そう、お店の店員さんが、畳もしない。
いやいや、うちの子がそんなことをしたのかって言おうと思ったけど。
ごめんなさい、ごめん。そうじゃなくて、買って、このスーツいいねって、体にぴったりだねって言って買って、レジに持って行って、そしてピッピッピッピってパワーコード読み取って、
パッパッパッパッって言って、一つの袋にむしゃくしゃ入れていったのよ。
私ね、結構ショックだったな、あれ。
自由な国ですね、やっぱりね。
そりゃそうよねって、一つの商品ね。いくらいくらっていう商品なんだから、なんだ、キャベツと変わらないよね。
店員さんにしてみれば、そうだから。
こちらのね。
それを大事にするのは、買った僕たちの役目だから、この国では。
そういうことだよね。
いいんです。
はい、ありがとうございます。
ということで、本題のほうに行きたいと思います。ちょっと長くなっちゃったけどね。
今回のテーマはですね、変人ということで、科学系ポッドキャストがですね、毎回20番組ぐらい話すんですけども、変人って言うと、ちょっと戸惑っちゃうんじゃないかなと思った。
変人って言われたら、いいかもしれないかなと思ったの。
あんまりね。
でも、凡人って言われるよりはいいのかなって思ったり。
僕ね、ポッドキャストでは、好きな人のことしか喋らないこと決めてるんで、僕は大好きな人のこと喋ってます。
それで言ったら、変人ってことは変わった人というよりも、僕は変える人と今回読みます、僕は。
いいんじゃない?それ。
何を変えるかというと、人生を変える人、または人々の暮らしを変える人、考え方を変える人。
いわば、愛のある天才を変人と呼ぼうと思って決めました。
で、まず1人目ですけども、その前提で紹介させていく。いいですか?大丈夫?
うん。
まず、落合陽一さん。
ご存知です?
まず、落合陽一さんのプロフィールを説明させていただきます。
お若い研究者ね。
はい、1987年生まれ。
エスペリアに載っていることを言いますと、
研究者、そしてメディア・アーティスト、企業家、筑波大学、図書館メディア系、準教授、内閣府の文書とアンバサダー、
あとは万博の事業プロデューサーなど様々な活躍をされてますね。
あとは現代の魔法使いと呼ばれています。
東大の白紙課程を短期修了、つまり飛び級みたいな形で終わってるんですね。
これが学譜の中では初だったそうです。
学譜っていうのは学部みたいな分かれてるやつなんですが、そこでは初だったそうです。
すごいなーって僕は思ったのが、ワールドテクノロジーアワードっていうやつで、
中村修司先生とかが取られてるやつを、中村修司さん以来日本人としては2人目で受賞されてるんですけど、その時20代ですね。
すごいねー。
おじや幼児さん、YouTubeとかもされてていろんな人と対談してるんだけど、話してる内容の切り口とかがすごく良くて、
なるほどね、嫌だったんだ。
それ今もほぼ変わらぬ形であるのよ。
理科の教科書とか見てよくなってると思ったけど、そうなのね。
理科はね、相当変わった。国語は変わってないね。
ああ、そんな感じね。
やっぱりアメリカのリベラルアーツで教えてる立場からすると、
学生たちの自由さみたいなのが、やっぱりこっちの方が大きいって感じるってこと?
それは感じるようで、あとはやっぱり型にはめるってことは絶対にできないよね。
そうか。そうだよね。だから古典ラジオが響くとこはそれか、
俺もそうかもしれない。
今ね、アメリカはいい、日本が悪いって議論してるんじゃなくて。
そうじゃなくて、だからこそ見えちゃう古典ラジオがね、
あの番組がこんなに日本の中心に受け入れられてるっていうことに対して、
なんかすごい、16年離れてる今の日本のいい動きみたいなものが見れたと思った。
すごく嬉しかった。ものすごく感動したよ、初めて聞いたとき。
わかるでしょ。
すごく覚えてるよ、ダスさんが私と私の友達に、まずヘレン・ケラーを聞けと。
で、そっから始まって。
そう、僕が古典ラジオに完全に心を動かされて掴まれて、
僕が周りの人たちに、古典ラジオのまずヘレン・ケラーからみんな聞いてって言って、
奥様方の集まりとかに入ってって、古典ラジオ聞いたことありますか?
