1. 神田大介の経験
  2. まんなかを歩こう
2024-09-20 10:21

まんなかを歩こう

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私ね、その中学校時代の話をするときに、本当によく覚えていることがあって、思い出すことっていうのがあってですね、それは何かっていうと、まああれはね、渡り廊下での出来事だったと思いますけど、
中1が入っている校舎と中3が入っている校舎をね、つなぐ渡り廊下。そこでね、私がね、歩いたんですよ。
前から番長グループがやってきたんですよね。5人ぐらいいたな。で、その通りかかったときに、番長グループがまた殴られると嫌だなって思って、こそこそ逃げたんですよ。
廊下だから、渡り廊下から、ざら板みたいなのがあるところから地上に降りてね、上履きなのにね。
で、そういうのを見たその番長グループの一人が、番長その人じゃなかったですけども、M君って子でしたけど、彼は覚えてないでしょうけどね、背の高いね、子でしたけどね、彼がね、おい勘だと、お前ビクビクしてんじゃねえよっつって、結局殴られたんですけど、
なんかね、それがすごい自分の中に残ったんですよね。
心の中にね。
だんだんなんか腹が立ってきて、僕を殴った番長やM君に対してというよりは、なんか自分自身に腹が立ってきて、確かになんかビクビクこそこそしてるよな、なんでそんなことしなきゃいけないんだろうっていうふうに思ったんですね。
でね、だからなんかそういうことっていうのがきっかけになって、私それから番長グループとかと会っても別にどかなくなったんですよね。
それどころか目見るようになって、そいつらのね、だって別にもともと友達だしね、友達っていうほど深い仲じゃなかったけど、小学校の時はクラスメイトとして普通になんか一緒にドッジボールとかやった連中ですよ、手打ち野球とかもね。
今更ながらに自分が馬鹿らしくなって、普通に眼つけるとかじゃないですよ、普通に目見るようになったし、なんていうか人間としての普通の感じで道を譲ったりってことはありますけど、そうじゃない場合には別にどいたりしなくなったんですよ。
最初は殴られましたよね、やっぱね。目障りだもんね。
だけど、そのうちに何もされなくなりました。
これは私の場合だからっていうことであって、別に全ての人に通じるっていうことでもないし、それでいじめが加速したっていうケースだってあるのかもしれませんよ。そんなの分かんないですからね。
ただ私の場合はそうだったんですよね。
でね、それが結局原点になって、私は人と目見て話せるようになった。話すようになった。
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てか普通、生まれつきに子供の時って人の目見てるはずなんで、中学の時にそれをやめてたんでしょうね。
そのことに気づかされたっていうところでもあるのかな。
でもやっぱり大人になっても人の目見て話せない人っていますもんね。
それがいいとか悪いとかじゃなくて、やっぱりということは何かしらそういう経験を背負ってるんだろうなっていうふうには思うんですよね。
なるほどな。自分もそうだったなっていうふうには思いますね。
ただ私の場合はやっぱり人の目見て話せるようになってよかったし、そもそも何というか力関係的に上と言いますかね。
暴力的な相手に対しても目見て話せば、向こうも自分を対等な位置に置くんだろうなっていうのが何かわかるようになったというか、体感したというか。
やっぱね、そういうのってありますよね。
人間の風格とかってよく言われますけれども、最初からおじけづいてるようなやつに対しては誰も相手にしないってとかあるじゃないですかね。
それをやめるようにはしましたよね。
だから、よく入社1年目の時もお前は偉そうだって言われましたけど、それはそこから来てるんですよね。その逆風というかね。
逆っていうか、だからビクビクするしないっていうことをずっとやってて、それがそのうち板についちゃって、何もしなくても偉そうになっちゃったっていうね。
本当にね、幼稚園の時の田戸坂井先生とか、今の私を見たらびっくりすると思いますけどね、泣き虫大ちゃんがこんな風になってるっていうのはね。
そこはだから、父親が死んだっていう経験がまず第一段階あって、その次の第二段階はやっぱりとんだクソヤンキー学校にいて、ヤンキーとコミュニケーションをとっていく上で、今の自分のやり方っていうのが身についたっていうことだと思いますね。
だからそういうのも別に誰かが教えてくれるとか、教科書に書いてあるからそうすればいいっていう、別にこれ聞いて同じことをやって成功するとは全く思わないですよ。そんなの人それぞれだし状況によるからね。
