1. 奏でる細胞 MUSIC & SCIENCE PODCAST
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2024-02-13 35:10

2-42. ゲスト神田大介さん 人気番組「朝日新聞ポッドキャスト」 Part1 君よずっと幸せに ⁠#朝ポキ⁠ #湾岸戦争 #銃規制 

2-42. ゲスト神田大介さん 人気番組「朝日新聞ポッドキャスト」 Part1「湾岸戦争と銃規制」大介さんが新聞記者になった理由についてお聞きしました 

#朝ポキ #朝日新聞アルキキ #湾岸戦争 #銃規制 #平和教育 #愛国者 

神田大介さん

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▼X(朝ポキ、The Asahi Shimbun Podcast):⁠⁠@AsahiPodcast

▼Podcast:https://www.asahi.com/special/podcasts/

1)オープニング 忍たま乱太郎

2)大介さん登場

3)お名前について

4)報道に進んだきっかけの一つは湾岸戦争 

5)アメリカに留学したけど行けなかった場所 

6)銃規制、治安など感じたこと

7)単純に理解できることはない

8)いろいろな考え方を知る必要がある

9)矛盾と制限

10)ずっと話せるポッドキャスト


Spotify 奏でる細胞 By タツ(細胞学)ゆりか(リベラルアーツ講師)⁠⁠https://open.spotify.com/show/0xUhOqvpo69YiT7pmYdech⁠⁠

アメリカから配信する科学番組 「心を開いて相手の話を聞くことで自分の人生に役立てていく」 学びあり、笑いあり、出会いあり、科学教室の先生が様々なゲストと語り合います。 細胞の中にある音楽やリズムの研究に夢中になっているタツさんがリベラルアーツ講師のゆりかさんと細胞、老化、物理学、など様々な分野の専門家、ポッドキャスター同士のコラボ、留学や海外生活などについてポッドキャストを通して楽しく学ぶ番組です。

リスナーからの感想お待ちしています! ⁠⁠https://forms.gle/Vsx7t9iFwC5VsxTbA⁠⁠ (お便りはこちらフォームから受け付けています )

