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おのれ自身をですね、かえり見てみますと、なぜ自分は、その恋愛というものといいますかね、彼女を作ろうと、誰か恋愛する相手が欲しいと思っていたのかっていうと、特別理由ないですよね。
でね、これやっぱ謙虚に立ち返ってみると、よく恋に恋するお年頃なんて言いますけれども、えー、発情期。
人間ってね、すべての生き物の中で、ずっと発情し続けている、軽温な生き物らしいですけど、大体の動物ってね、発情期って決まってて、月の週期であったり、あるいは季節であったりで、ここの時期だけ発情期になるとかって決まってるんですけど、人間だけずっと発情期らしいですね。
まあ、それももう今変わってきてるんじゃないかなと私思ってるんですけど、で、そういうその思春期っていうのは第二次成長もあってですね、男女ともにやっぱりそういう性的なね、欲求欲望というか強まる時期なんだろうと、それはおそらくDNAのプログラミングでしょうね。
ちょうど出産に適した年齢の男女っていうものにセックスをさせないとですね、子供が生まれないつまり種が保存されませんので、それはしろっていうふうに脳みそに刻まれてるんでしょうね。脳みそなんか知らないですけど、体に刻まれてると。
で、そういうエネルギーがまず丸一ありますと。で、もう一つにはやっぱりその社会の中で大人になるとですね、そういうことをするものですと言うようなことをみんなが盛んに言うわけですね。私の世代だとやっぱりテレビのドラマであったりとかですね、漫画とかですね、あるいは周囲の人たち。
親もそういうこと言うんじゃないですか。親というか大人もね。あれかまだ彼女の一人もいないのかなんですね。よく言われたもんですよね。で、それ言われるとグギー悔しいってなるわけなんですけど。そういうような圧力があって、その2つですね。つまり本能的なものとそれから社会的なものの養成、社会的な養成とが絡み合った時にその恋愛が起きると。
つまりなんか自分から自発的にどこっていうことだとあんまりそういうもんじゃないんじゃないかなと思うんですよ。なんかあの子可愛いなこのときめきの気持ちはなんだろうみたいな形で恋愛に向かっていくっていう人もそれいるんだろうと思いますけれども、私は違いましたよね。やっぱりね。
ある種の焦りみたいなのがあって、それが一人前だみたいな。やっぱり年を重ねてとりわけ成人していく大学生になる20歳を超えるっていうのに、彼女の一人もいないって言うんじゃ恥ずかしいぞ寂しいぞみたいなそのようなものってのはありましたよね。
だからある種義務的にそういう方向に向かっていたんじゃないかな。だけどやっぱり今はそうじゃないですよね。結婚しないのも一つの考え方だよね。それが正しいよねっていうのはある種の教科書的なものになっていて、そっちの方がいい生き方だというぐらいの話じゃないですか。
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そうするとね、やっぱり無理に結婚する必要がなくなるんですよね。もちろんそうですよ。結婚なんて無理にするもんじゃないんですよ。離婚するのが責任なんですよ。だけど実はそういう強制力っていうのがあったからこそ結婚っていうのがここまで来たんだろうなと。
それは実際その社会の仕組みの中でもお見合いとかね、職場恋愛。お見合いってのはもうね、私の世代、段階ジュニアは本当に少ないんじゃないですか。あんまりやってないですよね。どんどん減ってる時代。だから昭和の高度経済成長期の前期みたいなところだと1960年代みたいな時代だとやっぱりお見合いで結婚するっていうケースは多い。私の身近にもね、ありますもんね。
だけどその夫婦すごく幸せにやってると思われるのでですね、全然どうだっていいんですよ。きっかけなんて別にね。よく言いますけど夫婦の仲なんて結婚してから始まるってところがあるんでね。
その後は一緒にですけど職場恋愛っていうのがあって、それも僕の頃にはそこまでなかったですけど、まだでもあったっちゃあったな。要は結婚的領域のですね、男女っていうのを引き合わせる場所として職場っていうのがあるんですよね。
特に女性の一般職、女性が総合職になってない時期ですね。男性の方が出世をしていき、女性はお着身みたいな時代がありましたよ。そういう時代っていうのはやっぱりそこで将来性のある男性というのを捕まえるために女性が会社にいるという構造はありましたよ。全然ね。
ただ2000年代に入ってきてさすがにそれもなくなってきて、というのは私自身が働いていた職場ってまだね、入ったばっかの頃はそういうのが濃厚にその空気感がありましたけど、2000年の初頭ですね。あっち向きなくなりましたね。
