場の重要性
どうも、純朴生活です。この番組は、藍槌菅太郎さんがかつて出演してくれたことのある番組です。
ホストは私、純朴が務めます。よろしくお願いします。
藍槌菅太郎さん、工藤文子さんですね。先日、文化系トークラジオライフだっけ?
急に番組名が不安になったけど、合ってるかな?合ってる?ちょっと見るよ。文化系トークラジオライフ。合ってるね。
好きなことで生きていくから10年、趣味と労働を考えるという会で、いろんな方が出演されてたんですけども、その中で工藤文子さんがですね、冒頭から
最後番外編まで藍槌無双というかね、場を賑やかすムーブが大変すごくてですね、とても感心しました。
自分があの場にいたとしてね、あんな風に場を盛り上げることができるだろうか。他の人が不安にならずに話せるようにちゃんとすごくいいタイミングで反応するっていうのをやれるのはすごいなと思いました。
そういうふうな話の中身がおもしろかったっていうのもあるんですけども、文子さんの声が聞こえてくるたびに僕はすごく愉快な気持ちになりましたね。
そんな人が、藍槌すご太郎さんが、この純木生活っていうよくわかんない個人ポッドキャストに出てくれたもんだなぁと後から思って、すごさがわかればわかるほど出てくれませんかって誘った時の自分の無鉄砲さが怖くなる感じがしましたね。
その説はありがとうございました。出ていただいて。
あと文子さん、イメージキャストの200回記念にもお便り送っていて、そのお便りもね、すごかったですね。
ちゃんと一個一個のエピソードを聞いているぞっていうのがちゃんと伝わる内容になっていて、すげーって思いましたね。
すげーって思いました。
そんなことを思ったりしてました、最近は。
一つ前のエピソード、純木生活のエピソード89では、なんていうタイトルだっけ、確認するか。
一個一個確認するぞ。
俺は確認をする人間だぞ。
確認をする人間なろう。
なんていうタイトルでしたっけ。
教えてくれよ、あんたの物語を。
出しました、エピソード89。
これはたびたび、この純木生活でも言っていることではあるんだけども、それは改めて言ったという感じで、一人一人のリアルな人生の話を聞かせてくれと。
別に大きな物語じゃなくていいから、小さくて可愛い物語をめでていきたいというような話をしました。
そうしましたら、リスンのコメント欄でコメントを書いてくれた人もいたし、それとは別に、それに反応する形で音声コンテンツ、声の形で反応してくれたのも2件か3件あったかな。
個人の発信活動
それとはさらにまた別種類で、ちょっとポッドキャストを始めてみようかと思っているって言ってくれた人もいるし、はたまたポッドキャストをちょっと前に実は始めてたらこそこそと更新してたんですって言って、既に存在するポッドキャストを教えてくれる人もいてですね。
自分のこの小さな小さな発信活動からすればすごくたくさんの反応をいただけて、ほくほくですね。
非常に自分にとってはコスパがいい。ちょっとしゃべったらこんなにたくさんの人のいろいろな人生の話とか聞かせてもらえることになって、やってみてよかったなと思います。
普段この純木生活とかテキストでやってる日記とかもあんまり特定の読み手、聞き手に対して語りかけるようなトーンをあんまり採用してないつもりなんですよね、自分としては。
ただ僕がボソボソやってるから、読みたい人は読んで聞きたい人は聞いてっていうスタンスでやってるんで、あんまり読み手とか聞き手を意識して書くとかしゃべるとかっていうことをあんまりしてないつもりで。
そういう意味では一つ前の純木生活のエピソード89はタイトルでもあんたっていう言い方をしてるし、エピソード中でも具体的な個人名を出したりしながら聞いてくれているであろう人に呼びかけるような、自分としては珍しいタイプの回だったんだけども、
その呼びかけに反応があったっていうのは嬉しかったですね。
一人二人頭に思い浮かべてる人はいたので、その人たちに何かきっかけになるような、コンコンノックしてもしもしって感じの回になれば十分と思ったんだけど、
思った以上に僕が想定していなかった角度から山彦が帰ってきたような感じがあってね、ラッキーだったなと思っています。
やってみるもんですね。
エピソード89で言った通り、一人一人が発信していくっていうのは僕は良いことと思っているというか、少なくとも好みなんですよね。
一人一人が自分の人生をめでていくみたいなことは好みなんで、自分の好みのアクティビティが増えるっていうのは少なくとも僕にとってはハッピーですよね。
やってみて良かったなと思います。
そんなこんなでね、自分としては2006年ぐらいから続く個人の発信みたいなものの価値を最近改めて考え直しているところでもあります。
僕なんてもう18年ぐらいウェブを通じて何か自分のその時を思っていることとか考えていることをこうして今も自動車の中で喋っているわけですけども、
これやられてるから話したいことがあったらすぐ話すっていうのをほとんど息を吸うようにやっていてできるけども、
そうじゃない人もいる。だから場があれば話せるみたいな。質問されれば答えれるとか言いやすい場があれば話せるとかって、
そういう状況の人もいるよな、多いなと。多いかどうかわからない。そういう状況の人もいますよね。
そういった話しやすい場とか良い場があって、場のおかげで行動が促されてその人にとって望ましい振る舞いが出せるっていうのはそれは良いことだと思っているんだけど、
