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2024-05-27 09:37

ハヤカワ先生2

サマリー

早川実佑先生は、不警戒という実代先生の担任であり、そのエピソードについて語っています。

実代先生と早川実佑先生
前回、ハヤカワ実代先生のお話をしました。
ちょっともう少し話したいなと思ったので話しますけれど、実代先生、担任だったわけですよ。
不警戒、父と兄しか行けないのかって話ですけど、うちは母子家庭なんでね、母親が行ったわけなんですが。
不警戒って、ちなみに当然働いてますんでね。会社を休んで、休んでないのかな、早退かな、して行ってるわけなんですけれども。
いならばお母さん連中、もう30年以上前ですからね。
本当に不警戒と言いながらお母さんしかいないような、そういう回ですけれども。
ちなみにこの間、長男の中学校に行ってきましたけど、やっぱりまだ血は安くないですね。
ともかく、いならばお母さんを相手に、自己紹介するじゃないですか。
自己紹介の前に、まず教室の鍵が開いてないっていうことで、1年C組の鍵が開いてないっていうことで騒ぎになって、
他のクラスは当然担任の先生が来て、それぞれにどの学年も一斉にやるもんですから、不警戒も開いてるわけなんですけれども。
そのクラスだけ開いてないと、なんだなんだってざわついてたら、早川先生が慌てて走ってきたと。
忘れてたらしいんですよね。本当にそんなことありますしかし。
先生にとって不警戒って言えば、それなりのウエイトがあるもんじゃないんでしょうかね。
あるいは当時はそうじゃなかったのかな。
うちの母親も教師って嫌ってたというか、いい思い出なかったらしくて、詳しいこと聞いてないですけれども。
当時はみんな口が悪いからな。みんな口が悪かったからな。でもしか先生なんつって言いまして、
先生でもやるか先生しかできない。そんな人が集まってるのが先生だなんて口さがない人は言うわけですよ。
なんでそういうこと言うかっていうと、金の卵の時代だからですよね。
つまりこの経済成長期で、就職先は低くて余ったんですよね。給料もみんなそれなりに高かったわけです。
だから先生にわざわざなるっていうところのプライオリティが低かった。
これは面白くて、明治とかの時代だとやっぱり先生ってすごく偉い人なんですよね。
とりわけ地方なんかだとすごく良家の人が行くというか、多分地方出身の方は実感を持ってくださるんじゃないかなと思いますけれども、
地方ってそもそも農業をやってるわけですよ。あるいは漁業だって林業とかそういうのはあると思いますが、要は一時産業ですね。
そういう場所においてそうじゃない仕事っていうのは極めて限られていて、簡単に言うともう役所、役場、もしくは先生どっちかなんですよね。
早川実佑先生の初対面の印象
細かく言えばもちろん他にもあるでしょうけど、大きく言うとやっぱりそれなんですよ。
地元の名刺、頭の良い子、勉強ができる子っていうのは、県庁に行く、あるいは地元の町役場、村役場みたいなところに就職して、
公務員の給与体系っていうのは民間に合わせてありますから、それに即した給料をもらうんですけれども、そういう仕事をしていると地元のことに詳しくなりますよね。
そういう人の中から地元の議員が出てっていうような構造があるわけですね。
学校の先生っていうのもあんまり議員になる人もいますけど、どっちかというと議員になる先生っていうのはあるかな。
組合に入っている人が多いかもしれませんが、ともかくもうその学校の先生っていうのもやっぱりそういう第一次産業以外で地方にもある仕事っていうことでは割と権威があるわけですよ。
あと人に物を教えるってのは当然教員免許を取らなきゃいけないし、それなりに勉強をしないとね、それなりにっていうかかなり大変みたいですけどいけませんから、
そういうことで言うとプライオリティの高い仕事だったのが経済成長、高度経済成長期だから戦後ですよね、になってその辺が崩れてですね、
