2023-03-18 27:13

【##4】「お金のリテラシーを上げる家庭教師」肥田 智宣さん(前編)

毎週1本、30-40代の方のキャリアストーリーをインタビューした収録をお届けします。第2回目となるインタビュアーは、大手メガバンクに14年在籍した後に、2人目のお子さんの生まれたことを #キッカケ に2022年に退職・独立をされた肥田さんのお話をお伺いしております。改めて、人生が変わる #キッカケ のポイントをいくつかお伺いする中で、たくさんのチャレンジする人の参考になるお話しが収録できたと思います。是非お聴きください!!■本日のパーソナリティ

  • 肥田 智宣 さん

■本日のインタビューゲスト⦅現在の仕事⦆お金のリテラシーを上げる家庭教師⦅略歴⦆メガバンク在籍経験14年。個人資産設計営業・コンプライアンス部門在籍。FP・宅建etcこの番組「40(FORTY)」は,、30〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。こどもの未来株式会社では「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。▼千葉祐大 個人のSNSTwitter:https://twitter.com/Baccho1983Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/Facwbook:https://www.facebook.com/Chibayutanote:https://note.com/babytech2020mail:yuta.chiba@kodomono-mirai.co.jp▼こどもの未来株式会社HP:https://www.kodomono-mirai.co.jp/note:https://note.com/kodomomiraiMeety:https://meety.net/matches/rOPStmnWeJfzYourust:https://youtrust.jp/users/yutachibaE-mail:contact@kodomono-mirai.co.jp

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おはようございます。
FOURTY、30代、40代の生き方、働き方を 応援する番組です。
パーソナリティの子どもによる 株式会社の千葉です。
週末は、30代、40代の キャリアインタビューとしての
インタビュー記事をお届けします。
今回2回目となるインタビューは、 お金のリテラシーを上げる家庭教師として
独立して活動されている 日田智明さんにインタビューをしております。
日田さんは、大手メガバンクに 14年勤務をしておりまして、
そこから、結婚・出産を経て 独立したインタビューとなっておりますので、
多くの方に参考になると思いますので ご覧くださいませ。
まずは前編をどうぞ。
おはようございます。
FOURTY、30代、40代の生き方、働き方を 応援する番組です。
パーソナリティの子どもの未来 株式会社の千葉です。
もう1人のパーソナリティの、 佑ちゃんも自己紹介をお願いします。
はい、おはようございます。
グロースXという研修サービスを 提供している会社に
現職の坂井と申します。 よろしくお願いします。
お願いします。
今日は週に1回の予定で、30代、40代の 同世代の人のケリアに関して
どういう意思決定をして歩んできたのか みたいな
インタビューのコンテンツをお届けできれば なと思っているんですけど、
記念すべし1回目には、それこそ坂井さんに インタビューをさせていただいたものが
今も配信はされているんですけども、 今日はだから2人目っていうところですね。
ちょっとゲストに来ていただいているので ご紹介できればと思います。
日田さんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。
お願いします。ちょっと日田さんの名前と年齢と、
あとはどんな会社にいて、今何をやっているか というところを超簡単にご説明いただいても
よろしいでしょうか。
はい、ありがとうございます。
今ご紹介いただきました日田と言います。
今年39、今38歳で、 2人の子供を持っているパパであります。
前職、今は独立しているんですけども、 一番最初2008年に銀行に入港しまして、
