この番組、心の砂地は様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、シャークくんです。 はい、そして私は寺田です。よろしくお願いします。
今日はですね、魚喃キリコ先生の『strawberry shortcakes』という漫画を取り上げて、お話ししていきたいなと思っております。
ということで、本日も始まります。 心の砂地
ということですね、今日は魚喃キリコ先生の『strawberry shortcakes』というですね、2002年の漫画を取り上げて、お話ししていきたいなと思っております。
はい。で、寺田さんは魚喃キリコって今回初めて読むよね? そうですね、はい。今までいろんなかわかみじゅんこ先生の話とかしてきた中で、いわゆるA5版が
関係と僕が読んでいるような作家たちの話みたいなのをしてて、名前は聞いたことあるかなぐらいって感じかな。
普通に漫画家さんの名前としてはずっと聞いたことある存在ではありましたけどね。 あー本当ですか。
知り合いが読んでたりとか、書店行ったりしたら見かける存在ではあるんで。
あと2020年にこう、全作品新装版として復刊してて、多分今も新刊で買えるのかな、割とと思っていて。
結構書店でも並んでたりとか、あとは映画版の『南瓜とマヨネーズ』、仲野太賀さんとか出てる映画とかがあれが2017年にあったんで、
そっちから知ったっていう人もなんか多い印象かなと思ってますね、自分の世代的には。 そうですね、僕もその映画のポスターとかの記憶がかなり残ってます。
あれいいポスターだよね、臼田あさみさんの。 その辺から知ってる方も多いかなと思うんですけれども、僕の世代の中ではさっき言ったような、
いわゆる少女漫画、マーガレットとか、そういったところじゃない文脈から出てきた女性の漫画家さんみたいな人たちっていうのがいるわけですね。
岡崎京子先生の登場期に、岡崎京子先生と同世代の方々、桜沢エリカさんとか、岡崎京子さんのアシスタントをしてた安野モヨコさんとか、そういう人たちもいるし、
大体岡崎京子先生の作品がA5版で出てたことをきっかけに、そういった方々の作品、短編集だったり長編だったりもA5版で出てることが多いっていう流れがありまして、
そういう中で、いろんな先生いらっしゃるんですけれども、僕の世代にとっては多分、七南霧子がリアルタイムで新刊がドンドンと出てくるタイミングとはずれてるんだけど、
一番いろんな人のお家にあったなっていう印象があるんですよ。
お家に、なるほどね。本棚に語るように置いてる人が多かったんですかね。
ライブハウスとかで知り合った人とかで遊びに行ったりとか、大学でそういう文化系のサークルで知り合った人とかの家に行ったりとかすると、
大体初期タランティーノ、パルプ・フィクション、レザボア・ドッグス、もしくはジム・ジャームッシュの初期、ストレンジャー・ザ・パラダイスとか、ダウン・バイ・ローとか、
あとはウォン・カーワイの、これも初期のポスターが大体あるんですよ。
絵に描いたような。
っていうのが大体あるんです。
で、そういう中に、A5版の漫画で魚喃キリコ先生のそれこそ『南瓜とマヨネーズ』とか、『blue』とか、今作のような『strawberry shortcakes』が大体あって、
いいよねみたいな話をすごいしてたんです、僕は。
ただ、それはちょっと感度高い人っていうか、当時の田舎から大阪に出てきた僕からすると、家具とかもおしゃれだったりとか、
いわゆるサブカル、いわゆる文化系のおしゃれな人みたいなのが読んでて、かっこいいものだったんです、本当に。
魚喃キリコの漫画っていうのが。
文化系みたいな人じゃなくても、僕がいた軽音サークルとかでも漫画好きな人とかは、
割と魚喃キリコの話とかしてたなーみたいなのがめっちゃ印象的なんですよね。
だから、全然同世代にもすごい響いてる何かなんだなっていう感じがすごいあったっていうか。
そうですね、結構普遍的に若者から好かれる感じはしますよね。
で、浅野いにおの『ソラニン』とか、やっぱ魚喃キリコがなかったら存在しなかっただろうなって思ったりするんですよ。
そこら辺の雰囲気って本当にそう感じますね。
あとはやっぱ、実際付き合われてた方が読んでたみたいな話とかもあるんだけど、尾崎世界観とかね。
あの辺の邦楽ロックのなんか、ああいう世界観みたいなのあるじゃないですか。
はいはい、アパートでバイトしながら二人で暮らすみたいな。
めっちゃ雑に言うてますけど、今。
で、そういう世界観の中で、テン年代入ってから、そろそろ今泉力哉さんを代表とするような、
一番みんなに浸透したのは『愛がなんだ』だと思うけど、みたいな世界観。
街の上で、僕らも一回評論してるんですけどには、あの『南瓜とマヨネーズ』に、
