1. 神田大介の経験
  2. 理屈が通じる驚き
2024-09-19 10:11

理屈が通じる驚き

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中学校で起きていたことっていうのも、小学校までは、それなりに権威というものが、学校の中で働いている中に、私もいたわけですよ。
小学校2年生の時とかは、本当にひどい有様でしたけれども、少なくとも、ただ最後は千葉先生っていう素敵な先生が締めてくれましたし、
それから3年生の時にも、逆に僕みたいな先生がいたので、その人による権威というのが維持されていたんですよね、私がいた間は。
その後に問題が発覚して、彼女はいなくなるわけですけれども、そういう権威っていうものは、中学校の時には本当に失われたんですよ。
中1ぐらいまでは、それなりに早くは実力先生が居た頃には、中2の時には実力先生はいないんですよね。
学校があれだしたのも、中2ぐらいからが本当に顕著で、それはやっぱり後々考えると、中心になっていたヤンキー番長であったりとか、
もう一人の番長みたいなやつとか、家庭の環境がその辺でだいぶいろいろあったわけですよ。
彼ら自身の影響というか、僕がよく知っているのは、僕が番長って呼んでいる方だけですけど、
ちなみに当時誰も彼のことを番長と呼んでいませんけどね、そうやって言った方が分かりやすい皆さんにね、と思ってそう言っているんですけど、
番長に関しては確実にそうなんですよ。
その辺で家庭環境に大きい変化があって、それは彼の責任では一味にもない。
もともとそういうちょっと不良っぽいところはありましたけど、だけどそういうふうになるっていう、つまり校内で暴力を振ったりとかね、のは明らかにそっちの影響だろうなというふうに私は理解しています。
ただ、どういう理由があったにせよですね、それでその学校の権威っていうのがボロボロになっていくんだって、
ローカハイザロですからね、あれ2年の時ですね、なわけですから、秩序とか統制、ガバナンスって言われるようなものに対して何というか深いですね、疑いがあるんですよ。
そんなものすぐひっくり返るぞっていう、あるいはそのガバナンスの効いた状態っていうのを私はそんなに親しんでない可能性あるかな。
高校の授業とかってずっと授業が成立してるんで、言うてあれですけどね、授業をサボったりはしてましたけど、ただそうは言っても別に何か授業が学級崩壊みたいなことはなかったし、校内暴力もなかったですもんね。
そこからもずっとないですよ。大学はもちろんなかったし、会社に入ってもね、本当に驚きましたよね。みんな理屈が通じるから。私はもともとこういう感じなんで、理屈は好きだし、理屈っぽいことも言うんですよ。
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これはね、小中学校時代は何も通じなかったですよね。何たる無力さ。学校の権威だったり、暴力だったりの前には、番長のグループのね、暴力の前には何の意味もないんですよね。理屈とか。理不尽なことしかなかったくらいの感じですよね。
だから本当に今の勤務先なんかは、ちゃんと理屈が通じるんですよね。もちろんその嫌なこととかいっぱいありますよ。そんなの誰だってあって当たり前だし、意見の合わないことももちろんあります。とはいえ、それってね、多いのはコミュニケーション取ってない場合で、そのトラブルの種になっている相手ときちんと対話をすればですね、結構話通じるんですよね。通じないこともありますけれども。
少なくとも、なんていうか、もやもやみたいなのはなくなるんですよね。でね、そんなことないですから。私の知っていたそういう社会では、そんなの何言ったって何も通じないっていうことはよくありましたね。
そうなってしまう。つまり普段はちゃんと話の通じる相手なんだけれども、一定の感情になってしまったときに全部ストッパーがリミッターが外れちゃうっていうタイプ。ヤンキーってそういうタイプ多かったんじゃないですか?会ったことある人って。
例えばその番長に関しても、やっぱりその家庭の環境とかが本当に辛くなっている時とかだったわけですよ。きっとね。私は知りませんけど、彼がどういうタイミングでその家庭環境にとりわけ大きい影が投げかけられたのか知らないですけど、そうだろうと思います。
だって自分の胸に手当てたって、機嫌の悪いってあるじゃないですか。で、なんで機嫌が悪いかって言ったら、朝タンスの角に足ぶつけて、指の先ぶつけて痛いとか。そんなもんでしょ。人間ってね。なんかちょっとね。
