1. 神田大介の経験
  2. 一橋大学に入ったけれど その6
2024-08-12 10:25

一橋大学に入ったけれど その6

00:06
で、合格発表見に行ったんですよね、一橋大学は。遠いんですよね。東京駅に着くじゃないですか、名古屋から。
そっから国立に行くまで、東京駅から国立ってもだいたい1時間ぐらいかかるんですよね。
あの、一橋大学は出たけれどっていう番組だと、中央都会で新宿までだいたい2、30分だみたいな話しましたけども、遠いんですよ。
都会なんか来ないし、四本一本ぐらいしか来ないし。
で、国立、国立だよな、に見に行ったんですけど、親はついてきてくれなかったんで、私一人で上京して、現地で合流したのがですね、母の友達でしたね。
リエちゃんって呼んでましたけど、石川リエさんっていう方がいて、その人が東京に住んでらっしゃったんで、ついてきてもらって、合格しましたと。
で、合格って掲示板の前に出てるじゃないですか。あれ見て、やっぱあんなって見てて。
で、周りの子を見てるとやっぱり、学校の制服着ていったと思いますけど、高校生なんでね。普段学校に制服なんか着てってないのにね。
私がやった浅木川高校っていうところは、制服はあるけど誰も着てこないっていう制服着て行ってたんで、受験生だったことはすぐ分かったと思いますけど、
あれでしたね。周りの子たちは、例えばアメフト部。一つの市ってね、クリムゾンっていう名前なんですけど、アメフト有名なんですよ、結構ね。
冒頭の競合ですし、それなりに体育会強いんですけど、そういう人たちがわざといて、特にアメフト部がだから、おめでとうとか言って胴上げしてくれるんですよね、受験生をね。
ですが、私、声かけられないんですよね。つまらなさそうな顔してるから。
すげえ覚えてますもんね、言われたの。そのアメフト部の先輩に、君は全然嬉しそうな顔してないねって言われて、はあ、つってね。
シャリ構えてますよね、本当にね。中二病の慣れの果てって感じがしますけどね。
なんかそれぐらい自信があったんですよね。
とにかく受かって、入学の手続きみたいなのを済ませ、肝心なのが家を探すっていうことですよ。
当時ですね、ひとつばし大学は2年生までは小平キャンパス、3、4年が国立キャンパスというふうになってたんで、小平の方で家を探そうってなったんですね。
国分寺駅まで国立から戻り、そこで驚きましたよね、本当。
ひとつばし学園っていう駅がありまして、国分寺駅から一駅なんですけれども、それなりに距離あるんで、歩いて行くにはもう遠いんですよね。
03:06
ひとつばし学園駅まで西武線に乗ってくるんですよ。西武多摩湖線の萩山行きという電車に乗ってくるんですけど、単線なんですよね。電車は4両編成だし。
いやいやと思いましたよね。だって名古屋でも、まず単線の路線なんて多めにかかったことないですからね。
単線ってあるの?竹戸予選とかですか?
基本的には福線だし、神奈山神宮前館とかって福福線、名鉄も福福線ですし、福福線どころか隣JR東海、東海道線走っていくからもう福福福線みたいな、ジャガスから電車走ってるんですよね。
地下鉄も名城線もよりだけど6両編成だったし、もちろん単線乗ってることはありませんよね。
いや、びっくりですよね。黄色い電車がポコンポコンって走ってきて、ひなびた風情でね。単線の電車に乗って一橋学園の駅に着いて、不動産屋さんに入って、
リエちゃん、石川リエさんはその辺多摩の人なんで、土地感はあるんですけど、とはいえ学園西町っていう一橋学園の駅があるところを知ってるわけにないんで、
飛び込みで不動産屋さんに入って、合格おめでとうございますみたいな感じで、速攻を決めると。すぐに内県に行ってですね。
いろんな物件があったんですけど、学生向けの物件ね。私が選んだのは、これは掘り出し物ですよみたいなこと言われたんですけど、離れみたいなところ。
おもやがあって、親さんが住んですけど、そこの離れみたいなところに一軒家に住んでたんですよね。
家賃3万5千円っていう格安の物件があって、フロアはついてなかった。フロアは銭湯に行ってたんですけれども、別にどうにもなりますからね。