魚喃キリコの漫画に載ってるシーンがあるんですけど、これはどこですか?みたいな。
で、全く同じコマのショットが出てくるみたいなシーンがあって、
今泉監督も魚喃キリコはファンらしいんだけど、
多分そういういわゆる今の方が、力哉さん、今泉力哉さん的なもんとか、
その辺いっぱいあるじゃないですか。
いっぱいありますね。
今泉監督も次のステージ行ってるし、他の作家が松居大吾がそういう映画撮ったりとか、
いろいろあると思うんだけど、
で、その辺は僕は『花束みたいな恋をした』で一旦区切りがついたかな、みたいな感じは思ってるんだけど、
ああいう世界観ってなんかみんな同じように今使ってるけど、
改めて魚喃キリコ全部読み返したりすると、
めっちゃ魚喃キリコがオリジンだなって思ったんだよね。
あー、確かにね。
やっぱり『strawberry shortcakes』が僕は最高傑作だと思ってるんだけど、魚喃キリコの。
それこそ初期の『blue』もすごいいいし、『南瓜とマヨネーズ』も全部よくて、
この3つが一番おすすめしやすいし、いい作品だなって僕は思ってるんだけど、
それぞれ結構違うものを書いてるし、
ただ一番『strawberry shortcakes』が集大成だなって思ってる部分があって今回評論するんだけど、
本当にこれは今の日本映画とか、
いわゆる下北沢から出てきた邦楽ロックみたいなものが好きな人からしたら、
もうもっとこれを聖典と思った方がいいんじゃないかって思ったんですよ。
あー、なるほどね。
確かにね。
そうあがめられててもおかしくないと思うし、
結構その女性同士の話っていうところもかなり強いと思うんで、
より今になってきてる感じもありますね。
そうそうそうそう。
だから当時も最先端だったから、
みんな真似しやすいところは真似したんだと思うんだよね。
でも今読んだら多分やっと追いつける感じっていうか、
この時の魚喃キリコのスピードが多分早すぎて。
そうですね。
共感できる部分もあったし、
多分みんな感じてる部分もあったんだけど、
すごい冷静に今じんわりと読めるタイミングなのかもしれないって思ってて、
なんか是非ね、その『strawberry shortcakes』読んでほしいなっていうのがあって、
先に雑感みたいなのから言っちゃうと、
俺の読み返す前のイメージ。
それこそ20代とかの時にそういうオシャレな先輩から教えてもらって、
ちょっとずつ買って読んで、で読んでるんだけど、
その時ってすごい憧れと、
それこそすごい下北沢的なものの香りというか、東京の香りというか、
オシャレな漫画だな、
その中にすごい毒っぽいものというか、きついもんみたいなのが入ってて、
なんか文学を読んでるみたいな気持ちで読んでたんやけど、
毒っぽいものというか、痛々しいのところのベースに、
すごい恋愛があると思ってたんだよね、僕は。
実際この『strawberry shortcakes』でも、
『南瓜とマヨネーズ』でも『blue』でも、
その恋愛の話はしてるし、
恋愛によって動く人間関係とか、
そこの感情の機微みたいなのが書かれてて、
実際テーマとして恋愛はあると思うんだけど、
思ったより恋愛してないなって思ったのよ。
たしかに。
だからそのあたりがやっぱり、
この『strawberry shortcakes』に影響を受けた作品群とは結構決定的に違う部分。
そう、違う。
だから正直今回『strawberry shortcakes』見て、
僕最近ちょっと恋愛がいいよねみたいな、
恋愛史上主義的な価値観、
ちょっときついなっていうのをすごく思ってて、
だから、もしかしたらこの魚喃キリコ、
当時20歳とかの時に読んだ魚喃キリコも、
久々に読むと、ちょっとそこで今見ると面白くないなとか思っちゃうんじゃんかなと思ったんやけど、
全然そんなことなくて、個人的には。
そうですね。
確かにそういう型にはまった恋愛によって、
関係性がややこしくなっていくみたいなところも描いてると思うし。
どっちかというと、
これはいろんな作家さんが書いてるけど、
恋愛が結構病として、
アンチ恋愛的なところも入ってるところがすごいあるから。
そうですね。
どちらかというと好き嫌いの恋愛の話じゃなくて、
その周辺の問題を描くことによって、
そういうメッセージになってる気がしますね。
アンチ恋愛というかね。
それこそ、今泉監督の映画が恋愛映画っていうよりは恋愛論の映画だみたいなさ。
そういう感覚にすごい近いっていうか、
そういう意味ではやっぱ魚喃キリコのいい影響っていうのを、
今泉監督がもしあるんだったら、
そこをすごく受け継いで映画でやってる人なんだなって、
なんか思ったりとかもしたね。
そうですね、確かに。
