おはようございます。
FOURTY、30代、40代の生き方、働き方を 応援する番組です。
パーソナリティの子どもによる 株式会社の千葉です。
週末は、30代、40代の キャリアインタビューとしての
インタビュー記事をお届けします。
今回2回目となるインタビューは、 お金のリテラシーを上げる家庭教師として
独立して活動されている 日田智明さんにインタビューをしております。
日田さんは、大手メガバンクに 14年勤務をしておりまして、
そこから、結婚・出産を経て 独立したインタビューとなっておりますので、
多くの方に参考になると思いますので ご覧くださいませ。
まずは前編をどうぞ。
おはようございます。
FOURTY、30代、40代の生き方、働き方を 応援する番組です。
パーソナリティの子どもの未来 株式会社の千葉です。
もう1人のパーソナリティの、 佑ちゃんも自己紹介をお願いします。
はい、おはようございます。
グロースXという研修サービスを 提供している会社に
現職の坂井と申します。 よろしくお願いします。
お願いします。
今日は週に1回の予定で、30代、40代の 同世代の人のケリアに関して
どういう意思決定をして歩んできたのか みたいな
インタビューのコンテンツをお届けできれば なと思っているんですけど、
記念すべし1回目には、それこそ坂井さんに インタビューをさせていただいたものが
今も配信はされているんですけども、 今日はだから2人目っていうところですね。
ちょっとゲストに来ていただいているので ご紹介できればと思います。
日田さんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。
お願いします。ちょっと日田さんの名前と年齢と、
あとはどんな会社にいて、今何をやっているか というところを超簡単にご説明いただいても
よろしいでしょうか。
はい、ありがとうございます。
今ご紹介いただきました日田と言います。
今年39、今38歳で、 2人の子供を持っているパパであります。
前職、今は独立しているんですけども、 一番最初2008年に銀行に入港しまして、
そこで13年間実務を経験した後、子供の誕生、 下の子ですね、誕生機会に独立をして、
今はお金の家庭供給という形で、 個人の方の資産経済サポートだったりとか、
お金との付き合い方、向き合い方のサポート なんかをさせていただいております。
ありがとうございます。
日田さんと僕は去年ですよね、知人を介して 知り合ってお話をしていく中で、
ちょっと深掘りをこれからしていければ と思うんですけども、もともとだから大きな
会社に10年以上勤めていて、まずそのお子さんが 生まれて、今まさに独立というかキャリアを
大きく変えていって、まさに30代、40代の生き方を 応援するフォーティーとしても、その部分は
本当にすごい聞きたいストーリーだなと 思っているので、ちょっとその辺を聞いて
いければなと思いますので、そしたら優ちゃん どの辺から聞いていきますかね、これ。
そうですね、あとあのキャリアももちろん そうなんですけど、このフォーティーとして
気になるのは、あの資産運営の相談にも 乗ってるっていうところも、ちょっと後半、
皆さん気になる部分もあると思うので 掘り下げていきたいなと思うんですが、
まずあれですかね、これまでどういうキャリアを 歩んでいらした、その一番最初の
ところから、はい、あの まあいえ、かなり長く同じ会社様で
活躍していらしたと思うので、その中で何か 思うことがあったきっかけとか、そういった
ところがあればお聞きしたいなと思うんです けど、まず一番最初に勤務先というか
就職、新卒でされるときって、結構皆さん いろんな会社様、ご覧になられると思うん
ですけども、銀行さんを選ばれたきっかけ みたいなのってあったりされたんですか
ありがとうございます。僕は三井住友銀行に2008年に 入ったんですけども、多分人一倍
将来のことが心配で仕方がなかったっていう 多分性格が影響していて、その分野の中で
人生の中で大きなテーマって、例えば健康 だったりとか、お金のことだったりとかっていう