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00:02
奏でる細胞
奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ・インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
この番組は、地域医療に貢献し、皆様の一番近くにいるホームドクターを目指す、働かないか糖尿病クリニックのスポンサーズでお送りいたします。
こんにちは、ゆりかです。
こんにちは。アメリカに2年と言って、16年いるタツです。
そうなんです。
これから奏でる細胞に行くわけなんですけども、今回はですね、朝日新聞ポッドキャストから神田大輔さんに来ていただきました。
はい。
スペシャルゲスト会になっているんですね。
まさか朝日新聞の方とお話できる日が人生でやってくると思いませんでした。
本当に僕ね、番組聞いて大好きなのね。
元々朝日新聞ポッドキャストのランキングの上の方にいて、すごい人気番組なんだけど、いろんな記者さんの話が聞けるんだけど、それを取りまとめてる大輔さんが、「もっと教えて、もっと教えて。」みたいな感じで、すごい深いところまで言ってくれる。
記者さんたちもすごい本音でしゃべってくれるので、魅力的なんですよ。
ということで来てもらって、いろんな話をしてもらいました。どんな話をしたか覚えてますか?
忍多摩ランタロウのお話をまずは。
はい。なぜ忍多摩ランタロウが出てくるんですか?
朝日新聞といえば忍多摩新聞ではないですか。
どういうことですか?
朝日小学生新聞をご存じない?
いや、知ってます。
私は朝日小学生新聞に初めて忍多摩ランタロウが出たあの日が忘れられない。なんという漫画が始まったんだと。
あれね、紙面の上の3分の1くらいの量から始まったの。
それが面白くて面白くて、毎日それ見てから言ってたんだけど、それがどんどんどんどん増えていくのよ、長さが。
そしてあっという間にテレビ化し。
忍多摩ランタロウの誕生から全部見てるってこと?
そうよ。
すごいな。
今度忍多摩ランタマ選手権あったら私ちょっと出ちゃうよね。
忍多摩ランタマ選手権?
忍多摩ランタロウ選手権。
はいはい。
いかにファンかっていうね。
いいですね。
そうよ。子育ちして、子供たちも忍多摩で育ち。
忍多摩のカラーになった読み物があるのよね。
あれがなぜかこのインディアナ日本語補習校にたくさんあるのよ。
すごいね。
漫画ではなくて。
インディアナで育ってもランタロウで育てることができるんですか?
できる。まさかの、まさか。私が買わずとも図書館にあったっていうね。
うちの子供たちも大好きだもんね。
大好きよ、大好きよ。
初めて字を読んで、字を覚えて、一人で読める本のように仕上がってるわけ。
03:02
素晴らしいね。
僕も朝日新聞に関わることで言うと、1年間配ってました。
そうね。
朝日のデリバリーセンターみたいなところがあって、配るところのやつで、朝、港の湾岸地区をですね。
海から太平洋から昇る太陽とともにですね。
素晴らしい。
2時間ぐらいのエクササイズですね。
自分のトレーニングだと思って。
今ちょっと朝日に朝日をかけたわけ?
本当に朝日に昇る朝日新聞配ってましたね。
という話なんですけど、全体像を先にお話ししますと、モノマネで登場してくださるんですけど。
記者になったきっかけ、そしてですね、湾岸戦争と、あと僕たちが今アメリカで長く暮らしているということで、
アメリカの話題、平和教育など、本当に大事な話をしてくださいました。
今回はね、最後まで聞くと、ポッドキャストの話題に移っていくところまでいきます。
パート2では、ポッドキャストと朝日新聞の大事さ、つまり報道ですね。
紙面媒体の朝日新聞がなぜポッドキャストをやるのか。
ポッドキャストがこれだけの人気になっている理由と、その紙面での記事、そしてポッドキャストの神話性ですね。
どうしてポッドキャストが意味を持つのかというようなお話をしています。
パート3では、その平和活動からですね、ゆりかさんから見た日本語教育、英語教育というところの話までいきますので、
本当後半になればなるほど面白くなっていくと思います。