てらださん的には雑感としてどんな感じですかね、
『strawberry shortcakes』を読んでみて。
触れてないところで言うと、結構モノローグがすごく多いじゃないですか。
うん、ね。
そのモノローグの雰囲気というか、
口調とかもキャラクターによって全然書き分けられてて、
真っ暗なコマの中にそういうのが出てきたりするじゃないですか。
ドキッとするやつね。
そうそう、ドキッとするし、
それがまたなんとなく文学的さみたいなものを醸し出してるのかなと思うんですけど、
その辺りとかが、
里子っていうキャラクターが出てくるじゃないですか。
はいはい。
一人、『strawberry shortcakes』の中では、
ちょっと小休憩というか、
ポジティブなキャラクターですね。
その文体とかが、
結構2000年くらいブログみたいな感じだなっていうのがすごく感じで、
かっこでなんかちょっと突っ込んでたりとか、
全体論の時にモノローグ全部いいなと思ったんやけど、
結構その辺りにすごい懐かしいなって思ったんですよ。
このぐらいの空気感みたいなものも、
僕たちは10代だったりとかするけど、
それこそそういう携帯で見たウェブサイトとか、
パソコンで見たブログサービスとかの感じの文体みたいなものとか、
ちょっとそういうのを感じたっていうことね。
そうね。
だから、もちろん普遍的な物語でもあるけど、
僕の中では結構その時代の空気がガチッと閉じ込められてる作品でもあるなという。
そうね。
服装とか髪型とか、
そういうものもすごくはっきり描かれてるし、
その辺は確かに閉じ込めというかね。
僕が好きな言い方で言うと、
00年代の冷凍保存モノというか。
そうですね。
今やったら多分LINEでやり取りするような、
ごめんちょっと仕事遅れてるから今日行けへんわみたいなさ、
内容が電話やったりするっていうのが、
なんかやっぱ今よりよりちょっと生々しい感じがする。
人間同士のやり取りに。
うーん、なるほどね。
その辺がちょっと雑貫としてあるかなって感じですかね。
そうですね、はい。
魚喃キリコ先生のいわゆる、何だろうな、
殿下の宝刀じゃないけど、
僕の中で魚喃キリコの漫画に出てくるショットだ!みたいな、
魚喃キリコだって思うのっていうのは、
体育座りしてうずくまってる女の人っていうコマですよね。
あー、なるほど。
台本にも各4作品から抜いてきたやつを貼ってるんですけど、
これなんですよ。
この『strawberry shortcakes』は、
顔をしっかり描いてる漫画だなって思ったのね。
この作品は4人出てくるんですよね、主人公が。
その描き分けとかもあると思うんだけど、
昔から、『blue』の段階からめちゃめちゃ上手いんだけど、
なんとも言えん表情の変化みたいなまで描くようになってるのが、
『strawberry shortcakes』の面白いところで、
ただ代表的なこの表情が見えない体育座りでうずくまってるみたいな、
この絵っていうのが本当にすごいなって思ったよね、
初めて読んだ時から。
表情が見えないっていう、緊張感みたいなのがあるし。
体育座りっていうのが、
『blue』とかは高校生の話だから、
体育座りがまだ近いもんなんだと思うんだけど、
20代半ばとか後半になってきて、
だいたいアパートの床に座って、
体育座り、髪がバサッとかかってて、
表情が見えなくてうずくまってるみたいなシーンを、
よく描かれるんですけど、
このポージングで表現したい何かがあるんだろうなっていうのが、
いろんな作品にも繰り返し出てくるんで。
そうですね。
体育座りという、もうちっちゃくなってしまいたいみたいな。
魚喃キリコ先生の紹介をすると、
72年に新潟の生まれで、
93年20歳の時にガローでデビューしてるんですよ。
ガローでってとこが結構キーポイントだなって僕はちょっと思っていて、
実際描いたのは初期の短編集になってるウォーター、
ガローで長編を描いたりみたいなのが、
ガロー自体がこの時期ゴタゴタがあって、
なくなっちゃうみたいな時期になるんで、
なかったんだけど、
いわゆるガローの中でも、
特にやっぱ林静一さんの描く女性のポーズとか、
横向いててみたいな、
まっすぐ向いてることないやんか、林静一さんの女性が。
あの感じにすごい近いなと思ってて。
なるほど。なんかちょっと昔の日本画っぽい感じですかね。
そうそうそうそう。
っていう風に思ってて、
実際ガローの連載されてた時に、
表紙を魚喃キリコ先生が描いてるんだけど、
体育座りでタバコ吸ってるみたいな表紙があるんだけど、
これとかめっちゃ林静一っぽいっていう。
確かにね。
その後に描く『blue』、コミックアレっていう雑誌でやってたんだけど、
の時もやっぱり表紙描いてて、
