1. 神田大介の経験
  2. 一橋大学に入ったけれど その7
2024-08-13 09:58

一橋大学に入ったけれど その7

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一橋っていい大学なんですよ。別に賭け値なしにね。私は大学ほんと一橋ってよかったなと思いますし、といってね、他の大学と比べられるわけじゃないんで、行ったことないからなんですけれども、あの大学生活は楽しかったですよ。
友達はいないだけでね。友達はいない?残っていない?これ不思議でね。大学の時に付き合いになった友達って、誰一人として今、連絡を取ってないですね。
高校の時の友達は一応あるんですよ。友達というか部下の先輩ですけど、やっぱりその棒飛ぶ3年間みっちりあったっていうところが、でも俺、同学年とあんま付き合いないな。上の先輩が多いですね。
でもね、ひとつ橋大学で一緒だった人と今温泉が取れてるのは一人かな。ひとつ橋大学でやった勉強はめっちゃ楽しくて、社会学部に入った。私は社会学が何かってよくわかってなかったけれども、ひとつ橋の社会学部ってね、事実上社会科学部なんですよね。
小、経、法、小学、経済学、法学以外の社会科学系の学部が全部ぶっこまれてるっていう学部で、だからすごいいろんな授業を受けられたんですよね。いわゆる国際関係論みたいなものとか地域研究とかですね。
アメリカの政治についても社会学部でやってたし、それから心理学とかもありましたし、哲学とか、だから文学部みたいなもんですよね、もあったし。
まあなんかね、よりどりみどり。で、多学部の授業も受けることもできたんで、小学部の授業も受けましたから、竹内弘高先生とかね、ひとつ橋では有名な人ですけど、とか言うと竹内先生が一緒に怒られるんだろうな。
で、受けてましたし、法学部の授業も取ったし、なんだっけ、落語の授業はなんだったな、落語見に行けっていう先生がいたんだよな。まあまあ、というような具合で、だから法学部の授業も取りましたし、非常にね、本当こんな言い方は申し訳ないですけど、カルチャーセンターですよね。いい意味でね、カルチャーセンターは悪いなって誰か言ったんですよね。
大学の授業は本当に面白くて楽しみで、もう一コマも欠かさないように行ってましたね。全然私解禁症だと思いますよ。休んでないですもんね。だって面白かったから。
一橋ではチョンボっていう言い方をして、楽勝で単位が取れることをチョンボ、もっとすごいのはドチョンとか言ってましたけど、言うんですよね。授業の単位が取りやすいか取りにやすくないかとかっていうことで言うと、社会学部ってめっちゃ取りやすいんですよ。
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大体レポートさえ出しておけばOKみたいな、出席取ってないような授業が多かったんですけれども、取ってなくっても必ず行ってましたね。面白かったもんね。まだ私には合ってたんでしょうね。っていうそういう大学でしたけれども。
で、問題はね、やっぱりね、学生の数があんまりいないんで、サークルの数が少ないんですよ。これがね、問題。早稲田にも私行ってたんで、ちょっと前回の話の続きになりますけれども、空手をやるのに、大学で運動をしようと思っていた。
大学のサークルで運動をしようと思うと、体育会ね、さっきのボート部みたいなの、アメフト部みたいな、もう大学生活を全部捧げろみたいな部以外だと、もう途端になんかすごい数が減っちゃって。あるんですよ、サッカー同好会とか。サッカー同好会とかはもうすでにかなり体育会に近いぐらいのノリで大変なんですよね。大体私サッカーの経験とかないし。
そうするとテニスサークルとかになるんですけど、テニスサークルは嫌だなって思ってたんですよ。テニサーに入っている人には申し訳ないですけど。
テニスサークルって当時はちょっとチャラい感じがしていて、ダンジョンね、そうやって出会いの場じゃないですけれども。テニスを通じて心目を深める。どっちかっていうとテニスよりもその後の飲み会がメインみたいな。
これもね、テニスサークルによって違うんですよね。マジでテニスやってるサークルもあるんで。人生なんか4大テニスサークルとかいうのあったと思いますけれども、ちゃんとやってるところはちゃんとやってるんですよね。なんだけど、ちょっとノリが違うなと思ってたんですよ。
