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2023-04-30 52:04

第35回後編「致死量ドーリス、容器(いれもの)」

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・楠本まき『致死量ドーリス』

あらすじ:本屋でバイトをしているバンドマンの青年・岸は、本を買いに来た女性・蜜の不思議な魅力に惹かれている。
「今すぐ来てよ でなきゃどこでも会わない。」と言われた岸は、夜中、蜜の家に向かうこととなった。
「ねえそれより 私のことを話して」
唐突に、彼女は彼にそう問いかけたのであった。


96年〜97年にFEEL YOUNGにて連載された本作は、話毎に変わる鮮やかな色彩、心象風景を表したコマ割り、寸分の狂いもなくデザインされた画、少女漫画文法(的でない)モノローグなど、あまりにも魅力的な作品となっています。

今回のエピソードでは、本作のその魅力について、話しながら読み解いていくことを目標とします。

前半では、楠本まき先生の作品集を振り返りながら、その凝った装丁の話や、書いてきたものについて整理を。

後半では、「蜜、という存在」が象徴する『資本主義的なものに精神や身体が飲み込まれて(飲み込ませて)いくこと』を。


どうぞ、存分にお楽しみください。


◆第35回後編の⁠⁠⁠用語集、詳しい解説、補足のnoteはこちら⁠。⁠⁠

https://note.com/lnt91/n/n55766ff5aea4


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(2023年4月27日収録) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 番組Twitter:https://twitter.com/kokosuna 感想など、ツイートしていただける場合のハッシュタグは#kokosuna でお願いします! ここすなリンク集→ https://lit.link/kokosuna 番組感想、お便りは kokoronosuna@gmail.com  ⁠⁠⁠⁠⁠もしくはこちらのフォームまで!⁠⁠⁠⁠⁠ 2023 artwork:⁠⁠⁠⁠⁠セキヤ@urosiita⁠⁠⁠⁠⁠

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この番組、心の砂地は、様々な文化や日常の気づきをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。 私、しゃーくんです。
はい、そして私が寺田です。よろしくお願いします。 今回は第35回後編として、
楠本まき先生の致死量ドーリスという作品を主に語っていく回というふうになっております。
で、楠本まき先生の作品の特徴とかは軽く前編で話しているので、前編いろんな雑誌の話とか、僕が自分の体験したカルチャーの話みたいなのをしてるんで、それもぜひとも
読読エピソード、前段として聞いていただければその辺はわかるかなっていう感じなのと、今回は楠本まき先生の作品紹介ザザッとしてメインの致死量ドーリスについて語っていくっていう感じになるかなと思っております。
はい。 で、楠本まき先生の軽く紹介はもう一度、前回していないところで言うんですけれども、
67年生まれの作家さんであるっていうことですね。 で、67年生まれは矢沢あいと同い年っていうのが言えるんですよね、楠本まき先生は。
へー、そうなんや。そっか、歳は一緒なんや。 他にはCLAMP制作チームがありますけども、カードキャプター、さくらとかエックスとか、CLAMPのチームも大体同世代ぐらいですかね。
で、まあ影響とか流れの話、僕たちがしてきた少女漫画の話とかで言うと、63年生まれに岡崎京子、上條淳士っていて、その次の年、64年生まれにいくえみ綾紡ぎたくって言うんですよ。
だから、岡崎京子、上條淳士はちょっとお兄さんお姉さんぐらい、世代。 いくえみ綾、紡木たくもちょい上、みたいな感じの世代っていうことが言えますね。
なるほどなるほど。
で、具体的に作品紹介になっていくんですけれども、デビュー作はマーガレット。
マーガレットで始めは、専属契約っていうところでいろんな作品を書かれるんですけど、単行本が出だすのは88年からです。
88年にデビュー作、青の解放という単行本が出ております。
翌年、ホットホットホット。これは多分、the Cureの曲名から撮ってると思うんですけど、という単行本が出ております。
初期の作品ということで、この後、楠本まき選集っていうので、実践の単行本とかが出てるんですけど、そのあたりにはこの辺、収録されてないので、
楠本まき先生的には、次の『KISSxxxx』という作品、ここからみたいなイメージがあるのかなというふうには勝手に思っております。
03:02
作品のリンクをノートに貼っておくんですけれども、楠本まき先生の単行本って本当に装丁が凝ってて、
前回も紹介したんですけども、線と言葉、楠本まきの仕事っていう、楠本まき先生についての本があるんですけど、
そこに装丁についての章があるぐらい、ものすごく表紙とか、そういう仕掛けとかが凝った、紙とかもすごいもの使ってるので、
その辺も見てみるだけで面白いので、よかったらビジュアルもぜひ検索しながら見ていただきたいなと思います。
で、『KISSxxxx』は普通のワイド版っていうので出てるんですけれども、次がTBI93年に出ております。