それも横向いてて、
そこはもう自分の漫画を描くために実体験を使うっていうのがもうしんどくなってきたみたいな。
多分年齢的にもこう重ねられて。
で、10代とか20代の時は漫画のネタのために、
漫画描くために毎日クラブで遊んだりみたいなことしてたみたいな。
酒もめっちゃ飲んでたしみたいな。
だから体験をして、それこそ誰かと恋愛をして、
その人の関係を作って、そのエネルギーで漫画を描くみたいなことをやってたらしくて。
年齢重ねるとそういう体力もちょっと厳しくなってくるから、
やっぱり新作としては描けなくなったのかなーみたいなのは思うところなんですけどね。
うん、なるほどね。
生々しいと感じるのは、それはそうなんですよね。
生々しいマジであったことを描いてるから。
うん、なるほどね。
脚色した自分の中でのエッセイというか、
ドキュメンタリーに近い部分があるんでしょうね。
そうね。
とか時間差とかはあったりするみたいで、
『blue』っていうのは、実際たぶん新潟におられた高校生時代の時に、
同級生の女の子を好きになってっていうことが実際あったらしいんだよね。
ただ、すぐは描けなかったらしくて、
3年後ぐらいにあの時のことを描こうとは思ってたから、
描いたみたいな話もあったりとかするんで、
その辺はもう昨日撮りましたみたいな感じのもんもある。
後半は結構そこの時差なくなってきてると思うんだけど。
あるし、たぶん今まであったものとか経験したことっていうのをダイレクトに描いてるっていう。
漫画があり創作っていうのはみんなやっぱ何かしろ経験しないと描けないからっていうのはあるんだけど、
なんかそこが結構距離が近いっていうかね、
生々しさっていうところにはあるのかなっていうふうには思いますね。
割とそのままやるっていう人。
うん、いや本当にそうだね。
っていうところだと思いますね。
作品の話をするんだけども、
おすすめの作品としては、
『blue』、『南瓜とマヨネーズ』、今回の『strawberry shortcakes』の3つかなというふうに。
初めに読むならって感じなんですけど、
線がすごい細いんですよね、『blue』の段階だと。
で、結構『strawberry shortcakes』になるとくっきりしてるじゃないですか、線もしっかりしてる。
で、逆にその細い感じとコマもでかいし、
どんどんどんどんと淡々と高校生活を描いてるからとか、
それこそ18歳の子に刺さるような線の細さがあって、
そういうのがすごいおすすめだなと思ってて。
で、『リズと青い鳥』っていう『響け!ユーフォニアム』の映画のスピンオフ、
大傑作だと僕は思ってるんですけど、
絶対『blue』読んだだろうと思ってるんですよね。
へー、あ、そうなん。
と思ってます。
それは、脚本の吉田さんなのか監督の山田さんなのかどっちかはわかりませんけど、
読んだだろうなっていう、
『リズと青い鳥』読んだ人は『blue』にオリジンがあるんじゃないかと思うので、
ぜひ読んでくださいっていうので。
で、『南瓜とマヨネーズ』。
ここからもフィールヤングでやってるんだけど、
さっきも初めに喋ったような、
臼田あさみさんと仲野太賀さんの映画版も素晴らしいし、
いわゆるそれこそ下北沢なるもの。
僕らが評論したとこで言うと劇場とか、
『花束みたいな恋をした』とかのオリジンはここにあるんで。
で、『南瓜とマヨネーズ』から一段階漫画としての格が上がってる感じというか、
コマがちょっとちっちゃくなって、
描写がもともと細かいんだけど、
より細かくなってる感じがすごいあって、
ストーリーとしても語り口がすごく面白くなってるし、
『strawberry shortcakes』ってちょっと三分的じゃないですか。
ちょっと漫画読みリテラシーいるかなっていうところもあると思うので。
そうですね、主人公も複数いるし。
この人らは別に絡んで後編の回とかさ、
今の伏線と回収とかに慣れてる人らからすると、
そういうのはないんで、
その辺も含めて『strawberry shortcakes』って僕は一番好きなんだけど、
一つのオリジンというか、
This is 魚喃キリコ。
ここに下北的なるものの作品の原型があるっていうのであれば、
『南瓜とマヨネーズ』が多分一番傑作だと思うんで。
生活系というかね。
今泉力哉映画とかを好きな人は、
『南瓜とマヨネーズ』はマストだろうというふうに思ってます。
っていう感じかな。
作品の話とか紹介で言うと。
絵柄とか結構変わってるんですね。
結構ね。
でも初めからもう完成されてんのよ。
デビューして1年2年で、
ほぼほぼもう魚喃キリコだって感じなのよ。
ただ全部見比べてみると、
この時の描き方はもろん岡崎京子っぽいなみたいなのが初期はあるんだけど、