この第1回も非常に深い話になっていますので、最後まで聞いていただければと思います。
それでは聞いてください。
奏でる細胞
今回はですね、ゲストにですね、朝日新聞ポッドキャストの神田大輔さんに来ていただきました。
本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
君をずっと幸せに
小雪、小雪、小雪?
お前そんな顔だっけ、小雪。
朝日新聞の神田大輔でございます。
たつさんがね、福山あさはらさんがお好きだということで、ちょっとこんな始まりですいません。
調子に乗りました。
聞いてくださってどうもありがとうございます。
嬉しい。
来ていただいた。
よかったです。お土産です。
大輔さんに来ていただいたこの理由をですね、まず僕の説明をさせていただくと、朝日新聞のポッドキャストって本当に素晴らしいなと思いまして。
ありがとうございます。
ポッドキャストやってるですね、裏側というか実情というか、そのどんな熱意でやってるのかというのをお聞きしたいというのが一番の理由で。
あとはやっぱり長くこの素晴らしいいろんなポッドキャスト配信されてるので、そういう経験の中から僕たち奏でる細胞はどうやったらポッドキャストが良くなるのかというところですね、アドバイスいただきたいという2つの理由ですね。
06:04
そんななんか偉そうなもんじゃないんですけれども、たつさんにお声掛けをいただいた時にはですね、どうしようかと。これは漫才をやれっていうことなのかなと思いましたけど。
聞いてくださっててることにもとても恥ずかしさすら思えるんですけど。
本当にこんなね、私だって別にど素人、単なるポッドキャストは素人で、それこそラジオ局さんとかはね今ポッドキャストいっぱい作ってらっしゃる中で、新聞社って何のノウハウもないんですよね。
なので本当に手探りでやっているので、仲間としてお互いにアドバイスできるみたいな感じが良いかなと思っております。
ありがとうございます。
ちょうど昨日ですね、どんぐりラジオ。どんぐりFMね。聞かせていただいて、そこで神田さんの新聞記者になった時のきっかけとかお話されてるのを聞いて、質問したかったことをすでに聞いてしまったんです。
でもあるんですよ。この奏でる細胞のリスナーさん向けにもね、同じことでも全然聞いていただければ、もっと深い話もできるかもしれません。
そうですよね。僕そのね、嘘のニュースじゃないですけど、その戦争とかのきっかけになっている本当の理由みたいなものとか実情っていうのがちょっと違かったっていうところに興味を引かれたんですけど、報道の方に自分の進路を決めた時の気持ちとかをもう一度お聞かせいただけると嬉しいんですけど。
そうですね。もともと結構その報道に対しては興味はあったんですよ。というのは私、母子家庭、いわゆるシングルマザーの下で育ちまして、小学校の時は日中は祖父・祖母の家にいたんですね。
そうすると祖父がまあとにかく雑誌、週刊誌とかを中心に好きな人で、じいちゃん家に行くと必ず雑誌がいっぱい置いてあったんです。そういうのを小学生の頃から読んでたんですよ。結構難しかったと思いますけれども、興味本位で読み始めたらハマっていって、だから私もともと雑誌ジャーナリズムみたいなのが好きなんですよね。
新聞ももちろん撮ってましたけど、新聞ってほら難しいじゃないですか、小学生には。そんな中から、世の中にこういうことを伝えるっていうことに関心があったところに湾岸戦争が起きて、たつさんって多分私と同世代ですよね。
たぶんそうだと思います。僕今47歳なんですけど。
46じゃないですか。
自分の年齢わかんない。
77年です。
はい、私75年生まれなんですよ。
ああ、そうですね。
すごい不思議に思ったんですけど、たつさん蛇年ですよね。
09:01
蛇年です。
なんでたつさんなんですか。
おじいちゃんの時からですね、うちは竜が続いているというか。
そうですね。
ちなみに大助っていうのは、生まれた時に4000グラムあって、でかかったで大助なんですけど。
昭和50年なんですけど、1975年の生まれの人って、大助って漢字の書き方はいろいろありますけど、一番多いらしいですよ。
私は介護保険とかの自己紹介とかの介助なんですけど、車助っていうのもありますよね。
