自分軸と他人軸の理解
はい、こんにちは、カズです。今日は、自分軸とか他人軸とか、やっぱり人間関係ってなかなか難しいもんですよね、ということで、ちょっとね、謎のタイトルでね、なかなかね、やっぱり人間関係って難しいよね、みたいなね、話をちょっとしていきたいなと思います。
自分軸とか他人軸とかですね、言葉を聞いたことある方、すごくね、多いと思うんですけど、本当に大事なんですよね、これ。本当に大事だし、すごく本質的なことだし、うん、なんですけど、一朝一夕ですぐ簡単にね、これがね、できるもんでもなかなかないんですよね、その本質的なゆえにですね。
自分軸とか他人軸とか、要は人間関係と見せずに関わってくる概念だと思うんですけど、ありのままの自分を貫くってことですよね。自分の気持ちだったり、本当に自分の魂から心の底から出てくる欲求を尊重して、そのように行動していくこと。
これが自分軸ですよね。他人軸っていうのは、自分はとりあえず置いといて、周りの人たちの要望、要求に合わせて動くこと。これが他人軸ですよね。他人を軸として自分が動くっていう、他人が基準になっているのが他人軸で。
そうじゃなくて、自分の心の底の魂の声みたいなのを基準にすることが自分軸だと思うんですけど。
概念的にはみんなわかっている方多いと思うんですけど、これをなかなか100%完璧に実行するっていうのは、なかなか現実問題、やっぱり難かったりするじゃないですか。やろうとしたことがある方ならわかってもらえると思うんですけど。
やっぱり自分軸を貫いて生きていこうとすると、自分の気持ちに正直になることが求められるということなので、やりたいことはやりたいですと、好きなものは好きですって言っていく。
逆にやりたくないことはやりたくない、嫌なものは嫌で、もっと尊重してほしいって思ったら、もっと自分は尊重してほしいっていうのを表現していくべきだし、もっと丁寧に扱ってほしい、接してもらいたいっていう気持ちが湧いてきたら、それを表現していくべきだしっていうことなんですよね。
だから自分軸っていうのは、自分の気持ちを守るために、自分の尊厳を守るために、やっぱり大々にして周り、他者に対していいえとか、それはいたしませんよとか、ノーっていうそういうメッセージを適切に表現していかなければならないっていうことですね。
これができないとやっぱり自分軸ではないと思うんですよね。絶対にこのノーっていうメッセージは必要になってくる場面が絶対あるわけですから。
でもそうすると、そういうノーのメッセージを表現していくと、特に優しい人ほど、そんなことすると相手が怒ってしまうじゃないかとか、対立してしまったり喧嘩になっちゃうじゃないかとか思うことがあるじゃないですか。
で、そういうここら辺をどういうふうに考えていけばいいかっていう話を今回はしたいんですけど、実際自分軸を貫くんならやっぱり相手が怒っちゃったりとか、周りの人間関係で対立っていう現象が起こっちゃったりとかっていうのは実際出てくるわけなんですよね、実際に。
自分軸を貫いたからといって全てが丸く収まって円満にいくっていう、そういう話ではないんですよね。最終的にはそうなると思うんですけど、その過程においてやっぱり衝突、一時期荒れるみたいなこと、人間関係が荒れるみたいなのは起こってくると思うんですよね、現実問題。
自分軸につながって、自分軸を貫いて、だから100%愛のモチベーションでこういう表現をした、そういうのを言えというメッセージであっても、やっぱりそういう摩擦っていうのは起こるときは起こるわけなんですよね。
課題の分離と人間関係
これをどう考えたらいいのかっていう話をちょっとしていきたいと思います。
ここでやっぱり僕がこれだなと思うのは、Adlerの提唱している課題の分離っていう概念があるんですけど、もう本当にこれだなっていう感じですね。
課題の分離っていうのは、その課題を最終的に背負う責任があるのは誰なのかっていう、それを見極めなさいよっていう。
その責任の所在を明確にして、それに干渉しあっちゃいけないよみたいな話なんですけど。