『blue』の段階でほぼ自分の、
魚喃キリコしか描いてない絵にはなってると僕は思ったね。
そうか。
読んでみたいですけどね。
でも新装版になってるから手には入りやすいんですかね、今。
多分ね、今まだまだ買えると思う。
新装版だったら買えると思うと思いますね。
なるほど。
古い版は南伸坊さんとかが装丁やってたりするんで、
『blue』とか『南瓜とマヨネーズ』とか。
かっこいいね。
表紙がマジかっこいい。
いいですね、『Water.』の表紙とかもむちゃくちゃいいですね。
かっこいい。
これね、専門学校行かれてたんだよね、デザインの。
東京出てくるとき。
それの卒成らしいよ、このウォーターの表紙。
へー、そうなんや。
そうそうそう。
じゃあメイントークの『strawberry shortcakes』、
改めて何が最高かっていう話をしていきたいなと思います。
内容としては、4人の東京に住む女性が描かれているという話なんですよね。
フリーターの里子、デリヘル城をやってる秋代、
OLのちひろ、イラストレーターの塔子っていう、
この4人が出てきますね。
OLのちひろとイラストレーターの塔子は一緒に住んでるんですよ。
そうですね。
フリーターの里子は、この作品の中ではすごくポップなね、
明るい目を見せてくれる、恋がしたいなーみたいなことを思ってる、
女性の生活みたいなのが描かれるとこで、
里子のとこ結構好きっていう人も結構多いですね、
『strawberry shortcakes』では。
で、これ『strawberry shortcakes』だと、
里子はめっちゃ明るい感じじゃんけど、
この前に『痛々しいラヴ』とかに載ってるんですけど、
里子ってこう、バンドマンに振られてめっちゃえぐい失恋をしたっていう設定があるんですよ。
あ、そういうことなんですね。
へー。
なんで、他の短編集とか読むと、里子のストーリーとかもあって、
書かれてないけど、魚喃キリコ先生の中では、
こういうことがありましたみたいなセットもあるみたいで。
なんかそういう、この4人の中ではすごい幸せそうというか、
そんなえぐいもん寄ってないような気がするけど、
もうすでにそれを経った後の人なんだよっていうことがあるらしいですね。
だから映画版とかはそういう話になってる。
そうそうそうそう。
あとは、デリヘル城の秋代さんという方がいらっしゃいまして、
この作品の締めとしてはやっぱ秋代さんが締めるんで、
秋代さんのことがやっぱ印象に残るのかなーって感じはするんだよね。
そうですね。どの年齢読むかによって一番印象変わりそうなのは、
ちょっと秋代さんの章かなっていう感じが浮かしますね。
なるほどなるほど。
魚喃キリコ先生は、『blue』は20歳の時に読んでほしい、
『strawberry shortcakes』は26、27の時に読んでほしいって言ったよね。
あー、はいはい。めっちゃわかります。
多分そういうを経験した時期みたいなのが、
そんぐらいの歳だったって話だと思うんだけど、
この感じすぐわかるよね。
そうですね。結構年齢、何歳で読むかによって印象変わりそうだなと思いましたね。
でもやっぱ20代後半が一番刺さるんじゃない?
そうですね。
いやなんか結構ね、当時見た時と今見たら印象変わったって言ってる人結構多かったんですよ。
いや、俺もそうかも。なんてひどい話だみたいなこと思ってたもん、当時は。
若い時は。
そうね。だから大学生ぐらいのところに読むとまた全然違う気がしますね。
こちら映画版があるんですよ。
矢崎仁志監督の2006年の映画版。カタカナで『ストロベリーショートケイクス』という映画版があって。
僕は映画今回も見てもらったんですけど、やっぱ原作が素晴らしすぎて、映画版そんなに良くないなと思ってるんですよ。
で、矢崎監督の作品はすごい好きだし、映画的な絵を撮る人って好きなんだけど、
今多分映画から入るとこの作品の面白さはわかりにくいんじゃないかなと思ってて。
そうですね。僕も結構映画見てそういう感想でしたね。原作の方からテンポ良く綺麗にまとまってる感じが、どうしてもしてしまう。
眠いのよ、はっきり言うと。
結構ね、ボソボソ喋るしね。
ロングで撮って、めっちゃ何言ってるか全然わからんのよ。声ちっちゃすぎて。
いや、あれやっぱそうなんや。僕家で見てたんですけど、音量MAXとかにして見てたもんだって。何言ってるかわかんなくて。
信じられんくらい声ちっちゃいでしょ。
そういう演出で、矢崎監督にめっちゃ魚喃キリコ先生影響を受けてて、その辺で原作者としてはすごい喜ばれてますし、
何よりイラストレーターの登校を演じられているのが、魚喃キリコ先生本人でございます。
いや、そうらしいですね。僕もびっくりしたけどさ。そんなことある?