だから他にもね、寝辺に握って書く人とかもいるから、助の字はいろいろなんですよ。
だけど響きとして、発音として大助っていう人は一番多いらしくて。
そのちょっと前、昭和40年代は広瀬とかが強いんですよ。
50年代はね、大助時代。
記者の慣れそめの話でしたよね。
タチさんに伺いたかったのは、湾岸戦争って覚えてます?
覚えてますね。ミサイルが大量に夜の映像の中できちんとターゲットをレーダーがちゃんと示して、報道の中ではやっぱり狙ったところだけを攻撃してるという、
少しハイテクな戦争の時代になったかなみたいなものを子供の中に感じていましたね。
さすがに視点がね、当時から研究者っぽいですけど。
パトリオットミサイル。
パトリオットミサイルで、アメリカに来て、軍関係者っていう人たちが多いんですね、周りに。
その時にベテランズが、ちょうど私たちよりも10歳ぐらい年上の方々が、高校卒業ぐらいの時に湾岸戦争を体験したと。
それで、あの映像を見て、まさにタツさんが見た映像だと思うんですけど、
あの映像を見て、次の日に軍に入る手続きをしたっていう話を意外とよく聞くんですね。
アメリカ来た時に、この話また聞いたな、みたいなことがあって、こんなに戦争に行ったんだっていうのが、こっち来てすごく思ったんです。
私はアメリカって、9ヶ月間ほど滞在したことがあるだけなんで、16年の歳月を経験していらっしゃるお二人だったら、本当にね、いろんなことをご存じだと思うんですけど、
退役軍人とかすごく大事にしますよね。
大事にします。退役軍人の日があって、歌いますよね。
アメリカに行くと、そういう軍隊に所属している板っていうのがすごく大事なことじゃないですか。
実は僕は軍のバッジを持っていまして。
というのも、退役軍人病院の方の糖尿病とタバコの研究というものを結構長い間でやっていまして。
12:00
その病院で発表とかをする時にも、退役軍人の日とかに行くので、そういう方々と触れ合う機会っていうのは結構あります。
お二人は子供の頃は日本で過ごしていらっしゃるんでしたっけ。
もちろんです。
そうですよね。
僕は3歳まで、アメリカ生まれなんですけど、3歳までアメリカにいまして、それから日本です。
戻られた。
ということは、中学高校あたりの教育は日本で受けていらっしゃると思うんですけれども、
戦争に対する教え方って、ほぼほぼその平和教育っていう言い方をしますけれども、戦争は良くないと。
過ちは繰り返さないっていう文脈で教えられてきたし、実際その通りだとは思うんですが、アメリカだとやっぱり受け取られ方って違います?
いや、まさに。実はそんなことを聞かれるとは思ってはいなかったのですが、
私はポッドキャストでは明かしていない身分がありまして、
少しそういうアメリカの大学教育に深く関わっておりまして、
その中でアメリカと日本が戦争に対するものの考え方が違う、または第二次世界大戦の捉え方が違う、一番は原爆のものの考え方ですね。
そういうことをアメリカ人の学生たちはあまり習ってきていないっていう前提での平和教育っていうのを少しお手伝いしている立場なんですね。
そうすると、やはりアメリカ人の学生たちの認識と私が日本で習ってきた認識っていうのがとても離れていることに、もはや驚かなくなってしまったんだけれども、そりゃ違うよなと思いますね。
僕の記憶の話なんで、アメリカに9ヶ月いたっていうのは、ちょっと大学に留学してたのと、あとはアメリカをいろんな街をですね、グレイハウンドバスで回ってたんですよ。
面白い。
その途中で僕インディアナポリスにも行ってると思うんです。
インディアナだったかイリノイだったかなってちょっと今記憶はさらかじゃないんですけれども、戦争博物館みたいなのがあって、軍事博物館。
そこ行った時にまずやっぱり、アメリカではよくあることですが、原爆がすごくこうね、称賛された形で展示されているのと、なんか巨大な清浄機がバーンって置いてあって、すごい高豪しい感じなわけですよ。
その日の丸の教育も今だいぶ変わってきてると思いますけど、私たちが小学生だった頃とかって、それこそあの日の丸形容とかね、君が世聖書に対しては反対する教員もいたし、結構センシティブな問題だったじゃないですか。