そこで13年間実務を経験した後、子供の誕生、 下の子ですね、誕生機会に独立をして、
今はお金の家庭供給という形で、 個人の方の資産経済サポートだったりとか、
お金との付き合い方、向き合い方のサポート なんかをさせていただいております。
ありがとうございます。
日田さんと僕は去年ですよね、知人を介して 知り合ってお話をしていく中で、
ちょっと深掘りをこれからしていければ と思うんですけども、もともとだから大きな
会社に10年以上勤めていて、まずそのお子さんが 生まれて、今まさに独立というかキャリアを
大きく変えていって、まさに30代、40代の生き方を 応援するフォーティーとしても、その部分は
本当にすごい聞きたいストーリーだなと 思っているので、ちょっとその辺を聞いて
いければなと思いますので、そしたら優ちゃん どの辺から聞いていきますかね、これ。
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そうですね、あとあのキャリアももちろん そうなんですけど、このフォーティーとして
気になるのは、あの資産運営の相談にも 乗ってるっていうところも、ちょっと後半、
皆さん気になる部分もあると思うので 掘り下げていきたいなと思うんですが、
まずあれですかね、これまでどういうキャリアを 歩んでいらした、その一番最初の
ところから、はい、あの まあいえ、かなり長く同じ会社様で
活躍していらしたと思うので、その中で何か 思うことがあったきっかけとか、そういった
ところがあればお聞きしたいなと思うんです けど、まず一番最初に勤務先というか
就職、新卒でされるときって、結構皆さん いろんな会社様、ご覧になられると思うん
ですけども、銀行さんを選ばれたきっかけ みたいなのってあったりされたんですか
ありがとうございます。僕は三井住友銀行に2008年に 入ったんですけども、多分人一倍
将来のことが心配で仕方がなかったっていう 多分性格が影響していて、その分野の中で
人生の中で大きなテーマって、例えば健康 だったりとか、お金のことだったりとかっていう
結構レートを占めると思うんですけども、特に 自分の中ではその将来のお金っていうかね
のところの不安っていうのがなんとなくこう モヤモヤしているものがあったので、そこを
解消できる手段ってないのかなっていうふうに 思って、大学は全然経済学部でも何でも
なかったんですけども、大学4年生のときの 一番最後の授業のときに、たまたまその資産の
形成の手段、投資新宅っていうものを 講義で知ることができたんですね
その講義を聞いたときに、全然お金って銀行に 置いてあるだけじゃ増えないけれども、こういった
形でうまく資産運用していけば、お金って 勝手に増えていくんだっていうことを分かって
それできる仕事ってないかなと思ったときに ちょうど銀行が個人営業を始める
走りぐらいの時代だったんですね。銀行というと お金を貸して融資をしてっていうのがメインだ
と思うんですけども、どちらかというとその 証券会社とか保険会社さんに近いような形で
個人の型の資産形成ができるっていう部署が 個人営業として募集をしていたので、これ
ちょうど渡りにぶねだなっていうことで 入ったというのがきっかけでした
ちなみに大学って何学部だったんですか? 私は法学部でやってまして、ただ大学1年生の夏
なんだけども、最初は健二とか、ちょうど 金沢のヒーローをやってた。ありましたね。単純なんで
憧れて法学部じゃないと思って入って、1年生の 夏の民法の授業で、これ無理だなって
ことで早々に諦めまして
楽しく学生生活を送ったという感じでした。 なるほど、でもその中で運命の授業というか
講義があったわけですよね? そうですね、必修科目は3年のうちに
終わってたので、4年の時は単位関係なく 好きなものを取ろうと思って、そこでたまたま
1個取った授業が天気になったという形でした。
面白いですね。専門じゃなかったけど、 法資診察の授業でする。それも小さな
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きっかけというか、それで興味を持たれたって ことですよね。
それでじゃあ2008年ですよね。 多分いろいろな選択肢がある中で
銀行に入港を決めたっていうことですよね。 実際入ってみたときはどうなんですかね?
その時代というのが2008年というのが リーマンショックがあった時代というか
多分同期もたくさんいるんじゃないかなと思うんですけど、 どんな感じだったんですかね?