すごいよな。原作者と違う創作物の関係っていうので、原作者が登場人物としてもろ出るっていう。
しかも、カメオとかじゃなくて主人公で出てるからね。
しかも、たぶん魚喃キリコ先生を投影してるキャラクターですね。
もちろんです。
いや、すごいなと思いましたね、あれ見てて。
魚喃キリコ先生の演技がいいんだよね。
うん、そうね。
すごい綺麗な方ですし、めっちゃいいんですけど。
こういう関係もあるよねっていうので、映画版の紹介もしたしっていう感じで。
変な映画なんで、もし興味があったらプラスで見てもらいたいかなっていうのはあるかな。
ただ、これも2006年ってこういう時代だったなっていう映画ではあるなと思ってて。
このゼロ年代後半って、この暗い感じみたいな。
ダラダラとした変わりない空気の中にものすごいハイパー暴力があるみたいな。
なんかその感じは描いてるなと思ってて。
魚喃キリコ先生の演技もぜひ見ていただきたいんですけども。
いい映画だと思うんだけど、すげえ変な映画ではあるから。
ちょっと原作の話に戻りたいんですけども。
今見ても面白いのかっていう面で、僕が心配してたのは恋愛すぎるんちゃうんか。
もっとタイトな世界を描いてると思ってたの、僕は。
20歳の時とかは。
だから、押井守がディスったような、最近の方がアパートを出たり入ったりしてるだけのものばっかりでしょっていう。
映像だけで見るとね、こんな感じですね。
何かを捉えてると思うけど。
すごいタイトな、何でそんな彼氏との関係にこだわんねんみたいな、この愛だけがみたいな話だったように20歳の俺は受け止めていて。
久々見たら全然そんなことなかった。
面白かったっていうのはあるんだけど。
面白いのは、本当にそれこそ忘れたような、忘れてしまったような瞬間みたいなのをパンパンパンって描いていくのが、すごいこの漫画上手くって。
それは多くの場合、登場人物の目線。
例えば目覚まし時計とか食器とか干した服とかね。
結構、魚喃キリコ先生の漫画、共通だけど、食べるものっていうのがすごい出てくるんだよね。
ああ、そうなんですね。
なんかその辺が生活の本当の、忘れてるけどめっちゃ見てるものってあるんですよ。
こう漫画にしたのがすごい面白いなと思ってて。
なるほど。
で、なんかそういう中で急にガッて引いて、狭い部屋の中でそろそろうずくまってる絵とか、急に俯瞰になるところ。
ワンツーの終わりとかで急に俯瞰になることが多くて、そこでハッとさせられるみたいなのが毎回あって。
そこの強弱がやっぱいいっすね。
そうですね。なんかやっぱり切り取り方がめちゃくちゃかっこいいな、上手いなっていうのがありますよね。
確かにな。
あと、メジャーな表現としてなんか分からんけど、起きた時に天井の絵が描いてあるみたいなのって、
アニメやったらよくある表現やなって思うんだけど、漫画であんま見たことなかったかもなって思って。
そういうこと、エヴァの『知らない天井』から来てると思うけど、アニメだと。
アニメ表現やったら目が開いて天井みたいなのよくあるよね。
漫画ってそういうの結構伝わりづらいからさ、天井のイラストって分かりにくいから。あんま漫画で見たことなかったなと思って。
そこに干した服とかあったりとか、本当に照明がチラッと描いてあるみたいな。そこの角度もめっちゃかっこいいやんか。
そうですね。
そこがすげえなってやっぱ思う。し、本当にすごくよくできてて、それが繰り返し読むと、「あ、こういうことなのか?」みたいなね。そこがやっぱめっちゃ効いてるんよね。
携帯で話してさ、「つながんねー。」みたいな。その後に街の電線みたいなのがドーンって描かれるっていうのがあるよね。
多分2回あると思うんだけど。それって多分携帯で誰でも繋がるみたいな感じだけど繋がんない、街は電線でめちゃめちゃ繋がってるのにみたいな対比がきてると思うんだよね。
あー、なるほどね。背景に語らせてるみたいな。
そうそうそうそう。結構この電線の漫画でもあるなって僕は改めて思ったな。その繋がりみたいな。街に覆われてる、結構いっぱい電線がクシャッとなってるのを描いてたりするから。
今の東京に生きる電気っていうのがあって、その上で成り立ってるけど、なんていうかな、無常さというか、なんかああいう感じを描いてていいよね。
そうですね。電線ってやっぱ、アジアというか日本を象徴するようなもんでもあると思うしね、海外にはないから。
そうね。
もう今回も読み直してさ、知ってるんやけど忘れてるやん、その細かいところは。
はいはい。
くぅーーー!みたいな。
いやいや、やかんが鳴ってるだけですよ。
くぅーーー!