で、この次が『Kの葬列』。ここあたりからマーガレットの専属契約っていうのが終わって、94年ぐらいかな。
終わって、他の雑誌とかでも書くようになるっていう感じですね。
で、『Kの葬列』なんですけど、この後『乾からびた胎児』っていうのが97年ウィングスで出て、
今回話す『致死量ドーリス』が98年フィーリアングで出てるっていう感じだけど、この辺の時期はもう完全に『KISSxxxx』から『致死量ドーリス』までは全部ヤバいみたいな感じ。
うーん、結構楠本まき先生ってそれこそ端尾漫画家みたいなさ。前回のエピソードでも喋ったけど、端尾的な印象があるし、
この辺の絵の印象で言うとね、なんかそのみんなが思う楠本まき先生の絵だなっていう感じはするかもしれないんだけど、
それぞれ全然違うことを試してるのね。 アルバムごとに作風をどんどん変えていくみたいなのがあるじゃない。
なんかでもそういうイメージがあるかな。この辺の『KISSxxxx』から『致死量ドーリス』までの一連の作品っていうのは。
じゃあ、どれも傑作だけど全然方向性とかやってることは違うっていう印象なわけですね。
全然違って、面白い仕掛けみたいなのもあるし、
Kの草列は結構本格的なミステリーとしても面白いと思う。
仕掛けがあるってことですね。 あるし、いくつか短編とかも載ってるんだけど、
短編の一個一個の切れ味っていうか、っていうのがその『KISSxxxx』の次にこれ描いたんだなと思うと、
すごいなっていう感じはするかな。 いろんな作品が載ってて、なんかちょっと圧迫されてる
少年たちのコミュニティみたいなものを描いてて、なんかその『KISSxxxx』って本当に何もない空白の、
だらだらした日常みたいなのと、ちょっとしたそこのコミュニティみたいなものに恋愛的なものも入ってるし、
ある種、そういう何もない日常参加みたいにも読めると思っていて、
そういうバンドとか好きなものがある人たちの何もない日常の美しさみたいなのを描いてる傑作だと思うんだけど、
06:06
そのTBIの短編はそこがもっとそぎ落とされた時に、言ったら打ち毛場的な何かが起こるみたいなさ。
じゃあ『KISSxxxx』よりはちょっともうちょっとダークな方向に切り取ってる感じ? うん、ダーク。そうそうそう。
それこそ『KISSxxxx』で描いたような、ある種の理想的なコミュニティみたいな感じのものの否定をやっぱりやってる感もあって、
1個入ってる短編があって、この『KISSxxxx』の中にこれ描いてるのすげえなと思うし。
自分で積み上げたものを否定するっていうのはね。
まあまあ、いろんな作家がやることではあるんだけど、そういう感覚が流れで読むとそういう感じがしたかなっていうのもあるし。
だから初めて読むのはやっぱり『KISSxxxx』がおすすめなんですけど、今の感覚からするとちょっとストーリー的な仕掛けがあるようなものを求めると、
ちょっと引っかかんない可能性があるので、僕が初めて楠本まき先生を読むのであれば、今回の『致死量ドーリス』もしくはKの葬列が一番おすすめかなと思っております。
で、Kの葬列と『KISSxxxx』はどっちも最近、去年かな?新しい装丁になって、すごいかっこいい装丁で出てるので、新刊書店でも結構買いやすいと思うので、おすすめですね。
なるほど。
で、今回取り上げる『致死量ドーリス』ですね。これはフィール・ヤング、祥伝社フィール・ヤングで書いてますね。
で、その次がイカサマウミガメのスープ。98年新書館から出ております。
書室は角川の月刊アスカで書いてたのかな。
で、これも装丁頭おかしくて、箱入りやね。
うーん、本が?珍しいな。
うん、本が箱入りで開くようになってて、このパカッて開けて、そしたら中に本が入ってるんやけど、その本が布張りなのね。
え、どういうこと?布張りの本なの?
うん。
なに、このカバーの部分が布ってこと?の貼ってあるやつ。
そうそう、もちろんもちろん。
昔のいい絵本とかはあるイメージあるけど。
あ、そうそうそうそう。箱に入っててパカッて開けたらその布張りの本が入ってて、その布張りの本がなんかリボンがついてて、箱に。
で、そのリボンで結ばれてて、それを解いてその布張りの本を取ったら読めるっていう装丁。
スーパーオシャレ。
すごいですね。
そうそうそう。で、この辺からストーリー漫画っていう体はかなりなくなってくるかなっていう印象はあるかな。
イラストと詩と言葉みたいな感じになってくる感じかな。
一応多分、楠本まき先生的にはストーリー漫画を描いてるつもりだとは思うんだけど、普通の漫画の体ではなくなってくるっていうか。
今回の『致死量ドーリス』でもそういう系はあるんだけど、まだストーリーとして読めるやん。
うん、そうですね。
その感じが、もっと詩集みたいなのに近づいてるっていうか、詩とイラストとみたいな、もう完全にイラストと詩っていうものにぐっと近づいた漫画になってくるかな、この辺くらいかな。
09:12
すごいね。
で、単美生活百科っていうのをコーラスで、これは逆にめっちゃポップなエッセイ漫画みたいな感じで、
毎回ワンテーマつけて、2ページ、3ページ、4ページ、楠本まき先生が言葉と軽い漫画みたいなのを描いてるみたいな感じの作品ですね。
その2ページの内容っていうのはどんな感じの内容?
それぞれ名前がつけられたセルフポートレートとか、そういったことについて、漫画というかこういったエッセイ的な感じでいろんな。
あ、エッセイ。なんか楠本まき先生自身が出てくるようなってこと?