先生っていう存在に対する厄仮面もずっとあったんですよね。
先生先生と言われるのは先生、先生生徒のなれの果てなんていうことも言われてましたから、そういうのがひっくり返ってデモシカーとかって言われるようになったんでしょうね。
で、我々の時代はどうかっていうと、だから私が子供だった頃っていうんですけれども、早川先生みたいなもうすぐ定年的な人だとやっぱり親からデモシカーだあいつはって言われるような人はいて、
早川実佑先生もまさかの不警戒に遅刻してくるっていう失態を犯したことによって、そのような評判がまた悪魔に広がったっていうところはありましたね。
変わった先生で茶目っ気があるって言ってもいいのかな。
さらに母を驚かせたのは、教室に遅れて入ってきて、なんかちょっとこう決まり悪そうに笑いながら自己紹介を始めたと。
その時に早川実佑ですと、実という字は実という字で、佑は義理の義なんですけど、ミミちゃんと呼んでください。
ミミちゃんと呼んでください。
そう呼ばれていました。
来ましたって言ったらしくて、ちょっとよくわかんないですよね。
確かに実佑の実は実るとも読めるんで、ミまではわかるけど、その次のミは何なんだと。
ミノルちゃんじゃないのかと。
ミリちゃんじゃないのかと義理の義なんでね。
その辺全員の頭の中をクエスチェンマークを浮かばせるっていうことに成功した。
これが早川実佑先生の初対面の印象、母のですね。私はいないですけど、私は伝聞で聞いてるんですが。
だそうで。
あと早川先生の思い出って言うとですね、やっぱり発音が独特でしたね。
だから前回お伝えしたね、BAUっていうのもそれの一端を垣間見させますが。
ずっと覚えてるのは、多分ニューホライズンっていう教科書でテニスがあるんですよね。
ナンシーだったかな、ケント・ナンシーの話だったように思いますけど、
ナンシーがテニスみたいなことなんですよね。
その流れだったと思いますけれども。
何かの文章の中にyour racket、テニスですから。
take your racketみたいなことでしょうかね。
your racketの発音がyour racketって言うんですよ。
私たちの中一なんで、その迫力にKOされてね、なるほどと。
英語の発音というのはやっぱりね、ラケットじゃないんだな、ラケットなんだなっていうようなインパクトはありましたけれども。
なんかその始終そういう感じの発音であったというね。
それは別にラケットっていうよりは、ラケットの方がインパクトがありましたけれども。
早川実佑先生の個性
ちょっと驚いたなっていうことと、それとですね。
ちょっとオッチョコチョイなんでしょうね。
クラスで授業に来たときに、チャックが開いてたっていうことがあったわけですよ。
社会の窓ですね、いわゆるね。
だからまあ、それはね、先生も人間ですからね。
教団にやってきて、それで任務に使って、先生、チャック開いてますよ、みたいなこと言われたんですね。
そしたら、知らんよ!
知らないよ!
知らないよ!
知らないよ!
知らないよ!
知らないよ!
知らないよ!
知らないよ!
知らないよ!
知らないよ!
知らないよ!って言うんですね。
英語では、ニアゴヤ弁では知らんって言いますけど。
知らんよ!って言って、後ろを向いてスッと上げるって。
こうやって話してると、本当に愉快な先生っぽいですけど、全然愉快じゃなかったのは、やっぱりベテランですから、重鎮。
顔は本当に地方の政治家みたいな素敵な面構えをされてましたんで。
ちょっとその辺のギャップっていうのが、本当に未だに私の脳裏から拭い去られたことがないですね。
っていう素敵な早川先生と1年生を過ごしたわけなんですけれども、それ以外のことほとんど何も覚えてないんですね。
でも考えても見てください。私もその後も様々な他人の先生にお会いしてきましたけれども、何のエピソードもない人もいますから。
そういう意味では早川先生は素敵な人だったなというふうに思います。
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