そうですね。同期がちょうど2007年、2008年、2009年が 大量入港の時代で、同期、僕だと2000人
総合職と言ったら違いますね。 会社とは違いますね。
僕は個人資産の営業の舞台が、総合職全国転勤が そうじゃない方があるんですけども、そこで
本当の意味での同期っていう横並びだと 650人、そんな感じでした。
さっきのドラマの続きで言うと、半沢直樹の世界 っていう理解であってますけれど、ちょっとわかんないですけど。
そうですね。よく聞かれることがあるんですけども、 だいたいやってるなって。
そういうことですよね。2000人いて、実際に原稿としても 個人営業が多分始まってきたみたいな時代があって。
ちょっとこの辺、本当にあんまり明るくないですけど、 入ってすぐリーマンショックがあるわけじゃないですか。
それこそ僕とが、たぶん洋ちゃんと、たぶん当時人材業界に 僕らいたんで、めちゃめちゃリーマンショックの影響を受けたな
っていう記憶があるんですけど、それって実際、 それこそ新卒だと思うんですけど、中にいるとどんな感じなんですか。
不安だなっていう感じなのか、もしくはあんまり 関係ないのかっていうとどうなのかなと思って。
実務の面で言うと、やっぱりちょうど2006年、 2007年あたりから銀行でも、今まで証券会社でしか
投資新宅とか買えなかったんです。銀行でも売れるようになったよっていう、 解禁の年の前後だったので、前年度前々年度に先輩たちが売ってた
投資新宅が、まあめちゃめちゃ凹みまくっているわけですよ。 半年になったとか、ひどいものが10分の1になったとか。
っていうのもあったので、そのクレーム処理です。 最初は。
ということですね。 なので業界としても全体的には沈んでたので、本当に研修が一通り終わって、
確か2008年の9月とかその辺あたりにリーマンが破綻したので、その前までずっと研修期間中だったので、その年がちょうど研修が終わって営業をスタートした年が、
月がドンピシャではまったっていう。 もうなんか今まで学んできたもので、売るものがいきなり何もないっていう状態からスタートして、
じゃあどうしようかなっていうので、アフターフォロー。 アフターフォローって言っても、ほぼクレーム処理ですよね。
だったりとか、あとはもう投資新宅売れないので、それこそ保険とかを窓口解禁し始めた年でもあったので、
保険の方にちょっとシフトしていこうみたいな形でずらしていったりとかっていうのをやってました。
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ありがとうございます。それでじゃあ、先輩が前年に売ったその投資新宅のクレームが始まるっていうのはなかなか、
私はどういう、おっしゃるのかわかんないですけど、でも実際やったなと思うので、そこで、多分銀行って大きいんで、いろんな課とかによってやると思うんですけど、
最初はどういう役割で、何人ぐらい働いてたんですか、それでいくと。 そうですね、僕がその入ったところが旧住友銀行の本店だったんですけども、
その営業として配属されたのは僕だけだったんですよ、そこのところって。 もちろん窓口に配属された一般職の女性の方たちは何人かいたんですけども、
僕がその営業はそこだけしかいなかったので、本当にクレーム処理しながら先輩にくっついていきながらフォローしながらっていう感じの仕事をずっと続けてたっていう。
なるほどですね、ありがとうございます。 なんだろうな、ホーティー的には人生のキャリアでこういうことをやって、そこできっと何かを持って部署移動なのか、
自分でアクションあったっていうことあると思うんですけど、だからちょっと自分でじゃあそれでもキャリアを積み重ねて、部署を移動するとかっていうのもなんだろうな、
これもちょっと純粋な興味なんですけど、やっぱりそのスタートアップとか小さな会社であれば自分で上げ回すとかっていう手を上げるパターンもあると思うんですけど、
銀行とかってそういう空気ってあるんですか、ちょっと分かんないんですけど。 一応その応募っていうんですかね、公募みたいなのがあって、社内に手を挙げれば他の部署の転換とかって
