1. 神田大介の経験
  2. 社会のマジメ化 その2
2024-07-30 10:44

社会のマジメ化 その2

00:06
ロックンロールの影響なのか、何なのかわかんないですけど、後、話の中で出ていたのが、ロック反対性とかって実はフォークなんだ、みたいな話もあって、確かにそうだよねと。
フォークミュージックっていうのは、日本において、どっちかっていうと、例えば全教頭みたいな流れと、木を逸にするところがあって、
貧乏な学生が石鹸を鳴らすっていうのが、例えば神田川とかね、フォークと言っていいと思いますけれども、の世界観としてあって、ただ反戦歌とかすごいあるわけですよね。
君の行く道は、みたいなね、フォークですよね。だからその対戦に対して反抗するっていう意味だと、フォークっていうものの存在って非常に大きいと。
で、ロックは不良と。フォークは不良って感じとはちょっと違うけど、ただまあね、ご存知の通りイケバボを持って三里塚闘争で、死人とかも出る朝間産総兵ってことですから、
あっちはやっぱり暴力性があったりっていうところもあると。そういう人ばっかりでもないですけど、ただ明らかに激しかったので、逮捕書とかも出してるわけですから。
私の親族にもそういう人がいましたけれども。ということなんで、今のそういうリベラル左翼みたいなのとはまたちょっと一味違っていたことは間違いないですよね。
今も残ってますけどね、そういう人たちの流れを汲む人もね。
すごくなんか、神出良平さんのね、ハイパーハードボイルグループ名リポートノービジョンっていうポッドキャストで、普通になんか、あれどっちだっけ、角丸だっけ、中核だっけ。間違えるとめっちゃ怒られるやつだなあ。
人とね、飯を食うっていう番組をやって危機をしましたけどね。こういうの出てくるんだと思って。そりゃ神出さんがすごいってことは思いませんけど。
で、要は、でもどっちにしてもフォークの文脈にしても、やっぱりその真面目っていうのはイコール、例えばそのまま会社に入るとか、そのまま官僚になるっていうところを指していると思うんですよね。
だから別に真面目くさったのとかってのは許されないというか、価値観としてダサいっていうのはフォークの文脈でもあったと思うんですよ。
例えば新聞も、いわゆる朝日読売毎日みたいなのはブルシンって言われてたわけですね。ブルジョア新聞ね。
ブルシンなんか読んでるやつは何なんだっていうような文脈ですから、つまり彼らの評価の中に入ってこない、評価されないわけです。
もちろんヤンキーも新聞は読まないわけで、新聞がどうとかっていうことはないですけれども、要は世の中にある既に価値が定まったものに対して意を唱えるっていうのはフォークもそうだしロックもそうだったと、音楽はそうだったと。
03:08
そしてそれは若者の文化であったし、22歳の別れですもんね。
若者の文化っていうものが、そもそもエルビス・プレスリーの功績っていうのがアメリカにおいて、若者だけに向けた音楽っていうのを初めて作ったっていうことだっていう、そういう論評もあったりするぐらい。
それまでは若者向けの何かってなかったって言うんですよね。結構びっくりですけど、今となってはね。
でもそうなのかと言われてみれば、何でもね、小説にしても映画にしても音楽にしても大人向けだったわけですよね。40代とかね。
そのおこぼれに預かってた、なんか早く大人になりたいなみたいなのが10代だったり、20代の前半だったりっていうことだったのが、明らかに10代向けのものとかっていうのが生まれてきたっていうのがエルビス以降だと。
ビートルとかだってやっぱりそういうことでしょうし、やっぱり音楽っていうものそのものが若い人向けっていう感じがすごくありますよね。
これはだからまあ、後世そのようになったっていうことであって、戦後ね、間もない頃とかっていうのは世界で見渡してもそういうものはなかったんだっていう。
ああ、知らんかったっていうね。本当に数十年で世界って一変するんですよね。我々あんまり感じないですけど。
そこのキーワードになってるのはやっぱ不良ですよね。エルビスは不良って言われてたし、本人はあんまそういう自覚はなかったみたいですけど、ビートルズもそうですよね。マッシュルームカットでおなじみですけど、あれも当時は不良の髪型だったわけですよ。
あんな髪型するなんて馬鹿にならんと、とんでもないっていうそういうね、対象だったわけですから。
それから日本でもね、ベンチャーズでしたっけ。テケテケテケテケテケテケテケテケテンテケテンみたいな。