部屋2つあって、トイレの小便器と大便器がついてるっていうね。古かったですけどすごく。
全然暮らしにはいい感じのところを見つけて、もう速攻で契約し、飯を送ってもらって、離れたいんですね。バイバイって言って帰ってきたと。日帰りですよね。
そういう思い出が残ってますけどね。その後、小平に住むわけですよね。18歳にして一人暮らし。
まずそもそも、なんで東京の大学に来てるのかってことですけど、名古屋に出たかったんですよね。とにかく実家を離れたかった。自由に暮らしたかったんですよ。
親の関心のもとで、当たり前ですけどね、親権があるので、それをやらなきゃ保護責任者が生きてしまうかどうかわからないけど、生きに問われるかもしれませんからね。
ちゃんと見てなきゃいけないんですけれども、まあええはいと思ってたんですよ。好きな時間にテレビ見られないし、ゲームだってできないし、漫画を読めないし、遊んでばっかりですね。
06:07
高校生の3年間は部活、毎日本当に部活に過ごしたんですよね。部活ばっかりやってたんで、もう大学では全然違うことがしたいなと思ってたんですよ。
だから高校でボート部っていうのがあるところ、ボート部って部活やったんですけど、今ローイングって言うんですけど、ボートやってる人ってあんまりいないんですよ。
ボート部があるのが愛知県でも当時5校しかなかったかな。朝日川岡、さなげ農林、東郷、鍵甲トヨタ、あと英徳。英徳はでも1年生の時しか出てこなかったもんね。
トヨタ北高校ね。やっぱり5校ですね。東海も前はあったらしいんですけど、なくなってましたもんね。だから、そういうすごい少ない学校でしかやっていない、愛知県になってたって720万人とか人口あるってことですからね。
ということで、もちろんインターハイとかあるんですけれども、全国から出てくるんだけど、各県そんなにやってないんですよね。
なので、大学でボートを始める人って多くて、大学生の先輩方から見るとですね、ボート経験者っていうのは結構レアキャラだってやっぱり経験者強いじゃないですか。サッカーとか野球だったらハイテスすること言いますけれども、ボートの経験者なんてまずいないんで、やっぱりそれはすごい勧誘されましたよ。
私、体も180センチとまあまあ大きいので、ボートの世界の身長大事ですから。
ただね、もう合宿場なんですよね、大学のボート部ってね。埼玉県の戸田市に有名な想定所があって、そこに各大学が合宿場を構えてるんですよね。
そこから大学に通うわけですよ。何の因果でそんなことをせにはいかんねんと思ってましたから、それが嫌でボート部には入らなかったですね。運動はしようと思ってたんで、学外のサークルで空手をやりましたね。
これはまた別の話。長くなるかな。
まあいいか。すごい簡単に言うとですね、科学、化学、私は理科化学選択だった分系だったんですけど、選挙試験は科学で受けました。
それは何でかというと鶴田先生という先生が面白かったからですって話をしたと思いますけれども、先生は面白い人でした。
授業以外のところでもいろいろなことを教えてもらったし、それから運動科学、この場合の科学はサイエンスの科学なので科目の科ですけど、運動科学というものに先生がハマってて、
09:03
当時まだあんまり知られてない、今でも知られてないか。要は単に筋トレなんかをしてゴリラみたいに鎧みたいな筋肉をつけてもダメだよと。
柔軟な動きっていうのができないといけないし、むしろ例えば剣道の世界における正中線みたいな体の中の身体感覚みたいなものを養うことがスポーツ上達への道だよという人だったんですね。
朝行って、一緒にトレーニングしてましたもんね、そういえばね。レフトレーニングとか言ってね。ラフとレフって言って、だんだん深みにハマっていく感じ。ちょっとまた改めていきましょうかね。
早い話が、その運動科学っていうのをやっている人の流派があって、丸橋会ってね、転がる自転車の店とか行って丸橋会って、ほらもう厄介そうだもんね。
それに通っていて、そこに所属していて、そのサークルは早稲田にしかなかったんですよ。
なので最低週1は早稲田に通うという生活、週3で新宿に私通ってましたからね、いう生活が始まりましたですね。
10:25

コメント

スクロール