2023-06-03 28:07

【##22】「起業家 兼 YouTuber」松村 英彦さん(前編)

第11回目のキッカケインタビュアーは、「起業家 兼 YouTuber」の松村 英彦さんです。新卒で営業職からスタートしてMVPやマネジメントを経験してスタートアップ企業に転職。その後、独立をするとともYouTuberとしても大活躍している松村さん。独立志向をもって社会人キャリアで経験した事、様々な経験を経て自分らしく生きる道にYouTuberとして踏み出して大きくキャリアが広がったエピソード、新しい事を踏み出したい人に参考になると思うので、ぜひ聴いてください。


【キッカケストーリー】

2013年新卒でSpeeeでキャリアをスタートさせ、営業職としてMVPやマネジメントを経験。約5年間勤めた後、10名未満のスタートアップに転職してより小さな組織で事業立ち上げを経験。その後、2019年に独立をして自身の得意な事・やりたい事を行き来しながら会社を経営。2020年に好きなNBAバスケでYouTubeチャネルを開設してYouTuberとしても活動を開始。現在は複数のチャンネルで4万人以上の登録数を超えて、音声メディアVoicyやForbes JAPANでもコラムを執筆。起業としてもYouTuberとしても活躍中。



■本日のパーソナリティ


- こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983)


