すごい事故よね。職場に行くだけで4台かける2だから。内市は10列して事故だから。
4件かける2ってどういうこと?4台事故が。
4件かける2でしょ。事故って。自爆っていう事故っていうよりもやっぱりぶつかってるわけよ。内市は3台重なって職場に行くだけよ。夜のパーティーが職場であって。
心拍が上がって3倍くらい疲れるよね。職場に着く前に。
やっぱり集まってきたみんなで何件事故見たって話になって。
でもそれを見たとしてもゆりかさん感じるのはアメリカのドライバーは良い人たちばかりと思うでしょ。
それはゆりかさんの見方が素晴らしいっていう。模範的な見方です。
ありがとうございます。
素晴らしいです。今いろんな話をしましたけど、人と人との関係ってそもそも考えてみると結局コミュニケーションだと思うんですよ。
そうすると基本っていうのはおしゃべり。
そうね。
ここだけを今まとめると、2025年幸せになりたければ寛大さ、好奇心、そして楽観的な見方を持っておしゃべりしなさいってことだと思います。
ひらくしなさいって話じゃないの?たずさん。寄せてくるね。
そうね。ひらくは確かにそれだよね。
じゃあ大事にしたい人って誰かって言ったらやっぱり家族。
そうね。おしゃべりを聞いてくれる人ってことね。
そして友達。近くにいる人。
ジャッジメントなしにね。話が面白いか面白くないかとかじゃなくて聞いてくれるってことよね。話したくなるってことよね。
そうね。なのでここまで来て子供に集中していきたかったんだけど、よく考えてみると、ポッドキャストをすると全部できますね。
どういうこと?
まず自分のポッドキャストパートナーを自分の好きな人にしちゃえばいいわけじゃないですか。
かつてたずさんがカルロスを選び、そしてカルロス忙しくなって近くにいたユリカさんを選んだようなそんな感じ?
そうすると好きな人と決まったときに定期的に話せますよね。
一石何鳥ね。
そしてリスナーが世界中にできるんで新しい出会いが無限に広がりますよ。
そうよたずさん。友達増えちゃってね。2024年はね。
この機会に言わせてください。たかぴさん毎回毎回素敵な感想ありがとうございます。いつもこうやってあげてくれる。
こういうリスナーさんのおかげで僕は本当に楽しくポッドキャストを続けることができてます。
世界中ですよリスナーさん。僕たち今インディアナから発信してるけど、9カ国で聞かれてますからね。
すごくない?たずさんやっぱり2025年バックヤードをリフォームしたくない?そしたらみんな集められるじゃない?
うちのバックヤード?
そうそう。なんかご自宅にって言うと生活感見えちゃうけど、バックヤードにどうぞみたいな。
隣の親父がバックヤード綺麗にしてさ、まさか人呼ぶじゃない?あれいいなと思って。
やりますか。
なんでかわかんないんだけど、言葉の問題とかじゃなくて、何か環境が違う、知らない人たちが多い。
自分が受け入れられてないんじゃないだろうかという息苦しさみたいなのを感じた時があって。
でもやっぱり科学ってすごいなと思うのは、共通言語というか、科学の面白さ、自然の美しさってどこでも通用するでしょ。
いろんなバックグラウンドを持ってる子供たちが一緒に楽しんで、わーっていう声を一緒に上げて、
子クラスみんながそれぞれに楽しめっていうのはすごいなと思って、これは科学教室を続けるしかないなって思ってた。
そうだね。特に子供たちはアメリカと日本といろんな国籍を持つことで、
あとお父さんとお母さんが違う国籍を持ったりすることによって、国語が違うってなってくると、
言葉によるハンデを持ってる子たちがすごく多いなって思ったのね。
私の子供も学校生活は英語だし、家に帰ってくると日本語だしって言って、
自分の母国だったり、拠り所をどこに持ってくるんだろうかってすごく不安になったわけ。
その時に、この土地しかないのだと、この土しかないんだ、この空しかないんだって思った時に、
自然を見るっていうところに立ち帰ると、すごくそこには共通なものが流れていて、
そこをまずは共通のものにして、親子と出会ってもね、
つまり私が育った環境とは違う環境で子供たちが育ってるわけ。
英語っていうものがあって、文化も違う。
その中で私と子供をつなぐもので、共通なものを探すっていうのはとても難しいのよ。
その時に自然って思った時に、この自然を享受するって思った時に、
なんだこんな近くにあるじゃないかって。
一緒に森を歩く、一緒に海辺を歩く、一緒に空を見るっていうレジルカーソンのものの考え方に立った時に、
なんだこんなに簡単だったんじゃないかって思ったの。
すごく勇気が出たね。
共通の世界が広がっていくんだよね。
一緒に見たよねってそれを語る言葉が何語であれ、一緒に広がる世界。
脳みそや心に広がる世界っていうものは同じなわけだから、またそこから新しい言葉が生まれてきて、すごく勇気が持てた。
そこにちょっと付け加えますけども、レジルカーソンのこの戦争番内に寄り添ってきたんですよ。
この空を見上げましょうっていうことをそのまま研究テーマにして、
みんなでプラネタリウムに行ったり森探検に行って空を見上げましょうっていうようなそのままの教室をやりました。
100万円買ってもまだ満たされないみたいな。あの時の穴を埋めるために大人になると、全部買ってやっと落ち着くとか、そのくらいまでいくんです。大人がいになると。
大人がいってそういうことね。
だけど、そういうケースっていろいろあって、子供の時に音楽をやりたかったから大人になってから音楽とかってあるし、
悪いケースだと受験ね。自分で受験がこうだったからって言って、子供の時の受験の時にグワッて肩のみをかけちゃう。
親になっちゃったりとか。
自分の受験のいろいろなトラウマだったり、成功、失敗、いろんなことを自分の子に委ねちゃうってこと?
