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奏でる細胞。 奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ・インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
こんにちは、タツです。今回はですね、俳優そしてサイエンスコミュニケーターの#恵恵太さんに来ていただいた回なんですけれども、まず最初にお話ししておいた方がいい大事なお知らせがありますので、それを先にお話しさせていただきます。
来月1月10日のですね、科学系ポッドキャストの日イベントのホストをやることになりました。科学系ポッドキャストの日というのはですね、科学系ポッドキャストが集まって同じテーマで話していこうというものを続けているんですが、これが3年目になりまして、
1月がですね、僕とですね、ものづくりのラジオをしている支部長さんとのですね、合同ホストということで開催させていただきます。テーマがですね、子供ということになっていて、子供に関すること、子供って素晴らしいですよねとか、生物のびっくり子育てとかね、子供に関わることであれば、あとは自分のねパーソナリティーの方の子供時代を話していただくとかね、そういうことでも良くてですね、
テーマを子供として1月1日からね、10日の間に配信するということで、毎月20番組ぐらいが参加してくださっているんですけれども、今回のホストがですね、僕たちになります。同時にですね、科学系ポッドキャストアワード、カポキアワードということを、過去に3回ほどやってるんですけれども、またやろうということで、
お年玉カポキアワードを開催します。アワードといえば、やっぱりこの季節アワードというのはどうしてもね、語りたくなってしまうのがM1なんですけど、今年のM1もすごかったですね。あのあれは勝利数をもうすでに超えてて、なんか国民的イベントになってるんで、アワードというものではもうなくて風物詩みたいになってるんで、でもその中でも僕はバテリースのね、あのネタの中で結構科学に関わることとか、
例えばエジソンとかライト兄弟っていう、どちらもね、このアメリカ中西部の方々の話なので非常に嬉しかったし、あと辞典しながら後典しているとかっていうのもね、理科の本当に大事な子どもたちに伝えたい事象になってますんで、その辺をね、いやーあの面白かったなと思うんですけど、それをたった一言で辞典と後典さえ分かればとか、そういうね、全部聞き取れたのにとか、
その真面目なフレーズっていうものはそのままなのに、あの一言のツッコミだけで大きな笑いに変わるっていうのはすごいなというか本当に面白かったなと思ってて、いやエースさん欲しいなって思いました。
そしてね、さらにいいところがこの説明できる方とその説明が分からないっていう役目に二つに分かれている中で、その知らないっていう立場の人がみんなから愛される形でその漫才が進んでいくっていうのもこれもね、まあ素晴らしいなと思ってました。
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で、ごめんなさい。M1のことになるとちょっと話が長くなっちゃうんですけど、僕はお笑い大好きなんで、まあそれはアワードのつながりで喋っちゃったんですけど、僕たちも科学系ポッドキャスト自分たちでアワードを出そうということで、ポッドキャスター同士でね、あの番組良かったこの番組良かったっていう褒め合うみたいな形でやっているちっちゃなアワードなんですけど、
いつも審査はどういうふうにやっているかっていうと、その科学系ポッドキャストの日っていうハッシュタグがあるんですけど、このハッシュタグでその番組のコメントなどをポッドキャスター同士で言い合ったり、時にはリスナーさんが書き込んでくれたりして、そこで賑わった番組、より賑わっていた配信をされた配信者さんの方をですね、みんなで表彰しようということで、僕と市部長さんが計測しましてですね。
そして、思いのこもったポストはですね、ちょっと過典を高くしまして、で、それで表彰しているというものですね。なので、まあ小さな集まりの中で楽しく配信している皆さんをですね、ちょっとでも表彰できたらということなんですけど、なんと今回共産としてですね、工業高校農業部のですね、もう皆さんご存じのですね、牛若さんがですね、牛の専門家ということで、素晴らしいお肉ですよ、国産和牛ですよ。
それをですね、提供してくださるということで、受賞者には牛若さんのお肉。さらにですね、市部長さんですね、共同ホストの市部長さんが書かれた書籍、初めての締結設計、こちらをですね、プレゼント。
さらにですね、科学系ポートキャストのエース、エースと言える佐々木亮の宇宙話を配信する亮さんのですね、書籍、やっぱり宇宙はすごい。こちらもプレゼント、お年玉プレゼントというふうになっております。で、奏でる細胞からはですね、パーソナリティ、ゆりかさんの書籍、サービスラーニング開くを送らせていただこうかと思ってますので、ぜひご応募してください。
そしてリスナーの皆さんも感想などをポストしてくださるという形で参加していただければと思います。
いろんなショーとかアワードが動いている中で、僕たちも自分たちを楽しませるようなアワードとしてやっていけたらいいんじゃないかということで、ちょっと前にスタートさせたやつなんですけど、お年玉アワードとしてね、今月限りなので、多分1月しかやらないと思うんでね、科学系ポートキャストの日イベントに参加するのは1月がチャンスですので、
募集はですね、12月26日まで科学系ポットキャストの日、ハッシュタグ科学系ポットキャストの日で配信されているものをですね、リポストするような形で参加宣言をしていただけると参加できますという形になっております。
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ということで、大きなね、一番大事なお知らせしなきゃいけないことが終わりましたので、今回のサイキケータさんの書について説明したいと思います。
実はですね、Xの方で流行っているその一年分何々プレゼントみたいな流れの中に乗ってですね、サイキケータさんがですね、一年分プレゼントっていうのをね、見つけちゃったんですよ、僕。
で、これは素敵だなぁと思って、こんなサイキケータさんが僕たちの科学教室を応援してくれたり、日本の方に広めてくれるお手伝いをしてくれるのであればこんなに嬉しいことはないと思いまして、