■本日のインタビューゲスト


- 松村 英彦さん

Twitter


- 素人NBA

YouTubeメイン

YouTubeサブチャンネル

voicy

Forbes JAPAN OFFICIAL COLUM



この番組「40(FORTY)」は,、30〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。

人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。

同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。

パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。

1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。

40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって

日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。

30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし

50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。


こどもの未来株式会社では

「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、

「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。


▼千葉祐大 個人のSNS

Twitter:https://twitter.com/Baccho1983

Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/

Facwbook:https://www.facebook.com/Chibayuta

note:https://note.com/babytech2020

mail:yuta.chiba@kodomono-mirai.co.jp


▼こどもの未来株式会社

HP:https://www.kodomono-mirai.co.jp/

note:https://note.com/kodomomirai

Meety:https://meety.net/matches/rOPStmnWeJfz

Yourust:https://youtrust.jp/users/yutachiba

E-mail:contact@kodomono-mirai.co.jp

00:10
40、30代、40代の生き方、働き方を応援する番組です。
パーソナリティーの子供の未来株式会社の千葉です。
今日は、きっかけインタビューのコンテンツの11人目ですね。
もう3月に始めて、11人目って早いなと思っているんですけれども、
今日もゲストの方に来てもらっております。
今日、いつも一緒にやっているパーソナリティーの坂井さんが出張中というところなので、
僕の方でインタビューをしていければなと思いますが、
元々僕は同じ会社で働いていた同僚でありながら、
今は独立しながらかつ、YouTuberをやっている友人に来てもらっていますので、
松村さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
普段はマッツンと呼んでいるので、気軽にマッツンと呼ばせていただければなと思います。
そうですね。こっちで。
マッツンも結構仲良く、当時一緒にスピーという会社で働かせてもらったんですけれども、
その後も積極的にコミュニケーションを取ったりですとか、
それこそ、僕の勝手な外からの印象で言うと、バリバリ営業、今ももちろん強いと思うんですけども、
営業をやりながら新しくYouTuberとしてのキャリアを選んでいるのがめちゃめちゃ面白いなと思っていたので、
その辺も含めて、どんなきっかけだったかお伺いできればなと思っておりますが、
最初に簡単な自己紹介だけお願いしてもよろしいですか。
もちろんです。聞いていただいているリスナーの皆さん、初めまして。
松村と申します。
僕は松村さんと同じくスピーという会社に2013年、新卒で入りまして、
そこを5年間、結構営業とか、営業の責任者とかでバリバリやった後に、
一社スタートアップでいろいろ学んで、その後に2019年の4月に独立したということですね。
独立してからいろんな授業をやってきていたんですけど、
後でも話すんですけど、自分の好きなことを自分のペースでやりたいなと思って、
その中の特に好きだったものがNBAっていうジャンルだったんで、
