人口減少とか高齢化の中で少しそれが難しくなってきたところを、
もちろんその共同体をアップデートして、
そのアップデートされた共同体で、
かやぶきの小民家っていうコモンズを育んでいくとか楽しんでいくっていう、
そういったプロジェクトを作ったのが一番対象だったね。
やっぱり出会って、あれこれは解体されるのは良くないなっていうところからの、
当時のインターネットコミュニティみたいなのが初めてのところにうまく当てていったっていうところですよね。
でも本当、このデジタル村民っていう言葉が大好きでとかうまいなというか、
ちゃんと新しい言葉なんだけど、みんなが直感で理解しやすくて、
実際の村民の方も取っつきやすいのかなと思いながら、すごく印象に残ってます。
そうですね、もうちょっとその先も聞いていこうかなと思うんですけれども、
そのコモンズ、共有資産みたいな意味で使われてますね。
できたシェアビリッジ、今はどれくらいの規模になってきてるんですか?
今、その小民家の村民制度っていうのはコロナ禍で一旦解散というかですね、解体して、
解散も減ってるんですね。
そうなんです。いろいろ生き物のようにコミュニティって変わっていくので、
常に拡大して大きくなっていこうっていうパラダイムじゃなくてもいいんじゃないかというので、
実は一番多い時2500人ぐらいの村になってたんですけど、
すごい。
またそれはそれでまた顔が見えなくなってきたりするところもあったりとか、
あとコロナで都市と地方の移動が一旦ストップしたところもあって、
解体してまた次のパラダイムにいこうできるんじゃないかみたいな話も村の中で話し合って、
その既存の制度っていうのは今、次のペースにいってるんですけれども、
コミュニティをアップデートしていくとか、
コモンズをみんなで共同で管理していくっていうことに対する知見は結構たまってきていて、
これを一つの秋田っていう場所だけで誰か一人がやっていくっていうよりは、
世界中もしくは日本中いろんなところにかやぶきのコミュニカルのようなものが例えばあるかもしれないし、
それ以外にも例えば山とか工作法基地とか商店街の秋ビル、秋物件、秋屋とか、
そういう先人たちが使ってきたストックがどんどん今市場形態とか資本主義の中からあぶれちゃってるっていうか、
もう値段がつかなくなってきて流通もしなくなって、