なんか全然違うなっていうのにあのシンプルにびっくりしましたね。
例えば小学校からもう幼稚園からだけれども、朝の会が全校集会があって、それが放送で行われるから、各クラスにいて、体育館に行かなくてもいいんだけども、各クラスにいて、必ず国旗に向かって胸に手を当てて、そしてそこに向かって必ず言うセリフがあるんですね。
15:11
だから毎朝必ず国旗に誓うんです。この私は国旗に誓ってアメリカに忠誠を誓いますっていうのを意識がない時から、子供の時からずっと続きますよね。あとはフットボールの試合だ、どんな時にも必ずありますね。
もう大輔さんがおっしゃったように、僕は日本にいた時にはそのおじいちゃんの結構そばにいたことが多くて、そのおじいちゃんを見てると、おじいちゃんは軍艦のヤマトに乗ってた人なんですけれども、もともとのやっぱり軍人としての日の丸を日曜日には必ず指してみたいな、そういうのを見てきてたんですけど、でもそれってだんだん僕たち大きくなるに従って見なくなっていくじゃないですか。
それがアメリカに来たら、もっとあからさまに皆さんやってて、子供たちの教育の段階から見ててですね、やっぱりこの国は今戦争中の国なんだなっていうものが見て取れましたね。
特に僕たちは共和党が強いインディアナにいるせいかも知れないんですけれども、さまざまなイベントで、そういった国旗があって、あとは飛行機が飛んでって、それにみんなが敬礼をしていくような、そういう場面を見る機会は多いですね。
そうですよね。だからさっきのパトリオットミサイルっていうのも、パトリオットって愛国者って意味じゃないですか。日本で愛国者とかって言葉って僕聞いたことなくて、聞いたことないし、見たことがない。
なんかすごく朝日新聞の方と話してるなっていう気持ちに今なって、ちょっといつものやり方とはすごく違くて、私も今ちょっとピリッとしてます。
心を開いていこう。
心を開いていきます。
このポッドキャストは心を開いていこう。
僕は何が言いたいかっていうと、ワンガン戦争とかを見たときに、これまで歴史上の話として聞いてきた戦争っていうものが、リアルに今起きてるっていうのを目の当たりにした感じを受けたんですね。
しかもそのパトリオットミサイルみたいな飛んでて、すごく性能がいいんだというような話があったり、実際にそこで戦争が行われるわけですよね。
イラクとかクウェートとかで。
そのときにもう一つ話題になったのが、日本が軍隊を派遣しないと。
みんな多国籍軍で、みんなでイラクを一緒になって止めているのに、血を流さないと。
だったら金でも払えやみたいなことで、ものすごい多額の金額を払うんですけれども、援助するんですけれども。
全然感謝されないっていうことがあって。
国際社会って何なの?みたいなところにすごい一つの興味を持ったんですよね。
もやもやとしてもっといろいろ知りたいなと思っていたところで知ったのが、
18:05
タツアにご紹介をいただいたどんぐりFMでも話したエピソードなんですけれども。
私がずっと見ていた油まみれの水どりっていう映像があって。
湾岸戦争絡みのニュースでは本当によく出てきた映像なんですよね。
若い方はご存知ないと思いますけど。
どこかしらの海の海岸のところによちよちと水どりが歩いていて、
真っ黒というか真っ茶色というか汚れちゃってるわけですよ。
イラクを含めて福衛島を含めてペルシャ湾岸というのは原油を産出する国々がいるところですから。
当然戦争になれば原油の流出があって、海も汚れて、鳥も汚れてっていうそういう映像だったわけなんですけれども。
だからやっぱり戦争ってのは良くないな、イラクは酷いなっていうふうに思ってたわけですが。
関係ない映像だったっていう話を後から聞くわけですよね。
アンカで読んだんだと思うんですけど、広告代理店なんかが動いていて、やっぱり世界中でアメリカであったり、
他国籍軍側に対して頑張れ頑張れというような感情を奮い起こさせるために、いろんな工作がなされていたと。
いろんな説もあるので、何が事実か事実じゃないのかっていうののふわけはすごく難しいんですが、
ただここでもシンプルに衝撃を受けたのが、
俺が本当だと思って見ているものってそうじゃない場合あるんだっていう。
それまで信じていたんですよ。
