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で、その如意団にかわらんで言うと、月1だったかなぁ、女髄会館っていう女髄会、一橋大学のOB会の建物が、なんだあれ、竹橋にあるんですよね。
竹橋ね、東西線の駅の中でもね、マイナーな駅の一つなんじゃないかっていう。毎日新聞の日、怒られますね。毎日新聞社がね、竹橋に建ってますけれども。
公家の周り、乱している人がたくさんいるところの大手町よりもちょっと西側、新宿側にあるんですけど、東西線で言うと大手町の次ですよね。
竹橋の女髄会館で、木曜日になったかな、忘れましたけどね。なんか月1ぐらいの感じで、OBがそこで座禅を組むんですよね。
理研工業の永井さんっていうね、社長さんがいらっしゃって、この人は本当に中心的に女医団を精神整備盛り立ててくださるってありがたい先輩でね、お金も寄付してくださるし、そういう活動もね、永井さんを中心に行われてましたけど、永井孝博さんね。
その永井さんが、ただ女髄会館の中にはですね、座禅を組めるような場所がないんですよね。場所の問題というよりはむしろ座布団の問題か。座禅組む座布団って特殊なもので、一番下に敷くのは普通の座布団でいいんですけれども、お尻を乗せるですね。
ちょっとこうね、形としてはですね、昔武士が使ってた枕についているようなやつ、丸っこいやつ、もうちょっと平べったいやつ。何にしても小ぶりの座布団、座布団の上に乗っける座布団が必要で、それはもう女髄会館に置いてくれないんで、ビーンといってね。
そうすると、ちなみに女髄会館ってホテルみたいなもんですよ。結婚式場とかにもなってますけれども、そういう建物があって、いろいろ会議室があって、催し物とかもできるような、そんな感じの建物なんですけれども。
で、どうしたかというと、くにくの作で椅子の上に座って、普通に椅子に座るんですよ。ただ、ちょっと目を閉じて、あれ閉じ切るんじゃないんですけどね、うっすら閉じるんですけど、打膳のようなことを足を組まずにやるっていうですね、そういうことをやってましたね。
そうすると、OBが来るんで、あとOBだけじゃなくて女髄会報とかを読んで、ちょっと参加したいなって思ったようなおじいさんが来るんですよ。
で、それを組んだ後はやっぱり女髄会館の中にあるラウンジに行って、ウイスキーをご馳走になると、先輩にですね、いうようなことをやってましたですね。
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それもだから、出てこなきゃいけないんだよな。西武新宿線でね、私は相変わらず行ってましたよね。小平から乗って、馬場で乗り換えて、竹橋ですよね。
遠いんだよな。やっぱりいいんですよ。ああいうのどかな多摩地区にあるっていうのはいいし、そもそもそういうことでもなければ、私もたまに暮らすってこともなかったかもしれないんで。
いい機会だったんですが、何かと遠い都心から、足が遠のくんですよね。あれ良くないよな。東京にはですね、やっぱり学生向けのイベントみたいなのっていっぱいあるし、若い人が楽しいようなことも山ほどあるわけなんですけれども、いちいち出るのに時間がかかるっていうことで。
でもあれかな、帰って良かったのかな。僕、大学ばっかり行ってましたもんね。全部勉強。勉強って言っても、高校までの勉強と違って、人にやらされる勉強は一個もなくて、全部自分でやるんですけれども。大学の講義は本当に好きでしたもんね。楽しかったもんな。
あとは、前にちょっと話したパソコン通信をやったりとか、あれですよね。私ももしわしらの学生で新宿区内とかに住んでたら、家賃高いから新宿区内は無理かもしれないけど、ともかく小平とかじゃなかったら、もっとゴールデン街に行くみたいなこと、渋谷のクラブシーンに行くみたいなことをやってた可能性ありますよね。
全くないんだよな。ずっとパソコン通信にハマってたのも、そういう、ここ大学の人には悪いけどちょっと偏僻な場所に住んでたからっていうのもあるかもしれないし、考えてみるとどこで暮らしてるのかってすごい大事なことですね。
とはいえ、ひとつざましに通っている地方から来た学生の中にも、中央線の遠征に暮らしてる人とかはいたんですよ。それこそ、高円寺とか阿佐ヶ谷とか小岐阜みたいなあたり。サブカロの香りのする爆笑問題さんの所属するタイタンの事務所があったりとかね。