アメリカにある科学教室を日本に届けたいです、助けてくださいみたいなことを書いたらですね、網田くじがされたらしいんですけど、見事引き当てまして、
なんと私たちがやっている科学教室をですね、一年間俳優、そしてサイエンスコミュニケーターのサイキケータさんがね、手伝っていただけることになりました。
いやー、やりましたね。で、その中で今回の聞きどころなんですけど、サイキケータさんの作り方ということで、サイキケータさんの人生というものに寄り添う形になっています。
どうしたらね、サイエンスコミュニケーターと俳優両方やっているというような活動に行き着くのか、その原点をね、知りたいということでお話ししていただきました。
で、この聞きどころなんですけど、まず1個目の聞きどころはサイキケータさんの魅力というものが伝わる配信になると思いますので、ぜひサイキケータさんの魅力、様々な方向からね、ぜひ聞いていただければと思います。
そして2つ目の聞きどころなんですけど、サイキケータさんと本当に初対面でいきなり収録するというような形をしています。
これから1年間通して月に1回ずつぐらいゲスト出演していただけるということなので、サイキケータさんとカナデル細胞のタツ、そしてユリカさんとサイキケータさん、この3人の関係性が1年間でどうやって変わっていくか、仲良くなっていくということもあると思うんですけど、
それぞれに絡んでいく中でですね、いろんなものが生まれてくると思うんですけど、やっぱ初対面の時のこのういういしさからどう変わっていくのかっていうこの経過も楽しめるというところで、この2つに注目していただければと思います。
それでは本当に素晴らしいサイキケータさんに来ていただいたので、この楽しいおしゃべりをどうぞお聞きください。
はい、今日はカナデル細胞に素晴らしいゲストに来ていただきました。サイエンスコミュニケーター、そして俳優としてご活躍のサイキケータさんに来ていただきました。今日はよろしくお願いします。
はい、サイキケータです。どうもよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
嬉しいですね、ユリカさん。
タツさんてかした。
ということで今日はですね、せっかく来ていただいたので、サイキケータさんの作り方というテーマで、サイキケータさんの素顔というか、どんな子供時代を過ごしたのか聞きたいと思っているんですが、その前にまず軽く自己紹介をしていただけますか。
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はい、現在フリーランスで俳優業と、それからサイエンスコミュニケーターとしての活動をしております。サイキケータと申します。一応、俳優、サイエンスコミュニケーターって言っても、なんじゃそれとなることが多いもんですから、エンターテイメント×サイエンスを掲げていますっていうことを毎回言ってまして、エンタメって役者の活動であるとか、歌とか音楽、いろんなものがあると思うんですけれども、
そういった時には楽しくとか、楽しいだけじゃなくて人の心を打つような、何か心に残る作品を作るとか表現をするっていう、そういった活動であるとか作品が持つ力っていうのと、そのサイエンスのいろんな驚きとか感動とか発見っていうものだったりを掛け合わせて、自分のキャリアだったり、あといろんなお仲間もいたりしますので、歌が歌える、いろんなイラストかけてサイエンスもわかりますとか、
いろんな仲間たちと一緒に、そういったエンタメ×科学っていうのを一つのキーワードにして活動しているっていう形です。よろしくお願いします。
ありがとうございます。
よろしくお願いします。
もう気になる単語が、ワードがたくさんありましたね、もう今のだけで。
エンタメ、サイエンスが掛けられちゃうのってね、でもそれは実は奏でるサイエンスも少しは目指しているところだと思うんですけど、達さんもね。
僕らはストリートサイエンスって言って、ストリートに届くサイエンス、誰でもストリートで聞けてですね、ストリートからスタートもできるっていうようなサイエンスを目指しているんで、何かこう同じ根っこというかを感じる瞬間なんですけど、まず何か聞きたいことないですか?
まずは、その2つが重なるまでの沙耶紀さんがどういう道筋を通っていらっしゃったのかなってすごく気になるんですよ。エンタメとサイエンスが交わっていくにはどういうことがあったのかなとか思って。
いやー、ありがとうございます。
本題に入っちゃいます?
そうですね、本題中の本題の話になりますけれども。
いきなり静かにしちゃいたくて。
やっぱ聞きたいね、そこはね。
聞きたい!
いきなり聞けますからね。
そうですね。ちょっと時系列が前後しちゃうかもしれないんですけれども、エンタメかけるサイエンスの原点は高校時代になりますね。
高校生の頃に、いわゆるアメリカでもあるかどうかわからないんですけれども、理数系とか文系とか選択ができる学校があったりしますよね。
で、その高校の理数系に進学しまして、そこから広い意味でのサイエンスっていうところにはつながっていくんですけども、一方で高校生の頃に日本ではウォーターボーイズという作品がですね、当時流行ってまして。
どちらの方ですか?
ウォーターボーイズだっていくつかあるじゃないですか。
いくつかあります。映画とかドラマとか、最初に見たのは映画版ですけれども、いわゆる男子高校生たちがひと夏をかけて、今はスポーツの名前としてはアーティスティックスイミングっていう名前になってますけれども、そういうものに挑戦をすると。
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かつそこで作品中描かれているのも競技としてのスポーツとしてのシンクロというよりはエンタメ的な楽しさを見せていくっていうような活動としてのシンクロだったんですね。
それを見て、当時自分たちは水泳部として競泳をやってたんですけども、水泳ベースなので泳げるし、あと練習プールの環境もあったりとか。
なぜか、高校のプールには観客席みたいな、お集い向きの、なぜかそんな環境まであってですね、ここでシンクロできるじゃんみたいな話になって、シンクロを始めたっていうのがエンターテインメントの接点ですね、最初の。
はじめ入った時は競泳部でまっすぐ泳ぐつもりが目覚めちゃったんですね。
そうですね。なのでシンクロをやっていて、実はそのキャリアが10年ぐらいあるんですけど。
すごい。じゃあちょっとやろうよっていう感じの軽いノリでスタートした感じなのにってことですか?
