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2023-05-23 09:08

ゼロから世界屈指の観光地をつくるまで|小澤英之さん(「Earth&Sky」代表/ニュージーランド)

インタビュー全編はこちらから↓
https://bit.ly/cm_hideyukiozawa-san

「Life Update CLUB」について
動画 https://youtu.be/P6EtEcDiwwI
HP https://bit.ly/Life_Update_CLUB

 ─インタビュー概要─
小学生の頃に、友人の家の望遠鏡で星空を見るのが好きだった。
ワーキングホリデーで、29歳のときにニュージーランドへ。
何をするか決めていなかった。
のんびりできそうだというのが魅力的だった。

英語が分からないのに日本語ガイドとして働いた。

ワーキングホリデー期間が過ぎる頃、バスでテカポに立ち寄ったとき、ここに就職先はないかと探した。
就職先は遊覧飛行会社。
その会社で日本語スタッフを募集していて、面接に行くとすぐに決まった。

あれから25年。
星空ツアーを組んでからでも21年経った。

「そんなツアーはそれまで誰も考えたことがなかった」という小澤さんが、テカポは世界屈指の星空観測の聖地に育て上げるまで──その半生に迫った。
(2016年3月ニュージーランド・テカポで対談)

【プロフィール】おざわ・ひでゆき/1958年生まれ。明治大学卒業後ニュージーランドへ渡航。自然に魅せられテカポに定住する。星空を案内することを生業とし現在にいたる。「星空は宇宙への窓」。宇宙を見ながら地球を思う毎日をおくる。 Earth&Sky(現:Dark Sky Project)
(プロフィールは2016年3月の取材当時)

─聞き手─
早川洋平(プロインタビュアー) はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。

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#インタビュー #テカポ #ニュージーランド #海外起業 #星空ツアー

