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前回は宗教の話が最後に出たので、その辺の話をしておこうかなと思うんですけど。
私が大学に入ったのは1994年です。2000年に卒業しました。
とりわけその前半期ですね。1995年は、まず阪神淡路大震災が1月17日にありまして、
その後で一連のオウム心理教の事件。事件自体は既に起きていたわけなんですけれども、
市長が合採霊を入れるという上口敷村で、朝原商工氏を逮捕するというのがその年に起きるわけなんですけれども、
有名なカナリアを銭湯に連れてサリンとかVXとかを持ってたんで、
そういうサリン事件があったのもその年でしたからね。
私はあのとき地下鉄に乗っているんですよね。
全然別に大手町とか日比谷とかにいたわけではないんですけれども。
東西線ですけどね。日比谷線でもないしね。
ともかくですね、そういう事件があったときですよね。
その如意壇の活動の中に世田谷隆雲寺っていう、これはちなみに私の母大寺なんですけれども、に縁があって、
隆雲寺は世田谷で座禅会をやっているというところで有名だったんですけど、
如意壇も縁があって、そこに月一ぐらいで通っては座禅を組んでたんですよね。
渋谷に行く機会っていうのは月一ぐらいであって、本当に一日通るよね、国立とか小平から行くのは。
渋谷の駅のターミナルは私にとってはおなじみの場所ですから、
そうすると東口、東京バスがいる方の出口から出ると、
そこでね、オウム真理教はオウム真理党っていう政党を作って選挙出てたんですよね。
衆院選のね、踊り狂ってましたもんね、あの辺の時期、94年だか95年だかの頃にね。
ショウコウ、ショウコウ、ショッコショッコショウコウって歌に合わせて踊ってましたもんね、
象さんのかつら、頭に乗っけるかぶりもんみたいなのをした女性とかが踊ってたっていう時代で、
何といっても1999年ってノスタラダムスの大予言の年なんですよ。
これはどうなんでしょうね、平成生まれの方にどこら辺まで通じるかわかんないですけども、
結構本気で信じられていた節があって、心のどこかでね、なんかみんな引っかかってた。
当時の昭和生まれの日本人だったら、なんかなんとなくうっすらあるっていうね、
正面から信じてる人って少なかったと思いますけれども。
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阪神淡路大震災があって、あんなもう大変なことになってですね、
さらにはオウム心理病の事件とかあって、すごい世紀末感はありましたよね。
なんかぐちゃぐちゃだなっていう、社会全体が不安に揺れていた感じを僕は印象としては受けていて、
そんなところでもね、ニョイダンみたいなサークルで座伝を組んでたっていうのは、
わずかながらもね、こうなんていうか、自分の心の安定を保っていたのかもしれないですけどね、
あんまりそういう玉でもない感じですけど、私は。
ともかくも、宗教ですよ。
信仰宗教のサークルっていうのも当然あって、
例えば私が通っていた丸橋会っていう早稲田の空手サークルには、
先輩に幸福の科学の信者がいて、別に隠しもなんともしてなかったですね。
しかし普通の存在でしたよね。
宗教をやってたのはその人だけなんだけど、あと2人が、
そうだ、でも思い出しましたね。幸福の科学の人は早稲田の学生で、
あと2人同じ学年にいて、私の2年だか3年先輩なんですけれども、
その2人は民生、共産党系の民衆青年同盟かな。
共産党の若者がやってる組織ですよね、日本共産党に入ってて。
1人は外大だ、東京外国語大学の人でしたね。
1人は和製の人でしたけれども、っていう2人。
共産党は別に宗教じゃないですけれども、でも政治思想っていう意味では言うと、
そうですね、そういう人もいた。
ひとつ橋大学って語学クラスっていうのがあって、
中学生の時にはクラスが最初のうちだけ中心になるんですよね、活動のね。
私の場合だと、中国語をとってた、第二外国語でクラス分けがされるんですよ。
英語はみんなやるんで、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語でしたね、私の時はね。
中国語クラスだったんですよね。
語学のクラスで最初はクラチャンっていって、クラスチャンピオンシップレースっていうのがあるんですよね。
トダマで行ってボートをこぐんですけど、私ボート部、元ボート部なんで、
普通に代表の選手になって、ナックルでしたかね、あれ。こぎましたね。