うん、出てくる。出てくる作品。
あー、そういうこと。へー、なんか想像つかないですね。
エッセイ漫画っていうとちょっと、今のエッセイ漫画っていうとちょっと違うっていうか、コラムみたいな感じかな。雑誌のコラムみたいな感じの2ページの漫画みたいなイメージで思ってくれたらいいかな。
へー。
軽いイラストがあって言葉がだーってあって、それがちょっとエッセイ調みたいな感じかな。
この本は結構、言ったら端微に生きるためのガイドみたいな感じの体ではあるんだけど、内容としてはすごくポップでハッピーな感じもするけど、やっぱりこの楠本まき先生を作る何かみたいなのと、やっぱスタイル。
まあスタイルについてって感じかな。こういう風なものをこうやって捉えて考えてみようやみたいな。それこそ僕たちが心のすなじでやってるようなものかもしれへんね。ワンテーマ、ワンタイトルみたいな感じで。
っていう感じなんで、すごく僕は大好きな本で、なんか楠本まき先生は逆にこの本で出したことで端微漫画家って言われるようになったみたいな。
で、中身別にそんなめちゃめちゃ端微端微してないのにみたいな。自分全然端微ってそこでも入ってないのにみたいなことも書いてあって。
これはでもめっちゃおすすめっすね。普通にその当時の風俗的な資料としてもめちゃめちゃ価値があるし、読み物としてもめちゃめちゃ面白いので、なんかそういう雑誌的なカルチャーとかが好きな人はかなりおすすめの本でございます。
これももちろんめちゃめちゃかっこいいんで。
で、翌年が恋愛譚というパルコ出版で、これは周泳者の小説スバルで書いた作品ですね。
確か『KISSxxxx』の担当が小説スバルに異動になっておられると思うので、そういった絡みで書かれてたんじゃないかな。
で、これもイカサマウミガメのスープと同じようにイラスト集的なものにかなり近づいた作品集なんですけど、これも上下にスッと抜ける箱みたいなのがついてて、その中に布張り。
布じゃないかな、でもこれ布張りなんかなみたいなハードカバーの本が出てて、全部真っ黒。黒と銀で構成されてる一般的なくすもと巻ルックイメージみたいなのにすごく沿った本かな。
12:10
黒に黒の箱押しで作られてて、すごいかっこいい。中身もめちゃめちゃかっこいいって感じの本で。
すごくいいですよ、これも。
あとその次の悲劇的その他卵に関する小編、エッグノック、ドアドリーのドっていうのがそれぞれ02年。
悲劇的その他卵に関する小編はフィール・ヤングとかQDで書いてたやつ、エッグノックはフィール・ヤングで書いてたやつ、ドアドリーのドはWINGSで書いてたやつっていうのがそれぞれあるんですけど、
悲劇的その他卵に関する小編、エッグノックはこれ何版?めっちゃデカいんですよ。画集とかの大きさ。エッグノック今パッと見たけど2300円してるね。
すごいな。図鑑?図鑑?
どっちもや。悲劇的もどっちも2300円してる。
へー。
多分ページ数はもっと少ないんだけど、これちょっと多分印刷凝りすぎ。穴開きで抜いてあるとことか、開けて開いたらこう繋がってるとかさ、すごいよ。このエンボスで印刷されてるしさ。
へー。
デザインやってる人はめっちゃ面白い本だと思うね。
大体変形サイズなんで普通の漫画の売り場とかに売ってないと思うんですよね。
そうですね。同じように陳列できないですからね。
そうそうそうそう。なんでちょっと探すのが難しいかもしれないですが、ぜひとも探してみてください。
08年からはロンドンA to Z。これはそれこそジッパーでロンドンについて連載してたものを単行本にまとめたものでございます。
ジッパーね。
ちょっと言ってなかったけど、確か2000年くらいから靴本真樹先生はロンドンに住んでるのよ。今も住んでるのかな?もう帰ってきてるのかな?
行ったり来たりみたいな生活をしてて、そのロンドンの話みたいなのを本当にフォトスナップみたいなのと共に紹介してて。
単日生活100課読んでもわかるんだけど、靴本真樹先生ってそういうエッセイ的な才能もめちゃめちゃある人で、めっちゃ面白い本です、この辺も。
ロンドンに関する、たぶんゼロ年代のロンドンってこんなんだったんだなっていう資料にもなってくるし。
今はもうすごいぶっかかっちゃって、なかなかたぶん住むのは難しいとは思うけど、当時は住めてて、その辺のリアルな実情みたいなのとかも書いててすごい面白いなーって思いますね。
なるほど。でも音楽的にさ、ゴシックパンクとかそこらへんの、やっぱ好きやったらロンドンに行くのはすごい納得できるしね。
やっぱロンドンだっただろうね。僕の中では、前特集したかわかみじゅんこ先生が今フランスに住んでて、
かわかみじゅんこがフランスに行って、楠本まきがロンドンに行ったのって、めっちゃ僕の中ではすごい解釈一致っていうか、すごいよくわかる感覚。
15:02
まあ確かに確かに。
で、すごい好きなんだけど。で、ロンドンエンドチームもいい本だし。
あとは書き下ろしで、ロンドントレジャーハント、ロンドンからの小さな旅っていう本も、2012年に祥伝社から出てたりとか。
あとはこれはフィール・ヤングで書いてたやつかな。これもロンドン的なもののシリーズだったと思うんですけど、英国生活っていう。
フィール・ヤングで書いてたら、たぶんロンドンのお話かな。についての本っていうのも出てたりっていう感じで。
まあゼロ年代後半ぐらい、言えばもっと前かもしれないけど、いわゆる漫画っぽい作品。
これも漫画とは何ぞやっていう話なんだけど、一般的に思う人物がいて、吹き出しがあって、右から下に話が流れていってみたいな漫画っぽい作品っていうのは、かなりちょっと外れてきたなっていう。
もうそういうのは書かないのかなと思ってたら、2008年からコーラスで赤城つるばみっていうのを連載されますね。
これも結構傑作で、2008年ぐらいに菅田真樹先生が結構いろんなところでおっしゃられてはいるんですけど、言ったら『KISSxxxx』みたいなことをもう一回書きたいと思ったんだって。
何もない日常みたいなのを書きたいっていう。たぶんそれは今の子たちで書きたいと思ったんだろうね。
だから絵もかなりコーラスに乗るようなっぽい、乱暴に言ってしまうならイクエミリオっぽい漫画になってて。
なるほど。
すごく面白い作品ですね。