報道とかあるいは学校の先生が教えてくれることっていうのは正しいことだと思ってて。
そうなんですよ。正しいんですよ。
だけどそこを越えてより複雑なことがあるんだっていうのを知って、
だったら俺は騙されたくないと思ったんですよ。
いやーわかります。
そしてみんなにも騙されてほしくないって思って、
そこら辺から結構報道の仕事に対してそっちに進みたいなっていう気持ちが強まっていったっていうところですね。
なるほど。すごくわかります。
実は僕たち海外の研究者を集めたネットワークっていうのをやってるんですけど、
海外の留学情報も、いろんな情報を集めて海外にポンって行って、
留学情報に信じて行ってもですね、現場でぶち当たることって全然違かったりするんですよ。
100人いたら100人の留学で、意外と前の人の方が役に立たないというか、
教科書みたいに書かれても、やっぱり実際その場に行ってその場で見ると、
例えばこの国はこうだよって言われてても、国のこの状況の時のこの場所に限定されてて、
一歩そこ出ると全然別世界が広がってたりしますよね。
そうなんですよね。さまざまな角度から見るっていうことが大事ですし、
21:05
あとやっぱり自分がいるその日本の価値観っていうのが、ある程度狭いもんだなっていうことも感じるところがありましたし、
あとアメリカの絡みでいうと、そもそもなんで僕がアメリカに9ヶ月間とかいたかっていうと、
僕の通っていた高校の同級生が、16歳、高校2年生の時にアメリカにルイジアナ州に留学してたんですね。
友達、ハットリヨシヒロって名前なんですけど、その子ね、ハロウィンの時にね、打ち殺されたんですよ。
ちょっと待ってください。知ってます。フリーズとプリーズを間違えたとかって報道されたっていう。
同級生なんですか?
ハロウィンの時に、パーティーがあるっていうところで行く先の家を間違えちゃって、
別の家のところでトリコアトリートって行ったところ、もう問答無用で射殺されちゃったんですよね。
フリーズって言ったんだけど、ハットリヨシヒロはそのフリーズって意味がプリーズだというふうに聞こえちゃって、
どうぞ入ってくださいっていう感じで行ったら、撃たれちゃったっていうね。で、死んだんですけど。
ハットリヨシヒロは僕同級生で、一緒に学校のキャンプファイアインとかやってたんで、カラオケとかも一緒に行ってるような友達なんですよ。
で、あの、まず死っていうのが、最初ね処方を聞いた時には、僕は何言ってんのって思って、
学校朝ね、時差もあるんで、僕がそれを知ったのが朝のニュースだったんです。
で、学校行ったら、同級生の特にハットリともそんなに親しくないだろうみたいな女の子が泣いてたりして、
いやいやいや、なんでそんななんか信じられるのっていうふうにも思ったんですよ。
で、今思えばその女の子たちは感受性の高い子たちで、すごく物事に対する理解が強いから、泣いてたっていうのがわかるんですけど、
僕は本当に子供だったんで、何?何?っていうふうに思ってたら、あれよあるよとですね話が進んでいって、
僕はもう単純にやっぱりハットリが打ち殺されたことが憎かったわけですけど、
ハットリのご両親はもうそういうところを越えて、自由規制の問題に取り組んでいかれるわけですよ。
で、時のクリントン大統領にも面会して、一定の自由規制というのが進んでいくきっかけになった、そういう運動になっていくんですけれども、
つまり、罪を憎んで人を憎まず、自由社会というものがあったから自分の子供が亡くなったんだっていう発想ですよね。
ただ、僕も子供いますけど、自分の子供を打ち殺された時にそんなことができるって、今になってもうとてつもないなと思うんですが、当時はわからなかったんですよ。
24:08
で、僕はやっぱり現場を見るまではそんなの信じられるかみたいな気持ちもあって、アメリカっていう社会を少しでも知ろうという気持ちがあって留学をしてたんですけどね。
やっぱりね、大学の3年終わった時に大学を休んで休学して、それでアメリカ行ったんですけど。
で、グレイハウンドバスで、最初カリフォルニアの大学に留学をしてたんで、ルイジアナまではだいぶありますから行ったんですけどね。
で、バトンルージュっていうハットリーが殺された町にも行きましたけど、現場行けなかったんですね。