いやその、魚喃キリコ漫画にありそうだけど逆に。夜間が湧いて終わるみたいなのありそうだけど。
違うのよ。俺がやかんになったわけじゃなくて、普通によくっていったよね。
くぅーーー!
いやー、そう。
しそれこそ作品の特徴で言った ずっとうずくまる女性のアンサー
っていうのをこの漫画の最後の ほうで出してるんですよ
うずくまる女性のアンサーちょっと あんまそういう意識で
これちょっと言わないんですけど 台本で最後のコマに載せてるとこ
です
あーなるほどねあーそういうこと かそれは確かに
うずくまって三角座りになってる 人が何を欲してたんかっていうこと
なんですよ
あーなるほどねそういうことか うん
うずくまる女性の絵を見るために 胸がえぐられ続けてきて
その上にショートケーキのこの 後半でやっとこういうことが
彼女にとって欲しかったことだったん だと思ってすごい感動するんですよ
ね
なんでそれがねどういうアンサー だったのかというか
どういうことを描いてたのかっていう のはぜひ読んでたどり着いてほしい
僕は
いやそうですねいやほんとに
うん
そうだよなー他のキャラクター もほんとにいい場所に落ち着いて
いくというか
うん
物語上はね秋代さんがラスト になってるけど
うん
誰がラストでもおかしくないと思う しね
うん
ちひろと塔子の関係がやっぱ すごい良かったりするし
それぞれパートだけど一緒に 住んでてっていうのがあるから
うん
そうですね
いやーそうねあとやっぱ言っと かないと言うとさカウンターで
並んで居酒屋で飲むっていうシーン を魚喃キリコ先生は定期的に
描くんだけど
うん
で今回だと秋代とえーと何だっけ
菊池ですかね
菊池
はいはい
で描かれるんだけどそれこそ 今や
うん
たくさんの方がで使われすぎて当たり 前だと思ってるんだけど
うん
やっぱオリジンのこの居酒屋で並ぶ シーンの背中みたいなのはやっぱ
すげえいいなと思ったな
いやーそうやないや僕もこれは ここがオリジンなんやろうなっていう
のを感じて
うん
だからその付き合ってない男女 の言い方悪いですけどその汚い
居酒屋でカウンターで二人で飲む みたいなさ
そうそう
もう今やたくさんあるんですけど
うんで分かりやすいこと言う とその秋代さんがその時はこう
髪をねこう結んでメガネをねこう してっていうなんかあのあれも
いいんだよな
うん
いやーでもなんか秋代さんの 生き方ってこうなんやろうな大学
の時ぐらいに見る方が僕は痺れるん かなどうなんやろうなとちょっと
若い頃に読んだら自分がどう思 ったんかを知りたいなっていう
いやもうまだあなたももうえもう 30なった
いやなってないですけど30手前なん ですよ
20代後半一番まだ響くとかじゃない のこの作は
あーなるほどねなんかそうやな ってかさしかもこの話ってその
菊池が結構誠実なキャラでもある ような誠実じゃないななんか難しい
ななんて言ったらいいんやろ
いやでも最後はちょっと救済がある からそれでちょっとイメージ良く
なってんだろうな
クズっちゃクズなんやけどはたから 見たら多分なんかでもうーんなんか
その菊池、「菊池!」ってなるな僕は結構
魚喃キリコ作品特有のね出てくる 男に全員がキレるっていう
そうなんやなでもなんかすごく なんか菊池の気持ちよりはやっぱ
秋代さんのああいうことを した後に謝られんのとか
いやよな
傷つきとかなんか全体的になんか 秋代さんの気持ちが一番僕は分かる
かもなと思ってしまう
僕はやっぱ一つこれ言ってない 要素としては状況物っていうのが
あるんすよ
あーそうですね確かにねちひろは そういう要素が特についてる
田舎から来ててみたいなでなんか そこでこうふとあんなに嫌だった
実家のことがなんかフラッシュバック とか夢で見ちゃうみたいなシーン
があるんですよね
はいはい
でそれでちひろは選択をしていく わけなんだけどとかあとは実家
から野菜がめっちゃ届くみたいな これもそれこそ数多の状況物作品
であるあるなんで
ソラニンとかでもあったし ね
そうそうそうこの実家からめっちゃ 野菜が届くけどそういう温かみ
みたいなそういう土っぽいもん が嫌で東京に来てるじゃないですか
それこそ『北の国から』で渡された 1万円札に泥がついてるじゃない