ヒゲ剃るのに失敗したと。実は今朝ちょっとヒゲ剃りに失敗して唇が切れちゃって、血がビヤーって出てウヘーって思ったんですけど。知ってます?皆さん。唇から血が出た時はガーゼとかそういうもので唇を圧迫する。15分ぐらいらしいですけど、結構長いですけど。いいらしいですよ。ネットで調べました。ネット便利。
そういうね、いろいろな経験を経て感じるところっていうのが、私の現在を形作ってるっていうことに、おじさんになってからだいぶ気づいてくるんですよね。
20代30代ぐらいの頃あんまりそこに考えが行ってなかったですね。それはまあ私の俗人的な問題だと思いますけれども。で、そういうのが見えてくるようになるとやっぱりそのね。
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その自分の中の根っこみたいな価値観ってどなたもあると思うんですよ。で、一番わかりやすいのは味の嗜好で味の嗜好も価値観に違いありませんからね。何が好き何が嫌いとかっていうのって私例えば椎茸嫌いなんですけど、それ別に親に椎茸料理を食べさせられてたからじゃないですよ。
生まれつきなんですよね。で、例えば味噌はやっぱり私は赤出し好きなんですよね。名古屋とか愛知県の人はね。大体そういう人多いんじゃないかなと思いますけどそれはちっちゃい時から飲んでたからですよ。うちの母親は愛知県の人ですからね。
なかなか東京では手に入らないこともあって毎日赤出しじゃなかったっていう印象ですが、とはいえその赤出しを飲む機会は多かったし圧倒的に名古屋では赤出し飲んでましたからね。
だからあの食べ物の趣向とかって、わりかしその生まれつきもあるんだけど、好転的なものが大きいじゃないですか。自分家で食べてた味っていうのが好きになりますよね。
自分の価値観を作っていると。同じようにやっぱり、例えば何が正義であるかと、何が私の尊厳に直接結びついているかっていうようなことっていうのも、おそらくは小中学校時代に全部培われていくんだと思うんですね。
私にとってそこは譲れないっていう価値観って何かっていうと、前にもちょっと言いましたけど、やっぱり世の中いろんな人間がいるんですよ。
それは本当に中学校の時にいろんなタイプの人いましたから、いろんなトラブルが起きていろいろ嫌なこともあって、ただ全員人間なんですよね。
何当たり前のこと言ってるのって感じするかもしれませんが、話の通じない相手がいるってことを今まで言ってきたでしょ。通じないんですよ。
だけど人間なんですよね。
だからそいつらにも人生があるし、笑う時もあれば泣く時もあるんですよね。
昨日まで威張ってたヤンキーが突然権力を失うみたいなこともこれまたあるわけですよ。
そういうのを見てると、やっぱり人間の行為っていうのはそういう移り変わっていくものである。何も確かなものなんかないっていうね。
いつまで経っても変わらないことなんか何もないんですよね。
考えた時にそういう、今じゃあ自分が寄っている価値観っていうのが本当だろうかっていうのを疑う癖っていうのはもう多分その辺で身についちゃって、
ゼロから考える癖とかついてるんだと思いますし、私が権威が嫌いっていうのも多分その辺に根差してるものがありますね。
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なぜ権威が嫌いかといえば、権威が言っていることっていうのがひっくり返るからなんですよ。
偉そうに言ってることが本当じゃないっていうことがあるじゃないですか。
あれもびっくりしましたよね。
なんかその、ひじきには鉄分がたくさん含まれているっていう話だったけれども、実は単純にその鉄鍋でひじきを煮てるから鉄分がそこから溶け出してるだけだったっていうね。
だとしたら鉄鍋すげえなって話でもありますけど、その常識とされていることみたいなのは本当かどうか危ういっていうことをさんざんばら小中学校で叩きこぼれましたんで、
それは無理だよねっていうね。
だから私は人の世を全く信じていませんもんね。
それがいいのかどうかっていうのはわかんないんですけれども、それが私の冒頭陳述をするとしたら、心情経歴の部分、本当の冒険にはそういうことは書かないと思いますけどね。
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