軽いノリですし、かつ高校1年で体育会計っていうと想像していただけると思うんですけど、やろうよですらなく、やらされ。
言葉が悪いですけれども、先輩の。
圧力により。
先輩がやりたいって言ったから。
貴重なご提案をお受けしたっていう形になります。
先輩が。
10年って、高校生活は3年ということだから?
なのでその後は大学に入った時にチームを結成したんですけれども、そもそもの高校の3年間の話としては、高校2年の時に自分たちは文化祭で披露するとかっていう学校に閉じたぐらいの活動でやってたんですけども、
2年目が始まった時にテレビをつけたら富士テレビで、当時全国高校ウォーターボイズ選手権、富士テレビがやっている全国大会という名前のついたシンクロの選手権がやってたんですよ。
我々視聴者ですよ。あくまで視聴者ですけど、ウォーターボイズを作品として見た時って自分も役者とかやってなかったですし、あくまでも芸能人の人たちが、役者さんたちがテレビに出て演技としてシンクロやってるとか映画に出てるすごいなっていう感じだったんですけども、
全国高校ウォーターボイズ選手権は別に芸能人とかじゃなくて、自分たちと同じような全国で自分たちの学校のプールとか市民プールとかでショーをやってっていう、ある意味同じ立場のはずの高校生たちが富士テレビのゴールデンでテレビに出たんですよ。
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それは高校生としては悔しいじゃないですか。悔しいというか燃えるものがあって、これはとなって竹中尚人さんとかもう本当にベテランのスターの人たちが出てきてマイク持ってすごいきらびやかなかっこいい衣装で全国高校ウォーターボイズ選手権とかって言って、その隣から特設のプールの1000万円ぐらいかけたプールがあって階段があってそこからハッチが開いたら
高校生たちが竹中尚人さんの両脇をこうザッザッザッと降りてくるみたいな、これが絶対に出たいと思って翌年出たんですよ。選考を突破して。
予選会から行って。
予選会、ビデオの選考とかだったんですけども、熱意とか練習風景とかをビデオで送ってですね。それで全国大会に出て8校中3位になったんですね。
すごい。
コーチとかいたわけでもないってことですよね。
ではないですけど、テレビの側が、ドラマとか映画とかもシンクロの監修とか指導で入られているチームの方がいらっしゃったんですけども、同じその方がウォーターボイズ選手権にもついてきてくださったりとかして、そこで指導があったりとかもしたんですけども。
すごい。
芸能っていうのも完全にイコールではもちろんないですけれども、そういう意味でエンターテイメントと芸能界っていうのが繋がった瞬間というか、芸能界っていうのはこういうところでエンターテイメントに人生かけてるような人たちがいて、それがかつどんどん知名度とか人気とかっていうのが繋がって輝いてる人たちがいるんだっていうので、
その大学に入った時に全国高校ウォーターボイズ選手権っていう名前なので、自分たちは当時、自分は京都の出身ですけれども、京都だったりとか岐阜県出身とか、いろんな東京のメンバーだったり三重とかいろいろなところから参加してましたんで、そういう意味で全国の仲間たちがすでにいる状態だったので、その中から希望者を募って大学でチームを作ったっていう形ですね。
すごい。大学で初めて作ったってことですね。もともと大学にはあったわけじゃない?
そうです。なので、大学でって今言っちゃったんですけど、大学生の頃に大学とは無関係に有志のチームとして作ったっていう。
なるほど。作るっていう楽しみにそこに触れてるっていうのは大きいですよね。そしてテレビの大きな舞台に出るっていうのも大きいわけですね。
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そうなんですよ。シンクロって言ってもエンターテイメントっていう前提がありますし、
見せるっていうね。
見せる。プールでいろんな技だったり、アクロバットとかもそうですし、プールサイドでダンスをしてとかですね。
あ、そうそう。あれ楽しいところですよね。
盛り上がるとかっていうことで、技術的な部分もそうなんですけど、結構別に無理くり結びつけてるわけでもなんでもないんですけど、
やっぱり非言語ではありつつも、結局そのコミュニケーション的な要素がすごくあって、その場の皆さんと一緒にいろんな表現とか出し物でもって、
感情だったりいろんな思いとかその流れっていうのを共有していくっていう感じだったので、
その頃のアドリブ力じゃないけど、今こんな感じで乗ってきてもらってるから、じゃあこういう表現でとかっていう、
その場その場の掛け合いとか、そういうものみたいなのがいろんな面で今のベースになってるっていう感じですかね。
まさかサイエンスとシンクロが結びつくとは全く思ってなかったから今びっくりしました。
そうなんですよ。それが本当の原点でありつつ、ちょっとその時系列で言うと、若干進めるとそのシンクロの活動がどんどん活発になって、
セミプロとかプロ活動に近づいていくんですよね。
いわゆる自分たちがバイトしてお金を稼いで貯めて、それでプールで合宿をして、合宿も1レーンとかでできないですから、