その続編みたいな感じ、ちょっと違うんだけど赤城つるばみ裏っていう本も出てて、これがたぶん寺田くんが目にしたジェンダーの話とかで話題になった作品ですね。
ああ、ハーフポストで記事がね、出てたやつですね。
そのコーラス、赤城つるばみからたぶんその辺のジェンダー的なこととかフェミニズム的な言論っていうのが、もちろん過去の作品にも読み取ろうと思ったら読み取れるところがあったと思うし、そういう影響もあったと思うんだけど、直接的に登場人物がセリフで、セリフとしてそういった発言みたいな。
ジェンダーワイヤスとかね。
赤城つるばみ裏で、ついに漫画家についての漫画っていうのを描いたっていう感じですね。
っていう感じの作品群になっております。
心のすなじ。
まあいろいろ作品の紹介していったんですけれども、僕からすると、Kの葬列から読むのがいいよとか、この辺はイラストとして、もうとにかくかっこいいから買ってくれみたいな時期もあるし、文章の才能、面白い文章を書く才能っていうところもすごく楠本まき先生の魅力だとは思ってるんですけども、
18:06
僕としては、『致死量ドーリス』が最高傑作だと思ってるんですよ。
そうなんですね。
書いてあるテーマ的なところもすごく、これは90年代半ばに書かれた作品だけど、すごくフィットする感覚が逆にあるんじゃねえのかなっていうのをすごく思っていて、だから今回取り上げたっていう感じなんですけどね。
それでは『致死量ドーリス』の評論というか、話、読んでみてどうだったかっていう話をしていきたいなと思います。
じゃああらすじから紹介させていただきたいなと思います。
本屋でバイトをしているバンドマンの青年・騎士は、本を買いに来た女性三つの不思議な魅力に惹かれている。
今すぐ来てよ。出なきゃどこでも会わない。と言われた騎士は、夜中三つの家に向かうこととなった。
ねえ、それより私のことを話して。
唐突に彼女は彼にそう問いかけたのであった。
というあらすじでございます。
騎士っていう青年と三つっていう女性が基本的にはたすら出てくる話。
その二人が部屋にずっといるっていうのがメインかな。
まあでもどっか出かけたりもするか。
96年から97年にフィーディアングで連載してたんですけど、
これポイントとして、この時期にフィーディアングでは95年から96年、岡崎京子のヘルタースケルターが同時期に連載してたっていう。
凄まじい二つが。
当時のフィーディアングめちゃめちゃヤバいっていう。
めちゃめちゃヤバいですね。
この評論とかでもヘルタースケルターとチシレオドリスを比較する表みたいなのあったりしていて、
でもすごく今回寺田くんにもちょっとヘルタースケルターもう一回呼んどいてって言ったんですけど、
なんか近しいものの感覚ってあるような。
美に囚われる。囚われるっていうのもなんか不思議やけど、
ここに執着することの美しさと、よりヘルタースケルターの方っていうのは、
私の人生だっていう感じがする。
そのエネルギッシュな部分も感じるんやけど、チシレオドリスはもっと神話的な感じがするので。
テーマは似たような感じやけど、全然感じる空気感は違うな。
独語感が全然違うんですよね。表面的にはすごい似てる感じがするけど。
ある形っていうのに自分を当てはめようとするっていうところが、
それを岡崎強子も楠本真希も同時期に描いてたんだなっていうのがすごく面白くて。
21:01
そうですね。それがどんどん自分の呪いになっていくっていうところがすごい。
時期的にもちろん、この時期、95年から97年っていうのは、
もちろん95年に阪神淡路大震災であり、地下鉄サリンの事件があったりっていう年なんだよね。
1995年っていろんな見方があると思うし、もっと言うとエヴァンゲリオンが始まった年でもあるんですけど、
その時代の空気、あの頃の空気みたいなんてこういう感じだったんだろうなみたいな。
僕も一応生まれてるんだけど、もちろんガキンチョなので。
でもなんとなくこの凍れ落とした感じってあったような気がしていて。
うん。わかりますね。
なんか俺がよく覚えてるのは朝のニュースで、
例えばオウム神理教の朝原将校の裁判の話みたいなのがずっとやってたりとか、みたいなイメージ。
あの頃の暗い、あの頃の空気みたいなのがすごく思い出す作品ではあるし、
大人になった20年ぐらい経った今読むと、この千尋導律でありヘルダースケルターもそうだけど、
あの頃こういった優れた作家が描こうとしてたことと、当時の空気っていうのは、
もちろんやっぱ時代とリンクするもんではあると思うから、作品が生まれる時っていうのはね。
なんかその感じをキャプチャしてるし、そのキャプチャしてるだけではない。
今にも通じる何かみたいな、すごい普遍的なテーマに、
時代の空気だけじゃなくて、時代の空気から察知した何かを優れた作家は、
その普遍的な問いみたいなところとして作品として作っていったんだろうなって思ったりはしていて。
そういう意味ですごく千尋導律は素晴らしい歴の作品だなーって思ったりしてるんですよね。
そうですね。
一応この千尋導律というタイトルは、ドイツ、西ドイツのベルリンに、
まだ西ドイツ時代のね、80年の西ドイツのベルリンに結成されたパフォーマンス集団の
ディテトリヘドリス、ドイツ語だから発音がわかりませんが、
ディテトリヘドリスっていう実験音楽のパフォーマンス集団がいて、
それが日本版出た時に放題として千尋導律って訳されてた。
そっから多分取ってきてるだろうと言われております。
なるほど。だからタイトルの表紙の部分もドイツ語で書いてあるんですね。
うん、そうそうそう。
で、この千尋導律バンド音楽の方は、それぞれ独立した作品やけど、
独立したアルバムなんだけど、同時に再生したら1個のアルバムが立ち上がるっていうことをやってて。
で、こうやってフレーミングリップスとかが、コーネリアスとかが、
フレーミングリップスがザイリーカってアルバムで4枚CD付けてて、
24:03
4枚同時に再生してくれっていうのとか、
コーネリアスがスターフルーツ、サーフライダーで、スターフルーツ、ブルー、サーフライダー、グリーンで2枚同時に再生してくれよみたいな。
そしたら1つ立ち上がるよっていうのがあるんだけど、