肩にグワッて乗っけちゃうみたいな感じが悪い例なんだけど。
いやー、大慣れ症ならいろいろとあるんじゃないかしら、皆さん。
それは自分で無意識に、自分が感じたそれを助けてあげるためと思いながら、5倍とか10倍のさっきのポケモンカードで言ったり、全部買っちゃうみたいな感じで、
自分はあと1本、2本頑張ればよかったのを子供たちに、私あれ足りなかったからってグワッてやっちゃった時に、50倍、100倍やっちゃうんですよ。
まさに英語教育もそこだね。
英語とかね、自分が話せなかったからとかね。
でもね、これね、よく考えてみたら、この科学教室のいいところ。
自分が知らなかったことを子供と一緒に学んでて、今学んでるのは子供であり自分なの。
子供の肩に押しつけてんじゃないの。自分が学ぶってことが大事なの。
足りなかったものって、この子に足りなかったんじゃないから。あなたに足りなかったんだから。僕自身に足りなかったんだから。
そう考えると、学び続ける姿勢みたいなのが自然にできるなっていうのはあるよね。
その科学教室をやることによって、僕は自分の人生のサイクルを回しながら、本当なら悪いサイクルになるような、例えば自分に足りなかったものとかを、すごい良いサイクルで回す効果があったのかもしれない。
そうね。というか、自然、科学、自然というものはあまりに偉大で、その前に立つと子供も大人も同じなのよ。
返してくれるんだね、自然にね。リセットしてくれるかもしれない。その関係性みたいなもの。
だから、いろんなことは受験勉強以前、英語教育以前、本当自然に身を任せるってことね。
子育てのヒントは、自然の中にたくさんあるんだということは。
人が人であるっていうことに、立ち戻らせてくれるっていうことかしら?
そうね。
つまり、たつさんが子供とともに成長したってことの話なのね。
そうね。なんか、僕自体が、みんなで一緒に学ぶっていう環境が好きなんだと思う。
そうね。だから今、ラボで学生たちや、いろいろな人たちとわちゃわちゃやってるってことね。
そう。大人も子供も関係なく、いろんなことをみんなでいろんな視点で一緒に勉強するっていう世界観が好きなんだと思う。
そうだね。たつさん、ラボでのストレスたくさん話すじゃない?
でも、結局好きだってことね、あなたね。好きなのよ、たぶん。
ああでもない、こうでもないって、いろんな事象に立ち向かうことが好きなのよ、たつさんは。
まあね。
その事象っていうのはやっぱり、研究や実験から出てきたことだから、時に真実が隠れてるってことを知ってるのよ。
必ずどれか真実だって知ってるから立ち向かうんじゃない?
こだわりが強いんだと思う。僕は、まっすぐ勝負を挑みたいんだよ。
うん。
この科学の疑問に対して、こういうふうに行くと都合がつくからっていう大人の都合のつけ方で結論を導きたくないって気持ちがあって、
こうするとお金が取りやすいからこっちの解決策で行ってくれっていうのも、それは真実じゃないでしょって思っちゃう。
そういうことを言う人がチームにいるっていうのもおかしいだろうってなっちゃったりして、疲れるんだと思うね。
そうね。
そこは正直なところ、まっすぐ行こうよと思うんですよ。ここまでやってきたんだからっていうのもあるしね。
そうすると、自然を子どもたちと一緒に見るっていうことで、本当の自分の心の綺麗な部分だったりだとか、
ドキドキしたりワクワクしたりするっていうものを取り戻す時間でもあったのね。
正直言うと、科学教室は子どもたちのものだから、気楽にね。みんなが笑顔になるぐらいでいいんじゃないのって思ってやろうと思ってたの。
少し100%ラボでやってるとしたら、科学教室は30%ぐらいの頑張りでやろうと思ってたの。
だけど、なんか本気になっちゃうんだよね。科学教室終わるたびにすごい燃え尽きてたよね。燃え尽きてたっていうか、元気ももらうんだけど、
あれ、なんで俺こんなに本気になってるんだろうっていう繰り返しだった気がします。
やっぱり子どもたちに本物を見せたいっていうふうに強く思ったからよ。
そうだね。もしかしたらこの子たちは、僕が接してる人たちの中で、最も本当の科学を知りたい人たちなんじゃないかっていうのはあった。
そうかもしれないね。
子どもだからとかじゃなくて。
博士を持ってるからとかじゃなくて。
お金がすごい動いてる研究プロジェクトのここで真理を求めてるんだっていう熱意よりも、子どもたちに、科学って本当に楽しいんですかとか、なんで科学者になったんですかっていうものを問われてるような瞬間だったような気がする。