2020年2月末にYouTubeチャンネル友人と立ち上げて、今もそれをやりながら、
別では自分ではコンサルの仕事とかもやっているという感じです。
今日はよろしくお願いします。
お願いいたします。ありがとうございます。
サラッと言うと、そうなんだと思うんですけど、そこのうよ曲説とかめっちゃ聞きたいなと思ったりして、
きっかけインタビューでは、その辺のキャリアとか、自分の人生を振り返った時に、
どういうきっかけでいろんな選択をしてきたかっていう人、
フォーティーのリスナーの参考になればなと思うので、
ひとつひとつ聞かせていただければと思うんですけれども、
出身は関西で、大学も確か関西だったかなと思うんですけれども、
そうなんですよ。出身大阪で、大学がリスメイカーなんで東北ですね。
そっちですよね。
新卒で東京本社にやるスピーを選択したと思います。
ベタなんですけど、そこの転職じゃないか、新卒の就職活動の時の選択軸とか、
03:02
どういうきっかけでスピーに入ったのかお伺いしてもよろしいですか。
もちろん。うち両親の父親がもともとずっと会社やってて、
昔から父の姿を見てて、将来独立したいなと思ってたんですよ。
いろいろ新卒でどこに入ろうかなと考えた時に、
やっぱりデカい組織というよりは、本当はベンチャーに飛び込んで、
その中で自分のバリューを発揮していきながら、
裁量機能をどんどん深めていくみたいなのが、
多分一番成長できるんだろうなというところがあって、
結構ベンチャーを見始めました。
ベンチャーでも当然いろんな規模の会社があると思うんですけど、
当然入るんだったら、確認満たないぐらいがちょうどいいんじゃないかと思って、
その辺でいろいろ見てた時に、スピーと出会いましたっていうところと、
スピーは割といろんな事業をすごく見極めて、
IQ高くやっていくっていう側面もありつつも、
割とそこで働いてる人が、
割とヒューマンな人がめっちゃ多いなっていう印象があったんで、
特にやりたいこともなかったんで、
何やりかっていうよりは誰とやるかっていうところが、
僕の中ですごく大事だったんで、
そういったインターンとかでスピーは参加させてもらったんですけど、
その後、この会社で頑張りたいなと思って、
意思決定させてもらったっていうのが、
臨時卒業に入るまでのきっかけですかね。
ありがとうございます。
ご両親が経営者の家系だったので、
結構だから初めから独立を結構考えていたのが、
多分マッツのキャリアの一つのポイントかなと思ったりするんですけど、
今のスピーって上場もして、
規模も多分500人超えてるんじゃないかなと思うんですけども、
まだ人員未満だったんで、
ゼロ何年新設になるんだっけ?
2013ですね。
13新卒なんですね、マッツが。
ありがとうございます。
結構多分年齢的にも、
多分30代40代とかのリスナーと近いというか、
参考になる人もいるかなと思っていまして、
ありがとうございます。
新卒でスピーに東京にドーンと来て、
まずは営業職からキャリアをスタートしたって感じですかね。
そうっすね。
ド営業職っていう。
研修そこそこに、
あとはリスト作って自分で電話かけまくれみたいな。
僕も新卒キャリアが営業で、
さっきのマッツの企業で、
何をやるかやるか誰とやるかって結構僕も近くて、
僕は求人の営業がキャリアをスタートしたんですけども、
経営者に会えるだったりとか、
2年間くらいパワポ開かずに営業してたんで、
どういうこと?
フリーベーバーの営業だったんで、
ほとんど資料がついてなかった。
06:00
僕が多分最初2年くらい、
機動力っていうバロメーターだけひたすら上げたみたいな、
やってたんだなと思うんですけど。
それで営業、研修そこそこに、
現場で学んでることが多かったと思うんですけど、
スピードで、
一緒にいたんでよく知ってるんですけど、
MVP取ったりとか、コアマネージャーだったりとか思うんですけど、
実写の方のキャリアのエピソードとかあったらお伺いしてもよろしいですか?
スピードの中でのキャリアとか経験みたいな。
僕やっぱ新卒で入った1発目めっちゃ調子乗ってて、
学生の時に通信、
フレッツ光とか営業してたんですよ。
その時ってADSLってめっちゃ遅い回線から
フレッツに変わるっていう時だったんで、
わりとそこの報道販売とか普通に
実際社員の人たちをガッツリやりまくって、
社員の人たちも成績上げてた時期も多かったんですよね。
やっぱり営業極めたいなって思ってたんで、
MVPに入った時に、
言うても俺いけるっしょって、
めちゃくちゃある意味テングなってたんですよ。
では全く売れないっていう。
で、アポは取れるんですけど、
結局訪問したら全然案件の質高くなくてみたいなところが
もう3ヶ月ぐらいずっと続いて、
同期の中でも成績としてはもう
市販機ずっとゼロでいいみたいな。
すっげーどん底だったんですよね。
で、