6レーンとか借りるには結構べらぼうなお金が必要で、それをまかないには自分たちはもともと素人で自分たちがお金を支払ってプールで借りて合宿して、
どこかもうただでもいいのでやらせてくださいとかって頼み込んでショーをやらせていただく形だったのが、
徐々にギャラいくらで市民プールで講演やってくださいとか、そういった活動に変遷していくっていうのが大学時代の出来事でしたね。
アマチュア活動みたいなものをプロ化させたっていう感じじゃないですか。
プロ化しましたね。当時、だから全国で一番前世紀で150校とかですね、高校とかいろんな部活動とかでシンクロがやられてたらしいんですけど、
いわゆる男子シンクロが。なんですけど、やっぱりプロとしてっていう考え方でやってたのは、
本当にその、だから自分たちが高校時代指導を受けたトゥリトネスっていう団体さんがいらっしゃるんですけども、
そことあと一つと、あとはうちはインディゴブルーっていう、藍色の英語でインディゴブルーっていう名前でやってたんですけど、
その3つぐらいかなぐらいの感じだったので、そこで本当にいろんなビジネスっていう意味でも、
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全国のプールをリストアップして、テレアポをして、テレアポが通ったら企画書を作って、
スタートアップだ。すごい。ベンチャー、ベンチャー。
仙者であって、演出して、ビジネス作って、披露してて、ステージ。プロダクションだ。
そうですよ、なんかそれでもういざ契約できたら、もう海パン一丁でシンクロやりに行きますみたいなこと。
その勝負もすごいね。
体ひとつで勝負みたいな。プロレスラーと同じレベルだね。
アクションビジネスですね。
そんな感じでしたね。なので、そこでみんなは大学4年間終わって、その当時のメンバーいろいろ入れ替わりもありつつも、
最終的に大学終わったんで、じゃあもう社会人として働いて、シンクロは卒業しますっていうメンバーもいれば、
そうじゃなくて、当時は会社として立ち上げもしてたので、当時のリーダーが会社の代表としてやると言いまして、
そこに何人か賛同してメンバーが加わっていったんですけれども、自分だけ大学院進学をしたので。
もうひとつのサイエンスっていうね。
天気が現れましたね。
高校の頃理数系で、もともと昆虫好きとか生き物好きなんで、大学は生物系でやってたんですけども、
それですごい生物を学ぶとか研究に関してもすごくモチベーションあったので、
それで大学院進学をしたんですけど、シンクロはシンクロでプロのパフォーマーというか、プロレベルでやってるパフォーマーではあったので、
そこを一人だけ料理でやってるみたいな感じになったんです。
大学院生でプロのシンクロとスイマーってことですね。
大学院生の時はやってたんですか?それとも大学院に入るまでやってたんですか?
大学院生の頃もやってましたね。
それで本当に朝から夕方過ぎぐらいまで大学で授業を受けたり研究実験をやったりとかをして、実験系の研究をやってましたんで、
思いっきりじゃないですか。教科医学ですよね。研究もめちゃくちゃ思いっきりやりますよね。
やってたので、とはいえ本当に同期たちは本当に夜中まで研究をやってましたけれども、
自分はその夕方過ぎぐらいのちょっといいところでラボを出て、
そこから京都市街にあるようなみんなが合宿してるところに合流して、
ちょうどその市民プールとかだと営業時間外に自分たちが練習ができるので、
そこに合流して夜更けまでプールで練習して、そこからまた体育館みたいな施設があるんですけども、
そこで深夜とかまでダンスの練習とかを今度はやって、
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寝たら朝の営業時間前とかまでまたプールで練習できるので、
えーすごい。
そこで練習して、そしたらいい感じに人が集まってきて、
もうすぐプール開くから切り上げなきゃっていうタイミングでまたラボに戻ります。
すごいタフ。
今やることを想像するとちょっと自分でゾッとしちゃうみたいな感じのことをやっていたんですが、
その修士号をそれでどうにか取りまして、
博士後期課程に行ったんですけれども、
そこで学進、いわゆる学進特別研究員の立場も得てはいたので、
それで一応お金もいただいたりしながら研究をしていたんですけど、
だからそれもあって、プロ活動としてやってるシンクロのチームに、
自分はそっちでは金銭は受け取らない形で、あくまでも課外活動としてパフォーマンスをしているっていう、
いわゆる特別研究員の制度にお金を受け取ると停職しちゃうみたいな、いろいろあったので、
そこは厳密に守ってはいたんですけれども、
とはいえそこを守る守らないっていう問題ではなくて、
もはやその博士号を取ってアカデミックなキャリアに行くとかっていう選択肢の中には、
ちょっとさすがにそこまでプロのシンクロのパフォーマーと両輪でやるみたいなことはなかなかなくって、
というかそれはできないなと思って、
当時は円溜めの道へ行こうと思って、
それでその大学をその1年目、博士課程の1年目が終わって、
D2に行かずにエイヤーとそこで自主大学をし、円溜めの道に行ったっていう感じです。
素晴らしい。すごく悩みましたか?
もうそれより円溜めの方がもうパッと道が開けた感じでしたか?