できることはできるんですけども、でもやっぱりある程度そのキャリアを積んでからじゃないと難しいんですね。
実績積んで経験があるから、じゃあこの部署だったら行ってもいいよっていう、やっぱその社内試験だったりとか面接もあるので、それをクリアするためにはある程度実績積まないといけないので、
当然新卒で入って1年目の状態だと手も挙げられる状態ではないので、言われるがまま、もうやるしかない。
なるほどね。いやでも洋ちゃん分かるよね、結局最初はもうやっぱやるしかないというかね、何を言うにも。
そうですよね。どれだけ、まあ会社の規模によってそういう制度、どのタイミングで手を挙げられるかっていうのはあるかもしれないですけど、やっぱりなんかこうある程度
実績を積むっていう言い方はいいかわからないですけど、お前何できんのって言った時に、ちゃんとある程度胸を張って言えるとか、この人たちより自分はここが強いよっていう武器がないと
なかなかじゃあその後、自分で何をやりたいんだろう、何が得意なんだろう、周りに何を還元できるだろうみたいなところで、話題にはまだまだしにくい時ってありますよね。
でもなんかそういう時に限ってというか、やっぱり思いが強いから、できれば新しいチャレンジをしたいという思いもありつつ、ちょっともやもやしながらやっていた時期が私もあったなっていうのはすごい思ったんですけど。
一番最初ね、先輩もそういうフォローから始まるという系、なんかそういう気持ちってなかったですか?なんかできれば自分も
自分発で何かやりたい。そうですね、でも最初はもうそれこそ本当についていくのがいっぱいいっぱいで、そのリーマンも今で最近だとシリコンバレーバンクが最近だとちょっと破綻したみたいな話があったりとか、リーマンショックの再来が来るんじゃないかみたいなのが言われたりするんですけども、そういう金融危機みたいなのって
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本当だったら10年間くらい経験して、あるかないかっていう世界のところがいきなり一番最初からスタートしたっていうのは、これピンチでありもう振り返ってみると良かったな、ちょっと状況が悪くなったので、全てが良かったとは言えないんですけども、自分のことをスキルを上げるっていう観点からでは相当濃い1年間だったので、勉強もいっぱいしましたし、どうやったら回復するのかっていうロジックもそうですし、それこそ先輩だったりとかお客さんに怒られながらっていうので構築ができていったので、ある意味その1、2年っていうのは
すごい勉強にはなった年だったので、屈伸の時期であったとは思うんですけども、個人的にはすごいプラスだったなというふうに思っています。
普通に社会人やってて、あれですよね、あまりに外的要因が過ぎるじゃないですか、なかなか望んでも経験できるものでもないというのは確かにそうですよね。
確かにいいですね、すごいありがとうございます。それでずっと頑張ってきた中で、改めてキャリアを振り返って、最初の転機とかっていうのは何かあったりしたんですか?このタイミングだったかなみたいな。
ちょうど3年目くらいの時から、僕は結婚したんですけども、その年にちょうど体調不良というか、背中に何か変な出来物ができていたって結婚前だったんで、家族にお風呂上がりに背中を見られて言われて、
自分に全然認識なかったんですけども、それでじゃあ変なホブができているから手術して取りに行こうみたいな話になって、実はそこで1回入院してるんですよ僕。
本当は簡単な手術だったんで、1週間くらいの夏休みで終わる予定だったんですけども、手術がうまくいかなくて、その後入院を2ヶ月くらい結局しなきゃいけないという状況になっちゃって、
仕事からそこである意味言ったら離れるという経験をしたときに、自分の人生って果たしてこのまんまで本当にいいのかなっていうのは、その時になんかやっぱりふっくりと考えたんですね。
やっぱり戻って、じゃあ営業の第一線で戻れるかって結構ちょっと難しい部分があって、結構背中に結構尻尾とか血流しながら群れに張りながらみたいな感じで根性でやってたので、