ちょっと厳密に説明するとむずいんですけど、最終的に困るのは誰か、人生においてその責任を負うべきなのは誰なのかっていう視点で物を考えるっていうのが課題の分離なんですよね。
ちょっと今、課題の分離の概念を細かく説明していこうっていう回ではないし、ちょっとその用意も今してないので、ここはスルッと流させて欲しいんですけど。
自分塾、他人塾と課題の分離との話ですね。
自分塾にいて、いいえやりませんとか、ノーとか、それは嫌ですとか、そういうことを適切に表現するっていう、そのノーを自分が表現するっていうのは相手の課題じゃなくて自分の課題じゃないですか。
それは自分が責任を持っていることなんですよね。自分がその自分塾の表現をしていくっていうのは自分の課題なんですよ。
なんですけど、その自分塾につながって発されたメッセージを受け取った相手がどう対応するか、どう受け止めるか、どう反応するかっていう、これは相手の課題なんですよね。
だからその、つまりその相手の反応とか対応っていうのは、それはもう自分の課題ではないわけなんですよね。相手の課題なんですよ。
だから自分の責任があるのは自分の気持ちを尊重して魂、心の声に耳を傾けてそれを適切に表現するっていう、相手に伝える努力をするっていう、そこまでが自分自身の課題なんですよね。
だからそれは自分に責任があるので、一生懸命、一生懸命じゃないや、ちゃんと責任を全うすべきっていうか、やる必要がある。
だからそれを怠ったら、それは自分が毎日種だよねみたいな話になると思うんですけど、でもそれをやった後の話はもう自分の課題じゃないんですよね。
周りの人の課題、周りの責任というか、それをメッセージを受けてどう周りが反応するかっていうのはもう自分にはコントロールすることができないことであるし、その責任、最終的な責任も自分自身にはもうないっていうことなんですよね。
だからそこを気にかけて萎縮する必要はないよっていうことです、言いたいのは。
結構やっぱり優しい人ほどこういうことが気になっちゃうと思うんですよね。
でもそうやって自分の正直な本音を話したら、いや相手怒っちゃうから言えないよとか、そんな行動できないよとかなっちゃいがちだと思うんですけど、
でも課題の分離で考えるならば、あなたはあなたの自分の心の声、魂の声をしっかり聞いてそれを適切に表現するっていう、そのことがあなたの課題であるし、
また相手の課題っていうのは、自分が発したメッセージを受け取ってどう対応するかっていうのはまたその人の課題であるので、だからそこまで範囲を広げて考えなくてもいいんですよね。
逆にそこまで範囲を広げて考えたら責任の侵害になっちゃうんで、これだから逆にやっちゃダメなんですよね。
なんか優しさと勘違いしがちだと思うんですけどこれ。
僕もすごいこの辺で葛藤してたことが長くあったんで、でも今では本当こういうことだなと思ったんでね、お話ししてるって感じなんですけど。
一応多分人間関係の生理的な正解っていうのはそういうところに落ち着くと僕は思ってるんですけど、
でもこういう話をすると優しい人は自分事故を貫くってことは周りの人への配慮をしなくていいっていう話ですよねみたいなね。
じゃあ結果その自分の心の声をちゃんと聞くんだけど、それが与える周りへの影響は考慮しないっていう、そういうわがままな人間になっちゃうんじゃないですかって思うかもしれないですよね。
この辺をどう考えたらいいかっていう話をまたちょっとしていきたいんですけど、
実際にはですね、実際にその自分事故を貫いて自分の正直な気持ちとかを適切に表現、周りに伝えていくようになると実際にはどうなるかっていうと、
まずありのままの自分とそもそも合わない人、そういう人間関係はだんだん疎遠になっていきます。
だからそういう人間関係はどんどん切れていくんですよね。
そしてその後にその切れて空いた人間関係のスペースっていうのができますよね。
そしたらそこにそのありのままの自分と波長のあった人間関係っていうのが新しく収まってくるようになるんですよ。