ちょっと一度聞いてみてくださいみたいなね。
僕も知ってたんですけど、子供の時とかに読んだやつと全然今の時代は違うんですよ。
あれだよね、えっと。
私たちアメリカにいるからさ、日本が離れてるから、ヤンヤンさんとか深井さんとかさ、
まるで友達のようにさ、思ってね。
言っちゃうけどね。
この人たちとの距離感が遠い分さ、なんかポッドキャストの人はより近くに感じちゃうからね。
近く感じちゃってね。
でもその時のさ、サリヴァン先生の知識って、
俺ね、古典ラジオで聞く前に、なんか知ってたのよ、こっちの。
サリヴァン先生の出記とか、観光名所の情報とかで知ってて、
あ、サリヴァン先生ってこんな人だったんだって言って、ヘレン・ケラーの後のこととかもね、
ちょっと知ってて、すごい興味持ってたところに、さらに深い知識で来たからさ、
この人たち面白いなと思って、
なかなか知識があるのを、面白おかしく喋れる才能もすごいなっていう、
知識の深さだけじゃなくて、それをみんなに伝えられる能力、両方が飛び込んできた。
この人たちすごいと思って、だからみんなに勧めてたよね。
そしたら古典ラジオの他のファンの人に、
あんまり勧めすぎて、奥さんと仲悪くなってきていますから気をつけてねって言われて、
ユリカさんに俺、別にそんなに勧めないようにしてたじゃん。
いろんな個人差があるんだなって使わなくてもいいんだけども、
だから、自分を知るっていうことの一歩っていうのが、
愛という言葉をどう定義するかっていうことに繋がっていくんだなと思って、
それはその人のあり方って大事だなと思って、
私は特にアメリカに来て、キリスト教精神っていうものを持つ人たちに囲まれてね、
それをもう一度考え直す機会を持ったわけ。
日本にいたらば、もしかしたら見逃してきてしまったようなことだったかもしれないことを、
この30過ぎたぐらいから見ることができて本当に良かったなって今思ってるのね、返す返すも。
ごめん、アメリカで見てきたことから愛を定義しようとしてるっていうのも一つあるんだけど、
でも結構心の奥底であるのは、やっぱり細胞を見てきて、
この実は1年2年の間で大きい愛に変化しなきゃいけなかった理由が、
大きなメカニズムの中に女性ホルモンの大きさをすごい感じたわけ。
その女性ホルモンが調和をさせてるかっていうと、調和なのかカオスなのかよくわからないところに、
女性ホルモンの関わりがあって、あればいいっていうわけでもないし、
そのシグナルを高めていく。だから、もともと細胞が波打ってるようなところに、
女性ホルモンであったり環境ホルモンであったり、
自分たちの普通のインスリント科の血糖調節のようなホルモンたちがたさまたまなリズムを絡んでるところで、
調和をとったりカオスになったりっていうところを見たときに、
人の生き方って決まったように一つのリズムに合わせて足並み揃えて行進するみたいな生き方っていうのが、
人間っぽいっていう変な固いイメージがあったりしたんだけど、そういうのじゃやっぱないよねっていうふうに思うわけよ。
自然っていうのはすごいカオスで、人が作ったものは調和でっていうようなぐちゃぐちゃしたものがあったんだけど、
細胞の世界を見ると結構きれいに、調和とカオスの中にバランスが取られてきれいに生きてるっていうのが見えて、
調和も美しいし、カオスも美しいのよ。
わかった。
わかる?
今回紹介した人2人で言うと、
ヨウイチさんは、おちあいさんは、それをアートの世界、光の波の世界で、
カオスも美しいし、調和も美しくて、それが命のようなふうに見えたわけよ。
で、ひぐちさんは、声の中でね、ボイスの世界の中で、調和もみんなで強調するのも楽しいけど、
それぞれカオスになっていくのも、それはそれで面白いよって言ってて、
どっちも美しくしてるっていうか、受け入れてる度量を感じたっていう。