それもやっぱり限界が営業活動としての限界があるので、じゃあそこの第一線では難しいよねっていうことで、僕の意思も尊重してくれたっていうのもあるんですけども、多少やっぱり部署を変えてくれたりとか、
内金を多めにしたりとかっていう形でシフトしてたっていうところもあって、そこからになると結構銀行ってどうしても原点主義というところがあるので、結構今までは順調にはやってきたんですけども、
やっぱりそこを一つ機会として、ちょっと罰がつくじゃないですかね、そういう形になると、なかなかその元の路線に戻すと、結構今まで以上に業績上げていかないと戻れないっていうところがあったので、
キャリアってそのまんまじゃあ、結局その体壊した原因って何なのって言ったら多分ノルマだったんですよ、ストレスであり。
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毎日のように電話が離れたところに上司もう一人女性が語ってきて、今日の方どうするのみたいな感じで言われて、
一応報告すると途中で電話切られるみたいな感じで、やってもやってもノルマを達成しても達成しても、翌月は必ずゼロベースからもう一回やり直しっていうところをずっとやり続けたので、果たしてこれって意味あるのかなっていうのは、
自分自身のキャリアもそうですし、お客さんにとってもこれ意味あるのかなっていう。売りたくもない商品を売らなきゃいけないっていう現実もどうしてもあるので、
それって自分が目指してた姿じゃないなっていうので、だんだんだんだんちょっと帰りが開いてきたというのもありました。
ありがとうございます。聞きたいことのキーワードだらけだったんですけど、すごいですね。なるほどですね。そういうめちゃくちゃ働いていて、ちょっと体調のところで、意図せず仕事をちょっと離れる機会があって、その時に自分のことを俯瞰するタイミングがあったわけですね。
早いですよね。まだ10代っていうことですかね。それでいうと。 そうですね。26、7の時。
本当それって、今僕とか40だから振り返るとあったなーっていうふうに思って聞いたんですけど、人によってそれがあるタイミングって違くていいなと思うんですけど、ずっと頑張っていると絶対そうなる感じはやっぱするなと思うし、
それ聞いてる人ももしかしたらそう思うかなと思ったので、すごいいろんな視差に飛んだここのエピソードだと思うんですけれど、僕からちょっと聞くと、逆に離れて、銀行っていう環境もあって、本当に浅い知識の半沢直樹の世界が頭の中にあるんですけど、確かに限定主義なんだろうなみたいなのがあったときに、これまでは順調に言ってたものが、行かなくなるぞみたいな感じじゃないですか。
何だろうな、そこで自分の人生、これでいいんだっけなっていうふうに思ったのっていうのは、逆にもともとどういうふうに思ってたとか、それはリンクで言うと、入って、多分そこまであんま深く考えてなかったというのは多分実情だと思って、そのまま入って、入れてもらったところも結構本当にいいところだったので、そのまま普通にキャリアを積んでいったら、自分が思ってた安定した収入だったりとか、将来家族ができていってっていうのを普通にイメージしていけばいいなと思ってたんですけど、
イメージしてやってた部分のところに、やっぱそれじゃ違うんだよっていう状況が、多分これは個人的には神様からのリフトだと思うんですよね。多分天狗にもなってたでしょうし、このまんま君が資産形成を相手に押し売りをするような形、アドバイザーじゃなくて自分がプランニングしてあげてるんだよっていう、このよくわからない間違った感覚を持ったまんま人生を進んでいったらダメだよっていうところで、多分折れてくれたっていう。
折れてくれたんだろうなっていうふうに、今では解釈はしているので。
そう思えるのってすごいですよね。当時は、なんで今なんだとか、思うじゃないですか、きっと。そう思えるのがすごいなって、多分振り返ってそう思ってたんだなと感じて。もう1個でもそうですよね。タイミングとしては、ご結婚もそのタイミングでされているっていうことですか?