そういったとこの元ネタとしてやってるっていうところもありますね。
そう、そういったところから名前を取ってきてるんだけど、
中身としては、僕はこれはタイトルとして持ってきてるから、
そんなにめちゃめちゃ、例えばこのD.T.トリッヘ・ドリスが、
楠本真希先生がめちゃめちゃ偏愛してたっていうわけじゃなくて、
僕はこの知志寮ドリスって言葉に引っかかったんだろうなって思ったよね。
言葉の響きめちゃくちゃいいよね、確かに。
そう、これを使おうっていう、
多分その当時の楠本真希先生に何か刺さる、
を使おうというタイトルだったんじゃないかなって思って、
そこをだから持ってきたっていうことだと、勝手な解釈ですけど、思っているんですけどね。
知志寮ドリス、見て思うのはやっぱこの、
和ごとに色彩が変わっていくってやつですね。
そうですね。
限定された色だけで構成されていってますからね。
これはやっぱもうね、完全にやられるよね。
何この色使いのかっこよさっていうか。
和することが短いやんか。
でもその、1話で使用する色を限定してるんですよ。
これもちょっと言葉じゃ通じにくいけど、
例えば、この回は黒と白は普通に使われるんだけど、
オード色と茶色みたいな。
でもその、この色合いの組み合わせのセンスがめっちゃ良くて、
めっちゃオシャレだよね、これはね。
まあだからその、短編ごとに絶対2色だけしか使ってないけど、
この2色のチョイスがさ、
まあめちゃくちゃ考えた上でやってるんやろうなって思うし、
血が出てくる話ではちゃんとこう、
良い赤をチョイスしてるところとかね。
赤のところがやっぱ一番印象的よな。
この赤と青の和数があるんだけど。
これちょっとゾッとするよね。
この扉絵、アンディ・ウォーホルのパロディかな、これはね。
シャープなの。
っていうこの色彩のね、天才。
あとそのデザインされた画面っていうところで言うと、
小回りとか展開されていく絵のものとかが、
まあ言ったら心象風景的なものを表してたりするやんか。
実際は、例えば話してるだけだけど、
いっぱい横に並んでる風に見えてるとか、
画面が割れてるように見えてるとか、
斜めに見えてるとか。
心象風景を漫画で表すみたいな試みって
少女漫画で色々されてるし、
それこそ紡ぎたくみたいな、
モノローグで挑戦していくっていうやり方ってあるやんか。
27:00
この形、デザインでこの心象風景の割り方で
示していくっていうのは、
レジェンドのくらまちゅふさこさんとか、
試みたところではあるんだけど、
多分くすもとわきの資料ですが、
一番極まれりだと僕は思ってる。
そうですね。
これよく僕が言う言い方で言うと、
エヴァンゲリオンのテレビシリーズの最後の2話。
しんじ君が悩んでるだけなんやけど、
エヴァのカットで色んな心象風景がバンバンバンバンって
デザインで見せられていくみたいな感じになるんだけど、
それに一番近いかなって思ってる。
あー、なるほど。
確かにね。
同じく、さっき言ったモノローグっていうのにも、
くすもとわき先生は、
知識量同率で一番挑戦したところだとも思ってて。
多いよね、モノローグ。
過去の作品見ると、やっぱりモノローグ少ないのよ。
くすもとわき先生の作品って。ないことないけど。
こういうモノローグを中心に展開していくっていうのは、
知識量同率以降なのよ、出てくるのは。
あー、そうなんですね。意外です。
だからここでかなり挑戦してて、
たぶんこのモノローグの文字の置き方も、
たぶんめっちゃ一つのデザインとして、
くすもとわき先生は考えてると思ってて。
で、内容もやっぱりキレッキレだし、
焦ってる時みたいなさ、
自分のわーって焦ってるような時はやっぱり文字がすごく
横並びにバババババッと読めないようぐらい
ガッと情報量として出てて、
それがそれこそ自分の焦ってたり、
整理のつかない内面みたいなことを、
絵としても表してる感じが、
すげーかっこいいし、
素晴らしいなーって思うんだよね。
そうですね。そういった意味で、
時間がすごくコントロールされてるなって思いますね。
なんか読むスピード感みたいなのが
すごくコントロールされてるなって感じが。
シャープ14の最後っていうのが、
主人公の多分これは騎士くんのモノローグだなっていうやつと、
その騎士くんを俯瞰してる騎士くんみたいな、
2人のモノローグみたいな感じが被っていくみたいなモノローグで、
トランジストラジオは、
三次の時報と一緒に世界の終わりを告げたっていうモノローグがあって、
次の、もはや世界にたった2人きりの僕たちは、
安全なこの部屋に隔離され、
ソウジの大使みたいに抱き合って眠るっていうモノローグに被って印刷されてるんだよね。
これとかもう、かっこいいよね。
かっこいいよねになっちゃった。
やられんだなこれ。
頭の中でちゃんと音声が重なって聞こえる感じが。
そうそう聞こえるんだよ。
これはなんか詩的にトントンってテンポよく鳴ってるさ、
30:03
ループのさ、どつどつみたいな感じで鳴ってるんだろうなっていう感覚がすごくするんよね。
そうですね、だからこの文字の配置の通りにちゃんと頭の中で再生される感じがある。
その次のイラストもこうちょっと被ってる感じになってるし、
何だろうな、この頭の中で全部ちゃんと再現される感じっていうのが、
すごいなんか体験って感じがするよね。
なんか読んでるっていう以上にね。
わかれへんけど岸くんの声がなんとなく頭にババババって流れてなっていく感じの、
テンポ感みたいな感じもすごい感じるし、
僕小説読むときにこの話何回もしてると思うんだけど、
この作家とリズム感合わへんから読まれへんみたいなやつあるわけ。
でその感じ、そのリズム感がすごい気持ちいい作家さんだなって思う。
だからリズム感のいい作家さんだなって思うんだけど、
楠本まき先生は。
そこのバババババって、このモノローグの内容はそんなに俺の頭の中に入ってきてないんだけど、
音として気持ちいい感覚みたいなのが、
目で見て絵として認識してるけど音として頭の中に入ってきてる感覚みたいなのがあって、
なんかそこがほんと素晴らしいと思うなぁ。
そうですね。
で、最近映画撮られてないけどまた撮られると思うんですけど、
新年代に私たちの世代で出てきた映像作家としてはものすごい影響力を誇っている、