なんかそこに行っちゃったら、いろんなことを認めなきゃいけない感じとかして。
で、結局ね、僕20年経って記者としてバトンルージュ行ってるんですよ。
ハットリーが殺されてから20年目の節目の時に、ご両親が久しぶりに現地に行くっていうんで、その時に一緒についてもらって取材をしたんですけどね。
だからね、分かったんですよ。なんでご両親が。
分かったって、私は理解したところなんですけど。
10期生に向かったから。バトンルージュってルイジアナの州都ですし、それなりに大きい町です。
僕も留学の経験とかを通じて、アメリカって地域によって治安が全然違うなっていうのは肌で感じるところがあったんですよ。
とりわけ日本と違うなと思ったのは、いわゆるダウンタウン、町の中心ほど治安が悪いわけですよね。
郊外は安定していて、みんな車持ってるから、お金がそれなりにある人はそういうダウンタウンには近づかずに生活をするわけですけれども。
グレイハウンドバスのバスディープとかあるのは全部ダウンタウンなんですけど。
僕は、服部がおそらくそういう治安の悪い地域に足を踏み入れちゃったんだろうと。
現地の人だったら分かるけれども、留学生とかだとその辺の土地感も不安ないだったのかもしれませんし、って思ってたんですよ。
アメリカのそういう地域ってあからさまに少なくとも大人になったら分かりますよね。
窓ガラス割れてたり、道がめっちゃ汚かったり、道股にいろんな人が転がったりしてるようなところもありますからね。甘い香りがしたりとかね。
そういうところに行っちゃったのかと思ったら全然違ったんですよ。
その服部が打ち殺された地域って鍵もしてないんです。治安がいいから。
植木とかも綺麗に刈り込んであって、車も各家に2,3台当然あってピッカピカに磨いてるんですよ。
ちゃんとしたお金持ってる人たちが住んでる地域なんですよね。
27:02
だからこんなところで服部が殺されなきゃいけなかった理由ってそこに銃があったからだとしか思えないんですよね。
例えばそこでナイフとかだったら、はっという間に死んでなかったかもしれないなと思って。
その犯人の男に関しても、僕は別にそいつのかと思った気は全くありませんが、ただそういう地域だったからこそ、
ルイージアナっていう土地柄もあったのかもしれませんけれども、銃を持ち出すっていうことが普通だったんだろうなと。
あるいは自分の身を守るっていうことを考えるっていうのが、初めて現場に行ったときにピンと来たっていうかつながったところがあったんですよね。
そういうのっていうのも結局、行かないとわからないとか見ないとわからないこともあるっていうのは、
それ新聞記者歴もだいぶ経ってからなんですけれども、改めて感じるところはあって、
いろんなところを見たり、いろんな人の考え方を知らないと、物事の全体像はわかんないなと。
だからハットリのご両親は、それがもうすぐわかったってすごいなと思ったんですけどね。
確かにこの家の作りだとか、あとは銃の買いやすさだとか、
どうやって銃を買うか、そしてその銃をどこに、家のどこに置いておくかっていうこの一連の動きっていうのは、
このアメリカの暮らしを見てみないと、こう見えてこないですよね。
そうですよね。また、リージョナルってね、ディープサウスとかって言われるような、
新南部って言われるような地域でもあるし、さまざまな歴史もありますしね。
っていうようなところで、ハットリがどういう状況にあったのかみたいなところを聞いていくっていうようなこと。
要は世の中って湾岸戦争もそうですし、ハットリが殺された件とかもそうですけれども、
本当に複雑で単純なことで、わかったっていうふうに解釈できるようなものではないですよね。
そうですね。
ただ、これが新聞記者になってから私の中で矛盾が生じるのは、
新聞記事って私服の制限、紙の制限があるので、なるべく短く書かなきゃいけないんですよ。
一面トップの記事とかでも、例えば我々の言葉で80行とか言うと、
80行ってもう長い記事なんですけど、12日詰めなんですよ。
で、80行とかあと60行とかなんですね。
つまり、小学校の作文とか読書感想文で使う作文用紙っていうのは400字詰めなんですけれども、
それの2枚から3枚分ぐらいしか書けないんですよ。