いやもうさすがにそのD進してましたんで、
それはアカデミアのキャリアとか研究者みたいな道っていうのも、
少なくともその選択肢とかっていうのも見据えながらD進をしていたはずなので、
そういうのもありましたし、
かつ今でいうまさにサイエンスコミュニケーションとかって、
当時の自分の発想としても、
なんかこうエンターメントサイエンスの掛け合わせとかができそうっていう領域ではあったので、
当時もうかなり何年前か今計算できないぐらい前ですけど、
その頃もそういうキャリアも想像はしたんですね。
さすが、もう少しは見えてる状況があったんですね。
ただD1の時点で12年前とかになるので、
その頃はまだ日本国内でこういったサイエンスコミュニケーションの土壌、土台みたいなものも、
今よりはまだ整備されてない印象でしたし、
自分の知識とかスキルだったりキャリア経験っていうのも、
まだ今と比べると全然段違いに少なかったので、
それを仕事にするみたいなことがちょっと想像しきれなくてですね。
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なので結局どっちかを選ぶっていうことかなという中で、
当時はエンターメントの方に一旦行ったっていう形ですね。
すっごい面白い。
そんな人、世界に一人しかいないじゃないですか。
いないかもしれないですね。
なんでそのサイキケイトの作り方っていう話っていくと、
自分自身が例えば人生2周目、同じDNAというか、
自分自身として人生2周目やったとしても、
再現性なさそうというか、できなそうだなと思いつつ。
そういうのワクワクする。面白いですね。
再現性のない人生ね。
作り方語れるのかなみたいなところもあったりするんですけども、
そういった流れっていうのが正直なところですし、
もっと言えばシンクロチームは残念ながら、
ドクターを退学してまでエンターメント道に専念したんですけれども、
その2年弱ぐらい過ぎたタイミングで解散になってしまったので、
いろいろ本当にプロとして専業してずっと持続させていくみたいなことは、
ビジネスとしても大変ですし、方向性っていうものが合ってないようなものだったので、
その先に見るもの、音楽活動でしょ。
シンクロ足掛かりに音楽活動。
それぐらいやらないとメジャーのステージに立てないじゃんっていうメンバーもいれば、
ダンサー出身のメンバーとかもいたりとかもしましたんで、
そういうメンバーたちはダンスが活かせるからやってるけど、
ボーカリストが一番のチームになるとかは聞いてないみたいな話になったりとか、
自分自身はどっちでもなくて、ただ泳げるから参加したっていう経緯だったので、
ボーカルパフォーマンスとか自分どっちでもないしどうしようみたいな感じになって、
なかなかそこがそれぞれの考えもあったりして、解散になっちゃったので、
その先の表現活動とかエンタメ活動の中での動きとして、
今はその役者をやっているみたいな形になりますね。
半分同じなのに、その残りの半分が全く未知ですごくて、
年だって同じ科学を志し、科学の研究室に行ってラボに行ってっていう、
24時間のうち8時間くらいはたぶん私たちは同じことをしてたんですよね。
研究計画立てて、実験して、ゼミで発表してみたいな生活は同じだったわけです。
首にタイマーつけて、そこからの過ごし方がまるで違うっていうのが、
すごい!どんだけ大変な。
でもどんだけ才能があったのかって思うと、
いやいや、でもなんかやっぱり自分自身は、
高校3年生の頃は、さっきほどの話で、
ウォーターボーイズ選手権に人生かけてましたんで、
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それが秋とかに終わるんですけど、
その後もちょっと中学生向けの高校の一般公開の催しとかがあったりして、
それが覚えてるんですけど、10月1日にあったんですよ。
そこで引退だったんですね。
高校3年生の10月1日までガチンコでシンクロをやっているっていう。
遅すぎるじゃないですか、受験を考えると。
突然現実に戻されたって感じでした。
10月1日って何?っていう話で。
なので、学部時代は京都工芸専院大学っていうところにいたんですけれども、
そちらも理系の国立大ではありますけれども、
そこに関しても、いわゆる一般入試の模試とか、超余裕でいい判定だったんですね。
勉強できてないので、受験勉強が全く。
なので、いわゆるAO入試、アドミッションオフィス方式というやつで、
小論文と面接と、あと生物のテストで通るとかっていう、
それだけにかけて受けたというか。
集中力がとんでもない。
決めたらバシッていくんですよね。
バシッと。
それも倍率が8.1倍だったんですよ、確か。
8.1倍だったんですけど、
それでももう一般入試っていう選択肢がないので。
自分も対策も何もできてないから。
それだけっていうので、行ってどうにか通ったっていう。
それが真のパフォーマンスの感じがする。
ただ、そこは物を書いたりとか、あと面接。
自分が高校で何を学んでとか、そういった加害活動も含めて、
どういった経験を積んできて、それが何に活かせそうなのかも含めて、
そこは絶対的に伝えることがある。
それだけのことをやってきたし、学んできたし、
いろんなお客さんだったり、いろんな方との掛け合いとか、
そういうのも含める中でのテレビとかで経験させていただいたこととかも含めての、
自分の経験っていうものにはある程度信じられるものがあったので、
この形式であればいけるんじゃないかっていうので、どうにかいきました。
そこから大学院進学で京大の理学研究科に行ったので、
いわゆる京大生え抜きのというか、彼はエリートだみたいな、
そういった方々がいらっしゃる、かつ本当に365日ラボにいるっていうメンバーも何人か、
それに近いメンバーもやっぱり京大とかの人。
この人、そうですよ。
ずっとはい抜きでずっといて偉そうにしてて、
すごい存在の博士課程の上の先輩とかいらっしゃるじゃないですか。
主みたいにしてる人が。
それ?嘘だ。私博士課程でも子供いたんですよ。
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桃太郎みたいに、ゆりかさん今日は何をしたらいいですかみたいな大学院生がついてて、
それをみんなコントロールしてたのがゆりかさん。
みなさんボランティアでなさってた。
じゃあ君はこのきび団子を持って学部生のところに行ってきなさいみたいな、
そういう采配をされてたわけですね。
そんな。
訓練してました。
幅腹とかで捕まっちゃったりしたら嫌だからそういうこと言わないで。
仲良くでわかりやすくやってました。
面白いですね。
ただそこで自分にとって救いがあったのが、
それも京大の工夫というか文化みたいなスピリッツっていうところもあるのかもしれないんですけど、