めちゃめちゃ打ち砕かれたっていうのが
最初のヒントに入った3ヶ月ですね。
だから個人的に言うんですけど、
僕が出会う前のM2なんで、
勝手に売ってるM2の印象の方が強かったんで、
最初そんな苦労があったんですね。知らなかったですよ正直。
マジで本当に売れなくて、
売れてないからこそアポ取れたことで
すごい期待しちゃって、
悪いアポに行ってしまうみたいな不の連鎖あるじゃないですか。
持てない状態で行っちゃうと、持てないやつのやつですよね。
そうそうそうそう。
で、第一市販機終わった時に
もうこれダメだなと思って、
どうしようかなと思った時に、
先輩たちの言うことを完全にパクってみようと思ったんですね。
これまでもこういうのやった方がいいよとか言われるんですけど、
まあそうっすよね、わかりましたみたいな言うだけで、
全然やってなかったんですよ。
素直風を演じてたみたいな感じですかね。
で、一旦そういうプライド捨てて、
言われたこと全部やってみようと思って。
で、自分の何がダメなのかっていうのを
いろんな人に聞きに行こうと思って行ったんですけどね。
で、いろんな人に聞きに行ったり教えてもらったことを、
一個一個ちゃんとメモしてたんですよ。
で、そっから徐々に、
09:01
もともとAppleめっちゃ取ってたら両方やってたんで、
全然質に転換してなかったんですけど、
徐々に質に転換するようになっていって、
7月から8月ぐらいから徐々に
成績がちょっとずつ上がるようになってきたっていう感じですね。
で、そっからやっと営業の仕事面白いなっていう風になってきて、
自分である意味訪問する前も、
ちゃんとAppleして確かめたりだとか、
訪問の前は絶対先輩に付き合ってもらってロープでしたりとかっていうのを
めちゃくちゃ繰り返したんですよね。
で、そっから1年目終わったタイミングで、
スピーで新卒の営業のギネスとかあるんですけど、
それをギリギリ更新できたっていうのが1年目終わりですね。
でもすごいですね。最初の転換点としては、
僕もしかし新卒で送った気がするので、
そういう共感はしてるんですけど、
やっぱり突き抜けられなくて苦しいんだっていうのが
最初のきっかけとポイントかなと思うんですけど、
そこで行動を変えて結果が出てきたっていうのが
今エピソードで勉強になったなと思うんですけど、
でも1年目で終わりの頃には結構ギネスを出せたみたいなことだったんですか?
結果を出せたという風に。
そうっすね。結果的にはそこにつながって、
そこも本当にいろんな先輩のおかげと、
ある先輩から言われた、全然売れなかった時の言葉で、
今すっごい残っているのは、プライドよりもプロ意識っていう
その先輩がおっしゃってて、
そういった僕の最初の第一四半期見てるんで、
そういう自分のいらないプライドよりも
成果を出すっていうそのプロ意識がめっちゃ大事だみたいな。
だからプライドよりもプロ意識っていうことをその先輩がずっとおっしゃってたんだけど、
それが未だにずっと残ってて、
だからそれをある意味ちゃんと
最終的にはできた1年目だったのかなっていう感じでした。
めっちゃいいこと言うじゃん、その先輩。素晴らしいですね。
元SPの人間もたまに聞いてくれて、
そのマニアックなファンがこのラジオにたまにいるんですけど、
それに僕も知ってる先輩っすか?
その人は営業部じゃなくて、白米さんっていうエンジニアの人だったんですよ。
知ってます?
いや、僕は直接認識ないかもしれないです。
みんなお世話になってるんですけど、
特に1年目は白米さんがメンターみたいな感じになってくれてて、裏側の。
っていうのは、休日にパソコンとか取りに行った時に、
絶対白米さんとジョーシーさんいたんですよ。
ジョーシーさん、はいはい。
で、「何してんの?」みたいな。ちょっとダメるんですけど、
いや全然ダメっすわ、みたいな。
ちょっと飯行くかって言って、白米さんに連れてってもらって、
それでいろいろ話聞いてもらって、
白米さんがプライドやプロ意識っていうことを言ってくれて、
それがめっちゃ刺さって、うわ、そうやな、みたいな。
未だにめちゃくちゃ覚えてます。
いいエピソードですね。
過去10人インタビューした中でも、
やっぱりメンターとの出会いというか、
12:00
キーワードで成長した人とかって多かったなと思うし、
僕も実際メンターっていう人がパッと浮かんだりするんですけど、
すごい意外でいいなと思ったのが、
僕と松井が出会ってから、
松井もマネージャーとかMVを撮った後だったりするんで、
メンバーがいたりとか上司がいたりとか、
見れてたんですけど、最初の1年目は、
直続の上司じゃない別部所の斜めの先輩からのアドバイスが
結構大きかったってことですよね、それで言うと。
そうっすね、なんか結果的にそうなったって感じですね。
はいはいはいはい。
いやいいっすね。
こういうのってでもありますよね。
多分今は松井も、今も自分の会社もやってるし、