小学生の読書感想文より短い文字数で複雑なことを表現しなきゃいけないんですよね。
30:02
しかも感情を入れにくいんじゃないですか、皆さんに正しく伝えるっていう記事ですと。
だから結果として言うとできないんですよ。そんなことはできない。
なので、ありったけ事実を詰め込むっていうことで、記事の作業っていうのは終わっちゃうことが多いんですよね。
ところがですね、ポッドキャストって尺の制限がないんですよ。
だからワンテーマでも1時間でも2時間でも、僕らの番組で一番長かったのは3時間43分っていうのがあるんですが、
ずっと喋れるんですよね。
そうですね。
で、あともう一つ、聞いてくれるんですよ。リーダーツリースがすごく低い。
奏でる細胞、たくさんどうもありがとうございました。大輔さんを呼んでくださって、
私、直接と朝日新聞の記者の方とお話できる機会が来るなんて思ってもいなかったので、とっても緊張したんです。
緊張したね。
だけども、お話をしてみると、本当に申し訳ないけれども、共通理解っていうものがあって、
そして、アメリカに来たっていうことの、私たちが見てきたものっていうものも、理解していただくことができて、とても嬉しかったです。
一個一個さ、質問してくれたりしてね、僕たちと補聴を合わせてくれたところも大輔さんのおかげだよね。
うん、ありがたいです。
特に、ワンガン戦争っていう言葉が、日本にいた時には、日本を出た時には、ワンガン戦争が終わったものだと思って、アメリカに来ました。
ワンガン戦争っていうものは、終わったものだと思って、私たちは2008年に。
終わったものだっていう感覚しかなかったよね、本当に。
そう、2008年に来た当時にはね。
だけれども、出会う人たち、出会う人たち、ワンガン戦争を機に軍隊に入った人たちだったりだとか、ワンガン戦争を機にインディアナに戻ってきた人だったりだとか、ワンガン戦争っていうのが、このアメリカの中で一つの節目というか。
何回も聞いたね、ガウフォワーって言ってさ、僕の生徒すらさ、博士を取りに来た生徒すらさ、そうだった。
そうだった?
うん。
話を聞く機会あったね、結構ね。
だからあれはみんなの、こちらでかなりの人たちの人生に大きな影響を与えてるってことを感じたね。
そこのお話を大輔さんとすることもできて、ちょっと面白かったなと思いました。
ね。
そう、それと、聞かれてそう思い起こすアメリカの平和教育というか、アメリカの国旗への尊敬の表し方っていうのも、日本の方に聞かれて初めて、アメリカってこうだよねっていう風な、初めこそはとってもびっくりしたんだけども、もう慣れちゃったのよね。
33:08
こっちで暮らしてるとさ、当たり前になってしまうことで、改めて聞かれてみて答えてみたら、あ、そういえば日本とこんなに違かったなって思うこともあるもんね。
あるね。
こういった機会をもらえたのは良かったね。
いや、本当にすごい番組だから、僕はこんなに大輔さんが僕たちの方にすぐね、お願いして来てくれると思わなかったんですけども、こうやって来てくれたおかげで、アメリカでのことを、そして何よりもね、大輔さんがこういう熱意を持って報道関係のところに来てるっていう、その人生のね、原点の一つにね、触れることができて。
とっても嬉しかった。
ポッドキャストを聞いて、やっぱ朝日新聞のポッドキャストが、いろんなものがこう感じれること、その内容もあるんだけど、内容よりもさ、記者の方々の声に乗ってくるパッションみたいなものの原点というか、理由をね、話してもらえて良かったですね。
この後、パート2、パート3でも、ポッドキャストを記事とね、並行してやることの意義とか、それをどういう風にこれからの時代にあっていくかっていうような話をしてるので、楽しんで聞いてもらえると思います。
楽しんでいただけると思います。
ゆりかさんのね、熱量っていうか、今回の話も本当に面白かったです。いろいろ話してくれてありがとうございました。
はい。
ということで、みなさんも最後まで聞いてくれてありがとうございました。お相手は、科学教室の先生、辰人。
ゆりかでした。
バイバイ。
バイバイ、そこ。
35:10

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