結構レートを占めると思うんですけども、特に 自分の中ではその将来のお金っていうかね
のところの不安っていうのがなんとなくこう モヤモヤしているものがあったので、そこを
解消できる手段ってないのかなっていうふうに 思って、大学は全然経済学部でも何でも
なかったんですけども、大学4年生のときの 一番最後の授業のときに、たまたまその資産の
形成の手段、投資新宅っていうものを 講義で知ることができたんですね
その講義を聞いたときに、全然お金って銀行に 置いてあるだけじゃ増えないけれども、こういった
形でうまく資産運用していけば、お金って 勝手に増えていくんだっていうことを分かって
それできる仕事ってないかなと思ったときに ちょうど銀行が個人営業を始める
走りぐらいの時代だったんですね。銀行というと お金を貸して融資をしてっていうのがメインだ
と思うんですけども、どちらかというとその 証券会社とか保険会社さんに近いような形で
個人の型の資産形成ができるっていう部署が 個人営業として募集をしていたので、これ
ちょうど渡りにぶねだなっていうことで 入ったというのがきっかけでした
ちなみに大学って何学部だったんですか? 私は法学部でやってまして、ただ大学1年生の夏
なんだけども、最初は健二とか、ちょうど 金沢のヒーローをやってた。ありましたね。単純なんで
憧れて法学部じゃないと思って入って、1年生の 夏の民法の授業で、これ無理だなって
ことで早々に諦めまして
楽しく学生生活を送ったという感じでした。 なるほど、でもその中で運命の授業というか
講義があったわけですよね? そうですね、必修科目は3年のうちに
終わってたので、4年の時は単位関係なく 好きなものを取ろうと思って、そこでたまたま
1個取った授業が天気になったという形でした。
面白いですね。専門じゃなかったけど、 法資診察の授業でする。それも小さな
きっかけというか、それで興味を持たれたって ことですよね。
それでじゃあ2008年ですよね。 多分いろいろな選択肢がある中で
銀行に入港を決めたっていうことですよね。 実際入ってみたときはどうなんですかね?
その時代というのが2008年というのが リーマンショックがあった時代というか
多分同期もたくさんいるんじゃないかなと思うんですけど、 どんな感じだったんですかね?
そうですね。同期がちょうど2007年、2008年、2009年が 大量入港の時代で、同期、僕だと2000人
総合職と言ったら違いますね。 会社とは違いますね。
僕は個人資産の営業の舞台が、総合職全国転勤が そうじゃない方があるんですけども、そこで
本当の意味での同期っていう横並びだと 650人、そんな感じでした。
さっきのドラマの続きで言うと、半沢直樹の世界 っていう理解であってますけれど、ちょっとわかんないですけど。
そうですね。よく聞かれることがあるんですけども、 だいたいやってるなって。
そういうことですよね。2000人いて、実際に原稿としても 個人営業が多分始まってきたみたいな時代があって。
ちょっとこの辺、本当にあんまり明るくないですけど、 入ってすぐリーマンショックがあるわけじゃないですか。
それこそ僕とが、たぶん洋ちゃんと、たぶん当時人材業界に 僕らいたんで、めちゃめちゃリーマンショックの影響を受けたな
っていう記憶があるんですけど、それって実際、 それこそ新卒だと思うんですけど、中にいるとどんな感じなんですか。
不安だなっていう感じなのか、もしくはあんまり 関係ないのかっていうとどうなのかなと思って。
実務の面で言うと、やっぱりちょうど2006年、 2007年あたりから銀行でも、今まで証券会社でしか
投資新宅とか買えなかったんです。銀行でも売れるようになったよっていう、 解禁の年の前後だったので、前年度前々年度に先輩たちが売ってた
投資新宅が、まあめちゃめちゃ凹みまくっているわけですよ。 半年になったとか、ひどいものが10分の1になったとか。
っていうのもあったので、そのクレーム処理です。 最初は。
ということですね。 なので業界としても全体的には沈んでたので、本当に研修が一通り終わって、