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そうです。よくうちの奥さん、離婚とか婚約破棄しなかったなと思います。
確かに、この子はエリートで乗ってると思ったのに、ちょっと違くなったみたいな、ちょっとわかんないですけどね。
なるほどですね。でも、これちょっとストレートなんで話せるんですけど、結婚結構早いなっていうふうに、まあ人によると思うんですけど、それ、きっかけがあったりしたんですか、それでいうと。
そうですね、付き合ってから、学生の時からずっと付き合ってたので、もう付き合い始めて5年目か6年目になってたので、まあ一つそろそろなのかなっていうのと、今住んでる場所は一緒なんですけども、地元は一緒なんですけども、彼女が東海地方、愛知とか名古屋とか、そっちの方に就職で行っちゃってたので、なかなか会える機会もなかったんですね。
僕も働いてるので、なかなか平日はいけなかったりとか、彼女は土日が仕事で、平日が休みっていうタイプだったので、僕もその休日出勤に無理やり手を挙げて、休日休みして平日休みもらって、そっち行くみたいな形でやったんですけども、それでもちょっと距離が離れるのはっていうのも、いろいろあって、まあ今がタイミングなのかなっていう。
で、26の年ですかね、結婚したという感じでした。
なるほど。それでじゃあ、その彼女さん、今の奥さんは東京にいらっしゃったというか、そういう感じだったんですか。
そうです。地元は千葉だったので、お互いも地元が一緒なので、そこで一緒に暮らしているという感じです。
なるほどですね。ありがとうございます。
これ前半に結構ありましたね。20代のところで。
ありましたね。あと私なんかものすごいなと思ったのは、一度お休みをしてキャリアについて考えたタイミングから、その後さらにまた10年ぐらい同じ会社にいらっしゃったってことじゃないですか。
部署が移動されたりっていうところもあったと思うんですけども、私結構なんか職場を変えるっていうことを選びがちだなっていうのは、結構なんか反省も含めて自分自身で思っていて、
なんかその、もちろん今独立されてっていうところを選ばれていらっしゃるかと思うんですけども、なんかその会社の中でどういうキャリアをじゃあ次作っていこうっていうところに行き着かれたのかっていうのをお聞きしたいです。
ありがとうございます。やっぱりそうですね、出世コース、いわゆる出世コースから外れていったっていうことを考えたときに、そのとき実力があれば僕も多分独立しちゃってっていうことも考えたりとかっていうのはいろいろ思ったんですけども、
やっぱりその時はその自信も当然なかったし、経験としてもまだ浅かったっていうところもあって、じゃあ仕事を変えるって言っても自分が今持っているスキルをじゃあ活かすってなると、じゃあ銀行を変えるかとか、証券会社行くかとか保険会社行くかっていう同じ業界内でしか頭がなかったので、きっとどこ行っても同じだろうなっていうところがあって、じゃあちょっと自分の考え方をシフトして変えていく必要性があるかなと思って、これはもちろんちょっと言い悪い賛否はあると思うんですけども、僕は家族を守るところで収入は維持しつつも、
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出世は狙わずに維持するっていう、ちゃんと会社のところに貢献はしつつも、無理やり突き抜けるっていう方針じゃなくて、ちょっとおとなしく潜伏じゃないですけども、ちょっとそこの方に守りに走ってみるのもいいのかなと思って、そこはちょっと方向シフトして、会社も判断してくれて営業の第一線からちょっと本部の方のバックオフィスの方のサポート機能の方に移してくれたりとか、自分でも手を挙げたんですけども、
ここでお願いをして、キャリアをそこで形成していこうかなっていうふうにシフトしてきました。
本部の方でいうと、具体的にはどういった業務になられていますか?
そうですね、一番最初に本部に移してもらったのが、今まで営業をやってたんですけども、その営業をちゃんとルール違反してないかどうかっていうコンプライアンスをカバーする建設部署があるんですけども、そのコンプライアンスの部署の方に移させてもらって、
働いている場所は同じだったんですけども、やっている内容としては、個人の方が営業で、通信宅とか保険売るときにお客様に断定的判断してないかどうか、押し売りしてないかどうかっていうところをチェックするっていう本部の機能の方のところに移してもらって、結構自分ではそこは肌に合ってたので、そこでやりつつ、
ただそこの部署もずっといられるっていう部署でもなかったので、次どうするかって言ったときに、また営業に戻るのか、本部じゃなく違う道へ行くのかっていうところで、またそこも一つ分岐になって、僕はもう営業に戻るっていうことはその段階で選択にはなかったので、また結局同じことをやらなきゃいけないっていうことと、その段階からやっぱり徐々に徐々に実は外を見始めてたんですよ。