マネジメントの経験もしてると思うんだけど、
変革系の質問をすると、
過去の自分みたいなやつをマネジメントするとしたらみたいなことを考えると、
多分いろんなことがあるじゃないですか、その引き出しとか。
はいはいはい。
なんで、そういう時の経験も多分生きてるんだなと思ったりするし、
何だろうな、あえて直続の部下じゃない人、
例えば仮に僕と松井が今同じ会社にいたとしたら、
僕が見てるメンバーに、僕は上司だと思うんですけど、
あえて別部所の松井を紹介して、
斜め上の先輩の意見を聞かせるみたいなことが
有効だったりするのかなと思ったりするので。
はいはい。大事だと思います。
そういうのもあるのかなと思ってました。
あとね、やっぱ土日に偶然顔を合わせるっていう、
偶然の出会いがめっちゃ大事だったなって今思ってて。
今千葉さんと話しながら思ったんですけど、
平日とかって会社内では、言うても僕も結構気張っちゃってるし、
本音話せない。
なんかなかなか、言うても1年目の売ってない小僧が言ったと言っても、
みたいなところは絶対あると思って。
で、土日、仕事関係ないときに行って偶然出会って、
しかも全部部署別みたいな、
そういうのが結果的に良かったなって今、
千葉さんと話しながら思い出しましたね。
いいですね。これも続きですよね。
確かにTPOっていうか、シーンで大事っすもんね。
めっちゃ大事っすね。
場所を決めるとかそういう感じもね、すごくいろいろ。
本当に本当に。
ありがとうございます。雑談をしながら結構。
毎回こんな感じなんですけど、僕も。
スペインにそれで言うと、結構長かったと思うんですけど、
この後、次の機会にもぜひ伺えればと思うんですけど、
スペインって結果的に何年ぐらいいらっしゃったんですか?
ちょうど5年ですかね。
5年いたんですね。なるほど。ありがとうございます。
そしたら1年目で苦労しながら、
千葉さんのアドバイス、結果を出してきたっていうのがあると思うんですけど、
この後のキャリアで、マネージャーとかにも当然なっているかと思うんですけども、
また自分の過去を振り返った時に、キャリアのきっかけになった、
例えばエピソードみたいなのがあったら聞いてもいいですか?
それスペインの中でってことですか?
スペインの中で、はい。
そうだな。今いろいろ思い出しながらなんですけど、
なって時系列で話すと、2年目からリーダーになって、
2年目終わった時にMVP確かもらって、
15:04
その後、2年半経った後に、
次は新規営業じゃなくて既存営業がむしろ移動するんですよ。
はい。なるほど。
そこの既存営業でみっちり叩き込まれて、
そこからいつだったっけな、
多分スペイン4年目迎える前かなんかに、
もう一回新規営業の部署に戻るんですよね。
はい。
その時の経験が僕の中ではめっちゃでかくて、
っていうのは、ぶっちゃけ言うと、
もう一回新規で戻ったんですけど、
その時の新規営業の状態って壊滅的で、
なかなか売りも上がってこないし、
提案の人も上がってないみたいな。
結構その時のメンバーたちも、
ちょっとSEOとかの営業決定かもね、
みたいなメンバー多かったんですよね。
うん。
それをある意味任せてもらえるようになって、
っていうのが4年目手前ぐらいだった気がするんですけど、
どうしようかなと思って、
たださ、SEOの営業めっちゃむずいじゃないですか。
確かにそうっすね。
正直なかなか今まで、
一回も受注を上げたことがないメンバーばっかりだったんで、
はいはい。
その時に2チームだったんですよね。
で、僕のチームがあって、
もう一人、うっしーっていう、
僕の後輩のチームがあって、
で、うっしーのチームは、
まだちょっと、
いけそうな感じのメンバーたちが揃ってたみたいな。
正直ちょっと不平等だろうと思ったんですよ。
はいはいはい。
で、そうは言ってもなあみたいな感じで、
って思った時に、
やっぱりその時に、
その時のメンバーの気持ち的に言うと、
もう自分の結果が出てないっていうのが、
本人が一番分かってるんで、
はいはいはい。
いろんな先輩とかに対して、
心ちょっと閉ざしてたんすよね。
うーん、なるほど。
そうそうそう。
やっぱ評価とか、できるくらいで守りたいっていうのは人間なんで。
じゃあここの彼らのメンタルブロックを、
まず解く必要が大事だなと思って。
一旦最初僕は、
自分の自己紹介プレゼンっていうのを、
自分の良いところが悪いところも洗いざらい、
彼らに話したんすよ。
ほうほうほう。
そう、僕スピーカー関係なんかこういう人間でみたいな。
じゃあ、やっぱ彼らから言うと、
いやこんな女子今までいなかったみたいな。
最初なんか自分のが洗いざらいでも自分のこと話してくれる。
まあ自己開示みたいな。
はいはい。
っていうところから、
ちょっとずつ営業じゃなくて信頼関係できてきたっていうのが最初で。
人と人と。
はいはい。
そこからですね、