私はちなみにバンカラキドリだったんで、コウハキドリだったんで、ちょっとそういうのは違うなと思ってました。そうするとね、もう途端に全然ないんです。あるんだけど、空手部もありましたよ。
ただ、高校生の時からの流れで、大学に行ったら運動科学っていうのをもっと本格的にやりたいというのは、運動科学研究所、グルみたいな人がいるんですよ。高岡秀夫っていうんですけど、高岡秀夫氏はですね、千葉の市川あたりを中心に活動してたんですね。
なぜかというと、高岡秀夫さんが千葉に住んでるからですけど。そこはさすがにちょっと国たちから行くには遠いんですが、運動科学の影響下にあった空手のサークルが早稲田にあるっていうのは、科学の先生経由で聞いていて。
そもそもその実践の場が新宿で、富山ハイツ。団地がありますよね、富山公園に。富山公園ってわかりますか。これ東京以外の方も聞いてらっしゃると思いますし、私は名古屋にいた時には全く知りませんでしたけども、新宿区の中に富山の塔、ドアの塔ですね。
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ドアの山で富山公園とかあって、その隣に富山ハイツっていうのにいっぱい団地が建ってるんですよね。そこのね、集会所みたいなところを曲がりして、火曜日の夜と土曜日だったかな。土曜日はコズミックセンターとかでやってましたね。
コズミックセンターっていうのは新宿区にあるスポーツセンターですね。のその武道場みたいなところを借りてやってましたね。木曜日の夕方は早稲田大学のですね、文学部キャンパスの記念街道のステージ上で空手やってて。
空手って竜派いっぱいあるんですよ。有名なのは多分極真空手とか小刀館とかだと思いますけれども、山ほどあって、30、50くだらないんじゃないですかね。早稲田ってやっぱりでかいから、すべての竜派の空手があるんですよね。
その中に小さくその丸橋会っていうのがあって、みんななんで丸橋会に入ったんですかね。でもそこでやってたんですよね。だから週3ペースで新宿に通っていて、中央線高いんだよ。私は西武新宿線でね、小平まで自転車で行って、自転車駅が止めて、小平駅から高田馬場出て、高田馬場から歩くっていう形で早稲田に行ってましたね。お金ないんでね。
西武新宿線は大変いいですよ。本当に庶民的な線路ですね。そこで運動をやってたんですけれども、サークル何にも所属しないっていうのも寂しいじゃないですか。
ひたつぶし大学って昔からゼミ文化ってあって、何ゼミに所属しているかっていうのがアイデンティティなんですよね。私は矢澤修二郎ゼミなんですけど、1年生の時にもゼミ入ってましたね。国際関係論ね。高道先生のね、梶田ゼミ。梶田先生はね、若くして亡くなられました。本当に残念なんですけれども、大変いろんなことを勉強しましたけれども。
そういうふうにゼミがその人のひとつばしの中でね、初対面の人と会うと、「何ゼミですか?」ってね。同窓会的なやつ。卒業した人と社会人になってから会って話すときにも、「ひとつばしですか?何ゼミでした?」っていうふうに聞くんですよね。
なんですが、ゼミは基本的には3年からなんで、サークルもなんか入っておきたい。本当ね、そうしないとひとつばしの中において、大学って全然まともにないじゃないですか。足場がなくなっちゃうんでね。
ただね、文化系のサークルでちょっと私の触手が動くようなものも、これまた大変なくてですね。あるんですよ、いろいろそれはね。クイズ研究会とかって有名ですよね。第15回ウルトラクイズでチャンピオンになった野瀬さんとかね。ひとつばしのクイズ研究会ですよね。
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クイズ好きですけど、だから受験っぽいじゃないですか、クイズってね。覚えるんでしょ?嫌だな。暗記に苦手なんで。結局何に入ったかっていうと、ニョイダン。これどうですか。座禅のサークルなんですよね。
いや、ちょっと正直座禅っていうところに興味もありましたし、響きが新鮮でしたよね、かえってね。座禅を組むサークル、これは高校では考えられないでしょ。やっぱさすが大学だな、ちょっとそういうところに行ってみたいなということで、なんとなく流れで入ることになりましたですね。
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