大和雄貴監督っていらっしゃると思うんですけれども、
おぼれるナイフとか、
詐欺などホットギミックがあるみつぼいとか、
前田とおとぎ話みたいとか、
大和雄貴監督の映画のモノローグの感覚にめっちゃ近いと思うので、
大和雄貴さんの作品が好きっていう人は血しり踊り室読むと絶対やられると思う。
あー、なるほどね。
ここ通じ合ってる感じか。
うん、と思うんでぜひとも読んでほしいですね。
なるほどね。
タイム感みたいなものがすごくこう、
しっかり頭の中で再生される感覚とかっていうのがあるなぁと思った中で言うと、
みつがこう指をね、切ろうとするシーンがあると思うんですけど、カウントしながら。
ナイフでクラブの中でバンバンバンって刺していくシーンね。
そうそうそう、あるんですけど、そこで10秒数えながら切っていってるんですけど、
10、9、8、7、でその間でこの青年の騎士が、
「みつわかったごめん撤回する勘弁して。」っていうセリフが入って、
次3になってるんですよね。
だからこれ、このみつわかったごめん撤回する勘弁してっていうのは、
このセリフは3秒間の中で確実に言ってるはずっていう。
あー。
ここってだから時間が確実に決まってるんですよ、このセリフを言ってる長さって。
なんかこういう多分細かいタイムコントロールをされてるんだろうなっていう感じがすごくするんですよね。
33:02
このシーンめっちゃ印象的よなぁ。
なんかこれ憧れる人絶対いるよね、でもこういうシチュエーション。
多分これ小学校とかの時にやった、
あの鉛筆を指開いて鉛筆をトントントントンって刺していくみたいな、
嫌な遊びあるじゃないですか。
それをナイフでやってるんだけど。
そうですね。
これはロマンポランスキーの水の中のナイフっていう映画から来てると思ってて。
有名なヨットの上でナイフをトントントントンってやるっていうシーンがあって。
で、このナイフっていうのがもうだいたい男性性の象徴みたいな感じで捉えられてるんですけどね。
あとは小犬の映画で70年代に熊城達美監督の青春の砂鉄っていう映画でもそのまんま、
これはもう完全に水の中のナイフからインスパイアされてやってるシーンがあるんだけど。
これもやっぱすごい男性性の象徴としてナイフみたいなのを扱ってやってたりとかしてて。
このトントントンってやるこのスリルとこの絵的な、象徴的な何かとしてすごい機能してるんだけど。
でもどっちもそれって男の人が男の人にかましみたいな感じでやるっていうシーンなのよ。
度胸試し的な印象が強いですよね。
これが三つっていう女性に、騎士君がこれしょうもないゲームで次クラブに入ってくる人が男か女か試して罰ゲームみたいなことしようよみたいなこと言って、
三つがこのじゃあ指切っちゃうよみたいな感じでこういうことをやっていくっていうシーンなんですけど。
シーンの元としては水の中のナイフとしても、このクラブのところでそういう遊びをして、
三つがこうやって本当に切ろうとする感じがあるみたいなシーンに置き換えてるのはもう本当に素晴らしい。
ドギも抜かれるってことかな。
そうですね。
言ったらその度胸試し的なものってさ、本当にはやんねーよっていうところがあるわけじゃないですか。
でもそれを男女でやってて、しかもそれをこの子は超えてくるやろうっていう恐怖感っていうのは、
全く別の質のものに置き換えてるこの遊びを。
だからこの三つっていう存在の空虚な感じと、本当に言ったらやっちゃうんじゃないかっていう怖さみたいなのを示す本当にシーンになっててね。
当時これ世相で言うと、ちょっと待って。
キムタクのギフトっていうドラマがあるんだけど、それでギフトでそのバタフライナイフを持ってるっていうシーンがあるね。
持ってんねんキムタクがバタフライナイフをね。
で、この時期にバタフライナイフをそれに憧れて青少年とかがいっぱい持ってって問題になったっていう流れがあって。
時期的にはギフトとかの方があったけど、たぶんそういう感じがあったんだろうね、90年代半ばって。
バタフライナイフを持ってるってやつが多かったんだろうね。
だから当たり前のこういうようにナイフが出てくるわけ。
そうそう。持ってるやつがいて、持ってるよって言って借りるっていう感じがあって。
その世相表し感もあるしね。
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なるほどね。そこのあたりの空気感っていうのがあるやろうね。
あったなあ。そういえば中学校の時に俺の学校でもキヨちゃんがいつもバタフライナイフポッキーに入れてたな。
誰ですかそれは。キヨちゃん。
キヨちゃん。持ってた。
なんか惹かれるもんがあるよね。ナイフを持つというか。
今やったら考えられないですけどね。
最後にミツという存在について話していこうかなと思うんですけど。
はい。
ここはちょっとネタバレじゃないけど、ミツっていう存在が、ずっとキシ君とミツだけでやってたんだけど、
過去にミツのことをドーリスと呼び取ってた男みたいなのが出てくるんですよね。
そいつが言うに、ミツっていうのは彼女は望むことを察知して、それを具現化する器なんだみたいなことを言ってくるんよね。
身体も中身も相手の望む存在になっちゃう人っていう。
うん。
それはそいつが言うにドーリスって呼んでて、そしたらミツなんだけど急に私はドーリスだって言って、
その理想としてたスタイリングにどんどんなっていって、本当に自分がドーリスだと思い込んでしまうところまで行くという感じのところだったという人だっていう話があって。
これがちょっと先にも話したけども、いったら資本主義的なものに自分を飲み込ませていく感覚っていうか、
自分を虚構の一つにしていく態度みたいな感じっていうのをミツっていう存在が表してるなと思ってて。
なるほど。
でもこの感覚って見るし、自分でもちょっとよくわかるっていうか、すごく賊っぽく解釈してしまうところっていうのにあえてしてみるのであれば、
働くときの社会人としての自分っていうとき、僕は営業職をやってるんですけど、営業職をしている〜の〜さんっていう風な自分を演じるみたいな感覚で働いてるのね。
でもなんかそういう人ってすごい多いと思うの、僕は。
ある種演じてる感じ。