本当に本音でやっぱメンバーと話すようになって、
やっぱもうスキル足んないんだったら、
圧倒的にトレーニングするしかないということを伝え続けて、
徹底的に一緒にトレーニングのプラン組んで、
一緒に付き合ってやってると、
18:00
ちょっと彼ら性が上がってったんすよね。
なるほどね、はいはいはい。
で、その結果年度末の目標達成の締めの日。
もうギリギリ。
もう締め後もう残り3分とかそれぐらいかな。
一番、ちょっとすげえ言い方悪いですけど、
全く売れてなかった子が受注したんすよ、そこで。
最後の最後に?めっちゃいいな。
最後の最後。
それが杉原。杉原くんで。
おー。
千葉さんも。
そうそうそう。
杉、杉、杉、杉。
で僕、それで目の前で杉が、
お客さんから発注の連絡もらってありがとうございましたっていうのを目の前の席で見てたんすよね。
でもその姿を、彼の姿を見た時、初めて仕事でボロボロ泣いたんすよ。
なるほど、号泣だと。
そう、俺MVPとかそんなのもらった時は嬉しかったんすけど、
感動の涙とかはなくて、
でその時何思ったかって、やっぱ人って変われるなと思って。
こういうメンバーでも変われるなと思って、
人を育てていくみたいなところってめっちゃ尊いんだなみたいなことを強烈に感じたのがそれぐらいですね。
めちゃくちゃ熱いエピソードだし、
ちょっとこれスピーディマニアックファンが笑ってる。
いや俺もそうなんだ、杉なんですねこれ。
知らなかった全然その話。
そう最後ね、素敵だったんですよね。
あれは今までの社会人、サラリーマンの人生の中で一番感動したエピソードでしたね。
すごいですねそれは。
そうそうそう。
まっすん自身もメンバーというかチームを見てるって話だったんですけど、
マネジメントしたのはそこが初めてでしたっけ?
マネジメントは実際2年目の、1年撮影した後にチームリーダーに任されてからっていう感じだったんですけど。
経験はありながらの、ご自身でいうと既存の営業も経験をしてキャリアを広げて、
まあ多分客観的に話をすると新規に戻っていると、ちょっと多分それが苦戦しているので、
いわゆる立て直しみたいな役割ですよね、おそらく。
そうですね、そうですね、言われましたね。
なるほど。
いやでもなんかいいですね、そのめちゃくちゃ普通の中で、
社会人人生でもね、やっぱり一番に近いぐらいですね、感動したエピソードがここであるっていうのは、
そうなんだと思いましたし。
あれは感動したし、あの日の後に飲んだビール、クソうまかったし。
やり方を見るとめっちゃうまいようになりますよね。
いやいいな、全然あれだけど、次にもアンサートーク聞きたいから、次ゲストに来てもらおうかな、めちゃくちゃいいなと。
次今めっちゃ成長してて、MBAとか取ってるんで、めっちゃ変わってると思いますよ。
僕らもフェイスブック繋がってるんですけど、今多分PDMですよね、PDMとしてのキャリアを伸ばしてるような。
多分そうなはず、はい。
ちょっとぜひどこかでゲストに呼ぼうかなと思いました。
はいはい、いいえいいえ。
あれです、やる松のスピードのエピソードめちゃくちゃ聞いていいなと思っていただいてありがとうございます。
21:04
それで順調にね、多分このぐらいの頃には僕も会ってるのかなと思ったりするんですけど、
僕も松のスピード感じが好きだと思うんですけれども、
そのスピードを、逆にちょっときっかけのエピソードを聞くと、
多分転職を過ぎしてると思うんですけれども、
そういう時はどういうきっかけで転職をしたとかってお伺いしたらよろしいですか。
そうですね、さっき話した通り、ある程度スピードで営業っていう部分で言うとやっぱりやり切ったなって、
すごい思い始めたんですよね。
で、改めて30も近くなってきて、27とか8とかだったのかなと思うんですけど、
自分は営業をやりたくて、営業を極めたくてスピード入ったっていうか、
将来独自したくて入ってきたっていうところに、
もう一回連休とか立ち戻ったときに、このままでいいのかなって普通に思い始めたんですよ。
で、正直スピードで頑張っても、自分が事業企画とかで回れないなと思ったんですね。
東大とか、もうバキバキに人たちが集まってたんで、
だったらちょっとフィールドをそろそろ変えてもいいんじゃないかって思い始めたのがそのときで、
じゃあどういうフィールドがいいんだろうなと思ったときに、
本当偶然そのときに、紹介で入るスタートアップの社長と出会わせてもらって、
そこがビズデブの部分で言う、特に営業をやりながら事業を反らせていくみたいなポジションがいないみたいな、
まだ2人の会社だったんですけど、
じゃったら1回3畳近くなってるし、ここで1回ガツと頑張ってみてもいいなと思って、
ちょっと本当に衝動的にっていう気持ちも高まったんですけど、
それで転職したっていうのが、そうですね、スピード5年経った後ですね。
ありがとうございます。