けどもそういうもんを良しとする のかでも良しとできないみたいな
なんかこの状況物としてもただ 良しの匂いみたいなすぐさまの
感じっていうのともうなんかすごい 好きでなんか読み直すとすごい
えっとねちひろさんのところが良かった ね僕は
そうですね確かにそこのあんまり 具体的に書いてないっていうのも
いいなと思いまして
そこはねモノローグとか結構 あるけどやっぱ絵で語る人
なんで
そうですね田舎でこういうこと があってみたいなのそんなに
漢字まで言わへん
言わないそうね状況物それぞれ の抱えてるものがどれか刺さる
って感じは
そうね
あると思うしね
それこそ塔子のもう既にちゃんと イラストレーターとして売れてる
からこそこの中の人の中では 言ったら持ってる人なわけでその
中でのこの作品に共通してるのって 助けてっていう気持ちみたいな
あると思うのねなんかその中でも 強いねってセリフもこう出てくるん
です強いねとこう助けてすごい 良かったりするなと思って
強いねっていう言葉の使い方めちゃ くちゃ
めちゃくちゃ食らうすごい繊細だー って思ったなやっぱ
やっぱその自分に正体がわからない ものとかをさああなんか強いね
とかいいよねって言って蓋しちゃう っていうそれの傷つきみたいな
ものの描き方すごいなぁと思いました
だからそれがすごい解釈が分か れるのが面白いだからあっちゃん
もしかしたら100善意で言ったり する場合もあるし嫌味100で言ってる
場合もあるし何も考えずに強いね って言っちゃってる場合もあった
りもするし
そうね
でも本人は助けてって思ってる ことはあるっていうさそれこそ
朝井リョウとかが描くような成功してる 人の中にも苦悩があるよみたいな
あるじゃないですか
はいはい
全部持ってるやんっていう人の 葛藤っていうのって結構描かれ
にくいっていうか特にこの持たざる 人みたいなのを立たせた作品の中
にはそこってこうもっとハードな ところがある人に比べたら別に
生きてげてんじゃん好きなことやってん じゃん仕事でみたいなさとかなっちゃ
そこが薄まっちゃうとか作家自身 もそこにライドでききれてない
こととか結構あると思うんだけど その辺が実際に自分を当てはめて
描かれてるってとこも多分塔子に ついてはめちゃめちゃあると思う
のでそこのリアリティみたいな のが他の3人とかともそんなに
浮かない形で描かれてるっていう のが面白いね
そうですね確かに別に塔子は投影 されてるやろうけど七段切り子
そこばっかりって感じは全然しない
ないそうそうそうっていうとこがね
かなぁそんぐらいかな僕が言える ことですか
寺田さんなんか言い残したとことか ありますかね
なんかこの最初のちひろと塔子の 会話からもう最悪って感じの会話
じゃないですか
まぁヒリヒリしてる
いやなんかあの感じとかみんなが ちょっとずつ周りをバカにしてる
感じというか見下してる感じみたいな ものが
僕の中ではあんまそういう作品 が好きではないよりなんですけど
なんかそれがこういうふうにオチ になるというかこういうふうに
まとまるっていうことが僕の中では なんかすごい裏返ったなっていう
感じがあって
良かったっていうこういう結論 になることがあるんやっていう
良さがすごくあってそういった 意味では何回も読み返すかわからん
けど良い作品やったなと思いました
だから本当にずっと持っといて なんかあるたびにもしかしたら
近しい表現とかなんか自分で思う こととかのたびに読み直してみる
とすごい発見がある
めっちゃ細かく書いてくれてる からここがとかってやっぱ刺さる
ポイントも違うしという意味で ねすごい手元にあると良い作品
だと思うんです『strawberry shortcakes』は本当に
そうですね何やろな死の匂い的な ところで言うと暴力は出てこない
けどもそういう病気の話にはな っちゃうんであれかもしれない
ですけどデリヘル嬢っていう体 を使ってるからこそそういう話
で病院に行かなあかんかったり とかそういったなんていうんやろ
直接的な暴力じゃないでも自分は 社会に暴力を受けてるって感じ
の表現っていうのはとてもたくさん ちゃんと描かれてるなって感じ
したよねだからこれいいのがその 生々しいしこのジャンルの漫画家
さんってもうちょっとセックス なのよ
うんわかりますね