今はもうそういうことは全く圧力としてはないし、というかむしろ圧力をかけたらセクハラパワハラになりますよね。誰もやらない。そういう役目は引き受けない。親ですらじゃないですか。いいんだよ、好きにしなさいよ、孫の顔が見たいよっていうようなことを言う人はいまだにいるみたいですけど減ってますし、それは社会的にそういうこと言うもんじゃないよっていうのもだいぶ広まりましたし、今後どんどん減るでしょう。
そのこと自体はいいことだと思いますね。ただそうなってくるとですね、本当にコミュニケーション能力に長けた人じゃないと恋愛を結べなくなってくるっていうのは事実あると思うんですよ。お見合いってようは、そんなコミュニケーションに長けた人なんてそんなにいないわけじゃないですか。いるわけないですよね。運動神経とか勉強ができるとかと一緒で、コミュニケーションが得手である、不得手であるっていうのは人間必ずあります。それによって優劣は決まるわけじゃありませんよね。
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それはそういう人だっていうだけの話なんですけれども、だけどやっぱり圧倒的にコミュニケーション能力っていうのが必要になってくるのがその恋愛であると。
容姿とかもコミュニケーションだと思うんですよ。結局その見た目を整えることによってコミュニケーションの敷居を下げるってやり方ですよね。そういうふうに考えるとですね、なんかそのあたりって別に学校とかでは全然教えてくれない話なんで、
割と自学自習、自分で何とかやっていく、もしくは身近にそういう人がいて教え起こる。でも教え起こえるっていう場合はあんまりないんじゃないかな。何々先輩にモテ方を教えてもらったみたいな人も昔はあったんですかね。ないんじゃないかな。やっぱりあんまりないような気がしますけどね。
なぜかというとそれはダサいとか格好悪いって言われましたからね。人の真似をしてね、どうこうなんですかね。最近そう思うんですよ。マッチングアプリの話とか聞いててもですね、マッチングアプリって基本的にデータじゃないですか。これね、私やってないんで、なんか妻の了解を得た上で実験的にちょっとね、どういうものかはやってみたいなっていうふうには知っておきたいなと思うんですけど。
身長とか年収とかがデータとして入力されることになる。あと顔写真とかですよね、持ったやつね。いろんなアプリがあるみたいですけれども、やっぱり身長と年収っていうのは必ずあるみたいなんですよね。
何で?年収必要か必要かもしれないな。データを見てるわけじゃないですか。人間というよりはね。確かに人ってデータを見るもんですよ。特に年を重ねれば重ねるほどそうですよね。お見合いとかにもね、どういう家柄だとかそういうの書いてあったりしますもんね。書いてはないのか教えてもらうのか。
でもデータとしては存在してますよね。逆にクラスが一緒であるみたいな原始的な恋愛っていうのは、あんま年収ないですもんね、学生にはね。子供の頃にも身長の差はあるけど、そこまでの大きな差はない。
大きな差はない。てかこれから伸びるかもしれないっていうところもありますしね。高校生ぐらいまでだとまだわからないですよね。データ的なものの消費っていうのは待ち合くほどではないだろうなと思うんですよ。何を言ってるかっていうと、要はそれは恋愛感情っていうのとイコールなのかなっていうことなんですよね。
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データの消費っていうことであって、どっちかっていうとコンテンツの消費の方に近づいてるんじゃないかなと思うんですよ。つまりですね、もはや人間って原始的なコミュニケーションを取るっていうことができなくなっていくんじゃないか、退化していくんじゃないかっていうふうに思ってまして。
実際に例えば尻尾とかいらないからなくなっていくわけですよね。いらないものっていうのは消えていくわけじゃないですか。何かそういう恋愛っていうもの自体ももはや必要なくなるのではないかと。
だけど実は思いません?大人になってから結婚するって、例えば40代同士で結婚することを考えてくださいよ。なんかもはや別にあれじゃないですか。相手とのコミュニケーションっていうのももちろん大事だろうけれども、何かそこに性欲であるとか恋愛感情の高まりみたいなのが大事かって言われたら、そうでもなくないですか。
ずっと胸がときめいてなきゃいけないみたいな、すり込みだし、そんなふうに思わなくても別に楽しく生きていけますもんね。
でもだとしたら若い時代も同じじゃないと思うんですよ。そのおじさんおばさんになったら消えちゃうものっていうのは、それはもともと本来人間として必要なものだったのかっていうのは怪しくないですか。
言うてそんなのは、だから発情に他ならないのではないかと。どうですかね。ちょっと極端な感じもしますけどね。