はいはいはいはい、転職というか、他にどういうふうに仕事をしていく道があるのかなっていうのを考えたときに、僕はちょっと変わってるんですけど、体壊したので、じゃあ体を維持するためにどうしたらいいかっていうので、僕はパーソナルトレーニングとか予防医学とかそっちの方を学び始めたんですよ、このタイミングで。
で、本部にいたときも本部にいたときで、さっき千葉さんおっしゃったみたいに、本当に半沢直樹の世界は本部の方なんですよ。本当に福間伝みたいな感じで、同僚同士なのに急になんかはしご外されるとか、仕事作ってても上司に潰されるとか、結局新しいものを、その時にすごい思ったんですけど、輪行って新しいものを作ろうとする勢力に対して徹底的に潰しにかかってくるんですよ。
前例がないものは作りたくないし、それを走らせてその責任を負わなきゃいけないのは上司の人たちなので、それはやりたくないっていうことがものすごい本部にいて、本部にいると仕事を作らなきゃいけないので、新しい仕事をじゃあ作ってくって言われたときに、それを徹底的にやられたものなので、そこがもう自分の中で一番のキャリアの転換点でした。もう銀行の中にいるものかと思ったのがそこでした。
そこが一番でかかったです。人間関係で体調を崩して、20人くらいかな、統括してたんですけども、その時にもうどっちか立てればどっちかが潰れるみたいな感じをやって、そこでもう一回実はちょっと倒れて救急車で人生で初めて運ばれたんですけども、その段階でもう僕はここにいるべきじゃないなっていうところで、そこからもう全部外に視野を向けてシフトをし始めたっていう感じでした。
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ちなみにそれっておいくつぐらいの時だったんですか?
31とか2ぐらいですかね。ちょうど娘が、上の子が今小学校4年生、次5年生なんですけども、生まれた年、翌年ぐらいがそれだったので、なんかもう家族がやっぱ増えると、このまんまこう多分ストレスで人って死ぬんだなっていうのが、一歩手前まで行ったのでわかったので、それをこの先ずっと続けていくのはちょっとまずいな。
でも残念ながら今すぐこう外に独立できるだけのスキルだったりとか、それこそ外に出ると自分で集宅したりとか、いろいろ他のスキルも必要になってくると思うので、まだちょっとそれがつける必要性があるなと思ったので、そこからは会社はやりつつ最低限維持しつつ、自分のこれからの先のキャリアをどう形成していくかっていうのをそこからシフトして本気で当事者として考え始めたという展開の年でした。
いやありがとうございます。すごいですね、めちゃめちゃここも学びがあるところですね。
もうだから限界までやりきったわけですよね、本当に。
もう一回それで外を見始めたけど、当時はやっぱり実力をつけてからというか、そこでやってからというので、その意思決定も参考になるなと思ったし、一方でまた銀行の特殊性も含めて。
でもそれの中でも、きっと20人を見てるとかっていうのも、多分わかんないですけどね、年齢としてはすごい早いというか、すごいなって。
早かったんですか?20人見てすごいなと思ったんですけど。
そうですね、多分本部の機能だったからっていうところもあると思うんですけど、現場だとそれこそ課長とかそういう役職について、その視点での統括の人数を見るっていうふうな形だと思うんですけども、多分業務の内容もちょっと特殊ではあったので、
あそこの関東エリア、東京、横浜、千葉の地区の周りにいた人たちと、全部ガタッと集めてきたような部署だったので、人口人数が増えたっていうところもあったので、いきなり無茶無理で全部統括だからよろしくみたいな感じに投げられたっていうのも。
なるほどですね、ありがとうございます。そういうことですね、そこでやって。実際にでもいろんな経験をして、ちょっとすごい長くて楽しいので、ちょっとここまでは一旦前編ぐらいにしたいんですけれども、いざやっぱり意識としては外に向き始めたみたいな話がちょっと次は気になるなと思うので、
ちょっと本当に日田さんが2008年から社会人になってアジーンできた、銀行内の多分2つの部署のキャリアの話をいろいろお聞かせいただいたかなと思うので、後半ちょっとそこからどう外に意識を見て、実際に今も独立されているので、ちょっと話を伺えればなと思いますので、じゃあちょっとここで前編させていただければと思います。はい、日田さんありがとうございました。ありがとうございました。
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