その時に場があればできるって状態に、これまでできなかったことが場があればできるって状態になった時に場がなくなっちゃったらまたできない、そのまま戻るのだとあまりにも人生がギャンブルになっちゃうなと思って、
だから自分こういう場があればできるんだって気づけたら、たとえそのある一つの場がなくなったとしてもまた別の場を見つけるとか、自分にあるといいのはこういう場って言ってそれを自分で働きかけて作り出せるとかね、
そういう風になっていくと常に何かに自分以外の何か外的要因に左右されずに自分の思っていることを言えたり記録できたり、自分のやりたいことを表明して実際その実現に向けて球を転がしていけたりとか、
そういう風になっていくから、あんまり外部要因任せずにいられると人生の難易度は下がるんじゃないかなと、より自分の内なる欲求みたいなものがうまく発散できながら生きていけると生きやすくなるんじゃないかなと感じたりしてます。
ブログでもポッドキャストでも何でもいいんだけど、すでにセットアップされていて、新しい投稿を一つ追加するのはやり方が分かっていてすぐできるって状態になっているのは個人の人生にとって結構プラスになることが多いんじゃないかなと感じてます。
社会の分断と未来の不安
そういうのが好きでね。自分も個人の発信っていうのをやってますね。それは自分の内面をデトックスしていく上ですごく役立つなと。僕はそういうことに役立っているなと思います。
今日は社会の分断のことを考えたら、結構気が沈んでるな、自分気が沈んでるなと感じている時間がありました。
例えば自分と、自分の家族と親しい数十人たちと、今僕ハッピーに楽しく毎日暮らしてるんですけど、
この感じをゆるーと5年間続けるとかはそんなに難易度高くなく実現できそうだなと思ってるんですけれども、
20年後とか、例えば60歳とかなってなった時に、治安のいい社会で暮らしてられるのかっていうと結構危ういなと感じてるんですよね。
このまま社会における分断とかが進むと、自分が高齢者になる頃に治安悪くなってるんじゃないかという心配をしてますね。
体力落ちてきて、自分のいろいろな頭の回転とかも劣化してきて、老化していった時に、治安の悪い社会で暮らさなきゃいけないって結構嫌だなと思っていて、
もし20年後とか30年後に治安のいい中でのんびり暮らしていきたいと願うのであれば、
今、社会で起きている分断を改善する方向に何か自分もアクションを起こしていかないといかんのではないかということを急に強く思うようになりましたね。
そのためにはあれかな、直近15年とかで関わる機会がなかったような人、これまでの自分の直近20年20歳から40歳までの間で一切関わることのなかったような人たちとの接点を新たに持つとか、
今まで社会の中の見ないでいた領域に目を向けるというかもうちょっと関わっていくとか、そういうことをかなり強く意識してやっていかないと、
なんていうかね、身近なとこだけでやってると分断が放置されるというか再生産されるな、そんな感じがして危機感が強まってきてますね。
なので今日11月10日ですか、来年自分の時間を何にどれくらいずつ使うかという時間の組み立てをまた年末から年中にかけてちょっと考えたり組み替えたり設計したりすると思うんですけど、
そこにおいてね、今までノータッチできた部分とかにね、もうちょっと触れてみたいなと思います。
知らずにいることで変な先入観を持って捉えてることとかありそうだし、知らずにいることで完全に自分の思考の光が当たってない部分というか全く考慮できていないこととか、僕はねすごいそういうのたくさん持ってると思うんですよね。
あまり視野を広くして生きてこれなかった感触があるんで、なんかこのままいくと今は幸いラッキーなことに楽しく暮らしてるけど、なんかこの状況長く続かないんじゃないかって考えたらね結構怖くなってきたんですよね。
ちょっとそういうアクションかな。
去年今年と2022年までに比べると2023、2024で小学校に行くようになったりとか、それまでの15年間でめくってこなかったカードをめくっては、
行動の重要性
ああここってこうなってたんだとか、ああ思ってたのと全然違ったとかっていうね、ちゃんと視界を広くするっていう時間を取れてたんだけど、それをなんかもうちょっと踏み込んだ形でやれた方がいいのかなっていうことを思ってるんで、
ちょっと何やろうかなっていうのを少し考えて、今やってることの何かを、直近1年とかで恒例に時間を使ってたけど、これにかける時間を少なくして、新たにこういうことに時間を使うとか、そういうことを年末に向けて考えていこうかなと思ってるそんな感じでございました。
2024年11月10日、日曜日の夜に、出先の車の中で運転席に腰掛けて撮っていました。
明日は月曜日か、明日からまた1週間始まりますね。
僕はね、もうすぐ札幌に行く予定がありますよ。北海道は札幌市。札幌なんか雪降ったみたいだね。ちょっと1週間くらい前に。
なんか白くなってる写真を見て、僕が行くときにどうなってるかわかりませんが、まあ寒いことは間違いないでしょうから、しっかりあったかくしていって、風邪などひかないようにしたいなと思っています。
そんな日曜日の夜でした。また次のエピソードでお会いしましょう。
お相手はじゅんぼくでした。またね。