確か2008年の9月とかその辺あたりにリーマンが破綻したので、その前までずっと研修期間中だったので、その年がちょうど研修が終わって営業をスタートした年が、
月がドンピシャではまったっていう。 もうなんか今まで学んできたもので、売るものがいきなり何もないっていう状態からスタートして、
じゃあどうしようかなっていうので、アフターフォロー。 アフターフォローって言っても、ほぼクレーム処理ですよね。
だったりとか、あとはもう投資新宅売れないので、それこそ保険とかを窓口解禁し始めた年でもあったので、
保険の方にちょっとシフトしていこうみたいな形でずらしていったりとかっていうのをやってました。
ありがとうございます。それでじゃあ、先輩が前年に売ったその投資新宅のクレームが始まるっていうのはなかなか、
私はどういう、おっしゃるのかわかんないですけど、でも実際やったなと思うので、そこで、多分銀行って大きいんで、いろんな課とかによってやると思うんですけど、
最初はどういう役割で、何人ぐらい働いてたんですか、それでいくと。 そうですね、僕がその入ったところが旧住友銀行の本店だったんですけども、
その営業として配属されたのは僕だけだったんですよ、そこのところって。 もちろん窓口に配属された一般職の女性の方たちは何人かいたんですけども、
僕がその営業はそこだけしかいなかったので、本当にクレーム処理しながら先輩にくっついていきながらフォローしながらっていう感じの仕事をずっと続けてたっていう。
なるほどですね、ありがとうございます。 なんだろうな、ホーティー的には人生のキャリアでこういうことをやって、そこできっと何かを持って部署移動なのか、
自分でアクションあったっていうことあると思うんですけど、だからちょっと自分でじゃあそれでもキャリアを積み重ねて、部署を移動するとかっていうのもなんだろうな、
これもちょっと純粋な興味なんですけど、やっぱりそのスタートアップとか小さな会社であれば自分で上げ回すとかっていう手を上げるパターンもあると思うんですけど、
銀行とかってそういう空気ってあるんですか、ちょっと分かんないんですけど。 一応その応募っていうんですかね、公募みたいなのがあって、社内に手を挙げれば他の部署の転換とかって
できることはできるんですけども、でもやっぱりある程度そのキャリアを積んでからじゃないと難しいんですね。
実績積んで経験があるから、じゃあこの部署だったら行ってもいいよっていう、やっぱその社内試験だったりとか面接もあるので、それをクリアするためにはある程度実績積まないといけないので、
当然新卒で入って1年目の状態だと手も挙げられる状態ではないので、言われるがまま、もうやるしかない。
なるほどね。いやでも洋ちゃん分かるよね、結局最初はもうやっぱやるしかないというかね、何を言うにも。
そうですよね。どれだけ、まあ会社の規模によってそういう制度、どのタイミングで手を挙げられるかっていうのはあるかもしれないですけど、やっぱりなんかこうある程度
実績を積むっていう言い方はいいかわからないですけど、お前何できんのって言った時に、ちゃんとある程度胸を張って言えるとか、この人たちより自分はここが強いよっていう武器がないと
なかなかじゃあその後、自分で何をやりたいんだろう、何が得意なんだろう、周りに何を還元できるだろうみたいなところで、話題にはまだまだしにくい時ってありますよね。
でもなんかそういう時に限ってというか、やっぱり思いが強いから、できれば新しいチャレンジをしたいという思いもありつつ、ちょっともやもやしながらやっていた時期が私もあったなっていうのはすごい思ったんですけど。
一番最初ね、先輩もそういうフォローから始まるという系、なんかそういう気持ちってなかったですか?なんかできれば自分も
自分発で何かやりたい。そうですね、でも最初はもうそれこそ本当についていくのがいっぱいいっぱいで、そのリーマンも今で最近だとシリコンバレーバンクが最近だとちょっと破綻したみたいな話があったりとか、リーマンショックの再来が来るんじゃないかみたいなのが言われたりするんですけども、そういう金融危機みたいなのって