自分事故を貫いてそれを表現していくとそういうことが徐々に起こってくると思います。
人間関係の問題
だからこれわがままになるどころかですね、何ていうのかな。
まずそもそもその合わない人間関係っていうのがあったわけじゃないですか。
そのありのままの自分と合わない人は離れていく、そういう人間関係は疎遠になっていくって言ったんですけど、
そもそもなんでその人間関係がそこに出来上がったかっていう話をするんであれば、
そういうのが出来ちゃった人はですね、
あなたがまずそのありのままの自分とは違うずれたシグナル、ずれたメッセージを周囲に表現し続けている、
送り続けていること、他人塾で生きていることですけど、
そういうずれた表現をしていく結果としてそのようなずれた人間関係が引き寄せられていたんですよっていう、そういうことなんですよね。
ちょっとこれを例え話的に言うとこういうことになると思うんですけど、
例えば自分の波長の色っていうものが本当は赤色だったとします。
あなたの波長の色は赤色だったとする。
だけどある日ね、そんなあなたの元にですね、青色の波長の人がやってきたとします。
するとあなたは、あの人はきっと赤色とか嫌いなんだろうなって思うわけなんですよね。
あの青色の人だからね。
いやきっと赤色嫌いなんだろうな、嫌いそうだなとか思って、
でちょっとねじって表現しちゃうんですよ。
私は緑色なんですよって言って、あなたと気が合いそうですねみたいな、
そういう本当は赤色なのに緑色って言っちゃう、
そういう要は他人軸じゃないですか。
みたいなシグナルをその人に送り続けるとします。
するとどうなるかっていうと、
当然ですね、あなたが自分で緑色って言ってるんだから、
緑色の表現をしてるんだから、
その周りの人、相手の人っていうのはあなたを緑色として扱うようになるわけなんですよ。
当たり前ですけどね、自分がやってるんだから。
でも本当のあなたは赤色なんだから、その緑色の扱い方をされても不満なんですよね。
でその結果どう思うかっていうと、
ああもう誰も本当の私のことをわかってくれないんだって言って落ち込む。
いじける。
でもう人間関係そういうもんなんだって諦めるみたいなね。
いうことが起こってきちゃう。
みたいな話だと思うんですよ。
でも今の話、いやいやいやっていうことじゃないですか。
そもそもこれの原因、そもそも何でこういうことが起こったかって言ったら、
あなたがそもそも私は赤色なのに周りには緑色ですよって言って、
要するに周りの期待、ニーズに合わせた他人に気に入られるような他人塾のシグナル、
そういう表現っていうのを周りに発し続けてたわけですよね。
だからこういうことになったっていうだけの話だと思うんですよ。
そもそも最初から私は赤色なんですよっていう表現をしていれば、
そういうずれた人間関係ってそもそも生まれなかったわけじゃないですか。
そういう話だと思うんですよね。
だからちょっと不満足な人間関係、
自分に心地の良くない人間関係っていうのが形づくられているんだとしたらば、
そういうのを作っているのはその超本人、
その超本人は自分自身なんですよっていう、そういう話です。
自分軸の重要性
だから自分軸ってめっちゃ大事なんですよっていうことを言いたいわけなんですよ。
嘘、偽りの自分を周りに表現するっていうことをやめていくっていうことです。
そんなわけで、これなかなか僕としてはこれが正論じゃないかなと思っているところなんですけど、
実践していくのはなかなか現実的には難しいと思うんで、
ちょっとずつ自分ができる範囲で勇気を出して超えられる範囲内でいいんで、
ちょっとずつこれを実践していくといいんじゃないのかなと思います。
練習練習でね。
みんなその100%ありのままを最初から表現できている、
適切な人間関係を維持できている人っていないと思うんで、
ちょっとずつ各々やっていけば人間関係がいいものに変わっていくんじゃないのかなと思います。
そんなわけで今日はこのくらいにしようかなと思います。
どうもお聞きくださりありがとうございました。