それをすごく本当に自分を虚構の何かにしていくみたいな感じのをミツが象徴してて。
すごい久々に読んだら、あんまりなんとなく相手の望む存在になるっていうことを当時とか20代で読んだうちは、
これもすごく賊っぽい言い方にしちゃうと、いわゆるメンヘラ的な態度って、ゼロ年代以降のネット文化を喰らってる僕たちは言ってしまうんだけど、
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なんかそういう捧げたくなる気持ちみたいなのもわかるなと思ってたけど、今回読み直したらすごくそこの問題が社会的な問題っていうのを、
一人が内包してしまう感覚みたいな。それは僕はかつては自分がやりたいからそういうふうにやってるんだな、そういうことをやりたい人なんだなっていう乱暴な解釈をしてたんだけど、
なんか社会みたいなものの問題を自分で抱えてしまうみたいな。自分の物事として全部器にしてしまう。器の中に入れちゃうみたいな感覚っていうのを描いてたんちゃうんかなっていうふうに思ったりとかしていて。
ていうことを思ったね。
なるほどね。なんかよりそれがしかもこう、社会もそうやし、恋愛とか人間関係によってもそういうふうになっていくってことはあり得るし、なんかそこがそもそも自覚的でない人って多分めっちゃいるじゃないですか。
演じてるかどうかっていうことすら自覚のない人からするとなんかすごくこう、本当はこう密みたいな感覚っていうのは誰しも持ってると思うけど、それが遠い存在に思えてしまうことはあるんちゃうかなっていうのは思いますね。
だから僕もなんか今こう、大きくなってみてこういうのを読むと、あーなるほどねみたいな感覚するじゃないですか。その3つの持ってる性質みたいな。ただそれがなんか若い頃読むと、そんなこともあるんやみたいな遠い存在に感じてしまうかもしれない。
でもバチッとこれは私だと思うところもあると思うんだよな。ティーンの時にも。なんかそこがこの作品のカルト的な人気の一つでもあると思っていて。
そうやな。ヘルタースケルターって一番次を直してる部分でもある気がするな。 うーん、そうね。ヘルタースケルターの主人公なんていう名前だったっけ。に自分を重ねて読んでる感じってちょっと、いやでもどうなんかな。
ヘルタースケルターの主人公っていうのは、あれですか、モデルの甲の方ってことですか。 全身を成形していくモデルの方ですね。うん。に自分を重ねていくっていう感覚あるんかな。それはそれであるような気もしてきた。
重ねるはね、なさそうやけど、でも、なんかその、あの主人公みたいに何としてでも生き抜いてやるんだっていうことに憧れる人はおりそうやねんな。自分はこの人と一緒やなと思うことはなさそうやけど、なんかそこからこう、エンパワーメントされる人みたいなのおりそうやなって読み返してて思った。
えー、それあるかなー。 えー、いやあるでしょ。僕はなんかあれってある意味かっこいいなって思う人多分いっぱいいるやろうなって思ったけどね、読み返してて。 あーそう、なんか、やっぱその、でもさその最後、なんかヘルタースケルターの話してんだけど、
まあ目ん玉自分でくり抜いておいてみたいなさ、その美っていうもんに執着していくがゆえに壊れていく話やんか。 そうっすね。あそこの執着していく怖さみたいな感じに、なんかやっぱティーンはちょっとその自分を見て、うわっ、自分にもこういうとこあって低なーみたいな感覚で読むんちゃうかなと思ってて。
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あーなるほどねー。うーん、なんやろ、なんか僕は最終生きてるんすよね、あの主人公。 フリークスみたいな感じ、見せ物小屋みたいなところの女王になってるやんな、最後はな。 っていうのがあるけど、チシオドーリスって最後、この二人の世界から抜けた全く違う車に轢かれて死んじゃうんすよね。
いやーそうだ、そうそうそう、そうなんだよなー。 ここがやっぱねー。 象徴的だよなー。 二人の世界だったもの、その均衡みたいなところから抜け出した全く関係ないジャガーに跳ねられて終わるっていうところも含めてやっぱり全然違うよなー、思いますね。
この騎士くんは、そのオールドのピッカピカのジャガーみたいなのに轢かれてたから、それに轢かれたから、なんかあなたらしい、良かったよねみたいな感じのこと言ってんだよな。 うん、そうですね。 モノローグちょっと引用します。
すごいよ君、もしあれがもっと冴えないチンケな車だったら、跳ねられやしなかったんだろう? だって君には似合わないもの。 51年製のジャガーに跳ねられたっていう。 死ぬならそういう本当にめちゃめちゃ美しいもんにもやられたいみたいな感じ? うーん。
ちょっと外れるかもしれないけど、51年製のジャガーっていうのもそうやしさ、このアイテムの説得性みたいな半端ないねんよな、資料通り。その本間にあるものを結構使ってるやんか、バドワイザーとかってそのまま書かれてるけど、たまにこう三つの家で見切れてる椅子があるんですけど、これってたぶん本間にあるカンチレバーチェアのやつなんですよ。
本当にこう、物に対する愛引いてはそれに対する説得性みたいなものをめちゃくちゃ感じますよね。
なんかそこがさ、さっきシャークさんが言ってた資本主義的なもの。具体名がちゃんとわかるようなプロダクトを使ってるっていうところを感じるよね。 うーん、そうね。
これちょっと原理的にはどうかわかんないけど、ちょっとシャフトっぽいよな、一時期の。 シャフトの演出っぽいよ。この小回りとかも全体的に。しんぼうあきゆき。 うん、しんぼう監督ね。
絶対読んでると思うけどね。 うん、読んでるやろうな。色使いもめっちゃ近いよね。 めっちゃ似てるもんな。
あー、そうやな。いやだから化け物語って。 めちゃめちゃジシロドリフっぽいよな。 ジシロドリフっぽいな、今思ったら。
3つみたいな、そういう資本主義的なものに飲み込まれていく体も精神も仕草も、そういう自分を虚構にしていく一つの態度っていうのは、
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僕ちょっと自分の反省みたいな、自分に返り見た時に、心の砂地無印の第31回、2020年に配信の回です。に、名前を付けて差原仕草が示す何かっていうエピソードを話してるんですよ、僕がね。