だからエレキギターを弾くこと自体が不良っていうふうにされていた時代ですからね。
っていうことは何かフォークギターはいいのか。クラシックギターはいいってことなのかな。
ギターはあんまりやめなんでしょうね。ピアノ弾けってことなのかな。よくわかりませんけど。
とにかくそういう不良の文脈の中に若者音楽っていうのが存在していて、だから私の中学生とか高校生だった頃なんかでも、そういうロックを聴いたり。
この映画、TM派とブルーハーツ派に分かれてるみたいな話をしましたけど、テクノっていうのもしかし別に体制とは全然関係ないですから。
なんでしょうね。テクノはまたちょっと独特の有利感がありますよね。社会から少し離れている。
だけど、セブンデイズを戦うよ。僕らの7日間戦争っていう、そういう作品があって、
ソーダ・オサムさんの小説で映画にもなって大ヒットしましたけど、あれ宮沢林さん出てるやつでしたっけね。
06:06
それなんかも、ひょっとしたら反体制だから、そのテクノの文脈って全然メインストリームにはいかないっていうことですから、YMOとかもそうですよね。
だから、あの頃って反体制がかっこいいっていうのがあって、それは右とか左とかっていうのとはちょっと違う感じ。
だから不良の文脈なんですよね。フォークの方はちょっと反体制だから左っぽいけど、やっぱり全体的に左が勝っている方がかっこいい感じはあったんじゃないですか。
だから私も週刊金曜日とか読んでたんじゃないですか。それは違いますかね。違うっていうふうに言われてます。
でもまあまあ、なんかその、行儀よく真面目なんてできやしなかった、ですよね。
尾崎優太郎はロックじゃないですよね。フォークでもないけど、彼が歌ってることとかもずっと一貫してそうですよね。
真面目にはできない。真面目は格悪い。真面目なんていうのはクソくらいだと。
これはもうおおむね一定した価値観だったと思うんですよ。
だから例えばテスト勉強をするっていうことはガリ弁というふうに罵られたわけですよね。
私もガリ弁とかやられましたもんね。残念ながら僕ガリ弁はしたことはほぼない。
少なくとも小中時代はないんですよね。別に何もしなくても勉強ができた。
すいませんね、何度もこういうこと言ってね。本当にいやみったらしいなと思いますけど、でも事実だからね。
なんだけど、やっぱりテストでいい点を取るみたいなのに逆に恥ずかしいみたいな価値観は明確にありましたね。
むしろ0点とか取るぐらいでいいんだみたいなね。
ドラえもんのオビターってすごい0点取ってるじゃないですか。
ああいう0点とかっていうのも言ってみれば可愛げみたいなところが多分にあって憎めなさというかね。
出来過ぎはいつも100点とか95点とか取るけど、
それがすごい彼を高い評価としてそういうふうに描いてるっていうよりは、
あいつは勉強ができるやつっていうキャラクター付けとして100点とか95点を取ってるっていう感じでしたよね。
一番かっこいいのはやっぱりそういう何もしなくてもそれなりの点数が取れる。
いやでもそれは違うな。やっぱりテストができるっていうことは明らかにモテの要素とかとは外れてましたからね。
出来過ぎ君をモテモテキャラっていうことでは描かれてないですもんね。
09:01
運動もできる、勉強もできる、ちょっと嫌味なやつっていうぐらいの立ち位置だったんじゃないですかね。
だから実際の伸びた立ちのグループには入れてもらえないですもんね。
ちょっとドラえもんの話じゃないとずれる。
ただそういう真面目イコールダサいっていうのが昭和の価値観だったのは間違いないでしょう。
むしろ不良とか世間の価値観にとらわれないっていうのがメインストリームの価値観だったと思います。
すごい矛盾してるんですけどね。
今どうかなんですけど、これがめちゃくちゃみんな真面目に振る舞うようになったと思いません。
端的に言うとタッチションとか誰もしなくなったでしょう。
タッチションは私はやってほしくないです。くっせえしね。便所でやれよって思います。
ただそういうバカをやるっていうのが尊ばれた時代っていうのはあって、何度も言いますけど私はそれがいいとは思ってないです。
どっちかって私嫌いですよね。それはホモソーちゃんにつながるから。
ホモソとかっていう言い方がすごい良くないものとして今割と普及しているじゃないですか。
ありえないですよね。昭和の時の価値観ってホモソ万歳だから。
いかに仲間とつるむかみたいなところこそが力の源泉でしたもんね。
変わりましたよね。
10:44

コメント

スクロール