会社の歴史と事業の始まり
僕も一応、自分で会社をやっている身として、
数人でもいろいろ大変なこともあるんですけど、
60数名っていうメンバーでやってるってことで、
それだけでも尊敬、称賛なんですけども、
そのご苦労とかいろんなことも後でお話伺いたいんですけども、
やっぱりそもそも、そういう星空のこのツアーの会社を、
つまりこの会社をやって今どのくらいなんですか?
会社が始まって21年になるんですけれども、
このマントジョン天文台でツアーが始まってからは10年です。
そして会社が始まってってことは、その前もおそらく何年かあったでしょうか?
実質ニュージーランドに来て、初めて来て何年?
私は25年くらいだと思います。
四半世紀ということで。
そして今このアース&スカイで代表として活躍されてるわけですけども、
やっぱり一番気になるのは、そもそも例えばなんだろう、
ここに来てここでこういうお仕事をしてるきっかけというか、
例えばずっと星空に日本で見せられてそういう仕事をしたかったとかだったり、
ニュージーランドで何か思い入れがあったりとか、
そもそもはどんな感じだったんですか?
小澤英之さんの星空との出会い
そうですね。
星との出会いは小学生の頃なんですけれども、
友人が誕生日プレゼントで望遠鏡を買ってもらいまして、
随分いい友人ですね、望遠鏡まで。
僕はその望遠鏡を見たくて、その友人宅に年中遊びに行ってたんですね。
なかなかお父さんが帰ってこないと望遠鏡をセットアップして見ることができないんで、
お父さんが早く帰ってくる日を狙って遊びに行ってたと。
なかなかお父さんが帰ってこなくて見ることができなかったというのが最初の出会いでして、
その後ニュージーランドというところに旅に来る機会がありまして、
このテカポというところを初めて知りました。
そこからのスタートだと思います。
事前に僕もいろいろ、小澤さんのインタビューされた記事だったり、
いろいろ見たり、実はこれ言ってもいいと思うんですけど、
昨日このテカポに私入ったんですけど、その前にいろんなタイミングが重なって、
小澤さんもクライストチャーチにいらっしゃって、僕もクライストチャーチにいらっしゃって、
実はテカポに来る前に小澤拓にもお邪魔して、そして素敵な奥様にもお話を伺ってですね、
いろんな話もあったんですけど、そこでもちょっとお話を伺ったりということもあったんですけど、
そもそも、今星空との出会いはありましたが、
パイロットをされていたというか、目指されていたというか、
そういうキーワードもちょっと出てきたんですけど、
その辺、昔はその夢がパイロットだったんですか?
そうなんです。高いところが好きなんです。
珍しい、珍しいというか羨ましいですね。
高いところがあると行きたくなっちゃう、そういうタイプの人間なんだと思うんですけれども、
なるべく高いところに行けるんで、パイロットに目指したという。
じゃあ、高所恐怖症とは対極にある方?
私にとってはあまり関係ない。
全然怖くないんですか?
全然怖くない。でもですね、地面が近づいてくるのは怖いんです。
どういうことですか?
地面から離れていると恐怖感がないと言いますかね。
バンジージャンプなんてとんでもないことです。
そうすると、バンジージャンプはとんでもないけど、スカイダイビングで飛んでいるときは楽しい?
はい、そうですね。
ということは飛んだこともある?
僕は飛行機に乗っているのは好きなんですけど、飛び降りることはあまり好きではなくて。
やっぱり近づいていっちゃう。
そうですね。空を自由に飛び回っているという感覚がいいですね。
でもちょっとさらに突っ込みますけど、そうは言っても高いところが自分は好きなんだとか、
パイロットを目指そうとかって思うのにも何かもうちょっときっかけがあると思うんですけど、その辺ってどうなんですか?
そうですね。自分でもよくわからないんですけど、思い返してみると、やっぱり高いところが好きだったということになるんだと思うんですよね。
高所恐怖症との関係、パイロット志望の思い出
じゃあ漠然と、例えば誰か、それこそご親戚だったり、ご友人のお父さんがパイロットだとか、そういうのは特にない?
特にないです。
気づいたら?
そうですね。
10代のときはパイロットになりたいっていう。
はい、そう思っています。
やっぱりそういう試験も受けたんですか?
受けましたね。
それは日本で?
はい。見事に落ちました。
結構難しい?
はい。自分では適性がある、ないって全然わからなかったんですけども、多分もう少し貴重面で、同時にいろんな作業ができる人が求められているんだなというのが後で気づきました。
僕からすると、この2日間接していただいて、すごい貴重面でって感じするんですけど、違うんですか?
とんでもないですね。こういうふうに慣らされました。
慣らされた?
はい。
それはいろんな事情があって。
そうですね。
さっきこれオフレコでもないですけどね、奥様もすごく素敵な方なんですけど、奥様とのお互い保管関係の中で、これ奥様来たら怒るかもしれないですけど、奥様にも素晴らしいところがあって小沢さんにも素晴らしいところがあるんですけど、保管し合う中で結構きっちりしてたという。
そうですね。そんな中でこうなりました。
そういう意味でパイロット、夢としては挫折してしまってということですけど、10代の時日本で試験に落ちてしまって、それで完全に諦めて大学行って就職って感じなんですけど、どういう感じなんですか?
飛行機との出会い、そして海外での経験
そうですね。その後も飛行機への憧れというのはずっとあったんですけれども、機会があると小型機に乗せてもらったりとかですね、そのうち免許を取らせてくれるみたいな場所を知りまして、自分でもこれだったらできるじゃんみたいなことがあるというものとの出会いがありました。
これはお金さえあれば自分の夢叶うじゃんということなんでやってみました。
お金さえあればというのはどういう意味なんですか?
そうですね。飛行機の操縦スクールというのがあるんですよ。それに行くためにアメリカに僕は旅行に行きました。
アメリカはどこですか?
ロサンゼルスにいました。
やっぱり西海岸っぽいですね。
そうなんです。
そこで操縦、それは免許を取るんじゃなくてそこで操縦をさせてもらうということ?
そうですね。飛行機を自由に飛ばさせてくれるということで行ったんですね。行ったらやっぱり免許取らなきゃダメよと言われまして取ることにしました。
その時はもう社会人になってたんですか?
その時は社会人になって海外ブラブラ旅行しちゃおうと思った時でした。
会社は就職はしたんですか?
一応大学の後、日本で就職していました。
それはどういうお仕事をされていたんですか?
その時はある電気メーカーの生産管理という仕事をやっていました。
今と全然イメージが違うんですけど、それは差し支えなければどういう?
貴重面しさが求められる職場なんですね。
入って半年でこれは絶対自分には無理と気づいたんですけれども、せっかくいろいろな方のご好意もあって就職できましたので
3年いないときっと怒られるなと思って、3年間我慢してその後旅立っちゃったわけですね。
じゃあもう3年間働いて1回会社辞めて海外をちょっと…
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