はいはい、覚えてますよ。 もう3年前でございます。これは僕が当時広告代理店の子達とかと仕事をしてて、
電通とか箱報道の子達とかと仕事とかしてた時期に、ガールズたちがみんなめちゃめちゃ差原さんに影響をめっちゃ受けてるって話をしてるんだよな。
うんうん。 当時は僕はそれをすごく疑問っていうか、なんで、ちょっとこれ聞き直してないから怖くて聞き直せなかったんだけど、
その差原仕草っていう名前を付けて、言ったらカテゴライズすることで整理しようと思ってた節があると思っていて、自分の中で。
なるほど。 うん。で、なんか結構それは反省すべき態度だなーみたいなことはすごい思ったね、3年経って。
差原仕草って名を付けて、なんとなく押し込めて理解しようとした自分に対してちょっと恥ずかしい行為だったなーっていうふうに思ったりするんだよな。
うーん、なるほどね。性質とか型っていうものを、個人の個性を排除してカテゴライズするっていうのはインターネットの悪い部分でもあるよね。
うーん。で、自分はそういうことに染められてないところもあったと思うけど、こういう配信するっていうことが日常的になってきて、いろんなネタというかことを考えて、こういうことを言ってやろうみたいな張り切りもあったと思うし、
3年前ぐらいの自分だとね。
なんかこういう現象に名前を付けようみたいなことをね、意図的にこうやろうとした時期っていうのはあったのかもしれないですね。
うん、あったと思っていて、なんかそこをすごい今回資資料ドーレス見直したときに、あの時の代理店の子たちのなんかすごく密みたいな態度だったなと思うの。
代理店でやらなければならない、働くための、生き抜くための態度みたいな感じで、すごくさ、なんか本当にできる女子、できる女子みたいな乱暴な言葉ですけども、っていうものをやろうとしてるっていうことに僕はすごいおののいたし、
なんかそこに対して整理がつけられなかったから、なんかある種こうカテゴライズでドンってこう押し込めちゃったみたいな距離感があったけど、なんか今回わかんないんだけどね。
なんでそう、そうしなければならないのかっていうのは僕は今のところ社会の問題を彼女たちが押し付けられてるからだっていうことだというふうに理解っていうわけじゃないけど、
そういうことがあって現象としてそうなってしまってるんだなーって大変というか、それはすごくしんどいことだなーっていうふうにまでは、なんかちょっとこう、僕なりに解きほぐすことができたんだけど。
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だから3年前に俺がカテゴライズして言葉つけてやいのやいの言ってたっていうのは完全に間違ってたなーとはすごく反省して思うっていうことがあったなーっていうことは言うとこかなと思って。
そういうことで必死に戦ってるある意味戦ってる3つもある意味戦ってる存在ではあるのかもしれないよね。そういう器というか自分がないみたいな批判をしようと思えばできるけど、
なんかでもそうじゃなくて本人の中では人から求められてるとか生き抜くために頑張ってなんとか戦ってインストールしていってるみたいなのっていうのが。
うーん、あるもんな。
あるよなー。だからそれがなんかこうやっぱ密に感じる悲しさみたいなものであり、
うーん。
うーん。なんかだからそのなんやろなメンヘラみたいな言葉で押し込めたときに取りこぼす部分ですよね確実に。
もちろんもちろん。そうそう。だから僕はかつて差し荒らし草って言ったのは、この3つの漫画を読んで、ジャッジ資料通り読んで、3つっていうのはメンヘラでっていう形容しちゃうみたいなことだったと思うのよ。
うんうんうん、そうですね。まあそのメンヘラの原理みたいな感じみたいなさ、ことを言っちゃったらまあポップやしわかりやすいけどっていうね。
違うだろうなーっていうふうに思ったりとかして。
とかいう自分に返ってくるとこでもそういうとこもあったかな。
でもまたちょっと戻っちゃうけど、最後密がなんで車に跳ねられたのかっていうところはなんかすごく、まだ全然わかんないんだけど。
あーそうですね。
なんかまあ言ったら求められるもんになるっていうのと、そういったら交通事故っていう、外の世界に出たら求められる求められるんじゃない完全な理不尽みたいなところにぶつかって終わることもあるみたいな。
そういうなんか象徴みたいなもんなんかなっていうふうにも思っていて。
ただでもなんかもっと読み解けるなんかはあるんだろうなっていうのはずっと思ってて。
その辺いろんな人が読んでいろんな解釈の話を聞きたいなーとかはそう思ったかな。
そうですねまあ完全にこれって2人の世界から世界につながる瞬間なのでそこをまあある種ポジティブにとることもできるしネガティブにとることもできるからやっぱ人によって解釈が全然違うでしょうね。
その辺ぜひともねチシロドリス読んでいただいてお話を聞かせ、メールとかねお便りとかでいただいたらすごい嬉しいなと思います。
2023年にもねこれだけ語りがいのある作品なのでぜひとも草本真樹先生のチシロドリス手に取って読んでみてください。
51:04
はい。というわけで心の隣は引き続きお便りをお待ちしております。
すべてのあずさきはkokorosuna.comまでよろしくお願いします。
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アップルポッドキャスターのレビュー評価も絶賛募集中です。ぜひともよろしくお願いします。
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また本編で出てきたこういう名詞などはノートに募集がありますのでそちらもご覧ください。
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ということで今回も聞いていただきましてありがとうございました。
それでは皆様ごきげんよう。
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