1人だけフェザー返してね。
そういうクラスで応援に来てくれて、ワーワーなってやったりとかね、そういうのがあったりとか、
球技大会みたいなのもあった気がしますね。忘れちゃったけどね。
クラスの飲み会みたいなのもあったし。
そのクラス、26クラスだったかな、
には常にスーツ着てるやつがいるんですよ、同じクラスに。
なんなんだろう、あいつって思ってたら、英語版の商人なんですよね。
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自分で言ってたのか誰かに教えてもらったのか忘れちゃいましたけれども、
だから、勧誘活動を大学生活と並行してやってるんですよ。
英語版がスーツ着なきゃいけないのかっていうのは、僕はよく知りませんけど、
ただそれが理由なんだよみたいなことを聞いて、へーって思いましたね。
特別英語版に勧誘されなかったですけどね。
幸福の覚悟も別に勧誘されなかったな。
あんまりその先輩も我関せずみたいな感じではありましたね。
民生にも別に共産党のオルグはされなかったもんな。
別の政党にはオルグされましたけどね。
日本労働党っていうね。
なんなんですよね、私。
ひとつばし大学の中にもチラシとかよく貼ってあるんですよ。
それで沖縄に興味あったんで、当時から。
沖縄スタディーツアーっていうのがありますっていうのがあって、
おもしろそうだな、行こうって言ったんですよね。
それ自体は楽しかったんですけど、
スタディーツアーに帰ってからですよ。
主催してたのが日本労働党の人たちだったってことが後に分かって
オルグをされるんですね。
オルグって要するに労働党に入らないかってことなんですけれども。
知らないでしょ、皆さん、日本労働党とはって。
これは日本の左翼における一位政党じゃないんだよな。
政党じゃないんだよなっていうのは要するに
政治、日本における政党の要件は満たしていないっていうことですね。
諸派ですね、各種団体。
共産党、日本共産党は基本的には我々も諸説いろいろあるんですけれども、
武力革命っていうのは志向していなくて、
だから議会にね、日本の国会に議席を持ってるし、地方自治体に議席を持ってるじゃないですか。
議会で議席を獲得することによって政権を勝ち取って、
共産主義革命を起こすっていう考え方なんで。
議会、それって、もともとロシア革命とかっていうのは、
別に議会で多数派を取ったからできたわけじゃないですよね。
あれは暴力革命なんで、武器を取って皇帝を追放するっていう、そういうことですよね。
その武力革命の思想を持っているのが労働党。
労働党だけじゃないんですけれども、
極左って言われる人たちは、中核とか核丸とかっていうのは、
基本的には革命っていうのは実力で起こす、暴力ですね、起こすものであって、
別に議会で多数派を占めるということには興味がないわけですよ。
だから選挙には出てこないですもんね。
そう、スタディーツアー沖縄から帰ってきた後に、
一緒に沖縄を回ってくれた主催の人たち、若かったですけどね、
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に呼び出されて、喫茶店から、
労働党ってのに会ってんだって、派閥同盟に参加しないかって言われてね、
いや、いっそは、つってこう言われましたけど、
なんかでもそれもそんなにしつこく誘われなかったかなと言いながら、
1時間ぐらいは喋ってると思いますけど、
いや、私はもう記者になりたいんですと。
新聞記者として、そういう世の中のことっていうのを伝えていこうと思ってるんで、
なんか四川を革命するっていうことには興味がないですっていうふうにはっきり言ったんですね。
まあそうは言ってもね、やんないかみたいに言われたんですけど、
いや、やんないですって言って引っ張り行ったんで、
特になんかそれ以上しつこく関与されないんですね。
ただここで言いたいのは何かっていうと、当時そのような接点がいっぱいあったってことですね。
秋葉原に行けばね、マハポウ社がね、
マハポウ社っていうのはオウム心理教系のパソコンショップがあったんですよ。
安かったんですよね。だから買う人もいっぱいいましたよ。
なぜ安かったかといえば人件費がかかってないからなんですよね。
そういうことも当時はあんまり知らなかったんですけどね。
そういう時代でしたね。何かちょっと本当に世紀末的な空気が流れていて、
みんなが自分の拠り所を探している感じがあって、
その一つが宗教だったし、政治活動になる人もいるっていうような時代だったように思いますね。