松井さんが30手前ってことは、多分29くらいの年齢って感じですかね。
そうですね、多分28とかだった気がしますね。
ありがとうございます。
たまたま、いろんな人のきっかけで、インタビューでも10人聞いてるし、
もちろん日々いろんな人と僕も話したりするんですけど、
結構この30手前ってパターンやっぱり多いなと思って、
僕も思ってますけど、1社目の転職4年9ヶ月行くって知ってるんで、多分地下指示。
確かに。
あと、このパーソナリティー一緒にやってる坂井さんとかも1人目でインタビューしてるんですけど、
彼女は逆に新卒の前並みで、僕らと同じように営業のキャリアをスタートしてるんですけども、
そうなんですか、はいはい。
30歳のタイミングまでに1回転職するみたいなことを思って行動してたみたいなエピソードもあったりしたので、
一人のスタイリングっていろいろなんだけど、やっぱりこのぐらいで動く人って多いんだなと思って、
話をアルバムで聞いてたりしました。
なるほどですね。
そしたら、よりスピーよりも規模としては小さいスタートアップに行ったって感じですね、おそらく。
そうですね、まだ2人で。僕入った時にちょうど6人ぐらいになってて、
何やってたかっていうと、ドライバー特化の人材紹介の会社だったんですけど、
24:03
そこで10ヶ月ぐらいやって、ある程度短月で黒字行ったりとか、
組織もいろいろ苦労ありましたけど増えてきて、
その時にまさにそこが29人年齢としては切り替わってて、
やっぱりそういう何もない状態で飛び込んで、
なんとか飯食えて食っていけるなぁみたいな感覚があったんで、
これもしかしたら自分でやってもそろそろいけんじゃないかなって思い始めたっていうのが、
転職して10ヶ月ぐらいやったんですよ。
そうですね、いいですね。
とはいえ、やっぱり怖さって絶対あるじゃないですか。
いけるのかなみたいな。
正直、スタートアップ転職した時の理由も今思い出したんですけど、
本当は独立したかった。
ただ怖いからちょっとそこに近い擬似体験ができる場所に飛び込んだみたいな感じだったんですね。
とはいえ10ヶ月経って、改めて自分がちょっとモヤモヤし始めた。
とはいえ怖いなどうしようかって思ってた時に、
僕当時結婚してたんですけど、そのタイミングにちょっと離婚したんですよね。
そこがもう何も自分後ろもないわって思ったタイミングで、
なんかもう吹っ切れたみたいな。
自分ある意味一人だったんで、
もう別にやることやってダメだったらもう一回サラリーマンに戻ればいいか。
一旦やってみるかと思って独立したのが2019年の7月。
ちょうど30まで、30歳のあと4ヶ月ぐらい迫ったタイミングでしたね。
ありがとうございます。
僕は共感しかないなと思って聞いて。
でもポーティーのリスナーにも参考になると思うんですよね。
いろんな思いを持って働いてるんですけど、
松山で独立をやっぱりね、もともとしたいっていうのがあってね。
すごい気持ちわかります。
1社目、僕もだからずっと、僕は家業、近いか。
家業が自営業やってる会社で、どっかで独立しようと思った時に、
最初に転職を重ねてからやろうかなと思った口だったりはするので、
それを人数が少ない、
10人以下の会社に飛び込むっていうのはまたそれはそれですごいね、
人によってはリスク抵抗してるような感覚だと思うんですけれども、
松山がその先の独立を視野に入れた、
ある種のいい意味での技術体験をしたという感じですよね、そこで言うと。
そうですね。
いいなと思います。
ちょっとかなり聞けてきたので、
後半ちょっとまた独立の話をいければなと思うんですけれども、
あとちょっと触れていただいた通り、
ライフステージの変化っていうところでも、
松山さんそのとき、スピードのときですね、結婚をしていて、
離婚をして、またそのステージが変わるっていうタイミングを含めて、
27:02
自分でやってしまおうっていうのが、
結構それで言うと独立のやっぱりきっかけとかでもあったんですか?
そこはでかかったですね。
やっぱり独立になると、
そのときの家族どうするのかとか、
当然考えなきゃいけなかったりとかいろいろあるんですけども、
自分一人なんで、
最悪ダメだったら、
コンビニのバイトとかやって食いつなげばいいかとか。
そこが結構吹っ切れたっていうのは、めっちゃでかかったですね。
やっぱりそういうタイミングで、
ライフステージの変化って本当に一つのきっかけだなっていうのは、
インタビューしてても感じたりするので。
ちょっと一旦前編ここまでとして、
独立の話と、あとは個人的にはめっちゃ聞きたい、
なぜYouTuberをやってるのかっていうのをぜひご覧ください。
ぜひぜひ。
前編ここまでとしたいと思いますので、
松井さんありがとうございました。
ありがとうございました。
28:07

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