大学院進学とかで外部から入ってくると、
そこって結構立場がなかったり、
肩身が狭かったりするのかなって思ったんですけど、
そこで基礎学力として、
シンプルにやってないものは身についてないわけですから、
そこはもう歴然に差があるというのは感じつつも、
一方でラボに入って研究してますと、
進捗のプレゼントがあるじゃないですか。
そういうのとかやってると、
やっぱりそういうプレゼンの説明の仕方がわかりやすいねとか、
やっぱりそれで人を引きつける話とかじゃないですけども、
ちょっとそこの今に至る原型みたいなものが当時からあったのか、
やっぱりそういうところを評価してくれる動機というか仲間もいたりとかして、
やっぱり自分でやってることは身についてるし、
そういうところで得て不得てはあるけれども、
必ずしも自分が研究とか研究にまつわるあらゆることにおいて、
全部ダメなわけじゃないんだなみたいな。
ここまでのお話を聞いてて、
本当に映像が浮かぶんですよ、今のお話の中から。
ていたさんが実際に行ったプールも浮かんだし、
テレビのところも浮かんだし、
研究室も浮かぶんですけど、
たぶんプレゼンも本当にその相手に聞いてる聞き手に伝わる。
伝わるだけじゃなくて、たぶん胸に響くようなプレゼンされてたんじゃないかなって、
どうですかね。
いやいやいや、もっとラボに夜まで残って実験しろよって思われてただけかもしれないですけども、
ラボの主的な方に白い目で見られてたかわからないですけども、
あまり理解しすぎるつもりもないんですけど、
本当にそういう動機の一言とか二言とかで、
自分自身が救われた感覚っていうのは確かにありました。
いずれにせよパイオニア。
本当ですね。
すごい。
パイオニア精神にあふれてるなってすごい感じたんですけど。
そこが分岐点な気がしますね。
自分の場合はそういうエンターテイメントっていう捉え方だったんで、
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結局最初は映画の憧れっていうところから入ってるんで、
とりあえずそれを真似しようみたいなことで、
青春、笑顔、元気、爽やかみたいなことでワーっていくんですけども、
それを10年やってたわけではなくって、
さすがにその続けていると、
それこそ先ほどのお話とかも大学院に自分は行ったけれども、
こんなシンクロを寝る間惜しんでやってるけれども、
その先の人生はどうなんだとかいろいろ考えるわけですよね。
メンバーもそれぞれに自問自答しながらやってて、
1年に1回とか自主公演っていう形で、
市民プールでショーとかレジャープールでお呼ばれしてっていうだけじゃなくて、
自分たちプレゼンツで本当に1時間なり1時間半なり、
自分たちがやりたいことをやって集客してっていうライブもやってたんですよ。
ってなった時にそこで今の心の葛藤であったりとか、
それでも熱い気持ちを持ってやってるんだとか、
そういったパッションだったりっていうものをそのまま演技として表現して、
何か提示してみようとか、
なんかその青春笑顔元気爽やかとかじゃない、
もうちょっと表現とかいろんなものに深く向き合っていくんですよね。
そうするとなんかそこで提示して、
思ってたのと違うってなっちゃう方もいらっしゃるんでしょうけども、
その中にはすごく皆さんが抱えてる気持ちだったりとか、
その先で表現したいこととか、
すごく渦巻いてるものみたいなのがすごく刺さりましたみたいに言ってくれる方もいらっしゃったりして、
やっぱり楽しいとかみんな笑顔になるとかっていうのは、
すごい素敵な今でも大切にしてることの一つですけども、
一方でなんかこうエンタメってなんか心を動かすというか、
そういうものなので、
自己表現とか生きるとは何かっていう向き合うところですよね。
こういうものになんか自分は携わってるなぁと思う中で、
とはいえ表現のフィールドがずっとプールだったんで、
10年間ぐらいあるとはいえプールでやりましょうっていう話だったんで、
なんかその枠を越えてやりたいっていう中で、
自分自身はその歌とか何かお笑いとか他のことに特化してたわけじゃないので、
やるとするならば役者、お芝居かなみたいなところが当初からあったっていう。
そうなんですね。
お芝居の道に本格的に入っていくって感じじゃないですか。
そうです。だから役者デビューがもう27歳とかの話で、
それ自体ももうかなり遅い方ですし、
でもやってみたらやっぱりハマって、
なんか役者さんも本当にいろんなキャリアの方が集まってる中で、
でもなんか自分はやっぱりある程度自然科学というか理系というか、
そっちのベースもあるので、役者としてもそっちのマインドもあるんですよね。
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あんまり根性論とか感性だけじゃないというか、
すごい何か感情をスパークさせるような大号泣するとか、
そういったいろんな状況の中でっていうお芝居も、
もちろん稽古とかも含めてあったりするんですけど、本番だけじゃなくて、
そういう時にその状態になるっていうのは、本当に感情とか心に起因してるわけですけど、
でもその状況を生み出すまでのプロセスっていうのは、
すごくサイエンティフィックにいけるはずだみたいな思いがあって、
すごい面白い。
じゃあどうやれば現場に立った時にその感情が立ち上がってくるのかなっていう、
そこまでは理論でいけるはずだみたいな気持ちもあったりとかして、
ちょっとそこのお話をするとめちゃくちゃマニアックなことになってくるので、
ちょっと聞きたい。
また今度の機会をまた立ち上げてるので。
トップアスリートが1週間とか1ヶ月かけて自分のピークをそこの試合に持っていくように、
演技というものに関してもそこに自分を持っていく、理論立てるものがあるってことですね。
やっぱりなんか最近サイエンスコミュニケーションでもそういった台本読解とか役作りっていうところのプロセスを引っ張ってきて、
コミュニケーションに転用して茶々理解の授業ですよみたいなこととかをやったりもするんですけども、
学びたい。
なんかそれっていうのも今それをやれてるっていうのもやっぱり、
でもまあそれは普遍的に役者であればみんな向き合うことではありますけど、
でもそれをどこか客観視して自分が台本と向き合っている時間、役作りとして何かを作り上げていく時間っていうのをある種客観視して、
これAとBとCとDとEを台本読解の時はやってるってことねみたいなことで、
フォルダ分けして整理してるみたいな見方で自分がやってるので、
それをじゃあサイエンスコミュニケーションの特に取り分けコミュニケーションの部分に転用するならこういうことかなっていうことがおそらくできるっていう。
あれ?似てる?