人識次第なのかもしれない。僕もそういう所に暮らしていれば、それから少なくとも吉祥寺ぐらいに住んでいれば、吉祥寺からここに立ちなんて五、六駅でしょ。だから全然通学圏内ですよね。もうちょい別の学生生活があったかもしれませんね。
だけどな、やっぱり3万5千円良かったんだよな。学校まで普通に歩いて行ける。自転車使ってましたけど、大変魅力的でしたし。結局ね、小平が好きになっちゃって、野高な感じが。家賃も安いし。3年生になっても国立には引っ越さなかったですもんね。
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私の場合はその途中2年間休学してるんで、6年間在籍していて、そのうち最初の3年はずっと学園西町にいて、親さん自身が私がもういなくなったら離れを取り壊すっていうようなこともおっしゃっていたんで。
だけど別に神田くんがいる間は全然いてくれていいよっていう親切な親さんだったんで、お言葉に甘えましてですね。3年の終わりまでいて、休学して、そこからはいろんな世界一周の旅に出るわけなんですけれども、帰ってきて住んだのも小平にした。国立で良かったんですよね。大学は国立にあった。キャンパスはあったわけだし。
それから就職活動とかを考えても、中央線1本で出られる国たちの方が何かと便は良かったと思いますが、小平市の小川っていう駅が一応私なりに考えて、小川だとですね、そうは言っても西武藩島線で1本で高田馬場までは出られるんですよね。
なので一橋学園駅、一橋学園から馬場に直通している電車は出ませんので、萩山という駅で必ず藩島線に乗り換えないといけないわけですよ。藩島線自体は西武新宿線の支線なんですけれども、ほぼ同じ本数来るし、必ず小平で接続がありますから、西武は接続がきっちりとダイヤ組んでますよね。
なので不便はないというところで、あと小川には国分寺線という電車が走っていて、これは多摩湖線よりももうちょいマシ、6両編成だったと思いますけれども、電車長いし、車両もちょっと良かったし、国分寺に出なきゃいけない時にも便も悪くないということで、本数も多分多かったんですよね。
多摩湖線って本当に20分に1本みたいな、15分に1本か、1時間4本みたいなダイヤだったんですけど、10分に1本みたいなのが国分寺線だったんで、小川っていうところに住んで、ブリジストンのでっかい工場がありましたね。
小平市民でしたもん、ずっと。なので、そういう小平思い入れというか愛着も多少はありますけれどもね。
におい談ね。におい談の話でしたね。夏合宿があるんですよ。これ節診って言うんですけれども、節症感覚の節に心で節診ですね。富士般若道場っていうところに座禅を組みに行く。3日2晩ずっと僕も晩はあんま組まないけれども、ひたすら座禅だけ組む。死後禁止。
っていう卓発とかに行く時間はあるんですけれども、あとは静かに本を読んでいるか、座禅を組むか、お掃除をするかみたいなね。ご飯は本当に精進料理。うっすーいお粥が出てきてね。っていうのがありましたですね。なんかね、修行ですよね。
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だから私ね、股関節柔らかいんで、座禅を組むのはあんまり食いじゃなかったですね。座禅っておそらくほとんどの人は組んだことなくて、あぐらと勘違いしてると思いますけれども、足をね、上に乗せるんですよ。だからね、すっげえね、慣れないうちは特に痛いです。慣れても痛いです。不自然な格好をしてるんで。でも私は比較的それはできる方でしたね。座禅に得意不得意があるとは思わなかったですね。
あと小話としては、大学2年になった時に私が幹事、要するにサークルの代表になるんですけれども、1995年でちょうどオウム心理教の事件が巻き起こる年で、新入生の関与が大変でしたね。
宗教ですか?オウム心理教じゃないでしょうね。オウム心理教のグルが寄せばいいのに座禅組むのが好きで、空中浮遊とか言って座禅の格好のまま宙に浮かぶんだって、何のことはない、ぴょんぴょんジャンプしてたみたいなのがあったんですけれども、ということで、おしなべて仏教系の大学のサークルは逆風が吹いていて、如意談もその例には漏れなかったですね。