あと私もね、いずれそうやって、いまだにやっぱり道とか歩いてても、自分にとって理不尽だなって思うことがあると、本当にそういう行動に私って出てしまう癖があるんですよね。
まずそもそも信号機を信用してないですもん。
あんな赤信号だったら車が来ないってどうしてみんな信じられるんですかね。
ぼーっとしてません皆さん。
いやいいんですよ別に信号待ちの時間スマホ見ててもね、それ全然いいんですけど、自分も見ることもあるしね。
ただまあ信用はしない方がいいんじゃないですか。
暴走した車って信号機に関係なく突っ込んできますよ。
とかね、そういうことを思うのはやっぱり、みんなね、特に日本社会にいるとね、やわいやつが出てくるっていうところに対してすごく無警戒だなって一回もないもんね、そんなことね普通。
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ただ現実には事件がありますよね、通り間事件であるとかそういうのに出くわす可能性って誰しもあるじゃないですか。
やっぱね中東とかいるとそういうのってよりもうちょっと取り上げ私が取材に行くところとかだと思ったなきゃいけないですよね。
だからこれは本当外形によるねその差別だっていうふうに言われたらほらあまんじて受け止めますけども、ただやっぱりその原理主義的な感じのやつってどうしてもね、
どんな顔つきなのか、あごひげがめちゃくちゃ長く蓄えられているとかっていうのは一定の警戒感を持つ、もちろんそういう人の中にもめちゃくちゃいい奴いっぱいいます。
一方でね、神に与えられたものに一切手を加えないっていうところを徹底してる人ってやっぱり原理主義的な人である場合があるんですよね。
ちなみに原理主義的な人でもひげ剃ってる人もいますよ。そういう人も知ってるんで。
あとはやっぱり目つきとかね、全体に醸し出しているものとかっていうの、それはね、あんまり普段皆さんそういうの考えないでしょ。
私も別に常にスイッチをオンにしたわけないんですけど、そういう時もあるし、やっぱり家族っていうものができてからはことさらそういうところには用心深くはしているつもりですね。
別に誰もそんなこと知らないと思いますけど、何も言ったこともないし。
だから結構そういう時って私はピリピリしていて、それが家族には大変不評なんですけど、しょうがないですよね。
殺される場所だからね。
だし、自分の目の前で理不尽なことが起きると口を挟んじゃうところがあって、
そのうちそうやって殺されちゃうかもしれないですね。
ただね、なんか、例えばレジの店員に対して威張ってる客とかって本当にバカなんじゃないのかなと思うんですよね。
そういう時って、そのね、店員に対して声を荒らげている人のほうがバカですよっていうことをもう少し違う意味で、
どういう言い方なのかはご想像にお任せしますけれども、後ろの方から申し上げるっていうようなケースはありますね。
いや、やめたほうがいいでしょうね。多分ね、もう年戻ってくるしね。
いや、いいとは思わないです。
昔はそういうなんか口うるさいおじさんとかおばさんとかって街中にいっぱいいて、
よく私も注意されたもんですよ。
ただね、それも言ってみれば、そういう義憤とか親切心、おせっかいってそういうところもあるじゃないですか。
いや、言うしかしないですよ。うっとうしいって思うことも当然ありますし、私もうっとうしい存在になってんだろうなと思うんですけど、
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なんかうっとうしい存在であることに対して、
怯えるってことはないようにしたい。
別に私は私のやりたいことをやるし、言いたいことを言いますよ。
それはM君に誓って言いますよね。
そんなことで私はビクビクしないし、何かを言うことをやめるっていうことはないんですよ。
そんなにやめるぐらいだったら知りますよ。
生きてる意味ないもん。
っていうぐらいの感情っていうのがあって、
なんでこうなっちゃったのかっていうと、そこしか考えられないですもんね。
ということなので、皆さんもですね、あなたの価値観に照らし合わせて理解できない行動を取る人がいたら、
子供時代のことを聞くと、ここ、回答が得られるかもしれない。
理解はできなくても、もしかしたら自分の考え方を変えられるかもしれない。
やっぱりコミュニケーションは大事だし、冒頭陳述には心情経歴が出てくるわけですね。
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