似てます?もしかしてエリカさんのこのコミュニケーションのグリッド線って呼んでるんですけど。
そういうのがあるんですね。
さゆきさん、たぶんすごい深い話ができると思う、これから。
それはぜひ。
2つの車輪っていうお話を先ほど言おうというところで出てきたんですけども、
さゆきさんから私今すごいアドバイスいただいた気持ちになっていて、
私はほら、科学者を途中で辞めた。
辞めるつもりはなかったのに、ちょっと休憩する時間を持ったらば、
違うお仕事にはまっちゃったっていう状況で、
2つの車輪とは思ってなくて、乗り換えた気持ちではいたんですね。
でも、最近この今日本語を教えるっていうことで教科書を作るときに、
科学者であった、科学を学んだことってガッチしてるんですよ。
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言語と科学って違うものだと思ってたし、
私は違う道に乗り換えたって思ってはいたんだけど、
ずっとその科学を学んできたことの車輪が回り続けてて、
今、ガッチして2つが動き出してるんですね。
だから、今さゆきさんたぶんすごく充実した日々なんじゃないかな、
なんて思うのは、その科学で学んだことと、
自分の未来っていうのが一緒に回ってる感じがあるとするならば、
私はようやくこれが回りだした感覚があって、
でも、科学を元に持ってるって、
自分がすごく強くなれるなっていうふうに思ってるんですけど、
さゆきさんもやっぱり、科学好きだったり、好きを超えてますよね。
マスター行って博士課程進んでってことは、
科学を自分の人生の糧として掴んだっていう経験があると、
役者だったり、舞台だったり出るときに、
すごい強いパワーになってるんじゃないかなって思います。
そうですね。
やっぱりそういう掛け合わせみたいなことって、
なかなか一朝一夕でできないというか、
それこそ高校1年生っていうふうに分岐点としてスタート地点を据えるならば、
それって16歳とかですよね。
今37歳なので、
20年以上円溜めかけるサイエンスの両方に片足突っ込んでる感じですよね。
なので、それぐらいやって、
自分の中でこことここが繋がるなとか、
こっちとそっちはあんまり繋がんないなとか、
そういうことだったり、
それぞれの領域での知識の総量とか深みとか、
いろんなものが相まって、
もちろん今の時代っていうのも手伝ってくれてるなとは思うんですけど、
一昔前だとお医者さんがテレビに出たりとかしてると、
もっと真面目に診療しなさいとか、
いやいや真面目に診療しながらテレビに出てると思うんだけどって、
僕なんかは思ってたんですけど、
やっぱり世間の目として、
そういう二足のわらじみたいなのに対して批判的な。
すごくありますよね。
そういう世の中の動きなんかも手伝って、
形に最近になってなってきたっていう感覚ですよね。
どんどん重なっていくんでしょうね、これからね。
へー面白い。
そしてこんな佐伯さんみたいな方に、
科学を強くアピールしてくだされば、
科学者たちがどんなに心強いかと思って。
いや本当にそう、これはやっぱり分かっていただいてるところもあるし、
そしてその学び続けてる姿勢っていうのも素晴らしいなと思うんですよ。
最近のブログとかも見させていただいたんですけど、
現場に行くたびに学びがある。
学びがあるって書いていらっしゃるじゃないですか。
楽しくやってるだけなんですけどね。
その原動力はどこにあるんでしょう、
その情熱が湧いてくるところは。
そこを聞きたいとこなんですけど、
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もう時間が過ぎましたね。
あーもう次?
もう一度桂太さんには来ていただいて、
そしてその時にはですね、
この大元になった子供時代の科学に止めり込む理由であるとか、
あとは大学でどんな研究をされていたのかとか、
この情熱はどこから来ているのかということと、
今一番情熱を向けているものなど、
もう一度来ていただいて、
次回じっくり語っていただきたいと思います。
その二つの車輪を回すものっていう、
そこに私は気になるなー、
その原動力、
こんなエネルギー種の人を私、
すごい久しぶりに見たと思って。
いや圧倒されました。
そして引き込まれました。
めちゃくちゃ面白かった。
大丈夫でしたかね?
なんかエピソード2行って、
今度はエピソード1戻るみたいな感じの流れになっている気もしなくもないですけど。
いや引き込まれました。面白かったです。
ちょっと次回に向けて、
はい、いろんなことも振り返っておきますので、
はい。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今洗礼しておきたいこととかありますか?
あーそうですね。
基本的には一番アクティブに発信しているのがApexのアカウントになりますので、
そちらの方で随時情報をキャッチしていただけましたら、
大変ありがたいです。
わかりました。概要欄の方に貼っておきます。
みんなで応援しましょう。
今日は沢木健太さんに来ていただきました。
本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、聞いていただきました。
いかがだったでしょうか。
科学とエンターテイメントを掛け合わせる新しい挑戦。
本当に素晴らしかったですね。
そしてエンタメと科学の融合のその原点にはですね、
とてもユニークだと思うんですけれども、
テレビドラマウォーターボーイズがきっかけだったっていうね、
それも素晴らしいし、そのウォーターボーイズ選手権っていうのがあって、
冒頭でもしゃべりましたけど、
まずショーレスみたいなところに向かっていく
沢木健太さんがいたんだなっていうことが、
やっぱM1とかね、あとは甲子園とかね、
そういうものを感じるような中で、
そこに精神を打ち込んでたっていうのがね、
手に取るように伝わってきたのがすごく面白かったです。
そして京都大学でのね、大学院生生活と白紙家庭の道ということで、
本当にね、研究の中で両立させていたっていう姿が伝わってきて、
これも本当に面白かったですね。
やっぱりこの沢木健太さんがこのカナデル細胞に来ていただくことによって、
僕たちのこの番組もそうですけれども、
科学科室の活動自体、僕たちの活動自体がね、
なんか大きく広がっていくすごいチャンスをいただいたなと思います。
なのでこの沢木健太さんと一緒にですね、
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これからも子供たちにね、科学の面白さ、科学の良さ、
そしてですね、なぜだろうって自分で考えたり、
その答えっていうのをね、僕たちの科学教室っていうのはすぐには出さないで、
本当にみんなでなぜを温め続けようとか考える、
その過程を大事にしようということで、
実は答えのないものとかを一緒に、
一緒にまだ分かっていないこととかを追いかけていくような
科学教室にも展開していたりするんですけど、
そういう活動にもね、より一層弾みがつけばなと思っています。
2024年としては、ポッドキャストの面で言いますと、
本当に多くの方々とコラボレーションすることができて、
そしてゆりかさんのキラクっていう本を出すことができました。
これを日本に届けるように今準備している段階なので、
2025年としてはそのヒラクをですね、日本で展開すること、
そして科学教室でこれまでやってきたこととかを記事とかですね、
本とかにまとめたいなと考えています。
特にですね、実は来年、僕とゆりかさんの結婚20周年を迎えます。
振り返ってみると、僕は結婚する時によくあるつきなみな言葉で、
あなたを幸せにしますとか、
ちょっとそういうのを簡単に言えるような状況じゃなかったと言いますか、
僕は大学院2年生でプロポーズしまして、
前期家庭の2年生の時にプロポーズしまして、
結婚式を挙げたのがその2年後、白紙の2年生の時なんですね。
結婚式を挙げてから数えて結婚20周年なんですけど、
その時に僕は3つの誓いを立てたんですよ。
幸せにするっていう幸せっていうのがすごい抽象的すぎて僕好きじゃなくて、
具体的に自分が何をするのかっていうことを言ってたんですけど、
それはゆりかさんの性格、ゆりかさんの能力っていうか、
そういうのを見た上ですごくその教団に立つっていうことがすごい向いてる人だなと思ったんですね。
なので、彼女が教団に立つっていう状況がある限り、
僕は全力で助けますということ、
そこに労力は惜しまないっていうことを約束したんですね。
2つ目が母として素晴らしいお母さんになれる人だと僕は思っていると、信じていると。
だから、ゆりかさんが母親というものになる時には、
自分は本当に全力で助けるし、努力を惜しまないって言ったんですね。
3つ目が彼女の文章能力に僕はすごく惚れてまして、
あなたは本を書くべき人だと。
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だから、あなたが本を書くっていうことが起きたら、それも全力でサポートするということで、3つですね。
教団に立つこと、母親という道を歩くとき、そして作家ですね。
本を書く、著者としての活動、その3つは全力で支えていくということを誓ったのが20数年前なんですね。
なので、20周年の節目に、彼女は今リベラルアーツ校で授業をやっているし、3人の子供を育てていて、
そして本を書くという機会を得て色々書いていくんですけど、
これをですね、本当に彼女が持っている能力をですね、全力で出せるように。
どっちかというと、僕が研究にのめり込む余りですね。
彼女の時間を取ってしまったり、彼女に大きな負担がかかったような時間の方が多分長いと思うんですよ。
僕も全力でね、色んなことをやってきたっていう気持ちはあるんですけれども、やっぱりそういうところがあるんで、
2025年を迎えにあたってね、結婚20周年ということで、結婚の時に立てた20年前の誓いっていうものを改めて自分に思い出して、
僕ができる限りのことをですね、やってですね、彼女の能力がちゃんと発揮されて、
多くの方にですね、素晴らしい授業や素晴らしい本のね、文才っていうものが届いてて、
人々の、その彼女の文章って勇気をくれるんですよ。
勇気をくれるし、人生に向かって前向きに進んでいけるというか、
そういったものを多くの人に届けることができるようにね、サポートしていきたいなと思ってます。
ということで、本当にね、今年1年多くの方に支えていただいて、
なんとかね、奏でるサイボー、ミュージック&サイエンスポッドキャストというものを続けることができました。
本当に聴いてくれてる皆さん、そしてコラボレーションしてくれた皆さんのおかげだと思ってます。
そしてね、一緒にパーソナリティを務めてくれたユリカさんのおかげだと思ってます。
そういったものに感謝して、そして皆さんに素晴らしいクリスマス、そして年末年始が来ることを祈って、
多分今年最後の配信となりますが、これを終わらせたいと思います。
本当に最後まで聴いていただいてありがとうございました。
来年もね、楽しい配信を続けていこうと思っていますので、どうかよろしくお願いいたします。
以上、最後まで聴いてくださってありがとうございました。
お相手は科学教室の先生、辰でした。
バイバイ。
バイバイセコー。